へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

スエーデン70%、日本39.4%

2007年12月23日 03時08分20秒 | Weblog
NHKで、日本の年金問題についての討論番組が放送されていた。
若い人から高齢者、フリーターから学識経験者まで、様々な人が、様々な角度で討論をしている。
毎度の事ではあるが、「最終結論」に達する事は無い。
単なると言っては失礼なのだが、「単なる公開討論会」である以上、「最終結論を出す必要はない」のである。
人それぞれに「置かれた条件」が違うのだから、どの意見が正しいのかなど判断の仕様が無い。
国会などの場では、この様な事は出来ないので、「多数決」で決める事になる。
「多数決」は「数が多いほうの意見で決まる」と言うのが原則であるが、必ずしも「多数意見」が正しいとは限らない。
話が少し横道にずれてしまったが、タイトルの「スエーデン70%、日本39.4%」は、「国民総所得に対する税金の割合」の事である。
ヨーロッパ、特に北欧はこの割合が高い。
「高負担、高福祉」と言う考え方である。
この反対がアメリカである。
アメリカは31%余りであるが、「自己責任」が要求されているため、日本に比べて負担が低いのである。
この手の討論を聞いていて気になることがある。
多くの意見は「見返りを要求するばかりで、自己負担はしたくない」と言うことが根底にある。
「消費税を引き上げて福祉に回す」と言う問題にしても、「これ以上消費税が上がっては、生活して行けない」と言うのだが、本当にそうなのであろうか?。
単純に考えればその通りなのだが、富裕層は使うお金の額が多い分だけ、「支払う消費税の額も多い」と言うことを考慮する必要がある。
富裕層が支払った消費税の多くは、「低所得者層」に回ってくるのである。
「金持ちのお金の一部が、貧しい人に回ってくる」と言うことを忘れてはならない。
「貧富の格差」が日本よりも遥かに大きい中国では、富裕層から多くの税金(直接税だけではなく間接的にも)を徴収しているのだが、それでも格差は広がっていると言う。
富裕層が消費する「ぜいたく品」、自動車、高級ブランド品、高級化粧品、高級食材、その他の輸入品などの価格は、「日本の物価にスライド」すると、日本で売られている値段に「ゼロ」を一つ付けた以上の価格になるのである。
日本で200万の車が、2000万以上で売られるのと同じ事である。
日本もこのような制度を導入してみてはどうだろうか?。
「格差」が問題になっているのだが、「日本の格差」程度では、このような制度を導入するのは難しいであろう。
「日本の格差」は、「中国の格差」に比べれば、「どんぐりの背比べ」に近い気がする。
何となく「野党の選挙用の材料」に使われているような気がするのだが。
私の話は、けして「推論」で言っているのでは無い。
上海に9回(延べで2ヶ月余り)、「一般観光客はけして足を踏み入れる事の無い、下町の最貧困層」の実態と、富裕層の実態、両方を目の当たりにしてきて感じた事である。
「資本主義自由社会」は、別な言い方をするならば「格差を生む社会」とも言えるだろう。
「お金がお金を集める」と言うことを、嫌と言うほど味わってきた。
皮肉な事に、「金持ちの所ほど、儲け話が来る」と言う現実。
「働けど働けど我が暮らし楽にならざり、じっと手を見る」と言う事になるのである。

コメント
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