へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

幸せとは一体なんだろう

2007年12月26日 01時02分35秒 | Weblog
その反対に、不幸とは一体何であろう?。
人それぞれに価値観などの違いがあるので、答えを出す事は難しいであろう。
1万円もらって幸せに思う人と、100万円もらっても満足できない人。
日常のチョットしたことにも幸せを感じる人と、感じない人。
周囲の人からは「可哀相な人」と言われても、本人はナンとも思ってない人と、周囲から羨ましがられているのに、本人は実感していない人。
お金は無いが健康な人と、お金は有るが病気で寝たきりの人。
他にも様々なケースがあるが、一体どちらが幸せで、どちらが不幸なのであろうか?。
私は、前者の方が幸せだと思うのだが・・・。
かなり昔の話ではあるが、ある人が「幸せになる方法」と言うのを話しているのを聞いた事がある。
基本的には、「周りを見るな」と言うことである。
周りを見れば必ず、「他人と自分を比較する」と言う心理が働く。
この場合に多いのが、「自分の悪い部分と、他人の良い部分を比較する」と言うことである。
「自分の悪い部分と、他人の良い部分を比較」すれば、当然の結果として「劣等感(コンプレックス)=不幸」と言う図式が出来上がる。
人間の常として「隣の芝生は緑く見える」と言うように、「良い部分」だけを見がちであるが、「現実は大違い」と言うことも多いのである。
自分の胸に手を当ててみると良い。
人間誰しも、「外見を飾りたい」と言う意識が有ると思う。
「飾り立てた外見」を羨ましがっても仕方ないではないか。
他人のよい所ばかりを見ていれば、おのずとして「自分がミジメに感じる」だけである。
不幸を嘆いてばかりいれば、「幸せになるチャンス」も逃げてゆくのではないだろうか?。
反対に、幸せに浮かれてばかりいると、「思わぬ落とし穴」に落ちる危険も増えてくる。
これは私の永い?人生から得た「経験則」である。
「人生の前半を裕福に暮らし、後半は貧しい生活をする」のと、それとは反対に「
前半は貧しかったが、後半は豊かに暮らす」のとを比べたら、どちらが良いであろうか?。
前半と後半が入れ替わっただけで、結果に大きな違いが出ると思う。
「終い良ければ全て良し」と言う言葉も有る。
私自身若い頃は、自分の不幸を嘆き、自殺を考えた事もあるのだが、今となっては「遠い思い出」にしか過ぎない。
其の時は深刻に考えていた事も、時が経てば「思い出に変わる」と言うことも有るのです。
しかし、現実の話、現在の心境になるまでには、「相当の時間」がかかったのも事実である。
「一朝一夕」にしてなるものではありません。
実際には、「一つの大きな転機」があったのも確かです。
9年前に始めて中国に行ったことが大きく係わっています。
中国の「最貧困層」の人たちの姿を見たとき、自分がいかに恵まれているかを感じました。
「日本の貧困層」の「更に下」の生活をしているのです。
日本の貧困層の場合、「顔に表情と生気が無い」と言う表現をしますが、中国の最貧困層の場合は、それを通り越して「死んだ人の顔」に近いのです。
道を歩いていてもわかります。
まるで「死んだ人が歩いている」と言った様な感じがします。
上を見たらキリがありません、自分がミジメになるだけ。
表現は良くないのだが、自分より貧しい人と比べれば「ささやかな幸せ」を感じる事が出来るのです。
「逆転の発想」をすることも必要だと思うのだが・・・・・。
コメント (4)
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