へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

過剰反応

2007年12月18日 03時41分47秒 | Weblog
昔に比べて、子供が犯罪に巻き込まれたり、事故に合うケースが増えていると言う。
その事が影響して、子供たちを屋外で遊ばせる家が「激減」している。
しかし、子供たちが屋外で遊ばなくなった事で、「運動能力の低下」と言う問題が発生している。
しかし、本当に犯罪や事故が増えているのだろうか?、少々「疑問に感じる」部分がある。
「統計的なデーター」が有るわけではないが、「情報化社会」がもたらした「錯覚」の様な気がするのだが・・・。
インターネットや携帯電話どころか、テレビも満足に無かった時代は、身近に起きた事件以外は「知る芳も無い」と言うのが現実であった。
しかし、テレビ、インターネットなどがが普及した現在では、日本国内どころか、「世界中の事件、事故」が「瞬時」に伝わってしまう。
この事が、結果として「事件、事故が増えた」と言う錯覚を与えているのではないだろうか?。
民放の一部では、「格好の放送ネタ」と考えているような風潮もある。
ここで冷静に考えてみたい。
「子供が事件、事故に遭う確率」は、どの位あるのであろうか?。
おそらく、「宝くじの1等に当選するより低い」確率ではないだろうか?。
その「低い確率に過剰反応」した結果して、「運動能力、自然から学ぶ知恵」などを失っているのではないだろうか?。
「過保護」が、どの様な「弊害」をもたらすか考えて欲しい。
会社勤めをしていた頃の話だが、私の家から会社に行くためには、どうしても通学路を通らなくてはいけないのだが、この時「困った問題」が起きるのである。
こちらが気をつけて走っている事をいい事に、「平気で車の前を歩いたり、飛び出したりする」児童がいるのだ。
一歩間違えれば、事故につながることを知らないのである。
集団登下校にも、このようなマイナス面があることを考えて欲しい。
また、「過保護に育った子供が問題行動を起こす」と言うことも考えなくてはいけない。
「危険から守る」と言うことも大事ではあるが、その事が過ぎれば「過ぎたるは及ばざるが如し」と言う結果になる事も考えなくてはいけない。
何事も、過剰に反応する事は避けなくてはいけない。
情報化社会にも「過剰な期待」は、しないほうが良いと思う。
情報化社会が、何時の間にか、「情報・過・社会」になり、更に、「情報・禍・社会」と言う問題まで抱えてしまった。
「文明の利器」を使いこなすどころか、「文明の利器に振り回される」と言う結果になっているのである。
「バカと鋏は使いようで切れる」と言うことわざがあるが、情報も使い様によっては「凶器になる可能性もある」のだ。
猟銃による殺人事件も起きているのだが、「猟銃所持の規制」も、「規制の基準」を何処に置くか、難しい問題である。
一般家庭の台所にある「包丁」でさえ、使い方を間違えば「凶器」になってしまうのだ。
「過剰な報道」が、「模倣犯罪を招く」と言う危険も考えなくてはいけない。
「角を矯めて牛を殺す」と言う事になっては、「元も子もない」のである。
コメント
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