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へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

NHKの「海峡」と言うドラマを見て思った事

2007年11月27日 04時22分26秒 | Weblog
この話は、「書こうか書くまいか迷った」題材である。
しかし、私の「ブログの流れ」から言うと、「書かないわけには行かないのでは?」と思い、書くことにした。
このドラマを見ていない人も大勢いることでしょう。
「視聴率ベスト20」にも入っていないのだから当然の事である。
だが、そんな事はどうでもよいのだ、「ドラマの内容云々」と言う問題ではないのだ。
「その裏に隠れている事実」が問題なのである。
朝鮮半島に住んでいた、単一の「朝鮮民族」が、「南北に分断された原因」は、「日本軍の大陸侵略」に端を発している事に気が付いたのである。
「もし」と言う言葉は使いたくないのだが、もしも、「満州、朝鮮半島に日本軍がいなかったら」、ソ連軍は朝鮮半島に侵攻することは無かったであろう。
日本軍の敗色が濃厚になった事で、ソ連は「チャンス到来」と考えたのであろう。
「日ソ不可侵条約」を破棄して、日本軍を攻撃に出たのである。
日米の戦いに割って入ったソ連。
日本の敗戦により、朝鮮半島は「米ソの対立の場」となってしまったのである。
「資本主義と共産主義」、「正反対」と言ってもよい両国の思惑に翻弄されてしまったのである。
日本と朝鮮民族(特に北朝鮮に住む人)との関係は、根底に「過去の重大な問題」がある以上、修復する事は容易な事ではないであろう。
中国との関係も同様である。
「戦争の補償」と言う問題も、中韓を抜きに、「米国主導」で決められてしまったため、政治交渉の材料にされてしまうのである。
拉致事件の被害者の家族の心情は「察するに余りある」のだが、現在の状況を考えれば、解決は難しいと思う。
心情はわかるのであるが、現状ではいくら騒いでみても「関係を悪化させる」と言う事に成るだけである。
「常識など通用しない」相手には、「何を言っても無駄」と言うより、「逆切れ」と言う危険が潜んでいるのである。
今の北朝鮮の中枢は、「逆切れ」した場合には、「何をするかわからない」と言う部分がある。
アメリカも、「その事が心配」なので、「触らぬ神にタタリなし」と言ったところだろう。
ミサイルを打ち込まれてからでは「手遅れ」と言う事に成る。
可能性は、「けして低くない」と思うのだが・・・・・・。
コメント (2)
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紅白歌合戦

2007年11月27日 02時59分42秒 | Weblog
今年も早いもので、後一ヶ月余りで紅白歌合戦の季節である。
恒例の事ではあるが、「出場する歌手」と共に「視聴率」が話題になる。
かつては「国民的番組」とも言われ、「50%以上の視聴率」を誇っていたが、近頃はその面影は無い。
「50%以上の視聴率に回復させる」などと「大見得」を切ったにも拘らず、結局惨敗しながら「そ知らぬ顔」をしている「大物タレント」もいる。
「始めから無理」なのはわかっていたのだが、自分の人気で視聴率を稼げると思ったのであろう。
ナンとも馬鹿げた話である。
それでは何故、「始めから無理」なのであろう?。
答えは至って簡単である、「時代(見る人)が変わってしまった」と言う以外に理由は無い。
50%以上の視聴率だった頃には、今に比べて、テレビ局の数も少なく、ビデオ、DVD,テレビゲームなど、何も無い時代である。
その上、車や娯楽施設なども少なかった。
そして一番の理由は、「歌自体が変化してしまっている」と言う事である。
当時は、歌謡曲や演歌が中心で、ポップス系の歌は殆ど無く、「大晦日は紅白を見て年を越す」と言うのが定番であった。
「選択肢の数」が少なかったのだ。
時代(見る人)が変わると共に「選択肢の数」が増えた以上、視聴率が低下するのは、「当然の結果」と言わざるを得ない。
テレビ局が増えた事も大きな理由であろう。
歌のジャンルが増えた事により「幕の内弁当」の様な感じになってしまっているところに、追い討ちをかけるように、「他局との競合」もあって、「大物歌手の出演拒否」と言う問題も発生している。
「何でこんな歌手が出るの?」と言う事にもなってしまうのである。
歌手が「NHKの安いギャラ」より、「民放の高いギャラ」を選ぶのは「資本主義自由社会」の下では、「仕方ない事」である。
NHK以外の放送局だって、「社運」をかけて「視聴率のアップ」に必死なのである。
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