へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

建前と本音(適当なタイトルが思いつかない)

2007年11月03日 04時02分45秒 | Weblog
内容が、多少「建前と本音」と違うかもしれない。
私を含めて多くの人は、立場が変わると言う事が変わることがよくある。
「労使紛争」などでよく見られる。
「労」の側だった人が、出世して「使」の側に回ると、言う事が一変する。
何故こんな「わかりきった事」を書くのか?。
昨日のブログで、書き足りなかった事を書くためである。
「書き足りなかった事?」。
私の「遠い知り合い」の話である。
「遠い知り合い」とは、30年ほど前に勤めていた会社の同僚の事である。
私より10歳ほど若い彼は、購買担当の部長が、出入りの業者と癒着している事に腹を立てていた。
その後私は退職してしまったので、縁が切れていたのだが、5年ほど前に彼が「懲戒解雇」されたと言う話を聞いた。
「解雇の理由」がふるっている、ナント「出入りの業者との裏取引」だと言うのだ。
かつて腹を立てていた事を、今度は自分でしていたのである。
昨日のブログで「私が同じ立場になったら、しないと断言は出来ない」と書いたのは、この様な事があったからである。
「人間の弱さ」と言ったところです。
「他人の事は見えても、自分の事は見えない」
「人の振り見て我が振り直せ」と言ったところでしょうか。
「人間の本性は善である(性善説)」と言う人がいるが、私はそうは思わない。
建前としては、「そうあって欲しい」と思うのだが・・・・・。
人間の本性が善であれば、戦争、紛争、争い、その他犯罪行為など起きない筈ではないか。
「非常に残念」な事ではあるが、「悪い事をする人間」は、増えて行くような気がする。
一種の「群集心理」が働いている様に思う。
「情報化社会」が、「情報過社会」になり、ついに「情報禍社会」になってしまったのではないだろうか?。
「文明の利器」も、使い方を誤れば「凶器」になってしまう。
「安易な文明の発達が招いた災難」の様な気がしてならない。
コメント (1)
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