へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

最近、ブログのテーマが決まらない

2007年11月05日 04時38分16秒 | Weblog
民主党の代表である小沢さんが、辞表を提出したと言うが、何となく「茶番劇」のような気がして、話題にする気が起きない。
かつては「政治家」と呼ばれていたものが、今では「政治屋」と言った方が正しいのでは?。
昔は、「代議士になると、残るのは井戸と塀」と言われていたが、現在では?・・・・。
だがこれも、「或る意味で仕方ない事」なのかもしれない。
「国家の基盤」が整備されていなかった時代では、「国家の基盤整備」と言う重要な問題に対応しなければならなかっ為、一部の例外を除いて「個人的な問題」に対応してはいられなかったと思う。
しかし、「成熟した社会」になった現在では、基盤整備より「個人的な問題」が多くなっている。
お互いの「面子の張り合い」と言った所である。
政治だけの問題ではない、国民だって同じである。

私の好きな政治家に、後藤新平と言う人がいる。
いると言っても、今生きてはいない、過去の人である。
明治から昭和にかけて、「大風呂敷」と呼ばれていた人である。
鉄道大臣(明治時代)だった時、全国に鉄道を建設する計画を立てたのであるが、その計画案は、ナント「100年後の日本(東京が一千万都市に成る事も含めて)」を想定していたのである。
しかも、「100年後の日本」は、彼の想定通りになっていたのである。
後に、東京市長(現在の都知事)になった時も、自動車など殆ど無く、荷馬車や大八車ばかりの時代に、「現在の車社会」を予想し、幹線道路を100mにしようと計画ていたのである。
東京駅の八重洲口前と、昭和通り(48mに縮小されてしまったが)が、その名残である。
東京市議会から、「こんな広い道路を作ってどうするのだ!!」と言う糾弾に対して、彼は、「この道路も何時か狭くなる時が来る」と答えたそうである。
そして、彼の予想通りになってしまったのである。
後藤新平の言う事は、余りにも「荒唐無稽」に思われたのであろう。
「大風呂敷」と言うあだ名に現れている。
しかし、何時の時代でも、彼の様な人は「異端児扱い」されるのが関の山である。
温暖化、原油高騰、森林破壊、・・・・・・・。
余りにも問題が多過ぎて、100年後どころか、10年後の予想も難しくなっている。
「日本沈没」が現実味を帯びてきている。
「日本列島が海に沈む」と言う意味ではない、「経済的に沈む」と言う意味である。
「心の準備」はしておいた方がいいだろう。
「楽観的悲観論」で行かないと、毎日が不満だらけになり、「精神衛生」によくない。
心に余裕がなくなると、旨く行く事もダメになる事がよくある。
「泣いて暮らしても、笑って暮らしても、一生は一生」と言うではないか。
「マイナス思考」ではなく、「プラス思考」になれば、笑って暮らせるのではないだろうか?。
コメント
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