「被告人を懲役2年に処す 未決拘留日数中120日を右本刑に参入す」
昭和19年3月31日、京都地方裁判所が下した判決である。被告人は尹東柱(ユン・ドンジュ)朝鮮生まれの同志社大学の学生であった。
判決理由は治安維持法第5条に該当とある。国体を変革する目的の協議、煽動、宣伝の罪であるが、要するに民族意識の昂揚に努めたことが特高の癇に障ったようだ。
判決後、福岡刑務所で服役したが、翌年2月16日獄死。手元の資料には1914年生まれと1917年生まれとがあるが、いずれにしろ早い死である。敗戦の半年前であって、痛ましい。
死因は脳溢血とされたが、同じく服役中の従兄宋夢奎(京都帝大生)によると、彼も自分も何か注射を打たれたと語っている。事実、宋夢奎も3月10日に獄死している。
尹東柱は朝鮮語禁止の下で果敢にハングルで詩を創った。特高により処分されたものを多いようだが、いくつか残った。代表作『序詩』を挙げよう。
死ぬ日まで天を仰ぎ
一点の恥じ入ることもないことを
葉あいにおきる風にすら
私は思いわずらった。
星を歌う心で
すべての絶え入るものをいとおしまねば
そして私に与えられた道を
歩いていかねば。
今夜も星が 風にかすれて泣いている。
昭和19年3月31日、京都地方裁判所が下した判決である。被告人は尹東柱(ユン・ドンジュ)朝鮮生まれの同志社大学の学生であった。
判決理由は治安維持法第5条に該当とある。国体を変革する目的の協議、煽動、宣伝の罪であるが、要するに民族意識の昂揚に努めたことが特高の癇に障ったようだ。
判決後、福岡刑務所で服役したが、翌年2月16日獄死。手元の資料には1914年生まれと1917年生まれとがあるが、いずれにしろ早い死である。敗戦の半年前であって、痛ましい。
死因は脳溢血とされたが、同じく服役中の従兄宋夢奎(京都帝大生)によると、彼も自分も何か注射を打たれたと語っている。事実、宋夢奎も3月10日に獄死している。
尹東柱は朝鮮語禁止の下で果敢にハングルで詩を創った。特高により処分されたものを多いようだが、いくつか残った。代表作『序詩』を挙げよう。
死ぬ日まで天を仰ぎ
一点の恥じ入ることもないことを
葉あいにおきる風にすら
私は思いわずらった。
星を歌う心で
すべての絶え入るものをいとおしまねば
そして私に与えられた道を
歩いていかねば。
今夜も星が 風にかすれて泣いている。