本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

隣保とおとき

2006-08-09 17:00:00 | Weblog
 近所の家二軒で不幸があった。同じ隣保地区ではないため葬儀手伝いやおときの準備は免れた。
 さて、「隣保」、「おとき」をご存知だろうか。小生、この地方に来て初めて知った。簡単に整理すると、次のようなことだ。
「隣保」は隣組のような制度らしい。歴史的にみると唐代から始まった制度で「四家を隣となし,五家を保となし」とあるとか。つまり五軒の単位が「保」で、ある一軒からみると他の四軒は「隣」ですな。そもそもは、連帯責任・相互監視のもとに犯罪の未然の防止という治安上の連帯責任制であり、農民を土地に緊縛させるための組織だったのですな。 
 江戸時代の五人組はこの流れでしょうね。まァ、相互扶助の機能もあって、それが今日まで引きずったということでしょう。
 徳田秋声の『あらくれ』にその言葉が出ていたから、ある時代やある地方(秋声の小説の舞台は東京だけど)によっては当り前の用語でしょうけど、家郷では聞きませんでしたね。なお、「隣保館」というものがあるが、こっちは問題などの人権に関する組織のようだ。
 とにかく、「隣保」制度は、葬祭となれば大変だ。先ず、通夜にまとまって弔問する。男は会社を休んでまで告別式の手伝いをしなければならない。女は後述のおとき作りである。しかも、今の隣保制は五家という小単位ではない。ある地区丸ごとだから世帯数が多い。それだけ葬祭に駆り出される出番が多くなる。

「おとき」は塩沢とき姐さんを「おとき」と言うわけではない。御斎と書くらしい。辞書には、仏事法会のときに出す食事とある。本来は、坊主に出す食事のことで、時食または斎時といい、食事をしてはならない時間を非時(ひじ)というそうだ。それが法要参列者にも出す食事のことにもなったようだ。
 もっとも、非時にも会葬者に出す食事の意味があり、そう言えば、カミさんの親の葬儀の時、隣保の代表者から非時名簿が必要だと聞かされた。早い話、おときも非時も食事のことで、どんな使い分けになるかわからん。

 いずれにせよ、この食事の精進料理を作るのが一苦労らしい。その隣保に属する女性が総出で五品、百から百五十食分作るという。冒頭のように二軒が重なって、二百から三百食のおときを準備したそうだ。ある地区によれば、このおときのため、それぞれに米、野菜、5百円(豆腐や油揚げなどは買わなければいかんでしょうね)が割り当てられ、欠席やむをえない家は5千円の迷惑料とか。
 最近は自宅ではなく、寺や葬儀会館で仕出しを取って済ますようになったが、それでもおときは廃れない。内輪で執り行いたい家もあるだろうし、だいたい、会葬者に食事を出すなんて今どき流行らない。そんなことを止めてしまえば、料理作りの肉体的負担と遺族の精神的負担が解消される。

 いやはや、隣保とはお節介なもので、おときとは無駄なことだ。