作家の名は忘れたが、その作家の随筆で記憶について書いていた。
記録を入れるツボには容量が決まっているので、あとから記憶を入れてもこぼれ落ちる。一方、底のほうにある記録は長期記録として忘れないのはそのためだ。
そんな主旨だが、いかにも作家らしい修辞だ。
実際には、昨日今日の記録でも長期記録に変われるという。ただ、よほど気張らないと変わる前に記憶の通関管理をしている海馬が停止するそうだ。
ところで、記憶についてこんな名言がある。ラ・ロシュフコーというフランス人の箴言集にあるとか。
「誰もが記憶力のなさを嘆くが、判断力のなさを嘆く者はいない」
文春新書の『すごい言葉』から引用したのだが、本からこの言葉を見つける前にどこかで読んだ記憶がある。はて、そのどこかが思い出せない。
なんと、その文春新書の帯の裏側に載っていたのだ。本屋の本棚から手に取って裏側を見て読んだのでしょう。読んだ記録があってもどこで読んだかを記憶していないというわけ。よくあることですかね。
記録を入れるツボには容量が決まっているので、あとから記憶を入れてもこぼれ落ちる。一方、底のほうにある記録は長期記録として忘れないのはそのためだ。
そんな主旨だが、いかにも作家らしい修辞だ。
実際には、昨日今日の記録でも長期記録に変われるという。ただ、よほど気張らないと変わる前に記憶の通関管理をしている海馬が停止するそうだ。
ところで、記憶についてこんな名言がある。ラ・ロシュフコーというフランス人の箴言集にあるとか。
「誰もが記憶力のなさを嘆くが、判断力のなさを嘆く者はいない」
文春新書の『すごい言葉』から引用したのだが、本からこの言葉を見つける前にどこかで読んだ記憶がある。はて、そのどこかが思い出せない。
なんと、その文春新書の帯の裏側に載っていたのだ。本屋の本棚から手に取って裏側を見て読んだのでしょう。読んだ記録があってもどこで読んだかを記憶していないというわけ。よくあることですかね。