ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

『ダラカン』のことなど。自戒と共に。

2014-02-25 07:35:35 | 日記
『憲法解釈は内閣法制局も大きな役割を担うが、内閣法制局長官が決めることではなく、
内閣が責任を持って決めていく。内閣において、最終的な責任は私が負っており、
責任者は私であるということを明確にしなければならない。』
安倍首相、衆院予算委員会での発言です。

『1人で決めていくということではなく、政府の有識者懇談会の検討を受けて、
与党とも協議しながら最終的には閣議決定する方向になると思う。』
とのことですが、首をかしげてしまいます。
政府の有識者懇談会は、安倍首相の代弁者にしか思えませんし、
解釈で憲法の内容を変えるというのは、間違いでしょう。

元内閣法制局長官・阪田雅裕氏は、
憲法改正には国民投票が必要なことに触れ、
「政府が 解釈でやったら国民の出番もない」
と指摘し、
「そんなことで許されるなら立法府なんて要らない」
とも批判しました。
同感です。

選挙制度や、投票率の低さなど、いろいろあるにせよ、
私たちは自民党政権を選挙で許してしまいました。
臍(ほぞ)を噛む思いですが、これは現実です。

選挙の際、卑近の例をとってみても、
身近な利害関係による選択肢で国政選挙に臨んでいたような気がします。
1震災の時、いち早く駆けつけてきてくれた。
2崩れた道路の補修を、すぐに手配、修復してくれた。
3孫が、就職の際世話になった。等々。

これらの絆も、生きるためには大切であり 否定はできません。
でも、国政選挙という自覚が希薄だったような気がします。

何十年も前の経験です。
職場で、労働組合の大会(支部)があったとき、上部組織の役員に対する批判が
続出したことがありました。
その行為が、運動の指導者としては、ふさわしく無いと評される役員に対して、
『ダラカン』との蔑称を付して幹部に対する不満の溜飲を下げていたのでした。
『ダラカン』とは「だらしない幹部」の呼称です。

そうした会議の中で、とある年配者が、言った言葉を今でも覚えています。
『だらしのない幹部がいるということは、だらしのない個々の組合員がいるということ。
我々も反省すべきだ』と。
これは、きつい発言でした。
でも、正しい発言でした。

今、また この言葉が頭をよぎります。
「ダメな政治家がいるということは、ダメな選挙民がいるからだ」
と、自戒を込めて思い出しています。

でも、ダメ選挙民に甘んじてはいられません。
少し、古くなった〈はやりことば〉ですが、
「いまでしょう」。政治に もの言いを し続けるのは。

憲法12条、『この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、
これを保持しなければならない』
『国民の不断の努力』
心に、しっかりとつなぎ止めて置きたいと思います。
                                    〈ゴマメのばーば〉

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