ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

私の散歩道

2022-07-22 06:42:07 | 日記
今朝も、昨日に引き続きNHK朝ドラ『ちむどんどん』に涙した私です。
ヒロイン一家の母が、暢子たち4兄妹に初めて明かした〈自らの壮絶な沖縄の戦争体験〉についてです。
家族のなかで〈自分一人だけが生き残った〉という淋しさと後ろめたさを持ち続けているヒロイン一家の母。
後ろめたい思いなどに責められる理由などなくても、生き残った者の殆どがその様な感情を持ち続けてしまうのでしょう、きっと。
戦後、過酷な戦場をくぐり抜け、生き残って帰還できた兵士の多くも、そうした思いに悩まされたと聞いています。
私の身近でも、そうした感情を時折、自虐的に語る特攻隊経験の若者を見ています。

私の姉は、終戦間近にして逝ってしまったことを昨日のブログに記しました。
その姉が余命いくばくもない状況下で、母は、疎開先の農家を拝むようにして廻り、ようやく手に入れた卵を姉に食べさせたのです。
その卵を、私は食べたい、食べたい、と騒ぎ立てました。
たった1個の卵。
当時3年生の私でした。
毎日、食べ物は粗末なもので、卵などクチにはできなかったのです。
そんな私を、母も姉も悲しい目つきで眺めていたのでした。
その情景は今でも、脳裏に濃くインプットされています。
時折、その映像が浮かび上がったりしますと、私は「どうして、もうすぐ死に赴く姉に対して嫌味なことを口走ったものか」と重たい気分に襲われるのです。
優しい姉、美人の姉でした。
今、もし姉に会ったとしたら、私をきつくたしなめたりはしないでしょう。
「あの頃、みんなヒモジかったものね」
と、静かに笑みをたたえるのではないかと。

私が、今散歩するコースで、お気に入りのコースは、「田んぼの在るコース」です。
ここは、私が終戦間近に疎開した場所の近くなのです。
今は、市営の「カルチャーパーク」となっています。
私の散歩も、歩いているのは田んぼ脇の農道であったりしますが、〈当時の心の風景〉を歩んでいることもしばしばなのです。

テレビのワイドショーで、ドローンの兵器使用について語られていました。
いかなる兵器であっても、人や、その暮らしの手段を攻撃するものである限り、「いい兵器」などと言うものは存在しないと思います。

  《彼らは剣を打ち直して鋤とし
   槍を打ち直して鎌とする。
   国は国に向かって剣を上げず
   もはや戦うことを学ばない。》
      (旧約聖書 イザヤ書2章から)

  『剣をさやに納めなさい。
    剣を取る者は皆、剣で滅びる』(マタイ26章52節)

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