小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

古き叡智のことわざ~【島はカヌー、カヌーは島】

2023年02月24日 | アウトリガーカヌー
【He Moku he Wa'a,He Wa'a he Moku】
ハワイの諺(ことわざ)に【島はカヌー、カヌーは島】という言葉があります。

この言葉に出逢ったのは20年前から小笠原で暮らしてからなので、
随分と前のことになる気がするのですが、
この言葉の意味に気付いたのはごくごく最近なのです。

カヌー(小笠原ではカノーという)という乗り物は、
誰かが一人猛烈に頑張ればいいわけではなくて、
みんなが同じ力、同じタイミングで漕ぐと、
一番早く進むという、とても面白い船です☆
まさにチームワーク。

いつも後ろでステア(舵取り役)をしていると、
前の5人の漕いでる状態がすぐわかって、
とても興味深いです。

ある時、父島友人の清水良さんが、
とても興味深い事を教えてくれました。

「俺はカヤックのガイドもしていて、カヌーも漕ぐんだけど、
二人乗りをガイドすることもある。
そんなたった二人ですら、
ピッタリ同じに漕ぐのは本当に難しいんだよ。

でもね、そんな時は、
ああだこうだ指示したり、
文句言ったりするんじゃなくて、
ただ淡々と目的地に向かって漕ぎ続けるといいんだよ。

何度も何度も。
継続して。

するとね、自然と漕ぎ手の呼吸ってのは自然と揃ってくる。
それがね、
面白いんだよ~。
それがシーマンシップさ!」



■そんな話を聞いていてから数年。
ハワイのネイティヴの教えを聞く機会があり、
その瞬間にピンと来たのです。

カヌーは島、島はカヌー!!
そうか!
日常生活、島の暮らしにも置き換えて喩えてるんだ☆

島というのも一つのカヌーと思って、
価値観が違う人、
想いや歓声の違う人、
色々あるけれど、
大事なのは指摘する事や、
相手を変えようとする事じゃなくて、
ただひたすら「島のみんなの幸せ」に向かって、
みんなで漕いでればいいんだ!!

大事なのは漕ぎ続ける事♪

そんな心理に気付いた瞬間、
冒頭のハワイの諺は、
僕の胸で強く光り輝くようになりました。

この言葉はカヌーだけでなく、
島だけでなく色んな場面で言えると思います。

会社、学校、地域、
そして地球全体を一つのカヌーと考えたらどうでしょうか?

以前、宇宙船・地球号という考えがありましたが、
まさにそれがこのカヌーの諺だったとは驚きです!

■ハワイの先住民の教えの中で僕の中にしっかりと落とし込まれているのは
「この島はカヌー、カヌーは島」以外に2つ。

もう一つはクレアナです。

クレアナとはハワイ語で責任、役割、権利を意味します。
ハワイアンスピリットでは自身のクレアナを常に意識していて、
自分が今どの立ち位置において、何をすべきかを常にフォーカスしていると感じました。

2つ目はアフプアアです。
ハワイにはアフプアアという考えがあるそうです。

それは単位土地区分の方法だけではなく、
住む人がお互いに分かち合い、支え合うライフスタイルとの事。

山から海へと広がる地形。
山の源流から続き、海に流れる川を中心とした大きな三角州のようなエリアを視野に入れて考えます。

そこに住む人はそこに自生するものは何でも利用することができるそうです。
しかし、他の地域のアフプアアの人は、
そこに住む人に頼まなければ何一つ取ることは許されなかったというのです。

世界の先住民同様ですが、ハワイアンにも本来、土地を所有する概念がないそうです。

あくまで土地は所有ではなく、管理するもの。
7世代先のことを考えて自分の住むアフプアアに深い絆を感じて暮らすということ。

そして土地は故郷、アイナと呼びぶそうです。
アイナとはお腹を満たすこと。
食べさせてくれる、栄養を与えてくれるのが故郷アイナ。

家族はそのアイナを大切にする責任があり、誰もが自分の役割の責任を理解し、
自分がグループの中でどんな役に立てるのかがはっきりしていたので物事はうまく行くとのこと。

人の責任、クレアナとはみんなのためにアフプアアの暮らしに貢献することに他なりません。
自分のクレアナが何であるかを理解し、お互いに協力し分かち合うシステムがアフプアアなのだそうです。


古き良き叡智。
そんな想いで日々カヌーを漕いでます(=島で暮らしてます)

☆参考記事
クレアナについて
クレアナ~伝えるという事 2020年9月

アフプアアについて
SHIPというプログラムに参加して 2019年4月

ハワイから帰ってきたカヌーについて
母島でカヌーを漕げるということ 2019年4月



自分はなんてちっぽけな存在なのだろう!~アウトリガーカヌーとザトウクジラの交錯

2023年02月15日 | アウトリガーカヌー
■先日のカヌーボヤージングは、
クジラの大群の圧倒的な迫力に誰もが言葉を失いました。

写真や動画はその100分の1も表現できていません!

1群7頭。
メスと子クジラに対して、大人のオス5頭の凄まじいまでの争い。
まさにメイティング・ポッド(狂った交尾集団)の大海嘯(だいかいしょう)!!

くろしお丸を見送り、私たちが漕ぐアウトリガーカヌーは南下していました。
6人乗りアウトリガーカヌーはエンジンのない手漕ぎなので、
クジラの息吹がハッキリと聞こえます。

南の遥か彼方に、
10頭を超えるような凄まじく暴れているザトウクジラの群れを見つけ(3群18頭くらい?)、そちらに行こうとしていたら、
そのうちの1群がぐんぐんと近づいてきました。

オスの上にオスが重なり、その上にのしかかるオス達、
海面どころか、海中から凄まじい潮吹き(ブロウ)が響き、
海面に無数の背中や顔、ヒレや飛沫が飛び交っていました。

その大群がカヌーの存在をお構いなしに、
目の前を暴れながらあっという間に迫って来ています!

この霧みたいのなものすべてが複数頭のクジラのブロウ(潮吹き)なのです。

ステア(舵取り役)である僕は、ザトウクジラクジラと接触しない様にかつ、
クジラになるべく影響を与えない様に近づきすぎないように操舵しているつもりですが、
向こうはこっちの存在はお構いなくどんどん迫って来ては、
目の前30m位を通過していきました。

まるでそこだけ台風のような嵐のような迫力でした。


■いつもはクジラが見れると大歓声を上げる、パドラー達。

今回は僕も含め、その圧倒的な存在感とスピードに言葉を失い、
誰も声を出すこともできず、ただ感じていました。

カヌーの時は群れる危険が高く、望遠カメラを持ってくるわけにもいかないので、
いつも防水カメラ一つなのですが、
なかなかステアしながらはうまく手が空かず、撮影できないのです。

今回はそんなことを考える予知もないほどのド迫力でした。


■今まで幾度となくメイティングポッド状態のクジラの群れを見てきましたが、
ここまでの迫力とスピードをカヌーの上で目の当たりにしたのは初めてでした。

エンジン付きのボートでホエールウォッチングに行くのと、
自分たちの手漕ぎで行くのは
まるで雲泥の差と思えるほど違いがあります。

カヌーやSUPでクジラと交錯することは
ただひたすらに、自分たちのちっぽけさを痛感し、
大自然の凄まじさに眉唾を飲み、
心の底から感動する瞬間でした♪

その後は御幸ノ浜沖で落ち着いた親子クジラを眺めては帰路につきました。

何度も何度も沖合でジャンプしているザトウクジラ達を横目に見ながら、です(#^.^#)

偶然にも父島の友人や、このタイミングでたまたま漕げるご縁があった仲間のお陰でこうして漕ぎだすことが出来ました。

その時の映像です。

僕はステアでなかなか撮影する余裕がないのですが、
乗り合わせた一緒の仲間が撮ってくれていました☆

圧倒的な速度と迫力の瞬間はあまりに凄すぎて、
誰も撮影できていなかた気がします。
それがまた良かったりします☆
どうもありがとう!


■もう20年小笠原に住んで、毎シーズン、ザトウクジラを体感しますが、毎度毎度新しい発見と感動があり、飽きることがありません。

なかなかクジラと遭遇できないボヤージングの日に、
みんなで母島をバックにハイチーズ!したら突然真横に大きなザトウクジラが登場したこともあります(笑)。

そんなぐうの音も出ないほどの圧倒的な存在感を感じるたびに、
自分たちのちっぽけさを再確認して、感動して
エネルギーを充電し、日常に戻ります。

一緒に漕いだ仲間も、
小笠原を離れて、いつか都会で過ごしているその瞬間、
この母島の海でクジラ達がこうした営みをしている、

それを一緒に知って共有できたことが、
とてつもない財産なのだと思うのです♪

父島のパドラーが参加してくれる事もあるし、
僕も父島に行くときは漕がせてもらっています☆

帰路に向かう途中も何度も跳ねるクジラ達を眺めながら、
みんなで感動を分かち合う時間。
それがたまらなく嬉しいのです♡

一期一会の出逢いに感謝です☆
どうもありがとう~~!


島暮らし幸福論 ~カヌーを漕いで

2022年08月28日 | アウトリガーカヌー
■最近は便利屋さんの仕事で伐採や草刈りが続いています☆
昨日は午前に地域の職員住宅の草刈り清掃に混じって(笑)、伐採仕事を頑張ったご褒美に
午後はカヌー倶楽部の練習で沖へ行ってきました!!

夏休み終盤の土曜日。
みんな忙しいのか、いい感じに少人数、
久し振りに4人乗りの島カヌーで蓬莱根へ行ってきました。

途中のポイントでハシナガイルカの大群と、
ツバメウオの群れに出逢って、
じっくりと過ごすことが出来ました♪

美しい乳房山をバックに100頭を超すハシナガちゃん。

いつもSUPで会う時はほとんどスルーされることが多いのですが、
今日はカヌーの周りにしばらくいてくれたし、
カヌーの下にも来てくれて、
水中でもゆっくり見れて幸せな時間でした♡

エンジンのない手漕ぎのカヌーで沖に出ると、
イルカのジャンプや息継ぎの音がリアルに聞こえてきます♪

イルカの群れを発見して、大急ぎで向かうでなく、
自分たちがまったりとしていて、
野生のイルカの方から近づいてくれる時の幸福感は、
言葉になりません。

あ、下にいるかも!と思って、
すぐに水には入れたり、ゴーグル付けて海中の様子をお手軽に見れるのは、それもまたカヌーの醍醐味な気がします☆

実際に10m前とかで見れてるのに、写真で撮ると遠くに見えますね~
一番近い瞬間は僕もテンションが上がってちゃんと撮れてない場合が多いです(#^.^#)

蓬莱根の近くには沈船ポイントがあり、そこにツバメウオがよくいるポイントがあります。
最近はどこも透明度がいまいちなのですが、
今回はそんな中でも沢山のツバメウオが一緒に過ごしてくれました♪

ツバメウオって不思議なんです。
人懐っこいとはよく言われますが、
僕たちが海中に潜ると寄って来てくれるのです。

エサをあげてるわけじゃ無いのに不思議です☆



■そして僕が一番嬉しかったのは、
この幸せな時間を一緒に共有できる仲間がいて、
その仲間がこんな体験が初めてで心底喜んでいる場面に
立ち会えたという事でした♪

これは一人でSUPしていて、大自然に感動しているのとはまた全然違う喜びです☆
人が喜ぶのが嬉しいって、すごく素敵で、
限られた休日や休み時間にわざわざ海準備をして出向いて来て、
沖に行って、偶然にも野生動物や大自然に沢山のギフトをもらう。

これも島暮らしの醍醐味だと思うのです。

内地みたいに何でもあるわけじゃないし、
田舎ならではの苦労は人それぞれあると思いますが、
島暮らしならではの幸せもまた沢山あります(#^.^#)


■係留ブイにカヌーを留めて、みんなが海に入っていると、
人が乗っていないカヌーがぽつんと海面に残ります。
この景色、実は結構好きなんです(#^.^#)

イルカやツバメウオと楽しく過ごした後はみんなが最高の笑顔になります♡

船で舵取り役をしている場合、
イルカが出たり、ドリフトで流れがある所を泳いでいる場合、
状況に寄りますが、船に一人残って、操舵することがあります。

みんなが美しい蓬莱根の海を堪能している間、
僕はみんなの安全を見守りつつ、美しい乳房山の佇まいを見て、感動していました。

なんて良い所に暮らさせてもらっているのだろう。

みんなが「綺麗だったね~」「楽しかった~」と言って、カヌーに戻ってくるのを眺めているのが本当に嬉しい。

最近は母島はずっとお天気でまとまった雨が降りません。
沖ではこのようにスコールの雨雲の塊が分かりやすく雨を降らせているのが見れたりします。

こんな景色をみんなと「スゴイね~」「あの中はどうなってるんだろうね~?」
そんな他愛もない会話をしているのが、とても幸せでした(#^.^#)


■みんなと幸せな時間を過ごした後、
ひとりでSUPで夕陽を見ながら、(←まだ海に行くんかいっ!w)
そんな1日に感謝して、
色んなことを考えていました。

コロナ感染後、間違いなく色々体が進化しました☆

精神と時の部屋で過ごした10日間。
症状よりも、外に出れない辛さがトラウマになる程でしたが(笑)、
回復後は驚くほど頭も体もリフレッシュできて、生まれ変わった感じです。

最近は20時前に寝てしまって、
1時過ぎに起きるナイスミドルな暮らしになってきていて、
早起きは三文以上の得だなぁ~としみじみ感じています。
(深夜1時は早起きとは言わない!と言われますw)
いつもどうもありがとう☆

リスク回避想定を怠るべからず

2021年06月08日 | アウトリガーカヌー
■【できると思っていたのに、思ったようにできなかった…】
先日、何かあった時を想定して訓練を行う重要性を痛烈に再確認しました。

それはアウトリガーカヌーの練習の時に、
「久々にリカバリ練習しようよ!」と声が上がり、実施してみての率直に思った事でした。

リカバリ練習とは、アウトリガーカヌーが沖合で反転して転覆し、
そこから復帰する練習のことを指します。

実はカノー倶楽部でも2年前くらいにリカバリ練習はやってはいたのですが、
ここしばらくはご無沙汰でした。

でも、過去にやったこともあるし、
普通に漕いでいて、転覆した事もないし、
大丈夫だろう、
そんなアタマでいた事は事実でした。

しかし、今回実際やってみると、
忘れていることも多く、実際はとても手こずりました!!

自分たちが出来ると思っていたのに、
思いのほか思ったように復帰できず、
これはとてもいい経験になりました。

昨日は消防団として、保育園の避難訓練に参加したのですが、
そこでも毎年様々な課題が浮かび上がります。

やはり何事も、
リスクを想定して、それを回避するためのシュミレーション、練習が不可欠なんだと、
改めて思い知らされました。


■さて、具体的なアウトリガーカヌーのリカバリ方法です。

まずはクルーになぜこの練習を行うか、
練習の際での危険性を話します。

アウトリガーカヌーはヤク(IAKO)とよばれるウデ部分があるのですが、
そことの激突を特に気を付けなければいけません。

そしてクルーに事前に役割を割り振ります。
4人乗り、6人乗りの時で変わりますが、
・パドルを集めて持つ係
・風上で船の向きを保持する係
・実際に船を反転させる係
に分かれます。

①みんなで船の右側に体重をかけて、横転させます
※この時にアウトリガー部分に激突しないように注意!!

②事前の係分担に分かれて、横転したカヌーを元に戻す
※島カヌーとOC6(ベルーガ)では方法が違います

③カヌーの向きを戻せたら、数名船に乗り、船体に入った水をアカ汲みを使って掻き出す

④船体胴体、身ガノ―(ハル)の水が無くなったら、クルー全員カヌーに戻る

こんな流れで行います。

間違いなく、普通に漕ぐだけの練習に比べて、
大幅に体力を消耗することは事実なのですが、
これで沖で転覆しても自分たちでリカバリできる方法を身に付けていると、
安心感が格段に上がります。

船体が重くてキール(船底をへさきからともまで通り、上背骨のような役目をする部分)がある島カヌー、
船体が軽くて船底にキールがないOC6(ベルーガ)、
この2種類だけでもリカバリの際の持つ位置、足を書ける場所が変わります。
僕たちはたった1年空いただけで、できると思っていたコツを忘れていたのです!
これに気付けたことが大きな収穫でした☆

「自分たちは大丈夫」ではなく、
「何かあったらこうしよう」で備えておく、
これがカヌーに限らず、色んな分野で言えるとても大事なこととおもいました。


■SUPはこの春からできる限り毎日漕いでいます。
昼休みに漕げる日は1時間。
昼に漕げない時は夕方に漕いでいます。

間違いなく疲れて、ヘトヘトになるのですが、
気力と活力は急上昇するから不思議ですヽ(^o^)丿

SUPもカヌーに比べて、一人の場合も多いし、
色んなリスクがあるので、様々な想定や準備を行っています。

・パドルが折れた場合
・磯場に乗り上げた場合
・ボードが折れた場合
・クジラがジャンプして、上から降って来た場合
・強風で思わぬ方向に流された場合
などなど…
様々な想定をしています。

これもとても重要な事だと思います。

先日は、いつもカヌーで来ている蓬莱根にSUPで行ってきました。

だいたい往復6.5kmのコースです。
漕ぐ時間は90分~2時間くらいでしょうか。

蓬莱根は圧倒的に美しいので、その景観だけで満足できちゃいますヽ(^o^)丿

去年の夏はカナダに戻る長女と家族で遊んだことを思い出しました♪

蓬莱根に行く途中で、
なんとバラクーダ(オニカマス)の群れに初遭遇しました!!

漕いでいて、何気に暑くなり海に飛び込んだら、下に50匹くらい悠々と泳いでいました!!
1匹が1.5mを超えるくらいなので圧巻ですヽ(^o^)丿

昔、西表島で見た事はありましたが、
小笠原でしかも水中ゴーグルひとつでバラクーダのこれだけの群れを眺めたのは、初めてでした。

その後はいつものツバメウオのポイントへ。

今回はその下にGT(ロウニンアジ)が3匹群れていて、その大きさに驚かされましたヽ(^o^)丿
母島のSUP環境の凄さをまざまざと感じさせられました(#^.^#)

今回は動画も撮れたのでアップしてみました。
動画内でカマスサワラと表記してしまいましたが、オニカマスが正しいようです。


■土曜日はSUP三昧。
日曜日はカヌー三昧。

もお、それだけで十分な日々♪
でもちゃんと午前はインフラを支える大事なお仕事、
畑仕事、稼業もしています☆

コロナ禍だけど、
本当に有難い限りです♪

最近はカヌーを初めて漕ぎに参加してくれる人も増えて、
とても嬉しい限りです♪

コロナ禍で飲みにケーションはしにくい時代ですが、
カヌーで交流が出来るのはとても有難いです☆

夕食は次女がすべて作ってくれました(*^_^*)
 ※宿題らしい(笑)

すべてに感謝☆
どうもありがとうございます!

今回はカヌーの転覆→リカバリ練習から、
日常における様々なリスク回避の想定の重要性を学ばされました。

「自分らはきっと大丈夫」ではなく、
「もしこうなったら、こうしよう」で
可能な限り色んな想定をして備えておくと、
いざという時の想定外が減り、パニックを避けられます。


■先日、母島でオリンピックに使われるトーチが8時間だけ展示されていました。

2年前当初は初のクライミングとかカヌーとか柔道を心底楽しみにしていたのですが、
今は全然素直に楽しめていない状況が率直な感想です。(2年前観戦チケットを申し込んで落選…そしてパンデミック)

トーチ自体はよくできていて、
とても美しかったです♡

今、世界のこの状況下でIOCと日本が実施を強行しようとしている事に、
とても違和感があるし、
結局はそれを決める役人を選挙で自分たちで選んでいる現実がやれやれと思います。

僕は本当にこのためにずっと練習して、
去年から1年延期して、さらに勝ち上ってきた選手には、
もっと別の形の舞台を用意できないのかと思っています。

去年からこれだけ島の地域イベントも中止、自粛をしてやってきて、
このタイミングで世界から何万人も選手と関係者を集めた祭典の実施、
そしてそれが原因で感染が深刻になった時、IOCも政府もどう責任を取るつもりなのでしょうか?(もちろん、因果関係は不明と居座るでしょうが)

まだ感染防止のプラン、感染が拡がった時のプランが示されていなくて、
大丈夫、うまくいく!だけで成功するだけで進むのは、絶対勝つで戦争を続けた頃と何も変わっていないのでは?と思い知らされます。

今回のカヌーのリスク回避想定と同じですが、
しっかりと最悪のケースも想定して、
準備と練習を行っていかなければ、
不測の事態に対応できないと思います。

3.11の時、福島第1原発が津波で電源を喪失した時、
「これは想定外」
と言っていたのを忘れてはいけないと思います。

これは不確かな情報ですが、現時点で参加申し込みしている外国がゼロなんて話も聞くと、海外はとても正常に思えてしまいます。

日本がオリンピックを強行する事で、
夏は日本中が様々なイベントや行動が緩和される気がしています。

現場の最前線で頑張ってくれている医療従事者の皆様の事を考えると、
僕はこの夏の有観客での実施強行にはまだまだ厳しいと思っています。
みんなが歓迎できるオリンピックになればいいですね~

ペサウ号~ヤップから小笠原へカヌーで渡った物語

2020年09月28日 | アウトリガーカヌー
■1986年(昭和61年)、
ミクロネシアのヤップ島からタマナで作った手作りアウトリガーカヌー「ペサウ号」で
3,000㎞の海を越えて小笠原・父島に伝統航海術で渡ってきたという話。

僕は父島に残されたカヌーの現状を見る為に行った時に、この話をビジターセンター聞き、心底驚きました。
そんな大きな出来事があったなんて!!!

Facebookにも投稿して、当時の話を知っている人から少し情報も頂けました。
しかし、もの凄い偉業を達成した割にはあまり詳細は見えてきませんでした。

ところが、ふとした時にこの時の様子を描いている本を中古で発見したのです!
「おじいさんのはじめての航海 著・大内青琥(理論社)」
どこかの図書室の廃棄図書だったようで、とても安く手に入りました♪
父島の図書室にはあるかもですね~

先日の日曜日、妻と次女が北港でSUPしている間に大半を読むことができました。(何時間も遊んでいたのでw)
当時の様子がとても丁寧なイラスト付きで描かれています。

なんと筆者もペサウ号に同乗していたんですね(笑)。
ちなみにヤップ島はミクロネシア連邦でグアムとパラオのだいたい中間地点位に位置しています。

■本には船長であるガアヤンがこの航海をするために、
当時ヤップですらFRPの船に移行していた時期で、
現役のアウトリガーカヌーが無い状態で手探りで、しかも数年かけて建造している様子が描かれています。

ガアヤンは当時70代で酋長。
カヌーで外洋を航海して島を渡った経験もない事実を知りました。

興味のある方はぜひ読んでほしいのですが、
そのヤップの人々の暮らしの様子、
人間模様がとても丁寧に描かれています。

材料のタマナを切り倒す所、なんといきなり斧で倒しては貴重な材を割る危険があるので、
根を掘って、根を一本一本切っていく。
木を彫るのは、木が育つ速度で掘っていく意識。
1日1~2食で、航海に向けてどんどん粗食に慣らしていく様。
一度、遠くの島に実験航海を行い、帆綱が切れて助けてもらう、など。
本当に手探りで、でもなんとか実現させた偉業だったと思います。

当時のガアヤンへのインタビュー記事がありました。


■とても興味深い話があります。
【海はわれらをつなぐもので、われらを引き離すものではない。
…ミクロネシアの歴史は、人々が筏やカヌーで海を探索した時から始まった。
ミクロネシアの国は星をたよりに航海した時に生まれた。
われらの世界はそれ自体ひとつの島であった…】

ミクロネシア連邦の憲法前文の一部だそうです。(P133より抜粋)

これが憲法前文に書かれているなんて、なんて素敵な所なのでしょう。

ちなみにスターナビゲーションという伝統航海術を復活させた、有名なハワイのホクレア号。
そのナイノア・トンプソンに星の航海術(スターナビゲーション)を伝えた
マウ・ピアイルックが住むサタワル島もミクロネシア連邦ヤップ州です。

※昔は竹と貝殻で描いた海図が用いられていたそうです

今回のペサウ号は最初はガアヤンのスターナビゲーションで航海していたそうですが、
ヤップからグアムに向けての840㎞の航海の途中であまりに西に流されてしまい、
伝統航海術は断念して、伴走のヨットにルートをフォローしてもらっていたそうです。
(それまでヨットのクルーはルートが外れても、一切口出ししない約束だったそうです)

ホクレアに伝えたマウ師匠のように、口述で航海術を伝承を受けたわけではない、ガアヤン。
それでも、星だけでなく、波や雲でだいたいの島を当ててしまうセンスを持っていたと書かれています。
そこはほんとさすがだと思います。

最終的には無事に父島に辿り着くのですが、
残念ながら本には伝統航海術をやめて、父島に着くまでのくだり、
着いてからの話もあまり描かれていません。

この写真は小笠原返還20周年記念誌に掲載されている到着歓迎の様子です。
盛大にセレモニーが挙行されていますね。

当時を知っている人から聞くと、
出来たばかりの扇浦の宿ビーチコマに泊まったそうです。

ホクレアの最初の航海と同じく、
長い航海でクルー同士が仲が悪くなってしまい、到着後はバラバラになってしまったとか。
本に詳しく書けないのはこうした雰囲気だからでしょうか?

それはホクレアがタヒチに着いた時に、
スターナビゲーター、マウさんが「もうこの船には乗らない」といった大きな理由がクルー同士の不仲だといいます。

無理もありません。
本当に狭い所で1ヶ月以上、極限の状態で過ごすわけなので、
「まったく自分を飾る事はできず、そのままになる」と言ったホクレアクルーの言葉が象徴しています。

ホクレアはこの不仲以降は特にこの部分を気をつけていると推察します。
違う価値観の人間が上手に支え合って航海する…
まさにここに世界の平和のヒントが隠されていると思うので、
ぜひ学びたいところだと思っています。



■いずれにせよ、70歳を超える船長ガーヤンから20代までのヤップのクルーが、
自分たちで手作りした、木造の伝統アウトリガーヌーを帆走(一部動力にも頼ったとか)でヤップ~~小笠原を航海した偉業は素晴らしいと思います。

船を数年かけて建造し、
実験航海を経ても、
ミクロネシアの大統領が認めても、日本側の許可がおりなかったり、
いざ出港する時には多くの人が集まったけど、風のタイミングをひたすらに待ったり、
自分の年齢がどんどん厳しくなる中、
「これを終えたら、ただのおじいちゃんになるからね」と家族に約束する中、
本当に根気強く進めた、結晶だと思います。

僕が小笠原の郷土芸能「南洋踊り」で首にかける首飾り。
これは母島の南洋踊りの酋長でもある小高さんがヤップ島からのお土産と僕にプレゼントしてくれたものです。

ホクレアとヤップ。
小笠原とヤップ。

なんだかこんなところで繋がるのもなんだか不思議で嬉しい限りです♪
いつかヤップ島にも行かなければいけませんね(#^.^#)

僕も娘たちも踊っている南洋踊り。
この踊りが小笠原に渡って来たのも、南洋諸島(サイパンなど)から
大正、昭和初期に小笠原に渡って来たと言われています。

東京都無形文化財に指定されている南洋踊り。
僕もヤップ島があるミクロネシアと文化的に繋がっているのです。


■作中にはこんな素敵な昔話がありました。
【若いカヌーの木が恋をした
可愛いヤシの実もやはりカヌーの木が大好きでしたよ
「私はいつか、あなたを縛るヤシのロープになりたい」
たくましい枝が動いて、タマナの木は嬉しそうに約束したよ
「きっといつか、お前と一緒に、遠い海の向こうへ行こうよ」
でも、木はまだ若すぎた

可愛いヤシの実は根が生えて、どんどん育って、そのうちカヌーの木を追い越した
とうとう、ヤシロープにはされなかったのさ

高いヤシの木から、また、実が落ちた
落ちた実は育って、やがてまた、実を落とした
3度実が落ちた時、ヤシの実はそっと聞いたよ

「あなたはまだ、昔の約束を忘れていない?」
カヌーの木はビックリだ
ヤシの木よりずっと背が高かったけれど、もう100歳のおじいさんだったからね

可愛い娘の声にドキドキしたからおじいさんは答えられなかった
すると、山のあちこちで、クスクス笑う声がしてきたよ
どうする?
さあ、お前さんだったらどうする?】


そこで一度、聞き手に質問しちゃったり…
続けて

【山の向こうからは、パンノキがからかった
「くっつけ、くっつけ、俺もしっかりくっついて、お前たちの浮き木となって、守ってやろう」
どこかで竹が 風にキシキシ笑った
「なんだか、久しぶりの話だな。俺が帆柱なら、ワヤン大船長もきっと大安心だよ」
ヤシの実は、眩しそうに100歳のカヌーの木を見上げ、一生懸命にささやいた
「私は、ずっと昔に、遠い海から流れて来たの。
だからきっと海ではあなたの大きな力になる。
もしも、あなたの心がまだ分かりませんなら…】(P65より抜粋)

いきなりここで話が変わってしまいます(笑)。

なんだかこの話のくだりと雰囲気がとても好きです。

小笠原にはこうした話が幾つもあったはずですが、なかなか聞くことは少ないです。


■最後にこのペサウ号が今も保存されている園田女子大学についてです。
こちらはこのペサウ号の安全のために伴走したヨットのスポンサーになってくれたそうです。
条件は、その後ペサウ号を預かり、展示させてもらう事。
園田女子大学のページにも載っていますし、
Youtubeにもその映像がアップされていました。


映像を見ると、さらに色んな情景を思い浮かぶ事ができて、
当時の様子を感じる事ができます。

このペサウ号の事についてはまだまだ知っている人もいそうだし、
村の教育委員会にも何かしら資料は残っているはずなので、
また父島に行ったときには調べてみたいと思います。

もし知っている人、知っていることがあれば教えて下さい!!

僕がカノーに惹かれている理由

2020年09月05日 | アウトリガーカヌー
■「6人でカヌーを漕ぐという事。
 6人はみんな人が違い、当然考えや気持ちの差がある。
 それは当然。
 カヌーってのは、みんなが同じタイミングで、同じ力で漕いだ方が速く進む乗り物。
 だけど、人それぞれで、最初は絶対に息が合わない。
 疲れている人、サボりたい人、自分こそはしっかり漕ぎたい人、もっと漕ぎたい人、早く帰りたい人、
 それは色々だ。
 でもね、みんなの目的は一つ。
 目的地に着くという事。
 価値観が違う人を咎めたり、違う部分を指導するよりも、
 とにかく何度も何度も一緒に漕ぐことが大切なんだ。
 そうするとメンバは―自然と揃ってくる。
 これがカヌーの面白い所なんだよな」

これは父島の友人、清水良一さんが語ってくれた一言です。
彼はカヤックのガイドもしていて、二人乗りのカヤックを教える事があるそうですが、
たった二人でも息を揃えるのは本当に難しいというのです。

それが6人で漕ぐなんて、
どれだけ凄くて面白いことだと思う?と。

そんな話を聞いていて、
ふと、このカヌーの話は人生や色んな地域での活動に置き換えて言えることだなと思いました。

例えば、
母島というカヌーを漕いでいたとして、
住んでいるみんなはみんな価値観がそれぞれです。

だけど、「みんなが幸せに暮らす」という目標に向けて、
一緒に漕いで行くイメージです。

このカヌーのメンバーが家族であったり、国単位であったり、地球単位であったりも言えることと思ったのです。
この心理に毎回気付かされるために、僕はカノー(小笠原では昔からカヌーの事をカノーと言います)を漕いでいるのかも知れません♪


■母島カノー倶楽部では、毎週練習をしているのですが、
先日は小5の次女がステア(舵取り)役をやることになりました。

過去になんどもステアはやっていて、そこそこできていたのですが、
前回、数か月前にステアをやって、あまり上手くできなかったので、
少し自信を無くていたようでしたが、
今回はとても上手くできていました。

ステアを離れている数か月間も、カノーに漕ぎ続け、
大人のステアを見て、感じていたのもやはり大きかったと感じます。

この成長は、本人自身としてもなんだかとても嬉しく感じたらしく、
ずっと数日間嬉しそうに語っていました(*^_^*)

もちろん、そんな娘の姿を見て、親夫婦もニンマリでした☆


■僕自身もそうですが、普通の漕ぎ手と舵取り(ステア)は、全く違う感覚です。
舵取りは常に、自分たちが乗っているカノーの行き先が正しい方向を向いているかを意識し、
みんなの漕ぎが不揃いになってないか、メンバーが疲れていないか、
根に乗り上げて座礁しないか、他に航海している船はいないか、
常にずっと集中しています。

ひとつの事に長時間集中するのが苦手な僕にとっては、
とても有意義な時間です♪

舵取りを終えた後は、
普通の漕ぎの倦怠感とは違う、
精神的な疲労感に包まれますが、
それがまた気持ちいいのです(*^_^*)

母島の色んなメンバーにもぜひステアを覚えて、沢山経験してほしいと思います☆


■この春、世界の有名なパドルメーカーにパドルをオーダーしようという動きがありました。
しかし、コロナの影響か、当時はパドル制作が各社ストップしており、注文できない状態になっていました。

小笠原にOC6という6人乗りのカノーをチェコから購入し運ぶ手配をしてくれた、
葉山オーシャン・ヴァア代表のデュークさんが、
メンバーの譲ってもいい中古パドルを9本送ってくれました(*^_^*)

近年カノーを始めたメンバーにとって、低価格で最初のマイパドルを得られる絶好の機会♡
本当に有難いものでした♪

どれもすごく使い込まれていて、
とても愛おしさが込み上げてきました♪

タヒチ製、アメリカ製、ハワイメーカー製のパドルたちが、
大海原を超えて、日本に来て、そして小笠原へ。
母島のパドラー達の手に渡り、
第2の人生をここで送ると思うと、
なんだかとても嬉しいです♪

大事にカノー部のメンバーと使わせて頂きます(*^_^*)
デュークさん、葉山のパドラーの皆さん、
どうもありがとうございます♪

届いたパドルを眺めていると、
1本1本、
職人さんが考えに考え、
技巧を凝らした様が浮かぶようです。

現在、母島には沖縄のPaddle Factory製のパドルがほとんどです。

代表の福井さんが今も母島の為にパドルを制作してくれています。
僕自身が好きなギターもそうだし、
パドルもそうだし、
職人さんの技法、芸術性は本当に素晴らしいと思います。
いつか工房を覗きに行ってみたいものです♡


■美しい夕焼けを眺めながら、
冒頭に書いたカヌーの神髄に想いを馳せていました。

日本で一番最初にハワイからアウトリガーカヌーが伝わった小笠原。
沖縄のハーリー文化とは違う部分です。

今盛んなフラも、島の川に残っているタロイモ(水芋)も、
タマナという気の名前や、
ピーマカという魚の料理の名前も、
ポリネシア由来と言われています。

僕が踊り手もしている南洋踊りもそうですが、
カヌーはこの海と海を、その人と人を繋げる大きな存在な気がします。

僕はそこに強烈に惹かれている気がします。


■「海と海が人を話すのではなく、人を繋げるんだ。まさにそこに本当の平和があると思う」
先日から、それこそカノーを漕いでいたご縁で、
ハワイのホクレア号の日本人クルーのたみこさんとお話しする機会がありました。

とても有名なホクレア号は1975年にアメリカ合衆国建国200周年記念事業の一つとして建造された、長距離航海用のカヌーです。
素材こそ現代の物を使っていますが、船の作りは伝統的なカヌーの作り方で、
釘を1本も使わず、すべて縄で縛られているそうです。

そして、航海はGPSなどの現代航海道具を使用せずに、
スターナビゲーションと呼ばれる天体や自然の情報のみを使って、世界の海を移動しています。

当時、このスターナビゲーションが絶えてしまっていたと考えられていましたが、
幸運にもヤップにあるサタワル島にマウ・ピアイルックがその航海術を教えてくれると知り、
ハワイ出身のナイノア・トンプソンが習いに行き、
現代のスターナビゲーターとして、技術と心を伝承しているそうです。

この項の冒頭の言葉はナイノアが語った深い一言です。

そのホクレア号が航海して行った島々では、
そこの先住民たちがホクレアの来島をきっかけに、
アイデンティティーを取り戻し、立ち上がっていったと聞いています。

白人の文化と宗教で、
先住民たちはくすぶっていましたが、一気に眠りから覚める様に。

そして小笠原も石器時代にはカヌーの民がいたことが分かっています。
江戸時代からはハワイ王朝時代の民が小笠原へ移住してきているのです。

ホクレアの話を聞けるというのは、そこの大切な部分を聞けるという事です♪
今日も午後からはオンラインでお話しできるとのこと、とても楽しみにしています(*^_^*)


■先月、大好きなファミリーが母島を離れて行きました。
旦那さんの任期なので、仕方のないことですが、
とても寂しいです。

お別れシーズンにはみんなでフラを踊ったりして、
別れを惜しんでいました。

長女がこのコロナ渦で
カナダ留学に戻るべきか、父島の高校に行くべきか悩んでいた時も、
留学の先輩として、色んな相談に乗ってもらいました。
一緒に沢山フラもしたね(*^_^*)

次女のお下がりの服やおもちゃも沢山喜んで受け取ってくれて、
本当に大好きなファミリーでした♪

お別れの時にはもちろん、レイを作って、届けます。

港に向かう妻と次女の後姿を見ていて、
なんだかよく似てきたなぁとしみじみ思いました(笑)。

小笠原ではお別れの時にレイを渡し、
船が離れる時にレイを海に投げて、そのレイが島に辿り着けば、
いつかまたその島に帰って来れるという言い伝えがあります。

大好きな家族のレイは、ちゃんと母島に流れ着いていましたよ(*^_^*)
沢山の思い出をありがとう♪
元気でやっているかな~


■最後にうちの次女さんのバブルリング、
素晴らしき先輩たちにアドバイスを頂き、とても上手くなってきました!

写真には撮れてないですが、
泡がひとつになっている綺麗なリングも数回作れています。

僕も何度か真似てトライしましたが、
オナラのような泡の塊ができるだけ(笑)。

どうやってやっているのだろう????

とにかく、
カノーで沖に行っても休憩で、彼女はバブルリングをひたすらやっています。

この夏休みでかなりのレベルに達したと思います。

いつか僕はオナラでバブルリングを成功させて、Youtuberデビューでもしようかなと目論んでおります(笑)。

そんな夏のカノーのお話しでした♪

※9/6追記
ハワイのホクレア・クルーのたみこさんのお話し会で、奇遇にも今回の記事と同じ内容のハワイのことわざに出逢いました。
He Moku he Wa'a,He Wa'a he Moku(島はカヌー、カヌーは島)
そういえば、去年デュークさんを招いたトークライブを開催したのですが、
そのタイトルがコレでした!!
今さらながらにそのタイトルの意味の深さに気付きました。

夏の小笠原はやっぱりアウトリガーカヌー(カノー)でしょ!

2020年07月16日 | アウトリガーカヌー
■やっぱり夏の小笠原と言えば、僕の中ではカノー(アウトリガーカヌーのこと)の存在は大きいです。
石器時代にも小笠原に存在し、
江戸時代から現代にいたるまで続いている、
日本で一番最初にハワイからカノーが伝わった小笠原。

エンジンもないこの船で沖を駆けるのは本当に気持ちがいいのです♡

返還50周年事業で父島と母島に1艇ずつ、6人乗りのOC6がやって来ました。
父島のが「イケカイ」、母島のが「ベルーガ」とそれぞれ名前が付いています。

去年は父島の要会主催で、父島ー母島横断ボヤージングに成功し、
島のカノー文化は着々と根付いていっているように感じます。

毎週、カノーを漕いでいますが、
先日の母島での練習動画です。

なかなかのスピードが出ているのが分かりますか?
(撮影中は漕げないので、メンバーにヒンシュクという噂ですw)

エンジン音のない沖への漕ぎは、本当に気持ちがいいものです♡
石器時代の民も同じ景色を見ていたかと思うと閑雅深いです(*^_^*)

カノーは誰か力持ちがパワーで引っ張るよりも、
みんながそれぞれ同じ力、同じタイミングで漕いだ方が速く進む、とても面白い存在なんです♪



■一緒のメンバーに、とっても素敵な存在がいます。

フィリピンから島の子ども達の為にALTとして英会話を教えに来てくれている彼女。
来るときのおがさわら丸で偶然隣同士で、
英語が堪能な長女と沢山交流していました(*^_^*)

祖国では真面目なお父さんでほとんど外で遊べなかったという彼女。
母島では一緒に青年会で焼きそばを焼いたり、
屋台をやったり、
カヌーを漕いで楽しんできます。
日本語もかなり上手になったね!!

あんなに日本語が話せない状況の中、
異国に来て、行った事のない島で暮らし、
子供達に英語を教えるって、
本当に凄い挑戦だと思います。

僕もつたない英語ですが、
島暮らしを満喫してほしいので、
色々交流を心掛けています。

来てくれて、ありがとう!!


■7/12は脇浜のサンゴの一斉産卵!!

カノー練習に脇浜に行くと一面真っ赤でした。
まるで崩れた焼きタラコ状態(笑)。

そして、帰りはまさに産卵の真っ只中でした!!
今度はあられ入りのお茶漬け状態(*^。^*)

思えば、去年の今頃もカノー練習の帰りにサンゴの産卵でした。

写真ではあの匂い、雰囲気が伝わらない(笑)。
やっぱり、生の雰囲気は五感をダイレクトに刺激する事を痛感しました。

コロナと関係なく、生命の営みに感動するひと時でした♪


■次女も今度はカノー大会での男女混合部門の優勝を目指して、
往復をしっかり漕いでおりました(去年の大会では一般男女混合で2位、キッズ大会では優勝でした☆)

おそらく母島でカノーを一番漕いでいる小学生です。

写真は沖の休憩中にカノーの下をくぐる次女。

どんどん泳ぎ、うまくなるなぁ~
20歳までカナヅチだった父親からみて、羨ましい環境です(笑)。

この間は沖に大きなプラスチックゴミが浮いていて、カノーで回収してきました♪


海面に浮いているゴミはすっかり小魚の住まいになっていました。

住まいを奪って申し訳ないけど、このまま海のゴミを増やすわけにはいかないので、
回収しました☆


■小笠原で伝統的なカノーを漕いでいると、沢山の美しい景色に出逢います。

カツオドリたちが沖に浮かぶ大きな白いカノーを見に来たり。

夕焼けを眺めながら、漕いでいたり。


輝く太陽の光の中で、みんなの漕ぐ音と掛け声だけが聴こえたり。


新型コロナウイルスは日々、新規感染者数を更新し続けています。
そんな最中でも、自然界は関係なく淡々と、日々営みを続けています。

カノーでその真っ只中にいるときに、なんだか不思議な気持ちになってきます。

全世界の人類にとって脅威となっている、新型コロナの存在の意味を考えてしまいます。
滑稽な、持続可能ではないニンゲン達の暮らしと行い。

今一度、振り返って考え直す時なのかも知れません。

母島、念願の初キッズカヌー大会開催!!

2019年10月19日 | アウトリガーカヌー
■今日はここ数年、ずっと実施したかった母島キッズカヌー大会を開催できました♪
荒天や台風で延期し続けて3度目の正直での無事の開催!!
ほんと正直に嬉しいです♡

母島のキッズカヌーは母島のサッカークラブ、「FCフォルサ母島」がカヌー部門として今年の春にできました。
名前はフォルサ ヴァア チーム。
代表のかんさんには、日々色んな事を学ばせてもらってます。
ほんと感謝です!!

「ヴァア(Va'a)」とはタヒチの言葉でカヌーの事を言います。
 ※ハワイ語ではワァ (wa'a) 、マオリ語ではワカ (waka) 、ヴァカ (vaka)

事の発端は、3年前の母島のカノー大会に遡ります。
僕も所属していますが、母島のカノー倶楽部で毎年カヌー大会を開催しています。

3年前、母島の小学1年生がなんとステア(舵取り)で出場し、
とても見事なステアリングを魅せてくれたのです。

小学1年生の小さな体で見事な舵取りを見せつけられ、
ダイヤの原石を見た気がしました。

これは、もっとちゃんと島の子ども達にカヌーに触れ合える場を作らなければ!
と痛烈に思わされる出来事でした。

そこからキッズクラスを作る事とキッズ大会を行うことが目標となりました。


■Dukeさんと漕いでも、父島母島横断で漕いでも、
僕自身のパドリングもステアもまだまだ課題だらけと思っています。

そんな僕が子供に指導してもいいのか?という疑問もありますが、
子供達と一緒にカヌーに触れ合い、共に向上させていければいいかと思うようになりました。

子供達に伝えていきたい事は技術以外にも沢山あるのです。

・石器時代に小笠原にあったカヌー
・江戸時代にハワイから伝わって今に至る
・日本で一番最初にアウトリガーカヌーが伝わった小笠原
・カヌーを漕ぐ気持ち良さ
・みんなで呼吸を揃えること
・違う価値観のメンバーと合わせること
・海とみんなで触れ合える機会
などなどです。


■今回は初開催ということもあり、色々事前にスタッフ内でも様々な試行錯誤がありました。
一番はメンバーの決め方です。

仲間外れは作りたくないし、
バランスも良くしていきたい。
想定外のメンバーと組んで、色んな事に気付いてほしい。
これには一番悩まされました。

結局はくじを使ってメンバーを決めました。

総勢21名の9歳から15歳の多様な子供達。

最初に身長順に並んでもらい、そこからステアの出来る人間をチョイス。
そのステアマンがくじで自分と異なる体格の二人を決める方式を取りました。

小学4年生~中学生までのフォルサ・ヴァアチーム。
さらに丁度父島、内地からも小学生が数名参加。
実に多様なチームが出来上がりました♪

その中でベストを尽くして頑張っていたと思います。

力持ちが一人いるよりも、
息を合わせて漕げた方が速いのがカヌーの醍醐味です。

子供達はそれぞれ即興のチームで色んな学びがあったと思います。
個人で好きに組んで出場するのはカノー部主催のカヌー大会でやって、
キッズではもっと色んな部分をは何でほしいと思い、くじで組むことに決めました。

色んな力や考え、がいるメンバーの中で、
自分がどう工夫すればみんなの息が揃うか。

意外な発見があったり、納得いかない事もあったり、嬉しかったり、哀しかったり、悔しかったり。
それらすべてが子供にとっても、大人にとっても学びだと思います。



■今回の頑張った子供たちへの賞品は、トロフィーや賞状ではなく、アイスにしました(*^_^*)
1位はハーゲンダッツ
2位はクーリッシュ
3位はガリガリくん
他は参加賞として一口アイスでした(笑)!

ハーゲンダッツを告知した時の子ども達の歓声は忘れられません(*^_^*)

結局、多くの子ども達は楽しんでカヌーに親しむことが出来たと思います。
本当に良かった。

恐らく、母島で一番カヌーを漕いでいるうちの次女さんのいるチームは、
見事、優勝!!
すごいなぁ!頑張った!
カノー大会で混合2位を獲得しましたが、なんとキッズで優勝とは!!

生まれて初めて食べるハーゲンダッツは、とても美味しかったそうです♪

蓋は記念にとっておくそうです(笑)。

くじで決まったメンバーにもとても優しくしてもらえて、
凄く気持ち良かったようです♪
良かったね!

また一方ではメンバー内でうまくいかない場面も見られ、
子供達それぞれ、そして大人にとっても色んな学び、課題を見付けれるいいチャンスとなりました。

キッズカヌーは技術はもちろん、カヌーと親しむも大事ですが、
一番は精神性の成長を狙ってやっている気がします。

大人でも言えることですが、
違う価値観、違う人間と一緒に合わせて一つのカヌーを漕ぐという事の意味を知ってほしいのです。

そのカヌーは今漕いでいる船だけではありません。
島そのものであっても、
会社や学校、組織であっても、
地域や国であっても、
ひとつの地球であっても、
価値観や感覚の違う者同士が息を合わせようとすることの大事さを知ってほしいのです。

否定したり、排除したり、揚げ足を取ったりするのではなく、
一緒に気持ち良く漕ぐためにどうしたらいいかを考える、感じる、学ぶ。

父島の尊敬する友人が言ったのですが、
「とにかく一緒にカヌーで漕ぎ続けること。
 何度も不満が出たり、文句や、やる気を失うこともあるだろう。
 でもみんなでカヌーを進めなければはじまらない。
 その時、どうしたらみんなでちゃんと前に進めるかを考える。
 次第に呼吸が揃っていくだろう。
 何かを画策するよりも、何かを意見するよりも、
 ひたすらみんなでカヌーを漕ぎ続ければいいと思う。
 2人乗りのカヤックですら、普通にペア同志ぶつかることがある。
 より大人数のカヌーはもっと大変だと思う。
 でも、カヌーの面白さは、やはりそこにあると思う」

僕はまさにそこの部分を子供たちに伝えたいと思っている気がするのです。
だから、カヌー漕ぎ続けると思うのです。
そして、子供たちとも。

■運営も今回初めての試みで不慣れや、至らない点もあったかと思いますが、
子供達に怪我人を出すこともなく、無事に初のキッズカヌー大会を終える事が出来て本当に良かったです。

沢山の反省もありますが、まずは大成功に終わったと思います。

保護者の皆様、参加してくれた子供達、一緒に運営してくれたスタッフの皆さんに感謝です!
最初と最後にカヌーを運ぶのに手伝ってくれた島の皆さんにも感謝です!
今日はどうもありがとうございました!!

今年のキッズカヌーはこれでおしまいになりますが、
また来春から始めれればと思います。
どうもありがとうございました☆

表彰式のタイミング、後ろを通り過ぎる共勝丸。
この写真は今日の朝の共勝丸入港の写真でした♪

第5回母島カノー大会 混合部門準優勝♡

2019年09月24日 | アウトリガーカヌー
■9月22日、第5回となる母島カノー大会が実施されました。
「カノー」とは昔の「カヌー」の言い方なのです。


使われるパドルは母島伝統の長いパドルです。
大きくて重くて、グッと力を入れて漕ぐ事が出来ます。
小さいのは子供用、太くて大きいのがステア用です。


無事に天候にも恵まれ、100名を超える方がエントリーしてくれて、大盛況に終わりました♪

これは開会式の様子です。
これだけの人数が脇浜に集まるなんて、なかなか無いことです(笑)。


美しい景色の中に、美しいカヌーがある。
素晴らしい情景です♪

石器時代の小笠原にも同じ形のカヌーがあって、
きっと人は競い合っていたんだろうなと思いを巡らしています。


■さてさて、僕個人の大会への参加としては、
今年はファミリー(僕、妻、次女)で参加となりました。

結果は見事、
男女混合部門の準優勝を勝ち取りました!!

やったぞ~~!!

何回も自主練習しました。
練習時にカヌーを海に出し、戻すのが超重労働!!(7月はそれでぎっくり腰にw)

メンバーに小学生がいて、
しかも女子二人がいる構成で「1分30秒」を切れたら、
決勝に行けると思っていました。

今回の予選のタイムが1分29秒。
これはイケると思いました♡

決勝が1分26秒。
決勝での他の混合チームは大人男2女1名の構成です(当然ですが)。

そんな中での次女ちゃん、本当に良く頑張りました。
奥さんもよく頑張りました!


先頭の次女は砂浜に到着したらダッシュして旗をとる役目があります。

おそらく母島で一番、日々カヌーを漕いでいる子供は次女だと思います。

彼女はこの3年間、
毎回1番手を務めています。
2年前はキッズ賞、
1年前は混合4位、
そして今年は混合準優勝。

結果が少しずつ伴って来ているのが面白いですね♡

最近はステアリングもできるようになり、
メキメキ上達しています♡


砂浜のダッシュ力はかなり速いです!!

先日、父島の友人が来て一緒に漕いだ時も、
「普通に大人と同じように漕いでるね!!
 子供であることを忘れちゃうくらい!」
と褒められてとても嬉しかったようです☆

本人もカヌーを漕ぐのが大好きだそうです。

クライミングも大好きだけど、
カヌーも楽しみな次女ちゃんです♡


準優勝は5000円の賞金です♪
大事に持ってますね(*^_^*)


家族で話して、幾分かは寄付に回して、
幾分かは美味しいものに使おうという事になりました♡

混合優勝は父島の要会競合チーム。
高校生の一海、良さん、なすりえチームに13秒差と大きく開いて負けました。さすがです!

高校生の一海は小笠原で一番「漕げる高校生」でしょう。

今年の父島のカヌー大会で最速を誇り、絶対優勝と信じられていましたが、
決勝でブイギリギリを攻めて、まさかのブイ跨ぎ(カヌー本体と浮き部分でブイをまたいでしまう事)をして、
悔し涙を流した経緯があり、
彼のステアでのレース優勝は今回が初めてとのことでした(*^_^*)

本当におめでとう!!
超カッコ良かった!!!


■今年は去年各部門の優勝を奪っていった父島の凄腕メンバーが葉山のアウトリガーカヌーレースに出場しにいってるので、
母島のカノー大会は多くのメンバーが不参加でした。
(葉山では驚異的な結果を残しています!!)

そんな状況の中、
母島男子部門は、我らがカヌー部のキャプテンチームが優勝となりました!!


女子部門も母島カノー倶楽部のメンバーがついに優勝となりました♪
今まで女子は2位だったので、今年は素晴らしい漕ぎとステアリングを魅せてくれて、
最高の結果となりました(*^_^*)


島のキッズも今年からキッズクラブが始まり、多くの子どもも参加してくれました。
僕はキッズを指導していて、本番で最高の漕ぎを見せてくれて、心底感動しました(*^_^*)

自分が子供たちに教えていて、
どんどん上達するのを目の当たりにして、
島の子ども達のポテンシャルの高さにシビれています♡

本番でまさかのブイ跨ぎになりそうな刹那、
パドルでブイを押して、見事にスイッチバックに成功した中学生。
思わず叫んでしまいました(笑)!!

カッコ良かった♪


■開会式では、多くの協賛を頂いて、沢山の賞が用意されていて、盛り上がりました♪

人口450人の母島ではこれは超大賑わいの部類です(笑)。


恒例の奉納フラ。
小笠原オリジナルの「丸木舟」で大会の安全を祈ります。


動画も撮りました☆

カヌー船首へのレイの捧げ。


大会の無事へ祈ります。


みんなでカヌーで楽しく過ごさることがとても幸せです。

とにかく、楽しく、気持ち良く漕げて、最高の1日でした♪


翌日朝は父島のみんなとベルーガで沖へ。

父島勢の揃ってグッとくる素晴らしいパドリングは圧巻でした♡

母島カノー倶楽部のメンバー、
参加者、青年会、観光協会、
色々関わってくれた皆様、本当にありがとうございました♡(*^_^*)

アウトリガーカヌー 父島母島間横断ボヤージング!! 後編

2019年09月08日 | アウトリガーカヌー
前編の続き

■ようやく50㎞の大海原を超えて、父島のOC6「イケカイ」が母島に到着しました!
母島のみんながお迎えしてくれて、無事に乗り越えた感動がクルーを包みました♪

この時、先頭を僕は漕がせてもらったのですが、
この時の感動は忘れられません。

古の民と同じ方法で、自分の住む母島に帰って来れたのです。

うまく言葉に出来ないのですが、
自分の中で、何かが変わった気がします。

何かひとつの自信に繋がるものなのですが、
何かもっと根源的な感覚を含めた、
ヒトとしての段階がひとつ進んだ感覚です。


■到着して着かれているはずなのに(笑)、
少し休憩したら聞こえる声が母島のOC6「ベルーガ」と「イケカイ」のランデブーをしたい!と言う声。

そう、小笠原返還50周年にチェコ共和国(ドイツの隣)で作られ、
父島と母島にそれぞれ1台ずつやってきたOC6。

最初はバラバラに分解された状態で父島、母島に届いたわけですが、
今回、ついにそのイケカイとベルーガが初対面できたのです。

船は良く女性に例えられますので、いわば姉妹の感動の再会といったところでしょうか。
父島→母島間の伴走船・アイランドクイーンの見送りを口実に出港しました☆


クルーも疲れているのに、やっぱり海に出ると元気になってしまうタチ(笑)。
みんなで喜びながら2つのカヌーが大海原でランデブーしました(*^_^*)

どちらも先日、進水式に駆けつけて来てくれたデューク金子さんの手筈で、
チェコから小笠原へやってきたカヌーたちです。
このつながりに感謝です♡


ベルーガの船首にも美しいレイがかけられます。

沖に出て帰って来た後は、とても美しい夕焼けが待っていました。
レイに映えますね~


夜は島の居酒屋を貸切り、みんなで祝杯!!
今日は朝の4:30から集合し、漕いできているので、
解散は21時と言う健全な打ち上げでした♡



■さてさて、出発の朝です。
母島でも月ヶ岡神社に集まり、無事の復路の安全と成功をご祈祷しました。

復路である母島→父島の伴走船は朋漁丸。

操船が優しく、イルカが覚えていて寄って来てくれる漁船です☆

元々日除けが無いので、
頑張ってタープなどを使って、日除けを付けてくれる優しさがありました♡

母島のベルーガも見送りで沖に出す準備をしつつ、
母島→父島の打ち合わせを行います。


2台のOC6が並ぶ夢のような光景です。

昨日よりは若干海は悪いですが、航海できないほどではありません。
僕は子どもが翌日に2学期の始業式を控えているので、漕ぎ手は妻と交代し、見送り側になります。

ついに美しい朝にイケカイが母島を発ち、ベルーガが後を追いかけます。

なんて美しい光景なのでしょう♡

僕は島カヌーでさらにその後をつけて見送ります。


脇浜で伴走船の出発を待っているひと時。

イケカイとベルーガの姉妹が並ぶ、夢のような光景。

父島母島のカヌーの民にとっても嬉しい光景で、
みんなが口々に姉妹カヌーの再会を祝福し、未来について語っていました。


■朝日きらめく中、イケカイが父島に向けて出港しました!


ベルーガ、小ベルーガ(島カヌー)も後に続きます。

昔は当たり前だったこの複数のカヌーが沖に並ぶ光景は、感無量でした(*^_^*)


鮫が先からも見送りをして頂いていました♡


■ここから先は僕は参加していないので、あとから聞いた話ですが、
往路と違い、帰りがベタ凪の海域は皆無で、穏やかだったのは母島の島影だけらしいです。


今回このボヤージングには父島のプロカメラマンが同乗し、素晴らしい写真を撮ってくれました!
父島のハートロックを背景に。

往路より過酷な復路を一生懸命漕ぎ、
なんと朝6時過ぎに母島を発ったイケカイは13時過ぎには父島に到着したとのことです!

今回の父島~母島間の50kmの航海時間は7時間程度という事になります。

父島では往路の伴走船のアイランドクイーンも迎えに来てくれて、
感動の到着だったようです。


扇浦のレストハウスには沢山の横断幕が掲げられ、
沢山のご馳走で長い航海の無事の成功を祝っていたようです。

今回の成功は本当に多くの人と島の自然に支えられて大成功となりました。

交代しながら50kmの大海原を父島と母島をカヌーで繋ぐ。

過去にはサップや他のカヌー、ウィンドサーフィンで父島母島を渡った凄腕がいますが、
今回のボヤージングはみんなで繋ぐことにフォーカスした試みでした。

みんながひとつになって果たす。

すごい充実感に満たされたボヤージングだったと思います。

ついに夢を果たしたイケカイとクルーとその家族(オハナ)。



■大成功の中で、またさらに色んな課題がそれぞれに舞い降りてきました。

母島勢にとっても、普段のボヤージングはせいぜい往復1時間程度なので、
もっともっと漕ぎたい!という声が上がりました。

僕自身もパドリングの上達をもっとしなければと痛烈に感じました。
色んな素晴らしい発見にも繋がりました☆

本当にありがとうございました♪


このボヤージングの翌週には台風の接近があり、
天候的にも奇跡的な穏やかなひと時だったと思います。

帰りのははじま丸で妻も自分が漕いで渡った航路を再確認し、
海況的にもギリギリの隙間をいけた実感を持っていました。

本当に有難いひとときでした。

ちなみに、昨日最接近を迎えた台風15号ファクサイさん。
母島は強風域にすらほぼ入らず、
そよ風台風として通過していきました♪

「養生して損した」が一番です。

通過後の夕焼けがヤバかったです。

今回のボヤージングは漕ぎ手はもちろん、
伴走船や出発、迎えを支えるみんな(オハナ)に支えられた素晴らしいものでした。

これからもどんどん色んな事にチャレンジできる自信となりました。
ありがとうございました(*^_^*)

アウトリガーカヌー 父島母島間横断ボヤージング!! 前編

2019年09月02日 | アウトリガーカヌー
■2019年8月31日~9月1日にかけて、父島から母島へアウトリガーカヌーで横断するチャレンジが行われました!

これは返還50周年事業で父島にやってきた6人乗りアウトリガーカヌー「イケカイ」が、
初めて父島~母島を往復するという初の試みでした。

主催は父島の要会カヌー部です。
母島のカノー倶楽部からは5名、参加させてもらいました。

僕も往路である父島→母島にパドラーとして参加させてもらい、
妻は復路である母島→父島に参加しました♪

結論から言うと、大大大成功だったと思います(*^_^*)
大きな事故も怪我もなく、
50kmの大海原を片道7時間弱で往復できたのです。

当初は6月上旬に予定していたのですが、
荒天で9月に延期となり、今回無事に実施できたことを、本当に感謝です♪

個人的に撮った沢山の写真と動画で振り返ってみたいと思います☆
(僕が漕いでいて撮れなかった部分は頂いたものを掲載させて頂いています)


■前日
まずは出発前日にははじま丸で父島に渡ります。
とても美しいベタ凪で、明日もこうであることを祈るばかり。

2時間で行くこの航路を手漕ぎのアウトリガーカヌーは何時間かかるのか?
不安と期待が入り混じった不思議な気持ちでした。

今回、妻が出発時に渡してくれたローゼルのおにぎりと首飾り。

嬉しいお手紙が入っていました。
ありがとう。

おにぎりは夏も収穫できる葉ローゼル「ルビーローゼル」が入っています。

美味しかった♡

あと、以前カヌー大会でファミリー賞を頂いた時にもらったパドルペンダントをお守りでもらいました。


人が海を渡るときに、やはり畏敬の念を抱いて、色んな祈りをする気持ちが分かりました。
やはり自然は厳しく、強いのです。

泊めてもらったコーヒー山のプーランでの夕日。

少し離れたところの仲間に「お~い!おいでよ~!夕日が綺麗だよ~!!」と呼べること。
そんな素朴な事にも幸せを、有難みを感じていました。
夕陽を見ながら明日の無事の航海を祈ります。

ずっと母島にも練習してきたマイパドルにも祈ります。


Tシャツはデユークさんが贈ってくれた葉山のオーシャンVa'aのTSUNAGU。

父島と母島に2隻のOC6を繋げてくれたデュークさんにも報告し、明日に臨みます。

カヌーに関わっていると、本当に色んなものへの繋がりを感じます。
漕ぐ人だけでなく、見送る人、レイを編む人、食事の準備、伴奏船の準備、
この日の為に色んな調整をしてくれる人、etc...

多くの人の関わりでこうして今漕げているんだなぁと、
デュークさんの言うように、カヌーを漕いでいれば自然と人が集まり、調和するの意味を実際に感じられています。


■朝4:30 参拝
まずは扇浦にある小笠原貞頼神社に航海の成功を祈り、みんなで参拝にいきました。

今回のリーダー、イチくんの声に合わせてみんなで祈った瞬間、
なんか気のようなものが変わり、大きなみなぎる力に変わっていきました。

レストハウスに戻り、みんなで作戦会議。
今日の潮汐、風、コースをリーダーがみんなに伝えます。

リーダーのイチくんは父島でカヤックのガイドをやっており、
これまでに何度もカヤックで母島にも渡って来ている海の手練れです。


大潮の今日は島影を出たら大きく東に流される流れがある見込み。
なるべく西に行き過ぎるくらいのルートでいくつもりと言われました。


レストハウスの机の上には無数のレイが置かれています。
漕ぎ手の分、イケカイ、そして母島のベルーガの分のレイが用意されています。
僕も昨晩習って、船のレイに挑戦してみましたが、かなり難しかったです!!

前日の夜遅くまで、明日の朝父島を発つカヌーの為に、
沢山のレイを編んでくれる…
本当に素敵で、愛のこもるひと時です(*^_^*)

■朝5:00出発式
準備が整ったらいよいよ出発です。

開会式ではパドラーの奥様達が丸木舟のフラを踊ってくれました♪


アカペラでみんなで歌いながら美しい舞いを見て、
ああ、これから始まるんだなと言う実感が沸いてきました。


子ども達がイケカイにレイをかけてくれています。


こんなにみんなに見守られての航海。
大きな愛と力を感じました。


朝の5時にこんなにも見送りに集まってくれる、そんな最高のみんなが大好きです♡

そしてなんと、お浄めの雨が!しかも土砂降り!!
イケカイは進水式の時も雨を呼ぶほど、雨が好きな船の様です。

子どもが雨を全身で受け止め喜んでいます♡

そんな中、いよいよ出港です!

先発隊は、9月の葉山のカヌー大会(27kmを漕ぐ!!)に出場する強力なメンバー。
最初の難所である南島の瀬戸を超えるまで、彼らが漕ぎ手となって進みます。
本当に頼もしい!!


見送った僕らは、伴走船「アイランド・クイーン」に向けて青灯台に移動します。

今回のボヤージングは漕ぎ手が4組いて、それぞれ海上で約1時間間隔で交代しながら母島に向かうスタイルです。
ただし、リーダーのイチくんだけはずっとイケカイに乗り続けます。
とても重要なブレーンです。

青灯台ではさらにお見送りのみんなが横断幕を持って集まってくれました!


イケカイはレースに出る凄腕パドラーによって、ぐんぐんと沖へと進みます。


ふと見ると水平線に虹が!!

もうこれは歓迎されていると感じました。
幸先がいいです♪

島影は抜群のベタ凪。
朝焼けと雲が水面に映るほど美しかったです♡


出発時の土砂降りもすっかり晴れて、いいコンディションです。
今の所、すべてが順調に進んでいます。



伴走船上は快適過ぎる状態(笑)。

朝が早かったので、それぞれ朝食を取ったり、話したりでまったりしていました。
トイレや温水シャワー、お湯もキッチンもあるので、かなり楽をさせてもらっています♡


■6:30南島 南
当初から難所と言われていた南島の南にある流れの強い個所に到着です。

さっきまでのベタ凪とは打って変わって、大きなうねりと波が待ち受けていました。


果敢に漕いで進む凄腕パドラー達。

正面にはっきりと母島が見えます。

が、どんどん東に流されているのが分かります。
母島の属島である向島も見えなくなるほど、大きく東に流されています。
ステアのイチくんはずっと西に向けて舵を取ろうとしますが、なかなか難しい状況でした。


しかしパドラーは少しもめげることなく、漕いでいます。
うねりで船内に水が入っているので、ひとりは水を出しながら進んでいきます。


見ている方も大揺れで船酔いする人もチラホラ発生。
どんどん東に流されるカヌーを見てハラハラしました!


しかし、凄腕パドラー達はひるむことなく突き進みます!

あとで流れの強いここを乗り越えて交代した後に聞くと、
最高にテンションが上がっていて、もっともっと漕ぎたかった!とみんなが笑顔言っているのに驚きました!
さすが過ぎます!!

漕いでいて、流れる位置は明確に海水温が下がっていて、
抜けた瞬間に分かったそうです。
そんな場面ではまた虹が祝福してくれました!



少しずつ父島を離れて行きます。
石器時代の先祖もこうして海を渡っていたのでしょうか?



■7:30南島南の流れる海域通過

さて、南島南の流れる海域を超えて、少し海が穏やかになって来ました。
1回目のパドラー交代です。


まず3名がイケカイの進行方向の海上で待機します。

浮かんでいる3名が近づいたら、乗っている1,3,5番手が下ります。

そして交代、
またその後に2,4番手の2名が交代します。


そんな交代を1時間おきにしていきました。


沖で浮かぶことに不安のある方はライフジャケットを着たりしています。
今回、初めての人もいたのですが、みんなスムーズにウォーターチェンジが出来ていました。


漕いでくるとみんないい顔をしています♪
父島もどんどん離れていきます。
人力で海を渡る凄さをまざまざと感じさせられます。


朝日だったお日様もようやく高くなってきて、海の青が綺麗になって来ました(*^_^*)


みんなほんとにカッコいい!!



■9:00中間 ベタ凪
ようやくベタ凪なエリアに到着。
船のレーダーを見るとここら辺の様です。


ここでついに母島勢の出番になってきました!


海に入る前はソワソワします(笑)。

準備をしながら、いざ入るとやっぱり最高に気持ちがいい!!

母島が前方に見えます。
なんだか嬉しい。

この時、いつも近くに島影が見えるエリアばかりを漕いでいたけれど、
一番の沖で、しかもベタ凪の世界を漕いでみると、
パドルを漕ぐ音だけが静かに響く、
あまりにも美しい静寂の時間でした♪

伴奏船は遥かかなたに離れ、ここぞとばかりにみんなが飛び込んでいます。
海に出て、こんなに凪ならば、泳がない選択肢はあり得ないでしょう(笑)。

今回の往復で唯一と言っても過言ではないほどの、圧倒的な凪のエリアを漕がせてもらい、感謝です(*^_^*)

1時間ガッツリ漕いで、心地よい疲労感に包まれながら、伴走船に戻ります。

あ~やっぱりカヌーを漕ぐのは最高です!!

船にはみんなの色んな多様なパドルが置かれています。


また、光り輝く海を漕ぐ雄姿が本当に美しくて、うっとりしちゃいます♡


カヌーもほんとに美しい…


ここを超えるといよいよ最大の難所と言われる、母島北端付近の流れの強い海域「わんとね」に突入します。



■10:45わんとね
「わんとね」は昔から父島母島横断の最大の難所と言われてきました。
ここでまた強力なパドラーが揃う先発隊に交代します。

伴走船はわんとねの急流を避ける為に西に大きく進路を変えました。

イケカイからはかなり離れていきます。
10年前の大きな島カヌーでの渡りの際には2時間かかったそうですが、
今回はなんと1時間超で難所ワントネをクリアしました。
圧巻でした。


■11:35鬼岩
そして、いよいよ母島入港までの最後のクルーとなりました。
要会の計らいで、母島に着くときは母島メンバーをメインにしてくれました。


僕は今回は1番手を務めたのですが、船首の先に母島がある景色がこんなにも嬉しく思うとは!!

先日の父母横断で父島の友人が撮ってくれた大好きな写真です。
先頭は僕が漕いでいます。

圧倒的なボニン・ブルー。
母島の濃い緑の山々。

場所は母島のサワラ根の近くです。

ようやく荒れに荒れたわんとねを超えて、島影に入って母島クルーに乗り換えた後の写真です。

島影のない沖から来ると、
大きな島が、
陸があるということが、
なんとホッさせるのかを教えてくれます♡

島影の横を漕いでみて、イケカイの速さを再確認しました。

漕ぐこと1時間、ようやく沖港が見えてきました。

こちらは鮫が先展望台から撮ってくれた友人に頂いた写真です。
中央右寄りに小さなカヌーが見えます。


堤防の上や展望台には多くのお迎えの人達が!!
本当にありがとうございます!!


ようやく、いつもの乳房山の谷の景色に帰って来れました♪
素直に嬉しいです!



■13:10母島到着
そしていよいよ母島の脇浜に到着です!!

次女が大きな声で「パパ、お帰り~!!」
と灯台で叫んでくれて、嬉しかったです♪
ありがとう!!

多くの子ども達が泳いでいる中を脇浜に向けて進みます。

子供「あれ?カヌー新しくなったの?」
僕「いや、これ父島から漕いできたんだよ」
子供「マジでっ!?すげぇ!!」

なんて話しながら(笑)、脇浜に無事到着しました!!


母島のみんなが、
漕ぎ手の分のレイを用意して待ってくれていて、
無事にたどり着く事が出来て、
本当に嬉しかったです!

ホントに有難うございました!!

ひとまず、今回の記事はこれまで!

次回につづく

アウトリガーカヌー平島ボヤージング♡ イルカ三昧♪

2019年07月16日 | アウトリガーカヌー
■母島は現在夏真っ盛り。
7月の夏休み前の3連休は見事に海三昧の3日間でした♡

ほぼ毎日海で泳いでいる僕ですら、顔面が日焼けしてヒリヒリするほど日中は海三昧でした(*^_^*)

父島がカヌー大会だった7月14日は、
母島では6人乗りアウトリガーカヌー(OC6)、ベルーガによるボヤージングでした。

6人が一体となって、レースではなく、のんびり気持ち良く隣島まで漕ぐ。
とても贅沢なひと時でした(*^_^*)



今回は母島の属島である平島に向けて航海しました♪
2018年、返還50周年に母島にやってきたベルーガ。
今回は今までで一番遠くへのボヤージングでした。


真夏の美しい海は本当に気持ちがいい♡

石器時代の小笠原の民も、
こうして同じ場所で、同じ景色を見ながらカヌーを漕いでいたと思うと、
なんだか不思議な気持ちになります。

安全の為、交代要員を載せる為に、漁船も伴走しながらベルーガは平島に向かって進んでいきます。

漕ぎ手が交代する時は3名ずつ漁船から泳いで交代します。
これがなかなか難しいのですが、気持ちのいい瞬間です♡


次女は自作の歌をずっと歌いながらみんなを応援します(帰りは漕ぎ手にもなってました)。


よく沖に漕ぐ人も、この日が初の人もカヌーと自然を味わう最高の1日となりました♪


■無事に出港して1時間ちょいで平島に到着!

ここは日本一アオウミガメが産卵するといわれる場所です。
毎年、母島の中学生が授業で無人島キャンプも行われる場所です。

砂浜は美しい白砂です♡
次女も、大人も大喜び♪

ここに来るのは過去の海岸清掃以来です☆

平島は母島から4㎞くらい離れた無人島で、大きなビーチがあります。


平島からみる母島もなかなかいいもんです♡。

水中もとっても綺麗な平島。

珊瑚に熱帯魚が沢山♡


深く潜って自分の泡を見上げるのが結構好きなんです(*^_^*)


カヌーも漁船に横付けして、お昼ごはん♪


■この日は行きも帰りもミナミハンドウイルカに出会えるという超ラッキーな1日でした☆
最初のコンタクトは、平島に向かう途中、
漁船のふちで落ちそうに縁で歌いながら乗っていた次女が、
「イルカが下にいるよ!」
といきなり発見の叫び!!

いつの間にか船の穂先に大きなミナミハンドウイルカが泳いでいました♪
船のみんなは一気にテンションが上がります♡


イルカは海の中を本当に気持ち良さそうに泳いでいきます。

帰りには5頭くらいのミナミハンドウイルカの群れに遭遇し、存分に遊んでくれました(*^_^*)

遊ぶ気満々のイルカちゃんの超接近にみんな大興奮!!

次女も「キャーキャー!」と超音波のような声で叫び続けています。
みんなカヌーの事なんて忘れるほどイルカに夢中です(笑)。

おかげで帰りが1時間遅れるほど、イルカ三昧のボヤージングでした。
撮影してくれたAちゃんはこの7月で母島を離れる予定なのですが、
ドルフィンスイム以降、ずっとニヤニヤしていて、とっても幸せそうでした♡


■さてさて、今回僕にとってデビュー戦のパドルがありました。

左が沖縄のパドルファクトリーのパドル。
これは2年前に購入した、大好きな素晴らしいパドルです♪

そして右側の黒いブレードのパドルが、今回購入したタヒチ産のステアパドル(ペペルーパドル)です。
これは小笠原に2台のOC6を手配してくれ、
伊豆諸島から小笠原までをカヌーを漕いで渡る事を目指すデュークさんお勧めのViper Va'aのパドルです。

今回のボヤージングにギリギリ間に合う形で届いたので、これで漕ぐのを心底楽しみにしていました♪


裏面はこんな感じです。

比較してみると、とても違いが面白いです。

まず届いて、比較してみて驚いたのがタヒチ産パドルの軽さです。
さすがカーボン製。
シャフトはバンブーを使用しています。

カーボンはアクリルを高温で炭化させた強度があり、薄く作れる最新の素材です。


使い込まれて、すっかり傷付いた(修理しなければ!)パドルファクトリー製のステアパドルと比較してみました。

Viper Va'a製は若干小さく見えますが、単に色の影響もあるようで、
重ねてみるとさほどステアパドル同士はだいたい同じサイズでした。

個人的には美しい工芸品のような木製のパドルファクトリーの芸術性も再確認できました♡

日本の細やかな仕上がりは、さすがです♡
去年母島にまできてくれたパドルファクトリーの福井さんの芸術作品です(*^_^*)


母島のパドルのほとんどがパドルファクトリーのパドルです。
どれも本当に美しいし、漕ぎやすいです♪

うちが所有している2本にさらに木製のステアを重ねてサイズ比較してみました。

一番上の我が家のパドルはパドルファクトリー製の「タヒチアン」というタイプのパドルです。

ブレードが大きめでパワーパドラー向け、そして漕ぎもステアもできる兼用タイプ。

今回、はじめてカーボン製のパドルを漕いでみて、
その軽さ、ブレードの薄さから来るスポーク(ステアが進行方向に対して平行に刺す動き)した際の水の抵抗の少なさに感動しました♪


あとは持ち手の左右非対称のグリップ。
これが僕の手のサイズには見事にフィットしていました。

本体の軽さもあり、長時間のボヤージングにはとても楽に感じました♪
ステアだけでなく、普通の漕ぎ手としても十分に使えそうです。

これで我が家に2本パドルが揃ったので、夫婦で漕ぐときにそれぞれのマイパドルができました(*^_^*)
どちらもそれぞれ良さがあり、
作り手の工夫を存分に感じれる素晴らしいパドルです。

福井さん、デュークさん、ありがとうございます!


■そんな平島ボヤージングの14日は夜も暑気払いBBQで存分に海三昧でしたが、
その前後の休日も海三昧でした(笑)。

13日は母島柔道部で指導してくれている駐在所の方への大感謝祭。


脇浜に集まって、BBQしながらみんなでワイワイ楽しみました☆

天候にも恵まれ、みんなお世話になった先生に感謝の気持ちを伝えます。


終盤にはみんなで飛び込むレクレーション!!

動画は最後が特に見どころです(笑)!


■最後の1日はなんとデュークさんが活動している葉山のオーシャンヴァアで漕いでいるSさんが来島し、
急遽一緒にベルーガでボヤージングしました☆

なんとSさんは前日の父島のカヌー大会で優勝したメンバーだそうです!(子供の病気で欠員が出て、急遽代打で参加したそうです)
すごい!!

6月末にはこれもまた葉山のパドラーYさん夫婦が母島まで来てくれて、一緒にベルーガでボヤージングしました♪

いつもオーシャンヴァアの方のパドリングは洗練されていて、
とても参考になります!
本当にありがとうございます♪

この最高の景色の中で一緒にカヌーを漕げるのは本当に幸せなことです♡

一緒に漕げる仲間、家族、この自然に感謝の気持ちでいっぱいの3連休でした♪
あ~顔だけ日焼けで痛いっ(笑)!

母島でカヌーを漕げるということ

2019年04月23日 | アウトリガーカヌー
■ハワイから母島に帰って来て一番先にやりたかったことは、カヌーを漕ぐことでした。
もうこれは理屈ではなく、ただの衝動です(笑)♪
言葉では説明できません。

母島カノー倶楽部で総会前にサンセット&ロングパドルで沖に行った時の1枚です。
あまりに美しい夕陽とベルーガの6人。
このOC6というカヌーの美しさは言葉に言い表せないほどです☆

日本で一番最初にハワイのアウトリガーカヌーが伝わったと言われる小笠原に住んでいて、
そのルーツであるハワイで目の当たりにしたもの凄い数のカヌーと練習。

ハワイの海岸部の日常の中には当たり前にカヌーがありました。

朝、夕とコナでは猛烈に練習していました。
長期滞在したヒロでは夕方は練習していましたね~

もちろん、技術も速さもべらぼうなのですが、
それ以上に日常におけるカヌーの当たり前の存在が僕は心底シビれていました(*^_^*)。

3月にオーシャンパドラーのデュークさんが母島に来島し、
島から島へカヌーで渡る素晴らしさ、意味を伝えてくれました。

そう、それは石器時代にも遡る、太平洋とカヌーの先祖の道を辿る旅路。
本当に感動した太平洋の民の目線でした。


そんな目線でハワイを見て帰ってきたら、
もうそこになんの説明もいりません(笑)。

カヌーは島そのものだったのです。

考えも想いも温度も違う人間が、
お互いの事を考え、調和を保って初めてきちんと前に進むカヌー。

それは島の暮らしと相まっているのです、
私達は母島という、小笠原という壮大なカヌーを漕いでいるのです。



■ハワイに行ってから、ますます僕のカヌー熱は勝手にうなぎ上りに上がっていっています♪
そこには長く滞在させてもらったニックさんの存在も大きなものです。

ハワイから帰って最初に読みたいと思って購入した3冊の本。

「ホクレア号」というハワイの伝統航海術を復活させ、
太平洋の民にアイデンティティを復活させた偉大なハワイアン、ナイノア・トンプソン。

その本の写真の多くを手掛けていたのが、
ハワイ島でお世話になったニック加藤さんなのです!

ニックさんの太平洋の島々に対する愛は計り知れませんでした♪

今はタヒチがとても気に入っていて、
ハワイで南洋踊りを披露する為に作った竹製のカカを「これはタヒチアンだ!」と何度も言っていました(*^_^*)

ニックさんいわく、タヒチは素朴でいい部分がとてもよく残っている天国のような場所だとか。
あまりに美しい写真を見せて頂きました☆
気になってしまいます(笑)!!



■母島に帰って来てからは、まさに怒涛のような日々を送っています。
年度初めであることもあります。

今は妻は内地、長女は父島なので、次女と二人暮らしというのも相乗効果を生んでいます(笑)。
本当に毎日が超忙しいです。

ですが、そんないっぱいいっぱいの僕に子供はオアシスをプレゼントしてくれます♪

寝顔なんてその最もたるものです。
1日の野良作業の疲れが吹き飛ぶほど可愛いものです♡

色んな用事が立て込んでいて、
時間がないな~簡単に昼食を済まそうという僕に彼女は訴えます。

「ねえ、せっかくだから外で食べようよ!!」
僕は時間がないから家で済ましたいけど、彼女のその気持ちも汲んであげたい。
週の半分以上は夜に用事があり、色々連れ回したり、人様のお宅にお願いしている状況です。

じゃあ、と思って外でのピクニックに踏み切ります☆

持って行くはカレー(頂き物☆)。

おサルな彼女は普通に木に登って食べます(笑)。


届けるのも一苦労(笑)。

でも、家で食べるのと違って、ほんと自然の中で食べるご飯は美味しいものをより美味しく、
そして美味しい以上のものを贈ってもらっている気がします。

せわしない心がふっとゆったりとなり、ホッとさせられます。
この選択をしたからこそ得られる母島ののんびりとした時間を感じる感覚。

子どもってすごいな~
せわしない忙しい心を一気に島の時間に変えてくれます。
大人より、人として大事なことを根本的に知っている気がします。

食後はあっという間に木の上へ(笑)。


■短い時間でしたが、帰り道に遊ぶのも忘れません。

大きなモモタマナの葉っぱを作ってお面を作りながら帰ります。

モモタマナは島で一番立派な葉っぱを作る木かな?(ポトスもパンノキもすごいけど)
いい感じの仕上がりです。

ふたりで大笑いしながら家路につきます。

いつの間にかせわしない気持ちは薄れ、ゆったりとした気持ちに戻っていました。

やらなければいけないことが目白押しに迫ってはいるのですが、
心を穏やかに過ごすことはいつも重要な気がします。

ハワイアンも島の人もどっしりと構えて、
心穏やかに過ごしている気がするのです。

僕は子ども達のお蔭でその部分に触れられた気がするのです(*^_^*)

きっとそれはカヌーで長距離漕ぐにも必要なエッセンスになる気がしてならないのです☆

君の名は? 『ベルーガ』新カヌー命名式&お披露目・体験会

2019年01月06日 | アウトリガーカヌー
■正月の1月3日。
去年の初冬に母島に届いた6人乗りアウトリガーカヌーの命名式&お披露目・体験会がありました。

その場でについに名前が命名されました!!

母島の島民に向けて一般公募し、最終的に残った名前…
それが【ベルーガ】です!!

ベルーガとは、北極海に住むシロイルカの英名です。

シロイルカは別名「海のカナリア」と呼ばれるほど、美しい歌声を持つクジラの仲間です。
あの愛らしいルックスとそのプロポーションから人魚伝説のモチーフになったほど。



今回のカヌーはまさにそんな名前がピッタリなルックスです♪

この名前を考案してくれたのは島の小学生でした。
見た目から素直なインスピレーションで想像してくれたのでしょうね~

ベルーガ自体は母島には生息していませんが、
小笠原を繁殖地にしているザトウクジラやアホウドリは北極海を餌場としているので、
実はとても繋がっている存在だと思っています♪



■命名式では正月便を見送った島民の皆さんや母島に残った観光の方が約50名ほど集まり、
天候にも恵まれ、ベルーガも喜んでくれたかと思います(*^_^*)


まずは母島カノー倶楽部の部長より開会宣言があり、
お神酒をカヌーの船尾にある神様の場所にお浄めしました。

後ろの窪んだ部分ですね。

命名式ではフラで小笠原古謡でもある「丸木舟」を奉納しました。

丁度、母島に帰って来ていた高校生たちも踊ってくれました♡


少しだけど動画も撮ってます☆


踊った後はカヌーの船首にレイを捧げます。

僕はこの光景がとても大好きです(*^_^*)


ベルーガも美しいレイを飾れて、嬉しそうです♡

豚汁も振る舞われました♪

元旦に海開きしている母島と言えども、やっぱり寒いので(薄着ですw!)、
美味しい豚汁が身に染みました。

東北の芋煮みたいですね(笑)。

■みんなのお腹も温まったところで、体験乗船の始まりです。

今回、僕も初めてベルーガのかじ取りをやらせてもらいました。

いつも漕いでいる母島のカヌーと全然感覚が違います!
カクンと簡単に曲がるのです!!

そして6人で本気で漕いだ時はまるで別物のようになりました。
グングンと進むし、舵がすごく難しくなりました!

これにはとてもビックリしましたヽ(^o^)丿

この春に島を離れる長女も漕がせてもらいました♪

とても楽しかったようです☆

ベルーガを横から見るとホントに長いです!


座るところはこんな感じです。

この少しトップより下がったシートのお蔭で海面との高さが絶妙になり、
漕ぎやすくなるのです。

さすが外洋を漕ぎ、島から島へ渡る為のカヌーですね!

そして6人乗りだけど、6人では運べないほど重いです(笑)。

先日母島にまで来てくれて、カヌーの神聖な話をしてくれたデューク金子さんによると、
カヌーは神輿と同じものなのだそうで、
皆で担ぐ気持ちが大事なようです。

アマとヤクを繋ぐ縛りも神輿のそれと同じなのも頷けます。


■そして今回の体験会を終えてからは、春が来るまでベルーガはお休みとなり、
みんなで縄をほどき、片付けました。

海が穏やかになり、気温が上がる春。
みんなでベルーガを漕ぐのが楽しみになりました♡

お正月の中、多くの人に集まってもらい、
本当に有難うございました!!

多くの人が関わり、お蔭でこうして無事にお披露目をすることができました。
感謝の気持ちでいっぱいです。

このベルーガは小笠原返還50周年事業で購入したものです。
母島カノー倶楽部が実質、管理していくものですが、多くの島の方に乗ってもらいたいです。

そして、父島にも同じ形の姉妹カヌーが届いています。
父島の6人乗りカヌーは「イケカイ」という名前が付いています。

父島のイケカイと母島のベルーガ。

石器時代に小笠原とハワイ、そして日本を繋いでいたであろうアウトリガーカヌー。
返還50周年を記念して2つのカヌーが小笠原にやって来たことはとても意味があると思います。

私達が海でカヌーを漕ぐときは、
島の先祖の意識に触れる時でもあるのです。

島にはカヌーを掘った石器以外は何も遺跡が見つかっていない、
形が残りにくい木の文化ですが、
その時の海の水は変わらずに存在します。

僕はそのことが不思議でたまらなくなります。
そしてどうしても魅かれてしまうのです♪

カヌーがあるところには人が集まると言います。
このベルーガが母島にとって、みんなが親しむものになってくれることを願っています。

ああ春が待ち遠しい!!

点と点が線で繋がる時~古のカヌーのルーツに想いを馳せて

2018年11月30日 | アウトリガーカヌー
■先日、島々をアウトリガーカヌーで渡り、
ハワイアンから学んだその精神性に強く惹かれたデューク金子さんのお話を聞く機会がありました。

僕は彼の話に感激しっぱなしでした(*^_^*)

なんて深く素晴らしい世界なのだろう…

デュークさんは今回の父島、母島に6人乗りのアウトリガーカヌーが来ることにも尽力して頂いたことはもちろん、
小笠原のカヌー文化に以前から深く関わってくれていた方でした。

僕がお会いできたのは今回が初めてです。

以前から僕が少し持っていた気持ちの空白の部分をことごとく埋めてもらった感があります。
バラバラでぼやけていたピースが急にハッキリして、繋がった感触です。
ここに来て、まさかそうなるとは!!

そう、カヌーは神輿と同じだったのです!!

先日の月ヶ岡神社例大祭の神輿風景です。

■僕にとって小笠原でカヌーを漕ぐという事は、
石器時代に自由に太平洋の島々を行き来していた世界と繋がる事だと思っていました。

フラを踊るという事は、
島の自然の神様と繋がることだと思っていました。

南洋踊りを踊るという事は、
太平洋の島々の文化と繋がることだと思っていました。

デュークさんが日本の海をカヌーで渡るという事は、
古代の先祖のルーツを辿ることだったというのです。

キャプテンクックでカヌー部のメンバーとデュークさんとの懇親会。
各国を巡ってカヌーやポリネシア、ハワイの文化に深く関わった中で、
ハワイ人の複数あるルーツのひとつとして、日本が挙がったというのです。

ハワイ人曰く、
「自分たちは新しい先住民。
新しいからこそ、今も文化が残っている。
しかし、そのルーツは今その文化があまり残っていない地域から来ている。
日本がその一つなのだ。
ポリネシアを旅するハワイのホクレア号がなぜ日本を目指したのか。
その意味を考えてほしい」
と。

デュークさんが目指す、
日本本土から小笠原に向かってカヌーで漕ぐという壮大なプロジェクト。

それは私達の先祖が辿ってきた道を辿るということだと言います。

この大海原をGPSも携帯もない時代に、
スターナビゲーションと言われる伝統航海術で自由に海を行き来していた時代。

きっとその頃のヒトは今とは違う言葉を使っていたと思うのです。
それは、ヒトが動物や自然と会話できた言葉だったと思うのです。

現代ではそれが祈りであったり、神事として残っている気がしています。

とある日の畑で見る朝焼け。古代の小笠原に住んだ人々も同じ景色を見ていたと思うのです。

■10年前、とあるフラの先生と海を見ながら話している時にハッとさせられたことがあります。
「小笠原のフラは素晴らしい。
 レベルも高い。
 オリジナルもあるし、
 装飾もハワイと同じものでできている。
 でも、ひとつだけないものがある。
 それは神様だ。
 小笠原のフラには神様がいない。」

そう、私達は正月やお参り、神輿や神社の儀式のときは当たり前に神様を意識し、
ご祈祷し、様々なものを奉納します。

日々の有難いすべてに感謝し、幸せな未来を願い、神様を祀ります。
ではフラはカヌーはどうだっただろうか?

近年、カヌー大会の開会式などでフラが関わり、
その中で本来、フラとカヌーは切っても切れない関係であることが分かって来ました。

そのどちらにも関わって来ていた僕にとって、それはとても大きな気付きでした。
最近の島のフラなどは神様を意識するようになってきていると感じます。

カヌーはデュークさんの教えで痛烈にその精神世界を目覚めさせてくれました。
単なるスポーツとは決定的に違うものを秘めていたのです。

母島で組み上げた6人乗りカヌー(OC6)。
アウトリガーカヌーはスポーツとしても素晴らしいです♪
そのチームとしての一体感。
大海原をエンジンを使わず、自分たちの手だけで進む爽快感。
海や空・風が素晴らしい景色とフィーリングを運んでくれる瞬間。

でも、そのどれもが古代の人々と繋がるものであり、
そして、古代の人たちにとってどれだけ神聖なものであったか。

先日の月ヶ岡神社例大祭の神輿風景です。
デュークさんは「カヌーは日本の神輿と同じ」といいました。

確かに、先日組んだOC6。
紐の結びは神輿と同じとみんなで驚いた記憶があります。

神様が乗る神輿に対して失礼な行いをしないように、
自分たちはカヌーにしてきていただろうか?

カヌーを神聖なものとして扱ってきた人たちは、
どんな関わり合いをしてきたのか?

僕はそれらの世界も知りながら漕いでいきたいと強く思いました。

少しの時間しか話せませんでしたが、
その学びに対して、
謙虚に、真摯に触れるデュークさんの言葉は心底響きました。

僕はこの話を聞きたかった。
話を聞いて鳥肌が立っていました。
逢えて本当に嬉しかった。


デュークさんの見送り。沖港にて
本当に遠路はるばる、来てくれてありがとうございました!!
願わくば、もっと学ばせて欲しいです。

もっともっと、太平洋の海に関わる暮らしをしてきている人の文化を学びたいです(*^_^*)



■そんなデュークさんの話を聞きながら、
最近、不思議と色々なものが点と点が線で繋がることに驚きを覚えています。

僕は仙台出身。
子どもの頃からクジラに興味があり、小学校の頃は広瀬川でカヌーをしていました。
僕のひい爺さんは沖縄本島国頭、辺野古。
僕のルーツは島だったのです。
沖縄に多い、宮城という苗字が物語っています。

そして、北米とハワイ。
母は10年前、カナダで亡くなりました。
最愛のパートナーは今もカナダで健在です。
今年の夏、現地に行ってその繋がりは深いものとなりました。

そしてハワイ。
次女の名付けは色んな円が繋がり、ハワイの祈祷師にお願いした経緯があります。
小笠原にあるアウトリガーカヌーはハワイの形状が伝わってきていると考えられています。

僕が大好きな写真家、星野道夫は北米の自然に惹かれ、
ハワイの伝統航海術を復活させたホクレア号の本体の木は
アラスカのトウヒが使われています。
古の時代、大きなカヌーを作る大木はハワイになく、
流木として北米からハワイに流れ着いたものだったと考えられて、使われています。

先日の文化交流祭で交流した沖縄の「島民ダンス」のルーツはサイパン。
そこから沖縄と小笠原に伝わり、小笠原では南洋踊りに。

ハワイと北米と沖縄と小笠原。
フラとカヌーと南洋踊り。

そしてずっと惹かれてきた先住民の文化。

色々、不思議とバラバラであったものが何故か繋がっていく不思議を感じています。

沖を航海するははじま丸。古代の民もこの海の道を通っていたのだろうか。

■この母島に暮らしていて、
沢山のお金にもならないことに時間と労力を費やしています。

でも、そこに大切なものがあると信じています。

今回、カヌーを通じて学んでいきたいことは、何なのでしょう?

先人たちに対するリスペクトはもちろん、
古の智慧に触れたいだけではありません。

美しい夕陽を眺める。きっと何千年も変わらない景色。
未来を不安にさせる物質と大量消費の現代において、
これからの未来を生きる子供たちに笑顔の未来を残す為に必要な
学びと経験が詰まっている気がするのです。

僕はそれに対して何をしていけるのか?
日々、問いかけながら学んで、動いていければと思います。

父島の6人乗りカヌーVa'a は「ike kai」と命名されて、
この度、進水式を執り行ったと聞きました。
ikeは見るや知るという意味。
kaiは海という意味です。

母島はこれから命名、進水式となります。
先祖、現代、未来にリスペクトを込めて、
驕らず、謙虚に決めていければと思います。

そんなことを再確認させてもらう出逢いでした♪
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

デュークさん、どうもありがとうございます。
これからもよろしくお願いします!!

※この記事の内容はデュークさん自身にも確認してもらっています。ありがとうございます!