小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

いのちを終える~ヤギ・なつの弔い

2020年01月03日 | ヤギ
■新年明けましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いします。

年末年始にかけて、怒涛のように忙しく活動しながらも、楽しく過ごしておりました。

しかし、2週間前ほどから、
飼っている老衰で足腰の弱ったお婆ちゃんヤギの「なつ」の容体が悪くなり、
いつ最後の時を迎えるのか分からない状況になっていました。

そして昨日、1月2日の夜になつは静かに息を引き取りました。

ヤギの寿命は一般的に15年~18年と言われます。
なつは16歳まで生きてくれました。

最初はすぐ記事にすることを迷いましたが、
今の気持ちを記録する意味で記事にしました。

生きものを飼うことの深みは、
飼ったことがある人みんなが知っていることですが、
飼ったことのない人は
なかなか知る事の出来ない世界だと思います。

小笠原は生き物を飼いにくい貴重な自然の島だからなおさらと思います。
島に関わってくれる獣医さんたちも減っていく島のペットの現状を憂いている方がいました。
ペットが人に与えてくれるギフトはあまりに大きいと思います。
今、ペットと人と野生動物が共存する地域づくりを今検討しています。
ぜひ、島の子ども達にとってもベストなルール決めが出来ればと思います。

今回はこなつみたく突然ではなく、
この2週間ゆっくりと老衰で弱っていきました、
こちらの気持ちの準備もできて、
最後にきちんとお別れできて本当に良かったです。


■去年の12月中旬から前足が膝立ちになり、
クリスマスを過ぎた頃には立てなくなりました。
心配にはなりましたが、食欲は健在だったのです。
それでも元旦までは首はしっかりと動き、モリモリ餌を食べていました。

しかし、1月2日の朝には首すら起こせなくなり、
大好きな桑の葉を少し食べるくらいの容体になり、
妻や次女の声掛けに反応しながらも、
どこか遠くの世界に行ってしまっている雰囲気になっていました。

それでも、少しその場を離れると、小さな声で鳴くのです。

最後は日没後に訪れました。
そのままの姿勢で、静かに亡くなっていきました。

顔の周辺や体のあちこちに、長年生きてきた爪痕、
もうこの体は限界であることを示すサインは幾つもありました。

でも、寿命を迎えるということは、
とても厳かな状態になるのだなと感じました。

泣く次女にとっても、
カナダで泣いている長女にとっても、
妻にとっても、
僕にとってもとても大切な時間でした。

僕にとっては人生で一番一緒に過ごした動物だから、
島にいる限り、インフルでもぎっくり腰でも
毎日欠かさず世話した動物です。
なので、ほんと寂しいです。



■なつは我が家にとても縁のあるヤギでした。
最初の出逢いは2007年の春。

1年間のWWOOFによる日本の旅を終えて、
貨物船「共勝丸」で東京から父島へ向かう、その船の中で一緒のヤギが「なつ」でした。

当時、私達は父島に住んでおり、
なつは母島の今の畑の大家さんが内地から取り寄せていたのです。

小さな木のかごの中でメェメェ鳴いていて、
船員さんと一緒にキャベツをあげたのを今でも覚えています。

※2007年父島へ向かう共勝丸船上にて。若いですね~(笑)。抱っこしているのは当時3歳の長女です。

その後、2008年の暮れに母島に移住するのですが、
その時に畑を借りて、お世話することになったヤギがなつでした。

大家さんにあの共勝丸で一緒だったヤギだと聞いて、とてもビックリしたのを覚えています。

なつに生まれたから「なつ」と名付けたと聞いています。

こなつを生んだ2009年から1年半ほどは美味しいヤギ乳が搾れました。
長女も良く絞ってくれました。

全国で色んなヤギ乳を飲みました。
手前味噌ですが、なつのお乳は日本一美味しいと今でも思っています。


■当時は他に「さくら」という角のあるヤギがいました。

2009年にはなつは2頭の子どもを産んでいます。
我が家は次女の出産のために信州・安曇野に半年間お邪魔している時のことです。

生まれた1頭のオスヤギは生後1か月で死んでしまいました。
もう1頭のメスヤギが「こなつ」です。
身体が弱く4歳で亡くなってしまいました。

娘たちにとっては一番遊んだヤギこなつだったと思います。

今はもう1頭、「ゆり」というメスヤギがいます。
2006年生まれの14歳です。
母島には2010年にやって来ました。

なつにとってはいつも一緒のヤギ仲間です。
きっとゆりのおかげで寂しくない最期を迎える事が出来たと思います。

そして、動物と共に生きて、
最後の死というものを自分の娘たちにも学ばせてくれました。

なかなかペットの飼いにくい小笠原の生活において、
とても有難いことだと思うのです。

ほんとうにありがとう。



■今日は家族みんなでなつのお墓を作りました。
こなつのお墓のすぐ隣です。

朝からみんなで穴を掘り、
沢山の敷き藁と大好きな桑の葉、ママキ(ウラジロエノキ)の葉、
次女は素敵な花飾りを添えてくれました。


みんなで花葬をしている傍らで、もう1匹のヤギのゆりも見つめます。
なつが亡くなった日の夜はとても寂しい顔をしていて、
食欲も落ちて心配だったのですが、
次女の元気さに食欲を取り戻し、
すっかりお腹いっぱい食べていました♪


長くなつの首にかかっていた首輪。
お墓になつを降ろして、それからはずし、
お墓の近くの木にかけてみました。


花葬をしたあとは、みんなでお祈りをして、
沢山の敷き藁で包み、土をかぶせていきました。


お昼の温かい日差しの中、
魂の抜けたなつの体は、静かに畑の近くに眠っています。



■僕にとっても11年間の母島生活で共に過ごしたヤギです。
人生で一番長く付き合った動物になりました。

夫婦で仲が悪くなり、家を飛び出したときも、
いつも寄り添ってくれるヤギの存在はとても大事でした(笑)。

なつの名札だけが残るヤギ部屋。

寂しい気持ちはありますが、
2週間かけて、ゆっくりと命の最後を看取らせてもらえて、
なんだか本当に「お疲れ様」といった気持ちが強いです。

まさに天寿を全うする、
天から授かった寿命を生き尽くして死ぬ。
十分に長生きして死ぬ事が出来たと思います。

きっと今頃なつの魂は天国に行ってるのかな。
次生まれ変わるときは、どんないのちで生まれてくるのかな。


なつをお墓に埋めた日の夕陽はいつも以上に深く美しい夕陽でした。


師走の畑 ~久々にヤギ登場(笑)

2018年12月12日 | ヤギ
■12月は師走と言われますね。
文字通り、師匠も走り回るほど忙しい1年を締めくくる月。

農園と名打っているブログですが、久々の畑ネタの投稿です(笑)。

久々に畑で飼っているヤギさんを撮ってみました。

一番の古株である「なつ♀」です♪
ちょっぴり恥ずかしがり屋さんで、控えめななつ。
今年でもう14歳になります。

時々食欲を落とし、心配させますが、取りあえず元気です♡
2014年に娘のこなつを病気で亡くしています。



PTAの陶芸教室で名札を作ってみました♪

ヤギという生き物はなかなかのポーカーフェイスで餌をねだる以外には何を考えているかさっぱり分かりません。
ある学者が動物の感情について本を書いていたのですが、
ヤギは「すべてを悟っているが、知らないフリをしてとぼけている」と書いていて、
なんか妙に納得したのを覚えています(笑)。



こちらは「ゆり♀」。
いつも元気で人懐っこい、寂しがり屋のゆり。
今年で12歳になります♪

普通のヤギは「メェ~」と鳴くのに、ゆりは「ベェ~」と鳴きます(笑)。

ゆりの名札は耳が折れてしまいました(ToT)/~~~

畑ではこの2匹のヤギを飼っていて、
実はいつも僕は彼女らに癒してもらっています♡

シャイな「なつ」に寂しがり屋の「ゆり」。
僕の苗字が「みやぎ」なので、3匹のヤギを飼わなければいけないのですが、
今は2匹なので「にやぎ」になります(笑)。

畜産指導所の閉鎖に伴い、冷凍精子が亡くなってしまったので、
いい感じのオスヤギを何とか工面しないとですね~。

ヤギの糞と尿、餌のカスを混ぜて自家製堆肥を作っています。
愛玩用としての価値はもちろんですが、畑にとって彼女らの堆肥も不可欠な大事なものです☆

写真には載せませんが、あの1つの大きなお尻の穴から、
細かい丸いうんちがポロポロ湧くように出てくるのは、
一体どうやって形成されているのか、本当に謎なのです(笑)!!!

誰か知っている人がいたら教えて下さい!!(←結構、本気です)


■そして、もう一つの家畜は烏骨鶏です。

現在15羽ほどを飼育しています。
最近は卵を1日に2~5個くらいを産んでくれます。


こちらは雄鶏のおっとりとした顔。


雌鶏はなんか怖いお顔(笑)。

烏骨鶏はその名の通り、骨や肉が黒っぽく、カラス(烏)の骨のニワトリ(鶏)です。
指は鳥では珍しい5本。
クルミの様なトサカに、絹糸のような毛が特徴です。

一日中、色んなドラマが繰り広げられているので、眺めていても飽きません(笑)♪


■先日も母島農協にうちなーローゼルを出荷しました!

そろそろうちなー品種も出荷終盤です。
開花はかなり減り、実もイケイケ期からまったり期と移行し、
ミズナギドリの巣立ち完了と共に終売になりそうです。

父島への販売は予約販売のみで、店頭分は残らなさそうです。
店頭を待っていた方、ごめんなさい!

クリスマスのお菓子にとっても使いやすいローゼル。
母島ローゼルに比べて、
うちなーローゼルはスレンダーでドライ向きな品種です☆

今年もどうもありがとうございました♡


■ここからは今作付けしている冬野菜の紹介です。

まずは大人気の島らっきょです。

今期はいくつか自家採取も成功したので、うまくペースにノレることを願うばかり☆
沖縄、東村で泊めてもらった農家民宿の品種です(*^_^*)

こちらは島にんにく。

小さいけど、匂いが強い南方系のニンニクです。
去年は失敗してしまい、ほとんど台所にも出せず、そのまま今期の種にしちゃいました。

こちらは伸び盛りのスナップエンドウ。

定植と雨のタイミングが重なると、マイマイの猛攻にやられてしまいます。
今期は1度全滅し、蒔き直して2度目のトライ。
今の所順調です。

ふとみると可愛い青虫が!

可愛いですが、作物をしっかりと食害しているので、この青虫君たちは烏骨鶏のおやつとなりました☆

こちらは加工用トマトのサンマルツァーノ。

ミートソースやケチャップなど料理の幅が広がります。

本数は少ないですが、去年同様にぷちぷよトマトも育てています。

ようやく最初の花が咲きましたね。

トマトの横にはコンパニオンプランツとしてのバジルが植えてあります。

このバジルはトマトの味を良くし、虫よけになり、さらにトマト料理にも合うという究極の組み合わせです♪
種は以前、オガサワラカワラヒワが食べに来ていました

さらには小松菜。


そして水菜。


サニーレタス。


大好きな春菊。


後での間引きは大変ですが、
こうして作物が元気に育ってくれるのが本当に有難いのです。

去年は妻が長期で不在で
さらにこの作付けの時期に雨も多く、
さあ種を蒔くぞ!!ってタイミングで次女が連続で熱を出し、
作付けすらうまくできなかったという苦い思い出がありました。

あれは本当に辛い経験でした。
冬の作付けを諦め、その影響は今年の夏の収穫にまで色濃く残りました。

今年は、
こうして順調に種を蒔く事が出来て、
こうしてすくすくと野菜が育って、
無事に畑に通えるだけで本当に有難いと感じています♪

大根も小さなカタツムリが乗っていても気にならないほど順調です(*^_^*)


こちらはゴボウさん。

固くなる赤土なので収穫は大変ですが、自家製ゴボウは本当に美味しいです♪

ど定番の人参さん。

今年はちょっと発芽が少なかったけど、すくすく育ってくれています。


去年、沖縄のむい自然農園の航さんに分けて頂いたサトイモの仲間、ココヤムどん(ちんぬく)。

このココヤムはとても乾燥に強く、母島の気候に合っています。
食味の方もがっつり美味です!
この夏収穫した種芋(球根)で作付けし、一気に数を増やせました♡
これは今後に期待かもです!!


その傍らではこぼれダネで発芽したローゼルがいました。

これは温度が低い冬ではあまり育ちません。
最近、冬とは思えないほど暖かい日が続いたので、勘違いしたのでしょうね。
モロヘイヤも同様でした。

こうして当たり前の畑通いに感謝して、日々を過ごしています。
今年は返還50周年で驚くほどイベントの多い1年でした。

来年はゆっくりできるかな~


母島ヤギ・こなつの死~弔い

2014年01月18日 | ヤギ
■昨日17日の朝、畑に行ってみると、我が家が飼育しているヤギの「こなつ」が亡くなっていました。
次女と同じ4歳でした。

次女の出産で安曇野に滞在しているときに生まれたこなつ。
生まれながらに小さめで体が弱く、3頭の中では唯一よく下痢をしたり、食欲不振、排泄障害になったりしていました。
でもこの最後の1年で体が大きく成長しました。

亡くなる前日は一切の食欲が無くなり、歩く元気があまりありませんでした。
以前は食欲は落ちても、食べないことはありませんでした。
午後もずっと座ったままです。

嫌な予感は的中しました。

翌朝4:30に畑に行くと、まだ体はほんのり暖かいもの、鼓動も呼吸も止まったこなつが静かに座ったまま亡くなっていました。

あまり辛くなく逝ったと思えるのがせめてもの救いでした。

急いで家に帰り家族に報告しました。
長女は号泣し続けました。
次女は泣きもせず、きょとんとしています。

こなつの親である「なつ」は僕の顔を何度も見上げ、娘の死を受け入れたようでした。
動物の強さを垣間見た気がします。

母島の畜産指導所の職員に見てもらいましたが、死んだ原因は深刻な伝染病ではないとのことでした。
きっと体の弱い彼女の寿命だったのだと思います。

■なんの偶然か、こなつが死ぬ前の晩、子供たちとあるブログを見ていたのです。
それは、父島のコーヒー山の友人が1年間飼育したヤギを自分たちで絞めるブログです。

父親と3年生の息子が少しでも苦しまないようにと刃物を朝からよく研いで向き合うその心、とても大事と話したその矢先の出来事でした。
これはこなつからのメッセージだったのでしょうか?

「埋める」か「食べる」か。

この選択にとても悩みました。
家族で話し合いました。

・命を大切にすること
・頂きますの意味
・こなつはどうしてもらいたいか
・どう最後を迎えさせようか
・こなつを傷付けないでほしい......etc

数時間悩んだ末、「埋める」決心をしました。
ヤギを飼っている友人にもコーヒー山の友人にも電話をして相談しました。


■結局は色々な理由を付けました。
・今我が家に肉を食べる必要性もない
・生きたまま血を抜けず、病死したであろう肉を食べるのはどうか
・こなつの命を弔うのは食べるだけが方法ではない
・名前を付けてペットになった家畜を食べられない...etc
でした。

長女には午前中、学校を休んでもらい、家族みんなでこなつを弔うことになりました。

畑の脇に大きく穴を掘ります。

こなつの事を想いながら、シャベルで妻と掘りました。
子供たちはこなつに添えるレイを編んだり、葉っぱやお花を集めてくれました。

手でようやく掘り終えた穴に敷き藁をしてこなつをそっと寝かせます。
共に過ごした4年間がふっと蘇ります。

微笑を讃えたまま眠るこなつ。
感謝の気持ちが湧いてきます。
ほんとうにありがとう。

みんなでこなつが大好きな草や花を捧げ、いよいよお別れです。

もうこなつの魂はここになく、天に還っていったのでしょうが、4年間共にした体ともお別れです。

本当に美しい角と可愛い美人さんのメスヤギでした。
畑に来る島の子供たちにも小ぶりで可愛いこなつが一番人気でした。

家族全員でしっかりと埋めました。

埋めた場所には綺麗に花や木の実を飾り、素敵にしてくれました。
子供たちもみんな、本当にいい時間を過ごせました。

家に帰る途中、海から大きな虹ができていました。

長女が
「あれはきっとこなつが天国へ渡っていってるんだね…」
と言ってくれました。
家族全員が同じ気持ちでした。
「こなつ、バイバイ!ありがとう!」
みんなでそう声をかけ畑を後にしました。

■死ぬ最後、3日前に次女と畑で過ごした写真が生前最後の写真となりました。

次女は去年、しつこく絡み、こなつの逆鱗に触れて角でつつかれてから怖くて近寄れなくなっていました。
が、先月頃からまた関係が良くなり、一緒に遊べるようになってきていたのです。
そのことが、僕にとっても嬉しいことでした。

埋葬した後、ふとヤギ小屋に行くと真ん中のこなつの部屋だけがからっぽです。
他の2匹はいつものように餌をくれる僕を見つめます。
でも母ヤギのなつだけは少し趣深そうな顔をしている気がしました。
僕はこの時初めて、心にも大きな穴が開いたことを自覚しました。
自分の両親が死んだときもそうでしたが、もう逢えないことを肌で感じた瞬間にその相手の死を理解した気がします。

こなつ、本当にどうもありがとう。
そして、こなつを可愛がってくれた皆さん、ありがとうございました。
こなつは最後まで幸せなヤギだったと思います。

埋葬に関しても畜産指導所の職員さんには色々とアドバイスを頂きました。
畑の大家さんも子供たちとの埋葬に快く承諾してくれました。

本当に多くの人に支えられているのだなぁと実感しました。
この世のすべてに感謝します。

こなつ、安らかにお眠りください。
次のいのちでまた逢いましょう。