小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

小笠原凧作り!!(為朝凧)

2018年01月29日 | 島のイベント
■今年は小笠原諸島がアメリカから日本に返還されて50年の節目の年になります。
それに向けて様々なイベントが企画されているのですが、
今回実施された「小笠原凧作り教室」に僕と次女で参加してきました!

小笠原凧は戦前から島で作られていた伝統的な凧で、
八丈島から小笠原に伝わってきた為朝凧(ためともたこ)が基礎となっています。

「源為朝(みなもとの ためとも)」は平安時代末期に活躍した武将のひとりです。
古今無双の弓の名手として知られ、勇士として様々な伝説などを残しています。(結構すごいです!)

しかし、【保元の乱】 に破れ、伊豆大島に流されてしまいます。
ですが、さすがの為朝。
そこでも国司に従わず、自慢の武力で伊豆諸島を事実上、すべて支配下においてしまいます。
そして乱暴狼藉が訴えられ、追討を受け、最後は自害した伝説の武士です。

為朝凧は、八丈実記をあらわした流人・近藤富蔵 が図案を考案したものとのこと。
今も伊豆諸島で慕われている為朝を凧に描いたのが始まりのようです。
強弓の名手であることから、背中に矢が見えるのも特徴です。

※これは母島に残っていた小笠原凧です。為朝の絵が描かれていますね☆


凧の形は、風力にあった縦横の絶妙な寸法、
軽くて丈夫な竹の骨組み、
糸目の長さが緻密に計算されていて、
尾なしの色鮮やかな凧として芸術的にも評価が高くなっているそうです♪

島のおじいちゃんやおばあちゃんに聞くと、
昔は島のあちこちで作られ、
正月にはみんなが凧揚げをし、
小剣先の頂上で凧を揚げては、木に縛ってそのままにして、
集落からみんなで見上げていたといいます。

今回は島で10年ぶりに凧作りが企画されたので、
ずっとやりたいと思っていた僕は娘を誘い、参加してみました!

これは子供たちが作った凧を母島小中学校の学習発表会で展示してもらった写真です☆(完成の翌日!!)


■まずは凧作りは3日間の予定で作成から揚げるまでを組まれてありました。
が、母島小中学校の授業参観と日程が重なってしまい、
なんと金曜の夜と土曜の1日で仕上げることに!

そもそもこんなに時間をかけるのに、
大人も子供も集中力を維持し耐えられるのか心配でしたが、
結果を見ると見事、素晴らしい仕上がりだったのです!

準備、運営をしてくれたスタッフの皆さん、
本当にありがとうございます♪


■そんなこんなで早速金曜の夕方に集まり、
早速制作が始まりました。


まずはのりしろを含めた線を寸法を測りながら和紙に書いていきます。
今回は40cm×90cmの凧を作ります。
のりしろは3cm~3.5cmを周りに書きます。
まっすぐに描かないと後で困るので、
2年生の次女も必死に線を引いていきます。


線を引いた後は表に好きな絵を描きます。

次女は大好きなシロハラミズナギドリ、ヤツガシラ、りんごを描き、


僕はカツオドリを書いてみました。

とにかく、他の子どもたちの絵もほんとうに素晴らしい!!

下書きをした後、墨と筆でラインを引き、
その後は色塗りをする前に色の混ざりを防ぐために、
熱して溶かした蝋を墨で描いた周囲に塗ります。

この蝋はその後、透明に近くなるので、
凧から光が透けて綺麗に見えるラインにもなるのです♪

とても熱いので注意が必要です!

蝋をぬった後は、楽しい色塗りです☆


みんなおもいおもいの色を塗って仕上げていきます。

そのあとは竹を組んでいきます。
以前は竹を削るところもやっていたそうですが、
それをやると1週間はかかってしまうので、
今回は用意してもらいました。

この竹組みは、出来上がり後の折れや破損に繋がるシビアな部分です。

竹の固さや節を良く見極めて、
長さをよく合わせながら組んでいきます。
今回はグルーガンを使って繋いでいきました。

竹を組んだ後は、
周囲の竹の合わさったところを和紙で補強して(竹が絵を突き抜けない様にするため)、
その後、描いた和紙とドッキングさせていきます。

ペタペタと糊付けをしていく作業です。
速く塗らないと先に塗った糊が乾いてしまいます!

周囲を糊付けしたら、
今度は中心付近の竹の合わさっている部分を和紙と糊で補強して行きます。


補強したあとは千枚通しで糸を通す穴を空けていきます。

これが結構気持ちがいい♪

そのあとは凧に付ける糸を作っていきます。
凧から伸びる糸は凧の長辺の6倍の糸を6本作ります。
一つ一つ長さが異ならない様に慎重に作っていきます。
糸は伸びるので、張って測るのではなく、
たるませて、同じたるみで見極めるのがミソでした!

組穴(糸穴)を空けたら、
今度は糸を通し、結びながら、
凧を湾曲させていきます。
強引にしては折れてしまうし、
へたにバランスが悪いと、
凧はまっすぐ飛ばなくなるので、
ここも難しい所です。

結ぶ時の約束ごとは、2本の糸のうち長い糸を持っている手は糸から離さないで、
短い糸の方を2回巻いて、長い糸を引き、
根元を締めていくことが大切です。


上は狭く、
下は広めに絶妙に調整していきます。
(上の部分は凧を空高く揚げる為に必要な風を受ける部分です)

個人的にはこの作業が難しかったのですが、一番好きでした♡

このあとが一番職人芸な部分。
凧から伸びる12本の糸の調整です。

均等にしなるように、
集めた時に凧の3分の2の高さで、しかも中心に来るように、
そして張った時に凧がまっすぐ斜めに上昇するのを確かめながら、
糸を一組ずつ調整していきます。

これが本当に職人芸で難しい!!
父島から教えに来てくれた講師さんが最終調整やらないと、
なかなか凧はうまく上がってくれないらしいです☆
※これは馴れと感です!←講師・談

なんやかんやして、
2日間かけて無事に凧は完成しました!

左が僕が作った凧で、右が小2の次女が作った凧です。
本当にお疲れ様でした!

みんなの凧を並べると、ほんとうに素敵な光景でした♪

最後に感想や挨拶をして、
長い長い2日間がこれで終わりました。

作っても想像以上に大変で難しく、
びっくりしましたが、
それを教える側はもっと大変だったと思います。

貴重な経験をさせていただき、本当に有難うございました!!


■翌日は学校の学習発表会&授業参観だったのですが、
急きょ凧の展示もさせてもらうことになり、
子どもたちの凧をみんなにお披露目することが出来ました!

そして、参加したパパ達は授業で来れない子供たちに代わって、
こっそり凧揚げを習う機会を得ました!

講師のAさんはこの日に父島に帰ってしまうので、
今日習わないといけない!と数人が評議平グラウンドに集まり、
ビックリするほど冬なのに風がない中、
最低限、凧を揚げて、壊さないコツを習う事が出来ました。

自分の凧がまっすぐ空に向かって上がった時は、
凄く嬉しく、
何とも言えない感動がありました♪

その日の夕方、
次女はなんと発熱してしまい(インフルではなかったです)、
まだ次女が作った凧は揚げれていませんが、
元気になった次の休日にはぜひ凧を揚げたいと思います♡

わ~い!!小笠原凧万歳!!
どうもありがとうございました!!!

インフルエンザの効用 ~高熱は辛いけど時には必要だ!!

2018年01月25日 | 母島 日常 日記
■年が明けて2週目、どこで頂いたか不明ですが、
今季、母島で猛威を振るっている流行にノッてしまいました。

そう、インフルエンザです(笑)。

僕が最初に発病し、2日後長女も発熱…
共に暮らす次女は何故がずっと元気なままでした(笑)。

今はみんなすっかり完治し、元気なのですが、
発病当時は40度近い高熱が出るし、全身痛くてとても辛かったです。

妻は今、内地だし、
ヤギと鶏の世話、
そして子供たちの世話もこなさなければなりません!
数々の仕事もお休みしました。

そんな中、島の友人たちが色々差し入れを持ってきてくれて、
本当に有難かったし、その気持ちがとても嬉しかったです♪
ありがとうございました♡

長女も自分が寒気を訴えて、発熱するまでは家事を頑張り、
色々僕や次女の世話もしてくれました!
ありがとう(*^_^*)

介護や山の仕事、郵便配達も休ませてもらい、
代わりの人にやってもらっています。
そちらもほんと感謝です。
ありがとうございました



■インフルエンザを終えてみて、思ったことは…
とにかく体が超スッキリした!!でした(笑)。

発病中は最低限の家事をしなきゃだし、
高熱で辛かったですが、
色んなデトックスになったようです。

介護の仕事もしているので、
診療所に行って検査を受けて、
島では少数派の「インフルA型」と診断されました。

したことと言えば、脱水防止によく飲み物を飲んだくらいで、
解熱も服薬もせず、
食欲がない場合はあまり食べず、
僕も長女もとにかく寝まくりました。(3~5日間)

人の体と言うものは本当に良くできていて、
その後ちゃんと回復し、
逆にスッキリするくらいなので、
時々高熱を出すというのは体に本当に必要なものなのだと思いました。
※例外もあるので一概に過信はしないでください!



■体温と言うものには色んな理由があり、
とても大事であることが分かっています。

一般的に「体温が1度上昇すると免疫力は3~6倍になる」と免疫学で言われているそうです。
高熱の作用によって、
白血球の働きが非常に活発になり、
ウイルスやガン細胞などを殺しているとのことです。

39度の熱は体のがん細胞を死滅させるとも言います。
↑参考サイト

例として、
俳優の川津祐介さんのガン克服記があるそうです。
川津祐介さんは肝臓ガンを2度経験しているそうですが、
2度とも高熱で手術することなく、消すことに成功しているそうです。

「2度とも、かなりひどい風邪をひいて高熱が10日以上続き、
最後にものすごく臭くて黄色い汗と、
鼻がまがるほどの大小便が出た後、ガンは消えてしまった。」
とのこと…



現代は低体温の人が多いですし、
発熱するとすぐに解熱剤を飲んで熱を下げてしまう場合が多いみたいですが、
もし可能であれば、
身体が発熱している意味をよく感じて、考えて、
しっかり熱を出し切るというのも大事な気がします。
※もちろん、解熱が必要なケースもあると思うので要注意です!

少なくとも、僕自身はインフルエンザで超スッキリしました。
人生では3回くらいしかインフルになった記憶はありませんし、
子どもの頃、ここまで世の中はインフルが蔓延することはあったのだろうかと、
色々疑問はありますが、
インフルには身体にとって必要な高熱を出してくれる効用というものがあると思っています。

興味がある人は野口整体の野口晴哉・著「風邪の効用」という本が面白いので、
ぜひ読んでみて下さい♪

次女が一緒に暮らしていて、インフルがうつらなかったのは、
きっと今の彼女にはインフルのデトックスが必要ない状態だったのだなと思います。

数年に一度は高熱を出すのは辛いけど、
必要だという結論に至りました♡
そして、なるべく高体温でいれるように
普段の食事や暮らし方、運動に配慮していきたいですね。

我が家の子供たちの場合、
高熱を出すと、その後色々進化して頭が良くなると感じることが多いです(笑)。

知恵熱ってことか(笑)!!

あと不謹慎かもしれませんが、
高熱を出して寝込んでいる子供はほんとうに可愛い。
可愛いとつい看病してしまうのは、その為かも(笑)?

母島のどんと焼き、これも暮らしのデトックスかもです(笑)!?

小笠原消防団で10年。

2018年01月17日 | 大切にしていること
■2018年1月5日、小笠原消防団母島分団の出初式が執り行われました。

毎年、行っていることですが、
新年の最初の時期に
災害や火災に対しての意識を、その地域のみんなに知ってもらおうと
消防隊員・団員が一生懸命伝える行事です。


僕も父島に住んでいた頃から消防団に入り、
今年で勤続10年となり(まだまだ新人です!)、村長に表彰を受けました。

母島に来てからは大きな火災はありませんし、
山と海の遭難者救助・捜索も無事に終わっています。

父島にいた頃は、大火事や山で深刻な救助・捜索があり、
とても気を引き締める機会が多くありました。

と同時に無事に見つかったり、
助かった時には本当に良かったなと心底思います。
大変な時も多いですが、
とてもやりがいのある活動だし、得られるものもすごくあります。

そんな僕の消防団活動は、
過去に自分が救助された経験から始まっています。




■今から約15年以上前、
当時僕は20歳になったばかりで、
色んな夢を持って沖縄の西表島に住み込んで働いていました。

無知な若者である僕は
そこで仲良くなった人と一緒に、
人から借りた川用の手漕ぎボート(カナディアン・カヌー)で沖に出て転覆し、
3人で漂流するという苦い経験がありました。

僕の他はあまり泳げない2人にライフジャケットはたったの1枚。
今思うとなんて無謀だったんだろうと思います。
死ななかったことは奇跡でした。

海が荒れてきた日没直前、
たまたま通りかかったカツオ漁の漁師さんが見つけてくれ、
救助してもらい、近くの港に向かう途中、
友人が通報してくれた海難を聞きつけて、西表中のダイビングボートが沖に出てくれていました。

目の前で虹が出来て、トビウオのアーチをくぐって島に戻って、
事情聴取を駐在所で受けている時、
「きょっきょっきょ」と鳴くヤモリの声で、
ああ生きているんだな、と感じ、
それまで感じていなかった疲れがどっと出てきたのを今でも覚えています。

自分は死なないと思っていましたが、
それは周りの2人を支える為に、一生懸命に気を張っていたからだったと後から気付きました。
ヤモリの声を聞いたとき、自分の限界がすぐそばに来ていたことに気付かされたのです。

その後、島のダイビングショップ、もちろん助けてくれた船長にもお礼をしにいったのですが、
その時に決心したのが、
自分が出来る“お返し”として、これから“助ける側になろう”というおもいでした。

ギリギリの出来事で生き残ったこの命、
その有難い気持ちを忘れないで、
今は消防団として出来る限り、お返しをさせてもらっています。


ちなみに、長女が3歳の時に1年間家族で日本中の自給自足の家をWWOOFで周る旅をして、
その時に久しぶりに西表島を訪れました。

当時、救助してくれたM船長はもう引退していて、
高齢であまりよく覚えていないようでしたが(笑)、
家族を連れてきたことをすごく喜んでくれて、行って良かったと思いました。



■消防団というのは、
他の生業を持った人が有事の際に集まって消防活動する組織です。

消防署がない小笠原のような地域では、
村民の生命、財産を守るためにとても重要な役割をになっています。

毎週の車両や装備の点検を交代で行い、
毎年、内地の消防訓練所から教官を招いて定期訓練も欠かさず行っています。

山岳救助、家屋火災、海難捜索と活動は多岐に渡ります。
そんな中、もし緊急時、自分がもっと勉強していれば、この命を救えたのに!と後悔しない様に、
出来る限りの姿勢で臨んでいるつもりです。

訓練や実戦を行うたびに改良点や改善点がいっぱい見つかります。
もっともっと精進して、
少しでもレベルを上げていきたいと思っています。

いつもわざわざ遠い内地から教えに来てくれる教官たちに、
感謝の気持ちでいっぱいです。


■色んな活動の中で、
沢山の感謝の言葉を頂きます。

本当に有難いです。
やっていて良かったなと心底思う瞬間です。
人の暮らしってこうやってできているんだなと実感します。

最後に
いつも消防団を引っ張ってくれる団長、副団長、分団長、班長、団員の皆さん、
役場の職員、医療関係、警察、他関係者のみなさん、
本当にありがとうございます!

そしてその活動を支えてくれている家族のみんな、どうもありがとう!
自分の命はもちろん気をつけつつ、これからも頑張ります♪


ジャズマスターという愛機 改造+調整♡

2018年01月10日 | 趣味
■僕が愛用しているギターにジャズマスターというギターがあります。
このある意味、欠陥だらけだけど(笑)、一部の人に猛烈に愛されているジャズマスター。
僕もそんなひねくれモノの一人です(笑)♪

フェンダージャパン製です。(Fender Japan Japan Exclusive Classic 60s Jazzmaster 3TS)
ピックアップはUSA製のピュア・ビンテージ‘65に替えてあります。

フロントの甘い色気のある独特の太めのトーンと、
リアのジャキジャキ感のある高音がタマラナイ、ジャズマスター♡

今回は音はいいけど、
このあまりに使いにくいが故の愛おしさが込みでてくる
ジャズマスターの魅力をギターほぼ素人の僕が(笑)書いていこうと思います!
※ギターテクニックは小学生並です。

■ジャズマスターこのギターはその名前の通り、
1958年にレスポール全盛のジャズシーンに、
当時のフェンダー社がのぞんだストラトの進化形のギターでした。

デビューしてからしばらくはジョー・パスが使用するなど、
ジャズ・シーンでの使用例があったようですが、
ジャズマスターの太めの音はあまり好まれず、
ジャズの楽器的な保守性を打ち破れなかったようです。

ですが、代わりにこの時代に流行した
サーフミュージックのプレイヤー達にヒットし、
広く受け入れられるようになったそうです。

一時は製造も中止となってしまいましたが、
熱烈なファンの声で生産が再開されたようです!


■最近までロックと少しのクラシック以外を
ほとんど聴いてこなかった僕にとって、(妻は超ジャズ好き)
僕がジャズマスターを愛する理由としては、

・音が個性的、バンドで埋もれない
・色気のある音、ジャキジャキ感がタマラナイ♡
・見た目が好み過ぎる
・色々改造しないと好み通りにならない(世話が焼ける分、愛情が倍!)
・フローティングトレモロの絶妙な揺らぎが好き
・レスポールに比べて本体が軽い!
・愛する妻がジャズ好きである

位でしょうか(笑)。

今まで黒のレスポールカスタム(ブラック・ビューティー)が世界一カッコいいギターと信じていたのですが、
最近はすっかり上位の場をジャズマスターに奪われてしまいました。

きっかけは一緒に組んでいたバンドメンバーに安いストラトギターを借りたのがきっかけでした。
バンドメンバーが変わり、僕自身、急きょドラムからギターに転向することになりました。

そこでメンバーにエレキギターがないから一時的にギターを借りたのですが、
そのギターがサンバーストカラーの安~いストラト(メーカー:Legend)で、
意外と見た目とスタイルが気に入ってしまったのです。

それでネットで似たモデルを探したら、
たまたま似た見た目のジャズマスターが目に留まり、
そこからはもう、一気に一目惚れでした♡

大好きなゴリゴリのHR/HMには向かない気がしますが、
フロントのピックアップで弾く、艶のあるクリーントーンがジャズにマッチしているし、
ロックンロールくらいなら十分にイケる、柔軟なギターと思います!

シングルコイルとハムバッカーの中間で、
シャキシャキしている感じの音色です♡


■そんなジャズマスターは「世紀の欠陥ギター」と汚名を頂くほど、
色々難があることでも知られています。

①まず有名なのは、構造上、弦のテンションが低く、
ブリッジのサドルが変なネジみたいなだけのコマなので、

激しく弾くと「弦落ち」という致命的な事態になってしまいます。

こりゃ落ちるし、サスティーンは下がるわな。

そこで、サドルをムスタングのサドル(弦高調整できるやつ)に交換しました。

これがすごくいい感じ!
音はそのまま、サスティーンは伸びて、弦落ちもなくなりました!

ブリッジだけはずしてみた比較写真がこちら。

↑ねじの溝だけのようなコマです。これは激しく弾くと弦が見事に落ちます。


↑こちらは溝があり、弦高も調整できるコマです。

長さの短いネジにもなり、
弦高を上げてもネジの先端が弦に触れにくくなりました♪(←ここもかなりの悩みのタネでした)


②そしてお次はピックアップ。
フェンダージャパンの純正の音は、
全然好きなジャズマスターの音ではなかったのです(涙)。
※スクワイヤーのジャスマスターの方が純正で全然好きなジャズマス音が出ていた!

手前のスイッチはスイッチを入れるとフロントのピックアップのみに切り替わり、
そこだけ独自にボリュームとトーンが設定できる機構です。
ソロとバッキングの音色を分けたいとき、
手元ですぐに音を完全OFF設定にしたいときに有効です。
(弾いてて当たって勝手にスイッチが入ってしまう場合がある位置なので、
 この向きを90℃変えたINORANのシグネチャーモデルは画期的と思います!)

フェンダーUSA(メキシコ製)のお高いビンテージものは、
全然手が届かないので、
ピックアップのみ「USA製のピュア・ビンテージ‘65」に交換しました。

これが大当たり!!
音も見た目も!!
正に僕の頭の中のビンテージ・ジャズマスターの音になりました♪
(本物のビンテージは楽器屋でしか触ったことがないw!)

真っ白で嫌だったフェンダージャパンのピックアップカバーも
付属でクリーム色が付いてきます♪

ピックアップ交換なんて、やったこともないし、
やってみたいと音が分からないという大バクチみたいなものなので、
勇気がいりましたが、やってよかった!!

回路図と英語の説明書が入っていましたが、
現物と違う部分もあり、
結局は元の回路を参考に組んで、
2個のピックアップ同士はノイズキャンセルになるように向きを逆に取り付けました。


シングルコイルなのにこのコイルの太さ!!
まるでP-90の様ですね♪
これであの色気のある甘い太い音が出るんだなぁと思います。


③トレモロアーム問題!!
ジャズマスターは他のストラトと違い、
独特のフローティングトレモロというブリッジ機構を持っています。

そのトレモロアームがすぐ抜けるし、
曲がった所まで刺さらない。
楽器屋に問い合わせたが、そんなもんだと言われる始末(笑)。

これじゃステージ&練習で抜け落ちるし、
いちいちだらんと下がるからアームをやりにくいし、カッコ悪い!!

スクワイヤー製は問題なく、
任意の場所に固定出来たのに、フェンダージャパンのはできない!!



こういう事態は工業高校出身の僕には燃えます(笑)。
さっそく分解・修正しました!


外して裏から見るとこんな感じです。

そして、トレモロアームの刺さる部分の
十字に切ってあるメス側のナットの締まり具合じゃん!という結論に至りました。

最終的にはアームがちゃんと奥まで入らないので、
マイナスドライバーで開き、奥まで差して、そのあとにペンチ・プライヤーでギュッと潰したら一気に解決しました(笑)!
ちゃんとアームを差し込んでも折れている根元まで刺さるし、
任意の場所で止まります!絶対にプレイ中に抜けない!!

トレモロアームの固定に成功しました(*^_^*)
文句のない塩梅になりました!!

横から見るとこんな感じです。

そんなもんだと言った楽器屋さんの定員さんにも、
こうしたら解決したから、相談されたらやってみてと伝えました。

キツくてアームが根元まで刺さらない場合は、
ラジオペンチで開いてから、アームを差して、ペンチで潰す!
ゆるくて任意の場所にアームが止まってくれない場合は、
アームが刺さった状態でペンチで潰す!
このときに力を入れ過ぎて、アームが抜けなくなるほどキツくなる場合があるので、
少しずつ、注意をしながらペンチでやってみて下さい。


そして今さらですが、ネットで検索してみると出てくる出てくる(笑)。
もっと早くに見ておけば良かった!!
僕もやりましたが、テープを巻いたりしてキツくするより、
こちらの方法の方がよっぽど楽に問題が解決します♪

分かりやすいのがこちらのサイトかな~

ジャズマスターのトレモロアームが抜けて困っている人は、
ぜひ試してみて下さい!
(USA製はネジ式になっているものもあるらしく、この限りではないです)


④アーミングをするとチューニングが安定しない!!
これはジャズマスターの宿命かもしれません。

だってアーミングすると、ブリッジがそれに合わせて前後するんだもの(笑)。

解決方法は
ブリッジを交換するですかね~
レスポールとかに使われる「チューン・O・マチック」のブリッジにする人もいるし、そういうモデルもあるし、
高いけどプロなんかは「マスタリー・ブリッジ」に交換してますね。

けど、僕にとってはあまりに高価だし、
今の大好きなジャズマスターらしいと思っている音が変わってほしくないので、
サドルとピックアップの交換のみに留めました。
この改造は音は大きく変えずに使いやすくなるので、お勧めです♪


■そんなこんなで、国産のジャズマスターはとても評判が悪いのですが(笑)、
ピックアップを替えて少しいじるだけで、
すごく使える代物に化けることが分かりました♪
※あくまで個人的な評価です。

そもそもインドネシア製のスクワイヤーに比べると、
作りの精巧さは比べられないほど、国産のは素晴らしいです!

なぜ、あんな本家とかけ離れたピックアップにしてしまったのか疑問は残りますが、
(きっとアメリカブランドからの圧力ではないのか!?)
十二分にフェンダー・ジャパンのジャズマスターは名機になれる器があります!!

スクワイヤーのジャズマスターは音と見た目は申し分ないのですが、
オクターブ調整時にネジの頭が弦に当たってしまいビビってしまうのと、
ネックのRが少し僕に合わない事、
フレットの端の切込み幅があるので、チョーキング時に弦が落ちてしまうのがネックでした。
その部分を差し置いてもコスパ的にも素晴らしいギターだと言えます!!


ちなみにギターマガジン2016年8月号の題は「逆襲のジャズマスター」
まるでガンダムの赤い彗星の如く、ジャズマスターの事だけで200ページ使われています(笑)!
プロによるジャズマスターの愛し方、カスタムなども満載で、
ジャズマスター好きにはお勧めの1冊です。
なんと今年2018年はジャズマスターが誕生して60周年!
今年もギターマガジンはジャズマスターを特集すると2016年には書いてあります。
どうなるか乞うご期待です!

そんな大好きなジャズマスター、
長女もカッコいいギターだね♪と言ってくれます(*^_^*)

ギターはほぼ初心者みたいな僕ですが、
ジャズマスターがあまりに好きで可愛いやつなので書いてみました☆

ガッツリやってるひとには色々突っ込みどころ満載でしょうが、
温かく見守って下さい♪


#ジャズマスター #フェンダージャパン #ピックアップ交換 #トレモロアーム固定 調整 #ブリッジサドル交換






謹賀新年2018と感動の成人式

2018年01月02日 | 母島 日常 日記
■新年明けましておめでとうございます!
年賀状にも書きましたが、
今年の僕のテーマは「感謝」と「リスペクト」。

いつも謙虚な気持ちを忘れずに、健やかに暮らしていければと思います。
年末からはなるべくPCに触らず、
家族との時間を大事にして過ごしてきたつもりです☆

こうして笑いが絶えない幸せな毎日を送れるのも
家族のみんなが無事にいてくれて、
共に過ごせるお蔭です。

そして、それを支えてくれる大自然と人のお蔭です。
本当に有難うございます。

今年も元旦は母島観光協会主催の「日本一早い初日の出」に参加し、
朝の4:30から家族全員+参加者の皆さんと南崎の小富士に上りました。

今年は特に素晴らしく、6:18水平線から初日の出が上がり、
南風の暖かい風の中、大歓声で新年の朝日を拝む事が出来ました♪



■また、2日には母島の成人式がありました。
内地で過ごす忙しい20歳を迎えた島っ子たち。
同級生全員集合とはいきませんでしたが、
4人の成人を迎え、成人式が執り行われました。


式の最後に新成人の4人ひとりひとりがスピーチをする場面があります。
4人全員が母島で過ごしたかけがえのない子供時代の話、
母島を離れてからの気持ちの変化、
そしてこれからの自分の生きる決意、
涙を流しながら感謝を伝える…

小さなころから知っている4人です。
僕はその子たちの親ではないですが、
あまりの言葉の素晴らしさ、
“私達を育んでくれた、皆さんにこの気持ちを伝えたい!”という気持ちが、
存分に伝わる素晴らしいスピーチで、
思わず目頭が熱くなりました。

僕が20歳の頃、
成人式に出席もせず、夜に同級生たちと飲んで騒ぐことしか考えてなかった頃、
果たしてこんなに素晴らしい言葉を、
感謝とリスペクトを込めて、
大人に向けて話せていたのでしょうか(笑)?

4人の素晴らしい言葉に、
こちらも素晴らしいギフトを頂きました。
本当におめでとう!そして、ありがとう!
大人も本当に頑張らないとと思わされました!!


■元旦は初日の出に年賀状配達、海開きと大忙しだったので、初詣に行く暇もなかったので、
今年は無理をせず、2日に初詣に行きました。

まずは島の農業の神様、御嶽神社に行き、
昨年の無事と健康・豊作の感謝をし、
今年の無事と健康、そして豊作を祈ります。

次女がお腹にいる時、
少し切迫早産の気配が出たことがあり、
毎日この神社にお参りに行ったことがありました。

今もこうして家族が無事に過ごせることに感謝です♪

次に母島の大神宮「月ヶ岡神社」に初詣。
入り口には立派な書初めが!

92段の階段を登り、こちらも境内で感謝と祈りを捧げます。

こうして時々、祈りを捧げることで心が少しクリアに感じることがあります。
特に固定の宗教を持っていない、
日本人にありきたりな僕ですが、
アニミズム(自然崇拝)に近いものを信仰している気がします。


神社の帰りの次女の腕には、
モモタマナの木の実がいっぱい。

彼女はこの木の実を石で割って中のナッツを取りだし、食べる名人です(笑)。

そうそう、今年も青年会の獅子舞が集落を巡回しました。

僕はいつも初日の出ツアーと年賀状配達で獅子舞をやれたことはないのですが、
こうした地域の風俗を地元の若い人も支えているのがとても頼もしいです。
どうもありがとうございます!


そして、今年も母島では元旦からゴミの回収(燃えるごみと生ごみ)がありました。
作業の方の厚意で実施されていると聞いています。

みんなが正月で過ごしている間も、
こうして暮らしを支えてくれている人たちがいることを忘れずに、
感謝とリスペクトを忘れない様にしたいと思います。
(作業員さんたちにはあったら感謝を伝えようと思います)

■2日の羽根つき大会のあとは
我が家恒例の小剣先登山も敢行!!

ギンネム林を抜けて、


岩場を超えると…(ここまで15分)


集落が一望できる小剣先山頂に!!

ここで「お~い!!」
と大声を出すと、下の集落の人も応えて手を振ってくれます(笑)♪
それがいつも嬉しいです♡

■正月から天気も良く、
家族みんなで過ごせて、
初日の出、成人式、ゴミ回収ととても気持ちのいい新年を迎えることができました。

今年もどうぞよろしくお願いしますm(__)m