小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

いのちを想う

2023年07月25日 | 大切にしていること
■先週、僕は急に腹部が痛くなりました。
キリキリと辛い痛みでした。

丁度、それは父島に用事があって、
行っていた日の夜に痛み始めたのです。
まあ、一晩寝てれば良くなるだろうと安易に考えていました。

しかし、それは朝イチはいいのだけれど、
次第に父島で動いてる中でもキリキリと痛み出しました。

北港の水中から太陽を臨む

それでも楽天家の僕は、
ははじま丸で寝て休んでいれば、まあ治るだろうと思っていました。

しかし、母島に着いても痛みは一向に治まらず、
そのまま入港日の配達作業(宅急便など)に突入ました。

痛くて走れないし、
重い荷物が持てない。
ようやくここで、
僕は深刻に考えるようになりました。

痛いのは体の左側のお腹と胸の間部分。
なんの臓器があるのかな?

次女はバレーの遠征でもう内地に行ってるし、
妻は3日後に船に乗って内地に行ってしまう。

独り島に残って仕事を続けるつもりだったけれど、
もしかするとそれもできなくなるかも?

子どもも大きくなって、
最近はいつ死んでもいいだろうと思っていたけれど、
いざ、お腹が痛み出すと、それなりに怖く感じるようになってきました。
人なんて弱いもんです。

カヌーの浮き(アマ)部分に乗ってる巨大ナマコ

盲腸かな?
胃かな?
もう40代だし、ガンかな?
ここ数年、40代で亡くなっている友人、知人が数人いるので、
そんなことも頭をかすめました。

あまり普段お腹が痛くならない僕は、
勝手に色々想像して怖くなってきました。

覚悟していたと思いつつ、
人間なんて脆いもんです。

あまりにお腹が痛くて仕事にならないので、
夕方、急遽診療所で診てもらいました。

島のドクターの診断は、
姿勢や向きで痛みが変化するので、内臓ではなく、お腹周りの筋肉が傷んでいるのでは?とのこと。

得体の知れない、内臓由来ではなく、筋肉系じゃないかと聞いて、
心底ホッとしました(#^.^#)

最近北港でよく見かけるギンガメアジの群れ
診察の後、そのまま入港日の宅急便の配達に戻りましたが、
症状が回復しているわけでもないし、
ドクターには「島の限られたマンパワーというのはよく分かります。無理のない範囲で動くのは大丈夫です」
と言ってもらっていたので、
重い荷物や階段を上がるのはなるべく若手にお願いして、
その日はなんとか乗り切りました。
(家に帰ったらバタンキューでしたw)

その後、3日ほどで痛みは少しずつ消えていき、
4日後には痛みもなくなり、すっかり完治しました。

少し指を怪我したり、どこか故障するたびに思いますが、
健康であることがどんなに有難いか再確認しました♪

妻に心配してもらえて、
ああ、この世にこんな自分を気にかけてくれる人がいるんだなぁと
有難く感じました☆

心配、フォローしてくださった皆さん、本当に有難うございました!!

SUPで大沢海岸へ

■そんな自分の脆さを感じていた最近、
色んな「いのち」を考えさせられる事が続いています。

自分が中1の頃、父が真夏に亡くなり、死後1か月で発見してもらい、
腐敗してしまった父を多くの人がその対応をしてくれたという経験があります。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

自分自身、消防団や色んな仕事の中で、
亡くなった人に関わるという機会も何度かありました。
島に来て学ばせてくれるヨガの不久先生の教えもあって、
今の42歳の僕は人の死に触れることがあまり特別ではなくなってきました。

そんな自分の「恩送り」という意味合いもあって、
去年から母島の火葬場のオペレーターの仕事をしています。
文字通り、亡くなった方の身体を火葬して、骨にする仕事です。

地域としてもとても大切な仕事ですが、
そんなにやりたがる人もいないのが現状で、
現在の母島では火葬場のオペレーターは僕を入れて2名しかいません。

知らない島民がいない小さな島の火葬場なので、
もちろん火葬する時、棺に入っている方は、
介護の仕事で関わっていたり、
近所の方だったりします。

その人生のフィナーレを務めさせてもらえる大事な仕事をやらせてもらえるというのは、
本当に有難い事だと思っています。
毎回、沢山の学びと気付きを頂きます。

7/11脇浜 珊瑚の産卵でした!

■先日はずっと大好きだったレジェンドの方が天国へ旅立っていきました。
1世紀を超える長寿で、最後の最後までしっかりとしている方でした。

安らかに眠る棺の中に、
沢山の島の花を添えられました。
よく知った顔ぶれの中、
厳かに火葬式が執り行われました。

僕はこの春に五目並べで2連敗していて、
勝ち逃げをされました(笑)。
僕に勝った時も最高の笑顔でした♪

今頃、大好きだった奥様と、
天国で再開して色んな話をしている事だろうと思います。

僕も大好きなレジェンドの火葬ということで、
しっかりと100年を超えて魂を支えた身体を、
天に還すお手伝いをさせて頂きました。

本当にありがとうございました。
お疲れ様でした!


■妻が42歳の頃、
「人生の折り返し地点になってみて、命というものの捉え方、死に対する感じ方が変わって来た」
と言っていました。

42歳になった僕には、まだその言葉はピンときません。

だけど、
人の死というものは特別でもなく、
恐れるものでもなく、
誰にも平等に訪れる、
当たり前のものであるという感覚になって来ています。

とは言え、
突然の事故や病気、心の病で急に命が消える時、
本当にどうしようもない気持ちに揺さぶられます。

幼い子供や家族、これから共に生きようとしていた伴侶などに、
本当に大きな影響を与えます。

僕自身、父も母も亡くしていますが、
少なからず色んな影響があったと思います。

あまりにも急で、
心の整理がつかない事もあったりします。
そんな時は時間に身を任せたりしています。

魂が千の風になって、この空を舞っていると自然に思えるまで、
時間が癒してくれるのを待つことが唯一の方法だったりもします。


■冒頭の腹痛で、大丈夫と思っていた自分に死の存在がちらっと見えた時に、
沢山の学びと気付きを頂きました。

繰り返される日々の中で、
あまりにも辛くて気持ちが整理できない事も今でもあります。

僕自身もいつ死ぬか分かりません。
海で死ぬこともあるかも知れないし、
バイク事故で死ぬかも知れない。
病気になるかもしれないし、
想像もつかない何かに巻き込まれることもあるかもしれない。

幸いなことに、子供達もしっかりと無事に育ってくれたので、
今自分が死んでしまったら、
どんなこと後悔するかなと考えてみると、
そんなにシビアに悔しい気持ちになる事もないような気もしています。

土壇場でやっぱり猛烈に後悔するかもしれません。

ゆっくりと夫婦で旅がしたかったね~
そんなものかも知れません。

いのちはどうなるかも分からないので、
やっぱり1日1日を大切に生きたいと思います。

どうせ生きるなら、死ぬまでやっぱり楽しんで生きようと思います♪
どうなっても笑って死ねるように生きたいなと考えています。

そんないのちを想う、母島の夏の日でした(#^.^#)

20年ぶりの小笠原YHで一緒に働いたメンバーの同窓会を母島でできました!
こういうの、やっぱ嬉しいなぁ!詳しくはOYHブログ




議員の力って想像以上にすごい⁉

2023年07月15日 | 議員活動
■生まれて初めて議員という立場になってみて、早2か月半が経過しました。
自分で想像していた以上に、
議員という仕事は面白く、そして凄いものなんだなぁと実感しています。

議員になる前、立候補を決めた2月ごろは、
漠然と辛くて苦しい事が沢山待っていると思っていました。

しかし、たった2か月半でも、
形になったこと、
変えれたこと、
動いたことが沢山ありました。
これは本当にビックリでした。

沢山の素晴らしい人達に出逢い、
沢山の応援や感謝の言葉を聞き、
どんどん事が前に進んでいきます♪
それが嬉しいし、面白い♡

前から知ってはいましたが、
議員としての報酬はあまり多いものではなく、
父島に行ったり、内地で独自の議員活動をしたりするので、
金銭的には議員になる前よりも厳しいのは事実ですが、
この人の為になっている手応え、
感謝される嬉しさは、とても想像を超えていました。

家族は勿論、島民の皆さん、島外の皆さん、
沢山の方に支えられています。
シビアな話もあるので、一概に楽しいというのは語弊があるのですが、
すごく手応えのある毎日を過ごさせてもらっています。
自分にこんな経験をさせてくれて、
本当に皆様、ありがとうございます!

ぜひ4年後に色んな人が立候補してほしいと切に願っています。


■さてさて、日々の議員活動や議会報告はHPを作っているので、
興味がある方はそちらをご覧ください。
Facebookページの方が日常的によくアップしています。
ぜひ覗いて、”いいね!”をしてくれることでお知らせが届くようになります。
LINEの公式アカウントも作っちゃおうかなと思ったりしています。

先日は父島と母島で議員有志による議会報告会を合同で行いました。
その様子はYoutubeで生配信をして、アーカイブも載せてあります。
議員になる前から目指していた、開かれた議会になるための貴重な第1歩でした☆

会場に来た島民はどちらも10人に満たない程度でしたが、
配信は生配信とアーカイブを合わせると200人の視聴があり、
配信後に「見たよ~」「やっぱりアーカイブも大事だね」
「子供と一緒に見たよ」
など言ってもらえるので、本当に良かったと思います♪

わざわざ足を運んで会場に来てくれた皆さん、
わざわざ時間を割いて配信を観てくれた皆さん、
本当にありがとうございました!

大先輩の議長や参加してくれた議員の皆さんも、
この自主的な報告会は村議会始まって以来のことだそうで、
すごくいい動きだと言ってくれて、とても嬉しいです(#^.^#)
まるで、みんなで議会というカヌーを一緒に漕いでいるようです♪

ですが、まだこの報告会などは公務ではなく、
僕が父島に行く旅費や滞在費はすべて自腹ですし、
父島から母島に仕事を休んで報告会に来るのは難しいスケジュールだったので、
色々課題は残っています。

しかし、まずはこういう動きが出来るだけでナイス!と思っています☆
年4回の議会毎にこの活動は続けていこうと思っています。

そして、少しずつ、島民にとって遠かった議会という存在が
より身近になればと思うのです。


■さて、前回の記事で4年ぶりの母島返還祭の感動をアップしましたが、
その時に実は議員活動も同時並行でした(#^.^#)

2日目の当夜祭の日、
日帰りで伊豆諸島の首長や議長さん達、三宅正彦議員の皆さんが来島し、
母島の視察を行い、僕も同行しました。

5月の内地出張時にお会いした方がほとんどで、
ホームである母島まで足を運んでくれてとても嬉しい再開でした(#^.^#)

何度か母島に来ている方もいますが、
やはり初めて来た方は、
ここまでの道のりに心底驚いていました。

僕達にとって1000㎞を24時間(母島は+2時間)かけて移動するのは、
普通の事と思っていたのですが、
どうやら違うようでした。
そりゃそうですよね(笑)。

そう言えば、以前
「小笠原の人って、新島とか八丈とか、みんな長いと思っている船旅に、
 全然長くないよ~、あっという間だよね」
と島関係の人に言われたことがありました。
そうそう、小笠原島民あるあるなんです(笑)。

逆に飛行機で北海道へ1000kmを2時間で行ってしまうと、
間隔がおかしくなってしまうほどです(#^.^#)

島はコウモリ谷農業団地や脇浜カメ生け簀、
旧ヘリに御幸ノ浜展望台(ソーラー予定地)、
新ヘリに都道最南端、ロース記念館と日帰りなだけに
怒涛のスケジュールでした。


なんと同い年であることが判明した利島の村山村長☆
彼も迅速に小笠原視察をブログ(利島村長 村山将人の非公式活動報告)にアップしてくれていました。
記事が迅速で素晴らしい!
あの短時間で住宅地まで見て回っていたとは驚きです☆
見送りSUPも喜んでもらえて嬉しかったです♪

5月に新島に訪問した時
その後の議員研修でも、お会いした新島の木村諭史議長も母島に来てくれました。
なんと初の母島でとてもこの距離に驚いていました。
若手議員としても活躍されていて、
今回も若手議員の会に僕を誘ってくれたりと、
勢力的に活動している頭脳明晰な頼もしい島議長さん(中央)です。
限られた日帰り視察で、石次郎海岸に行って泳いで、人助けまでしていて、流石でした♪

御蔵島の栗本議長(左)も久しぶりの母島来島だそうで、
とても喜んでくれていました♪

内地出張時も僕によく声をかけてくれていて、
とても有難いです(#^.^#)
僕はまだ御蔵島に行ったことが無いので、
近いうちに伺いたいと思っています!!


八丈島の町長さん、議員さん、八丈太鼓6人会の皆さん、役場の方は母島1泊で、
しっかり返還祭の当夜祭も楽しんで過ごしておりました☆

僕が出演に撮影に忙しく、ゆっくりは話せなかったのですが、
一緒に盆踊りをしたり、同い年の職員さんもいたりして、
とても楽しい交流となりました♪
美味しいお酒にクサヤ、ありがとうございました♡
また八丈、お伺いします!!

7月に入り、今度は参議院議員の朝日健太郎さんが母島にも視察に来てくれました。
5月の出張時にご挨拶に伺い、199㎝の長身を間近に見て驚いていましたが、
実際に母島に来て拝見するとやはりビック過ぎます☆

小笠原村議会の池田議長と一緒にパシャリ!

朝日健太郎さんは元全日本バレーの選手で、
なんと父島、母島のバレー遠征前の練習にも顔を出してくれました♡
家に帰って来て、次女が「ものすごく手加減が上手で、速いのに的確で返しやすい球を打ってきたよ!」
と言っていて、プロの凄さを垣間見たようです。
本当にありがとうございました!

こちらもしっかりと見送りSUPで見送りました☆

乗っている人と目が合う、リアクションが分かるのを
沖合でできる見送りサップはやはり楽しいです♪

何度もははじま丸船長とは話をしてありますので、
そこはご安心ください(^^♪


■議員という立場になってみて、確かに多岐に渡る活動がある仕事だなと感じています。
まるで学級委員の様に、
みんなが気軽に一度はやってみていいのでは?と思っています。

一方、いざ当選してしまえば一般質問すら一度もしないで、
議会に顔を出して、出張だけしていることも成り立つのがまた議員なのです。

自営業をしながらではないと、
生活しながらは続けていけない現状の報酬額が悩ましいです。

僕はゴミ回収、便利屋、介護ヘルパーに郵便と宅急便の配達、畑をしながら
合間に議員活動を行っていますが、
自費で父島や内地に行った場合などはすべてマイナスなだけでなく、
仕事を休んだ分さらにマイナスになります。
議員になる前よりは赤字なので、やはり難しい部分です。

なかなか若い世代が議員をやれないのは、
こういった部分もあると思うのです。

でも兼業で議員をするというのは、
半民半官のように現場感覚を忘れずに、
かつ議会に関われる存在として、とても有意義なこととも思います。


今回は若手で期待もあり、
沢山の票を頂き、トップ当選と言う有難過ぎる結果でしたが、
4年後の選挙でまた選ばれるとは限りません。

少なくとも、今まで停滞に停滞していた、
議会を知ってもらうという、
まち作りに当たり前だった部分を、
誰が議員になっても開かれた議会になるように仕組みを作って行ければと思っています。

まずは議会を知ってもらう事、興味を持ってもらう事!
そして少しずつ関わってもらう事!
それまで色んな改革を続けていこうと思います。

議員という仕事はとてもやりがいがあって面白いと実感しています。
4年後にさらなる若手や女性議員が誕生することを祈ってます(#^.^#)

あなたもぜひ議員に挑戦してみませんか?