小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

母島の師走

2019年12月21日 | 母島 日常 日記
■師走に入り、文字通り超忙しい12月。
冬の畑はもちろん、
僕は出ませんが、スポーツ交流にクリスマス子供大会、ライヴなどなど地域の行事もあるし、
宝島会議や青年会、忘年会、消防団の出初式の練習、その他諸々走り回っています。

オナガミズナギドリの巣立ちがほぼ終わり、
母島のガジュマルにクリスマスイリュミネーションが点灯されました。

島のクリスマスはミズナギドリが運んでくれるのです(#^.^#)

これを取り付けるのも私達、青年会のお仕事です♪

本当にささやかで素朴な数の電気ですが、
取り付けの時に小さな子供の事までを、みんなで良く考えて取り付けました。

木登りが得意な人が登り、
下の人は紐や電気を渡す連携。

今年も無事に事故もなく取り付ける事が出来ました!
ありがとうございました♪



■母島での今年のクジラ確認は11月27日でしたが、
この目でちゃんと拝めたのが12月8日でした。

その日からはどんどんと見える様になり、
もう集落からも見える様になりました。

お帰りなさい♪

ミズナギドリの巣立ちが終わり、クジラが見えるようになると、
ああ島の冬が来たなぁ~という感じに僕はなります。

雪も霜もないけど、
そんな母島の冬の到来がが僕は結構好きです♪

今年は日中がまだ30℃近く暑くて、
ちょっと暖冬ですけどね。

子どもの頃から好きだった鯨類。
今こうして、イルカもクジラも日常的に見れる母島に暮らせて本当に有難いです☆



■毎年恒例、母島だけのクリスマス子供大会。
子供達の歌や演奏、お母さん達の劇に婦人会手作りのケーキなど盛り沢山です。

私達青年会は今年は「母島横断ウルトラクイズ」を初運営。

いつもは劇をやっていたのですが、今年は新しい試みです。
「母島メグロは世界でも母島にしかいない。○か×か?」正解は×。向島、妹島にいます。
「オガサワラゴキブリは小笠原の固有種である○か×か?」正解は×。南西諸島や九州にもいます。
など色んな、ひっかけ問題を駆使して、
残った10人にでかお菓子をプレゼントしました♡

自分でもびっくりするほど盛り上がり、とても喜んでもらえて嬉しかったです。


■12月上旬には学校行事のロードレース。

うちの次女さんはこの日の為に毎朝走る練習をしていました。

今は好きですが、
子どもの頃走るのが大嫌いだった僕にとってはありあえない朝練(笑)。

なんと小学4年生で3000mを13分51秒で走り切りました。
練習より1分もタイムを縮めるとは(笑)。

走るのが好きな子も苦手な子もよく頑張りました♪
地域の皆さんも応援が素晴らしく、毎回泣きそうになります(ToT)/~~~


■僕は平日の午前はほとんど山の中での仕事なのですが、
昨日の乳房山(職場)で見つけた可憐な花がありました。
シャリンバイ ー車輪梅です。


遠くに父島が望める乳房山の景色。
こんな景色を見ながら仕事できるなんて、本当に有難いです(#^.^#)


毎日違う圧倒的な夕陽を眺めていると、
いつも心がクリアになります。


今回はなんか特別感がありました。

綺麗だったなぁ~

まさに黄昏って感じです。

その後の夜はもの凄い雷雨でした。
もの凄かったです。

季節の移り変わりの節目を感じました。

自然が織り成すシンフォニー。
それを感じれる環境に感謝です♪


■母島の農業用水ダムである玉川ダム。
先日の雷を伴う大雨でなんと3年ぶりに貯水率が100%になりました!!

本当に有難いことです。

オーバーフローしているのを見るなんて、ほんとうに久しぶりです。


これで来春の水不足は心配しなくて良さそうです。
この2年間の渇水は深刻でしたからね。

ダムの満水8mの表示。
これが本当に久しぶりなんです。


ダムにいたヒドリガモさんものびのびとしておりました(笑)。



■12月8日には父島にて小笠原消防団 創立50周年記念式典がありました。

母島からは団員は僕だけでしたが、出席してきました。

10年前、父島の消防団に所属していたので懐かしい顔ぶれが多く、とても実りあるいい時間を過ごす事が出来ました。

親子2世代で団に関わっている人も多く、
50年という歴史の中、
消防署のない小笠原において、島民の生命財産を守る為、
島の安心安全のために活動してきた団の功績を沢山知る事が出来て、とても誇らしい気持ちになりました♪

どうもありがとうございました!


■あと忙しいのは畑ですね。
台風21号で全滅した圃場も今は冬野菜が拝めるようになりました。

ほとんどが倒れてたり枯れてしまいましたが、
晩生のうちなーローゼルが少しだけ小さい実りを迎えています。


ブロッコリーは定植したばかりです。


沖縄で頂いた乾燥に強いサトイモのココヤム(ちんぬく)。
台風で塩枯れしてもやはり強いです。

母島の隠れた主食と僕は思っています。

大根はまだまだ間引き段階です。


島らっきょは来年の3月頃まで成長を続けます。

実はこれは葉っぱも薬味として美味しいんですヽ(^o^)丿


これはミラクル・ツリーと呼ばれるモリンガです。
ようやく茂って来ました♪

こうして母島の師走は過ぎていきます。
今日は土曜日。
きっと内地はクリスマス一色なのでしょうね。

良いお年を迎えて下さい☆

MAKANI PILI~海の風 母島ライヴ

2019年12月17日 | 音楽
■美しいハワイの波の上を、華麗に乗るサーファーの写真。
そこにはポリネシア人の顔が浮かび上がっている…

その写真を撮影した伝説のフォトグラファー、佐藤傳次郎さん、
世界を股にかけて活躍するギタリスト、西藤ヒロノブさん、
カリンバにパーカッションにギターで世界を駆ける、Kazzさん
圧倒的な歌声で存在感のあるOne&Onlyなヴォーカル、Leyonaさん、
そのみんなを底辺から楽しい笑顔で最高のベースで支える、小泉P克人さん

この皆さんが母島にやって来て、素敵な映像を上映しながらBGMを生演奏で演出するという粋なライヴが、
ついに母島に上陸しました♡
いやっほう!!

Makani Piliはハワイ語で「海の風」という意味だそうです。

まさに母島に心地よい風を吹かせに来てくれました♡


■凄く素敵なライヴでした!!
伝説のフォトグラファー佐藤傳次郎さんの映像に合わせた最高の演奏。

普通の映画上映と違い、いつも生で演奏されるので1度も同じことがないスリル感。

日常に一気にカンフル剤を撃ち込まれた印象です♡
この小笠原でこのクオリティーの映像とサウンドを味わえる奇跡。
ホント最高でした!


ルーパーや空間系のエフェクターを駆使しながら、
気持ちのいいサウンドを作り上げる西藤ヒロノブさん。
超カッコ良かった!

小笠原ミュージックフェスの設立メンバーだそうで、そこからの縁が繋がったのが嬉しいです☆


安定のベースでみんなを支え、
どんどんグルーヴを増してくる素敵な小泉P克人さん。
演奏を心から味わっていて、すごく楽しそうなのが印象的でした。

実は打ち上げで超サッカー好きが判明し、盛り上がりました♡


カホンにカリンバにジャンベにギターと縦横無尽に楽器を変え、
気持ちのいいアクセントを入れて、後半には素敵な歌声まで披露してくれたKazzさん。

すごいな~!カッコいい!

なんと30年前にKANさんとアメリカで会っていたという驚愕の真実が(笑)!!


圧倒的な歌声で聞く側を虜にしてしまったLeyonaさん。
もっともっと聴きたかったです♪
過去にセッションしたこともある忌野清志郎さんの名曲で締めくくりました。
リハの時に歌った「スローバラード」、会場準備しながらシビれちゃいました(#^.^#)

個人的には自分の出番を静かにノリながら会場の後ろで待っている後姿がすごくカッコ良かったです☆

母島でこんな歌声を聴けて最高の気分です♪


そして会場の色んな所で会場の雰囲気を味わい、
細心の注意をして気を配りながら、
時にはマラカスでフォローする佐藤傳次郎さん。

傳次郎さんのどうやって撮影したんだろうと思える、
波と一体化したサーファーを、自然と一体化して撮影する凄さ。
圧巻の美しい映像でした。
「Footwark」「MANA」ど題された2つの映画、
それに合わせて奏でられる4人のサウンド。

タマラナカッタです♡

凄い人なのに屈託のない笑顔で、打ち上げではダジャレが連発して、大爆笑でした☆


そして、それをPAでずっと支えている人、
会場の素敵な装飾をデザインしてくれたふたり、
この企画を受け止め、みんなを運営してくれたKANさん、
サーファーとしても学校側としても色々動いてくれた人、
サーファーとしてリスペクトするみなさんを快く泊めてくれたNさん、
宿としてもライヴ中に傳次郎さんの子供達を預かってくれたファミリー、
子守りに受付に様々な所で動いてくれたメンバー
片付けに準備に関わってくれた皆さん。

450人の島でなんと65人も集まって会場を暖めてくれたくれた母島の皆さん。
ここでは書ききれない
まだまだいっぱいの人がこの素晴らしいライヴを支えてくれました♪

沢山の協賛金も集まりました☆
素晴らしい1日をどうもありがとうございました♪



■僕は映像の機材、
あと写真を撮る部分でスタッフとして関わらせてもらいました。

中々島で味わえない貴重な瞬間をこうして深く関わらせてもらえて、とても有難かったです。
聴いていてすごく気持ち良かった♡

会場の後ろには傳次郎さんの伝説の写真のポスターが貼られました。

超カッコいい!!


■たった1泊しか過ごせずに、それがとても残念でした。

この日は朝から都住清掃、その後にクリスマス子供大会、
そしてライヴと怒涛のような最高の1日でした(笑)。

ライヴ当日は日付が変わるまで飲み明かし、
翌日はみんな笑顔で見送りました。

昨日は父島の福祉センターでライヴ。
今夜はやすおん家でライヴです。

父島の皆さん、ぜひハワイの風を感じに行ってください♡


友達の死から教わること

2019年12月13日 | 母島 日常 日記
■今日は畑で大根葉の間引き作業をしていて、
ふと自分の友人や知人の死について考えました。

自分自身、38歳になり、人生で何度か友人・知人の死を体験します。
僕は15歳で父を亡くし、26歳で母を亡くしています。

特に今年は年明けから若い友人の旅立ちが続きました。

大事な人の若い死は本当に悲しく、遺された家族の事を思うと胸が張り裂ける気持ちです。
とにかく、親より先に死なないでほしい。

でも、若くして亡くなった友人や知人の死を思うとき、
なんだか自分の胸の奥が厳かになっていくのを感じました。

今、かけがえのない日常を
大好きな家族と大好きな母島で過ごせる有難みを感じたのです。

友の死がもたらすものがありました。


■まだ僕が20歳の頃、
西表島のユースホステル「いるもて荘」でヘルパーを半年していた頃、
朝まで良く飲み明かす、仲良くなった友人がいました。

名前は「城(じょう)くん」と言いました。

彼も内地から島に働きに来ていて、
確か年も10歳は違わなかった気がします。
とにかく、色んな事に挑戦する気概のある青年で、いっぱいよく話して過ごした気がします。

彼はダイビングショップや宿の職場を転々とし、
色々人間関係に悩みながらも、大原地区にあるシーカヤックのショップに務めることになりました。

僕が半年の西表生活を終えて、引き揚げる時にそのショップに遊びに行き、
一緒にパナリまでカヤックで出かけました。

途中から競漕になり(笑)、腕がパンパンになりながらも勝った覚えがあります(#^.^#)
「ジャイアン、すげぇなぁ!ガイドやってる俺より速いんだもん!!」
ホントかウソか、手加減か分かりませんが、
人を認める強さを持つ、素直な優しい彼の人柄が僕は大好きでした。

その5年後、小笠原で結婚し、子どもを授かり、持続可能な暮らしを求めて、
家族で1年間WWOOFを巡る旅に出た時、古巣の西表にも寄りました。

家族を連れての西表は懐かしいいるもて荘の女将さんに会えたり、
初めてのローゼルに出逢って種をもらったり、色んな収穫がありました。

※当時3歳の長女と僕 2006年12月沖縄多良間島にて

最後に懐かしい城くんに会うために大原地区のカヤックショップに顔を出しに行きました。
すると、ショップの店長が
「おお!ジャイアンか!久しぶり!!」と覚えてくれていました。
そして、城君の事を聞きました。

「城?ああ、あいつは死んでしまったよ」と言われました。
僕は頭が真っ白になりました。
えっ?死んだ??あの城が!?なぜ??

店長は語ります。
「あいつはいつも冒険に飢えていて、ここのガイドでお金を貯めて、
 与那国から沖縄本島をカヤックで渡る冒険に出て行方不明になってしまった。
 行方不明になって1か月後、無人のカヤックだけが宮古島(うる覚えです)に流れ着いたのが発見されたんだ。
 すごくいい奴だったんだけど、なんかいつも何かに満足できなかったんだよな。
 本当に残念な出来事だよ。」

確かに、大好きな城くんはいつも貪欲で色んな事に挑戦する気概のある男でした。
でもまさか、そんな無茶な冒険に出ていたとは…

僕は予期せぬ友人の死に気落ちしていました。
西表から離れるとき、妻が言いました。
「あなたは漂流して生き残った。
 お友達の彼は亡くなってしまった。
 そこに何の差があると思う?

 たぶん、あなたはこの世にまだやらなくちゃいけない事が残ってるのよ」
そう言われて、少し気持ちが戻りました。

そうか、亡くなった大好きな彼の分も生きなきゃいけないな。
心に強く思いました。

※当時3歳の長女 2006年12月西表島いるもて荘にて

■そして、今年の1月、母島に以前家族で住んでいて、
その後、屋久島に行ってレストランを経営していた友人が亡くなりました。
死因は癌でした。

彼はとても料理が上手で、
彼一流の考えを持っている素敵な男でした。
ギターも歌も良くて、僕と趣味も合い、とても大好きなやつでした。

一緒に仕事もしたこともあり、
彼の人生哲学はとてもカッコよく、まさにナイスガイでした。

去年、急に倒れて、病院に運ばれて癌のステージが4であるとFacebokに書かれていました。
本当にびっくりした。
まだ40代前半です。
治療のための募金も集めていて、早速僕は電話して募金しました。

久々に電話で話す彼は、いつも通りで、どんな状況も前向きに楽しむ強さを持っていました。
きっと大丈夫と思っていたのですが、
あっと言う間にあの世に旅立ってしまいました。

晩年には仲間たちが集い、
ステキなライヴも企画したりして、
彼の人生に魅せられた素敵な人徳を感じました。

彼がギターを弾き、幼い娘が歌った映像がありました。
曲は僕らが大好きなゆらゆら帝国の「うそがほんとうに」でした。
すごく、いい演奏でした。

でも、死ぬには早すぎるよ。
バカヤロー!!大好きだったぞ!!!


■夏にはごく身近な友人が亡くなりました。
彼も癌で40代でした。

島で百姓をしていて、自然農もパーマカルチャーも知っていて、
僕にとっては一番そんな畑の話ができる先輩でした。

島で食料自給しなければダメだと、
お互いが意気投合して一晩中話したこともありました。

ハンサムで気さくな笑顔をもつ彼の事が僕は大好きでした。

入院しても多くの仲間が内地の病院にも駆けつけて、
治療費の募金活動もあって、多くの友人に恵まれたなと心底思える人柄でした。

離れて暮らしてはいたけど、素敵な息子もいて、いいパパでした♪

なのにこんなに早くに旅立つなんて。
本当に悲しい…


■その後も秋に小笠原の色んな事業を支えるとても重要な40代も亡くなり、
島はそのショックに包まれました。
あんなに普通に話していたのに…

色んな事情で家族と離れて暮らす40代男性の死が今年はあまりに続いていました。
どうしてなのでしょう?

生活が不摂生になってしまうのでしょうか?
男の厄年は数え年で25歳、42歳、61歳と言われ、
特に42歳は大厄と言われています。

何か大きな節目となる年なのでしょうか。
理由は分かりません。

僕も来年は父が亡くなった39歳になります。

子どもの頃は周りが言うほど「若すぎる」が分かりませんでしたが、
今でこそ分かります。
30代で亡くなるという早さを。

僕は輪廻転生を信じてるし、
周りいる家族や友人はソウルメイトと思っているので、
極端に言うとさほど死は怖くないのですが、
まだまだやりたいことが山の様にあるので、
もう少しは元気に生きたいと思うのです。

願わくば、みんなが望むピンピンコロリがいいですね。
僕も尊厳死を望んでいます。

死んだら粉にして海に流してもらえれば充分。
お墓なんていらないです。


■偶然ですが、今日は大好きなhideの誕生日です。
今日、職場で同じhideファンに言われてハッとしました。

33歳でこの世を去ってしまった偉大なミュージシャン。

中学の時にX JAPANにハマって、hideのソロライヴは何度も足を運びました。
あんなに楽しかったライヴ経験は他にないでしょう♪

思春期の僕にはあまりに影響があった存在です。
彼の音楽も演出もインタビューやTVで話す彼の言葉は、
若い僕の心に響きまくりました。

とても優しく、人を楽しませるセンスに長けて、常に新しい事に挑戦するhide。
「何にもないって事、そりゃあ何でもありって事」
「人を楽しませたければ、まずは自分が一番楽しまないとね」
「やっぱね、やってなんぼなんだよ」
今でも走馬灯のように彼の言葉は僕の心に響いています。

奇抜なルックスと音楽は20年前とは思えず、今でも新しく感じます。
常に楽しみながらも、新しい事に挑戦する大事さを教えてくれます。

List in peace hide.


■亡くなった大切な人を想うとき、
自然と息は大きくなり、
気持ちが厳かになります。

ご冥福を祈ります。

ふと何かを見失ったときは、
もうこの世方旅立って、
どこかにいるみんなが支えてくれる気がします。

死は誰にでも平等にやって来ます。
怖いものではなく、当たり前のもの。
人によって早いか遅いかだけです。

そんなことをふと考える師走の畑でした。

東京島嶼間 交換留学ってどお?

2019年12月08日 | 東京宝島
■先日の宝島会議の2次会で、
「子供が大きくなったら母島に留学させてほしい」と伊豆諸島のある島の方に相談されました。
それはお互いにとってとても面白そう!と思い、ぜひ!とお返事しました。

この時はまだ、個人対個人の他離島体験みたいな感覚でした。
しかし、母島に帰って来て、山で仕事していたら突如思いついてしまいました!!

【東京島嶼間 交換留学】というアクションプランはどうだろうか?と。


■数年前、八丈島から来た父島の高校の校長先生と話す機会がありました。
そこで、子どもが島を巣立ってから戻って来ずに、
どんどん過疎化が進む現状。
それを打破すべく、
島に在学する中学や高校のうちに、
一時的に島の外の生活を経験し、
客観的に自分の島を見つめ直すことで、郷土愛に気付き、
“いつかは大好きな島に戻ってくるために内地に勉強しに行きたい”と島に在籍しているうちに考えるきっかけを与えるというものでした。

そう、今までは島を巣立ってから、
どっぷりと内地の社会に飛び込み、揉まれ、流されていくケースが多かった所に着目し、
島に在学中に外から自分の住む島を、外に出ることで客観的に見る機会を得て、
自分の島がこんなにも素晴らしいと自覚し、
意識的に島に戻る目線で内地などの社会に飛び込むというものです。

色んな形の交換留学をやってみたようです。
過疎化や人口流出に苦しむ島のリアルな現状です。

それを始めてから数年。
徐々に島の若者が自意識的に島に戻ってくるようになってきたというのです!


■そう、島で生活をしていると、当たり前の事過ぎて気付かない事が沢山あります。
・夕日が綺麗なこと
・海が綺麗なこと
・クジラやイルカ、魚がいること
・みんなが優しいこと
・治安が良いということ
・車が少ないこと
・子供が大事にされるということ
・コンビニがないということ
・カヌーを漕げるということ
・多年齢で遊べるということ
・周りの大人が信用できるということ
…etc
それらすべてが、島にいる子供にとっては当たり前の日常なのです。

でも、少し外で生活してみると、
その当たり前の日常の有難みに気付くことがあるのです。

現在、カナダで高校留学しているしている長女ですが、
小5に信州・高遠に山村留学
中1にニュージーランドにホームステイ
中2にバリ島のグリーンスクール主催のキャンプに参加、内地の高校見学
中3にカナダの内陸と島訪問、内地の高校見学、ガラパゴスの学生との交流ニューヨークの学生をホームステイで受け入れる
高1にSHIPに参加しハワイ島で高校生と交流
と、意識的に外の経験をさせてきました。(おかげで家計はスッカラカンw)

勉強よりも何よりも生きる力を身に付けて欲しいと願ったからです。
長女は人とのコミュニケーションに長けていて、何よりも思いやりと優しさを持っている。
でもそれは日本の消費社会と学歴社会では評価されない部分だと思ったからです。

運もよく、沢山の素晴らしい出逢いがあり、
本人の努力もあって
長女は中学生のうちに英語はとても達者になることができました。
本当に感謝です。

お蔭さまで今はカナダの島で楽しく過ごす事ができているようです。

ハワイに行って、色々経験し、
長女は最近恥ずかしいと思っていた島の南洋踊りに誇りを持てたそうです。

まだ長女も高1なので、これから社会に生きる身です。
今後の心配は沢山ありますが(笑)、
やはり、島に在籍している中高生の時期に、
外の世界に触れて、過ごすという意味合いは大きいと思うのです。

これはもう確信しています。


■今回の東京宝島SHIP、様々な活動のお蔭で、
伊豆諸島と小笠原が少しずつつながってきています。

観光関係や議員・行政の視察ではなく、
島民同士が島の地域の未来を見据えての交流が始まってきているのです。
参加したメンバーが「これは今までになかった事だ!」と口々に言っていました。

そこに子供の島間の交換留学。
どんなにワクワクすることか!

Facebookで呼びかけてみたら、賛同してくれる東京の島々の仲間が沢山いました♡
まずは無理のない個人同士のレベルでいいから、
少しずつ、島の子ども達の為に実行していければと思うのです。

知り合いが知り合いと紹介で繋がっていく無理のない島嶼交換留学。

今、思っているのは
小学校高学年から高校生までが対象で、
短期~長期で子供たちが自分の島から少しだけ出て生活してみて、
自分の島を子供目線で客観的に見つめ直すというものです。

どうでしょう?
面白くないですか?

子ども達が大海原を羽ばたいて行くイメージです!!

子どもの少ない島から子供を出すのも交換なら、
きっと得られるメリットも大きいはず!(年齢は違ってもいいでしょう!)

もちろん、費用はお互い実費負担が良いと思います。
行政や教育委員会の理解と協力は必要ですが、
なるべく、島のヒト自身が動いてやっていくのがミソな気がするのです。


■子供たちにとっての母島の日常って、他からすれば新鮮過ぎると思うのです。
それは母島の子ども達にとっても、他の島が新鮮であるように。

父島の見送り風景、母島の素朴なものよりダイナミックでとても有名です。
どっちも良さがありますね。
島に留学して、最後にこうして見送られる。
どんな気持ちになるでしょうか?

島で暖かい人と触れ合って、
内地に戻る人にはこれほど感動するフィナーレはないでしょう♪

多くの観光客が感動する見送りですが、
どっぷりその地域に関わって離島する時の見送りは、
全然感動のレベルが違います。

こちらは母島の見送り風景。

クジラののぼりが手で持たれ、
ノリさんによるウォーターアート、
素朴なみんなの見送りです。

父島のそれとは違い、
見送り側と見送られ側が近いのが母島らしさ。

母島の見送り船は年度末の卒業シーズンなど、特別な時にだけ見られます。


ははじま丸の周囲を飛ぶカツオドリだって、
なかなかこの距離では他では見れませんよ?


母島にコンビニおにぎりなんて売ってない。
内地に行くときに妻は美味しいローゼルおにぎりを握ってくれました。


次女も精一杯、お見送りの一品で送ってくれました。(この時は3日後にはトンボ帰りで戻ってくる内地行きだけどw)


お金では買えない、経験というものを島の子ども達にはどんどんさせてあげたいです♪

僕が高校を卒業して、小笠原へ旅に出ようとしていた時、
高校の恩師が
「その土地を離れるとき、自然と涙が溢れるような出逢いをいっぱいしてこいよ!」
と言われました。

今ではその意味がよく分かります。
お金では買えない出逢いという財産です。


■ハワイに島の子どもを連れて行くプログラム「SHIP」でもそうですが、
島の子どもは海で隔絶された「島」という地域性を自然と理解しています。
これは内地の子では身に付けるのが難しい感覚だと思うのです。

大人も子供も生き物も、一つの島で暮らしているという感覚。
それは見えるコンパクトさとも言えるかも知れません。

自分がこれから生きていく上で、
どう島に関わっていくかを学ぶきっかけとして島嶼交換留学があると思うのです。

僕は別に子供が自分の島に戻って来なくていいと思います。
でも島で培った感覚、感性は絶対に生きるのに必要なものだと思うのです。

そして島の子ども達が自然と理解している、
人間らしい暮らしの本質というものを、
ぜひ未来に生きる力にしてほしいのです。

東京の島のみなさん、
ぜひぜひ声を上げて関わってほしいです!

どんどん夢は膨らんでいきます♪
東京の島の子ども達、そんな母島にまずは来てみませんか?

島と島が「つながる」感動。(東京宝島 全体会議)

2019年12月01日 | 東京宝島
■先日、内地に船内2泊、内地1泊の強行でとんぼ返りしてきました。

島を渡るカツオドリの如く、(小笠原諸島のカツオドリはパプアニューギニアで見つかったことがありますw)
内地という大海原で貴重な経験をしてきました。

目的は東京宝島の全体会議(伊豆諸島と小笠原諸島のメンバーが一同に集う会議!!)に出席する為でした。

今回は各島のブランドコンセプトの中間発表と島同士の交流がメインでした。

母島の人口並の人数の前で話す機会というのはありません(笑)。
母島の地域コーディネーターとして発表してきました。
本当に貴重な機会を頂けて、有難い限りです♪

しかも一番遠い母島はプレゼンの順番が最後ということで、
ドキドキしながら臨みました(#^.^#)。

結果的に各島のみんなのヴィジョンも考えもとても面白い、最高の時間でした♪
内容的にはまだ中間発表なので、ここで伝えることは控えますが、
新しいガイドツアーや集える場所づくり、新商品に、新顧客アピールなど
どの島もよく練られた素晴らしいものでした。

そしてそれ以上に、
東京の島々の人間がこうして繋がれたことが本当に嬉しくて、楽しかったです♪




■内地で数百人を前にプレゼンするというのはなかなか無い機会でしたが、
結構反響も良くて、楽しかったです(*^_^*)
※持ち時間10分なのに5分押してごめんなさい!

母島からも島の紹介と、
課題出し、そして来年に行うアクションプランの現時点での中間報告でした。

参加者にとって、あまりにとてもとても遠い小笠原。
航空路がなく、週に1度のアクセスのみなので、来たことがある人はごく少数です。

そんな、なかなか来れない母島を紹介するには、
うってつけの映像があるのです。

それは2016年KWNパナソニックビデオコンテストで最優秀賞を受賞した、
母島の小学生が作った映像です。

「つながる」(英語字幕版)
小学生が脚本、撮影、編集を行ったこの作品、
会場の多くの人が感動してくれました。

大人が作るアカデミックでも、オシャレでもない、
素朴な子供目線の映像は、観る人の心を捉えていました。

「あの映像は泣ける」
「すごく感動した!」
とコメントを頂きました。

あの映像作品を作るにあたって、
色んな方の協力があり、
見事に花が咲いた場面でした♡


■そんな島の紹介をした後に、
「ガジュ下」(ガジュマルの木陰の下)を象徴とした島の魅力を伝えました。

現時点での母島のキャッチコピーです。(まだまだ変わる可能性があります)

【みんなが「らしく」暮らせる、母なる島。】

港の近くの憩いの場「ガジュ下」に行けば、この島のいつもの光景が待っています。
そこにあるガジュマルの木陰には、名もない今日という日を慈しみ、共に過ごす喜びを分かち合う島びとが居ます。
海と空の青さに、遠く目をやる大人たちの傍らで、子どもたちは遊び、
大人たちの言葉の端々にある島への愛を、音楽のように心に刻んでいます。
家族のように支え合い、お互いをねぎらう暮らし。美しい自然の恵みを感じ、食卓に並べるしあわせ。
ここにしかない大自然を、生きとし生けるもの全てが「らしく」を生きるこの島は、
人と人の絆を生み育む、母なる島。そして、人間が「にんげんらしく」暮らし続ける島。
都心から南へ1050キロ。東京から一番遠い島、母島。
大事なことは実はとてもシンプル。私たちの心のふるさとが、ここにあります。


これは住んでいて、母島での生活が当たり前の日常になっている島民にも向けています。
こんなにも素晴らしい所に住んでいるのだから。

その後に島の課題を伝えました。
とてもシビアですが、向き合わなければいけない課題です。

色んな分野で問われていますが、
母島での今の暮らし目線での課題はズバリ、
・地域力が低下してきている
・次世代の人材に不安(数年後の高齢化の気配がある)
・住居不足(住みたいのに家がなくて住めない)
・自立した産業、暮らし
・島っ子が帰ってこれるように(仕事がない)
・島で生まれ、島で死にたい(医療面の課題)
が挙げられると思います。

人口約450人の小さな島だからこその課題だと思います。
幸いにも島の雰囲気が明るく、若い世代の住民が多いこと、子どもが多いことが小笠原の強みです。
戦争で歴史も文化も分断された過去を持つ小笠原だからこそ、
田舎なのに排他的でない、変化を柔軟に受け入れるしなやかさを持っているとも言えます。

そう、小笠原はまさに今、文化を作っている最中だと思うのです。



■先ほどの課題を打破するために、
母島のメンバーで話した現時点でのアクションプランが「みんなが集って話す場を定期的に作る」でした。
これは島の外向けではなく、島外も島内も含めた目線です。

最近は各分野が分かれて話し合う場面が多いと感じるのですが、
みんなが一同に集まって、島の未来について語る場が必要になってきたのです。

【いどばた雑談会の開催】
・テーマ「母島の現在、未来を知り、考え、動く」
・立場や職場、年齢を超えた人が集まり、母島の良さや課題を見つめ直し、語り合う「場」。
・外からの目線や意見、技術で当たり前の良さに気付く事がある。
・目的はあくまでみんなが楽しく語り合う場を作ること。
・他人事から自分事へシフト。

きっかけやアピール、再確認の手段として、
その時の大事なキーワードを羅列したTシャツやエコバックを作るのもいいし、
冊子やSNSなどを利用して、人と人をつなげる。

人の根源に問うような母島にしか出せない宝島発信を島内外にしたいということになりました。

あくまで話し合うことが目標です。
そこが重要なポイントなのだと思います。


最後に母島のまとめとして、

「母島」というカヌーをみんなで漕ぐということ。

色んな人がいて、色んな考えがある。
でも、目的はみんな同じ。
幸せに暮らせるということ。

そのためにできる事を模索していきたい。

島の外と関わる事で気付く母島の魅力がある。
変化を恐れず、自然と人、歴史にリスペクトの気持ちを忘れずに動いていきたいとまとめました。



そして今回の東京宝島全体のトリということで、
全体のまとめもしちゃいました。


【テーマは“つながる”】

東京には宝島が11島もあります。
どれもが個性的です。

自分たちの魅力を可能性を再発見し、これからもっと幸せな未来へつなげる。

今回の東京宝島事業で“つながる”東京の島の人々たち。

これこそが本当の宝物だと思うのです。
このご縁を大切に確かな未来へ進んでいきたい♪

とまとめました。


■その後は一番の醍醐味、懇親会です。
時間が1時間と限られているのが悔しいほど、とても意味のある楽しいひと時でした♪

まず発表の場で最初に目に飛び込んできたのが、
カヌーのお師匠デュークさんから頂いた「TUNAGU Tシャツ」を来ている新島メンバーでした!!

僕のこの宝島におけるテーマが「つまがる」事だったので、
凄く嬉しい瞬間でした♪
早速休憩と懇親会でその方ともお話が出来て、似た志があると分かり最高でした(*^_^*)

1か月前に初めて訪れた式根島。
そこで暖かく受け入れてくれた式根島のメンバーの皆さんとも再会できました。

話に夢中で料理の写真を撮ってないのが悔やまれますが、
島の材料をふんだんに使用した素敵なケータリングの数々。

島酒も存分に用意されておりました。

そんな中、各島の人が絶妙な配置でばらけて交流することができました。
その後も2次会、3次会4次会まで(笑)夜が更けるまで、
島人同志で島の未来について熱く語り合いました。

この島嶼間の交流こそが、宝島事業での一番の醍醐味な気がします。
ここまでのジャンルを問わない交流は久しくなかったと思うのです。

素晴らしい発見と気付きがあって、とても楽しい意味のある時間でした♡
そのうちのひとつについては近いうちにブログに書きますね。


■24時間の船旅で15時に竹芝に到着し、16時に会場入りして(開始が15:30)、
そして夜遅くまで飲んで、翌朝の11時にはまた船に乗って24時間。
移動距離は2100㎞を超えます。

まさに強行スケジュール(笑)。

しかし、そんな中でも感動の場面はあります。

船上での朝6時。
多くの人が朝日を観にデッキに上がって来ます。

内地の忙しい生活に追われている時、
こんな気持ちで朝日を見ることはあるのでしょうか?

小笠原の旅が移動中の船の中から始まっている意味がここにある気がするのです。

ほんと色んな意味で強行でしたがとても実りある弾丸ツアーでした☆
関係者の皆さん、ありがとうございました!!


さあ、みんなで島という大きなカヌーをどう漕いで行くのか?
色んな気持ちはありますが、まずはみんなで漕ぎ出さなければいけません。

今回の宝島のお蔭でまずは漕ぎ出すことを始めれた気がするのです。
目標は決まっています。

今まさにその目標に向けて、どう舵を切るのか、問われているのです☆