小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

出逢いとお別れの季節

2018年03月27日 | 母島 日常 日記
■昨日はこの春に離任、転校、卒業するみんなの見送りの日でした。
毎年のことですが、島のこのシーズンはずっとお別れのムード一色です。

子供たちも至る所で謝恩会やお別れ会、
大人達は仕事の後に、
引っ越しの片付けをする暇があるのかと思えるほど(笑)、
毎晩のように送別会の嵐となります。

近年、教員はだいたい3年くらいで移動となります。
子供たちはもちろん、
日々お世話になっていますし、
青年会などにも積極的に関わってくれて、
地域の為にも沢山関わってくれた皆さん。
本当にありがとうございました。

そして、この春に無事に卒業を迎え、
母島を離れる子供達。
本当におめでとう!

高校のない母島では、
みんなが慣れ親しんだ故郷を15の春に発たなければなりません。

親としてはもっと身近に関わりたかった寂しさもあるし、
はやく、あまりにも平和と信頼で安心した島の暮らしから、
厳しい内地の世界に慣れて生きて行って欲しい親心もあり、複雑です。

少なくとも、
僕が仙台で中3を卒業したときは、
その後家を離れる事なんてまだ夢の中の事で、
何も考えないで生きていた気がします。

目一杯、心の奥からの衝動と現実のギャップに苦しむ中学の思春期。
いっぱい親に反抗したい時期なのでしょうが、
すぐ先に巣立ちを感じていると、
素直に反抗できないのではないかと心配もしたりします。

我が家の長女もいよいよこの春に中学3年生になります。
来年の我が身を想像しながらの見送りは、
なかなか感触深いものがありました。

■こうしてお別れをするたびに、
母島を離れるみんなにとって、
母島での日々はどんなものだったかに想いを馳せます。

島を離れる一人一人から言葉を頂きます。
こみあげる想いに涙が溢れ、
言葉にならない感情がヒシヒシと伝わってきます。

僕が高校を卒業し、旅に出る時に、
当時の担任の先生が話してくれました。

「その土地を離れる時に、涙が出てくるような、そんな素晴らしい出逢いをして来いよ!」

当時は、俺は男なんだし、そんな事ねぇだろ!
と思っていたものでしたが、
実際は男の僕でも涙が溢れることが沢山ありました(笑)。

でも思い起こしてみると、
色んな離島を旅して、
離れる時に一番泣いたのが母島でした。

今、そんな母島に自分と家族が暮らしているのがとても不思議です♪


■色んな想いが交錯するお別れの言葉のあとは、
小学校高学年による小笠原太鼓の見送り太鼓が披露されます。

太鼓の低い鼓動が、心を揺さぶり、
色んな景色が流れていきます。

このご時世、
内地ではなかなかできない様な人の繋がりが深い暮らし。
碧すぎる大空と大自然に抱かれて、
私達はそれぞれ精一杯、暮らしています。

寂しいけど、母島に暮らしていて良かったなぁと思う瞬間です。

子供たちの太鼓を浴びながら、
島を離れる皆さんはどんな気持ちに包まれているのでしょうか。


最後に記念撮影をして、それぞれお別れのあいさつの嵐です。

スポーツや文化など、色んなサークルに参加していた人もいるので、
船に乗るギリギリまで沢山の触れ合いが続きます。


サッカー部などは恒例の胴上げ(笑)!!


そんな想いを載せて、
ははじま丸は港を離れます。

いってらっしゃい!!

どうもありがとう~~!!!
元気でね~~!

時間の流れ

2018年03月20日 | 大切にしていること
■今年も気付くともう3月です。
卒業式や転勤など人の動きも活発で、
嬉しくも切ないこの季節。

先日、子どもと一緒にあまりに美しい雲と空を見上げて、
時間の流れの不思議さを感じました。


小笠原に住んで16年目。
結婚して15年。
今年の3月で37歳になりました。
自分でもびっくりするほど、あっという間に中年です(笑)。

妻が誕生日に美味しいキッシュを焼いてくれました♪
子供たちからもお祝いのお手紙を頂き、
Facebookなどでも沢山のお祝いのメッセージを頂きました。
どうもありがとう☆

僕の父が心不全で他界したのが39歳。
あと2年で父の年齢に追いつきます。

子どもの頃は周りの言う、
若すぎる死というものを理解できませんでしたが、
今は身に染みるほどよく分かります。

自分のやりたいことを具体化して、
それを突き進んでいる最中に空の上に飛んで行ってしまったのですね。


自分が幼少の頃の時間の流れ、
毎日がギラギラしていた中高生の頃の時間の流れ、
そして今の30代の時間の流れ、
どれも随分と違います。

子どもの頃の夏休みなんて、
今でいう1年くらいの感覚で、
一生続くんじゃないかと思えるほど長く感じていました。


それから学生になって、
1日の密度はぐっと濃くなり、
友達と過ごす楽しい時間はあっという間に感じる様になりました。

バンドを始めて、みんなでお金を出し合って、
スタジオ練習をしている2時間なんて、
楽し過ぎて、今の15分くらいの感覚です(笑)。



■それからは小笠原諸島に移住し、
結婚し、子どもがいる家族の生活ですが、
子どもの年齢と共にこちらの時間も随分と変わって来ました。

1~3歳くらいの子どもと遊んでいた時を思い返すと
そこいらの石ころひとつで何時間も遊べるほど、
身近な世界が広くて、
毎日のすべてが新鮮な時期だったんだなぁと思います。

親の方は初めての子育てで、
何も分からず精一杯頑張るので、
1日なんてあっという間です(笑)。

感覚的には子どもの頃の3時間くらいが
今の1日くらいかな?


妻と子供と同じ美しい景色を見ていても、
その人それぞれが違う時間の感覚を持っている…

人は死ぬまでにみんな1日24時間という、
平等な時間を頂いていますが、
時間っていうものはなんて曖昧で、
その人の時代と感情で、
時間の速さなんていとも簡単に変わっていくのです。


童話作家ミヒャエル・エンデの名作「モモ」で世界の時間をつかさどるマイスター・ホラが、
時計に対してとても面白い表現をしていました。

「時計というのはね、人間ひとりひとりの胸のなかあるものを、
きわめて不完全ながらもまねて象ったものなのだ。
光を見るためには目があり、
音を聞くためには耳があるのとおなじに、
人間には時間を感じとるために心というものがある。

そして、もしその心が時間を感じとらないようなときには、
その時間はないも同じだ。」
※「モモ」12章 モモ、時間の国につく より抜粋



その後の「星の時間」を見る時計の場面では、
生きていく中で素晴らしく色んなタイミングが合った場面を思い出させてくれる、
ハッとする瞬間がありました。
とても面白い本なので、興味がある方は読んでみて下さいね♪

どの生き物も一生の心拍数が決まっていて、
心臓がリズムを刻む速さでその生き物の寿命が決まっていると聞いたことがあります。

一生の心拍数は15~20億回だとか。
体重が大きなゾウやクジラの心拍はゆっくりで、人に似たテンポ。
寿命が50年を超え、長いです。

小さなネズミ、鳥などの小動物は速いテンポで鼓動を刻んでいます。
寿命は確かに5年未満など短いが多いです。

人は年と共に、その刻むテンポが遅くなっていきますね。
それと共に時間の感覚も変わっていくのかも知れません。


■先日は母島小中学校の卒業式が行われました。

島を離れる中三の4人にはどんな時間が流れているのでしょうか?

下級生や姉妹、親への感謝をスピーチし、涙が溢れます。
中学生で母島を離れる親と子の感情は言葉にできないほどです。

来年は我が家の長女も島を離れる年齢となります。
僕が中学3年生の頃なんて、
親元を離れる事なんて一つも考えず、
ただただ毎日を楽しむことだけに一生懸命でした。

母島の子供たちは、
先を見据えて生きなければいけない現実が迫っているのです。

どんな進路を彼女が選んでも、
親としてできる限りのことはしてあげたいと思っています。

2年前、長女と学校見学に訪れた自由の森学園の校長先生がとても素晴らしい言葉を語っていました

高校を卒業する若者にこういう風に語れる校長がいる学校はカッコいいと思います。

一部、抜粋です。
「早く、効率よく、なるべく楽に あたかも近道を探すように生きるのではなく、
自分にとっていい方法とは何かを考えて模索して選択していくことを大切にしてほしいと私は思っています。

限られた時間内で効率よく正解を出していくという「テスト学力」と「生きる」ということはイコールではありません。
世の中の常識や社会の風潮に流されるのではなく、自分の学んできたことをベースとした「観」に基づいて自分自身を生きるということを大切にしていってほしい。そして、そのような一人ひとりが尊重される社会を形成する一人であってほしい。私はそう願っています。」




■僕自身も30代半ばを超え、
体力も衰えはじめ、徹夜もできなくなりました(笑)。

それでも過去に戻りたいと思ったことはなく、
今が一番楽しいし、
これからやりたいことは沢山あります。

人それぞれに与えられた時間は、
その人次第で変わっていく、
そう思います。



子育てしていく中で、
子どもは今の一瞬を楽しむことに命をかけていると感じます。

その子供の魂から学ぶことはとても多いと思います。

何度もこのブログでも言っていますが、
明日死んでも後悔しないで、
笑って死ねるように、
今を一番に楽しんでいこうと思います♪

そして、その自分を支えてくれる家族や友人、島の皆さん、
本当に有難うございます(*^_^*)










東洋と西洋のガラパゴス交流!!

2018年03月14日 | 島のイベント
■小笠原はよく東洋のガラパゴスと言われます。
それは島の誕生から現在に至るまで、一度も大陸と陸続きになったことがない海洋島であること。
独自の進化を遂げた、島の固有の動植物が多く存在することが、
南米エクアドルのガラパゴス諸島に類似しているからだと言われています。

小笠原がアメリカから返還されて50周年を迎える今年、
なんと西洋のガラパゴスと東洋のガラパゴスの交流が企画されました(企画:小笠原自然文化研究所)!

※長女が母島に来島するガラパゴスの子ども達に向けて作った横断幕です♡

地球の反対側のガラパゴス諸島から、わざわざ小笠原諸島まで4人の中高生と、
あの有名なチャールズ・ダーヴィン研究所の所長さんが来島しに来ました♪

父島と母島でTV会議で繋ぎ、
西洋と東洋のガラパゴスが交流する…
とても刺激的な時間でした♪

イグアナやゾウガメなど、大きな爬虫類がいない東洋のガラパゴス・小笠原ですが、
自然の背景は冒頭で書いたように良く似ています。

しかし、今回特に面白いと思ったのはガラパゴスと小笠原が似ている部分が自然以外にもあったことでした。


■南米の孤島でもあるガラパゴス。
そこは生物の楽園ですが、飲み水に乏しく、
インカ人が過去に来た石器などはあったようですが、
永続的な定住には至らなかったようです。
人の定住はエクアドルが領有を宣言する(1832年)せいぜい200年程度とのこと。

小笠原は石器時代に人が住んだ名残はありますが、
現在に繋がる人の暮らしは江戸時代(1593年)に小笠原貞頼が発見してから、
ナサニエル・セーボレーが最初に定住(1830年)して今に至る約200年。
ここも似通っています。

※母島の南崎・小富士で水を飲むガラパゴスの高校生☆

小笠原は戦後の強制疎開で伝統的な文化や芸能の多くを失っていますが、
ガラパゴスもスペイン人が移住してからの歴史で、独自な伝統や文化がないそうです。
自給率も低く、生活物資はほとんどが輸入に頼っている部分も同じです。

飲み水のほとんどをペットボトルの輸入に頼っているガラパゴス。
しかし、そこの子供たちの環境意識の高さは目を見張るものがありました。


■僕は主催者の関係者として母島の受け入れの一部を手伝わせて頂きました。
冒頭に載せた長女力作の横断幕。

せっかくの機会なので「学業優先で出迎えを認めない」学校に対し、
無理やり港に出迎えをすることにしました(笑)。

遠路はるばる南米からやって来た、同じような世代の仲間に、できるだけのおもてなしをしたい心。
長女が作った横断幕にいたく感動してくれて、長女はとても嬉しそうでした♡


良く見ると、ガラパゴスのアオアシカツオドリや
スペイン語でようこそ!の意味、
国旗やイグアナやゾウガメなど色々凝っています♪

英語が大好きな長女。
先日のTV会議で繋がった質疑応答でも特異な英語で質問したりして、
果敢に交流し、自分の英語が通じる嬉しさと自信を感じていました♪


■ガラパゴスの子供たちは母島の自然も十分に満喫していました☆

遊歩道で終始歌って踊り続けるラテン系のノリには驚きました♪
いや~なんて楽しい雰囲気(#^.^#)
長女と同じ匂いがします(笑)!!!!


クジラの跳ねる大海原と乳房山をバックに記念撮影☆

また、驚いたのは海岸に行くと自然と海のプラスティックゴミを拾う姿勢です。

いつも僕も海洋生物に対する影響を知り、何かできないかと思い、
海岸に行くたびに無理のない範囲で拾ってはいるのですが、
当たり前に拾うガラパゴスの子供たちの精神性に驚かされました。

講演会では小笠原からの質問で
「子供たちにどのような授業で環境教育を行っていますか?」
という質問があり、
チャールズ・ダーヴィン研究所所長は、
「すべての授業に環境保全のエッセンスが入っています」
という回答をしていました。

あまりのレベルの差に圧倒されましたが、
子供たちのこの自然な関心と動きに、
頷かされました。

ガラパゴスではゴミの60%をリサイクルしているそうです。
リサイクルは莫大なエネルギーを消費するし、
リユースが理想ですが、
それだけの意識が素晴らしい。

世界危機遺産にもなったことで、
新たな意識も沢山生れたことでしょう。


南崎ではこんなに沢山のゴミをみんなで分担して遊歩道を運びました。

海ゴミを体にまとい、ジャングルを歩く姿、

なんだか素敵な飾りみたいに見えてしまいます。


第2次世界大戦の戦跡を見て、圧倒されていました。
こんなものを山の中腹に作らせてしまう戦争の惨さが伝わったと思います。


夜には宿に駆けつけ、
小2の妹、宿のお友達も一緒に島のフラを披露し、
最後は南半球ではあまり綺麗に見えないという満点の星空を見に行って、母島最期の夜を一緒に過ごしました。


■母島最終日には母島の子供たちが参加しているサッカーチームFCフォルサで交流をしました♪


島の子供たちは予想以上に積極的に交流していました!
子ども同士に言葉の壁はあまりないようです(笑)。


中学生はその後、一緒に海の見えるレストランで食事をし、
名残惜しいですが、お別れの見送りです。


最後は島の子どもが作ったレイをかけて、
別れに涙を流すほど、良い滞在になって良かったと思います♪

親にとっても長女が自分の英語が通用し、
外国の人とうまくコミュニケーションが取れる自信が持てたようで、
とても嬉しかったです。


■世界自然遺産でもある東洋と西洋のガラパゴス。
そこは自然以外にも人の暮らしに多くの共通項がありました。

資源やエネルギー問題(ガラパゴスは30~40%は自然エネルギーとのこと)、
貴重な野生動物との共存、
観光の在り方、
人間の暮らし方、
ゴミの問題、
それぞれにいいものがあり、学ぶものがあると感じました。

小笠原もガラパゴスも治安がいいそうです(エクアドル本土は危ない地域アリとのこと)。
小笠原は町中もゴミが少ないと言われました。

今年は日本とガラパゴスが交流を開始して丁度100年の節目の年だそうです。

小笠原の人口は約2500人で年間観光客数が約2万5000人。
ガラパゴスの人口は25000人で年間観光客数が25万人。
絶対数は圧倒的に違いますが、
比率的には同じなんですね~

この機会にお互いの想いを交錯し、
自然に負荷をかけすぎない、より持続可能な暮らしを模索するきっかけになれば幸いです。

子供たちも2週間以上、長い移動と活動の連続でクタクタだと思います。
関わった関係者の皆様もどうもありがとうございました♪

夏には小笠原の子供たちがガラパゴスに交流に行くそうです。
よりお互いにとって実りある交流になると嬉しいです(#^.^#)

こうなったら姉妹都市になっちゃえばいいのにと思います♡