小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

夢の都・京都②~伊根の舟屋編

2023年11月27日 | 旅行記
京都①綾部編の続き

■ついに舟屋で有名な伊根に来ました!
とは言っても、舟屋の風景は何かで見たことがあっても、
それが京都にあって、それが伊根という地名だというのを知ったのは、
今回の内地研修に出発する数日前でした(#^.^#)

母島のゴミ回収をしている同僚に教えてもらった、
京都で気になる場所「伊根」。

せっかく大人になって初めて京都に来たのだから、
友人にお願いして車を出してもらい、伊根まで足を延ばしました!
本当にありがとう☆

始めて舟屋というものを見て、
率直に日本海という場所で海が荒れてる時、家は大丈夫なのか?でした。

奇跡的に日本海なのに南向きという湾の特性なのか、
比較的海が穏やかな地域なようです。


■家のすぐ裏に船が停まっているという不思議な情景に、
友人と「母島の釣り好きのTさんとかGちゃんとか、絶対好きそうだよね~」
とか笑いながら、風情ある舟屋を眺めていました。

京都の果てに来ても、やっぱり島トークが炸裂しまくりです(#^.^#)

しかし、僕たちも僻地の母島を好むような変人です(笑)。
観光地の綺麗に整備されたものは白けてしまう傾向があり、
綺麗に作られ、整備された家よりも、
実際に暮らしをリアルに感じられる方を好むので、
奥の海側にみんなでワイワイしている舟屋とかにほっこりしていました。

しかし、うどん屋からそうですが、
いい天気だやった~~と思い、
外に出るといつも雨、雨、雨(泣)。

かなり僕は晴れ男な方なのですが、
彼女は話を聞くと大事な時はよく土砂降りとのこと(笑)。
僕もなんかこの秋位から属性が雨になってきている感があります(涙)

お互いバイク乗りなので、
バイクの時の悪天候の時の悲惨さ、
でも天気のいい時の最高さを語りたいながら、
「どうしてうちら外出るとこんなに雨なの~~」
と大笑いしながら巡っていました。
共通項があるというのは嬉しいもんです。

車中では母島で共に過ごした話をしまくり、
お互いの人生の話、時にはハイロウズや浜田省吾を合唱し、
聖飢魔Ⅱのギターにシビれて、
忌野清志郎について語り合うという状態でした(#^.^#)


■僕も去年バイクで東北旅をしていた時もそうでしたが、
やっぱり僕らは根底から海が好きなようです。

海に出ただけで「わ~~~海だ~~~!!」
「やっぱ海良いよね~~!」
と子供のようにはしゃいでいます(#^.^#)

僕はずっと太平洋側にいたので、
なんだか日本海の雰囲気が少し違ってて、
とても面白い違和感でした。

音楽もバイクの話も合うし、
仕事も人間関係もしっかりと話せる彼女ですが、
そういえば彼女はまだ20代前半(笑)。

今年20歳になる長女の方が年が遥かに近いくらいなのですが、
なぜか共に浜田省吾と忌野清志郎なんか大好きで、
気が合います。

母島に来た時は17歳だったのですが、
信じられないコミュ力と社会経験で、
普通に大人に馴染む彼女。

この1月に大好きな母島を離れて、地元付近に戻り、
今は大阪に住み、畑や田んぼに通いながら楽しく生きているそうです。
元気そうな顔が見れてホッとしました。


■彼女が母島を離れる時のエピソードや、
一緒にやった最後のライヴイベントの話など、
延々と車中でおしゃべりと合唱が止まりませんでした☆

近年、がんも急死も続いている現状にお互い憂いてもいます。
新型コロナのワクチンの問題…
どれだけこの3年で脳出血や心臓疾患で亡くなる人が増えているか、
震災から10年でがんが爆増していて、
共通の友人とかも急逝が続いているので、
この世の中についても良く語りました。

彼女は持続可能な自然農で田畑をやっているので、
そこから学ぶこと、食の安全ももちろん知っているナイスな女子です♪

これからのお互いの活躍にエールを送りながら、
伊根から京都駅まで車を走らせ、お別れをしました。

遠く離れていても、こうしてお互いがそれぞれの舞台で頑張っているのを知れると、
とても励みになります。
「どんなに遠くても、辿り着いてみせる。
石のような孤独を道連れに、空とこの道出会う場所へ」
お互いが大好きな浜田省吾の家路を胸に、お別れをしました。

元気でね~!どうもありがとう!

夢の都・京都①~憧れの綾部編

2023年11月20日 | 旅行記
琵琶湖・沖島編より

■さてさて、今度は京都編①です。

京都と言えば、日本でも有名な歴史ある観光地。
日本の歴史の教科書に絶対載っているし、
修学旅行などで誰しもが一度は来ることがある有名な場所です。

僕は高校の修学旅行以来、
つまり大人になって初めての京都旅でした(#^.^#)

島暮らしをして20年。
気付けばすっかり人混みが苦手になってしまいました(笑)。
そんな訳で、京都もメジャー所というよりは、
ご縁がある場所に限られた時間を駆使して行って来たのです。

まずは何と言っても綾部!
僕がこんな暮らし方をするようになった大きなきっかけとなる、
半農半Xという生き方」の著者、塩見直紀さんがいた場所が綾部なのです。
そして母島にも来たさすらいのうどん職人竹原さんのいる「竹松うどん」。
野草教室の若杉のばーちゃん。

その中で、友人や知人の紹介でそれぞれの土地の議員さんにも会ってきました♪
滋賀の議員研修で発生した隙間時間を存分に活用してきたわけです(#^.^#)


■議員視察で南相馬から東京に戻って来て、そのまま新幹線で京都入りしました。
まあ、なんて日本は狭いのだろうと思うほど、本土の交通網は発達しています。
東京から2時間半で約500km先の京都に行けてしまうのです。

これでも十分速いのに、さらにリニアモーターカーを作ろうとしている…
もう持続可能という意味で“足るを知る”を考えれば、僕には不要に思えます。

あっという間に花の都、京都に着きました。
想像通り、外国人に溢れていました(#^.^#)

駅から歩いて行ける範囲に宿を取り、
着いてすぐに父島の友人に紹介してもらった
京都市議会議員の井﨑敦子さんが迎えに来てくれました☆
紹介ありがとう♡

敦子さんは僕と同じこの4月の統一地方選挙で議員になった新人同士です(#^.^#)

井崎敦子さんは中央の方です☆

井﨑さんとその仲間の皆さんと、
美味しい京都の日本酒と海の幸を頂きながら、
議員の話、京都の話、小笠原の話にあっという間に時間が過ぎていきました。

やはり人口150万人の京都と2500人の小笠原では、
同じ地方議員でも天と地ほどの差がありました(#^.^#)
報酬に仕事量、委員会に本議会、一般質問の時間もまるで違います。
驚くほどの違いがありました。

僕らのような少数派の意見は、
大きな議会では発言の機会や委員会でも出番は限られ、
大きな政党や会派が圧倒的に有利な状況の様です。

そんな中、150万人の人口規模の決算の書類の規模、
67議席という名前も覚えれなさそうな数も圧倒的でした。
ちなみに小笠原村議会は8議席ですw
可愛く思えてきました(^_-)-☆

そして奈良時代からご縁が繋がっているグループがあると聞いて、
その時間軸のスケールの違いにも圧倒させられました☆
江戸時代から程度の小笠原では太刀打ちできない歴史の深さがありました。
ひゃあ~~~

敦子さん達とはお互いに情報交換をしまくり、
議員としてもとっても意味のある京都訪問となりました♪
どうもありがとうございました!

その後はノジコさんがやっている境町画廊という、
明治時代に建てられた素敵な古民家の画廊を深夜にお邪魔して、
みんなで山﨑俊江作品展という素敵な展示を見させてもらいました☆

精巧に作られたミニチュアを眺めては、
溜息が出る程、見えない所にまでこだわった部分が垣間見えて、
感動させられました☆

ステキな時間を本当にありがとうございました!!


■翌朝は宿から京都市内を少し走ったりしながら、
京都駅の近くの大きな東本願寺を見に行きました。

朝早いせいか、人もまばらで最高の雰囲気☆

こんな圧倒的な大きさの木造建築が、
何度か戦火に見舞われながらも残っているという、
その意味に圧倒されられました。

建物の柱を見ても信じられない太さの1本の巨木を使っていたり、
天井の絶妙なR(曲がり)、梁や塗り、宮大工の芸術性など、
高校生の時にみんなで溜息をつくほど眺めたのを思い出しながら、
再度その作りと歴史に感動していました。

本堂では厳かに早朝のご祈祷が行われていて、
僕も参拝だけさせてもらって、
滋賀の議員研修に電車で移動しました。

3日間の研修後に沖島を経由して、
今度は大阪在住で元母島の友人に車を出してもらって、いざ綾部へ!!


■綾部は昔からずっと気になっている土地でした。
当時、父島に住み始めて子育てに翻弄していた頃、
妻の紹介だったと思うのですが、その後の人生に大きく影響する本に出合いました。

それが冒頭でも紹介した「半農半Xという生き方」でした。
著者の塩見さんが綾部に住んでいたのです(今は綾部を離れているそうです)。

半農半Xというのは、
半日自給的な農的暮らしをして、
もう半日は地域社会に関わる現金収入などの仕事をする。

そうすることで、それぞれが自給できる暮らしをしつつも、
生活する収入も得て、社会はより健全に持続可能に進むという考え方です。

僕は二十代前半にその本に出会い、
衝撃を受けて生き方が変わり、まさにずっとそれを実践しています。

その本の中でも綾部の話は幾つも出ていた気がします。
他には高遠のフリーキッズヴィレッジにWWOOFでお邪魔していた時に出逢った、
野草教室の若杉友子さんというすんごいばーちゃんも綾部から来ていたのです。
お陰で、ずっと綾部という土地は気になっていたのです。

綾部の竹松うどんの横の川。
この雰囲気が楽しめる人は綾部向き!!


■友人の車で京都郊外とも言える綾部に向かいます。
まず向かった先は竹松うどん

ここの店主の竹原さんは、なんと10年ちょい前に、
さすらいのうどん職人として「讃岐の夢」という小麦粉の大袋を持って、
小笠原に旅に来ていたうどん職人がやっているお店です☆

当時、僕は父島に住んでいて、竹原さんはプーランに泊り、
最高に美味しい手打ちうどんをご馳走になったのを今でも覚えています♪

その当時から綾部の話も聞いていて、
その後、綾部で店舗を構えたという話を聞いていたので、
実はずっとこの訪問を楽しみにしていました☆

そこに京都市議会議員の敦子さんに、
綾部市議会議員さん(中島ゆう子さん)を紹介してもらい、
竹松うどんでお話しよう!ということになりました。


■初めて来れた竹松うどん
静かな綾部の川のほとりに佇む、
落ち着いた雰囲気のお店でした。

僕らが着いた時はまだスタッフさんがせっせと仕込みをしており、
11時の開店を待つお客さんがもうすでに外に待っていました。

そのお客さんは奈良から来ていて、
おススメのメニューなどを教えてもらいました(^^♪

個人的には10月メニューだったウイグルうどんが気になっていました。
(新疆ウイグル自治区の危機を訴えつつ、文化の紹介)

外には綾部のの美味しそうな野菜が売られ、
大好きすぎる雰囲気でした(#^.^#)

サツマイモの品種を話していたら「あ、間違えた。紅はるかだった(笑)」
と書き直しててほっこり(^_-)-☆


そして、綾部市議会議員の中島ゆう子さんも到着し、お互いに自己紹介しながら、
店内に入ります。

僕は大好きな「きつねうどん」を女将セットで注文し、
開店待ちした方にお勧めで紹介してもらった冷やしの「せせりうどん」もみんなで食べました。
めっちゃ美味しい~♡

さすがはプロの味!
さすがのコシと薪で茹でるならではの感触!!

薪の火と、
ガスの火では、
同じ火でも雲泥の差であることは、
自然の暮らしの中で体感しているので、そこがとても楽しみでした。
芯まで通る薪の焔は手打ちうどんを最良なものにしてくれていました♪

とても美味しいうどんに舌鼓を打ちながら、
友人とゆう子さんと色んな話に花が咲きました☆


■ゆう子さんの考察によると、綾部は過疎化対策として、移住政策を進め、
結果、個性的な面白いメンバーが人を呼び集まって来たようです♪

もちろんゆう子さんはこの竹松うどんの常連さん☆

そんなゆう子さんとも議員同士の情報交換をして、
まさか一般質問の通告書で執行部からの返しがない状態で
一般質問の再質問しているとは思いませんでした。
それでは有効な答弁を引き出しにくいのでは?と思いました。

3.11をきっかけに食の安全などから政治に興味が出て、
現在市議会議員2期目のゆう子さん。
子育てしながら、色んな事を頑張っている事、
無所属無会派による議会での少数派の難しさなど、
色んなお話をしました。

綾部市議会議員の議席は18。
その中で女性議員が6名!!
小笠原村議会は女性議員がゼロなので、4年後の選挙の時までに、
ぜひ女性に議会に入って欲しいと切実に思いました。

一緒に来た友人も、政治家には心から絶望していたので、
こういうゆう子さんみたいな議員が京都にいるんだ!と知れてとても良かった様です(#^.^#)
ご縁とご縁を繋いで貰った僕が、新たにご縁を繋ぐ…
これがまた旅の醍醐味な気がするのです☆

もっともっとお話ししたかったのですが、
大人気のうどん屋さんはそれなりにお客さんが来るので、
楽しいおしゃべりの続きはまた次回ということで、
予定があるゆう子さんとはここでお別れとなりました。

どうもありがとうございました♪

さて、友人とどこ行こうか?という話となり、
僕は舟屋のある伊根に行きたい!
ということになり、いきなりですが一路、伊根へ向かうことになりました。

ノープランはやっぱ面白い(笑)。
そんな訳で
京都②伊根編に続きます。

ありがとう、おがさわら丸

2023年11月19日 | 母島 日常 日記
■無事に議員出張を終えて、11/13小笠原に帰ってきました♫
その中で島の暮らしを支える船に感謝の気持ちが溢れてきました。

この記事を書いたのは、
おがさわら丸からははじま丸に乗り換えて母島へ向かう時でした。

先日の10/23おがさわら丸のペラに漁網が絡まって、
片道40時間かかってしまった事が発生したときに、
いつもの定期船が当たり前ではなく、
とても有難いものであると再確認させられました。

おがさわら丸は島の為に毎週、
往復2000kmものの外洋を
ずっと航海してくれているのです。

ははじま丸も
約毎日往復100kmを航海しています。

貨物船の共勝丸も
約10日のサイクルで建築資材やガス、
燃料を運んでくれています。

他にも八幡丸だって、富士丸だって、鳳生丸だって、
他の船も島の暮らしを支えてくれています。

船自身も、
船員さんも、
港湾で仕事している人も、
みんなみんなです。

何も起きないと、
その当たり前の動きに有難みに気付かないですが、
ふとトラブルが発生すると、途端に困ったことになります。

指一本怪我しただけで、
その有難みに気付かされた経験はみんなあると思います。

だから日々の暮らし、
家族、周りのみんなの存在は
当たり前ではなく、
有り難いものだと気付かされます。

人知れず、色んな人に支えられて暮らしているのです。


みんな、
みんな、
本当にどうもありがとうございます😊


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車が見えない島暮らし~「沖島」に行って来ました!

2023年11月17日 | 島旅
■今回、念願の沖島に行って来ました!
沖島は滋賀県、琵琶湖に浮かぶ小さな島で、
人口250人。
なんと日本唯一、湖にある有人島なのだそうです。

以前から宝島の仕事や妻からこの島の存在を聞いていて、
ずっと気になっていました。

今回はなんとか少しだけ時間が出来たので、
少し足を延ばして弾丸でお邪魔してきました☆

島を知るって、やっぱりすごく根源的に大事な部分を学ばされます。

沖島は僕の想像を超える島でした♪
なんと車がほとんどなく、
住民の足は歩きか自転車!!

つまり、エンジンの音がほとんど聞こえない島なのです。
※湖を走る船のエンジン音は時折聞こえます。

完全車社会でない田舎という意味で、
生活圏のすべてを“歩きでまかなえる”母島を好んで暮らしている僕にとって、
この車のほとんどない沖島は大好きな雰囲気の漁村でした☆

僕が行った時はずっと雨が降っていて、
住民もネコもほとんど見かけない状態でしたが、
集落のあちらこちらにある畑や漁具、
暮らしの雰囲気が観光向けに綺麗に整備されたものではなく、
あくまで暮らしが現在進行形の島だったのです。

様々な事情で、滞在時間はたった2時間でしたが、
集落はほとんど歩けましたので、
次回は家族でゆっくり来たいと思っています(#^.^#)


■そんな沖島ですが、最初から宿とアクセスという困難が待っていました。
やっぱり離島はそうじゃなきゃ(^_-)-☆

宿は4人以上じゃないと泊まれないらしく、
早速撃沈(涙)。

沖島には○○漁港から船で10分の距離です。
だいたい1時間~2時間に1便の動きで動いています。

昼に議員研修が終わり、
速攻で最寄りの近江八幡駅に向かったのですが、
着いた時にはすでに沖島に14時に渡る船に間に合うバスはなく、
タクシーを頼ることにしました☆

このタクシーの方が沖縄出身でとても親切な方で、
沖島に行った事はないけれど、色々と教えてくれました。

沖島からの戻りは16時15分○○漁港発のバスが最後であること、
漁港にはタクシーの待機がない事などなど。

帰りのバスに乗り遅れた場合は連絡くれれば迎えに行くよ!
と連絡先を伝えてもらい、なんとか14時15分発の船で沖島行きの船に乗ることが出来ました。

船待ちには島の学校向けの冷蔵庫が置かれていて、
食材がここで一時保管されている様でした。
子供達のお礼の文面がとても愛おしいです♪

船待ちにはざっくりとした地図があり、
聞くと端から端でも歩いて30分はかからない程度、
ということでした。

雨の中小さな船客待合所で船を待っている間、
これから仕事で沖島に渡る方とその友人さんと知り合いになり、
色んな情報を聞きました♪
めっちゃ有難い!

なんとその友人さんは滋賀に住む友人の奥さんが、
父島出身の人らしく、僕がその親を知っている方でした(#^.^#)
なんと船に乗る小銭のなくて困っていた僕に小銭も出してくれて(結局ポケットから出てきて、すぐにお返しできました)、
帰りにバスに乗り遅れたら来るまで来ているから宿まで送るよと、
親切に話してくれました☆
まさに旅の醍醐味です!!大感謝!!


■船に乗る際には沖島に渡る人向けの8つのルールが書かれていました。
興味深かったのが、漁師は深夜に漁に出るために日中は寝ているので、
静かに過ごしてくださいとのことでした。

まるで西表の舟浮に渡る船のような、
とてもコンパクトな船に乗り、
船頭さんに往復代の1000円を渡します。

船の中は頑張ると20人は乗れそうな感じでした☆
おきしま丸、島の生活を支える船!


■憧れの沖島に着きました!

板張りの壁の家が並ぶ、まさに漁村といった感じです。
サイズ的には鳩間島を彷彿させてくれましたが、
作りが沖縄の家ではなく、完全に日本の漁村です。

港の桟橋には大きな鐘がぶら下がっておりました。

綺麗な大きな案内看板もあり、
とても分かり易くまとめられていました。

ネコの島と聞いていて、楽しみにしていたのですが、
あいにくの雨と寒空でネコの姿は拝めませんでした(ToT)/~~~

昼ご飯を島の鮒寿司を食べるために我慢してきたのですが、
予想通り不定休のカフェ「いっぷくどう」はお休みでした(´;ω;`)
他の飲食店も4人以上要予約で営業ゼロ!

しかし、とても面白いのが、
家と家の間の路地の細いこと!
さすが車社会でない島です。
みんなが歩きや自転車で暮らせるということは、
子供達の遊び場がそこいら中にあるということです☆

そして、とにかく三輪自転車の多い事!!
これは面積当たり日本一ではないのでしょうか?
想像すると、高齢の方が乗るのに転倒の危険も少なく、
そして積載するのに向いているので、
小さな漁村には最高の乗り物と思えました(#^.^#)


■僕が母島の大好きな点の一つに、
田舎なのに車が無くても暮らせる社会であるという部分があります。

日本の田舎で車社会でない地域は、
かなり限られてきます。

これは年を重ねても、ずっと歩いて暮らせるし、
足腰が普段から鍛えられて、健康寿命が延びる要員になると思います。

なので道幅は基本的にギリギリ軽自動車が通れる範囲で、
複線道路はその半分で、とてもいい雰囲気でした♪

ほとんど落ちていないゴミ、
生活のゴミ回収、
宅急便の配達などはどうしているのか、
とても興味がわく分野です。

自分がゴミ回収や宅急便、郵便の配達をしているので尚更気になります。

道端には色んな所に畑があり、
レタスや里芋、ラッキョウやキャベツなど豊富に植わっていました。
道端に普通野菜の畑があるのは母島にはあまりない光景です。


■海岸線を歩いて行くと、
消防艇庫があり、立派な消防艇がありました。

万が一の火事の時は豊富な琵琶湖の水を使いながら、
この消防艇が島の生命と財産を守るのでしょう。

僕も母島で消防団をしているので、
ここも気になる部分です。

道幅が車向けに広くないので、
琵琶湖のほとりで暮らす沖島を守るには確かに船が実用的な気がしました。


公園には不思議なオブジェ?もありました。
雨で島民もあまり見かけないので、謎は深まるばかりです(#^.^#)
今度ゆっくり滞在できるときはこの謎も聞いてみたいと思います。


歩いて行くと、沖島資料館がありました。

もちろん要予約でお休みでしたが、
中は覗けて、漁具などが展示されている様でした。


その先にはとても立派な小学校がありました!
今は20人以下程度の生徒が通っているそうです。

母島が人口450人で小中学校の生徒が35人くらい。
人口250人の沖島で小学生だけでこれだけいるのはなかなかな状況なのではないでしょうか?

また感じのいい裏路地のような道を歩いて、
集落を進んでいきます。

住民側の気分になると、
観光客が自宅の周りをウロウロするのはあまりいい気分ではないとおもうので、
出逢ったら必ず挨拶して、少しだけ世間話などをしたりしました。

あまり時間がないので、世間話程度しかできず、次回の宿題です♪



■集落を周り巡って、港に近くに来ると島唯一に見える、
車2台に重機が2つ停まっていました。

ガソリンスタンドも見当たらないので、
燃料は本土から細かく運んでいるのでしょうか?

凄い数の漁船がならび、
その燃料補給ステーション(軽油)は港にあったので、
何らかの方法で運んでいるのでしょうね(#^.^#)


集落を越えて、西の奥に泊りたかった宿があるので、行って来ました。
4名以上から宿泊可の「湖上荘」です。
この日はお休みだった「いっぷくどう」を経営している方が、
この宿もやっているそうです。
いつか泊まってみたいと思っています!!

この宿への湖畔の道がまたとても良い感じで、
すごく静かでまったりと出来ました。

ちらほらと釣りをしている方がいて、
簡単な挨拶を交わしました。
ブラックバスばかりのイメージでしたが、鮒とか釣れるのでしょうか?

歩いてぐるっと回って戻ってもまだ少し時間があったので、
高台にある神社へ参拝し、
旅の無事と家族の健康を祈り、
帰りの船に飛び乗りました☆

帰りの船では小学生が6人位乗っていて(本土の子たちかな?)
近江八幡へのバスの中が大合唱やワイワイ騒ぎになり、
運転手さんが一人一人の名前も知って、把握していて、
田舎らしい和やかな雰囲気で帰路に着きました(#^.^#)

さあ、次回は京都①綾部編です!!

滋賀新人議員研修~日本一大きな琵琶湖のほとりで

2023年11月14日 | 議員活動
■議員の内地出張で10月に続いて、なんと11月も内地へ。
今回の内地出張研修のメインは、
滋賀県にある「JIAM全国市町村国際文化研究所」での新人議員研修でした。

そこで新人議員向けの研修があり、
今回は年2回開催するうちの2回目。

定員100人に対して倍の200人の応募があったらしく、
抽選となり、同じく40代で小笠原村議会に新人で入った平野議員はまさかの抽選で選ばれず、
小笠原からは僕一人だけの参加となりました。

行く前はとても残念だと思ったし、
寂しい気もしましたが、
これは逆にたった一人知らない所に飛び込むという、
ワクワク感に溢れるものになりました♪

生まれて初めての琵琶湖にあがる朝日を眺めながら、
このご縁で繋がれたみんなとの奇跡を味わいながら3日間の研修を楽しみました。


■この研修施設は宿泊施設も伴う大きな研修施設で、
同時に他の市町村の行政の研修も行われていました。

大きな講堂から、中サイズ、小サイズの教室があり、
食堂に運動場、レンタサイクルもあり、
とても充実した研究施設だと思います。

10月の出張時も小笠原の村議が2名、こちらで行われる研修に参加しています。

紅葉の美しい唐崎駅からの並木道を歩いていきます。

僕にとって、この研修で学んだこと、
そして出逢った同期の議員仲間はかけがえのないご縁となりました♪

多様な世代に性別も違ったりしますが、
お互いが同じ時代のタイミングで議員になった仲間です。

頑張る土地やイデオロギーは違えど、
その土地を良くしようと活躍する議員であることには変わりありません。

お風呂屋さんやタコ焼き屋さん、
福祉や介護をしている人、
観光の仕事をしている人、
農家の人、
やっぱり多彩で本当に面白いです(#^.^#)

お互いに驚くようなそれぞれの議会での違いもあったり、
ヒヤヒヤするようなエピソードも満載で、
とても良い出逢いとなりました☆

滞在はこの研修施設内に宿泊棟があり、
コンパクトな個室が用意されていました。

トイレは各部屋にありますが、
風呂は共同シャワーか大浴場となります。

夜23時が外出のリミットで、朝は6時から外に出れます。


■朝には琵琶湖、朝活ランニングもできて、
風情ある美しい唐崎神社にも参拝できました。

神社の境内の奥にある、
明治時代からの松が寿命を迎えていて、
ギリギリの状態を支えられながら、
次の世代が育っている、
そしてそれを地域の人が大事にしているのが伝わって来て、
とてもいい雰囲気の神社でした☆

その為にも立派な鳥居が設けられていました。

その松についてのご案内です。


歴史ある神社の様です。


近くの散歩道には「マムシ注意!」の看板が。
危ない蛇がまったくいない小笠原で暮らす僕にとっては、
ハッとさせられるものでした。

しかし、すぐに元来のヘビ好きの想いが溢れてしまい、
草むらを探してしまった事はナイショです(#^.^#)

小学生の頃、ヘビを飼うほど好きだったので♡

美しい紅葉も始まっていて、
島では見れない情景にウットリしておりました♪
※小笠原には紅葉がないのです!


■3日間の研修で、僕は一番2日目の本橋謙治氏の講義が特に興味深く、
グループワークなど受け身だけの講義と違い、
交流やまとめ、発表などがあり、とても有意義な研修となりました。

一緒にグループワークしたのがこのメンバーです。

左から
関達夫 木島平村議会議員(長野)
高橋洋志 日南町議会議員(鳥取)
川田一浩 白川村議会議員(岐阜)
立石光助 小根賀町議会議員(長崎五島)
戸前寿乃 大桑村村議会議員(長野)

超楽しいグループワークでした♪
ありがとうございました!

あまり大きくない規模の地方自治体の議員同士、
政務調査費の有無から、その運用の違い、
報酬の差に同じ悩みなど、
沢山の意見交換にもなりました。

沢山の名刺交換も行い、
今後も繋がって行きそうな方が沢山いて、
本当にありがたい機会となりました。

議会の活動の報告は議員日記Facebooページに日々アップしているので、
ぜひご覧ください(^^♪

今回、3日間の研修以外はこれといって視察などは決まっていないので、
僕は友人や知人に紹介してもらって、
京都市と綾部市の二人の議員さんと意見交換を行いました☆

5月、10月と内地に視察や表敬訪問に来ていますが、
小笠原という内地に行ってもすぐに帰れない制約のお陰で、
色んな個人的な視察や調べ、挨拶の時間に使えています。

それがいつもその後の議員活動に強力なご縁となっています。
限られた時間をフルに活用し、
島の為に出来るごことをして行ってます。

まさに不便を便利に変えてしまうMaster of Lifeの精神です♡

これが無理強いとかではなく、
本当に楽しいし、嬉しいし、ドキドキワクワクしているので、
とても有難いこととして活用させてもらっています。

個人活動の場合、交通費などは公費ではなく、すべて自腹なのでお金はかかりますが、
お金では買えないプライスレスな出来事と出逢いになるので、
存分に活用していきます!

次回からはそんな話の
沖島編
京都①綾部編
京都②伊根編
に分けてアップしていきます。

お楽しみに(#^.^#)

長女が帰国!~20歳に☆やっぱり毎年激動の10月!! 

2023年10月26日 | 母島 暮らし 子供
■母島に移住した2009年頃から、毎年10月は怒涛の様に過ぎる月だった気がします。
今年は長女の帰国に20歳の誕生日、次女の誕生日、
ローゼルの出荷に議員としての内地出張と、
いつにも増して多彩なボリュームの10月になっています。

観測史上最大の200㎜を超える豪雨(1時間当たり123mm)をもたらした翌日に、
内地出張を終えて母島に帰ってきました。
本当に家族には留守中に色々と負担をかけてしまい、本当に有難い気持ちでいっぱいです。

母島に戻って妻が作った美味しいローゼルごはんを頂きながら、
島に帰って来た喜びを嚙みしめています。

議員活動と報告を日々行っていたら(主にFacebookページにアップしています)、
だいたい毎週更新していたブログもすっかり空いてしまいました。
僕のブログの一番の目的は忘備録です。
それすら追いつかないほどの出来事の嵐ですが、
綴っていこうと思います。


■10月の議員としての内地出張のメインは小笠原と友好市町村になっている南アルプス市への行政視察でした。
それについては後日まとめたいとは思っています。(で、できるかな?)

他に都庁各関係部署への挨拶や、個人的な議員活動で動きに動いてきたわけですが、
土日はオフということで、そこの隙間を利用して、
3年ぶりにカナダから帰国した長女と、
3年ぶりに再会を果たしました☆

3年ぶりの再会の場所は立川の島想食堂!!
ここは5月にも訪れてイベントをした、小笠原島料理も出てくる、お勧めのお店です。
店主の中西奈美さんは同世代で父島出身。

驚くほど味がじんわりと沁みてくる美味しさで、
前回は満員御礼でゆっくりできなかったので、
今回はゆっくり味わわせてもらいました♡

本当に美味しくて、美味しくてたまらない料理とトーク。

この日、自動車学校でマニュアル免許取得をクリアした長女は、
府中の運転免許センターで学科試験を受けて、
免許取り立てで3年ぶりの親子の再会という予定でした。

しかし、長女は近辺で友達と遊んで来ることとなり、
猛烈に空腹だった僕はお先に美味しすぎる食事を楽しみました♪

ホントに美味し過ぎました♡
どうも有難う!!

■お腹も膨れて、他のお客さんらと話してる中、
3年ぶりに成長した長女が現れました☆

SNSやスマホ、通信の発達のお陰か、そのせいか分かりませんが、
近況を時々やり取りしているせいか、
あまり新鮮味はありませんでした(笑)。

しかし、やっぱり元気な娘の顔を見れるのは嬉しいもので、
出来立ての運転免許の写真を見て大笑いしながらも、
嬉しい再会を果たしました。

そこからは妻の実家、飛騨高山を目指すべく、レンタカーで一路長野へ。
いきなり免許取り立てに高速道路の運転デビューか⁉と思いきや、
初心者マークの購入が間に合わず、僕の運転でまずは安曇野を目指しました。

車中では、久々の親子再開のお陰か、色んな話が尽きません。
元々よくしゃべる親子ですが、まあ語りは止まりません(笑)。

運転する身になって、助手席の怖さを分かったようで、
しきりに「怖い、怖い!」を連発しながらも、
「意外とお父さん、ちゃんと見て運転してるんだね…」
と自動車学校卒業したてならではの目線で語って来る始末(#^.^#)

3年間のカナダでの高校生活。
1年間のカナダでの労働と旅の日々。
至る所に長女の成長を感じることが出来て、親父としては嬉しい限りでした☆


安曇野の朝にみんなで竹パンを焼いて食べるのも最高でした(#^.^#)

夜遅くに安曇野に着いて、
翌朝からも笑っちゃうくらい最高の展開と出逢いが続き、
無事に昼前に飛騨高山に到着しました♪

妻の実家でも長女は進んで洗い物をしてくれたり、
色んな人を気遣ったり、
ホテルで僕が洗濯機をかけてバタンキューしてたら洗濯物を干してくれたり、
今ままででは考えられないほど、ちゃんと異国の地で一人で暮らしてきたんだなと
成長を感じさせてもらいました☆

20歳を迎えて一緒にビールを親子で飲むというのも、
なんだか不思議でした(#^.^#)

■高山でお墓参りやおばあちゃんのご案内などミッションをこなし、
さあ長野に戻るのは、初心者マークを手に入れた長女の運転!!

レンタカーを借りる時にしっかりと手続きもしているので、
保険も利くし、安心して運転を任せれる状況。
免許を取得して2日。
高山で20歳を迎えたその日。
僕は娘の運転する車の助手席でプルプル震えておりました(笑)

想像よりも、左右の距離感や感覚は怖くなく、
一般公道の速度とブレーキのタイミングが怖いくらいで、
長女の緊張具合で、何度か交代しながらも、
高山から安曇野へ戻って来れました☆

波田ではこの1月に小笠原のお墓の戒名彫刻をしに来てくれた弦洋さんファミリーとも再開し、
無事に安曇野に到着しました。

そこから長女は果たしたいミッションがあり、
それは都会よりも落ち着く田舎でやったらどうか?ということになり、
その場で長女を安曇野に放置し、僕は高速道路に乗りました(#^.^#)

高速道路を運転しながら、
そういえば長女の運転の横で寝させてもらったおかげで、
一度も眠くなることなく、安全に立川に戻ることができました。



■立川から戻った翌日からは公務に戻り、議員全員で山梨県南アルプス市へ。
公務の決まった予定の為に、富士山の周りを行ったり来たりの日々でした(#^.^#)

南アルプス市については議員のFacebookページや後日アップするであろう記事に詳しく書こうと思います。

初めて訪れた南アルプス市。
まあ、富士山という日本最高峰の山の存在感と美しい事!!!

ちょうどこの数日で山頂に雪が積もって、
最高の姿を見せてくれました!!


南アルプス市には小笠原村と有効市町村になるご縁があります。
道をあるけば、幾つも「小笠原」の表記が目につきます(#^.^#)
色んな出会いと学びがあったので、後ほど記事に書こうと思います。


他には母島出身の宮澤かれんがミスユニバースジャパンに挑戦し、
見事トップイレブンに選ばれたという快挙があり、
そのお祝いの場にも行くことが出来ました!

島出身の子供が色んな分野に挑戦していく事がとても嬉しいです。
結果も勿論大事ですが、その動きとプロセス、
そこでもたらされるご縁が大事な気がするのです。
かれん、本当におめでとう!!

■そして、長女と1日違いで次女も14歳の誕生日を迎えました!
誕生日おめでとう!!

今回は内地と母島で離れていたので、
残念ながら一緒に誕生日を迎える事はできませんでしたが、
内地から戻る時に誕生日ミッションが発生し、
とてもドキドキワクワクしました☆

次女にとって、母島の暮らしもあと1年半です。
学芸会も直前に控えて、とても大事な時期だと思います。

思春期真っ只中ですので、親父とは大して話をしてくれません(涙)が、
次女の成長やこれからもとても楽しみです!

母島に戻って、ようやく普通の日常を取り戻し、
お祝いのケーキや、冒頭のローゼルご飯やローゼルティー(ハイビスカスティー)を味わいながら、
島の日常がたまらなく愛おしく感じられました♪


ローゼルの出荷や議員活動に追われながらも、
やっぱり島の日常が大好きであることが再認識できました。

夕陽を眺めながら1日を終える瞬間なんて、もう最高です♡

きっと1日の最後に感謝して終える事なんて、どこでも誰でもできる事だと思います。
せわしない僕にとっては、
どんなにあがいても日は沈み、
また日が昇るその圧倒的なまでの自然の流れが、
有無を言わさず一日の終わりを作ってくれて、
本当に有難く感じます。

都会にいると、街は24時間動いているし、
ついつい色々やってしまいがちです。

なので、僕にとってはそんな島暮らしが大事なようです(#^.^#)

いつもいつも至らない僕を支えてくれる家族、
地域の皆さん、応援してくれる仲間、
全ての皆さんのお陰で今日も暮らせています。

どうもありがとうございます<m(__)m>

2023年 母島産ローゼル出荷します!!

2023年10月02日 | ローゼル販売
■お待たせしました!
今年の母島産小笠原ローゼルの出荷開始となりました♪
本日は母島農協に出荷します(#^.^#)

今年は去年に比べると台風の影響も少なく、
生育は順調!と思われていましたが、
最後の9月初旬からの毎日の雨のせいか、
木は僕の背丈(176㎝)を超える程大きいのに、
実成もいいのに、
実の肥大がゆっくりな印象です(#^.^#)

ローゼルは食用ハイビスカスの別名で、
古代エジプト文明の頃から使われていて、
なんとクレオパトラが愛していたとか…
→ローゼルについてはこちらをどうぞ!

美しい紅色を活かして、料理の彩りに。
酸味の利いた味わいを活かして、様々な料理にお使いいただけます。
ジャムにハーブティーに塩漬けにお酒漬けと、
多様な利用が出来ます♪
→加工利用についてはこちらをどうぞ!



■さて、販売についてです。
基本的には島内販売をメインとしていますが、
内地向けの発送も承ります。

今年は議員になったこと、諸事情があり、
作付け本数を減らしています。

もし、予約頂いても、お届けできない場合もございますので、
ご了承下さいませ。
※11月末収穫の晩生ローゼル「うちなーローゼル」は作付けを増やしました。順調です!

【島内販売】
★予約の際には
 ・小袋 約100g(260円)
 ・中袋 約250g(630円)
 ・大袋 約500g(1250円)
 ・無選別 袋なし 1㎏(2300円)
  ※母島内限定、袋なし量り売りでお届けもできます☆(ちょっとお得!)

 ①規格の種類 小袋 or 中袋 or 大袋 or 無選別
 ②数量 何袋(何キロ)
  ※おひとり様1kgまで
 ③連絡先 氏名、住所、電話番号
  を明記してご連絡ください。
 連絡先はブログ左のメッセージ欄、メール、SNSメッセージなどでも受け付けています☆
 直接声をかけて頂いても大丈夫です!
  miyagigian-farm@yahoo.co.jp

父島でも友人農家がローゼルを生産しています。
あまり大量には作っていないみたいですが、
父島の農協直売所に出荷しているそうです。
ぜひとも地産地消で頑張って欲しいと思います!


【内地からお求め】
今年は一人様、最大1㎏までに限定したいと思います。

◎内地発送ご希望の方は下記連絡先までにご連絡下さい。 
<連絡方法>下記のいずれかでご連絡ください。
 ・ブログ左欄にあるメッセージ(連絡先を記入してください)、
 ・Eメール(miyagigian-farm☆yahoo.co.jp ←☆マークを@に変えて送信してください。)
 ・Facebookのメッセージ
 ・電話や島で見かけたときにでも気軽に声をかけて下さい♪

 ①規格の種類:A級(260円/100g) or 無選別(230円/100g)
 ②数量:100g~1kg ※今年度はおひとり様 1kg未満でお願いします。
  (100gでローゼルが9~10個くらいです)
 ③連絡先:氏名、住所、電話番号
 ④発送希望船便(父島出港 10/8、22、29 or いつでもOK!)
 ⑤配達希望時間帯
  を明記してご連絡ください。

(内地発送は冷蔵で発送します)
 内地向けの支払いはゆうちょ銀行への振り込みでお願いします。
 発送時に請求書を同封します。

内容量は注文数より若干多めに入れていますが、
運送中に蒸散で重さが減る場合がありますのでご了承ください。


※2023年秋の出荷はすべて終了しました!
ありがとうございました(^_-)-☆


内地向け発送の場合は、
ビニールに入れるより、段ボールに新聞紙で送るのが一番鮮度保持できることが分かってきました。
見栄えは悪いのですが、いい状態でお届けするのがベストと思いますので、ご了承ください

■ポリシーとして、
作物にとって一番は地産地消であるべきと考えているからなのです。

発送には送料はもちろんですが、多大な流通コスト(発送、梱包、連絡etc)が発生します。

それにはお金が対価として支払われるのですが、
それでは環境負荷に対して補えないものがあると思うのです。
一番は作物はその生産地で消費することだと思っています。

現代の流通の発達のお蔭で、世界は狭くなり、大変便利になりました。
しかし、それによって失われたものも数多く存在します。

僕は持続可能な暮らし実現の為に、
意識は広く、生活活動は狭くあればなぁと思うのです。
内地から沢山の嬉しい声があるのは正直、とても励みになります♪
そしてとてもとても有難いのですが、
なるべくは島内で消費し、加工し、循環していくのが理想だとも思っています。

そんな訳で、今年も内地向けは数量限定で、
予約を受けることになります。
船便に載せるタイミングなどで数量が足りない場合、
諸事情により収量が得られない場合などはこちらからキャンセルさせて頂く場合があると思いますので、ご了承ください。

★また、無選別ローゼルは虫の混入、欠けなどが入っている可能性があります。
風の雨を凌いで、アリなどが中に入っているのがあると思います。
雨風を凌ぐには良い環境なのでしょうが、加工の時はちょっと困る存在です。
剥いてみて、アリがいたら、そっとベランダにでも置いておいてもらえるとそのうちにいなくなります。

また予約状況、天候、生育状況によっては予約されていてもご用意できない場合がございます。
その場合はご連絡させていただきますが、
予約はキャンセルになってしまうのでよろしくお願いします。



■この忙しい10月に今度は議員としての出張も重なってしまい、
色々てんてこ舞いです(#^.^#)

長女も3年ぶりにカナダから帰国したらしく(まだ会えてない)、
久し振りの再開が楽しみです。
もう、お互い顔が分からないかも(笑)。

長女も離れているうちに20歳になるタイミング。
僕が初めて仙台から小笠原に来たのが19歳。

現在僕が42歳なので、
人生の半分は小笠原に住み、
妻や娘達と過ごしているわけです。

そして、2年後には次女も巣立ち、
妻と二人で暮らしていくわけです。
(別れてなければっw)

ローゼルと出逢ったのも、2006年の秋です。
その時は家族でWWOOF(ウーフ)を使った旅で
日本一周をしながら自給自足を学んでいました。

その後、母島に住んでローゼルを生産し、
今では便利屋や議員をやっていたりするわけなので、
人生は分からないものです(#^.^#)

嬉しい風景!父島でムロアジが溢れていた!!

2023年09月30日 | 母島 日常 日記
■今回、議会の都合で4泊も父島にお邪魔しました。
その中で格別に嬉しい、懐かしい景色に出逢いました。

そう、居酒屋にムロアジ料理が並び、
島民が口々に「ムロアジ食べたよ~~!」

島の夏の風物詩、アオムロの漁が行われていたのです!!

これは実はすごく久し振りの光景で、
それがじんわりと嬉しいかったのです☆

ラドフォードのムロアジの刺身。絶品です♡

■僕が父島に住んでいた2009年の頃、
すでに毎年行われていた夏のムロアジ漁はギリギリ実施されていました。

ムロアジはとても美味しい魚で、
刺身やたたき、クサヤなどに最高の魚ですが、
鮮度が落ちやすいために、
本土にそのまま出荷するのに向いていないのが現実です。

一番の漁の目的は、魚を釣るための”餌”として
利用するのが主目的だったのです。

くさやのたたき。釣って2日目になると身が柔らかくて、たたきにします。
ニンニクやショウガと和えるのが僕は大好きです♡


しかし、ムロアジ漁は一人でできる漁ではなく、
一隻に複数人の漁師が乗り、
魚を餌で集め竹の棒で広げた大きな網でムロアジを群れごと獲ります。
これを「棒受網漁」と言っています。

凄く人数も使うし、労力に見合うほどの
収益が見込めるかはなかなか悩ましいみたいで、
近年は冷凍の鯖などを仕入れて、
釣りの餌とするのが主流になって来ていたと聞いています。

そんな中、物価高騰、そして冷凍エサの品質が悪く、
父島では久しぶりにムロアジ漁を再開することになったそうです。

結果、ムロアジが居酒屋などのメニューに並び、
家庭によってはムロアジを頂いて、
沸き立つという懐かしい光景が見れるようになったのです。

→島のレジェンドとムロアジくさやの感動の物語はこちら

■現在、父島では商店が島魚の扱いをやめていて、
一般の方が島の魚を購入するのが難しい状況だそうです。

すごく嘆きの声を幾つも聞いています。

そんな中、ムロアジの棒受漁が再開され、
島民の皆さんは勿論、
僕も目茶苦茶喜んでいました(#^.^#)

僕は食べたムロの美味しさは勿論ですが、
みんなのムロでワイワイしている光景がとても嬉しかったです。
だって、アオムロは村の魚なんですから!

6月に来てすっかり料理の美味しさに魅了された
ラドフォードにお邪魔して、刺身とたたき食べて、
舌鼓を打ちました♡

島寿司もシカクマメの天ぷらも極上でした♥

ご馳走様でした☆


■議会の決算特別委員会で久しぶりに4泊も父島にお邪魔しました。
毎日が凄まじいほどのドラマばかりで、記事にするのが追い付かないのが悩ましいのですが、
母島に戻って来たら、カヌーで一緒に漕いできた仲間引き揚げでした。

色んな離島でスポットで働きながら、
母島が気に入って、年単位のロング滞在になりましたが、
ついに旅立って行きました!
新天地でも頑張ってね☆


夕方、家の周囲の草刈りをしていたら、
突然スコールがやって来て、
そうしたら見事な虹が!!

家にいた次女に声かけて、
二人で虹の撮影。

雨が降った=困った!
ではなくて
雨が降った!=虹出るかな?ワクワク!

そんな心の持ち様が素敵だなと思う、秋晴れの9月末でした(#^.^#)


カノーの石器が語りかけるもの

2023年09月21日 | 小笠原 先史時代
■9月は議員になって2回目の定例会で、色んな質問や動き、まとめをしていたら、
あっという間に20日間も経過していました(#^.^#)

議会の方は議員HPFacebookページの方でアップしてありますので、
そちらをご覧ください(^^♪

この間、議会の他には4年ぶりのカヌー大会や素敵なライヴイベントなどがありました。
そちらは追々アップしていきたいと思います。

まずはタイトルの通り、カノー(アウトリガーカヌーの島の呼び名)の石器を今回、
手に触れて感じたことを書いていきたいと思います。


■この一見、ただの細長い石。

これはただの石ではなく、
磨製石器と呼ばれるもの。

先史時代に小笠原の島々に人の暮らしがあり、
カヌーを彫っていた石器と言われています。
そのきっかけとなった、昭和58年に父島の西町で見付かった丸ノミ石斧。

このドラマは発見者の方からのリクエストで、現在の保管場所を探すことから始まりました。
この石斧は父島の教育委員会の金庫に大切に保管されています。

発見者は現在、島の暮らしを支える貨物船、共勝丸の所長さんです。
たまたま5月、島のおがさわら丸ドック中の物資問題で東京の共勝丸事務所を訪れて話していた時から、
カヌーの話になり、この石斧の話になったのです。

島に戻ってから父島の教育委員会、
そして東京都のビジターセンターの係の方にも一生懸命探してもらいました。

そして、なんとかこの石斧が見つかりました!。
その節は本当にありがとうございました☆

これは先史時代に小笠原にカヌーの民が暮らしていたことを示す、重要な発見でした。

発見が地層とかではなく、旧島民の改築の家からだったので、
出所が不明で重要文化財の指定にはしにくいようですが、
戦前から確実にトウモロコシ等を潰す道具として使われていました。

この石斧の発見がきっかけで東京都の考古学調査の予算が2年間分ついて、
三日月山の遺跡、母島の沖村遺跡、北硫黄島の石野遺跡の発見につながっているのです。

それらの発見は、現在定説となっている江戸時代に最初の定住者と言われているナサニエル・セーボレーらの時代から
現代に至る小笠原定住の歴史の前の時代に人の暮らしが島に有った事を示す、重要なものでした。

カヌー文化研究会の映像を同じ議員仲間の清水さんのFacebookで知ることが出来ました。
9分ごろから小笠原のカヌーについても触れられています。


この石斧へのドラマをきっかけに、島のアナログ映像資料のデジタル化、
その後はケーブルテレビやYoutube配信で有効に活用できる仕組みができないかと思っています。

9月の議会で小笠原の文化財産の管理と有効活用について、
一般質問を行いました。
→議事録はこちら

今回の一連の動きで、デジタル保存化は進むことになったので、
とても嬉しく思います★


■そんな石斧にまつわる発信をしていたら、
世界的にも有名なハワイの伝統航海カヌー「ホクレア」の話が友人から舞い込んできました(#^.^#)

2026年、ハワイの伝統航海カヌー「ホクレア」が太平洋航海を実施し、
日本にも寄港することが決まっています。

小笠原では先史時代に人が住んでいたことが分かっていて、
その手掛かりはカヌーを彫っていた石器の存在があります。

石器は父島、北硫黄島から見つかっています(母島は貝の道具が発見)。

その石器は伊豆諸島とマリアナ諸島の石器に類似していて、
先史時代にカヌーで人が行き来していたと考えられています。

ホクレアは70年代に建造され、最初のハワイ~タヒチ間の伝統航海を成功させてから、
各地の先住民のアイデンティティを蘇らせてきています。

日本で現代に通じる文化の中で、一番最初にアウトリガーカヌーが伝わったのが小笠原です。
今もカヌーは使われています。

しかし、文化という意味でも太平洋戦争時の強制疎開が大きな影響を与え、
戦前と戦後では大きく分断し、現在はまさに文化の形成途上にあると思います。
そんな小笠原だからこそ、ホクレアに来てもらいたい。
色んな島のスピリットを蘇らせたいと願っています。

そして、小笠原とミクロネシアを繋ぐルートを復活させたいと願っています。

今、僕が踊っている郷土芸能の南洋踊り。
これは確実に南から来ている文化です。

カヌーを漕ぎ、南洋踊りを踊る時に意識することは、
先史時代の島の民の暮らしと、南への航路なのです。

昨晩、ハワイのネイティブの教えを学ばせてくれた、
たろちゃんと久しぶりにお話をして、
丁度、先日大事な石器を手で触れて、
改めて、歴史と文化とご縁が繋がる奇跡を感じています。
どうもありがとう!

たろちゃんがアロハ未来という、
2007年ホクレアの日本公開の時のドキュメンタリー映像を教えてくれました♪

He Wa’a He Moku, He Moku He Wa’a
Mahalo!!!

Aloha 未来

道具を愛でるということ

2023年08月31日 | 母島 日常 日記
■先日、母島の暮らしで日常にめっちゃ利用している愛車カブ90DXのメンテナンスを行いました。
やったとことは大きく3つなのですが、
それで一気にバイクは生まれ変わり、
さらに軽快に島の道を走ってくれるようになりました♪

日々使っている時は、
特に不自由なく思っていたのですが、
メンテナンスをしてみて、
「ああ、こんなに頑張ってくれていたんだ!」
「本来はこんな力があったんだ!!」
と思わせてくれるほどの効果があります。

ギターの弦の交換後もそう思ったりするのですが、
やはり道具の日頃のメンテナンスの大事さを思い出させてもらいました。

今回はそんな道具を愛でるお話です☆


■さて、僕の愛車HONDAスーパーカブ90DXは今年で27歳を迎えるベテラン選手。
去年は東北一周を見事に走り切り、まだまだ現役であることをしっかりと教えてくれました。
来年は九州を行ければなぁと企んでいます(#^.^#)

今年の春にハンドル交換
2月には後輪のスプロケットを交換しました。

今回はタイヤの前輪と後輪の交換、
フロントのスプロケットの交換を行いました。

まずは少し手間のかかる後輪の交換です。
まるでF1のスリックタイヤの様にツルツルになってるタイヤでした(#^.^#)
これじゃあ雨の時にスリップするので、流石に限界でした☆

島のベテラン農家さんに聞いたら「3か月に一回交換するよw」と言われ、
めっちゃビックリしました!!
母島は小さな島ですが、畑と畑、出荷と行き来する上に、
道路はアスファルトではなくコンクリートなので、
減りが尋常じゃないみたいです( ;∀;)

うちの畑もオクラやモロヘイヤが安定して採れるようになってきました♡


■後輪外すついでに、ずっとやろうと思っていたフロントのスプロケット交換!
スプロケットというのはエンジンの回転をタイヤに伝えるチェーンにかかるギア部分の部品で、
1万km毎に交換する部分です。

2月にリアのスプロケットを交換していたら、
島の先輩に「ちゃんとフロントの減りも確認しなよ~、多分減ってるから」と言われていました。

カブの場合、カバーに隠れて見えない部分なのですが、
今回はようやく拝見することになりました(^^♪

ど~ですか!この新品(手前)との違いわ!!

今回はギア比も変えてみて、15個から16個のギア数に変えてみました。
いわゆる加速よりもスピードの伸びや最高速を伸ばす変更です。

作業中は手が油まみれで撮影できないのですが、
見事な仕上がりです(#^.^#)


結果、島の走りに見事にマッチしていて、
3速だけのカブ90がさらに最高になりました(#^.^#)
こりゃ楽しい♡

島に整備工場があるので、お金を払ってお願いするのも勿論アリなのですが、
僕の場合は、
やはり自分で愛でた道具というのは、
愛着も付き合い方も変わります。

子供の頃に自転車屋さんで、
かぶりつくように眺めていた時から、
自分でやるようになって、
やっぱりとても楽しいのです。

機械油の匂いと汚れた手が、
なんとも愛おしく感じてしまいます。


■リアのタイヤとスプロケットを交換したら、
今度はフロント側です。

こちらも見事にF1タイヤ状態。

こちらも交換して、見事に元のグリップを取り戻しました。

人生で、色んなバイクをいじって来ましたが、
この世界で一番売れているカブというバイクは、
メンテナンスがとてもしやすい工夫、
日常に使いやすい工夫が随所に見られていて、
開発の方たちの想いがヒシヒシと伝わって来ました♪

道具を愛でる時に、
その道具は勿論ですが、
その道具を作ってきた人たちの事に想いを馳せると、
尊敬の念に溢れ、感謝の気持ちでいっぱいになります。

だから、道具を愛でる事って好きなんです♪

ついつい、日常の忙しさや、暑さのせいにして、
道具のメンテを怠りがちなのですが、
やはりメンテするたびに楽しく、感動を頂きます。
本当にありがとうございます!!


■そんなある日の夕方。
そんなカブのカゴからはみ出し、
ご家庭のまな板に乗らないサイズの
お魚を漁師さんに頂きました。

キハダマグロ1本!!

高速で泳ぐ、
その美しい流線型の身体。
いつも魚の機能美にもうっとりしちゃいます☆


夕方ドタバタと捌いて、
寝る前に晩酌と共に
美味しく頂くという幸せ♡

キハダマグロ、
本当にありがとうございました♪

母島に遊びに来ていた、
友人家族にもお裾分けできました(^^♪

大変な事もあるだろうけど、
これだから島暮らしは最高なんです(#^.^#)

魚を捌く時も、
出刃包丁、刺身包丁の素晴らしさに、毎度感動します。
まな板もやっぱり素晴らしいです。

包丁もまた研いで、愛でていきたいです(#^.^#)


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戦没者追悼式と大好きな先輩の旅立ち

2023年08月26日 | 戦争と貧困
■今年も8月15日がやって来ました。
終戦記念日です。

毎年、この時期になると、広島、長崎の原爆被害、戦争を考え、
命について考えさせられます。

太平洋戦争の激戦の地となった硫黄島がある小笠原。
21,900人が戦死し、まだ1万柱以上のご遺骨が眠ったままの硫黄島。
毎年、遺骨収集は行われていますが、ご遺族の高齢化も進んでいると聞いています。
戦後78年を迎える今も、硫黄島の戦後は終わっていないのです。

小笠原に移住してから、この8月15日はずっと戦没者追悼式に出れる限り出席してきました。

僕は小笠原に移住するまで、
戦争を経験していない、戦争の話を直接聞くことの経験があまりありませんでした。

この追悼式に出席する事、それから島の戦跡や歴史に触れる事、
介護や硫黄島訪島事業でご遺族の話を聞くこと、
沖縄に行って様々な戦争を知る機会などで
少しずつ戦争というものが、どれほど悲惨な事かという事が少しずつ分かって来ました。

今も、ロシアとウクライナの戦争は1年半以上も続いているし、
様々な小さな紛争はこの今も起こっています。
軍事費が増やされ、核抑止論などもよく語られるようになってきています。

凄く悲しいことです。
戦争を決定するのも、動かすのも国の上層部ですが、
いつも被害を被るのは一般市民です。
世界平和を実現しなければなりません。

日々、島のレジェンドと関わると、
戦争当時の話を聞くことがあります。
親戚や、優しかったあの兵隊さんが硫黄島へ向かい、
帰らぬ人となった話など幾つも聞くのです。

小剣先山の麓で、米軍に機銃掃射を受けた時、
パイロットと目が合って、相手は笑っていたという話も聞きました。

今お話を聞かせてくれる80,90代のレジェンドは
多感な十代を、島の暮らしを戦争に翻弄され、
強制疎開で慣れない本土での生活を強いられたのです。

その度に胸が締め付けられます。

戦争が無ければ、あのまま楽園だったと思える硫黄島。
今回の8月15日は本当に色んな事が起きて、
沢山の学びとなりました。

■母島の戦没者追悼式はお昼少し前に始まります。
12時ちょうどの防災無線による黙祷に合わせる為です。

今まで、一般島民や青年会、PTA会長など、
色んな立場で出席してきましたが、
今回は村議会議員としての参加でした。

今回は準備から関わらせて頂きました。


そして、この日をずっと緊張して準備を進めていた人がいました。
次女です。
追悼式の「平和の誓い」として、
子供代表で出席していました。

次女はこの時、中学2年生。
丁度硫黄島の勉強をするタイミングでした。

夏休み前の硫黄島訪島事業(上陸無しの3島クルーズ)は、
なんとコロナに感染してしまい、残念ながら次女はお休みになってしまいましたが、
夏休みに母親と広島の平和記念公園に行き、
原爆の被爆者の話を直接聞いて、
戦争への理解、そして自分たちの今後の行動についてもよく考えているようでした。

そして、8/15に母島にいる中学生は次女だけということが判明し(夏休みでみんな留守!)、
彼女が平和の誓いをスピーチすることになりました。

前日の夜は日付を跨ぐほど、文章を考える程、
ずっと話す言葉を選んでいました。

当日、ドキドキのリハーサルを経て、
しっかりと本番では平和の誓いを話していて、とても素晴らしかったです!


次女がスピーチする前ですが、
みんなで黙祷する1分間、平和の鐘が鳴らされます。
その瞬間、いつもみんなの祈りの波動を強く感じるのです。
とてもとても大切な時間だと思います。

平和への祈りが力を感じさせてくれました。

1日もはやく、世界が平和になるように、
1日もはやく、ご遺骨が見つかって本土、ご遺族の元に帰れることを願ってやみません。


■そして、今回の8月15日は別の意味でもとても大きな1日でした。
その日の朝に大好きな母島の先輩が亡くなったのです。

50代という若さで、天へと旅立って行きました。
あまりにはやいお別れでした。

大好きな小笠原太鼓を叩き、
優しく教えてくれて、
カヌーも一緒に漕ぎ、
男フラの時のパーカッション(一斗缶と便所スリッパw)をしてくれた、
大好きな大好きな先輩でした。


その3日後の8/18に火葬式を行うことになりました。
内地から急遽、ご親族も来島し、
大好きな先輩のお別れとなりました。

みんなの太鼓が鳴り響き、
先輩が大好きなレゲエが流れる、
厳かで温かい雰囲気の火葬式でした。


父島からも村長や課長さん、
友人が駆けつけてくれました。

僕は去年から母島の火葬場のオペレーターとして仕事をしていて、
すでに数回経験をしています。
誰一人知らない人を火葬したことはありません。
みんな生前、話したことがあるし、
仲良くさせてもらっていた方たちばかりでした。

年齢も100歳を超えるレジェンドもいらっしゃって、
本当に心からお疲れ様と思える火葬をしてきました。

でも、今回は、
僕は骨を拾いながら、
急に寂しい気持ちがこみ上げてきて、
目から涙が溢れました。
ただただ、寂しい気持ちが溢れてきました。

前日まで、思い出コーナーとして準備する写真の取り込みや、
遺影の写真を選ぶ作業をしたりして、
ああだこうだ言いながら、
でも家族の先輩を想う気持ちがすごく優しくて、
骨を拾うまで、こんな気持ちにならなかったのに…
この文章を書いている今も寂しい気持ちが溢れて止まりません。

きっと天国で先に待っているお師匠と、
笑顔で飲みながら太鼓を叩いていると思います。

大好きだった先輩、
心からご冥福をお祈りします。



■この1年間、
こんなに命の事を考える事はないのでは?と思うほど、
色んな魂を見送って来ました。

誰にでも平等に死は訪れるものだけれど、
こんなタイミングってないでしょ⁉って思うような別れがあります。

当時は疑問にも思いませんでしたが、
39歳で亡くなった父も、55歳で亡くなった母も、
今思えば早すぎるのです。

あまりの現実に心が追い付いてこないのです。

僕自身もいつ死ぬか分からないので、
後悔のないように生きようと強く思わされます。

戦争をなくすことはもちろん、
みんなが笑って過ごして、
みんなが笑って最期を迎えれるような、
そんな世の中にしていきたいと思える、そんな夏の日でした。

どうもありがとうございました。








僕が好きな【島でのイルカ・クジラとの関わり方】

2023年08月13日 | 小笠原 野生動物
■僕は今、母島で暮らしています。
そして、SUPやアウトリガーカヌーを漕いでよく沖に出ます。

有難い事にその暮らしの中で冬は特にザトウクジラ、
夏はイルカ達(ミナミハンドウイルカ、ハシナガイルカ)に出逢うことがよくあります。


先日もSUPで御幸ノ浜沖でハシナガイルカの大群に逢うことが出来ました。
船だと船の引き波に乗って、いやっほう!と遊んでくれるハシナガイルカですが、
SUPやカヌーは速度が足りないないらしく(涙)
大体、スルーされることが多いのですが、
今回はSUPの下に寄って来てくれました♡
たまにあるんです(#^.^#)

手漕ぎのSUPやカヌー、
もちろんエンジンのボートなどは
イルカやクジラにとってはどんな存在に映っているのでしょうか?

カヌーを漕いでいて、親子連れのザトウクジラに出逢った時、
母親やエスコートと呼ばれるオスのクジラが子クジラを守る様な動きをすることがあり、
明らかにこちらを意識していると感じました。

漕いでいる僕や仲間たちにとって、
このイルカやクジラとの遭遇はとても嬉しくて、興奮して、つい近寄りがちです。
だけど、相手が警戒していると感じる時は特に最新の注意を払います。
それは僕たちが相手の世界にお邪魔している立場で、楽しませてもらっているからと考えています。

ザトウクジラにいたってはとても大きくて、
メスだと15m(大型バス1台分)くらいになるので、
仮に接触、ヒレに当たる、ブリーチ(ジャンプ)して当たったら命の危険をはらんでいます。

漁船などエンジンのボートで接近する時はあまり気にならないのですが、
カヌーで接近する時、SUPやカヤックで接近する時は間違いなく怖さを明確に感じます。

その怖さ、そして畏敬の念がとても大切な気がするのです。


■僕は仙台の生まれ育ち、何故か子供の頃から鯨類が好きで、
よく図鑑やNHK「生き物地球紀行」でクジラ特集を食い入るようによく見ていました。

震災前まで女川にあった捕鯨の博物館(現ホエールランド)にも子供の頃、父親に連れて行ってもらい、
図鑑やTVでは分からないその迫力に感動した記憶があります。

19歳の頃、初めて観光で小笠原にやって来て、
当時カナヅチだった僕がイルカと泳ぎたい一心で泳ぎを習得したという経緯があります(#^.^#)
ほんとに水が怖かったんです(笑)。

その頃、父島にサザンクロスⅤというガイド船があって、
船長の東城さんのイルカやクジラに対する優しい考えやアプローチが素敵だなと思っていました。

21歳の頃に父島にやって来た時は、宿で仕事をしていました。
もう東城さんは残念なことに亡くなっていて、
僕は休日に色んなボートでホエールウォッチングやドルフィンスイムに通っていました。

何度も何度もツアーに出ているうちに、
ふと違和感のようなものが僕の中に感じられるようになりました。

自分たちは楽しむ為にイルカやクジラに接近している。
でも気付けば複数のボートで入れ代わり立ち代わり人を入れて、
群れに対して追いかけまわしている印象を持ち始めたのです。

ノビノビと遥か彼方(中央奥)で跳ねるハシナガちゃん。

■小笠原は小笠原ホエールウォッチング協会(OWA)があります。
捕鯨が国際的な流れで中止になり、その翌年の
1988年4月から日本で初めてのホエールウォッチングが母島で始まっています。
小笠原は最後の捕鯨の重要エリアとして基地があったのです。

当時、捕鯨が出来なくなったタイミングで、
すぐに獲るものから見るものへと転換したその柔軟性が凄いと思います。
島の先人たちは、この先を見越し、模索して
ハワイなどにウォッチングの視察に行き、
ルールや在り方について学びに行っていたそうです。

そして、小笠原ではOWAがクジラの接近に関して自主ルールを設けて、
イルカに関しては小笠原観光協会が運用して、
現在も近付き方、距離、回数などの制限を設けています。

これは大事な観光資源でもある、イルカやクジラと、それで商売をしている人たちのバランスを考えた、
国内でも先鋭的なルール設定だと思います。

僕はそのルールに関して、違うとかどうとか思っているわけではないですし、
それでガイドをしている皆さんに対して不満を持っているわけでなくて、
僕自身がそのツアーに参加してエンジンボートでアプローチすることに違和感を持ち始めたという事です。

丁度その頃、父島の宮之浜での素潜りが盛り上がっていて、
「チーム宮ノ浜」なんてのもあった頃、
宮之浜でミナミハンドウイルカと遊んできたという話が飛び込んできました。

僕はそこでピン!ときました。

僕はボートで会いに行くスタイルよりも、
海で遊んでいて、ふと偶然にイルカとコミュニケーションを取る、
遊ぶの方が好きだなぁ、と。

SUPで自然に出逢うハシナガイルカ達

■気付けば小笠原に移住していて、
今ではイルカやクジラが暮らしの身近な場所にいて、
年間通してよく海に出ている僕には日常の存在になってきました。

もうあの違和感を持ってからは、ほとんどガイド船に乗ることはないのですが、
海岸清掃やPTA行事、仕事などで沖に出て遭遇することはあります。
その時はやっぱり嬉しいし、思わず写真も撮っちゃいますが、
僕はSUPやカヌーを漕いでいて、偶然に出逢う方が好きなようです。

エンジンの付いたボートでは味わえない、
沖の静寂な中にかすかに聞こえるイルカの呼吸の音、
ザトウクジラの歌声が海面の上にいても直接聞こえる感覚、
どんなに一生懸命漕いでも、野生のイルカやクジラの速さや存在感に叶わないという、
圧倒的な無力感、
そのどれもが僕にとっては大好きな在り方でした♪

母島はガイド船というものがあまりないので、
SUPやカヌーで静かに眺めていても、
急にボートが集まってくるという事はまずありません。

実際にカナダに行った時、
テレグラフコーブ、アラートベイで感じた、
シャチなどの鯨類に関するアプローチ、そしてレクチャーの仕方や、
ガイド同士の連携、船の操船やエンジンと音まで配慮するその姿勢は
とても素晴らしく、感動を覚えました。
当時の感動はブログ記事に書いています。

近年、奄美のホールスイム等が話題となり、
SNSでもよく見かけます。
実際に経験した友人、知人の話、
実際に現地でガイドしている友人、
クジライルカ会議でのホエールスイムでの論議、
今、日本においては、ヒトと鯨類の距離感について
とてもホットな話題だと思います。


■そんな中、子供の頃から大好きで食いつくように見ていた図鑑の作者でもある人の言葉が飛び込んできました。
写真家でジャーナリストである著者の水口博也さんが、
とても興味深い記事をOWAの機関紙メガプテラVol.93号に書いていました。

これは本来OWA会員に配布される機関紙ですが、
年に一度程度、島内全戸配布を行っています。
今回はそこに載せられた記事で、
OWAの気持ちのこもったスタンスが感じられました。
勿論、賛否両論があると思います。

人が鯨類に近づき過ぎる事、ハラスメントの影響を警告し、
ずっと関わってきた水口さんならではの考察、
最後の一説にはさすがの一言に思えました。

「化石燃料を燃やし続けて鯨類の親子を追い回しながら、
感動の出逢いを謳うという欺瞞(ぎまん)からは動物福祉の観点からも、
気候変動を最小限にする地球人の義務としても、そろそろ決別すべきときだ」
と。

そして巻末のOWAからの一言にも、
「野生動物観光の持つ負の側面をみんなで一緒になって考え、
解決していく事が大切だと思っています」
と書かれています。

僕はこのタイミングでこの発信はすごい勇気のいる事だと思うし、
常に時代と、生き物と自然を考えて、柔軟に考えていこうというスタンスは
とても素晴らしい事だと思います。

そしてここではごく一部を切り取って紹介しているだけにすぎないので、
ぜひ機関紙メガプテラVol.93をしっかり読んで、
理解を深めてほしいと思います。


■この小さな小笠原においても幾つもの自主ルール、条例があります。
それは何も自然系だけでなく、人の暮らしにも様々なルールがあります。

それは先人の皆さんがその時のベストを考え、
最善を尽くして考えた結果だと思います。
本当にリスペクトの気持ちでいっぱいです。

しかし、時間の流れ、時代、価値観、自然は刻一刻と状況が変わっていきます。
常に過去に設定したルールが、
現状に合っているか?を見直す柔軟な姿勢は今後、とても大事な事だと思います。

そして、僕個人の考えになりますが、
一つのルールがあるのも大事ですが、
白黒のどちらかではなく、グレーを含む多様性が大事な時代になっているとも思うのです。

黒が白を塗りつぶすのではなく、
白一色にするわけでもなく、
どんな色も在っていい、大事なのは決め事よりもバランス、
そして常に見直して変える柔軟性が重要、そんな気がしています。

価値観の多様性を認める事。
言葉にすれば簡単ですが、
それはとても難しい事だと思います。

そして、その全体をみんなで漕ぐ一つのカヌーであるという意識。
イチ分野、イチ視点だけでなく、全体を見ることの大切さ。
価値観が違ってても、共に生きて、漕ぎ続けようというスタンスが重要になっていると思うのです。


■そして、それを生業としている人だけが考え、
実行するのではなく、
それらを利用する側、消費する側も、
考えてセレクトすることが求められます。

それがそのまま投票になります。
利用する側、消費する側も選ぶという意識を持っていることが大事と思うのです。

ルールで決まっているから、とか、
今までこうだから、ではなく、
自分自身の責任で以て考え、判断し、それを選んでいくこと。

それが今混沌と化している、
どこに向かえばいいか見えにくい時代において、
健全な世界を作って行く方法な気がするのです。

今でも追いかけまくっても、
どうせ毎年小笠原に来るんだから、
自主ルールなんて気にしなくていいという人もいるし、
大事な資源なのだから、
大事に気を遣って接していくべきという人もいます。

どっちが正しい悪い、ではなく、
よく考えてどっちを選んでいくのか、だと思うのです。
そしてどっちも存在できる社会がこれからの時代な気がしています。

日々、大好きな鯨類に関わる中、
この人と野生動物の関りの事をずっと書こうと思っていたら、
OWAの機関紙が配布されて、一気に記事にしちゃいました。

あくまで僕個人の考察ですが、
皆さんが地球に住む一つの命として考えて、
これからの未来に向けてカヌーを漕ぐ一員として、
考えるきっかけになれば幸いです。

長文を最後までありがとうございました!!

強い台風7号「ラン」通過!!母島

2023年08月11日 | 母島 台風
■台風7号「ラン」が母島、小笠原諸島を通過しました。
今年初の台風の直撃でした。
ゆっくり目の台風なので、まだ強風域です。

当初の予想では、
割と島の東を通過するし、
勢力も970hPaとそこまで強くないし、大丈夫だろうと思っていました。

しかし、最接近2日前になると予報がどんどんと変わり、
速度が遅く、勢力は940hPa、最大瞬間風速は60m/sと侮れない数字に。
僕も含め、最初は舐めていた島民も慌てて台風養生をしっかりする展開になりました。


結論から言うと、今回は弱った木の倒木が見られるくらいで、
停電もなく、家屋の損傷などはあまり見られていない気がします。

当初の予想では2019年の未曾有の大被害をもたらした台風21号に匹敵するかもと、
ドキドキしていましたが、
フタを開けてみれば、割と大きな被害のない穏やかな台風通過となり、ホッとしています。

毎度、台風の度に思います。
「養生しただけ損したね、が一番だよね」と。

最接近の前日の夕方に、
内地から帰って来たばかりの妻と次女が外の様子が見たい!と言うので、
安全な範囲で見廻ってみました。


気象庁の予報では940hPaでしたが、
実際の手元の気圧計では975hPaでしたし、
Windyでも977hPaだったので、
そこまで危険な気圧にはなってない気がします。

それでも、間違いなく風速30m/s以上は出てるし、
沖に出たらアウトな海況ですので、
やっぱり台風はヤバいです。

現在の母島は吹き返しのピークも過ぎて、ホッとしています。
避難所は8/10の17時から、今の段階も続いているので、明日の朝まで続くでしょう。

何度か避難所にも顔を出しました。
避難している方もそうですし、
避難所を運営管理してくれている役場の方も本当にお疲れ様とお伝えしました。

避難している高齢の方の自宅の倒木は、
簡単ですが片付けして、通れるようにしてきました。

これから台風7号は伊豆諸島、そして本土に向かって行ってます。

最近は小笠原を過ぎてから台風が発達するケースも多く、
その後がとても心配です。

無事の通過を祈るばかりです。

■母島の養生はまず、漁師の船の丘揚げから始まる気がします。

今回は若手の漁師がみんな夏休みで家族で内地に長期休暇に行っているので、
割と年上の漁師さん達ばかりで、すんごく大変だったと言ってました。
本当にお疲れ様です!!


ははじま丸も9日に入出港の接続を行い、
その後は数日間欠航となっています。

内地に行っていた妻と次女も、ギリギリこの便で帰ってきました♡
1か月振りに自宅に着いた次女も、
怒涛の内地を駆け巡って、ようやく自宅に辿り着き、
ゆっくり休めているようです(#^.^#)

母島に帰ってきた時に、
じんわりと嬉しそうな表情をしていたのが印象的です。
やっぱりホームっていいですよね♪


売店も接近前の最後の営業で長蛇の列が!!
みんなお菓子やお酒、カップラーメンに普段買わない食材など、
なんだか楽しそうにも見えます(^^♪

■畑の作物も、台風をなんとか乗り切って欲しいですね。

夏の主食のモロヘイヤも、一度潮枯れするでしょう。

100本のローゼルも倒れるでしょうが、
また起こします。

硬さよりも、柔らかくしなやかの方が実はたくましいのです。
人間も一緒かな(#^.^#)

島オクラはごっそり実を落としました。

重いとそれだけ風の影響を受けるので、
実を軽くするためです。

正直、母島も父島も思ったよりも穏やかに台風が通過していったので、
今はホッとしています。

しかし、これからのコースが心配です。
洋上や停電の備えをして、無事を祈るばかりです。

自然界において台風は間違いなく脅威ですが、
冬というリセットのない亜熱帯の小笠原にとっては、
なくてはならない存在です。

台風がもたらす雨水、
海から山に戻すミネラルと塩、
徒長した枝を整理する強風、
高温で白化しそうなサンゴの復活など、
ちっぽけな僕の目と頭ですら幾つも存在意義を感じられる台風です。

大自然の中では人なんて、
本当にちっぽけなんだと思い知らされるのも、
大事な気がするのです。
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■父島の友人が歌手のUAの記事をシェアしてくれて、
大事な気持ちを思い出させてくれたので、
ここに記しておこうと思います。

大好きなUAが13回目のフジロックを終えて、
感じている事。
「実は先週まで、ホテル住まいだったのね。
高層ビルの迫る窓から見下ろす景色は、猛スピードで行き交う車、
夜中も騒音は絶えることなく、照りつける日差しの下、
行き交う人々はいまだマスクをして、うつむきがちに歩いてる。
街路樹まで息苦しそう。

先に、五月の真夏日、なんて書いたけ ど、その比じゃない今夏、鉄板焼きの上を歩くかのよう。
この焼け付く暑さは、自然を破壊し続けた私たちへの直球のメッセージじゃないのかなって。

コロナ禍に強いられた規制は耐え難かったとは言え、
世界的に経済活動が緩やかになったことで、自然環境が健やかに変化したことは、
これからやってくる気候変動と社会のあり方を予見するものだったと思い出されるよ。」


3年前、初めてのコロナ禍の行動制限でインドや中国の空気が綺麗になって、
今まで見えなかった山々が見えたという話を思い出しました。

内地から帰って来た妻子も、
内地の夏の暑さは尋常ではなく、
島の涼しい風と海に救われたと言っていました。

あまりの暑さにクーラーを設置して、
さらにその室外機からは熱風を吐き出して、
さらにヒートアイランド化が進む。

ゼロカーボンを宣言した小笠原村。
しきりに父島の良さんが議会でも訴えているけど、
もっともっと自分たちにできる事を模索して、
それぞれが考えて動かなければと思います。


終末期をどう生きるか?

2023年08月06日 | 母島 日常 日記
■便利屋を開業してから、
人が亡くなった後の片付けや、居抜きの部屋を片付ける事があります。
そこで人の終末期というものについて考えさせられることがあります。

誰にでも平等に死は訪れるし、
人は最後はひとりだと思うのだけれど、
人の終末期の形は様々だと思います。

僕の父は母と離婚して、別に暮らして8年後に病死しました。(享年39歳)
尊厳死を望んでいた母はカナダで脳死状態となり、
最愛のパートナーに見守れながら、最後を迎えました。(享年55歳)
※2014年に尊厳死というテーマで記事を書いています。

人はどれくらい、
自分が望んだような死に方ができるのか?
人が死ぬとき、どんな想いになるのか?

野生動物は、
自分で生きていけなくなったら(食べ物を採れなくなったら?)、そのまま死んでいくのが多いと思います。
写真の元気に跳ねてるイルカだって、最後は死にます。
丁度、島のレジェンドを散骨した帰りのジャンプでした。

僕も子供を授かってから、
ネイティヴ・スピリットに興味が出て、
その最後の死に方に憧れもしました。
「今日が死ぬにはもってこいの日だ」
そんな想いで最期を迎えたいと今でも思っています。

僕も42歳になってみて、
若い頃とは違う身体を感じています。
もう夜更かしはできないし、体力も衰えてくるでしょう。

最近はリアルに人の終末期を感じる機会が多くなりましたが、
今自分が一番最初にしようと思った事は、
家族を、仲間を、人のご縁を大切にしようという事でした♪

■議員になってみて、
人の終末期の希望に寄り添える仕組みが作れないかと思っています。

父島にはあるけれど、
母島にない老人ホームみたいな施設なのか、
それとももっと安心して、
自宅で最後まで住み続けることをサポートする仕組みなのか、
どれが正解なのかは分かりませんが、
実現できればと思います。

島の大先輩達からも切望されている問題です。
母島では小笠原空港よりも、
よっぽど住宅問題と終末期の問題の方が切実な気がしています。

そして、自分自身の人生の終末期も、
議員としての仕事も、
みんなの知恵と力を借りて、
住みよい島に出来ればと願ってやみません。


■今日は77年前、広島に原爆が落とされた日です。
僕はまだ広島や長崎に行った事はありませんが、
近いうちに必ず訪れるつもりです。
世界が早く平和になって欲しいと祈り続けています。
そして、核のない世界の実現を願っています。

そんな本日、
西と南の海が悪くてカヌー練習が中止となったので、
北港に行って来ました!

久々にロングフィンを出してきてシュノーケルをしたのだけれど(最近はほとんどギョサンにゴーグルばかりでした)、
うねりもなく、透明度が抜群で、
凄く気持ちのいい海でした♡

何千という黄色い魚(名前わからず)の大群に囲まれ、
なんだかすんごく心がリフレッシュする海でした♪

そのあとは約束していた大好きな家族に
ファミリーポートレートを撮らせてもらい、
SUPで沖合へ。

東北出身で、19歳で初めて父島に来るまでカナヅチだった僕ですが(笑)、
今はこうして毎日のように海に行っては充電させてもらっています。

僕にとって海って、確かに体力は奪われるのですが、
確実に色んなエネルギーを充電できて、
リフレッシュできる場所になっています。

自営業がメインだし、畑もやっているので、
100%休日という日はない(作ればできるけどw)のですが、
日曜日はやっぱりどこか肩の力が抜けて、
ゆっくりしようかなぁと思って、
北港で読書もしました。

発売されたばかりの「硫黄島上陸/酒井聡平」。

祖父が硫黄島が戦場になっていた頃に
父島で無線の通信の仕事をされていた方のお孫さんにあたり、
滑走路下の遺骨収取にも関わった方の本です。

まだ全部は読めていませんが、
生々しい描写で、圧巻です。

1日も早く、世界が平和になりますように。

いのちを想う

2023年07月25日 | 大切にしていること
■先週、僕は急に腹部が痛くなりました。
キリキリと辛い痛みでした。

丁度、それは父島に用事があって、
行っていた日の夜に痛み始めたのです。
まあ、一晩寝てれば良くなるだろうと安易に考えていました。

しかし、それは朝イチはいいのだけれど、
次第に父島で動いてる中でもキリキリと痛み出しました。

北港の水中から太陽を臨む

それでも楽天家の僕は、
ははじま丸で寝て休んでいれば、まあ治るだろうと思っていました。

しかし、母島に着いても痛みは一向に治まらず、
そのまま入港日の配達作業(宅急便など)に突入ました。

痛くて走れないし、
重い荷物が持てない。
ようやくここで、
僕は深刻に考えるようになりました。

痛いのは体の左側のお腹と胸の間部分。
なんの臓器があるのかな?

次女はバレーの遠征でもう内地に行ってるし、
妻は3日後に船に乗って内地に行ってしまう。

独り島に残って仕事を続けるつもりだったけれど、
もしかするとそれもできなくなるかも?

子どもも大きくなって、
最近はいつ死んでもいいだろうと思っていたけれど、
いざ、お腹が痛み出すと、それなりに怖く感じるようになってきました。
人なんて弱いもんです。

カヌーの浮き(アマ)部分に乗ってる巨大ナマコ

盲腸かな?
胃かな?
もう40代だし、ガンかな?
ここ数年、40代で亡くなっている友人、知人が数人いるので、
そんなことも頭をかすめました。

あまり普段お腹が痛くならない僕は、
勝手に色々想像して怖くなってきました。

覚悟していたと思いつつ、
人間なんて脆いもんです。

あまりにお腹が痛くて仕事にならないので、
夕方、急遽診療所で診てもらいました。

島のドクターの診断は、
姿勢や向きで痛みが変化するので、内臓ではなく、お腹周りの筋肉が傷んでいるのでは?とのこと。

得体の知れない、内臓由来ではなく、筋肉系じゃないかと聞いて、
心底ホッとしました(#^.^#)

最近北港でよく見かけるギンガメアジの群れ
診察の後、そのまま入港日の宅急便の配達に戻りましたが、
症状が回復しているわけでもないし、
ドクターには「島の限られたマンパワーというのはよく分かります。無理のない範囲で動くのは大丈夫です」
と言ってもらっていたので、
重い荷物や階段を上がるのはなるべく若手にお願いして、
その日はなんとか乗り切りました。
(家に帰ったらバタンキューでしたw)

その後、3日ほどで痛みは少しずつ消えていき、
4日後には痛みもなくなり、すっかり完治しました。

少し指を怪我したり、どこか故障するたびに思いますが、
健康であることがどんなに有難いか再確認しました♪

妻に心配してもらえて、
ああ、この世にこんな自分を気にかけてくれる人がいるんだなぁと
有難く感じました☆

心配、フォローしてくださった皆さん、本当に有難うございました!!

SUPで大沢海岸へ

■そんな自分の脆さを感じていた最近、
色んな「いのち」を考えさせられる事が続いています。

自分が中1の頃、父が真夏に亡くなり、死後1か月で発見してもらい、
腐敗してしまった父を多くの人がその対応をしてくれたという経験があります。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

自分自身、消防団や色んな仕事の中で、
亡くなった人に関わるという機会も何度かありました。
島に来て学ばせてくれるヨガの不久先生の教えもあって、
今の42歳の僕は人の死に触れることがあまり特別ではなくなってきました。

そんな自分の「恩送り」という意味合いもあって、
去年から母島の火葬場のオペレーターの仕事をしています。
文字通り、亡くなった方の身体を火葬して、骨にする仕事です。

地域としてもとても大切な仕事ですが、
そんなにやりたがる人もいないのが現状で、
現在の母島では火葬場のオペレーターは僕を入れて2名しかいません。

知らない島民がいない小さな島の火葬場なので、
もちろん火葬する時、棺に入っている方は、
介護の仕事で関わっていたり、
近所の方だったりします。

その人生のフィナーレを務めさせてもらえる大事な仕事をやらせてもらえるというのは、
本当に有難い事だと思っています。
毎回、沢山の学びと気付きを頂きます。

7/11脇浜 珊瑚の産卵でした!

■先日はずっと大好きだったレジェンドの方が天国へ旅立っていきました。
1世紀を超える長寿で、最後の最後までしっかりとしている方でした。

安らかに眠る棺の中に、
沢山の島の花を添えられました。
よく知った顔ぶれの中、
厳かに火葬式が執り行われました。

僕はこの春に五目並べで2連敗していて、
勝ち逃げをされました(笑)。
僕に勝った時も最高の笑顔でした♪

今頃、大好きだった奥様と、
天国で再開して色んな話をしている事だろうと思います。

僕も大好きなレジェンドの火葬ということで、
しっかりと100年を超えて魂を支えた身体を、
天に還すお手伝いをさせて頂きました。

本当にありがとうございました。
お疲れ様でした!


■妻が42歳の頃、
「人生の折り返し地点になってみて、命というものの捉え方、死に対する感じ方が変わって来た」
と言っていました。

42歳になった僕には、まだその言葉はピンときません。

だけど、
人の死というものは特別でもなく、
恐れるものでもなく、
誰にも平等に訪れる、
当たり前のものであるという感覚になって来ています。

とは言え、
突然の事故や病気、心の病で急に命が消える時、
本当にどうしようもない気持ちに揺さぶられます。

幼い子供や家族、これから共に生きようとしていた伴侶などに、
本当に大きな影響を与えます。

僕自身、父も母も亡くしていますが、
少なからず色んな影響があったと思います。

あまりにも急で、
心の整理がつかない事もあったりします。
そんな時は時間に身を任せたりしています。

魂が千の風になって、この空を舞っていると自然に思えるまで、
時間が癒してくれるのを待つことが唯一の方法だったりもします。


■冒頭の腹痛で、大丈夫と思っていた自分に死の存在がちらっと見えた時に、
沢山の学びと気付きを頂きました。

繰り返される日々の中で、
あまりにも辛くて気持ちが整理できない事も今でもあります。

僕自身もいつ死ぬか分かりません。
海で死ぬこともあるかも知れないし、
バイク事故で死ぬかも知れない。
病気になるかもしれないし、
想像もつかない何かに巻き込まれることもあるかもしれない。

幸いなことに、子供達もしっかりと無事に育ってくれたので、
今自分が死んでしまったら、
どんなこと後悔するかなと考えてみると、
そんなにシビアに悔しい気持ちになる事もないような気もしています。

土壇場でやっぱり猛烈に後悔するかもしれません。

ゆっくりと夫婦で旅がしたかったね~
そんなものかも知れません。

いのちはどうなるかも分からないので、
やっぱり1日1日を大切に生きたいと思います。

どうせ生きるなら、死ぬまでやっぱり楽しんで生きようと思います♪
どうなっても笑って死ねるように生きたいなと考えています。

そんないのちを想う、母島の夏の日でした(#^.^#)

20年ぶりの小笠原YHで一緒に働いたメンバーの同窓会を母島でできました!
こういうの、やっぱ嬉しいなぁ!詳しくはOYHブログ