■1月の末、次女の高校受験が終わりました。
お陰様で第一希望の高校に受かる事が出来て、
今度の春からは親元を離れて、小笠原を巣立ち、
新天地で頑張っていく事になりました♪
沢山の応援と励まし、フォローをありがとうございました!
そんな今、母島は寒緋桜が満開です。
卒業式にはもう散ってしまっている桜の花は、
受験生たちを祝福してくれていました。
母島に帰って来て、合格発表の結果を聞いて、
嬉しくて飛び上がって頭をぶつけた次女(笑)と、桜を見に行きました。

去年の今頃は「私は小笠原高校(父島)でいいから」そんな話をしていたと思います。
別に小笠原高校が悪いと思っているのではなく、
その決め方がどうかなぁと思ってはいました。
しかし、次女の人生は本人のもの。
自分で決めて、自分で受け止めていくものです。
自分で決めて、自分で受け止めていくものです。
そんな中、夏休みに内地の高校見学の話をしていた時に、
5月か6月ごろのある日、
「私は知っている環境の高校を選んでしまったら、
卒業後に環境の変化にすごく自分は苦労してしまう気がする。
だから、高校から知らない環境に飛び込んで頑張っていきたい!」
そんな決意の言葉を言ってきました。
今思えば、そこから動きが急に変わったと思います。
地域みらい留学などから、希望の学校を見つけ出し、夏に見学する予定を立てます。
面談の時も先生が「顔つきが変わった。君のこの瞬間を待っていた!」と嬉しそうに言ってもらっていました。

中2の頃から、親は色んな高校見学の気持ちはありましたが、
なかなか本人はそのリアリティに追いつけず、
でも母島を離れる現実が近づいているのも分かっていて、
その中で思春期の葛藤もあり、色々悩ましかったと思います。
考えてみると、
自分が中学生の時は、すでに仕事をしていて社会に関わっている僕でしたが、
地元仙台以外の高校に行くなんて、選択肢にすらありませんでした。
そう思うと、当たり前に高校のない母島の中学生の意識は、
なかなか想像しがたいものはあります。
6年前、姉の長女は中学を卒業し、色んなご縁がつながり、
カナダのバンクーバー島にある公立高校に留学して行きました。
その選択肢も十分ビックリしたものです。
あまり人見知りのしない僕や長女の性格とは違い、
外の世界に自ら飛び込むのに大きな決意がいる次女にとって、
内地の高校に進学するという選択は
自身にとってとても大きな事だったと思います。
しかし、敢えてその選択をした娘を、精一杯応援したかったのです。
受験をする、ここまでのプロセスにも十分に意味がありました。
受験後にもちろん不安いっぱいだったけれど、
「結果はどうであれ、本当にいい経験が出来た!
面接がすごい楽しかった!
受験させてくれて、ありがとう!」
と言って来ました。
そんな気持ちに至っただけで、親としてはもう十分でした。
無理せず、自然体で挑んでみて、あとは任せる。
でもだからこそ、その結果の合格がなお嬉しかったのです。
このスタートラインに立てるといいなぁ、
ご縁が繋がるかなぁと思っていたら、見事に繋がったのです♪

■沢山の方に支えられて、
1月11日出港のははじま丸~おがさわら丸に乗り、
受験会場現地の近くに滞在し、
受験を終えて、1月29日の船で母島に帰って来ました。
何と長い受験期間でしょう。
12月におがさわら丸の係船機器故障による、緊急欠航があったので、
その心配もあり、1便早めたという背景もありました。
今回の受験は“総合選抜”という、あまり聞き慣れないもので、
言わば、学校からの推薦ではなく、
自分自身が自分自身を推薦し、挑戦するという新しいスタイルの挑戦でした。
2日間の試験で、
1日目は1時間に3教科の学科試験+面接。
2日目は面接というもの。
2日間の試験の為に、慣れない寒い気候の中、長~い本土滞在をして、
特に体調を崩すことなく、無事に受験を終えて帰ってきて、
まずはそこでホッとしました。
島に帰って来た翌日が合格発表の連絡でした。
総合選抜は学科試験はあれど、面接に2日間かけるものでしたので、
面接の重要性は大きいと思います。
1日目は失敗して落ち込んだようですが、
2日目は手応えがあったらしく、いい顔で帰って来たようです。
妻から送られてきた次女の写真は、
満足気な顔をしていました。
僕は島でせっせと仕事をして待っている立場でしたので、
どんな様子だったのかドキドキでした。

“人事を尽くして、天命を待つ”ではありませんが、
親としてできることは大してないので、最後は神頼み☆
合格発表の日、僕は午前の仕事を少し抑えて、
発表直前に月ヶ岡神社に参拝。
青空があまりに綺麗で、ふと、うまくいく気がしました。

続けて、妻のお腹に次女がいた時に無事の出産を祈って、
毎日通った御嶽神社へ向かいました。
厳かで、大丈夫、心配ない。そういわれた気がしました。
もちろん、合格発表後には次女とお礼に参りに行きました。
幾度となく小さな島をドライブし、親子で色んな話をしてきたドライブ。
不安でいっぱい、受験の重圧から解放された次女はずっとニコニコでした(#^.^#)
思えば、6年前の長女の時はカナダ留学は希望して、
オンライン面談して、手続きをしてもう決まっていたので、
特にこうした緊張はなかったですし、
1学期だけ小笠原高校に行くために受験をしましたが、
あまりこうした緊張感はありませんでした。
(都立高校は母島で受験できます)
我が家にとっても初めての娘の内地高校の受験だったのです。

過疎地域の生徒数を支える取り組みとして、
この数年、地域みらい留学が活発になり、
寮付きの公立高校が日本中に増えているのは本当に有難い流れでした。
母島の様に、中学までしかない離島の保護者にとっては、
有難い事ばかりの制度です。
6年前の長女の高校進学時はあまり聞こえてこなかった制度でした☆
今回、この制度を学んだことで、島の保護者にも説明できる事になりましたし、小笠原側の受け入れも考えていきたいと思ってます(#^.^#)

■母島の中学3年生の内地希望受験生のほとんどが1/11出港の内地行きの船に乗ったのですが、その時の見送りも感動的でした。
先生方が港に見送りに来てくれて、うちわに「がんばれ!」や、
長い横断幕を用意してくれました。

「最後の瞬間まで諦めるな!まだまだ伸びる!
当日の朝まで学力は伸び続ける!でも睡眠は削るな!
自信をもって!平常心!体調管理!
病気・ケガに注意!がんばれ~~!!」
と先生方らしい愛のある言葉が並んでいました。
と先生方らしい愛のある言葉が並んでいました。
これまで勉強はもちろん、何度も面接練習などをしてくれていました。
みんなの想いが嬉しくて、思わず涙が溢れてきました♪


受験生たちも
「ありがとうございます!いってきま~す!!!」
と大声で応えていました。
島のみんなも応援の声でいっぱい!
母島の子供達であることがとても誇らしかったです。

このご時世ですので、内地に行ってからもオンラインで授業は受けれるし、
オンラインで面接練習もしてもらっていました。
実際の面接でも、想定の質問が出てきたと言っていました。
島を離れる前日、次女が
「はやく面接がやりたい!楽しみ過ぎるっ!」
と言っていて、本番強さも感じたし、この気持ちになれている事に凄さを感じました。
面接後の不安な様子を先生に伝えると、
「大丈夫です!いっぱい練習したし、勉強はできているので!」
とハッキリ言われて、なんだかすごく有難かったです。
そして、やはり結果はどうであれ、
何をするにせよ、
そこまでのプロセス、スタンスが結果以上にとても大事と思いました。

■合格発表があってから、島で色んな方に声をかけてもらい、
有難い気持ちでいっぱいです♪
まだ母島の受験生全員が決まったわけではないので、
他のみんなの応援も忘れずに、
残った母島の生活を楽しんで行ければと思います。

島の方からは美味しいイチゴをお祝いに頂き、
あまりイチゴが得意ではなかった次女が、
何とこの日からイチゴが大好きになりました(笑)
去年くらいから、先入観で決めたりせずに、
果敢に挑戦する様になってきた気がします。
合格おめでとう!!
そしてこれが新しいスタートライン。
今後に期待します♪
そしてこれが新しいスタートライン。
今後に期待します♪
親父も今年は色々挑戦するぞ~~!!
最後に今回の高校受験で利用させてもらった、
「地域みらい留学」
これは生徒数減少を解決すべく、寮やホームステイを駆使して、
全国から生徒を募り、新しい地域とのみらいの出逢いを得る、
新しい形の進学スタイル。
そのPVはこちら↓
"やりたいこと"と"自分らしさ"が見つかる。地域みらい留学PV 2024 | 地域みらい留学【公式】