小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

沖ノ鳥島のアイデンティティ(沖ノ鳥島視察会 中編)

2024年07月12日 | 沖ノ鳥島
前編からの続き

■感動の小笠原村初の沖ノ鳥島視察会。
2泊3日ず~っと油凪だったこと、
天気が良かったことはその大成功の要因のひとつでした♡

しかし、村始まって以来初というその意味、
父島から960㎞も離れているというその特異性、
日本の排他的経済水域(EEZ)の3割を有している小笠原村にとって、
沖ノ鳥島の持つアイデンティティはとても重要だということが分かります。

今回はその部分にフォーカスして記事を書いていこうと思います。

人口2500人の小さな小笠原諸島ですが、
国境離島であり、
太平洋におけるアジアと西側諸国においても、
とても重要な位置にある沖ノ鳥島。

講演会を行ってくれた東海大学 海洋学部 教授の山田吉彦先生が、
今回は一緒に乗船し、
船内で講演会を行って頂きました!

海洋資源や政治的な意味合いなど、再勉強させてもらいました☆
ちなみに僕が示しているこの写真は、山田吉彦教授が、
以前沖ノ鳥島の上に立っている写真なのだそうです。

戦前は現在の北小島、東小島の他に6つの島があり、
それもメートル級だったがという説もあるので、
こうして浸食から守るのはとても重要ですね☆

そちらの内容にも触れたいと思います。
沖ノ鳥島の重要な意味が理解できます(^^♪


■実はかなりレアな「おっきー」という、
沖ノ鳥島マスコットキャラがいたことも今回発覚しました!!

なんと東京都の職員さんが手作りで作ったぬいぐるみもありました!
すんごい力作!!

なんと南鳥島のキャラでもある「みなみん」も作ったそうですが、
そちらはすでに南鳥島に行っているそうです(#^.^#)
背面はポスターデザインにはなく、想像で作ったというから驚きです!




■さてさて、興味深い、山田吉彦先生の沖ノ鳥島噺(ばなし)。
発見から今に至る、歴史的な部分は2018年の記事を参照してください。
僕自身、すっかり内容を忘れていましたが、
再度読むとしっかりと書いてありました(笑)。

重複する部分もありますが、ぜひ情報をアップデートしましょう♪

沖ノ鳥島はとても小さな島でありながらも、
国境離島、排他的経済水域を維持するためにもとても重要な島です。

そして、近年は海洋資源としても重要であると考えられているそうです。

日本は化石燃料などの資源は乏しく、輸入に頼っていますが、
実は海洋資源大国であることが分かってきたそうです。
沖ノ鳥島のリーフの外側に建設中の桟橋。
周囲に「立ち入り禁止、国土交通省」と書かれています。

メタンハイドレードは「燃える氷」と言われる資源で、
日本の使用ガスの100年分が沖ノ鳥島周辺に眠っていると言われているそうです。
しかし、あまりに深い場所にあったりと、採算がなかなか合わないので、
利用を見送っているとのこと。
言い換えれば可能性の宝庫と言えますね。

ちなみに現在の日本のLPガスの輸入は
オーストラリアからが38%、
他はカタール、マレーシア、パプアニューギニアから輸入しているそうです。

普段からの備えとして、ガスは1週間分、石油は2か月分備蓄しているそうです。


■海洋鉱物資源のうちの1つが「海底熱水鉱床」というものがあります。
 
それは海底から噴出した熱水に金属成分が含まれており、
その成分が周辺の海水によって冷却され、
その過程でさまざまな金属が沈殿してできたことから、
こうした名称で呼ばれているものだそうです。

それが青ヶ島周辺では金が採れて、
小笠原では白銀が採れるのだそうです!

同じく小笠原村に属していて、日本最東端でもある「南鳥島」では、
コバルト・リッチ・クラスト(深海底に存在する鉱物資源)や
リチウム(蓄電池の材料)などレアメタル資源の宝庫なのだそうです。

2014年に大騒ぎとなった小笠原における、
中国船サンゴ密漁事件がありましたが、
海保が拿捕した9隻のサンゴの値段はたった5000円だったそうです。

となると本当の狙いは?
これだけ豊富な海洋資源がある事が分かると、色々考えてしまいます。
沖ノ鳥島に設置されている気象観測所

あまり有名ではないそうですが、
2012年に五島列島に106隻の中国船団が現れ、水質汚染などで大問題になったことがあるそうですが、
約2000人を超える他国の船が目前に迫る怖さは計り知れません。

僕自身も母島の沖に200隻の船団が現れた時には、
急に攻められたら、どう家族を守れるか真剣に考えました。
とても怖かったです。

今回の沖ノ鳥島視察から、島に戻ってきたタイミングで、
中国が沖ノ鳥島北部の公海上にブイを設置したというニュースが飛び込んできました。

物騒な話ですが、なんとか平和的に解決してほしいと願います。
チベットやウイグルの事を考えると、かなりシビアな状況と思います。

2018年の記事の最後にも書きましたが、
本来誰のものでもない、地球の土地なのですが、
人は所有し、権利で古から争いが絶えません。

平和ボケだと言われますが、
お互いがそれなりに尊重していければいいのにと
個人的にはいつも思います。

今回、渋谷村長が森下前村長の写真を掲げていました。


■今回、沖ノ鳥島到着時には、おがさわら丸船上で村旗が揚げられました。

するすると揚がる様はなんかカッコ良かったです。

おがさわら丸村チャーターも示す旗です!


■そして、食料自給率の部分。
我が国は食料自給率は39%と言われています。

田んぼも減り、農家も減っていく中、
種子法、種苗法の廃止が進み、
かなりシビアになってきています。

そんな中、魚に関しては自給率60%を推移していて、
日本は海があることで食を維持できると言えるそうです。
そのためには排他的経済水域を維持するために、
沖ノ鳥島が重要となるのです。
手前が北小島、奥が東小島です。

ここではカツオやキハダマグロなどがよく釣れる海域なのだそうです。

今回の視察でも拝見できましたが、
気象観測所以外にも、
沖ノ鳥島に桟橋が作られてきていて、
より利用が活発に行われようとしています。

沖縄の尖閣諸島や島根県の竹島のようなケースもあるので、
しっかりと人が住み、営利活動も行うことが重要と言えるようです。


■今回の沖ノ鳥島視察会では、
沖ノ鳥島、南鳥島のVR体験や、パネル展示も行われました。

人生初のVR体験をここでしたのですが、
不思議なもんですね~
とても楽しく、すっかり沖ノ鳥島、南鳥島に行った気分になっちゃいました♪
ちなみにうちの副議長は、とっておきの南鳥島グッズに身を包んでおりました。

南鳥島に直接行った人だけがゲットできるレアものだそうです。
日本唯一の熱帯である沖ノ鳥島。
船が周遊の為に速度を落としたら、一気に暑くなりました。
妻は周遊を終えたら、おがさわら丸かき氷を堪能しておりました♪


このように、
沖ノ鳥島の国境離島としての重要な意味、
海洋資源としての可能性、
どちらも重要であることが再確認できました!

山田吉彦先生、関係者の皆さん、ご丁寧にどうもありがとうございました!!


女子トイレに珍客が!!

2024年07月10日 | 小笠原 野生動物
■先日、なかなかな島珍事件がありました(#^.^#)

まず住民から「ジャイアン、女子トイレにカメがいる!」となんか頭がバグる通報がありました(笑)。

駆けつけると、なるほど、
大きなメスのアオウミガメが女子トイレで動けなくなっています。

基本的にウミガメは前進あるのみ!なので、
こういった袋小路だと、文字通り手も足も出ません(笑)。

よくもまあ色んな障害を乗り越えて、
しかもちゃんと女子トイレに来たもんだと感心しながら、
このサイズはあまりに重く、
力も強く、危険で手に負えないので、
東京都の職員さんの助っ人を呼びました。
※ここは東京都の港湾施設なのです。

呼び出すワードは「力持ちを2~3人派遣してください!カメが女子トイレにハマってます!」でした(笑)。

完全にハマってます。
重さは200㎏くらいでしょうか。

■屈強な男性3人が応援に駆けつけてくれて、
早速レスキュー作業開始です。

ウミガメは特に力が強く、
腕が当たって、ヒトの方がケガする場合があるので要注意です。

ロープを持ってきて、前足両方に舫い結びでひっかけ、
男二人でロープで前進しないように引っ張る役、
男二人で甲羅を浮かし、
動かしながらバックさせる役で配置に付き、
想像よりはスムーズにトイレの外に動かせました。
屈強な男子の皆さん、ありがとうございます!!

もちろん、こんな時に撮る余裕はございません(笑)

片方の腕にロープをかけつつ、
左右のコントロールをしながら海に誘導します。

結構な段差も楽々と進みます。

正面の脇浜改造で作られたコンクリートの壁が、
カメを海に戻しにくい要因になっています。
※設計段階から反対していました。

過去に何度か亀のレスキューは経験があるので、
扱いはオーケーでした♪
この瞬間、仕事で姪島に行っていたカメプロの豪也に教わった技術が為になりました。感謝!

■ウミガメの短距離走の記録があるなら、
恐らく過去最高速で海に向かっています。

僕はここまで早く進むカメを見るのは、初めてでした(#^.^#)
よっぽど焦っていたのでしょう。

時々休みながら、大きなため息。

なんとか着水!!

海に入ってしまえばこっちのもの!
あっという間に海の中に消えていきました。
あ~良かった!!

ハマっている場所が日陰でなお良かったです。
陽の当たる箇所だと、そのまま死んでしまうケースもあるからです。

みんなで見送りながら、
いつか呼ばれるであろう竜宮城に
想いを馳せました。


都の職員の皆さん、知らせてくれた島民さん、
そしてカメさん、
ありがとうございました😊

↓インスタに動画もアップしました。

 




 
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初!沖ノ鳥島視察会に行って来ました!! (沖ノ鳥島視察会 前編)

2024年07月07日 | 沖ノ鳥島
■2泊3日、ずっとおがさわら丸の船上、しかも目指すは、
日本最南端・沖の鳥島。
その村始まって以来、初の視察会に参加してきました!
今でもその感動が胸の中に続いています。

沖ノ鳥島を西側から望む。建設途中の大きな桟橋が目立ちますね。

過去に西ノ島、硫黄島と経験はありましたが、
父島から約960㎞離れている沖ノ鳥島は前代未聞。

過去に
2013年10月の初企画のツアーは台風の影響で中止。
2014年4月のツアーは同年の3月に発生した事故の影響で中止。
2018年6月の返還50周年のツアーも台風で中止
その後、企画されようとするも、国際情勢的に中止判断、
今回、満を持しての5回目の開催でした。

今回の沖ノ鳥島ツアーは2泊3日すべてベタ凪という奇跡のコンディション!
雨にも当たらず、ずっと晴天で、南十字星など素晴らしい星空も堪能できました☆


ほぼ9割5分以上が島民という楽しい中、みんなで見に行って来ました!

■沖ノ鳥島は小笠原群島から一番離れた日本最南端の島。
大潮の満潮時に16センチ沈まない部分があるので、島として国際社会に認められています。
東京都は日本の排他的経済水域(EEZ)の4割を有していますが、
小笠原村はなんと日本の3割の排他的経済水域を持っていることになります。

島は小さいけど、エリアは広い小笠原。
国境離島としても、レアアースなどの海洋資源という意味でも、
とても意味のある沖ノ鳥島なのだそうです♪

手前が北小島、奥が東小島です。

今回も東海大海洋学部教授である山田吉彦先生に、
「沖ノ鳥島の重要性と活用法」という講演を船内で開催してもらい、
大変勉強になりました♪

山田先生も過去4回、沖ノ鳥島に来ているそうですが、
こんなに海況が良いのは初めてだそうです♡


■海鳥は、
珍しいアオツラカツオドリ、
亜種シロガシラカツオドリ、
アカアシカツオドリの白尾褐色型など、
なかなか普段見ることができない種類の海鳥にも出逢えました☆


鯨類は
マダライルカ、
アカボウクジラ、
マッコウクジラなどでした☆


参加した皆さんが口々に
「凄い楽しかった!~」
「最高!超贅沢~!!」
と嬉しそうに称え合っていて、
とても素晴らしい初視察となりました♪


よく考えると、9割5分以上は小笠原島民で、
高いお金を払って2泊3日ずっと船上で、
まだ誰も一般で行ったことのない沖ノ鳥島に向かうなんて、
あまりに不思議な160人の最高の参加者の皆さんと視察に行けて、
本当に良かったです!!


関係者の皆さん、
準備運営の皆さん、
船員の皆さん、
参加者の皆さん、
2泊3日の間、本当に気持ちよく、楽しく視察することができました!
どうもありがとうございました!!




■ここからは少し、日程順にまとめていきたいと思います。


●7月4日
まず母島島民はチャーター便で朝8時半の便で父島に来ます。
そして、おがさわら丸が東京から11時に入港。
※僕はおが丸で到着でした(#^.^#)


そして、14時に父島船客待合所に集合し、受付と確認。
村長が開会の挨拶を行いました。
参加者のみんなもドキドキのひと時です☆

15時半に沖ノ鳥島に向けて父島を出港します。
コンテナだらけの珍しい二見港を後にします。


言葉にならないほどの圧倒的な油凪!!


美しい船上での夕日を、9割を越える島民だらけの中で眺めます(^^♪


1日目の夜に予定されていた、星空観察会は曇りの為に中止となりました。
夜は船内は大宴会になっていました(笑)



●7月5日
朝5時半頃、雲が多かったですが、美しい虹を迎えます。

朝日も綺麗でした♪

そこから洋上で色んな海鳥を見ながら過ごします。


海鳥ガイドの中村咲子さんや、
OWAの辻井さんが左舷と右舷に分かれて、
参加者に色々教えてくれていました。


9時~、10時15分~
東海大学海洋学部教授の山田吉彦先生による講演会
「沖ノ鳥島の重要性と活用法」

これがまた面白い!
内容については次回にアップしますね。

お昼を食べると遠くに沖ノ鳥島の建造物が見えてきます!!
あれが沖ノ鳥島かぁ!!

なんとこの瞬間、ハロ現象も発生していました♪

動画も作りましたよ~
ぜひ!

13時50分
沖ノ鳥島に到着!!

2回周遊しました。


珍しいアオツラカツオドリも登場!



15時
沖ノ鳥島を後にします。
想像以上に間近に見れて、みんな大満足♡


海鳥や、離れ行く沖ノ鳥島を眺めて、いざ北東へ。


18時40分
またまた美しい夕日をみんなで眺めます。


20時
満点の星天の中、星空観察会実施
南十字星を確認できて、大満足♪
※写真提供頂きました!Kさん、ありがとうございます☆
 これスマホで撮った写真です(#^.^#)




●7月6日
4時50分
なんとグリーンフラッシュする朝日が待っているというサプライズ。
※僕はその瞬間、外にいたのに、見事に見逃しています(笑)

叫びだしたくなるほどの油凪の中、
朝から海鳥のオンパレード!
※海鳥は後編にアップします☆

8時
北硫黄島がしっかりと見える


10時
鯨類をOWAの辻井さん、
海鳥類を海鳥ガイドの中村咲子さんが報告会を実施




11時
母島を確認しながらの航海


13時
父島二見港到着

16時半
ははじま丸チャーター便が父島を出港

18時
最高のサンセットクルーズでした!!

これは母島からの参加ならではのギフト!


18時半
母島沖港到着

1日2往復という過酷な運航をして頂き、感謝!
みんなで父島に戻るははじま丸を見送りました!


これでざっくりと総括的にまとめてみました。
この後は内容編の中編、海鳥などの後編に続きます☆







第50回 返還56年 母島返還祭

2024年06月26日 | 島のイベント
■6月26日は小笠原返還記念日。
小笠原がアメリカから返還されて56年。
母島としては50回という節目となる返還祭でした。

2日間ともガッツリ盆踊りを踊り、
楽しすぎる準備、設営、手伝い、
八丈島からの来賓の皆さんとのひと時、
圧倒的な花火!
祭りが終わった後の「楽しかったねぇ」と言い合いながらの片づけ。

僕は南洋踊りや消防団で出る機会はあったものの、
青年会や子供会をガッツリやっていた頃よりは、
どこか裏方役が多くなってきましたが、
どこをどう切り取っても、最高だったと言える返還祭でした。

それも本当に色んな方が関わり、支えてくれるからこそ、です。
みんながそれぞれ楽しむために、人を楽しませるために、
子供や家族のために、これぞ母島と思えるのが母島返還祭なのです。
本当にみんなみんなありがとうございます!!

今年もみんなで櫓(やぐら)を囲んで、肩を組み、
小笠原望郷歌を歌いながらフィナーレです。
じんわり涙が溢れるくらい、暖かくて優しいみんなのお祭り。

ああ、母島に住んでいて、本当に良かった。
そう思えることが、本当に幸せです。

返還祭翌日から怒涛の内地出張で、
すっかりその余韻を味わうのに遅くなってしまいましたが、
そんな自慢の母島返還祭。
また来年もみんなで楽しく過ごせたらと思います。


■さてさて、そんな返還祭を写真でも振り返っていきたいと思います。
母島返還祭は前夜祭に当夜祭と2日構成です。
1日目は青年会のダンスがトリを務める母島の地域向けの演芸が続きます。
2日目は返還祭スポーツ大会の表彰式、八丈太鼓から始まり南洋踊りで終わる、
父島の返還祭を経ての来賓も母島に交じっての、花火もある盛大な日です。
どちらも盆踊りが最後に待っています(^_-)-☆

そんな1日目。
母島小学校の小笠原太鼓から始まります。
ステージ裏の少し緊張している子供たちの顔、
そんな子供たちの背中を暖かい眼差しで見つめる師匠の姿。
なんだかあまりに素敵な光景でした。

その後は日も暮れて、
手話サークルや色んな演芸が続いていきます。

コーラス隊は指揮者が跳ねるほどのダイナミックなパフォーマンス!!

去年、頑張ってB‘zを演奏していたチームが、
今年はさらに上手くなっており、正直感動しました!

まるでプロのようにギターを抱えているこの方ですが、
ギターに触るのは実は人生3回目で超ハッタリであることは内緒です(笑)。
そのお父様を見つめる、次の出番待ちの娘さんの心境や、いかに(^^♪


■その後、子供たちのフラが続きます。
秋に行うフラの祭典、フラオハナに比べると、
曲数が少ないのであっという間な印象ですが、
次女も中学校生活最後の返還祭フラなので、
とても感慨深かったです。

母島に帰って来ている長女は、
存分に大好きなフラが踊れる幸せを嚙み締めていました♪
こんな感じで日本の祭りの風景にフラ。
これが母島の景色です(#^.^#)

中学生メンバーの堂々としたキメ☆


大人のフラは圧巻です。

この春島に来たばかりのメンバーもすごく頑張っていて、
めちゃくちゃ驚きました☆

その後は小学生を巻き込んだ青年会のダンスがトリを務め、
恒例の盆踊りに突入です。


■僕は盆踊りが大好きなので、この時間が超幸せです(#^.^#)
小笠原音頭、母島音頭、東京音頭、大東京音頭、
1+1音頭、大漁節、炭坑節、
そして去年からマッコウ音頭がラインナップに仲間入りしています♪

どの盆踊りもそれぞれの持ち味があって大好きなのですが、
やはり一番盛り上がるのがジャンプする小笠原音頭ですね~

父島だけでずっとやっていたマッコウ音頭ですが、
その曲を作った平田さんが母島に来たことで、
母島の盆踊りに仲間入り♡
どっぱんどっぱんとピョンピョン跳ねながら、
みんなで楽しく踊っています。

伸びたカセットテープをそのままデジタル化している曲もあり、
太鼓としては超難易度が高いのですが、それもまた一興☆
太鼓のみんなもとっても楽しそうです☆


■2日目は返還祭スポーツ大会の表彰式から始まり、
八丈太鼓六人会の素晴らしき名演から演芸が開始されます。

母島の教員をしていた先生が、
今は八丈島に住み、太鼓を叩きに母島に来るという嬉しさ(#^.^#)


2日目は議員として八丈からの来賓皆さんとワイワイやりながらなのですが、
小笠原消防団母島分団の結成50周年記念というステージ、
南洋踊りと着替えも多く、あまりゆっくり話すどころか、
写真を撮る余裕もあまりないくらいでした☺

南洋踊りを終えたら、第50回ということで、
例年よりも豪華な花火大会!!

内地の花火大会に比べれば、
可愛い規模なのでしょうが、
なんといっても距離が近いので、大迫力!!
冒頭の写真と同様に、ずっとその迫力と近さを写真で表現したかったのですが、
今回は撮りたい写真が撮れました!
やった~!

花火を終えたらまたまた盆踊りです!
八丈の皆さんも巻き込み、
去年は遠慮して踊らなかった八丈の町長さんも今回は踊りました♪

最後に大好きな小笠原望郷歌!!
みんなで肩を組んで、櫓(やぐら)に書かれた歌詞を見ながら、
みんなで大声で歌います。
この瞬間がまさにフィナーレで嬉しい限りです☆


■今回は返還祭実行委員会のメンバーが、
猛烈にプロレス的演出を企んでおり、
消防団の舞台、2日目終盤の裏方紹介も、
超情熱的なマイクでパフォーマンスを発揮してくれていました。

この返還祭の大成功は、この男なしでは成しえませんし、
本当に裏方の皆さんのおかげで、スムーズな進行がなされていることに間違いありません。

裏方も、花火も、夜店も、太鼓も、司会も、音響も、電気屋さんも、ガス屋さんも、ゴミ監視役も、
みんなみんなの愛で成り立っている、
それが母島返還祭だと思います。

胸を張って言える、最高の母島のお祭りだと思います♪
今年も本当にありがとうございました!!
これで1年分の元気をもらったぞ~~!!!


小笠原村の古紙をリサイクルしてくれている会社を訪問してきました!(ごみ処理レポ③)

2024年06月11日 | ゴミ問題
【小笠原村古紙をリサイクルしてくれている、都内の古紙会社を訪問してきました!】  
■子供の頃から廃品回収の車が回ってきて、
段ボール、ボロ布などを集めていた記憶があります。

今は母島でごみ回収の仕事もしているのですが、
あの集めてフレコンバック(トン袋)に入れて、共勝丸に載せた先はどうなっているのだろう?
そんな疑問と謎を払拭するために、
小笠原村の古紙、段ボール、牛乳パックをリサイクルしてくれている、
都内の古紙会社さんを訪問してきました!

 小笠原村とはとても長いお付き合いだそうです(^_-)-☆


こちらでは、段ボールは圧縮して処理工場へ、運搬しているそうです!
ゴミ回収していても、暮らしのゴミを出していても、
ついつい燃えるゴミに入れてしまうことも多い紙類。

つまり、燃やしてしまえば熱量となり、炉を消耗させ、
温室効果ガスを排出する紙類も、
リサイクル資源として回せば、また紙となり、
新たな森林伐採をする必要も減るわけです。

僕たちが気を付けて資源に出すことで、
買い取ってもらえるし、地球環境にも良いということです。

ただし、濡れた段ボールや、汚れた紙類は、
リサイクルした時に臭いの原因になったりするそうなので、
そうしたものは燃えるゴミに出して欲しいとのことでした。

案内してくれた所長さんの話によると、
ペーパーレス化、ネットの普及による書籍離れの影響で、
古紙自体の物量が減ってきていて、まだまだ足りないそうです。

↑丁度、小笠原村から届いている段ボールを広げて乾燥させている所も見させて頂きました。
この段ボールは本土と島を行き来しているので、
少なくとも2000km(内地と島往復)+1000㎞(東京→処理工場)は旅をしていることになります。 
凄いですね!!

こうした実態を知ると、しっかりと濡らさない形で分別し、
ゴミに出すことは地球環境にとっても大事ですし、
村の焼却炉の消耗を助ける意味合いがあることが分かっています。

そして、このような処理をしてくれる方々がいるから、
私たちの暮らしから出るゴミが山のように溢れていかず、
できる限り資源を無駄にしないでできていることが分かります。

こうした視察を通して、私たちのゴミがどうなっているのかが、
初めて具体的に見えてきました!
本当にありがとうございます!
今後ともよろしくお願いします☆

小笠原の小型家電、製品プラスティック処理工場を訪ねて(ごみ処理レポ②)

2024年06月03日 | ゴミ問題
■今回はリバー(株)児玉事業所様を訪ねて、埼玉県と群馬県のほぼ県境までやってきました!
こちらでは表題の2品目を1100㎞南の小笠原から海を越えて、送らせて頂き、処理をしてもらっています。

見学をさせてもらって、想像以上にとても丁寧に廃棄物をより分けて、
再度資源にできる工夫が随所にあり、感動を覚えるほどでした(^^♪

シンプルに言えば、届いた廃棄製品を大まかに仕分け、破砕処理し、
そこから種類と大きさを分けて、金属各種、プラなどに仕分けする作業をしている処理工場になります。

お伺いする前はもっとざっくりと分けて、焼却や埋め立て処理にする部分がもっと多いと思っていました。
しかし、拝見するとミリ単位まで細かく重さ、材質、比重でより分け、
原材料として使えるように不純物を取り除き、
ほとんどがリサイクルしている現実を見させて頂きました。
もうこれは感動でした♪
まさかここまで丁寧にやってもらっているとは!

具体的には中間処分(破砕)で
金属くず、廃プラスティック類、ガラスくず、
コンクリートくず、陶磁器くず、がれき類、ゴムくず
を処理しているそうです。

処理後はその材料を扱うメーカーなどに送り、再利用してもらっているとのことです。
そのほとんどが再利用できず、埋め立て処分と言われていたソーラーパネルなども、
ここでは破砕処理され、そのほとんどがリサイクルとなることを知り、目から鱗でした。

実際にごみ回収に仕分け、搬出をしている僕自身の立ち位置にとっても、
今後、改善できる点も発見できて、今後に活かすことができそうです!

写真にあるような小型家電の山のようなゴミが1日で処理されてしまうと聞いて、
その処理能力の高さ(1日に208tの処理)、分別仕分けのクオリティの高さには驚きを超えて感動でした♪

太平洋に浮かぶ、人口2500人の島からの私たちの暮らしのゴミ。
今まで島から搬出された後を知ることはできませんでしたが、
「地球を資源だらけの星にしよう。」のコンセプトで処理してくれている、
このような人たちの努力と工夫と想いのお陰で、資源になっていることを知ることができました。

今回、こうして見学に来てみて、本当に良かったと思います!
ぜひ皆さんも自分達が捨てているごみの行く末を考えてみてください。
ごみを減らす、使い捨てを減らすはもちろんですが、
こうした処理をしてくれる人達に支えられているということを知ることも大切です。
本当にありがとうございました!!





ありがとう!さるびあ丸!!

2024年06月01日 | 母島 船舶
■さあさあ、今回は初めて乗る船で小笠原へ帰るという、
ドキドキワクワクの機会に恵まれました♪

そう、今回はいつもの定期船「おがさわら丸」がドック(船舶検査)期間の為に、約3週間お休みとなり、その代打を務めてくれている東海汽船の「さるびあ丸」に初めて乗船することになりました!!
小笠原に移住して22年。
東京から小笠原へ渡るときは、ほとんどが「おがさわら丸」でした。
※何度か貨物船「第二十八 共勝丸」に乗って渡ったこともあります☆(現在は一般客は乗せていません)

今回は運良く、議員の内地出張の戻りが初めての「さるびあ丸」という事で、
とても楽しみにしておりました!

いつものおがさわら丸とは勝手が違い、とても新鮮だった「さるびあ丸」。
勝手ながらにレポートしちゃいます(#^.^#)


■そんな、さるびあ丸。
いつもは伊豆諸島の主に東京~大島〜利島〜新島〜式根島〜神津島航路を運航しています。
また夏が東京湾納涼船としても運航しているそうです。

おがさわら丸よりはコンパクトですが、2020年就航の新しい船で、
様々なアイディアが詰まった船となっています。

おがさわら丸が東京と父島を24時間で結ぶのに対し、
さるびあ丸は東京と父島を29時間で結ぶので、出港と到着時間が違います。
そこも何だか新鮮でした(#^.^#)

伊豆諸島の皆さんからすると、普段夜に東京を出港するさるびあ丸が
昼間の朝10時に竹芝を出港するのは新鮮かもしれません☆
これは東京滞在時にさるびあ丸を見送りに行く機会があり、撮ったものです。
みんな夕飯を食べて、飲んでから乗り込み、翌朝には着くスタイルです♪

ちょっとおがさわら丸と比較してみると、

●さるびあ丸(3代目)
2020年就航
総トン数:6,099t
全長:118m
全幅:17m
航海速力:20ノット(約38km/h)
旅客定員:近海区域 693人、沿海区域(御蔵島まで)1,343人

●おがさわら丸(3代目)
2016年就航
総トン数:11,035t
全長:150m
全幅:20.4m
航海速力:23.8ノット(約44km/h)
乗客定員:894名

こう思うと、おがさわら丸って大きい方なんだなと感じます。
そんなおが丸がドック中の間に代打として、
年に一度、小笠原航路へ応援に来てくれています。
その為の近海資格を持っていて、それ用の救命装備などを備えているみたいです。
ちなみに伊豆諸島を空ける間は、高速船の増便などでフォローしてもらっています。どうもありがとうございます!


■さてさて、初めての船で1日以上船に乗るなんて、
なんだか外国に行くみたいでワクワクしちゃいます♪

おがじろうに見送られながらの乗船です☆

普段のおがさわら丸と違い、飛行機みたいに高い位置からの乗船!
新鮮でした!

今回、僕は特2等の席にお邪魔しました。
おがさわら丸よりもマットが分厚くて、実は快適でした♡
ベッドサイドには貴重品ロッカーもあり、なかなか便利に思えました。

そしておが丸にはない、たばこの自販機!
こちらは需要があるという事でしょうか?

おが丸同様の冷蔵のコインロッカーもありました。

自販機コーナーも2フロアに分かれてありました。
お酒は免許証を差し込まないと買えない仕組みの自販機でした。
免許を持っていない大人は、なかなかお酒は買いにくいようです。

そして驚いたのが、電子レンジの表示!
なんと自販機の物を温めるのみで、監視カメラまでしっかりついていました。
これは自由に使えるおがさわら丸とは明らかに違う部分。
何か理由があるのでしょうか?

慣れない船内なので迷子になっちゃいます(笑)。
そんなのも何だか楽しい♡


■東京湾のレインボーブリッジをくぐるのも、
おが丸じゃないのが不思議な感覚です。
なんでも新鮮っていいもんです(#^.^#)
それだけで小笠原の島民は大興奮♪

船の後部デッキの舞台みたいな場所が、
おがさわら丸にはない部分です。
しっかりみんなの宴会の場と化しておりました(#^.^#)
そう思うと、丸1日乗る仕様のおがさわら丸と、
夜乗って朝着く仕様のさるびあ丸の違いが興味深いです♪

■今回、一番驚いたのがスターリンク衛星による、船内Wifiです。
僕は割と早起きタイプで朝2時からさるびあ丸の船内のレストランで、
普通にインターネットが使えています。
試験的に行っているという、スターリンク衛星を使った広域Wifi通信の実証試験です。

結局、父島に着くまでずっと
Youtubeも普通に見れるし、ネット閲覧もスムーズにできています。
素直にすごいと思います。

これを小笠原航路に導入してほしい!という声を船内でも頂いています。
また一方、せっかく電波の届かない時間を過ごせているのだから、世界にも稀なデジタルデトックスの場としても、維持してほしいという声もあります。

確かに小笠原航路ほど公共交通の中で乗客がスマホに釘付けではない空間はないかも知れません(#^.^#)
24年前、初めて小笠原に来た時、携帯が通話しかできなくて、
電波から解放された!と喜んでいた人がいた小笠原。

そこも今は光ファイバーが繋がり、高速でネット通信が使えるようになりました。
インターネットの物資の量が10倍に跳ね上がり、島の暮らしはとっても便利になりました。

スマホの普及もそうですが、
便利になったときに、同時に失っていくものがあります。

山小屋の仕事をしている方も、
Wifiを導入したら、登山同士の会話や宴会が激減したと嘆いていました。
時代の流れとして、仕方がないものとも言えますが、
どのような方向にしていきたいか、
どのように暮らしていきたいかは、
自分たちで選んでいける部分とも思います。

議員としては導入を希望かな?
個人としては船内は電波なしが好きかな(^^♪
正直、迷ってます。
皆さんはどっちがいいですか?


■そんな便利と不便のもたらす恩恵を考えながら、
おがさわら丸よりゆっくりと長い船旅が続きます。

小笠原の人は特にある傾向らしいのですが、
長い船旅は揺れさえしなければ、全然苦ではないというハナシです(#^.^#)
最近僕は24時間ですら短いと思えてしまい、
なかなか他の島の方には理解されないでいます(笑)。

色んな人と話しながら船旅を楽しむって、
実はすごい贅沢な時間なのかもしれません(#^.^#)

さてさて、乗る前から気になっていたのが、
さるびあ丸のレストラン。
食券を買う式のもので、
おがさわら丸と違い、朝も昼も夜も同じメニューです(#^.^#)

これは普段の航路が半日以下なので、当然と言えば当然ですね。
僕はシラス丼やジャンボエビフライカレー、
神津島のお酒、盛若を楽しみました♪

料理の写真を撮り忘れてしまったのですが、
レストランの窓が大きくて、
ベタ凪の海を眺めながら、みんなと色んな濃い話ができて楽しかったです!
やっぱ船旅は最高です♪
船内の部屋も1等が雑魚寝で、特2等がベッドで、
なんだか不思議な感覚でした☆

シャワーもコイン制のものですが、
小笠原航路では無料で使えました(#^.^#)

さるびあ丸の至る所で見かけるこのマーク。
これは東海汽船130周年記念ロゴなのだそうです。
デザインは美術家の野老朝雄さん。
船にとって必要不可欠であるロープの「結び目」を表現しているそうです。

船の速さを表す単位の「KNOT(ノット)」 という言葉には、
「結ぶ」という意味もあり、
この「結び目ロゴ」は島と本土を結ぶ船会社である東海汽船、
そして船舶にとって、とても意味深いデザインになっているそうです。

普段は赤いのが多いバルバスボウ。
さるびあ丸はライトブルーでした。

なんだかこれが小笠原の海の色に映えていて、
とても印象深かったです♪

印象的なファンネルマークもいい感じですね(#^.^#)

おがさわら丸にもありますが、船首にある旗もカッコいいです!


■夕陽を眺めながら、怒涛の様に巡った内地での日々を思い出していました。
また別の機会に記事に書こうとは思いますが、
去年のドック期間の時には島に食料品が足りないという大問題が発生し、
その調整を1年かけてやってきました。
今回、芝浦でさるびあ丸に載せる冷蔵品の積み込みも拝見させてもらい、
無事にその後島でなんの問題もなく終わって、
心底ホッとしたのをしっかりと胸に刻んでいます。

パッションフルールの最盛期、
ベタ凪で魚が釣れる絶好の時期、
この農業と漁業の物資の問題がこの5月ドック期間の大きな問題のままですが、
現時点ではできる限りのベストは尽くせたとは思っています。


■本土から1000㎞も離れて暮らす私達小笠原諸島の人々。
物価は高いし、色々大変ではありますが、
本当に沢山の方々の支えがあって、
随分と便利な暮らしをさせてもらっていると思います。

本当にありがとうございます!
便利にを求めると、キリがないとは思いますが、
なるべく今あるものに感謝の気持ちを忘れずに、
支えてくれている人々の心を忘れずに、
足るを知る気持ちで謙虚に生きていければと思います。

■さるびあ丸で朝を迎えても、聟島は昼まで見えて来ません(#^.^#)
そんなゆっくり感も愛おしい船旅♪
カツオドリが小笠原の海域にいることを教えてくれます。

少しずつ島影が見えてくると、
ようやく帰って来たんだなぁと実感がわきます。
約2週間ちょいぶりに帰ってきました♡


父島の二見港に近づくと、
何だか見慣れないサイズのヨットらしきものが。

ヨットもカッコいいですね!
乗っている方々が手を振ってくれていました(#^.^#)


■さるびあ丸が15時に父島に着いてからは、
今度は「ははじま丸」に乗り換えて、母島に向かいます。
このアングルを父島の二見港で眺めるのも年に2日間しかありません(#^.^#)

このちょい夕方の父島出港もレアなもんです☆
どうもありがとう!さるびあ丸!!

なかなか斬新でカッコいいデザインです♪


夕方のははじま丸がようやく母島の近くに帰ってきました!
オナガミズナギドリを多く見かけると、母島の近くに帰って来た気がするのです。

いつもであれば、島に着いてすぐ入港作業で夜まで仕事なのですが、
18時入港なので、荷物作業は翌朝という事で、
ゆっくり家に帰ることが出来て嬉しかったです(#^.^#)
母島に帰ってからは、例によって怒涛の日々を送っています。
今は6月の議会に向けての準備、調整もいっぱいですし、
しっかりと現金収入の仕事も頑張らなければ、
家族を養っていけません☆

議員になって1年。
まだまだヒヨッコですが、1年やってみて見えてきたものもあります。
なかなか面白い仕事なので、色んな人がぜひやってみてほしいと思います☆

さあ6月議会も頑張るぞ~~!!

最後におまけの夜の橘丸です。
黄色い個性的なカラーがカッチョイイです!


島の容器包装プラの行く末を追って (ごみ処理レポ①)

2024年05月21日 | ゴミ問題
【小笠原村の容器包装プラを処理してくれている、日鉄リサイクル様を訪問してきました!】
「プラスティックはこちらの処理で、ほぼ原料と同じくらいに戻せています。」
目玉が飛び出るほど、驚いた1日でした。

■場所は千葉の房総半島にある君津市。
君津市は日本製鉄関連でできているといっても過言ではないほど、
広大で大きな敷地で、さまざまな資源の処理を行っていました。
小笠原の人口を軽く超えています(^^♪

製鉄所ならではの、大きな工業機械やパイプが並ぶ景色。
敷地内に汽車も走り、特殊なナンバーで走る車、一般道路は走れない大型重機など、
日常の景色とはまるで違う規模と、その光景に圧倒させられました。

プラ容器包装は製品に↑プラ↓マークが印されているものが対象になっている品目で、
同じ素材のプラスティックでもメーカーがその処理費用等を負担しているものになるそうです。

■今回、見学させてもらった「日鉄リサイクル プラスティックリサイクル工場」は、
製鉄に使われる設備を利用して、プラスティックを限りなく原料に近い状態までに処理をしているというものでした。
 これまで知っていた、プラスティックを固形燃料に加工して、発電や焼却燃料にするのとは違い、
またプラスティックにする原料にできるというのは強いなと思いました。
工場内に発電所もあり、その燃料にも使われているそうです。

そもそもCO2を減らすという意味でも、
同じ10トンのプラを燃料にして燃やすよりは、CO2の発生はだいぶ抑えられるとのことでした。
日本全国で発生するプラごみが約70万トンなのだそうですが、
日鉄グループで処理しているのが約20万トン、
この君津では約8万トンを処理しているそうです。
 1日に換算すると約200トンのプラごみを処理していることになります。

■ちなみに小笠原村から搬出されている容器包装プラのゴミの量は
令和4年 1,280kg/年になります。(約1.3トン)
全体量に比べれば微々たる量ですが、
今年度(令和6年度)の4月から小笠原村もしっかりと広報した形で、容器包装プラの拠点回収が始まりました。
これから焼却ゴミが減り、プラスティックゴミの搬出が増える見込みです。

理想としてはプラごみを出さないが一番ですが、
すぐにそこにシフトするのは厳しいと思うので、
こうしたゴミではなく資源化、原料に戻すというものはとても重要だと思います。

■こちらの施設でもやはりバッテリー等の混入は問題となっており、
火災の危険性があるので、昨今増えているリチウムイオンバッテリー類はしっかりと分別して出して欲しいと願っていました。

他にはプラスティックリサイクルだけでなく、
製鉄などの施設など広範囲で案内してもらい、
日々生活に関わっている鉄やプラスティックの在り方、見え方が広くなりました!
こうした視察を通して、私たちのゴミがどうなっているのかが、
初めて具体的に見えてきました!

日本製鉄のホームページ内で、
プラスチックリサイクルに関する紹介があります。参考にどうぞ!
日本製鉄株式会社 発見!
製鉄所のプラスチックリサイクル



本当にありがとうございます!
今後ともよろしくお願いします☆





神津島の離島留学視察‼

2024年05月13日 | 離島留学
■小笠原でも離島留学を導入したい!そんな想いを胸に、
すでに離島留学を実践している神津島に自主視察にお邪魔してきました。

教育長、教育係長、寮長さん、副校長が対応してくださり、
そして現役の島出身の在校生と留学生にもお話を聞かせて頂きました。
実際に実施している方々、支えてくれている方々、通っている皆さんの話が聞けて、
とても参考になる事ばかりでした♪
本当にありがとうございました!

僕が住む母島には高校がなく、50㎞隣の父島には高校があり、
母島出身の高校生が生活する寄宿舎「ぎんねむ寮」があります。

東京の島では神津島、新島、八丈島が島外から離島留学生を受け入れていて、
大島は都立大島海洋国際高校で外部から生徒を受け入れています。
小笠原は現時点では島外からの生徒の受け入れはしていません。

地域の保護者や先生、他の島嶼のからはぜひ!と沢山の声があります。
離島留学は島の高校生はもちろん、島の未来につながる可能性を秘めていますので、
小笠原もぜひ導入できればと思っています。(母島も!)


■都立神津高校では離島留学の目的として、
学校の活性化、生徒の学力向上、村の活性化を図ることに実施しているそうです。

神津高校で離島留学が開始となったのが平成28年。
始まった背景としては、
高校のひと学年の生徒数がひと桁になったことの危機感が始まりだったそうです。

最初の留学生は1名から始まり、2年目からは3名、
その後は3~5名の高校生を毎年受け入れているそうです。

受け入れ対象は東京都の本土に住む高校生。
3年間通しで在籍する形だそうです。
他の島からの受け入れはしてないそうです。

開始当初はホームステイ型から留学生受け入れを始めて、
平成31年の4期生からは村が「しらすな寮」という寄宿寮ができて、
そこから寮一本で離島留学が続いているそうです。
現在は寮長さんが2名いて、調理の方が2名いらっしゃるそうです。

学校は都立ですが、寮は神津島村が運営しているのもポイントと思います。
(都立小笠原高校の母島出身者向けのぎんねむ寮は都が運営しています)
今回はその「しらすな寮」の共用部分にお邪魔させて頂きました。

普段も生徒たちが食事をしたりする食堂部分が、
外部からの人との交流の場にもなるコミュニティールームにもなっていました。
共同の浴室やトイレ、男女別で棟が分かれていて、
一人一部屋の個室(6畳くらい)が割り振られているそうです。

↑これくらいの広さが一人部屋だそうです。
とても綺麗でよく考えられて作られているなぁと感じました。

寮の生活は規則正しく、掃除も洗濯も自分たちでやっているそうです。

↑こちらが「しらすな寮」

■今回は離島留学を担当する職員の方のお話も聞かせて頂きました。
本当に多岐にわたる質問をさせていただいて、参考になる話ばかりでした♪
外部から未成年である子供を預かるという、責任も伴い、とても大切な部分です。

しっかりと事前にその生徒自身と対話し、島で暮らしていけるかを図る意識も伺いました。
7月の見学、12月の面接を経て、3年間を神津島で過ごす離島留学生を受け入れるということ。
受け入れ側としては、人様の生徒を3年間預かることになるわけですから、
そのコンタクトする場はすごく重要な場になります。
親元を離れての慣れない島生活で適応できるかがポイントとなります。

覚悟を持って親元を離れて島に来て暮らすわけですから、多くの留学生の意識は高いそうです。
子供の頃からあまり面子が変わりにくい、というのが島の子供たちあるあるなのですが、
こうして外部から意識の高い同世代が来て、一緒に過ごすということは、
本当に島の高校生にとってもいい刺激となっているようです。

↑神津島の集落を望む

■そして、今回は現役の在校生と留学生と話をする場も設けて頂きました。
本当にありがとうございます!

本土で一大決心をして、本土の生活では得られない高校生活を送るためにも、
親元を離れてやってきたそうです。
生徒自身からも面接の話を聞いてみました。
やはりすごく緊張感をもって、しっかりと臨んでよく話したと伝えてくれました。

初めての島暮らし。
神津島に来てからは規則正しい生活で勉強の成績が上がった、
自分の生活を自分で意識してできるようになったなど、
色んな手応えを感じて、とてもいい笑顔で話してくれました。

島を卒業してからは、この島での経験を活かして将来を頑張りたい!としっかりと話していました。
将来がとても楽しみです(^^♪
この春、島に来たばかりの9期生にも話を聞く機会があり、
「島に来て、とても楽しく、本当に来て良かった!」と笑顔で言っていました。
「この美味しすぎる新鮮な空気と美しい景観を知ってしまうと、
もう本土では満足できなくなってしまいます!」と嬉しそうに語っていたのが印象的でした(^_-)-☆

在校生にとっても子供の頃からあまり変わらないメンツに、新しい風が吹く期待があり、
とても意識が変わり、相乗効果があると感じているようでした。

神津高校のグラウンド

■留学生は寮生活との兼ね合いでなかなかバイトなどができない現状だそうですが、
道端で島の人と挨拶をしたり、スポーツをしたり、
勉強する時間をしっかりと確保できる生活なのだそうです。

今は地域との交流が薄いのが課題だそうで、もっと絡んでいきたい気持ちはあるそうです。
神津島の鈴木佑典議員が大島高校のボランティア部みたいな形の、
部活動で地域と関わるのも興味深いと思いました。
いずれにせよ、離島留学は島の在校生の数にもいい影響があるし、
地域にとっても色んなメリットがあるようです!

9年目ということで、これからその卒業していた生徒たちが、
留学した島に関わっていくのかが見えてくる年月だと思い、そこも興味深い部分でした☆
まだ島に就職する生徒は出てないそうですが、夏などよく遊びに来てくれて、
一緒にスポーツなども行って交流しているそうです。

その留学生達を支える寮長さん夫婦や、賄いを調理する島の方々、先生たち、
村長さん、教育委員会の皆様、
成人式にひとりひとりに20年分(留学生は3年分)のドキュメンタリー映像DVDを村がプレゼントする取り組みなど、
色んな人たちが島の宝である高校生を育んでいるのをしっかりと感じさせてもらえる視察となりました。

なんと小笠原高校にいた元教員の方もおり、小笠原の今後も踏まえたお話も含めて、色んな意見交換をすることができました。

小笠原で離島留学を実施するのに重要な沢山のヒントを頂けました。
どうもありがとうございました!


硫黄島の暮らしの跡 ~ 8年ぶりの硫黄島②

2024年05月07日 | 硫黄島
①硫黄島行政視察のつづき

■前回の硫黄島記事からだいぶ間隔があいてしまいました☆
春は特に目まぐるしく、色んな島の日常があるので、
仕方ないと自分に言い聞かせつつ、
硫黄島視察の報告は自分のクレアナ(使命、責任)と思っているので、
ちょこちょことやっていきたいと思います。

さて、今回は今回の視察のメインとなった、
島暮らしの跡を巡る部分を書きたいと思います。

今までの視察では、戦跡などがメインだったそうですが、
今回は渋谷村長のご意向で、
旧島民の会の1世、2世、3世の皆さんと共に、
戦前の暮らしを意識しながら巡るという、
とても貴重な視察となりました。

過去の視察に参加してきた議員先輩も、
「今までない視察だよ~」と言っていました。

特に印象深いのが硫黄島で生まれて、
11歳で強制疎開で島を離れた奥山登喜子さんのお話でした。


自衛隊員の方に支えられながらも、
色んな場所について、昔は自分の家があった場所だったなど、
色んな話をしてくれたのです。

今の硫黄島はほとんどがジャングル化していて、
こんな景色が続きます。


■今回の視察では、自衛隊の隊員さんたちが、
旧島民の皆さんから聞いた話を参考に、
硫黄島の様々な場所を開墾してくれていて、
新たに見つかった集落跡がいくつもあり、
そこを重点的にめぐりました。

上記の写真のように、硫黄島は圧倒的なギンネムと桑の繁茂で、
普通ではその中に何があるかなんて見当もつきません。

しかし、過去の硫黄島訪島の時もそうでしたが、
旧島民の方はそのジャングルの中に入って行って、
自分の集落跡を発見し、トウガラシやパイナップルなどを手に
戻ってくるのです。

本当に硫黄島は楽園だったのだなと感じさせられました。


これが硫黄島の唐辛子です。
大きさはネズミの糞ほどですが、
その小ささでは計り知れないほど、辛みがあり、旨味があります♪

僕はあまり辛いのが得意なタイプではないのですが、
硫黄島唐辛子の青い状態の旨味と辛みのバランスが好きで、
お刺身の醬油に入れて、箸の先で潰すと最高の味が出てきます♡

唐辛子は雨が少ない地域ほど辛みが増すと言われています。
父島にも母島にも自生(母島は少ない)していますが、
世界に誇る香辛料なのではないかと思っています(^^♪



■こちらは硫黄島でこの1年以内に開墾して発見された、
暮らしの跡です。
サトウキビを擂るための設備だそうです。

母島では石臼が多いのに対して、
こちらの臼は鋼鉄製でした。


隊員さんが視察に合わせて、
島に残るサトウキビも用意してくれていいました。
本当にありがとうございます!


この溝はサトウキビを絞った汁が流れていく部分で、
その先で受け止めて、煮込んでいく行程に入っていきます。
小笠原で外来種として問題になっているアカギは、
このサトウキビを煮るための薪として導入されたそうです。


そんな暮らしの跡にもしっかりと弾痕が残っていました。
悲しい事ですが、硫黄島の岩やコンクリートに
弾痕がない場所がほとんどないほど、
島はそのすべてが戦場になっていたのだと感じます。


開墾にあたって、出てきた瓶などの暮らしの残骸も、
集められていました。
父島でも母島でも同様に山の中に瓶などがあったりします。
畑からライフルの弾が出てきたりします。



戦争というものがどれだけ暮らしに影響を与えているのか、
そこで暮らしていて、戦後80年経っても未だ島に戻れていない方と
硫黄島を巡っていると、
その圧倒的な理不尽さに言葉を失います。


「どうか、硫黄島を忘れないでください!」
硫黄島から返ってきた翌日の明治大学で行われた
シンポジウムでの登喜子さんの言葉が、
ずっと僕の頭の中でリフレインしています。
生涯、忘れられない言葉です。


■大きなガジュマルがある場所に案内してもらいました。
こちらも最近の開墾で集落の跡が見つかったといいます。


小笠原は沖縄と同じく、防風林としてガジュマルが植えられてきた経緯があります。
大きなガジュマルがある場所は人が暮らした場所であった事が多いのです。


近くには墓地がありました。
硫黄島のお墓ではとにかく水をよくかけて供養します。
戦争当時、みんな飢えと渇きで苦しんだからです。

僕も母島のレジェンドから頼まれた分も含めて、
沢山の水を撒いてきました。
先人たちのおかげで、今の暮らしがあるのです。


これは登喜子さんが住んでいた集落近くに残っていた、
硫黄島のパイナップルです。
今の母島ではあまりみかけない細い葉っぱの品種です。
こうして、代が変わりつつも今も戦前のものが残って息吹いている。
これってとてもすごいことだと思うのです。


■こちらは硫黄が丘にある船見台という岩です。
以前はここから海が見えたはずだといいますが、
硫黄島の活発な火山活動の隆起の影響か、
今はここからは海が見えないとのことでした。


近くにはレモングラスがありました。
これは戦前の硫黄島の産業の原料の一つで、
レモングラスから油を搾っていたようです。


その際にはこの硫黄が丘の常に沸き立っている
地熱や蒸気が使われていたそうです。
今もなお火山活動が続き、
8年前の景色とは全く変わっていた硫黄島。
島が生きている、とはまさにこの事と感じる瞬間です。


硫黄が丘ではトケイソウが美しい花を咲かせていました。
これは今小笠原の主要作物であるパッションフルーツの原種です。
8年前は6月だったので実が実っていて、
薄いですがほのかに甘いパッションの風味がしました。


これは硫黄島の各所に散らばる実です。
これは何の身なのでしょう?
あまり植物の生えない硫黄が立ち込めるエリアにも多くて、
いったい何なのかわかる人、教えてください‼


■集落跡を巡ると、今まで見えてこなかった硫黄島の素顔が見えてきます。

こちらは硫黄島で月下美人と呼ばれるもの。
母島ではドラゴンフルーツと呼んでいるものにそっくりです。
(逆に母島で月下美人と呼ばれるものは、
 花はドラゴンフルーツににていますが、葉っぱがもっと薄いです)


実際の学名よりも、その土地で呼ばれている名前に僕はドラマを感じているので、
クロアシアホウドリが硫黄島ではクロアホウドリと呼ばれている、
その部分を大事にしたいと思っていまします。


自衛隊の方の案内で、今までになかった景色を見ていると言う先輩議員。
普段は自衛隊の業務があるので、
休日にこうした開墾や発掘の作業をしてくれているそうで、
本当に頭が下がりっぱなしでした。

硫黄島の自衛隊の方々は、
島の急患搬送の為にとても重要な役割を課せられています。
本当にありがとうございます‼

こうした最近は近自然工法と呼ばれる様な、
みんなが歩きやすいような道の整備まで
やってくれているのです。

メインの滑走路付近には学校の跡が発見され、
そこではこうしたトイレの残骸もみつかっていました。


ここも同じく学校跡です。
このような丸い形のものは何に使われているかわかりませんが、
明らかに人が暮らしていた場所だそうです。
約80年前、11歳まで過ごしていた登喜子さんの記憶力は
本当にすごいです!


こちらは硫黄島の遺骨収集の中心的人物になっている方の
一族が暮らしていた集落の生活跡だそうです。


お釜の跡なども残っていました。
この生々しい暮らしの跡の数々が、
まだ硫黄島が戦後が終わっていないことを感じさせてくれます。


大きな大きなパパイヤの木。
硫黄島は楽園だったことを行くたびに感じさせられます。

そんな故郷に帰れないでいる旧島民も戦後80年になり、
1世が硫黄島に来れるにはギリギリの時代になっています。

僕たちはこうした機会に視察に伺わせて頂いているので、
できる限り多くの人に伝えなければいけないと感じています。

「どうか、硫黄島を忘れないでください」
小笠原に住んでいる人はもちろん、
多くの人々に知っていただきたい硫黄島です。


感謝☆議員2年生になりました!! ~あっという間じゃあ☆

2024年04月23日 | 議員活動
■丁度1年前の今日、この時間。夜の22時頃。
春の統一地方選挙があり、今日が選挙の投票日。

母島は期日前投票なので、1日前に投票を終え、
投票日の今日は確か、家でゆっくりしていたら、
父島の開票立会人の方から開票のメモの写メが送られてきて、
人生初の村議会議員、そして沢山の票を頂いたことに驚いたのがちょうど1年前の今日です。

父島のとある場所に潜むコダマちゃん(#^.^#)

あれから皆さんの応援と励ましのお陰で、
なんとか無事に42歳の厄年(後厄)を乗り切り、
無事に議員になって1年が経過しました。
本当にありがとうございました!!

沢山の優秀な人がいっぱいいる中、
こんな頭も良くない僕が議員でいいのか?と今でも思っていますし、
この新人1年間の議員活動、議会活動がちゃんとできていたのか、
自分に自問自答してみても、いっぱい疑問は浮かびます(#^.^#)

議員としてポンコツな部分もいっぱいで、
沢山怒られましたし、うまくいかない事もいっぱいありました。
一緒に頑張っていきたいとこちらが思っていても、
相手がそう思ってないなんてことも幾度もありました。

それでも、仲間に恵まれ、
精一杯ポンコツなりに、できる事をやってきたつもりです!
こんな僕でも、少しずつ手応えを感じることも多くて、
議員という仕事はとてもやりがいのある仕事だと感じています。

辛く、シビアな案件もあったり、
本当に困った人に寄り添い、
願いが果たせない事もあったりで辛い事もあります。

それでも、
すごく感謝されたり、励ましてもらったり、
応援してもらったり、茶化してもらったりで、
楽しく、濃厚で、貴重な1年間でした。

僕一人では大したことは何もできませんが、
沢山の人が力を貸してくれて、応援してくれて、
色んな事を形にすることもできました。

至らない僕に色んな意見を伝えてくれて、
落ち込んだり、悔しかったりすることもありますが、
それらはすべて学びであり、糧となっています。

議員に限らず、
仕事、暮らし、家族、自然、仲間、すべてに
感謝の気持ちでいっぱいです!
どうもありがとうございます☆

これからもできる限り、
与えられたこの大きな役目を
僕なりの方法で、
楽しめる範囲で、
精一杯やっていこうと思います。
どうぞよろしくお願いします!!


■そんな議員になって1年が経ちました。
自分の作った議員活動のHPを眺めながら、
できたこと、できなかったことを見直してみたり。
(理想だらけの公約はこちら)

議員になる前はもっと辛く、何も成しえない時期が長く、険しいものと思っていました。
でも実際に議員になって色々動いてみると、
沢山の方の協力のお陰で、
事が動いたり、叶ったりすることがチラチラとありました。
みなさんのお陰で、
間違いなく議会に新しい風を吹かせることはできたと思います(#^.^#)

そちらはHPの形になったことに載せてあります。
住宅問題、
医療に介護、
シュロ葉屋根の葺き替え、応急処置、
丸ノミ石斧の再確認や、
文化資料の電子保存化、
プラごみ資源回収、
ドック期間中の物資問題、
おが高ぎんねむ寮改善、
議会改革(アーカイブ、議会だより等々)
など
一般質問はこちらにまとめてあります。

まだまだ母島の終末期介護など、
大きな課題はありますが、
少しずつ前進はしていると感じています。

一般質問や総務委員会が何かすらよく分かっておらず、
予算委員会、決算も初体験だらけのあっという間の1年でした。
もう毎日が勉強です!(議員じゃなくても!)

日々の活動の報告はFacebookページにアップしています。
facebookをしていなくても見れますので、こちらもぜひチェックしてみて下さい。


■議員2年生になった今、ようやく議員、議会の1年間がこういう感じかぁと分かって来たので、より意味のある活動ができる1年になる気がします。

無理のない範囲で楽しみながら活動するのがモットーなので、
そんなスタンスで日々、島の方の相談に乗ったり、
ヒアリングをしながら民意を議会や行政に届けて行ければと思います。

母島では便利屋の仕事やゴミ回収、宅急便の配達などで、
顔を合わせる場面が多いと思います。
父島にもほぼ月に1度くらいは行っています。
見かけた時はぜひ気軽に「ジャイアーン!」声をかけて下さい♪

僕にできることは限られますが、
議員という立場はとても可能性が大きくて、
色んな人の力になれます。
皆さんの声と応援が力となり、動けて、形になると思います☆

世の中、疑問に思ったり、首をかしげたくなることは多々ありますが、
少しずつ、みんなの力を借りて、いい方向に向かって行ければと思います。

今後ともどうぞよろしくお願いします!!




小笠原って春がないの⁉

2024年04月20日 | 母島 日常 日記
■今日は新学期が始まって初の授業公開の日でした☆
この春に新しく赴任した先生方、
可愛らしいピカピカの1年生、
学年が上がって雰囲気が変化したクラス(クラス替えはなし)、
色んなお披露目の意味のある春の授業参観日となりました。

その中で、ふと興味深いなと思った場面がありました。
低学年のクラスを担当している先生はこの春、
母島に赴任した先生でした。

母島小中学校の素敵な中庭です(#^.^#)

先生は教科書を参考に、春の植物や生き物の話をしていきます。
その中で子供達に問いかけると、おかしなズレが発生します。

本来であれば、
桜やチューリップ、ウグイスや新緑など色んな自然が織りなす、
日本の春の情景を思い描くでしょう。

しかしここは亜熱帯の島、小笠原諸島の母島です。
子供達が挙げる植物は、
・ハイビスカス(年中咲いてる)
・プルメリア(これも年中咲いてる)

春に巣立ち期を迎えるシロハラミズナギドリ

生き物はもっと面白くて、
・ゴキブリ
・カエル
・ミズナギドリ
・カツオドリ
なんて言って来ます(笑)。

確かに島は春になると温度が30℃近くになったりするので、
ゴキブリなどをよく見かけるようになります。
それを狙ってカエルも活発化してきます。

先生が「それは夏じゃないの?」と思っても、
島の子供達は普通に春の認識なのです(#^.^#)
先生が「春とかチョウチョを見かけるでしょ?」と言うけど、
島の子供達は「チョウチョあんまり見かけないよ」という始末。
そう、島ではチョウチョはいないわけではありませんが、結構レアな存在なのです☆

ミズナギドリに関しては、どんな鳥かも知らず、
カツオドリが実は渡り鳥で、島だと春先から増えてくるのも知りません。

子供達に一生懸命教える先生の教科書には、
島の春なんて、これっぽっちも載っていないのです☆

春と秋に実りを迎えるキバンジロウ

■そんな感覚の差を見ていて、とても面白くて、
困っている赴任したての先生に「島の春」を少し話してみて、
そんなエピソードを先輩先生に話してみると、
「そうそう!私も赴任してすぐの春の授業ですごく困った!!
 さらに秋とかも困るの!だってもみじを知らないし、
 紅葉も当たり前に分からないんだから(笑)!」

そんな先輩先生と話した後、
もう定年退職された大先輩の元教員の方とも話し、
そうなんですよね~と大笑い。

島の季語で俳句とか書かせると面白いですよね、と(#^.^#)。
そんな事を話していました。

そんな事をきっかけに、島の四季について色々思い出したり、考えたり。

そう、四季がハッキリしている日本本土に比べて、
亜熱帯の小笠原は春と秋が曖昧です。

冬に雪や氷が見れるわけではないし、
秋に山菜や紅葉、沢山の収穫があるわけではないのです。
春は出逢いと別れのシーズンです

もう20年くらい、本土の春を経験していないので、
大分忘れてしまっていますが、
島の桜なんて、2月に散ってしまうのですから(#^.^#)

島の季節で僕が感覚的に抜けてるな、と思うのは、秋です。
日本の秋というものは、冬に向けて様々な実り豊かに変移し、
色が、空気が、雰囲気が冬籠りに向かっていくと思っているのですが、
あの感じが島にはない気がするのです。

春は早目ではありますが、桜が咲き、菜の花(からし菜ですが)、
そして新年度に向けて出会いと別れがあり、ソワソワするのです。
入学式や、卒業式もそうですね。


■島の春を僕なりに考えてみると
・寒緋桜が咲く
・トマトの収穫が終わり、パッションフルーツに移行する
・ウミガメ漁の季節(新亀が食べられる!)
・カメ陽気にカメの交尾
・鳥たちの繁殖シーズン
・サイザルアサやオガサワラビロウの花が咲き、コウモリが集まる
・ザトウクジラ達が北上を始める
・夏野菜の作付け
・シロハラミズナギドリの不時着
・消防団の訓練
・出逢いと別れの季節
・ネムリブカのお見合い
こんなイメージです。

夏は豊富にあるし、よくイメージできるので割愛して、
島の秋のイメージは
・台風が多い
・御嶽神社のお祭り
・学芸会
・文旦の収穫シーズン
・暑くて海に入らなくなる季節
・トマトの定植
・オナガミズナギドリの不時着
台風以外はなかなか季語にしにくいイメージです(#^.^#)

これらはあくまで僕の独断と偏見ですが、
学校の授業参観で困っている赴任したての先生と、
先生の言っている意味がなかなか伝わっていない低学年の生徒たちの様子が、
とても興味深く、面白かったので色々考えさせられました☆

そして、自然界のカレンダーも時計もないのに、
季節に合わせてちゃんと巡ってくるのが凄いなぁと
改めて感動させられました!

さあ、皆さんの思う島の春や秋ってどんなのがありますか?




母島の伝説のカフェがリニューアル・オープン!!

2024年04月17日 | 母島 おすすめ処
2019年の大台風で壊滅的な被害を受けて、
営業をやめていた母島伝説のオーシャンテラスの「CAFE MAMAYA」が
「COFFEE CAMP KUJIRA」になってリニューアル・オープン!!
やった~~~!!

この情報を知ってから、妻がずっとソワソワしておりました(笑)

とっても美味しいベーグルに
素敵なドリンク類が用意されています♪

今日は定期船ははじま丸が父島に向かう姿を見送りながら、
オープン初日という事で、
ワクワクしながら夫婦で行っみたら、偶然にT夫婦も来ておりました☆

大海原を眺めながら、
舌鼓を打ちながら過ごせる場所が、
こうして復活したことがとても嬉しいです☆


■営業時間は10時~17時でラストオーダーが16時。
営業カレンダーは静沢の坂道との分岐点に表示されています☆
手作りで雰囲気も最高です♡

ちょっと集落からは遠いですが、
だからこそのロケーションと言えます♡
※営業日でも風が強い場合はお休みとなる場合があるそうなので注意!

こちらがドリンクメニュー。

運転をしなくていい人はビンタンビールや角ハイボールもいいですね♪


ベーグルのトッピングなどは日替わりだそうです。
ベーグルはグルテンフリーの米粉100%のパンです。

風味も良く、とても美味しかったです(#^.^#)


■このキッチンカーで注文と支払いをしたら、調理を待ちます。


黒豆茶は無料で飲めます☆
いちいちセンスがいいですね~♡


飲み物と食べ物の準備が出来上がると、
呼ばれます。
テラスで待つもOKだそうです。


美味しい飲み物などをもっったら大海原が見えるテラスへ♪
ドキドキしますね~

僕らはブルーラムネソーダ、
オレンジ色タイミルクティー、
ベーグルサンド(生ハム、クリームサンド)
を持っていきました(^_-)-☆

妻も足取り軽く上がっていきます。
みんなワクワク♡

テラスは見事にウッドで作られ、
階段も丁寧に作られ、
立派な日陰もある素敵な場所!

まだザトウクジラがチラチラと見えました!
かなりイイ感じです♡

1人用の絶景スペシャルVIPシートもありました。

そこからの景色はハスベイと四本岩が見渡せます。


テラスは森の中にあって、
周りの木々が囲んでいてとても落ち着く雰囲気です。

みんなでワイワイする席もあります☆


母島でまったり気持ちよく過ごせるスポットが復活して、
また夫婦で通ってしまいそうな予感です(#^.^#)

テラスにあるこのゲーム。
この5列の〇×、どういうルールなのか分からず、
店主さんに聞いたら「タイで買って私も分からない。教えて~」
との事でした。

5個1列はゲームとして無理があるし、
3個1列は先手が圧倒的有利。
となると、4個1列が現実的がしたのですが、実際やいかに⁉
知ってる人、教えて下さい!
※翌日、ルールを発見しました!!

ちっちゃなサッカーゲームも
大爆笑しながらTさんと対戦し、3-0で勝ちました!やった!

そんな楽しくも落ち着く最高の空間が誕生しました!
これから通っちゃうぞ~
どうもありがとうございます!!




出逢いと別れの島の春2024

2024年04月12日 | 母島 日常 日記
■「いってらっしゃい!高校生活楽しんでね!」
つい数日前、父島の小笠原高校に進学する母島の生徒を見送りました。

3月から続いた卒業、離島、入学がようやくひと段落しました。
そう、春は出逢いと別れの季節です。
船というたった一つの交通手段しかない島だからこそ、
人の出入りがハッキリと分かるし、
その見送りと出迎えは盛大に行われるのです。

恒例のサッカー部の胴上げを見ると、
母島の卒業を感じます。

今年の母島を巣立つ卒業の生徒は3人です。
2人は内地の高校へ、1人は父島の小笠原高校へ。
小さなころから知っている島の子供達。
これまでにその兄弟も見送って来ました。

兄弟と共に島を離れる家族、
これまでお世話になった先生たちとその家族、
他地域に赴任していくみんな。

島でその顔が見れないのは寂しいですが、
新天地で精一杯楽しんで頑張って欲しいと思うのです(#^.^#)


■島を離れていくははじま丸。
それを見送る島のみんな。
毎年、切なくなるこの季節。

島を離れるみんなの首や頭には、
みんなが想いを込めて作ったレイがあります。

船が島を離れる時に海に向かって投げて、
そのレイが島に辿り着くと、
またその島に戻って来れるという言い伝えがあります。
ははじま丸が離岸して、大きな汽笛が鳴ると、
みんなが一斉にレイを投げていきます。

みんな大声で
「いってらっしゃい!!元気でね!ありがとう!」
と叫んで走って追いかけます。

見送られる人、見送る人の中には
大粒の涙が溢れる光景も目にします。

僕が高校を卒業して、小笠原に初めて行こうとするとき、
高校の恩師が
「その土地を離れる時、自然と涙が溢れるような、そんな出会いをして来いよ!」
と言ってくれて、実際に僕自身2002年に母島を離れる時に、
ずっと泣いていたのを思い出しました。

それから翌年には小笠原に移住しているのですから、
人生は何があるか分かったもんじゃありませんね(#^.^#)

海面を漂うレイを眺めていると、
色んなドラマを思い出して、キュンとなってしまいます。

楽しいだけでなく、色んな感情があると思いますが、
その人の人生において、この島で暮らしたという時間が、
かけがえのないものになるといいな、そう願っています。

その後、父島では何隻ものの見送り船が伴走する、
盛大な見送りが繰り広げられますが、
母島の見送る人と見送られる人の距離の近い、
素朴な別れも僕は大好きです♡


■この春はコロナ禍が明けて、
数年ぶりに盛大な見送り式、出迎え式が執り行われています。
この3年間ほど実施できなかった期間が、
このセレモニーの大切さを再確認させてくれました。

見送る人にとっても、
見送られる人にとっても、
大事な節目になっている気がするのです。
学校での卒業式。
母島小中学校では小学生2名、中学生3名の卒業でした。

高校のない母島にとって、
中学卒業はそのまま島を巣立つことを意味します。

沢山の方の準備と応援、関わりのお陰で実施できるセレモニー。
色んな想いが交錯します。
本当にありがとうございます!

島を巣立つ子供達、ひとりひとりによる精一杯のスピーチは胸を打つものがあります。
5年前、長女が卒業式でスピーチして、
その後カナダに飛んで行ったのがついこの間の様な気がするのですが、
今度は来年、次女が卒業を迎えます。

子供の小さい頃は、慣れない子育てに翻弄されていっぱいいっぱいでしたが、
子供が親とあまり一緒に過ごさない年齢になってからは、
あっという間に成長し、巣立って行ってしまう気がします。

人生において、子供と一緒に過ごせるというのは、
すごく限られた時間ですので、
大事にしていきたいと思います(#^.^#)


■そんなお別れを過ぎると、
今度は入学式に新しい赴任する先生や職員、家族が島にやってきます。

本土から1000㎞以上も離れ、
コンビニもバスも映画館もない島に来るって、
想像できない心境だと思うのですが、
その緊張感もどんどん和らいでいくのを見るとホッとします♪

今年の入学生は
小学校が4名。
中学生が2名。

母島は小中学校で、同時に入学式も卒業式も行います。
入学式では新中学1年生が、新小学1年生と手を繋ぎ入学します。

長女が中1の時、次女が小1のダブル入学だったのが、
もう8年も前のことだとは!



■長女は現在カナダから帰国して、
母島で住み込みで働いています。
もう少しは島にいるようですが、
せっかくの英語が喋れる20歳なので、
どんどん色んな世界を楽しんでいってほしいと思います☆

次女にとっては今年は受験生。
果たしてどんな進路を選んでいくのか?
親としては楽しみです♪

28年前、当時仙台の中学3年生だった僕は
仕事しながら学校に通っていましたが、
将来の事なんて、のほほんと捉えていました。

その後、昼間はサラリーマンをしながら、
夜は工業高校に通い、
さらにはその後に遊ぶという高校生活を送り、
そこのご縁で小笠原に来るなんて、
夢にも思いませんでした(#^.^#)

そもそも、中学生の時に硫黄島は知ってても、
小笠原はあまり知らなかった気がします(ゴジラで知ってる程度)。

島の子供達も、
自分の娘達も、
自分や妻のこの先も、
どうなるか分かりませんが、楽しみな春のひと時です♪



くろしお丸に感謝!おかえり、ははじま丸!~伊豆諸島開発のみなさんありがとう!!

2024年03月16日 | 母島 船舶
■3/10我らがははじま丸がドックを終えて、母島に帰ってきました!
お帰りなさい!

3/9入港日の父島~母島の往復を以って、
今期のははじま丸代船、くろしお丸は本来の青ヶ島航路に戻って行ったそうです。

ははじま丸は広島県呉市の神田造船所でドックをしてきたそうです。
なんと同じく僻地離島航路を支える伊豆諸島開発の「あおがしま丸」は9日まで青ヶ島航路に就航した後、
八丈から直接鹿児島のトカラ列島の応援に向かったそうです。


■トカラ列島十島と鹿児島を結ぶ航路ですが、
去年12/29、悪石島沖で運航中の十島村営船「フェリーとしま2」
の機関から火災が発生し、乗客11名、乗員18名が全員が無事に救助される出来事がありました。

唯一の公共交通機関での火災で、三島村の「フェリーみしま」などで臨時運行などを行ってフォローしているそうですが、やはり村民生活に支障が発生しているとのことです。

鹿児島への医療、物資、仕事の出張移動など色々と不便が生じているようです。

そこで、なんと伊豆諸島開発のあおがしま丸が十島航路に応援しに向かっているというのです!

宝島に接岸するあおがしま丸。
これはトカラ列島宝島に住む友人が画像を送ってくれました。
トカラ列島応援のあおがしま丸の運航についてはこちら

過去にはくろしお丸の前の船、「ゆり丸」がフェリーとしまの改造ドックの際に代船として応援に行った経緯があるそうです。
その時はフェリーとしまのバリアフリー化という事で、
エレベーターを増設する長期ドックだったとか…



■去年は、おがさわら丸に漁網が絡む事件、さるびあ丸のプロペラ故障、新島~式根島の連絡船「にしき」の座礁など色々な船のトラブルが続き、その予備船の存在が本当に大切である事が見えてきました。

近海資格という特殊な資格を持つ、
くろしお丸とあおがしま丸のポテンシャルの高さ(貨物も旅客もできる!)はかなり凄くて貴重な能力と思いました。
※ははじま丸はドックに行くときのみ臨時で近海資格を取っているそうです。

今回のくろしお丸がドック明けに母島に来てくれて、
ははじま丸はドック入り。
その間も母島の生活に支障がないように日々、動いてくれていました。
船員さんは船で寝泊まりをして、時化の時は沖留めでずっと海の上で揺られて過ごしています。

私たちの生活は、こうした皆さんに支えられている事を忘れてはいけないと思います。
つい、当たり前になると忘れがちですが、こうしたインフラを支えてくれているから、普通の日常が送れているのです。

昨日は母島航路を離れるくろしお丸の船員さんに、
目一杯の感謝を込めて、声をかけて、手を振ったら、
船員さん達も船長も大きく手を振って応えてくれました。

本当にありがとうございます!!

■母島~父島航路の応援運航を終えて、くろしお丸が父島を経由して、八丈~青ヶ島航路に戻っていきます。
父島に到着すると、沖合にドック帰りのははじま丸が父島の二見湾に帰って来ていて、素敵な交替の場面があったようです。

今回、僕も議員の出張で内地に行って来たのですが、
内地からの戻りが初のくろしお丸乗船でした♡

過去に母島でくろしお丸の内覧会があり、
そこで内部は見たことありましたが、
運航しているのに乗ったのはなんとこれが初めてでした(^.^#)

くろしお丸の誕生が2022年1月だったので、
なんと2年も乗っていなかったわけです!!

■そしてようやく、我らがははじま丸がピカピカになってははじま丸航路に帰って来てくれました!

2月3月は学生の春休みやクジラのシーズンということで、
入港日に父島に戻り、翌日朝にまた朝から父島を出て来るという、
普段より1往復多い臨時運行をしてくれています。

これが観光面でもすごく有難く、
年度末の仕事の行き来している方々にもとても助かっている状況です。
しかし、船員さん達はガッツリ仕事が増えてしまっているので、
リスペクトの気持ちも込めて、
なんとか船員さん達が心地良く過ごせる雰囲気作りも、
島側からやっていきたいと思っています。


■さてさて、そんな赤字な超僻地離島航路に
ははじま丸、くろしお丸、あおがしま丸と3隻の船を就航させている、
伊豆諸島開発さん。

議員の2月の内地出張の合間に、
芝浦にある事務所を始めて訪ねて行って来ました!!
お忙しい中、山本社長と沢山の話をさせて頂き、
これからの小笠原との関り、未来についてお話させて頂きました。

たった450人の人しか住んでいないははじま丸ですが、
こうした色んな方々に暮らしが支えられています。

毎朝、ここから島の海況を連絡を受けて、
くろしお丸、ははじま丸の運航の決定などの連絡、発信をしてくれています。

その情報は東海汽船のHP、アプリで確認できます。
一番、多くの人がリアルタイムで情報を知れるように更新してくれていますが、こうしてその方達の顔が見えてくると、
グッと嬉しくて応援したくなってきます。
今後も色んなアクションをしていきたいと思うので、
よろしくお願いします!

芝浦の伊豆諸島開発の事務所には、沢山の島の写真が飾られています。
その中で、よく知っている方のポストカードが展示されていて、
思わず山本社長にお願いして写真を撮らせてもらっちゃいました♪

こんなに島の事を考えてくれてるっていうのが伝わり、
とても嬉しくなってしまいます!!

明日はまたまた議会で父島に行くので、
ははじま丸に乗ってきます。

いつもいつも、
そしてかなり厳しい海況でも、
島の航路を支えてくれています。

本当に有難うございます!!