小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

戒名彫刻 母島編 これから広がる可能性∞‼

2023年01月17日 | 便利屋 こまわりさん
戒名彫刻 父島編の続き
■信州・松本から海を越えて小笠原諸島へ。
目的はお墓に戒名を彫ること。

何故なら、こんな離島まで墓石彫刻という、
特殊な技術を行うことが出来る人は見当たらず、
20年以上も彫れなくて困っている人が何人もいたから。

戒名彫刻師、彫枡(ほります)の杉本弦洋さんは言いました。
「これからはこういう事をやっていきたいんだよね。
 僻地で本当に困っている人の為に
 自分の技術が助けになるのなら、
 ぜひ行って彫っていきたい!」

小笠原だけでなく、他の離島も視野に入れた、
とても嬉しい一言でした。
僕もそのコーディネートで他の離島の方のサポートが出来ればと思っています(#^.^#)
これからのご縁、可能性の広がりにワクワクしちゃいます(#^.^#)

今回は父島と母島の沢山の方から感謝の言葉を頂き、
僕と弦洋さんはとても嬉しさで満たされていました♡



■さてさて無事、おがさわら丸2航海の工程、すべての戒名彫刻作業を終えることができました。
一言でいうならば、心底ホッとした、になります。
まさかここまでプレッシャーを感じるとは…

雨では一切作業が出来ないデリケートな戒名彫刻。

しかし、滞在日程は決まっており、
もし仕上がらずに延長になった場合は滞在費用も増えてしまうし、
何より母島の場合、延長した場合は宿があるのか、出発時に車を載せる空きがあるのか、
様々な不安要素の塊が見えるので、
何としてでも予定の日程で終えなければというプレッシャーとの戦いでした。

なので、彫る時期も台風の来ないかつ、雨の少ない時期である1月を設定しました。

しか~し、その直前の12月はほとんど雨模様という、
例年だと12月中旬以降はいい天気が多いのに、
なかなか心配な天候でした。

ですが、その心配も杞憂に終わりました☆
年末年始からずっと海も天気も最高のコンディションとなりました!

結果的に1/7父島来島から、1/16母島出発まで、
日中の雨はほとんどありませんでした!
もうこれは奇跡としか言えないほどです☆
※現に16夜から毎晩雨が降っているのです!
本当に天候にも感謝です♪

お陰で様で彫刻作業は順調に進み、
父島は5件 6名分
母島は10件 17名分
計23名分の彫刻を終えることが出来ました♪
本当にありがとうございました!!


全ての仕事を終えて、母島の集落を見渡せる小剣先山を登る弦洋さん


■この15件、23名分という彫刻量は内地の作業であれば
約10日間の工程で全然無理のないボリュームなのだそうですが、
忘れ物が出来ない小笠原という超遠隔離島であること、
船のアクセスが不便であること、
お墓と車の距離(最大250m超)、
車を船に載せるタイミングと工程の調整、
車を載せる予約と、人が乗る予約、
そして宿の確保と、
天候以外にも色々と難しい調整が必要でした。

ここがもう高齢化が著しい墓石彫刻の職人さんを
島に呼ぶことが難しい背景だったと思います。

今回は幸運にもSNSで呼びかけて、
友人が40代という若い弦洋さんを僕に紹介してくれたお陰で、
事前にオンラインビデオ通話やLINEで画像のやり取りなど、
出来る限りの調整を事前にやりまくったお陰で、
最高のスケジュールで成功したのだと思います。

改めて、紹介してくれたNちゃん、本当にありがとう♪


■父島は村営の大根山霊園があるのに対し、
母島は村営の墓地はありません。

大根山霊園は
利用している方から聞く所によると、
30年くらい前に整備されたばかりの新しい墓地で、
永代使用料 400,000円~
年間管理費 3,600円 / 年
だそうです。

母島と違い、今回の彫刻件数が父島の方が少ないのは、
こうした墓地の整備があったからかもしれませんね。

弦洋さんに内地事情を聞くと、
近年はお墓の維持管理も問題になっていて、
「墓じまい」のケースがとても多いそうです。

僕自身も自分のお墓にはあまり興味なく、
海とかそこら辺で自然に還ればと思っていたりします(法律の問題を除く)。



■また、今回墓石の彫刻をする上で、
僕は事前に今墓石に彫られている文字を大きさも書体も、
そのまま写す「拓本」をいう作業を事前に行いました。

これは彫刻する際に、ゴムの型を事前に作って来る為に必要な作業でした。

その時はただ、今ある文字を映して長野に送るという事をしただけだったのですが、
さすが本職です。
いざ弦洋さんが現場に来て、墓誌などを見ると、
そこから色んな意思が見えたりするそうなのです。

すでに彫られている方の年齢や性別から、
人間関係、意思を感じて、ご依頼者に確認をするのです。

例えば、
ただ単に亡くなった順に彫る場合もありますが、
旦那さんと子供が先に亡くなり、間に一行開けてある場合は、
奥様がそこに入る用に空けてあったりするのです。

親より先に亡くなってしまった場合など、
親の分を空けてあったりと、家庭によって様々なのだそうです。

今回、複数人の彫刻依頼の場合などがそのケースがあり、
ただ拓本を取っただけの僕には全く気付かない部分でした。

そう思ってくると、墓誌というのもとても興味深く思えるようになってきました。


人口450人の母島を見渡す小剣先山。
戦前1940年、小笠原の人口は6207人との記録が残っているので、
この今見える沖村の人口ももっと多かったと推測できます。

僕たちが数日作業した沖村墓地は都住の上の森で、
小剣先山からは全然見えませんでした(#^.^#)
大海原ではザトウクジラ達が盛んに動いたり跳ねたりしています。

きっとお墓に名前を彫った方たちも、
この景色を見て過ごしていたのだなぁと思うと、
とても感慨深いです。


■僕の想像を遥かに超えていた戒名彫刻作業。
これまでの様に顔が見える作業は、実は文字の型のゴムを貼る作業だったり、
貼る位置を正確に測っている場面で、実は上の写真の様に、
シートに潜って削る作業をしているので、まったく映えない構図なのでした(#^.^#)

まさに頭隠して尻隠さず状態(^_-)-☆

型を貼った石に対して、
車のコンプレッサーから高圧空気を使って、
カーボンと石の粉みたいな砂を一文字ずつ、1筆ずつ削っていきます。

その際にものすごい粉塵が発生するので、シートでくるんで、
弦洋さんは頭を突っ込んで作業する訳です。
その中で火花が飛び、その明かりで見ながら削っていくそうです。

仕上がりを見ると、見事に加減などが絶妙で、
文字通り職人技というのをヒシヒシと感じました!
本当に凄いです!!

僕は遠い現場の場合は、
車のコンプレッサーが焼け付いたりしないように
連絡を受けてON,OFFをしたり、
足りないもの、食事やモノの運搬を手伝う程度でした。


■僕は一応、母島で介護の仕事を少ししているので、
今回、母島の彫る方のほとんどが顔も性格も知った方達が多かったです。

生前も知っていると、お墓に向き合った時の気持ちがまた深くなります。

でも、それ以上に無事に彫り終えた報告を、
ご依頼の方に連絡した時のホッとした顔が忘れられません。

「ずっとね、何年も名前を彫ってあげれてなくて、
 ずっと気持ちがソワソワしてたの。
 ようやく、何かホッとしたわ。
 どうもありがとう」

と言ってもらったり、
「いつか無縁仏になっちゃうんだよねと思いつつ、
 お墓は今いる私達の心の供養だから、
 こうやってお墓に戒名刻んでもらうことで
 やっとまた一つ、私達の心の供養ができたんだよねって、
 朝から母とありがたがってたよ。
 生前もなくなったあとも
 寄り添ってくれるジャイアンに感謝」

と言ってもらって、すごく嬉しかったです。

こんな時代なので、現場からLINEで内地に写真を送り、
その返事を現場で読んで弦洋さんにも伝える。

迫りくるリミットを気にしながらも、
こうした気持ちを受け取って、とても幸せな気持ちになりました。

確かに手配や調整、お金のやりくりは楽ではなかったのですが、
そのすべてが報われる瞬間でした♡


■父島も母島もいざ現場に来てみれば、
戒名彫刻だけでなく、お花立ての破損、交換だったり、
彫った文字の白入れなど、
細かな作業があったりしました。

これらは弦洋さんがいなくても、
僕ができるように色々教わりました☆

新規で墓石を設置するオーダーも頂き、
十二分に充実したお墓の仕事となりました。
これも便利屋さんの仕事なのです(#^.^#)

彫刻の仕事を終えて、
「やった~!無事に終わった~!」
と墓地に通じるフルーツロード終点での達成感、忘れられません。

まだ細かな作業はありましたが、
雨が降ると絶対的にできない彫刻作業が無事に終わった時の
ホッとした気持ちは、言葉にできないです。

途中雨があって、日程がズレたら、
夜間作業も覚悟していたほどです。

それらが無事に終えた時の空はあまりに青かったのです。


■過去に住んでいたとはいえ、
お邪魔している立場、アウェイの父島と違い、
入港配達など色んな用事が発生する母島。

滞在中に島を引き揚げる友人の為の
ライヴイベントも主催していたり(#^.^#)

そんな中でも無事に仕事を終えれたので、
空いた時間は存分に母島を楽しんでもらいました♪

さすが元バンドマンの弦洋さん。
父島でもジャズフェスというタイミングでしたが、
母島では僕が主催するライヴというタイミング!!

なんか、すべてもっている感がぬぐえない、今回の滞在。
主催の僕は非常にいっぱいいっぱいなのですが、
みんなのお陰で最高のライヴになったと思います☆
それについては後日記事にしますね(#^.^#)


島に来る前からずっと体験させたかった、
アウトリガーカヌーも一緒に漕げました!

海なし県の信州から来ている弦洋さん。
最初から最後まで
ずっとクジラが途切れない、
ホエールボヤージングでした☆


終始海には「怖い!怖い!」ばっかりだったのが、
カヌーでクジラ三昧だったら
いつの間にか怖さは薄れ、
「海は友達♡」と言えるまでになりました(^^♪

漕いでる途中で作業に使っていた彫枡号(ほりますごう)、
松本ナンバー、スタッドレスタイヤの車がははじま丸の上にちょこんと載っているのを
カヌーから見送れたのはとても面白かったです。
※車を出港日のおがさわら丸に載せる場合は、前日のははじま丸に載せないと間に合わないのです。


父島母島の両方のお墓に名前を彫りたくても、
ずっと彫れずに落ち着かなかった皆さんを、
安心させれる偉業を成し遂げてくれた弦洋さんに感謝!

僕にとっても学びと喜びに溢れる日々でした☆
どうもありがとうございました(#^.^#)


■弦洋さん自身にとっても、
この小笠原に来る仕事というのは、
とても大きな意味を持っていたようです。

僕にとってもとても大きな意味がありました。
こうして人と人のご縁が、より深くなりました。
本当に有難い限りです。

とても感謝されているのに、こちらも感謝の気持ちで溢れている。
それって最高の仕事なのなのではないでしょうか?

島の困っている人を支える便利屋さんを始めたのに、
逆にいっぱい元気をもらっています!


そんな素晴らしきご縁を頂いた弦洋さんを見送る日がやって来ました。
もちろんレイを作って渡したのはもちろんですが、
それだけでは僕の気持ちが収まりません。

しかも、自分が主催するほどのお別れライヴの主人公マナイも同じはは丸です。
これはできる限りの事をしなければ、僕は後悔します。

少し風が強く、海が悪かったのですが、
僕はSUP、妻はカヤックで見送りボヤージングを行いました。
その様子を友人が望遠カメラで撮ってくれていました。
どうもありがとう!

写真で見るとかなり近く見えますが、
安全な距離にいますし、
定期船の航行に邪魔にならない様に、
事前に船長さんにも話してあります☆

見ようによっては助けを求めている様にも思えますね(笑)

自分にできる精一杯の行動で以て、感謝の気持ちを表現したつもりです。
もう2年もSUPをやり続けていると、こんな海況でも難なく立てるようになったので、
自分にしかできない見送りだと思っています(#^.^#)

その日の夕焼けは、なんだかとても不思議な竜が飛ぶような雲がある夕陽でした。
ライヴもお墓仕事も無事に終えて、超ホッとした瞬間の景色でした☆

おがさわら丸が着いた竹芝の夜(今!)は、
紹介してくれたNちゃんと弦洋さんが久しぶりの再会を果たし、盛り上がっている頃でしょう。

僕自身にも沢山の気付きと学び、
そしてご縁を頂いた今回の便利屋仕事。
これからの展望にさらにワクワクします。

どうも有難うございました!!

※離島の戒名彫刻で困っていたら、僕宛に連絡ください。
ブログ左欄のメッセージからどうぞ!

戒名彫刻専門・彫枡杉本弦洋








戒名彫刻 父島編 無事に終了!!

2023年01月10日 | 便利屋 こまわりさん
■「本当に来てくれてありがとうございます!
 もう亡くなってから何年も経っていて、
 どうしたらいいか途方にくれていたの。
 これで母も私も安心できる。
 どうもありがとうございます!!」
今回、お墓の名前を掘る仕事があり、
お隣の父島にまでやって来ました。

内地からやって来たお墓の名前を彫る職人さん。
海なし県の信州松本から道具と作業車を持参しての来島です。
彫枡(ほります)の杉本弦洋さんです。

陸続きの本土では問題なくできることが、
超遠隔離島である小笠原では難しいことがあります。

困っている人の為に、
自分にできる事をしたい。
そんな想いで開業した便利屋こまわりさん。

開業してから本当に色んな仕事を引き受けてきましたが、
今回も新しい分野に関わることになりました。

そこで冒頭のような言葉を頂き、
僕も職人さんも嬉しくて嬉しくて、
こうして関わってきて本当に良かったと思えたのです。

今日から母島に移動なのですが、今回はその父島編をまとめてみました。


■ところで、そんな戒名彫刻ってご存じですか?
僕は1年半まではさっぱり知りませんでした。

約2年前、母島で便利屋として一つの相談を受けました。
「お墓に名前を掘りたいんだけど、もう20年以上も彫れてないの。何とかできないかしら?」

お墓に名前を彫ることを戒名彫刻というそうです。
本土から1000km離れている小笠原諸島。
僕が小笠原に移住して約20年、その間に色んなレジェンドが天国へ旅立っています。

しかし、島で墓石に名前を彫れていないという事実は、
全く知りませんでした。
新規でお墓を創る場合は、内地に注文して、
島の業者さんに運んでもらい据えることはできているのですが、
すでに墓石がある場合、そこに名前を彫ることができていなかったのです。

今更ながらにそんな事実を知り、
早速、戒名彫刻できる人を調べてみました。
まあ、タウンページをめくるように見つかるだろうと安易に考えていました。

しかし、さすが小笠原の特殊な立地条件。
想像以上に難航するのです。


■小笠原には父島にも母島にも墓地が複数あります。
父島には村が管理している大根山墓地というのがあります(母島には村管理の墓地はありません)。
まずは村に紹介できる戒名食刻の職人さんはいないか相談してみました。
結果は分からないし、それらは皆持ち主に任せているので、
村は関与していないとの事でした。

それで社会福祉協議会とかにも相談してみました。
しかし、社協もそれは分からず、知っている職人さんも高齢化が進み、
島に来てくれる人を探すのは難しいという事でした。

そこで今度はお墓を持っている方々に聞いてみました。
やはり、島に名前を彫りに来てくれる人を知っている人はおらず、
石にはめ込むプレート型の墓誌にしている方もチラホラいたりしました。
中には自力で彫った方もいましたが、今はもうご存命ではなく、
なかなか厳しい状況でした。

そこでSNSにお墓に名前を彫れる人を紹介してくださいと書き込んでみたら、
母島にいたことがある友人が紹介してくれたのです!!

高齢化が著しいこの業界において、
LINEで画像のやりとり、オンラインでの打ち合わせができる世代の職人さんを
紹介してもらったのです☆
Nちゃん、本当にどうもありがとう!!

戒名彫刻職人の杉本さんを紹介してもらって、電話やビデオ通話でやりとりして、
何とか島で作業する方向で調整がはじまりました。

島まで来てくれる職人さんを見つけたと連絡した時の、
ご依頼人の安堵した顔は忘れられません♪


■そこから杉本さんに色んな小笠原の特殊事情をお伝えし、
宿や機材の運搬、ご依頼人の募集など、
沢山の調整をし始めました。

当初は天気も安定していて、
涼しい1月の実施を前の年の秋位から調整していたのですが、
なんとコロナの問題が発生してしまい、
スムーズに調整していた1月の来島が難しくなってしまいました。

しかし、ピンチはチャンス!
1年の延期をしたおかげで、
当初は母島での作業だけを考えていたのですが、
父島の方も募集し調整する時間的余裕ができたので、
父島も実施する方向で動き出せたのです。

ご相談を受けてから結果、1年以上も実施まで時間がかかってしまい、
沢山の時間をお待たせして申し訳ない気持ちでしたが、
ご依頼人の方が、
「これまで20年以上待ってもできなかったことが、
 こうしてやってもらえるだけでも本当にありがたいのよ」
と言ってくれて、ホッとしたのを覚えています。

そんなこんなで無事に職人さんを島に呼ぶことが出来て、
そのタイミングでなんと父島でジャズフェスが開催されることが分かって、
僕は入港日の前日に父島入りを果たしたのです。


■港で念願の杉本さんと初対面を交わし、
松本ナンバーでスタッドレスタイヤ(笑)の作業車がおがさわら丸から降りたので、
早速扇浦墓地へ直行し、作業を開始しました。

僕も今回初めて知ったのですが、
戒名彫刻はコンプレッサーで高圧の空気を使い、
カーボンの粉を吹き付けて削る作業を行うのです。

ご依頼の戒名に合わせて型をゴムで用意して来てくれていて、
万が一に備えて、島で型を作れる用意までして来てくれたのです。

忘れ物をしたから、ちょっと取りに行く、といくことが難しい小笠原と
この特殊な作業。
なかなかこれまで戒名彫刻がされてこなかったのもよく分かりました。

今回このご縁で職人さんに繋いでもらって、
こうして実施できる事が僕にとっても本当に有難く、嬉しい仕事です(#^.^#)


■扇浦の墓地を終えて、翌日は村の大根山墓地へ作業場を移動します。

戒名彫刻は雨の中では絶対に実施できない、
デリケートな作業だそうで、
とにかくお天気の間にできる限り作業を進めるというもの。

小笠原は週に1度のアクセスの日が決まっているので、
出来る限り余白のある日程を組んだつもりですが、
ずっとお天気の保証もないだけに、
作業終了まで気が抜けないシリアスさが常にあります。

しかし、職人さんが驚くほど、父島の大根山墓地は
お墓とは思えない不思議ないい空間でした♪

1日中お墓で作業してると、
ヨガをしていたり、
楽器練習する人がいたり、
お墓参りに来る人がチラホラいたり、
観光の案内スポットになっていたりするのです。

また、見晴らしがよくて、
和と洋のお墓が入り混じっていて、
なんだか欧米系の住民がいる父島らしい雰囲気の墓地だなぁと
しみじみ思いました☆

お墓で肝試しなんて全く成立しないほど、
気持ちのいい開かれた空間なのです(#^.^#)


■本土で独立開業し、法人化した杉本さんにとっても、
この小笠原での仕事はとても大きな意味合いを持っていたそうです。

ご依頼者さんと対面し、
感謝の言葉を頂きつつも、
こちら側もお陰で小笠原まで来れて、
こうして自分のできる事が人の役に立てているという手応え。

それが職人として、
人としてのアイデンティティーになっている。
僕にとってもそうでした。

ご依頼人、
職人さん、
双方から喜ばれるって、
調整した側の僕にも心底嬉しい事なのです(#^.^#)

もの凄い粉塵と音の中作業をしているその背景が、
小笠原の雄大な大自然と、
人らしく暮らしているみんながいる。

こんな所にも小笠原のポテンシャルの高さが伺えます。


■父島の作業を無事に終えて、
ようやくホッとした私達。

お天気にも恵まれ、とてもスムーズだったので、
杉本さんを島案内することが出来ました♪

僕にとっても以前住んでいた父島を周るのは
感慨深いものでした(#^.^#)

海なし県の長野から来てくれた杉本さん。

何度も何度も小笠原の海の絶景を見ては
「怖い~!!」の連発☆

水産センターでアカバの歯磨きにハマっていたり(笑)


小港海岸の圧倒的なスケールの砂浜に心底感動していたり、


コペペの戦跡で絶景と戦争の悲惨さを感じたりと


短い時間で弾丸ツアーでしたが、
父島の雰囲気は良く伝わったようでした(#^.^#)

■楽しみにしていたジャズフェスも強風でテントや機材が滅茶滅茶になり、
まさかの1日延期という展開のお陰で、
逆にゆっくりライヴを楽しむことが出来ました☆

母島にも何度も来てくれているBimBomBam楽団の皆さん、
元晴さんの最高のステージを楽しむことが出来ました!!

アンコールで楽器レクチャーに参加したみんなで
南洋踊りのウラメをやった時は、
思わず踊りで参加しちゃいました(^^♪


これで今日から母島に移動しての母島作業開始になります。
母島もどうか無事に作業を終えれますように!
戒名彫刻 母島編に続く

※離島の戒名彫刻で困っていたら、僕宛に連絡ください。
ブログ左欄のメッセージからどうぞ!

戒名彫刻専門・彫枡杉本弦洋

島の便利屋さんを開業して1年が経ちました!!

2022年05月13日 | 便利屋 こまわりさん

■2021年の5月に島の便利屋「母島こまわりさん」を開業して、1年が経ちました!!
有難いことにこの1年間、ご依頼が途切れることはありませんでした。

半年間は便利屋さんのお休みがない状態でした♪

沢山の人の「ちょっと困った」を支えることが出来たと思うと本当に嬉しい限りです。

本当にありがとうございました!

●野良仕事 
 ・簡単な伐採
 ・重いもの運び
 ・家周囲の草刈り/剪定 
        
●家事代行
 ・家や周囲の掃除
 ・片付け
 ・物の処分 

 
●雑用
 ・電球の取り替え
 ・消耗品の交換
 ・網戸の張り替え
 ・郵便代筆、郵便・荷物出し
 ・簡単な大工
        
●手続き
 ・廃車手続き代行
 ・各手続き代行
         
●買い物
 ・買い物代行(インターネット購入も可)
 ・買い物送迎
        
●その他
 ・粗大ごみ運搬
 ・上京中のペットの世話、水やりなど
 ・自転車の修理、メンテ
 ・港止め大型家電の運搬

などなど

母島に全戸配布したチラシに色々と想定されるご依頼を想定して書いてきました。
そして、実際に現在も上記のご依頼があります。

もちろん考えていたご依頼も沢山ありましたが、

ご依頼は実に多様で、想定を超えるものも沢山ありました(#^.^#)

 

・居抜き部屋の片付け、清掃

・土木作業(コウモリネットの建設)

・家に侵入したネズミ捕り

・ファンの清掃

・農業ハウスの組み立て

・軽トラの貸し出し(急に故障してしまった)

・深夜、早朝などの訪問介護

・お墓の戒名彫刻

・雨樋清掃

・雨漏り修理

・ポートレート写真撮影

・エアコンのクリーニング

などのご依頼もありました(#^.^#)

 

エアコンのクリーニングは便利屋開業直後から島民さんからリクエストがあり、

島の電気屋さんや、父島、内地のプロ職人さんにも相談し、色々と準備に時間がかかりました。

今は練習を兼ねて、実際に数台のクリーニングをさせてもらっています。

作業前

作業後

びっくりするほど内部を一部分解して開けるとカビだらけで、

クリーニング作業を行うと自分でビックリするほど綺麗になりました!

これは結構クセになります(#^.^#)

 

風も冷え方も格段に改善されました☆

我が家はエアコンがないので分かりませんでしたが、

これはとても需要があるなと感じました(#^.^#)

 

この作業の為に専用の薬剤や機材を用意する必要もありましたし、

メーカーや年代で全然構造も違うので、難しい仕事ではありますが、

しっかりとできるようになったら、必ず島内に広報していこうと思っています☆

(まだご依頼の実施が追い付かず、広報できない段階です)

 

狭い島なので、詳しくは書けないのですが、

やはり草刈りや伐採、粗大ごみの搬出などはとても多いです。

 

年配の方の大型家具の運搬やインターネット注文代行もとても困っている人が多いのに気付かされました。

便利屋の仕事をしていて、年配の方に

「俺にはあんたが神様に見えるよ!」

って言ってもらった時、

「本当にありがとう~」

ってクシャッとした笑顔で感謝された時、

「もう10年以上どうしようと悩んでいたんだよ。助かった!」

と言われた時、

ああ、この仕事を開業して本当に良かったと感じました(#^.^#)

 

こちらこそ、本当にありがとうございます!

■さらに個人事業として開業して、3月に確定申告をしたときに、

自営業の面白さに沢山気付くことが出来ました(^^♪

 

設備や準備、その他もろもろ、仕事に必要なものを経費にできるということは、

投資であり明確に自分の財産やスキルになるということを肌で実感できました。

これは凄く僕自身にとって大きな気付きでした。

 

今まで何気なく普通に使ってきた時間とお金が、

経費となり、自分の経理として把握できて、反映できる。

これって凄く面白く、気持ちのいいものでした。

 

遅まきながら、40歳を超えて個人事業主の面白さに気付いてしまいました(#^.^#)

 

今でも雇用の仕事として、

ゴミ回収や介護ヘルパー、入港の配達作業をしていますが、

当然、そちらにも活きてくるエッセンスです♪

■と、同時に様々な課題も見えてきました。

もっともっと勉強しなければいけないこともあるし、

取るべき資格も見えてきました(#^.^#)

 

この夏はその部分にしっかりと動いていければと思います。

動いてみたからこそ見えてくる「今、必要なもの」。

 

僕が4年間の夜間の高校を卒業するとき、

周囲は就職や進学でした。

 

僕にとってはその時、そのどちらも必要ではなかったのです。

必要なのは旅に出る事でした。

その一番先が小笠原諸島だったのですが(笑)。

 

40歳を超えた今になって、必要なものが見えてきました。

 

■荒天のゴールデンウィークを終えて、

島は毎日、快晴でベタ凪です。

 

例年ではこの時期は雨季となり、

毎日天気が悪く、ジトッとしているのですが、

去年から5月のGW明けにおがさわら丸のドックが設定されてから、

嘘のようにベタ凪で快晴が続くようになりました。

 

おかげでベタ凪なのに、

漁師さんは漁に行っても魚を内地に新鮮な状態で出荷できないジレンマに陥ってます。

島の特産品のパッションフルーツの早めの収穫期なのに、

毎週内地に出せないという悩み。

5月おが丸ドックの問題はまだまだ続きそうです。

海のいい日はできる限り昼休みなどにSUPで沖に行きます。

妻も時々、カヤックで同行したり、SUPとチェンジしたりします。

 

先日はあまりにいい海だったので、日中の仕事を減らして、

妻と二人で6時間のボヤージングをしちゃいました(#^.^#)

いつもは僕がSUPで妻がカヤックなのですが、
昨日はあまりに海況が穏やかなので、
夫婦で乗り物をチェンジ。


カヤックの安定性と、速さ、楽さに今更ながらに驚きました。
だけどSUPの常にバランスを取る面白さ、
全身運動でエクササイズとしての面白さ、
様々なポーズで漕げる飽きのこなさに、
やっぱりSUPが好きだなぁと再確認。


今までは遠くてもワイビーチや四本岩、眼鏡岩までだったけど、
今年の夏は妻と一緒に向島や平島、サワラ根や西台や東台の先に行ってみようと思います☆
簡易アンカーもあるので、SUP&スピアフィッシングってのも楽しみたい要素の一つです(#^.^#)

今回はハシナガイルカの大群に出逢ったのに、

デジカメのバッテリー切れだったのは大笑い(笑)。

「だからあんないい場面になったんだね♪」と。

 

そうなんです。

バッテリー切れやSDカード忘れなどがあると、最高の場面に遭遇するのです。

まさにマーフィーの法則っていうやつでしょうか?

 

■そんな沢山の学びの中、島暮らしを続けています。

厄年である今年は、青年会の会長を卒業し、荘年会に入ったりする年です。

PTA会長にもなっちゃったりしています。

 

そんなに人が積極的にチョイスしない選択を敢えて選んでみて、

そこから学べる事を楽しむのが自分流。

 

まだまだ色んな選択肢があります(#^.^#)

こんなに大したことは何もできない自分なのに、

逆境を楽しむセンスは自分でもあると思います♪

 

便利屋の反響は本当に有難い限りですが、

それ以外にもまだまだやるべき事はあるようです。

 

ハワイアンのスピリッツから学ぶ「クレアナ」。

そこにいる意味や役目を自分自身で意識するということ。

僕にとってのクレアナが見えてきた気がするのです。

 

 


便利屋を開業して4か月。感謝!!

2021年10月02日 | 便利屋 こまわりさん
■人口450人の母島で便利屋さんを開業して4が月が経過しました。
開業してから、有難いことに今日まで沢山のご依頼を頂きました。
毎日、こまわりさんの仕事をしない日はないくらいです。
利用してくれた方からも本当に感謝の言葉などを沢山頂けて、
本当に嬉しい限りです♪
どうもありがとうございます☆

写真は僕の宝物の10徳ナイフです。

これは3人の尊敬する人からそれぞれ頂いたものです。
僕の人生の節目節目に、何故かみんな揃って“10徳ナイフをプレゼント”してくれたのですが、
最近便利屋をはじめてみて、少しそのご縁に納得できた気がしました。

僕は島でこんな10徳ナイフみたいな存在になりたいのだな、と。

それぞれの専門のエキスパートまではいかないとしても、
誰かがふと困った時に、
10徳ナイフのように「ああ、お陰で助かった♪」そんな便利屋さんを目指していきたいと思います。


■便利屋さんをはじめてみて、
本当に多様なご依頼を受けて来ています。

草刈りや剪定はとても多いですが、
重いものを運んでほしい、郵便宅急便を出してほしい、
網戸を張ってほしい、自転車を直してほしい、
緊急時に駆けつけてほしい、
電気を取り換えてほしい、
クーラーを掃除してほしい、
インターネットで買い物をしてほしい、
ゴミを処分してほしい、掃除してほしい等々、
本当に沢山のご依頼を受けています。

開業前からやっていたことではありますが、
しっかりと開業してチラシを配ったことで認知され、
「お金払って頼めるって、本当に有難いよ!」
と沢山言ってもらえて、便利屋を始めて本当に良かったなと思う日々です♪

たった5分の仕事から、数日かかるものまで本当に多様ですが、
困っている人に寄り添える仕事はとても有意義です☆
こちらこそ、本当にありがとうございます!!


これはとある草刈りのご依頼の作業前後の写真です。
僕自身、草刈りは終わった後の達成感がたまらなくて、大好きな仕事なのですが、
草刈りをしていて「本当に気になってたよ!綺麗にしてくれてありがとう!」と島民に言われて、
とても嬉しかったです。

些細なことだけど、
人が喜んでくれるのはやっぱり嬉しいし、
感謝の言葉をかけてもらえるのが、
本当に励みになります。

今年の4月に迎えたターニングポイント
10年以上続けていた自然保護の仕事をやめて、
ゴミ回収の仕事、便利屋を開業したのですが、
その選択は間違っていなかったと思います。
毎日がさらに充実しています♪(収入は増えたり、減ったりですがw)

そしてこの秋からはもう一つ、
新しい流れに挑戦していきます。
今まで少し距離をおいていた分野なのですが、
母島部活堂の活動を通じて、
その分野にも関わっていこうと決心をしました。

色々、思いや悩みはありますが、
まずはやってみる!という僕のスタンスで動いていきます!
これについては、近々ブログ記事を書くと思います。



■そんな僕にとって宝物の10徳ナイフの紹介もしちゃいます。
ビクトリノックス / VICTORINOX
ピクニッカー NL

これは僕の旅の恩師でもある、
夜間の工業高校の最後の4年生の担任の先生から贈られたナイフです。

130年以上の歴史を持ち、スイス陸軍でも採用されているメーカーです。
これは確か、僕が卒業する19歳に小笠原に行き、さらに翌年に沖縄の西表島に行くときに、
プレゼントしてもらった気がします。

恩師曰く、
「このナイフは刃渡りが長くて、とても実用的。
 銃刀法違反にもならないし、海外にも持っていける。
 これさえあれば、かなり色んな場面で重宝すると思う。
 自分でお好みの刃に研いで使うんだよ。」
と言われたのを覚えています。
もう20年前の話なんですね☆

実際にこの刃渡りの長さが、料理などで重宝しました♪

そして、恩師によるこのロープの結び。
何気に使っていて「山登りを知っている人の結びだね」と何人かに言われました。
今ではその意味が分かります。

本当にありがとうございます!



■もう一つはこちら。
ビクトリノックス / VICTORINOX
クライマー

これは母島の尊敬する方からプレゼントしていただきました。
僕のことを想って、わざわざ購入し、贈ってくれる、
それだけで、なんて嬉しく、有難い事なのでしょう。

今でも母島で一緒に活動したり、働くことがあるのですが、
本当にいつも気配り、声掛け、島の子供たちを大事にする考え、
沢山のリスペクトに溢れています(#^.^#)

このナイフは、よく日常で活躍しています。
ナイフはもちろんですが、
実はハサミと刺抜きが意外と重宝しています☆

ふと必要なときに寄り添ってくれる、
そんなナイフです。

コンパクトなので、
ほとんどいつも携帯しています。



■最後にご紹介するのがこちら。
レザーマン/LEATHERMAN
BOND

これはこの春まで長年お世話になった職場の先輩から頂きました。
とても人間味があって、魅力的で尊敬できる方から、
このターニングポイントの節目として、贈って頂きました。
本当にありがとうございます!

このUSA製でアウトドアシーンで有名なレザーマン。
米軍御用達だそうで、しっかりとした作りです。

中でも特に印象的なのが大きなプライヤーの存在でしょう。
その根元にはワイヤーカッターなどもあり、色んな場面で重宝すると思います。

こちらはまだ頂いたばかりで実践ではまだ未経験です。
これから一緒に付き合っていくことになります♪


■僕が尊敬する、
素晴らしいなと思っている人が、
僕のことをわざわざ考えてくれて、
こうしてプレゼントしてもらえる。
こんなに有難いことはありません。

それぞれ別の3人が、
こうしてマルチツールを贈ってくれる偶然性。
そして、ギフトという言葉の意味を日々かみしめています☆

僕はこれまでも、今でも家族や沢山の人、大自然に支えられて生きています。
リスペクトと感謝の気持ちを忘れずに、
今度は僕が困っている人や、
その時必要なだなと思えるタイミングでギフトをしていければと思います。

それが便利屋だったり、
贈り物だったり、行動だったり…

それが一番の恩返しなんだなと思っています。
そしてそれが僕の人生のクレアナなのだと感じています。

本当に有難うございます!


島の便利屋を開業しました(*^_^*)

2021年06月15日 | 便利屋 こまわりさん
■この度、母島で便利屋さんを開業しました!!
名前は「母島こまわりさん」です。

島に住んでいて「困った」そんな人の為に力になりたいと思って、
このターニングポイントで始めることにしました♪

※長女が原案を書いてくれて、そこに妻がアイディアを出し、最終的に完成させました(*^_^*)

母島に移住して早12年。
ずっと水面下で今回の便利屋の様な活動はして来ていたのですが、
(社会福祉協議会の高齢者支援サービスなど)
どうも、それでは網羅できないが、困っている人がいるのが分かって来ました。

それで今回のターニングポイントをきっかけに個人事業として開業することになりました!

日常の生活で、
ほんの些細な事だけど、
できなくて困っている事。

大きかったり、
重かったり、
少しだけ苦手な分野で億劫になってしまう事。

それらのことで行き詰っている人に、
気軽にお願いできて、
毎日が少しでも気が軽くなる事を願っています♪

僕にできる事はごく当たり前の普通の事ばかりですが、
その力が人の為になるならとても嬉しいです(*^_^*)

母島こまわりさん、よろしくお願いします!!


■こちらのイラストも長女がカナダで仕上げて送ってくれました♪
彼女らしい、温かいこまわりさんをイメージしたイラストです。

困った人と繋がって、
支え合ってフォローするイメージで書いてもらいました。

事前に島の幾人かのレジェンドさんに、
様々な相談をさせて頂きました。

とても参考になりました!
本当にありがとうございます☆

島で助け合いで、気持ちで支え合っている場面が多い中、
こうして事業として開業したのは、
そんな無料の支えあいができなくて困っている人が沢山見受けられたからです。

一番の懸念は、
料金を取って活動していく事で、
そうして“お互い様だから”という助け合いが廃れてしまわないかということでした。

それでもレジェンド達、友人達からも
「お金を取ってくれた方が頼みやすいよ!」
「すごく助かる!さっそくお願いしたい☆」
「島で必要とされている仕事だよ♪」
と言って頂き、困った人の力にだけなれればいいと思って、決意しました。

カヌーの様にみんなが進みたいゴールを目指して、
みんなで力を合わせて進んでいきたい、そんな心境です。

「こまわりさん」が目指すゴールは、
“みんなが健やかに暮らす地域”です。

利用したい場合のポイントはひとつ。
【今、困っていること】です。

そこには年齢も性別も業種も関係ありません。


■こまわりさんの利用料金設定がとても悩みました。
内地の便利屋さんはだいたい1時間3000円位でしたが、
島ではそれでは少し高すぎると思いました。

しかし、安過ぎてもサービスの維持が出来なくなってしまうし、
「ちゃんと料金取ってね!」
「安過ぎちゃあ、ダメだよ」
「ボランティアじゃだめ」
とお言葉を頂いたので2種類の料金設定をしました。

①小さな困り事 5分 100円~ 
 ・電球交換
 ・重いもの運び
 ・高い所のものを取る
 ・郵便、荷物出し
 ・網戸の穴塞ぎ、張り替え
            …など

②その他の作業  目安: 1時間 1500円~2000円
 ・粗大ごみ運搬
 ・片付け
 ・草刈り
 ・庭木の剪定
 ・引越し手伝い
            …など

①の5分100円の小さな困りごとは、
本当に些細で「こんなこと頼んでもいいのかな?」という依頼です。

実は、10分もかからないような些細な事で困っているケースが多いのです。
高い所に登って、電器を変えれない為に、夜暗い中過ごしていたりしていました。

気軽に頼みやすい価格として、1時間以内の小さな困りごとの設定をしました。


②のその他作業は多様なニーズに応えるものです。
軽トラや刈払機、チェーンソーなどの燃料を使う作業の場合、
少し危険な作業は2000円位なイメージでいます。

実は料金は物々交換でも可能というのが、
面白い部分です☆

いずれにしても、お互いに相談して決めていければと思っています。

上記に書いたような事が今想定して
僕が出来る事だと思います。

専門的な技術や道具、
また島の他の業種の方が出来る場合は、
なるべくそちらを紹介していく事になると思います。

大した特別な資格を持ち合わせている訳ではありませんが、
島に住んで約20年。
色んな経験と人との関わりの中で、できるようになった事は豊富にあると思います。
関わってきた皆さんとのご縁、
教わって学んできたことのお蔭で今があります♪

そんな力が人の為になるのであれば、こんなに有難いことはありません(*^_^*)

そして、今日から母島の全戸にこまわりさんの告知パンフレットの配布を始めました。
少しずつ配っていくので、近いうちに母島の皆さんのお宅に届けれればと思っています。



■これまで自然保護の仕事を主軸に、
百姓、配達業、介護ヘルパー、地域活動などで活動してきました。

その中で、今回40歳とターニングポイントを迎え、
無い頭なりに必死に考えました。

自然保護の仕事の場合、
世界自然遺産になってからは、豊富に予算がついて、
作業が屋外でハードということもあり、
割と高額な報酬が得られる傾向があります。

今、小笠原にはその部門の人材は豊富で、
割と人手不足の母島でもその部門の人材はある程度は揃っています。

しかし、絶滅危惧種を救う動きはあっても、
限界集落に進んでしまいそうな人の暮らしを救う仕組みも、
人材も不足している現状があります。

40歳を迎えて、これから自分が何をしていきたいか?
そう考えた時に、
絶滅危惧種を救う仕事は、
数多くの皆さんにお任せして、
僕は人の暮らしを支える方に周ろうと考えました。

僕一人でできる事は限られますし、
僕一人が地域を支えきれるわけではないけれど、
今、この瞬間困っている人の少しの力にはなれると思うのです。

そんな訳で
5月からは念願のゴミ回収をスタートできたし、
「母島こまわりさん」を始めることができました♪


■チラシを作成するあたり、
内容や料金、字の大きさや見やすさを島のレジェンド達に相談しに行ったのですが、
その相談の中から、「早速お願いしたい事があるよ!」と言ってもらえて、
そこから口コミで広がって、チラシを配布する前から、幾つか依頼を頂くことになりました。

本当に嬉しいし、有難いことです(*^_^*)

チラシを作ってきた中でも、
色々悩み、行き詰まる事もあったのですが、
別の仕事でもっとシビアな現実に出逢い、
そんなことで行き詰っている場合じゃない!と思い知らされました。

畑にゴミ回収に介護に配達に、
さらに毎日SUPにカヌーにと遊びも忙しい中(笑)ですが、
なんとかスタートできる事が出来ました!

家族も応援してくれているし、
とてもやりたい事(実はやっていたこと)なので、
これからますますワクワク生活になっていく事でしょう!!

これからHP作成や、青色申告の勉強などやることは山積みです。
40歳からの勉強はなかなか頭に留まりにくいですが(笑)、
頑張って身に付けていきます!!

応援よろしくお願いします☆