小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

沖縄のローゼルとの出会い

2017年04月28日 | ローゼル
■2月に単身沖縄に行った際に、沖縄のローゼルの話も色々聞かせてもらいました。
そして分かったことは、
小笠原で生産しているローゼルとは系統が違うようです☆

この写真は母島のローゼルとそのローゼルを使ったハイビスカスティーです。
丸みを帯びていて、肉厚でずっしりした印象の小笠原のローゼル。
沖縄のローゼルはどちらかというと左の実に似た印象で、
すらっとスレンダーなローゼルがほとんどでした。

見事なまでのうっかり者の僕は、母島に用意してあった配る(交換)用のローゼルの種を忘れて旅立ってしまいました(笑)。
そんな訳で、後日郵送という手段を使って、
やんばるのローゼルの種と母島のローゼルの種を交換させて頂きました(MNさんありがとう♪)。

届いたローゼルの種はなんと2種類!

ひとつは「ルビーローゼル」という小さな種。

左が母島産ローゼルの種で、右が沖縄産ルビーローゼルの種。

蒔いてみたら、
そのまま可愛い双葉が出てきました♡
可愛い実を今から想像してワクワクしちゃっています(*^_^*)


もう一つはただ「ローゼル」と書かれた種。

右が母島産ローゼルで、左が沖縄産ローゼルの種です。
母島のローゼルと沖縄産ルビーローゼルの丁度中間の大きさです☆
勝手に「うちなーローゼル」と命名しました(笑)!

写真を撮り忘れてしまいましたが、
沖縄のローゼルは実がスレンダーなのと、
葉っぱが細く、切れ込みが入っていました。

母島のローゼルはこんな感じです。

父島で栽培されているものも、
母島から種を分けている人も多いので、
小笠原のはほとんど同じと言えそうです。

しかし、今期からは3種類のローゼル栽培に挑戦です☆
木や味の違いなど検証していこうと思うので、お楽しみに♪

■今がローゼルの種蒔きのベストシーズンです。

こうして種を蒔いたら3日~2週間で発芽します。


雨季が来るとマイマイが猛威を振るうので、
その前にできるだけ大きくさせ、
多少やられても問題ないくらい、数を多く作っておきます。

雨季の後半にはしっかりした1本に間引いていきます。

ここ数年、ポットで作ったり、いろんな時期に蒔いたりして検証しましたが、
母島では2月~5月蒔きの直播きが一番僕には合っているようです☆

■先日の小笠原アースデイのお弁当にもローゼルの塩漬けが使われていました♪
妻が塩漬けにして保存してくれていたやつです。

梅干しみたいに酸っぱくて、美味しくて、
紅くて綺麗☆
どうもありがとう♪


今年もインディアンウォーク(裸足で静かに歩くこと)で乳房山を登りました♪


裸足は大地の湿気や葉っぱや土の状態など、
靴を履いては伝わらない素敵な感覚を沢山教えてくれました♪

NPO法人小笠原ネイティヴエコロジーライフ(通称・ワンライフ)のブログもぜひどうぞ!


■畑では様々な場面に春を感じさせてくれます。

コリアンダー(パクチー)が可憐な花を咲かせていたり。


ゴボウも根っこからは想像もつかない美しい花を咲かせてます♪


先日、父島の友人の農家の所に遊びに行きました。

小さな子供も交えて、小川を挟んでの平和な時間♪

子供たちも畑の周りで、ワイワイと遊びます。

なんて気持ちがいいのだろう♡

ストイックに父島の畑で頑張る友人のO家族とSちゃん、森本智道農園の皆さん。
いつもいつも訪れるたびに刺激を頂きます。

今年は沖縄に行ったせいもあるのか、
少しいつもと違うやる気がでてきています。
自分でもどうなるか分からないので、
謎ですが(笑)、
とても自分自身が健やかと思えるので、
このまま進んでいこうと思います♪

今年のテーマは「一生懸命」と「謙虚」。
そしてリスペクト!!


■ところで我が家の次女さん。

最近、毎日のように練習して楽しんでいるブレーブボード。
超ハマっています♪
スケボーと違い、2輪で捻りを入れて進むやつです。

本人はとても楽しいらしく、
色んな場所で練習したがっています。
どんどん上手くなって楽しいみたいです♪

子供が成長し、
伸びていく様はほんとすごくて、
見ていて感動を覚えるし、嬉しいです☆

そして、
我が家では基本的にブレボの道路や歩道での使用を禁止しています。

他の家のルールは分かりませんが、
他の子供はいっぱい島の一般道をブレボで走っています。

でも、危ないと思った時は相手の家のルールも無視して叱ります。
先日は入港日の車が多い中、
低学年の子が道路の真ん中を進んでいたので叱りました。

轢かれてからでは、遅いからです。

みんな本当に気を付けてね。
車は簡単に人を殺してしまう代物なのだから。

母島はみんな運転がゆっくりだし、
集落は気を付けて運転してくれているけど、
中には観光の人やそうでない人もいないわけではないので、
痛ましい事故が絶対に起きては欲しくないです。

父島でも清瀬なのでとても危険だという話も聞きました。
事故があってからでは遅いので、
ぜひみんなで子供のいのちの安全を考え、
モラルのある共通認識を築けれればなぁと思う今日この頃です☆













硫黄島訪島記⑧ ~硫黄島訪島事業について

2017年04月20日 | 硫黄島
■去年初めて訪れた激戦の地、硫黄島。
あまりにも美しく、
あまりに悲しい戦争の爪痕を残す島。

このブログ内でも去年から何度も記事を書かせてもらいました。
今年は長女が中学2年生となり、
学校の授業として硫黄島を訪れる予定です。

しかし今年の小笠原は近年稀にみる渇水で、
硫黄島も例外でなく、滞在の職員を減らしているとか。
このまま行くと上陸の心配、開催時期の変更が検討されているでしょう。

この機会に硫黄島訪島事業について振り返りたいと思います。
まだまだ書ききれないことが沢山あります(笑)!


■この訪島事業の歴史は遡ると平成6年に始まりました。
それまで、硫黄島旧島民の心情に報いる措置として、
年2回(春・秋彼岸)、航空機を利用した日帰りによる墓参を実施していたそうです。

ですが、限られた時間の中で島内を巡るため、
出身集落への里帰りや、
当時、軍族として残され亡くなった島民の所属部隊への墓参もままならない中で、
慌しく故郷の島を後にせざるを得ない状況となっていたとのこと。

そこで、
ゆとりある墓参や里帰りを熱望する旧島民の心情を察し、
おがら丸による硫黄島訪島事業を、開始したそうです。

平成6年~8年までの3回は東京都が実施、
それからは小笠原村が毎年実施してくれています。

訪島にあたっては、
硫黄島旧島民の他にも戦没者遺族、
小笠原村立中学校生徒及び、
一般村民も参加し、
慰霊墓参と共に村内の一島である硫黄島の現状をつぶさに視察する機会となっています。

小笠原村役場の硫黄島のページより

僕もこの事業のお蔭で念願の硫黄島に行けました。
戦後70年を迎える今もなお、
このような戦争の爪痕を色濃く残す硫黄島に上陸して学べたことは本当に大きかったです。
貴重な機会をどうもありがとうございました!


■訪島事業で硫黄島に泊まるのは硫黄島旧島民、戦没者遺族、中学生のみなので、
一般参加だった私たちは日中の活動後はおが丸に戻ります。

そこでスライドショ-があり、硫黄島訪島事業の歴史について学ばせてもらいました。

都実施 1994   2/12天皇皇后両陛下行幸啓 小笠原諸島強制疎開から50年
都実施 1995   8/15平和都市宣言
都実施 1996   6/21行幸啓記念碑除幕式
第1回 1997 6月 上陸できず
第2回 1998 6月 小笠原諸島返還30周年
第3回 1999 6月
第4回 2000 6月 2日目は上陸できず
第5回 2001 6月
第6回 2002 6月 6/21平和祈念館開所式
第7回 2003 6月 1日目上陸できず
第8回 2004 9月 台風の影響で9月に実施 2日目午前中で引き返す
第9回 2005 6月 6/19小泉総理大臣が硫黄島訪島
第10回 2006 6月
第11回 2007 6月
第12回 2008 6月 小笠原諸島返還40周年
第13回 2009 6月
第14回 2010 6月 12/14管総理大臣訪島
第15回 2011 9月 東日本大震災・水不足で洋上慰霊祭のみ、6/29世界遺産登録
第16回 2012 6月
第17回 2013 6月 4/14安倍総理大臣訪島 小笠原諸島返還45周年
第18回 2014 6月
第19回 2015 6月
※参加者は年によって80名~190名と幅あり



■僕が参加した2016年の訪島事業の工程を順を追って記したいと思います。
○出発

まずは母島からの参加の場合は入港日朝にははじま丸が臨時便を出してくれ、
参加者は父島に渡ります。
いってきま~す!

そして、おが丸の入港を終えて、夜に硫黄島に向けておがさわら丸に乗船します。


夜に船が出ること自体珍しいので、
とても新鮮な光景でした。


私たち母島参加者は同じ班に割り当てられ、特2等船室で過ごします。
廊下では、この旅を有意義なものにしようと、
いたるところで語り合う人たちがいました。



○到着 硫黄島1日目
夜が明けて、朝を迎えるともう280km南下し、硫黄島に着いていました。

息をのむほど、美しい朝焼けでした。

簡単なレクレーションを終え、
通船の順番待ちをします。

これが結構時間がかかります。

硫黄島は現在も隆起が激しく、なかなか桟橋が作れないらしく、
小さな船で何度も往復して150名以上を硫黄島に運んでくれます。

悪天候の年はこの通船が難しくなり、上陸を断念したり、予定を切り上げる場合があるようです。

上陸した釜岩からはおがさわら丸と硫黄島の象徴でもあるすり鉢山が見えます。


上陸後は海上自衛隊のバスでまずは硫黄島旧島民平和記念墓地公園へ向かいます。
戦没者慰霊祭に参加するためです。

その後は平和記念館に移動し昼休憩です。


おが丸のレストランが作ってくれた美味しいお弁当を頂きました♪



硫黄島は日中はとても暑いのでテントの下で海風に当たっているととても気持ちがイイです☆

昼食をおえたら、今度は島内視察に向かいます。
塹壕や砲台などの戦跡、慰霊碑などを周るのです。

移動はすべてバスです。
ギンネムとシマグワばかりが生い茂る乾いた硫黄島のダートを冷房を利かせて走ります。
(※ちなみにうちの班のバスの冷房は故障していて、冷房嫌いの僕にはラッキーでした♡)

運転と案内は海上自衛隊の隊員さんです。
沢山の色んな話を聞かせて頂きました。

強制疎開から50年の節目を迎えた1994年。
天皇皇后両陛下が硫黄島に来た時のこと。
それまで駐屯していた自衛隊員の周りで起きていた沢山の心霊現象が、
天皇陛下の行幸啓によって、一気に落ち着いたと言っていました。

戦争当時、天皇陛下は兵隊たちにとって絶対的な存在でした(諸説ありますが...)。
代が変わってもその陛下が硫黄島で祈りを捧げる。
これほど祖国を想って散って逝った兵士たちにとってどんなに慰めになったことでしょう。

未だに1万の骨が眠る硫黄島。
私たちはそんなところを体感させてもらう貴重な機会を頂いたのです。


島内のいたるところにある慰霊碑や壕に、
水やお米を供えて、祈りを捧げます。

硫黄島の兵隊は飢えと乾きで苦しんで死んでいったといいます。
私たちができる、せめてものの供養です。


年によって気候は色々ですが、僕が行った時の硫黄島は
程よく暑くて、青い空がどこまでも綺麗でした。
バスから降りて、色んなところを歩くのですが、
戦争がなければどんなに楽園だったのだろうと、何度も思わざるを得ませんでした。


アメリカの占領後、大きな岩に描かれた壁画。
「あいつは英雄じゃない」と仲間が撃ったといわれる銃痕がありました。


米軍が初上陸してきた南海岸(二ッ根浜)。
70年前、約3kmに及ぶこの黒い砂浜から洋上を戦艦で埋め尽くした米軍が一斉に上陸してきたのです。


1日目の巡視を終えて、一般参加の私たちは再度おがさわら丸に戻ります。
そこで一斉に夕食を頂きました。
日中の重すぎる戦争の爪痕を見て周り、疲れていたのでより美味しく頂けました♪


硫黄島の船上から月を眺めます。
きっと戦争中も同じ月を見ていたのでしょう。


○硫黄島2日目

2日目もいい天気に恵まれ、
通船で硫黄島に再上陸。
米軍にパイプ山と呼ばれたすり鉢山が相変わらず美しく見えます。


2日目は1日目に周りきれなかった戦跡と
自衛隊の基地などを視察しました。


人が沢山乗っても平気な頑丈な飛行機の残骸。

戦跡に関しては過去にブログにまとめていますので、
そちらをご覧ください。
戦跡パートⅠ
戦跡パートⅡ

昨日はすり鉢山の上から見下ろした米軍上陸の海岸。

その地に自分が立っている。
目の前にはすり鉢山。

映画でしか見たことはありませんが、
ここから沖を見ていた日本兵の気持ちを考えると、
胸が張り裂けるおもいでした。
二度と戦争なんてするもんじゃない。
そう、強く思いました。

昼過ぎには自衛隊の基地で昼食を取り、
売店などでお土産を買い、
その他色々周って
船に戻りました。

そしてその後、おがさわら丸で硫黄島を一周し、
洋上献花を行いました。

慰霊祭をはじめ、この時の献花もそうですが、
こんなに厳かな気持ちになるのは本当に貴重なことでした。

過去の記事にも書きましたが、
最後のおがさわら丸の長い汽笛。
その時の感情は言葉で言い表せないほど、
静粛な気持ちと辛い気持ちが入り混じり、
そして、力強くこれからの未来をつくろうといういう思いで溢れました。

もし小笠原に住んでいるなら、
誰もが応募する権利があります。
もし行ける機会があるなら、
ぜひ自分の足で歩き、
自分の目で硫黄島を見て、感じてほしいです。

言葉や写真ではまったくもって伝えきれないほど、
大事な経験になると思います。

最後に硫黄島訪島事業の実施にあたって、
小笠原村の職員の皆さん、
おがさわら丸のスタッフの皆さん、
通船を安全に行ってくれた小笠原建設の皆さん、
そして、海上自衛隊及び鹿島建設さんに沢山の支援と協力を頂きました。

本当にありがとうございました。

最後に、次回、
硫黄島の美しい写真を載せてこの長かったシリーズが完結します(笑)。
長々とお付き合い頂き、ありがとうございました!

訪島記⑨で完結!

春の種まき

2017年04月12日 | 母島 農 日記
■出逢いと別れの島の春。
そして、そんな季節は種まきにも追われています。

この小さないのちを見つめながら、
いつも、この小ささからは
信じられないほど大きな双葉を出す不思議さに
魅せられます♪

そして、
こんな小さな種ひとつですら、
人間は作ることができない。
なんて自然は偉大なんだろうと思います。

これは「宮古島の黒あずき」。

去年、ネズミに全滅させられてしまい、種が取れなかったので、
父島の友人に分けてもらったのと、2年前自家採種した種を合わせて蒔きました☆


これは「三尺ささげ」です。
長い鞘の豆で、夏に作れるいんげん系ではとても重宝します♪


こちらは黒大豆。
「丹波大粒黒大豆」という品種です。
これの枝豆がまた美味しいのです☆


こちらは「ふくゆたか大豆」。
枝豆が大好きな家族がいるので、なかなか完熟豆が採れないのが悩ましい(笑)。


四角豆です。
その名の通り、豆も少し四角の形をしています♪


あとは毎年懲りずに挑戦する陸稲です。
今年は干ばつなので、まともな梅雨が来ないと植えるときに正直厳しいのですが、
無事の天候を祈りつつ作付けしなければ今季のチャンスを失うので、
それらを見越して蒔いていきます。


■じつは種の存在というのはとても大切なものなのです。

インドの環境活動家ヴァンダナ・シヴァさんが分かりやすく訴えてくれていました。

経済優先の大量消費のグローバル社会から、
一人ひとりが抜け出し、大地とつながろうと言っています。
そのために、
企業に独占されようとしている種を守って行こうと訴えています。

よかったらこちらのリンクをお読みください。

「グローバリズムや工業的農業は、たねをお金儲けの道具のように扱っている。
たねを、企業による独占や支配から守らねばなりません」と訴えています。

私たちが口にするほとんどの食べ物は、
もとを辿れば1粒の「たね」から生まれたもの。

ところがいま、世界で売買されている種子のうちのなんと75%が、
5つの多国籍企業に所有されていることをご存知ですか?
それらの企業は、遺伝子組換え技術と特許を利用して種子を私有化しつつあるという見方さえあります。
いま、見えないところで「たね」に何が起きているのか――



この観点から自分ではできる限り自家採種を行い、
母島の種づくりを頑張っています。

そして種が続いていると、
なんだか安心感が芽生えてきます。
持続可能ってこういうことなんだなって、
ちょっと感じたりしてます☆


■自然に負荷をかけることなく、ありのままに過ごす野生動物。

船の上からザトウクジラやカツオドリを眺めながら、
人間の存在の不思議さをおもいます。

過去に行くもの文明を自分たちの暮らし方で滅ぼして来たニンゲンたち。

戦争や核の存在。
森林破壊や化石燃料、資源の浪費。
どこまで自分たちの世界を汚染したら、
人は気付いてシフトできるのだろう。

それこそ「風の谷のナウシカ」の腐海のような世界にならないと、
人は変わっていけないのでしょうか?

そんなことを思う春でした☆


島のお別れと出逢いの春

2017年04月10日 | 母島 日常 日記
■夏野菜の作付けに追われるこの記事は島の出逢いとお別れの季節です。
毎年、気持ちが落ち着きません。

4月も10日を過ぎて、ようやくちょっと落ち着きました♪
3月のお別れを振り返ろうと思います。

3月は卒業して内地に旅立つ島の子供たち、
赴任していた学校の先生や家族が島を離れる季節です。

連日のように送別会が島の各所で繰り広げられ、
中の良い者同士が離れる友人と最後の島の時間を過ごします。

港では盛大なお見送りが行われます。
付き合いの深かった人などは涙なしではいられないほどです。


港にはこんなに人がいたのかと思うほど、
見送りの人で溢れます。

胴上げされる人もいたりします(笑)。

僕にとっては次女も長女も担任を務めてくれた方とのお別れ、
一緒にバンドで音を出した仲間との別れ、
震災で6年前に福島から避難してきた家族との別れ、
長女の同級生のお別れなど、
今年は特に関わりの深い人が多く島を離れるので、
猛烈に寂しかったです。

でも、みんな今頃新天地で新しい生活をはじめ、
きっと元気に過ごしているんだろうなと思うと、
なんだかほかほかとしてきます♪


目一杯のお別れの挨拶を済ますと、出港です。

お別れの時に渡される沢山の花で飾られた首飾り「レイ」。
船が離れるときに海に投げて、
それが島にたどり着けば、
その人はまた島に帰ってこれると言われています。


今回は島の漁師さんが見送り船を出してくれたので、
乗せてもらい、子供達と一緒に沖まで見送りしました。


この日は少し海況が悪かったのですが、
みんなできる限りの声で
「ありがとう!!」「いってらっしゃ~い!」「元気でね~!!」
と叫びます。

卒業生が作成した旗をなびかせながら、見送りました。

見送り船がはは丸と並走し、最後に減速した瞬間、
はは丸が長い大きな汽笛を鳴らしてくれました。

なんて粋なことを!!
お蔭でずっと耐えていた涙が溢れてしまいました。


いつもこの時期は仲の良かった大切な友人も離れる場合が多いので、
15年住んでいても、この時期は慣れません。
毎回寂しい気持ちになります。

でもこうして4月を迎え、
新しい人たちが島にやってくると、
寂しい気持ちは少しずつ薄らいできて、
新しい気持ちで過ごすことができます。

狭い社会で、公務員も家族もどの職種も近い小笠原。
それだけの人と人との繋がりがあるのが、なんだか好きです。

最後に島の知人が作成した素敵な動画をどうぞ。

「Natsuki Yamazaki」彼は母島を中心にナイスなセンスで素敵な映像や写真を撮っている若者です。
ブログに貼るにあたっては、本人の許可を得ています☆


珍重 ヤツガシラ 多数現る!!

2017年04月04日 | 母島 鳥
■今年は小笠原に珍重・ヤツガシラが多数渡ってきています!


2羽は同時に写真に撮れました♪

今年の春はなんと3羽同時に確認することができました。

はじめて見た時はその奇抜なルックスに驚き、
鳥を知っている人に「あのマダガスカルみたいな鳥って、何!?」と聞いたほどです(笑)。

調べてみると、ヤツガシラはユーラシア大陸の中部域全般に生息し、
日本には時々渡ってくる珍鳥だそうです。

昆虫食で少し開けた農耕地などを好むようです。

母島はほぼ毎年お目にかかれて、
主に春や秋に渡ってくるのですが、
ときどき真夏に見かけることもあります♪


■おまけですが、次女が大好きなゴイサギも2羽ほど渡ってきていました。

紅い目と白くて美しい冠羽が特徴の鳥です。

我が家では「ごいちゃん」と呼ばれて親しまれています♪
基本は夜行性なので、
昼間はビックリするほど動かないで水場でじーっとしています。(目の前に魚が来ると捕食する)

夜はけたたましい鳴き声で飛翔しているのを見かけます☆


■あと北港、東港、蓬莱根には多量のカツオノカンムリが漂着していました!

すごいかっぱえびせんみたいな臭い(笑)!
これはカツオノエボシより毒性は弱いですが、
毒を持つクラゲの一種です。

風の力で水面を移動するそうです。

よくカツオの群れと一緒にいるのでこの名がついたとか。

注意する箇所は周縁にあります。
餌捕獲を行なう触手状の個体である感触体を持ち、
そこに触れると激しく痛むそうです。

クラゲの仲間は刺胞といって、
死んでいても触るだけで刺さる仕組みの細胞があるので、
死体だからとむやみに触れないようにご注意ください。

刺される場合があります。

母島 春の芽吹きと季節

2017年04月04日 | 母島 農 日記
■4月を迎え、島では島を離れる人とのお別れと出逢いの季節となり、
気持ちも動きも慌ただしい時期です。

3月には卒業式があり、今年は母島のたった一人の中学3年生、4人の小学生が卒業を迎えました。

そんな中、畑では夏野菜の作付けで大忙し。
2月に沖縄に行ってしまったので、
そのツケを取り戻すのに必死です(笑)。

そんな中、ローゼルが芽を出してくれました。

いつもいつもこの小さな種から大きな双葉が生まれてくるのが、
不思議でなりません。

春は畑に限らず、
様々な事象で新緑や芽吹きを感じる季節。
やっぱりはじまりの生き生きとした躍動感を感じる季節です♪


自家採種をしていて、今年は豊富に種があるので、
一か所に3~8粒蒔きます。
そのうちの元気な1本を生かします。

毎年気象条件が違うので、
難しいのですが、何より種を絶やすわけにはいきません。

一度にいろんな方法で蒔いて、
どれかが残ればいいという戦法を取っています。


島らっきょは今年は不作!
残念ですが、出荷は厳しそうです。


■2月上旬に植えたジャガイモも元気です。

今年は異常な干ばつに見舞われているためか、
乾燥地帯が原産のジャガイモとトマトはとても調子がイイです(笑)。


うちの子ヤギさんもジャガイモの横でせっせとお花を集めております♪

この子ヤギの衣装、
小1の次女が去年の秋の学芸会で演じた子ヤギの衣装です♡

大のお気に入り(*^_^*)

こんな格好で畑でお花を摘んでいます。


小さな手に、
可愛いちいさなお花。

この小さな手に無限の広がりを感じます。

畑が大好きな彼女は畑でいつも創作しています。
膨大な時間でも足りないほど、
子供の想像力は果てしないです。

大人になって、
頭が固くなると、
何もないとすぐに退屈してしまいます。

こんなとき、
子供の柔軟さにいつも刺激を頂きます♪

やっぱり、こどもはすごい。
大人の忘れてしまった大事な部分をいっぱい持っている気がします。