小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

拝啓、20年前のクソガキへ

2024年01月22日 | 大切にしていること
■今回、3泊ほど父島に行って来て、
相変わらず素晴らしい出逢いと感動の連続だったのだけれど、
とびっきりの嬉しい言葉を頂きました。

それは24年前、僕が仙台の高校を卒業して、初めて19歳で小笠原で出逢った人からでした。
今回、本当に久しぶりに父島で話そう!となって、話す機会を作ることが出来ました。

僕自身は当時も今も大して変わった気がしていないのですが、
その人曰く、
「最初会った時はあなたは本当にクソガキで、
 うるさいし、人の話は聞かないし、
 そりゃすごいもんだったけど、
 20数年経って、今では尊敬できる人になってる。
 結婚して、子育てして、色々あったろうけど、
 本当にあなたは変わったよ~」
と言うのです。

おお!それはとても嬉しい!
わざわざ言葉にして言ってくれて、ありがとう!
しかし、自分で変わった自覚がまるでない(笑)。

今でもうるさいし、人の話を聞かない事もあると思います。
しかし、その言葉はじんわりと嬉しかったのです。

そして、母島に帰って、妻と話しても
「うん。今も変わらないクソガキだよねw」
とお互いで頷く状態(笑)。

■20年前のクソガキよ。
僕は今、あなたに逢いたい。

20年前と全く同じとは思わないけれど、
そんなに42歳になったクソガキを見て、
どう思うか聞いてみたい。

当時、仙台以外は知らなかったし、
結婚もしてないし妻も子供もいなかった。

それから大切な家族が出来て、
一緒に旅をしたり、
泣いたり笑ったり、
時には死にかけたりもした。

沢山の人に支えてもらっている。
何なら今この瞬間も沢山の人に支えてもらっている。

ああ、確かに19歳のあの頃は、
あまり感謝という気持ちはなかったかも知れない。

やりたいことが星の数ほどあって(今もだけど)、
新しい世界に飛び込みたくて(今も少しある)、
でも自分中心ばかりだったかも知れない。

家族が出来て、
小さな赤ちゃんが成長するのが奇跡で、
無事に育つなんて、親だけではとてもできないと思えてきた。

何でもできると思っていたけど、
それは色んな人、自然、世界に支えられている事に気付いた。
沢山の人と出来事が気付かせてくれた。
すると自然と感謝と尊敬の念が溢れてきた。


20年前のクソガキよ。
いっぱい人に迷惑をかけることもあるだろうけど、
感謝の気持ちは忘れず、
自分が助けてもらった事は忘れず、
自分に余裕がある時、
目の前に困った人がいたらフォローするんだよ。
それが恩送りってもんだ。

今日も、
昨日も
一昨日も、
なんか毎日色んな人に
嬉しい言葉を頂いて、
本当に生きていて良かったと思えます。

全然、議員らしい振舞いどころか、
大人らしいこともできちゃいないけど、
沢山の人に支えられて今があります。
どうもありがと~~!!

いのちを想う

2023年07月25日 | 大切にしていること
■先週、僕は急に腹部が痛くなりました。
キリキリと辛い痛みでした。

丁度、それは父島に用事があって、
行っていた日の夜に痛み始めたのです。
まあ、一晩寝てれば良くなるだろうと安易に考えていました。

しかし、それは朝イチはいいのだけれど、
次第に父島で動いてる中でもキリキリと痛み出しました。

北港の水中から太陽を臨む

それでも楽天家の僕は、
ははじま丸で寝て休んでいれば、まあ治るだろうと思っていました。

しかし、母島に着いても痛みは一向に治まらず、
そのまま入港日の配達作業(宅急便など)に突入ました。

痛くて走れないし、
重い荷物が持てない。
ようやくここで、
僕は深刻に考えるようになりました。

痛いのは体の左側のお腹と胸の間部分。
なんの臓器があるのかな?

次女はバレーの遠征でもう内地に行ってるし、
妻は3日後に船に乗って内地に行ってしまう。

独り島に残って仕事を続けるつもりだったけれど、
もしかするとそれもできなくなるかも?

子どもも大きくなって、
最近はいつ死んでもいいだろうと思っていたけれど、
いざ、お腹が痛み出すと、それなりに怖く感じるようになってきました。
人なんて弱いもんです。

カヌーの浮き(アマ)部分に乗ってる巨大ナマコ

盲腸かな?
胃かな?
もう40代だし、ガンかな?
ここ数年、40代で亡くなっている友人、知人が数人いるので、
そんなことも頭をかすめました。

あまり普段お腹が痛くならない僕は、
勝手に色々想像して怖くなってきました。

覚悟していたと思いつつ、
人間なんて脆いもんです。

あまりにお腹が痛くて仕事にならないので、
夕方、急遽診療所で診てもらいました。

島のドクターの診断は、
姿勢や向きで痛みが変化するので、内臓ではなく、お腹周りの筋肉が傷んでいるのでは?とのこと。

得体の知れない、内臓由来ではなく、筋肉系じゃないかと聞いて、
心底ホッとしました(#^.^#)

最近北港でよく見かけるギンガメアジの群れ
診察の後、そのまま入港日の宅急便の配達に戻りましたが、
症状が回復しているわけでもないし、
ドクターには「島の限られたマンパワーというのはよく分かります。無理のない範囲で動くのは大丈夫です」
と言ってもらっていたので、
重い荷物や階段を上がるのはなるべく若手にお願いして、
その日はなんとか乗り切りました。
(家に帰ったらバタンキューでしたw)

その後、3日ほどで痛みは少しずつ消えていき、
4日後には痛みもなくなり、すっかり完治しました。

少し指を怪我したり、どこか故障するたびに思いますが、
健康であることがどんなに有難いか再確認しました♪

妻に心配してもらえて、
ああ、この世にこんな自分を気にかけてくれる人がいるんだなぁと
有難く感じました☆

心配、フォローしてくださった皆さん、本当に有難うございました!!

SUPで大沢海岸へ

■そんな自分の脆さを感じていた最近、
色んな「いのち」を考えさせられる事が続いています。

自分が中1の頃、父が真夏に亡くなり、死後1か月で発見してもらい、
腐敗してしまった父を多くの人がその対応をしてくれたという経験があります。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

自分自身、消防団や色んな仕事の中で、
亡くなった人に関わるという機会も何度かありました。
島に来て学ばせてくれるヨガの不久先生の教えもあって、
今の42歳の僕は人の死に触れることがあまり特別ではなくなってきました。

そんな自分の「恩送り」という意味合いもあって、
去年から母島の火葬場のオペレーターの仕事をしています。
文字通り、亡くなった方の身体を火葬して、骨にする仕事です。

地域としてもとても大切な仕事ですが、
そんなにやりたがる人もいないのが現状で、
現在の母島では火葬場のオペレーターは僕を入れて2名しかいません。

知らない島民がいない小さな島の火葬場なので、
もちろん火葬する時、棺に入っている方は、
介護の仕事で関わっていたり、
近所の方だったりします。

その人生のフィナーレを務めさせてもらえる大事な仕事をやらせてもらえるというのは、
本当に有難い事だと思っています。
毎回、沢山の学びと気付きを頂きます。

7/11脇浜 珊瑚の産卵でした!

■先日はずっと大好きだったレジェンドの方が天国へ旅立っていきました。
1世紀を超える長寿で、最後の最後までしっかりとしている方でした。

安らかに眠る棺の中に、
沢山の島の花を添えられました。
よく知った顔ぶれの中、
厳かに火葬式が執り行われました。

僕はこの春に五目並べで2連敗していて、
勝ち逃げをされました(笑)。
僕に勝った時も最高の笑顔でした♪

今頃、大好きだった奥様と、
天国で再開して色んな話をしている事だろうと思います。

僕も大好きなレジェンドの火葬ということで、
しっかりと100年を超えて魂を支えた身体を、
天に還すお手伝いをさせて頂きました。

本当にありがとうございました。
お疲れ様でした!


■妻が42歳の頃、
「人生の折り返し地点になってみて、命というものの捉え方、死に対する感じ方が変わって来た」
と言っていました。

42歳になった僕には、まだその言葉はピンときません。

だけど、
人の死というものは特別でもなく、
恐れるものでもなく、
誰にも平等に訪れる、
当たり前のものであるという感覚になって来ています。

とは言え、
突然の事故や病気、心の病で急に命が消える時、
本当にどうしようもない気持ちに揺さぶられます。

幼い子供や家族、これから共に生きようとしていた伴侶などに、
本当に大きな影響を与えます。

僕自身、父も母も亡くしていますが、
少なからず色んな影響があったと思います。

あまりにも急で、
心の整理がつかない事もあったりします。
そんな時は時間に身を任せたりしています。

魂が千の風になって、この空を舞っていると自然に思えるまで、
時間が癒してくれるのを待つことが唯一の方法だったりもします。


■冒頭の腹痛で、大丈夫と思っていた自分に死の存在がちらっと見えた時に、
沢山の学びと気付きを頂きました。

繰り返される日々の中で、
あまりにも辛くて気持ちが整理できない事も今でもあります。

僕自身もいつ死ぬか分かりません。
海で死ぬこともあるかも知れないし、
バイク事故で死ぬかも知れない。
病気になるかもしれないし、
想像もつかない何かに巻き込まれることもあるかもしれない。

幸いなことに、子供達もしっかりと無事に育ってくれたので、
今自分が死んでしまったら、
どんなこと後悔するかなと考えてみると、
そんなにシビアに悔しい気持ちになる事もないような気もしています。

土壇場でやっぱり猛烈に後悔するかもしれません。

ゆっくりと夫婦で旅がしたかったね~
そんなものかも知れません。

いのちはどうなるかも分からないので、
やっぱり1日1日を大切に生きたいと思います。

どうせ生きるなら、死ぬまでやっぱり楽しんで生きようと思います♪
どうなっても笑って死ねるように生きたいなと考えています。

そんないのちを想う、母島の夏の日でした(#^.^#)

20年ぶりの小笠原YHで一緒に働いたメンバーの同窓会を母島でできました!
こういうの、やっぱ嬉しいなぁ!詳しくはOYHブログ




ゆずり葉 ~死ぬってなんだろう?

2022年09月11日 | 大切にしていること
■エリザベス女王が亡くなり、ゴルバチョフ元大統領が亡くなり、
そして自分の身近な人が亡くなり、ふと死について、
なんだかだいぶ自分自身の感覚が変わってきているのを感じて、
大切な友人に話を聞いてもらいました。

そうしたら、とても素敵な言葉と詩を贈ってくれました。
僕が知らなかった詩、
知っていたけど日常で忘れかけていた言葉、
大好きな物語の世界を思い出させてくれました。

悲惨だ、
悲しいと思っていた死が、
厳かで、
誰にも平等にやってくる死というものを、
理屈ではなく、
感覚で少し捉えるようになってきた、そんな気がしています。

せっかくなので教えてもらった素敵な詩を紹介したいと思います。

ゆずり葉】

子供たちよ。
これはゆずり葉の木です。
このゆずり葉は
新しい葉が出来ると
入り代わって古い葉が落ちてしまうのです。

こんなに厚い葉
こんなに大きい葉でも
新しい葉が出来ると無造作に落ちる
新しい葉にいのちをゆずって――。

子供たちよ
お前たちは何をほしがらないでも
すべてのものがお前たちにゆずられるのです
太陽のめぐるかぎり
ゆずられるものは絶えません。

かがやける大都会も
そっくりお前たちがゆずり受けるのです。
読みきれないほどの書物も
幸福なる子供たちよ
お前たちの手はまだ小さいけれど――。

世のお父さん、お母さんたちは
何一つ持ってゆかない。
みんなお前たちにゆずってゆくために
いのちあるもの、よいもの、美しいものを、
一生懸命に造っています。

今、お前たちは気が付かないけれど
ひとりでにいのちは延びる。
鳥のようにうたい、花のように笑っている間に
気が付いてきます。

そしたら子供たちよ。
もう一度ゆずり葉の木の下に立って
ゆずり葉を見るときが来るでしょう。


作者の河井醉茗(かわいすいめい)さんは、
1874年(明治7年)生まれ、 1965年(昭和40年)1月17日に亡くなっている日本の詩人です。

母島の石門に僕が好きな「ユズリハワダン」という固有植物があります。
これといって、あまり個性的な特徴が見えにくい植物です。
なぜこの植物に僕が惹かれたのか自分でも分からなかったのですが、
今回のこの詩を読んで分かった気がしました。

僕たちは意図していても、意図していなくても、
次の世代に譲って生きている。

ステキな詩を教えてくれて本当に感謝です♪


■僕自身、両親を亡くしていますし、
僕が中1の頃に亡くなった父親は、
母とは離婚していて一人暮らしだったので、
真夏に亡くなってから発見されるまで時間がかなり経過していて、
本当に多くの人に助けてもらったと思います。

その恩返しとも思っていますが、
僕自身も生きていて、亡くなった人に関わる仕事や発見した経験も幾つかあって、
最初は人の死って、
もっとなんか恐ろしくて、怖いものなイメージでした。

だけど今は違ってきた気がします。
悲しみや恐ろしさや、怖さが薄れてきていて、
ああ、逢えないんだという寂しさが残る、そんな感じです。

孤独死だったり、発見が遅れてしまったり、
病気やケガで亡くなっても、
何だか以前に比べて死に対する感覚が変わってきているのを感じます。

自分自身が人生の折り返し支店でもある40歳を過ぎたからでしょうか?



■過去に書いたかもしれませんが、
良く知った人が亡くなっていて、第1発見者になったことがあります。

すごく気持ちが落ち込んで、気が重い時間を過ごしていたのですが、
海でSUPをしていて、1羽のカモが死んで海面にプカプカと浮かんでいるのを見つけました。

普段、よくサップをしていても、そんな光景を見つけるってあまりありません。
何故か、ご遺体を発見した翌日の昼に、そんな光景に出くわしました。

その時にストンと心に落ちたものがありました。
「ああ、これが自然なんだ」と。

亡くなった方は一人暮らしで、
いわゆる孤独死と言えるとおもうのですが、
思いっきり好きなように生きているような人で、
カッコいいなと思っていました。

どんな死に方であれ、
好きなように生きて死ぬのって、最高で自然なのではないかと今は思えるのです。


■そして今日は9.11。
アメリカの世界貿易センタービルやペンタゴンにハイジャックされた飛行機が突っ込んだ日です。
その後2つのビルは倒壊し、沢山の人が亡くなりました。
当時僕は友人とTVを見ていて、陳腐なB級映画と思ったら、現実でビックリしたのを覚えています。

そして、今もロシアとウクライナの戦争は続いているし、
チベットやウイグル、各紛争の地などでも毎日沢山の命が奪われ、苦しんでいます。

冒頭に書いた死はいわば自然死だと思います。
だけど戦争や侵略で失われる命は、怒りや悲しみが残って、あまりに違う死な気がします。

東日本大震災や台風、
天災でも沢山の命が奪われて悲しい、辛い事は事実ですが、
権力者の利権やプライド、資源や宗教の為に人殺しをする戦争とは、
まったく違うものと思います。

私たちは戦争というもの、侵略というものをなくしていこうとしなければと思うのです。
その為には、自分のお金の使い方、選挙の選び方、暮らし方、
そしてごく身近な家族との平和を維持することをやっていかなければと思います。


■Mement Moriメメント・モリ。
今回、友人が贈ってくれたこの言葉、
僕も最初にこの言葉に出会ってから、久しく忘れていました。

ラテン語で、
「自分が必ず死ぬことを忘るな」「死を忘ることなかれ」「死を想え」という意味と言われています。

友人もそうでしたが、
俺もはこの言葉をポジティヴに捉えてて、
まさに全ての人に平等に訪れる死を受け止めて、
だからこそ今を生きるって捉えています。

この言葉を最初に意識したのは藤原新也さんの写真集を見た時だったと思います。
インドの魂の抜けた人の体が燃やされ、丸焦げになり、犬に喰われ、カラスが見つめているのを描写していて、
「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」とコメントが添えてあり、
とても印象深い写真集でした。

その後、Mr.ChildrenやBUCK-TICKも曲のタイトルにしていたりしていて、
一時期、この言葉をいつも意識している時期がありました。

久しくこの言葉を忘れていたのですが、
友人が再び思い出させてくれました♪
どうもありがとう!


■最後に僕のバイブルの一つである「リトル・トリー」(フォレストカーター著)の世界がその真髄な気がします。
僕自身がこの本を紹介した友人が、
今回、このリトルトリーのいのちの話をしてくれて、
僕自身がまた再確認することができました☆

インディアン達が
「今日は死ぬのにもってこいの日だ。次もきっといいだろう」って言って、
身体の心(ボディマインド)が抜けていって、
霊の心(スピリットマインド)だけになっていく…

そしていつまでも霊の心は生き続けていて、
生まれ変わっていく。

リトルトリーのおばあちゃんが彼に教えてくれた、
霊の心を鍛え、愛と理解を教えるシーンが僕はとても大好きです♡

中学校の頃に学校の図書館で気になった本が、
今もこうして僕の中で生きています。

先住民の言葉を歌にして有名な「千の風になって」。

「私のお墓の前で泣かないでください」の歌い出しで知られるこの曲は、
アメリカ発祥の詩『Do not stand at my grave and weep』に、
小説家の新井満が日本語での訳詩を付け自ら作曲した歌です。

人の死について考えて、
自分の死についても考えた時、
自分がどう捉えて、どう受け入れていきたいか。

僕も妻も娘たちもいつかは死ぬのです。
次の代にすべてをゆずりながら、千の風になっていく…

あまりに儚い命のセミたちが、
今、母島の北部で大合唱をしています。

何年も幼虫で土の中で過ごした後、
ほんのわずかな時間、成虫として過ごして、
次の世代の卵を産み、土に還っていく…

自然界を見ていてもハッとさせられるし、
人の営みも結局はやはり自然なのだと思い知らされました。
そしてそれらすべてが、有難いと思えます。

そんな母島の夏の終盤、9.11でした。

全ての命にご冥福を祈ります。

想定外を味わうということ

2022年01月18日 | 大切にしていること
■物事が自分が思っていた通りに行かず、面食らって打ちひしがれる事ってあると思います。
むしろ、自分の想定通りに事が進むことの方が少ない気がします。

僕にとっては22歳で結婚したことも、島で暮らすことも、
今母島で生活していることも、便利屋を開業していることも、
すべてが想定外です(笑)。

正直、内容をあまり覚えていませんが、
学生時代に何度も先生に書かされた"将来の夢”ってやつに、
全く関係ない所に今いる気がしますし、
今の生活に十分に満足しています♡
そして、
それこそが目指す最高の人生の達人「Master of Life」な気がします。

先日、前々から予定を組んで父島に休暇に行こうとしていた友人が、
なんと海況が悪くて予定通り父島に渡れずにいて、
恐らく凹んでいるだろうと思った時に、
今回のテーマとなる”想定外を味わう”という言葉が出てきました。



■僕が大好きな写真家でもあり作家でもある星野道夫さん。
その中で一番好きな作品が「旅をする木」です。

特に巻末の「ワスレナグサ」は暗記してしまうほど好きです。
心がせかせかして、
モヤモヤして落ち着かない時、僕は必ずこの部分を読みます。
まだ読んでない人の為に前後の流れは省略します(#^.^#)(←実はその前後がすごく大事!!)

【結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。
そして最後に意味をもつのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがいのないその時間である。

頬を撫でる極北の風の感触、夏のツンドラの甘い匂い、白夜の淡い光、見過ごしそうな小さなワスレナグサのたたずまい……
ふと立ち止まり、少し気持ちを込めて、五感の記憶の中にそんな風景を残してゆきたい。

何も生み出すことのない、ただ流れてゆく時を、大切にしたい。あわただしい、
人間の日々の営みと並行して、もうひとつの時間が流れていることを、いつも心のどこかで感じていたい。】


星野さんの本の中には幾つもの想定外を味わう余白が散りばめられています。
何週間もアラスカの原野でたった一人で過ごして紡がれる言葉は、
とてもシンプルで、
とても深いのです。

ブッシュパイロットのドン・ロスが離陸に失敗して途方に暮れている時、
金色に光るワタスゲの海の中で数千頭のカリブーの群れに囲まれて、
「ギフト(贈り物)だな…」
と語る場面。
無事に離陸できていたならば、こんな光景に出くわすこともなかったのです。
僕が大好きな場面のひとつです♪

想定外を受け入れて、それを味わえた時、
そんなイレギュラーがギフトに代わる…
それこそが旅の、
人生という旅の醍醐味な気がしたのです。


■実はクリスマス前に僕は落ちてるシャワーのノブで足をくじいて、
SUPボードをコンクリートの角に強打して破損してしまっていました。(ToT)/~~~

その瞬間、超激しく落ち込みました。
おっちょこちょいの自分なので、特に丈夫なボードを購入していただけに、
ショックは尚更でした。

物凄く落ち込んだのは事実ですが、
3時間ぐらい経過したら、「俺は最高のリペアマン(修理野郎)になる!」という気持ちがムクムクと湧いて来て、
一気にやる気になりました。
落ち込んでばかりはいられないのです。(←ド単純w)

父島のサーファーの友人つよぽんに相談し、
おススメの修理のツールを紹介してもらい、早速その日のうちに注文しました。

Phix Doctor 1OZ DURA REZN フィックス ドクター デュラ レジン サーフボードリペア剤
PU&EPS両方OK 紫外線硬化 樹脂 ソーラーレジン サイズ1oz 30ml
というのを使いました!

到着して数日後、確か1/2に早速修理に取り掛かりました。

サーフボード用のUVレジンで、
なんと数十分で修理が完了しました♪

ほんとやり易い!!
サンドペーパーを駆けて、レジンを着けて固めて、再度サンドペーパーするだけ!!

あまり綺麗ではありませんが、これが仕上がった状態です!!


翌日の1/3に海が良かったので、
妻と初泳ぎも兼ねて、妻がシーカヤック、僕はSUPで四本岩までクルージングに出かけました。

まあ楽しい♡気持ちいい♪嬉しい☆

海がいいのにSUPが焦げない悩ましい時間は、
そのまま沖に出た時の解放感が倍増するスパイスとなりました(#^.^#)

修理した個所も問題なく、
ザトウクジラが沢山いる中を気持ちよく漕いでいくことが出来ました(^^♪
やっぱ海は最高です☆

海の上を漕いでいても、沢山の想定外を乗り越える場面があります。
想定外に慣れてくると、想定外も楽しめるようになってきます。
なんだか、人生みたいです♪

ボードの破損は思い切り想定外で、滅茶苦茶落ち込みましたが、
お陰で修理スキルはアップし、島の誰かが破損した時に力になることが出来ます。
転んでもタダじゃ起きないのが面白い所ですね(#^.^#)



■さらに年明けからすんごい嬉しいイレギュラーがありました(^_-)-☆
母島に来島してきている大工さん。
実は母島の東北会という東北会出身メンバーの会のメンバーなのですが、
年末年始に内地に戻って、島に帰ってくる時にマクドナルドをお土産に買ってきてくれるというのです!!

普段、内地に行ってもなかなか食べに行かない我が家ですが、
これは流石にハイテンション(#^.^#)

ビックマックに、
倍フィレオフィッシュを注文しちゃいました(^_-)-☆

しかもなんと今はレアなマックポテトのLが勝手について来ていて、
島まで冷凍で運び、島で揚げてからアツアツで頂くという、
信じられないサプライズ付き!!

マック自体元々好んで食べるものではなかったのですが、
その気持ちと行動が嬉しくて嬉しくて、
嬉しすぎる想定外に感謝の涙が溢れました♡
有難うございます!!


■いつも1/2は家族で小剣先に登るのですが、
今年は裏南京にトレッキング(#^.^#)

家族3人でクジラを眺めながら、
美しい景色の中、だらだらと過ごします。

若干、不思議なネコも一緒でしたが(笑)。

こうした絶景を存分に味わえるのも想定外の島暮らしの醍醐味です♡
まさに今を味わうという部分に他なりません。

いつも通りでない景色とプロセスを存分に味わいました☆



■そんなことを年明けから考えていると、
色んなイレギュラーを楽しんできた思い出があります。(そんなんばっかりです)

長女出産前の緊急搬送、畳の上での出産
・次女出産の為の安曇野半年滞在、自宅出産
・カナダの空港でのエアチャイナのフライトキャンセル事件
etc....

すべて予定通りになる旅(人生)に比べて、
大変であることは事実ですが、
なんて学びも多く、実りがあるプロセスなのだろうと思います。

もちろん、そんな想定外の真っ只中の時は、
本当に大変だし、どうしてこんな事に!?と思うことがほとんどですが、
過ぎてみれば、どれもネタになるような深みのあるストーリーです。
実はそういう台本だったのでは?と思ってしまうほどです。

まさに逆境を楽しむセンス。
やはりピンチはチャンスなのです♪
人生、楽しんだもん勝ちだと思うのです(#^.^#)

僕は
思った通りに進まないことを嘆いているよりも、
その想定外を味わってもっと楽しんでいけるような、
そんなセンスを持った素敵な人を目指していきたいと思っています♡

目指すはMaster of Life!!

くさやと泪と新島と

2021年12月18日 | 大切にしていること
■「いやぁ、嬉しいなぁ…本当にありがとう~」
島の90歳を超えるレジェンドに言われて、思わず涙ぐんでしまいました。

どう言葉に形容したらいいのでしょう。
感動が言葉にできません。
泪で溢れてきます。

レジェンドの彼は10代の頃に太平洋戦争前に母島の南崎のくさや工場に通い、
戦後は母島最期のくさや職人でした。
母島で長年暮らしていて、知らない人はいないレジェンドです。
※このレジェンドさんについては過去の昔話の紹介記事でも触れています。

ちなみに「くさや」とは伊豆諸島の新島発祥といわれる魚の加工食品です。
主にムロアジ(クサヤモロ)を開きにして、くさや液と呼ばれる秘伝のタレをつけて干したものです。
独特のにおいを放ちますが、味は抜群の珍味です♡
僕が地球上で一番好きな食べ物、アオウミガメの煮込みの次位に好きな食べ物がくさやです。

こちらがムロアジです。島では主に夏場に釣られています。僕が島で一番美味しいと思う魚です☆

■とある経緯でレジェンドの彼にくさやを提供したいという話になり、
くさやのルーツでもある新島のくさや屋さんを探そうと考えていました。

彼は戦後に伊豆諸島のくさや製造所を回り、
昔母島にくさやの液を分けてくれたくさやの発祥の地・新島に辿り着きます。
しかし、時が流れあまりに高齢になり、そのくさや屋さんの名前を思い出すのは困難でした。
ある機会に僕が彼の家に急に伺うことがあり、ふと「くさや」の話になりました。
そこで急に思い立ったように僕はその場で新島の友人に電話をしました。

新島の友人とは東京宝島事業を経て知り合い、共にアウトリガーカヌーを漕ぐ仲間です。
彼は日中の仕事中にも関わらず、電話に出てくれました。
僕が事の経緯を話し、彼は新島に今は6件のくさや屋さんが現存していると丁寧に説明してくれました。

少しずつ、くさや屋さんの名前をひとつずつ挙げてくれていました。
目の前のレジェンドは首をもたげて、違うと訴えています。
確か3つ目だったでしょうか?
新島の彼が「菊孫(きくまご)…さん」と行った時、
目の前のレジェンドの目がカッと開き、「それだっ!!」と声を上げました。

新島の彼が電話越しに話します。
「菊孫さんですかぁ!新島でも一番の老舗ですよ~!」
僕が訪問するときは不安と戸惑いの最中にいて、
ずっと浮かない顔をしていたレジェンドが、
僕が思うに今年一番の最高の笑顔で笑ったのです!!
この瞬間の笑顔が忘れられません☆

はるか昔にレジェンド自身が訪れた、
くさやのルーツを巡る旅のクライマックス先の名前を思い出した、
その瞬間に自分が触れてきたくさやに関わる全てを鮮明に思い出せた瞬間に思えました。
「菊孫だよ!それだ!いやぁ嬉しいなぁ~」
レジェンドは何度も何度も呟きました。
行動にしてみれば、ただ電話しただけの些細なことだったのですが、
そんな些細なことで得られたものは、
今でも思い出すだけで泪が溢れるような感動の笑顔とご縁でした♪

本当に有難うございます!!

これはHOSSYと呼ばれるアルミ製でくさやの形に作られた洗濯ばさみです。
新島のメンバーが近年の海洋プラスチックゴミ海洋流出防止の啓発を目的として作成し、まずは新島島民向けに配布したのが始まりのようです。
我が家にもサンプルを頂いていますし、こちらから詳しい情報や購入ができます!
今回のご縁をつないでくれたのも、このHOSSYを作ったメンバーとのご縁のおかげです♡


■さてさて、そんなご縁で繋がった新島のくさや製造の老舗「菊孫商店」。
レジェンドと話して涙したその日に早速電話してみました。

もちろんオンラインショップなどでも簡単に購入はできるのですが、
こういう時は直接声を聞いて注文したいものです♪

電話に出て戴いた方に母島の最期のくさや職人のお話をさせてもらいました。
すごく喜んでくれて「うちのお父さんかおじいちゃんに会ってるのね~」と一言。
高齢者向けの柔らかめのくさやも用意できると話も頂きました☆

もちろん、レジェンドが日々関わる高齢者在宅支援サービスセンターにこの件を紹介し、
うちはうちで自宅用に早速注文しました(#^.^#)

菊孫さんが小笠原に発送するのも慣れたもので、
おが丸の運航予定を把握していていました。
竹芝出港の2日前に新島で発送すれば届くそうです!
頼んで次の便で届くという驚きの速さで自宅に届きました。(届けたのは配達仕事の僕ですw)

小笠原へはゆうパックの冷蔵(チルド)で発送できます。
嬉しい菊孫商店のくさやがものの数日で届きました♪

電話で注文するときに種類や値段も聞きました。
冷蔵で購入すると、今まで真空パックで購入していた価格に比べて、とても安い印象でした。


■今回はムロアジ、トビウオ、コアジを3000円分頼みました。(来週になったらサメのもあると言われました😲)

我が家にとっては12月の師走のお歳暮みたいなものになりました(#^.^#)

想像以上にボリューミーなくさやが届きました♡

こちらがメインのムロアジのくさや(中サイズ)です。
なんとまあ立派な…
これで中サイズですかっ!

レジェンドが伊豆諸島のくさやの製造所を回った時は、
三宅島も御蔵島もまだくさやを作っている頃だったそうです。
自身の父親の出身地の青ヶ島もその時に初めて訪れたと言っていました。

この開きひとつで400円を下回ります。
あんなに手間暇かけて作ってくれてるのに、こんなに安くて大丈夫なのかと心配になってしまいました。

くさやが自宅に届いた入港日、僕は入港配達で帰りが遅い状態でした。
12月はクリスマスセール、ボーナス、お歳暮と荷物が多いシーズンです。
いつも20時を過ぎる帰宅です。

今回は届いたその日に妻が配慮してくさやを焼いてくれました♡
周囲に立ち込める匂いはご愛敬(笑)。
たまらなく愛おしいこの匂い、これまでの経緯もあるのでいつも以上に深みが増しています♪

焼いた状態が冒頭の写真なのですが、一口食べてみると…
「美味しい!!」
久しぶりのくさやです。

新島の老舗のくさや。
母島のレジェンドが今年最高の笑顔を見せてくれた「くさや」です☆
こんなにも味わい深いくさやは初めてかもしれません。

なかなか固いものは食べにくい年齢のレジェンドですが、
ぜひこの菊孫さんのくさやを食べてほしいと思います。

毎日「楽しみだなぁ」と笑顔で話していて、
こっちがそれに癒されて元気をもらっています。

御幸ノ浜展望台での夕陽です。この冬場の限られた時期だけ見れるレアな場所です。

■そんなくさやが届いた日は次女の料理の日でもありました。
中学生の先輩の誕生日でもあり、作って贈りたいと。
そして、次女自身の10月の誕生日にわざわざ自宅までプレゼントを届けてくれた人にお返しをしたいと、
頑張ってカップケーキやら、学校の家庭科で習った逸品を届けていました。

僕は人の為に自分の時間を割いて行動することが出来る次女を素敵なだぁと思って眺めていました。

人は一人では生きていけないし、
常に相互間で支え合いながら生きていくものだと思います。

コロナ禍、SNSの発達で人と人の直接のやり取りが疎遠になりがちな中、
こうして行動に移せたことがとても素晴らしいと思いました♡
(僕は何をやっているのかすら知らなかったw)

そんなほっこりした気持ちで入港配達から帰ったあとに、
次女と車でプレゼントを届けに回りました。

自宅に帰った時に、
くさやを焼くにおいが思いっきり周囲に充満していましたが(近所の皆さんごめんなさい!!)、
色んなご縁と優しさが思い出せる匂いとなり、なんだか心がとっても温かい日になりました♪


■師走に入ってから、なんだか感動ばかりしています。
ブログに書くのが全然追いつかない状態です。
(ブログは僕自身が忘れない為の忘備録的な意味が一番大きいです)

また追々書いていこうと思います。

今日紹介したムロアジ(クサヤモロ)は僕が島のお刺身で一番好きな魚です。
日持ちがしない種類で、釣ったその日に刺身で食べます。
翌日の場合は身が少し柔らかくなっているので、ネギ、ニンニク、ショウガとあえてタタキにしても絶品です♡

近年だと、10年ほど前でしょうか、学校の家庭科の先生がレジェンドに
今またくさやを作れないかと相談し、
その時にくさや液を取り寄せた時も菊孫さんだったそうです。

奇跡のような色んなご縁が今回も繋がりました(#^.^#)


■そして昨日は突然畑の烏骨鶏たちが警戒の鳴き声で大騒ぎしていていました。

ふと上を見上げたら、島の生態系の頂点に君臨するオガサワラノスリさんが電柱の上にいました。

天然記念物で世界でも小笠原諸島にのみ生息しています。

カメラを構えたら、睨まれちゃった!!
カッコいいけど、怖い~~


12/20 追伸
レジェンドさんに菊孫さんのくさやを焼いて持っていくことが出来ました♪
「何年ぶりだろう…嬉しいよ(#^.^#)」

焼く前のムロくさや、トビウオくさやも見てもらって、
「立派なくさやだね~」

そして、ついに食べてもらいました。
しっかりと噛んで、一呼吸おいて。
「うまいっ!
 この味だよ!変わってないなぁ~」
「やっぱりくさやだね。ありがとう!ガハハハ!」
もう何も要らないほどの最高の笑顔と言葉を頂きました♡

やった事は話をして、品物を注文して、準備して、食べてもらうだけ。
誰にでもできる些細なことです。

それがこんなにも感動してもらえて、感動できるなんて…
生きてて本当に良かった♪
そう思える瞬間でした。

一期一会のご縁に感謝です(#^.^#)


クレアナ~伝えるということ

2020年09月19日 | 大切にしていること
■「そういえば今日、ホクレア号のクルーの人の話を聞くオンラインZOOMがあるらしいけど、興味ありますか?」
友人からこんな話を聞いたのがカヌーを漕いでいる最中の話です。
海の上ですよ(笑)。しかも当日の数時間前(*^_^*)

こういう流れが、とても島らしくて大好きなんですが♡

9/5の記事にも書きましたが、先日、ホクレア号の日本人クルーのたみこさんのお話しを聞く機会に恵まれました。

カヌーを漕いでいた時に聞いて、急いで連絡をしてもらい、
家についてすぐの状態でした(笑)

8月、9月と2回に渡り、
沢山の心にしみるお話を聞かせて頂きました。

2回目は父島の高校生とカナダ留学中の長女も混ぜてもらいました。
2回目はスターナビゲーション・マスターのナイノア・トンプソン、
そしてナイノアに星の航海術を伝えたサタワル島のマウ・ピアイルック師匠についてでした。


■そのトークの中で何度も出てきた言葉。
「クレアナ」。
これは去年参加したハワイ研修プログラムSHIPで初めて知った言葉ですが、
クレアナとはハワイ語で責任、役割、権利を意味します。

ハワイアンスピリットでは自身のクレアナを常に意識していて、
自分が今どの立ち位置において、何をすべきかを常にフォーカスしていると感じました。

たみこさんは今の自分のクレアナは「伝える事」と言っていました。

沖縄出身で子どもの頃観たあの美しい海が、
気付いたときには汚れていて、
何とかしたいと思って悩み、海上保安署へ入ったそうです。

しかし、そこでの数年間は海の保安にはなっても、
美しい海を取り戻すことにはならないと気付き、
その後、結婚でアメリカに移住したそうです。

※写真は母島の近くにある無人島・平島です。

海のない大陸での暮らしの時に、
以前、雑誌で見て気になっていたハワイのホクレア号が自分の故郷、沖縄に来る!と聞いて、
一気に覚醒し、家族でハワイに移住したとのこと。

そこからホクレアに関わり、クルーになって様々な航海をしたそうです。

現代の航海機器を使わずに自然の力だけ、
人間の感覚だけで島から島へ渡るホクレア号。

たみこさんが次の寄港地に着いてしまうのが、寂しいと思えるほど、
船上での暮らしは素晴らしい気付きの連続だそうで、
話を聞いていて、こちらも沢山の気付きを頂きました。

ホクレアで気付く、
自分たちが暮らす島が一つのカヌーと同じである事。

ハワイのことわざに
He Moku he Wa'a,He Wa'a he Moku(島はカヌー、カヌーは島)
という言葉があるそうです。

ホクレアも航海するのに、一人ではできません。
沢山の人の協力があって、初めて航海を成功に導く事ができます。

違う国籍、違う価値観、違う人生、
その人々が互いに気を遣い、協力し、調和することで、航海を成功させる。

以前から幾度となく、記事に書いていますが、
このカヌーを島の暮らし、日本の暮らし、地球の暮らしに置き換えて考えてみる。

ホクレアを何度も乗るたみこさんから、この同じ話を聞けたのがとても嬉しく、感動しました♪


■伝えるという事。
これは凄く大切な、そして素晴らしいことだと思います。

たみこさんが雑誌でホクレアを知るのも、誰かが伝えようと記事を書いてくれたから。
僕がたみこさんの話を聞けたのも、そんなオンラインZOOMを開催してくれたからですし、
その事を僕に伝えてくれた友人がいたからです。

そして僕は次の世代の高校生にそれを伝えて行く。

Mahalo♪
本当に感謝の気持ちでいっぱいです!

小笠原は太平洋戦争後の占領のお蔭で、
伝統と文化が途切れてしまっている歴史、背景があります。

しかし、戦前に母島で暮らした人の話をギリギリ、今聞けています。

僕はそれをこうして伝えて行くのを自分のクレアナと思っています。

ただの忘れんぼさんの覚え書きの様なブログ(笑)が、後付けて意味を持ってきました♪


■文章の途中で差し入れたカヌーの写真は8/9に父島~母島60km横断カヌーの見送り時の写真です。
これは母島のOC6「ベルーガ」の姉妹船でもある、
父島の「イケカイ」がたった6人の漕ぎ手だけで伴走船なしで渡ってきたのです。

去年はエンジンで動く伴走船に僕も乗り、
父島から母島の横断カヌーの漕ぎ手として参加させてもらいました。

今年もその企画はあったのですが、
新型コロナの影響で大人数が関わる形でのイベントは自粛し、
今回は漕ぎ手航海なしで凄腕パドラー達が母島に渡って来たのです。

確か早朝に出て、昼過ぎにはもう母島に着いていた記憶があります。

母島に着いた翌日の朝にはもう父島に向けて出発したのですが、
翌日から海が悪くなったので、奇跡の様なタイミングでした。

ホクレアのZOOMはまさにイケカイが父島に辿り着くタイミングでした(笑)。
父島の参加メンバーは扇浦のレストハウスでZOOMに参加しながら迎えていて、
とっても不思議な感じでした(*^_^*)

いつか、母島メンバーも頑張って父島への往復をベルーガでやってみたいですし、
イケカイとベルーガで競漕とかもやってみたいですね!!


■ちなみにこの美しい海岸は母島の属島である平島です。

先日、僕はここで大きな過ちを犯しました。
僕は無人島、平島・向島での調査のお仕事。

なんと同じ日に次女を含む小学生の校外学習も平島・向島でした。

せっかく小学生たちが無人島に校外学習に来ていたのに、
親がいるし(笑)、
無人島の美しい砂浜に子供たちより先に足跡をつけてしまいまいた…(ToT)/~~~

ごめん~~!!
歩いた後に気付きました。
罪深き大人の過ちをお許しくださいm(__)m


■小笠原に新型コロナウイルス感染者がついに発生したと放送があった9/18の翌日、
次女とバイクでウロウロしていると、海の潮汐がビックリするほど高くなっていました。

まるでポニョみたい!!

いつも遊んでいる脇浜の周りが水没しています。

こりゃすごい!!

大潮だからなのでしょうが、
僕はここまで凪の時に水没しているのを初めて見た気がします。

次女は
「地球温暖化の影響なの?」
と考える始末。

近年、異常潮汐と聞くことも多いです。
この大潮のタイミングと台風が重なったら、と思うと恐ろしいです。

潮汐は地球と月の引力が関係し、
月の引力が地球の海水を引っ張る事で、潮汐が発生するとのこと。

僕は島に来るまで、ほぼ潮干狩り以外は潮汐を意識した記憶がないので、
最初にこの事実を知った時には今さらながらビックリしました(笑)。

そんな海の変化を感じながら、
こうして伝えることに、
何か意味があるのだな、と思いながら今日も海に行きます(#^.^#)

こうして自然を味わいながら暮らせることに深く感謝します。
Mahalo!!







心が震えるとき。

2020年08月06日 | 大切にしていること
■ああ今、心が震えている。
そんな経験はありませんか?

感動した時に起こる現象なのですが、
「感動」の一言では片付けられないなと思い、
敢えて「心が震えるとき」と表現してみました。

先日、畑で作業をしていたら、ふと降りてきた感覚なのです。

自分が何かに関わって、心が震えたとき、どんな時があっただろう?
きっと同じ出来事あったとしても、人によって響く、響かないが違うだろう。

でも、
どうして人はこうも心が震える瞬間に惹かれるのだろうか?
どうして心が震えたあとに、じんわりと根底から力がみなぎって来るのか?

映画や小説など、
作為的に感動を仕込まれた場合でも、やはりそんな瞬間があります。
圧倒的な美しい景色を見た時、
とても素敵なエピソードを聞いた時、
ふと些細な事に気付いたとき、
色んな場面で人は心が震えると思います。

そして、それを提供できる、縁つなぎができる人って、
なんて素晴らしいのだろうと思いますし、
それを受け止めて感動できるセンスがあるということも、
なんて素晴らしい事なのだろうと思います(*^_^*)


■僕が大好きな本に「リトル・トリー(フォレスト・カーター著)」があります。
これは少年インディアンと老夫婦の日常を描いた物語なのですが、
その中にある、大好きな場面があります。


祖母は麝香虫(じゃこうちゅう)の匂いを嗅ぐと、僕を上回る興奮ぶりをあらわにした。
「こんな素敵な香りは初めてよ!
 今まで麝香虫のことを知らなかったなんてどうしたわけかしら?」

祖父もやはりびっくりした顔になって、
「70年生きてきたが、こんな匂いはついぞ嗅いだ事がない!」とうなった。

祖母が言った
「おまえはとっても正しいことをしたんだよ。
 なにかいいものを見つけたとき、まずしなくちゃな らないのはね、
 それをだれでもいいから、出会った人に分けてあげて、いっしょに喜ぶことなの。
 そうすれば、いいものはどこまでも広がっていく。
 それが正しい行いってものなんだ。」

リトル・トリーが麝香虫(じゃこうちゅう)は甘い匂いがするということを発見して、
祖父母に教えてあげた時に祖母が心底感心して言ってくれた言葉です。

なんてピースフルで素晴らしい行いなのだろうと感動したのを覚えています。
僕が日々の暮らしの中で感動したことを、淡々とブログなどに綴っている理由なのだと思います♪


■母島の森の中を歩く子供達。
僕の山仕事に着いてきた子供たちのとある夏休みの一コマです。

何でもない風景なのだけれど、
言葉にならない愛おしさが込み上げてきます。

とてもピースフルで愛おしい♪

こんな時間がずっと続けばいいのにと思ってしまいます。
こういうじんわりとした心が震える瞬間も僕は大好きです(*^_^*)

長女が中学を卒業し、島を巣立って外国留学に行く。
僕の高校の頃をおもうと信じられません。

美しい大自然と優しい人に囲まれての暮らし、本当に有難いです。

そんな中、子ども達はあっという間に成長し、
それぞれの世界へ羽ばたいて行きます。

そんな様を見ていても、なんだか心が震えるのです。

なんだろう、その命の逞しさと儚さに惹かれるのです。


■小5の次女、
ダイバーのいる水深(8m~10mくらいかな?)まで潜れるようになって来ました。

すごいな~!と素直に思います。

もう潜るフォームからして美しいのです。


僕は島に来る19歳まで筋金入りのカナヅチだったので、完全に同年齢で見た場合は敗北しています(笑)。
現在はなんとか水深では勝っていますが、そのうち抜かれるのは時間の問題でしょう♪

現に日々飛び込みに関して、超進化中です。

子供達は日々色んな所に挑戦しています。
しかも楽しみながら♪
今年は新型コロナの事もあり、念願だった内地に行かない夏休み♡
存分に島の夏を満喫しています(*^_^*)

次女のバブルリングもあっという間に上手になって来ました。

上手な先輩に色々アドバイスを頂いていますが、
1日に何十回もトライを重ねるその姿勢が素晴らしいのです。

ちなみに僕もトライするのですが、心が折れるほど下手くそです(ToT)/~~~

そんな子供達(自分の子供じゃない、島の子供も含む)の成長を見ていても、
いちいち心が震えちゃいます(*^_^*)

4年前の母島カノー大会(アウトリガーカヌー大会)で小学1年生の男の子が見事なステアリングをしていたのを見た時、
心が震えました。
今キッズカノーをやっている原動力になっています。

去年のキッズカノー大会でも、
子供達の成長に心底感動しました。

日々、色んな場面で子ども達には感動を頂いています。
学校の先生でもないのに、そんな場面に巡り合えて感謝です♪


2019年の母島フォトコンテストに、見事入賞して賞金をゲットしたので、
その賞金で母島産カカオのチョコレートを購入しました♪

ようやく長女の出発に合わせて、家族みんなで母島チョコレートを食べる事ができました♡

とってもフルーティーでビターな味わい(*^_^*)
とっても美味しかったです☆
かなりの高級品なので、自力で買うことはきっとないと思うので、
この機会にゲットできて幸せです♪

母島で生まれたカカオでチョコレートができるなんて、
これも心が震える感動です♪

さらには長女が父島で天然酵母パン作りを学んで来たのですが、
それがとっても素晴らしい仕上がりなのです☆

親から見て、かなり料理をしないタイプの長女でした(笑)が、
一歩外に出て、様々な経験をすると、
なかなか日常の家では学べない事を吸収させてもらって来ます。

そのパンに自分の生産しているローゼルのジャムを塗って食べます。
これは父島の手作りお菓子屋さんTOMATONさんが加工してくれた製品です♪

去年の島に大被害をもたらした台風21号で売れないほどダメージを受けたローゼルをすべて買い取ってくれて、
加工してくれました♪
本当にありがとうございますm(__)m

長女が父島のアルバイト先としてもお世話になったTOMATONさんのジャムと長女のパン。
それだけで心が震えるのに、十分過ぎる程です♪

これからもそんな「心が震える」ことを大切に、
色々紹介して行こうと思います♪


■ちょっと些細な事ですが、思いつく限りの僕の心が震えた瞬間を挙げてみました(笑)。
あくまで個人的なものです☆
今後もちょっとずつ更新していくかもです(*^_^*)

●風景
・母島で山の仕事をしていて、圧倒的なスケールを感じる美しい景色にふれたとき。
・森の木々の隙間から、ボニンブルーの海が覗いたとき。

●生き物
・ふとした風景にイルカが楽しんでいる光景があったとき
・カヌーを漕いでいて、ザトウクジラの大きな存在を感じた時
・8年ぶりに南崎のカツオドリの繁殖が成功したのを確認した時
・イルカが海中で目が合って、遊んでくれた時
・イルカと泳いだおじさんが子供の様にはしゃいでいるのを見た時

■旅
・インドネシアのバリ島ジャティルイで凄いスケールの棚田の風景を見た時
・カナダの恐竜博物館で圧倒的な大きさの全身骨格の恐竜を見た時
・子供のころから憧れていた野生シャチを見た時。特にオスの長い背びれ。
・そのシャチをみて、次女が予想外に心底感動しているのを見た時。
・ハワイでニックさんが見せてくれた太平洋の島々の地図。その地図に日本で小笠原だけが記されていたことを知った時

■子供
・ピンとこなかった読書感想文。先生の一言でビシッとフォーカスされ、ワクワクするほど面白いのを仕上げてきたとき。
・トランプのスピード大会を家で開催し、次女が優勝したら死ぬほど喜んでいた時
・青ヶ島に次女がお邪魔して迎えに行ったとき、みんなにとても大事にされたと感じた時

■家族
・子供が無事に生まれてくれた時
・みんなの笑顔が見れた時
・いい年の奥さんが子供の様にはしゃいでいる時(笑)

■畑、作物
・枝豆と大豆が一緒と知った時
・一粒の種から大きな双葉が出てきたとき
・自分が栽培した作物で喜んでもらえた時

■作品
・車やカメラなど、製作者の色んな工夫に気付いたとき
・浅く考えていた作品の懐の深さに気付いたとき

■楽器
・弾けなかったフレーズが、弾けるようになったとき
・バンドでみんなで合わせて、ビシッと決まって気持ちいい瞬間

■音楽
・中学生の頃、初めてTVでX JAPANを見た時
・ミッシェル・ガン・エレファントのライヴ中に会場が揺れて、ステージの照明が落ちて中止になり、
 振替講演で最後「世界の終り」が始まった場面で、ヴォーカルのチバが「あの時の借りは返したぜ!」と叫んだ時
・椎名林檎の生歌を初めて聴いたとき
・ブランキー・ジェット・シティのPUNKY BAD HIP歌詞で「俺たちの国境は地平線さ」を初めて聴いたとき

■本、マンガ
・ミヒャエル・エンデ著の「モモ」を読んで、その現代に対する問題提議の深さに気付いたとき。
・星野道夫さんの素朴で感触深い、文章に触れた時。お気に入りは「旅をする木」。
・「うしおととら」で獣の槍になろうと炉に飛び込む麻子を潮が救って抱きしめている場面。
・「ヒカルの碁」で佐為がいなくなって探している時、碁の中にいたと再発見した時

■映画
・「パッチアダムス」で大事な事はユーモアである事が伝わった時
・「ダンスウィズウルブス」で圧倒的なスケールの景色を舞台に、インディアンが狩りをしているとき

■人
・島のレジェンドに、昔の暮らしの神髄を聞かされた時
・カッコいいな、素敵だなと思える人に出逢った時
・些細な友人の優しい気配りに触れた時

嗚呼、挙げればキリがないですね(笑)。

ぜひ、皆さんの心が震える出来事もお聞きしたいです!
どうもありがとうございました(*^_^*)




蓬莱根~約束の地で~

2020年07月28日 | 大切にしていること
「自分で選んだ、今暮らしている土地を受け入れて、楽しんでいくということ。」

■毎週、日曜日の締めとして、カノーボヤージングをしています。
冒頭の言葉はその日の午前に蓬莱根で遊んでいて感じて、
午後にカノーを漕いでいて自然と降りて来た言葉です。

思ってみれば、
母島で一番最初に好きになった海が蓬莱根でした。
車で行けない蓬莱根に行ったのは数年振りです。

その蓬莱根でまた色んな事に気付かされました。


■カノーを漕ぐ仲間と島暮らしの便利、不便利について話していました。
僕たちにとって、母島での暮らしは実は超便利だったです(*^_^*)

母島での暮らしは、
もちろん狭い田舎で、
人間関係は超密だし、
便利な店もないし、
映画館もライブハウスもないし、
アクセスも不便、
注文した品物は普通に1週間は来ないし、
ちゃんとした医療もなければ、
子どもの数も少ないです。

きっと大変、不便と思えば、
いくらでも大変なことはあると思います。

それを出来る限り、
それらを受け入れて、現状を楽しむセンスを持つこと、
僕はそれがどこで暮らすにも大切かな要素かなと思っています。
どんな時も楽しめる気持ちが僕は大好きです♪

島じゃなくても、
どこでも住めば都だと思うのです。

コロナで気軽に遠方に移動できない今だからこそ、
自分たちで選んで住んでいる土地の、
宝物の部分にぜひフォーカスしてみてはどうでしょうか?


■さらに色々島の便利さを挙げてみました。

飲んでて終電を気にしなくていいし(笑)、
飲んだ帰りはどこでも歩いて家に帰れる距離ですし、
休日は海にカヌー三昧でもお金はかからないし、
周りは親切な人ばかり。

医療はもちろん脆弱ですが、
医師も看護師もとても丁寧で、きめ細やかに接してくれます。
新型コロナに関しても、とても丁寧な相談室を設けてくれています♪

郵便局も役場も待ち時間なんて皆無です。
仕事終えた後もさっと海で泳げてしまう環境★
みんなが優しい。
僕にとっては超便利な母島なんですね~。

でも、
コンビニが無くてダメな人や、
映画館や地下鉄、
沢山のお店、
当日に通販が届く環境でないと暮らせない人にとっては、
間違いなく超不便な島暮らしなのです。

結局はその住む人次第で、
その場所は天国にも地獄にもなるのだなと思った1日でした(*^_^*)


■僕は基本的には楽しい事や気付きを中心にブログに書こうと思っているので、
様々な意見を聞くことがあります。

その中で
「いいね、楽しそうな気楽な島の暮らし。羨ましいよ」
とよく言われます。

もちろん、
超遠隔離島である大変な田舎部分は、あるのですが、
僕は今素で楽しめているのであまり問題でないので、そこにはあまり触れず、

「じゃあ、島に着て暮らせばいいじゃん?」
と言うと、
「いや、今お金もないし、仕事も辞めれないかな~」
と言われたりします。

それで、今の現状に満足とはいかないまでも、
納得できているのであればいいのですが、
もし今の仕事や環境に納得できない部分が多く、
日々の精神衛生上に支障をきたす位なら、
島暮らしとはいかないまでも、
環境を自分で変えてみればいいのでは?と思います。

色んな事情で、どうしようもない場合もあると思います。
でも、いい訳な部分もあると思うのです。

日本人は我慢して耐えるのが美徳と言う風潮がありますが、
僕はハッピーである事が大事と思っているので、
あまり固定概念に囚われない様にしています。

歳を取れば、必然的に頭は固くなりがちですが、
こだわりや、
言い訳が自分の動きを縛っているのなら、
それを振り切って楽しめるセンスの方を僕は選びます。

何のせいにもしない、自分の決断を責任を持っていく、
まさに前から目指している「精神の自立」の部分だと思うのです。


■そんなわけで、先日は久々に蓬莱根にみんなで行ってきました♡
実は次女のクラスのみんなを誘ってのプチ企画だったのです♪
先生も重い責任や様々なプレッシャーから解放されて、楽しく過ごせていたようでした(*^_^*)

そんな久々の蓬莱根。
おそらく、今年一番の透明度でした★
どこまでも見えそうな深い、ボニンブルーの海。

予期せぬタイミングで大自然は色んなギフトを授けてくれます(*^_^*)

母島の大好きな海でよく見かけるアカヒメジの群れ。

先日、蓬莱根で見かけて、
90代の島のレジェンドと話していたら、なんと70年前と同じ場所で同じアカヒメジの大きな群れに遭遇していました。

レジェンドは昔、カノーで海を駆けていた方です。
その方はアカヒメジの事を「トゲ」と呼んでいました。

僕はその長い時代の流れの中で、
偶然にも同じ景色を共有できて、
とても嬉しかったのです☆

そのレジェンドが語ります。
「蓬莱根は母島で一番綺麗だと思う場所だよ!」
ああ、もう素晴らしすぎて言葉になりません♪

ただ、間に合った!と思った瞬間でした(*^_^*)

僕にとっても妻にとっても蓬莱根に色んなドラマがあるように、
関わった人の数だけのドラマが蓬莱根、その土地にはあるのです(*^_^*)

数年ぶりの蓬莱根で、
超リフレッシュ!!

お蔭で子ども達もスパーリフレッシュ♡

妻と「20年前と変わらない景色だね~」と話していました♪

最初に小笠原に来たのが2001年。
当時は19歳でした(笑)。
今は二人の娘がいる不思議(*^_^*)

その娘と、20年前と変わらない景色を楽しめる有難さ。

子供達も飛び込んだり、自由に遊んだりして、とてもエンジョイしていました(*^_^*)
そんな姿を見て、大人は勝手に癒されているのです(笑)。



■先日撮ったアウトリガーカヌーの浮き部分と夕陽です。
個人的には凄く大好きな写真になりました♪

ハワイ語ではAmaと言い、
小笠原ではウケと言われている、
アウトリガーカヌーを象徴する部分です。

僕たちはこのウケに命を預けています。
このウケの安定感は誰もが驚く部分だと思います。
だからこそ、とても神聖な部分となります。

跨いだり、乗ったりしてはいけないと習いました。
リグを組むときに、祈りを込めながら縄を結んでいく作業が僕は大好きです♪

その大事な部分に美しい太陽の光が降り注いで、
神々しい程に眩しいウケ。

なんか気に入っちゃった写真です♡


■普段、あまり動画ってやらないのですが、
急に思い立って、7月に母島で撮った素材だけで映像を創ってみました。

良かったら観てみて下さい♪

水中映像ばかりですが、全部、素潜りです。
超ど素人です(笑)。

きっかけは、
北港のクロユリハゼ
島のレジェンドと話していて、
蓬莱根の「トゲ(アカヒメジの事)」の位置が70年間変わっていかなかった事が嬉しくて感動して、です♪

PCがもう10歳でなかなか映像作りに向いてないのがネックです(*^_^*)

使用機材
OLYMPUS
TG-5
OMD-EM5 markⅡ


最近、次女さんはバブルリングにハマっています。
上手い人は綺麗なひとつの泡で作れちゃいます♡

次女は凝り性なので、ひたすらに練習に明け暮れています。
綺麗な泡になる日も近いかな!?

世界を少しずつ平和にする方法

2020年02月09日 | 大切にしていること
■2月8日、帰宅したのが22時過ぎ。
ようやく、先ほど入港の郵便&宅急便配達が終わりました。

さすが3週間のドッグ明け、怒涛のような物量でした(笑)。

そこに追い打ちをかける様に横殴りの雨と強風。
屋外の小さな屋根しかない母島の仕分け場ではこんな時、
荷物が濡れてしまう場合があります。

届ける時に、精一杯謝るのですが、
島のみんなは
「こんな天気で遅くまで、お疲れ様!大丈夫だよ!」
と暖かく声をかけてくれて、凄く励まされます♪


■そして、台風21号で屋根が吹き飛んだ、郵便の仕分け所。
ここはまったく復旧していません。

そんなところを使えるわけもなく、
現在は郵便局の狭い窓口前でなんとか仕分けしています。

しかし、ドック明けの
いつもの3倍以上の郵便を仕分けるのは途方もない状況でした。

そんな中でも、夜の9時半過ぎての配達になってしまいましたが、
そこでも温かい労いの声を頂きます。

本当に有難いです。
人はこうやって支え合って、
平和が維持できるんだなと思いました。

内地でも外国でも、チェーン店でも何でも、
人の為に動いている人に、
お互いに、
そっと労いの言葉をかける。
これだけでも、世界は平和にもっと近づく気がします。

そんな事を考える事が出来た久々の入港日の夜でした♪
さすが天国の母島(笑)。
みんなありがとうございます(*^_^*)


先週の母島沖港は何ともいえない美しい凪の景色でした。夜の帳が迫る海に、道しるべとなる灯台の明かり。
ああ、ここが好きだなぁと素直に思える景色でした(*^_^*)


■そんな事を思っていたら、2年前に行ったカナダ帰りのことを思い出しました。
カナダの市街地でものすごく色んな人に優しくしてもらって帰国しました。

すると、日本ではどこもかしこも余裕のない顔ばかり。
電車はみんなスマホで活き活きとした顔をなかなか見れないし、
空港から乗ったバスの荷物を運ぶ人もイライラしています。

カナダとは何が違うのか?と考えていました。

そして、長女と「すき家」に入ったのです。(長女がすき家が大好きなんです♪)
そこで、いい事を思いついたのです!

店内は数人のお客さん。
店員さんは2名の中国人かな?

みんな食べた後はぶっきらぼうにレジでお金を払って出ていきます。
これは都会じゃ普通の光景ですね。

僕は長女に話します。
「見て、お客さんのオーダーを取ってるとき、
もう厨房では画面を見てその注文の品物を作り始めてる。

ファーストフードって、添加物とか薄利多売で低賃金労働とか色々問題はあるけど、
このシステムを作ったのは凄い発明だと思うし、
何よりたった二人でこれだけ美味しい料理を一瞬で用意するって、凄いことだよね?
しかも、二人は恐らく日本人じゃない。
慣れない国と文化と言葉の中で、こうやって頑張ってる人にうちらは何ができるだろうか?」

長女は
「そうだよね!これは凄いことだよね!!
 私、お勘定の時に、『ご馳走様でした!美味しかったです♡ありがとう♪』って言うことにするよ!
 みんな、ご馳走様も言わないんだね。あんなに頑張ってるのに。
 それじゃあ、働いていても楽しくないよね!」
と言いました。さすが愛と真心の娘です(笑)。

そして、お会計の時に僕らはそれを実行に移しました。
最初は店員さんもびっくりしていましたが、
嬉しそうな笑顔で「ありがとうございました♪」と言い返してくれました♡

それから、コンビニに入った時に「いらっしゃいませ、こんにちは。」と義務的に言ってくる店員さんに、
「こんにちは~!」と返事を返すようにして、
お買い物の会計時にはこちらも「ありがとう♪」と意識的に言うようにしました。

最初は面食らう様ですが、やっぱり嬉しそうにしている場面も多い印象です♪


■先日の怒涛の入港配達の時もそうなのですが、
相手の笑顔や労いの言葉、挨拶でこんなにも人の気持ちは豊かになれるのです。

お客様は神様、お客もやってもらって当たり前。
これじゃあ、社会はどんどん窮屈になると思うのです。

どんな時もお互い様と謙虚な気持ちを忘れずに、
お客としてもお金ではなく、もてなしてくれてありがとうと伝える。

些細な事ですが、
この小さな行動から世界は平和にちょっとだけ近づいていく気がしたのです。

こんな些細な事ですが、
これを日本のみんながやったら、
余裕がなさそうに働いている人も、
とても辛い作業をしている人も、
みんな少しだけ幸せを感じれる気がするのです。
忙しい日常に彩りが加わる気がするのです。

役所だって、学校でだって、
病院でだって、どこでだって、
感謝の気持ちを持って言葉にするだけ。
とても簡単です(*^_^*)

島の生活では当たり前にみんな挨拶するのですが、
内地に行ったときにもこんなチャレンジをしてみると、
世界は確実に平和に近づくと思うのです♪

あなたもぜひやってみませんか?
お勧めですよ~

魔法の言葉「ちょうどいい」

2020年02月04日 | 大切にしていること
■世の中には言霊という言葉があります。
言葉そのものが大きな力を持っているという意味と僕は捉えています。

去年の10月に出会った場活堂でのワークショップで、
どんな時でも「それはちょうどいい!」の一言から次につなぐという場面がありました。

普通なら「どうしよう」「困った」「やめようか」なんて言ってしまいそうな状況の中、
「それはちょうどいい!」と言えることがどんなに前に進める起死回生のアクションである事か!!

どんなピンチの時でも、それをチャンスに変えることのできる、
素晴らしい言葉だと思いました(*^_^*)

「それは有難い!」にも置き換えれる「ちょうどいい」は、
遥か13年前にも出逢っていたのです。

■これはうちのトイレに貼ってある「丁度よい」という詩です。
「丁度よい」良寛

お前はお前でちょうどよい。

顔も体も名前も姓も、
お前にそれは丁度よい。

貧も富も親も子も息子の嫁もその孫も、
それはお前に丁度よい。

幸も不幸も喜びも、
悲しみさえも丁度よい。

歩いたお前の人生は
悪くもなければ良くもない、
お前にとって丁度よい。

地獄へいこうと極楽へいこうと
いったところが丁度よい。

うぬぼれる要もなく卑下する要もなく
上もなければ下もない
死ぬ日月さえも丁度よい。
お前はお前で丁度よい。


僕はこの詩に信州高遠にある自給自足のフリースクール「フリーキッズヴィレッジ」で出逢いました。
ちょうどそこでもトイレに貼ってあった気がします。
その7年後、長女はそこに山村留学したわけですが(笑)。

これは作者が良寛さんとなっていますが、
石川県野々市町の真宗大谷派常讃寺坊守、藤場美津路(みつじ)さんが、
月に一度発行する寺報「法友」の82年2月号に掲載されたものでした。
最初の題は「仏様のことば(丁度よい)」。
「仏様の声が頭の中に聞こえてきたので、そのまま書き取りました」という
ことのようです。

中々、当時の僕の心にも響きまくったのを覚えています。
これが長い月日を経て、具現化した感じです。
今は口癖のように色んな場面で「それは丁度いい!」は使わせてもらっています。


■人が生きてく上で、色んな困難があります。
僕なんて、それこそ色々アクティヴに動いていますが、
基本的にはやりたい事しかやっていません。

自分自身でもよく自覚しているつもりですが、
本当に意思は弱くて、やりたい事以外はよっぽど追い込まれないとやらないタチです(笑)。

そこを無理に心を奮い立たせて、
ストイックにやれるのが本当にすごい人と思うのですが、
僕の場合は修行僧の様に頑張るよりも、
その状況を楽しめるようにもっていくのが、
好きなやり方の様です。

そんな僕にこの「丁度いい」は魔法の言葉なのです。



■先日、都道最南端の南崎ロータリーから北港までの約14キロを
みんなで走る&歩くという素敵な企画に参加させてもらいました♪

もお、こういうお馬鹿な企画は大好きです♡

アップダウンの激しい母島のロードをみんなが走る&歩く!!

最速はなんと1時間20分で到着!

膝を痛めていた僕は歩きで参加し、
2時間55分で辿り着きました♪


朝から帰りの為の車を配置したり、
途中には水分補給のステーションを準備してくれたり(そこに書いてある一言が面白いw)、
打ち上げでは全員に素敵な賞状を用意してくれたり、

とても素敵な愛のある運営の皆さんのお蔭での大成功でした(#^.^#)

先に着いて2時間も寒い北風の中、待ってくれてありがとうございました☆

一度も止まらず、歩かず、ずっと走って、
しかも北港に着いてからさらに折り返して走って戻る猛者もいて、めちゃくちゃ感動しました!

膝を痛めているけど、
みんなでワイワイ歩いて北港まで歩けたのは、ほんと丁度良かった♪
どうもありがとうございました!!


■先日、あまりに星が綺麗だったので、旧ヘリポートに行って、
星を撮ってみました。
星があり過ぎて、どれが星座か分かりにくいという(笑)。
オリオン座、分かりますか?

14kmの都道最南端のラン&ウォークに参加して、
改めて母島に暮らせることの有難みを再確認しました♪

現在、
家族が遠くはカナダ、
飛騨高山、島など
みんな面白いほどバラバラで(笑)、
あっと言う間に2週間が経ち、
そろそろ少し寂しくなってきました(*^_^*)

最初は圧倒的な自由感で嬉しいもんだったんだけどなぁ~(笑)

季節の行事を大事にする妻がいないと、
節分ですらスルーしてしまい、
その有難みを噛みしめています(*^_^*)
ホントにいつも有難う♪

みんなそれぞれで頑張っているので、
俺も頑張ろうと思います!



島で交通安全について本気で考える

2019年09月29日 | 大切にしていること
■先日、小笠原警察署主催の交通安全教室が行われました。
これは毎年、春と秋の交通安全週間に行われる催しです。

うちは毎回家族で行くのですが、
毎度毎度、「ああ、来て良かった!!」と思わされるのです。

実体験を伴う警察官の事故の悲惨な話、
島であっても気を付けなければいけない交通安全、
事故を起こした加害者、被害者とその家族のドラマDVDの上映があります。

今回の講話も日々の運転に潜む怖さについて再確認しなければ!と思ったので記事を書くことにしました。

これは全国でも行われていることと思います。
もっと多くの方に来てもらいたいものです。


■今回のDVDは「償いの十字架」というタイトルの映像でした。

ある代々続く和菓子屋を経営している若い夫婦が主人公です。

ある日、小学生の息子さんが自転車で出かけている時に、
小さな住宅地の交差点で車と接触し、頭部を打ちます。

両親は連絡を受けて病院に駆け込みます。
幸いにも小学生の男の子は軽傷で命に別状はありませんでした。

頭を下げる加害者は、
「すみません。ちょっと考え事をしていたんです…」

父親は
「ふざけるな!!何かあったらどうしてくれるんだ!!」
と殴り掛かりそうなほど心配していました。
この気持ちよく分かります。

その後、男の子は無事に退院し、普通の日常に戻ります。

和菓子の配達で忙しいある日、
その男の子と約束した誕生日プレゼントのサッカーボールを買いに行くのに、
お店の閉店時間があと少しに迫っていることに気付きます。

父親は大急ぎで買い物に向かうのですが、
道は渋滞で間に合う気配がありません。

そこで、裏道を使い、お店に急ぐのです。

しかし、裏道の住宅街で人をはねてしまい、思わず逃げてしまいます。
その後、やはり罪悪感にかられ、現場に戻ると人が集まり、
男性が倒れていました。
救急車の音が響き渡ります。

轢かれた男性は手術を受けます。
手術室の外には奥さんと中学生くらいの娘さん。
連絡を受けて謝りに来た轢いた男性の父親。

ご主人の容体がまだ不明な奥さんは「帰って下さい!」と叫びます。

その後、轢いた男性が警察で事情聴取を受けている時に、
魅かれた男性が死亡したことを聞いて愕然とします。

魅かれた男性の奥さんは体調を崩し、
線香を上げに行く加害者家族を受け入れません。

加害者家族は、
家業の和菓子もキャンセルが相次ぎ、立ち行かなくなります。
子どもは学校や外でいじめや疎外感を受けます。

子どもは自分で考え、被害者家族の元に誤り行きます。
「うちのお父さんがごめんなさい!」と。

被害者の奥さんは加害者家族に電話越しに叫びます。
「子どもを二度と来させないで!!」

加害者奥さんは子どもの誕生日のサッカーボールを贈ります。
刑務所に服役中のの父親からのせめてものの気持ちでした。

このボールを買いに急ぐあまりに、
人を殺してしまったお父さん。

複雑な気持ちでボールを受け取ります。
母親とは被害者の家に謝りに行った話をし、泣きます。

公園で友達が疎遠になっていく中、
この事故のきっかけとなったボールを空高く蹴り捨てます。
胸が引き裂けるような思いでした。

気丈に振る舞うお嫁さん。
家業が立ちいかなくなり、アルバイトに子育てに頑張りますが、
長い年月で疲労の色が濃くなります。
ほんと色んな苦労が想像つきます。

刑務所で奥さんと面会する加害者。
この事故の少し前は自分が被害者家族だったのです。
どんなに反省しても亡くした命は戻ってこないのです。

服役の数年間が過ぎ、
すっかり老け込んだ加害者の男性。

事故現場に花を添えに向かいます。
被害者の家族はどこかに引っ越してしまったそうです。

取り返しのつかないことをしてしまったと泣きじゃくるのです。


■母島の交通の中心地、ガジュ下と売店。
島のみんなが集う、憩いの場です。

ここも何度も危ない光景を見ています。

毎回、飲酒運転やこういううっかり運転の事故の映像を見る度に、
自分自身の運転を気を付けなければと痛烈に思うのです。

昔、ちょっとなら大丈夫と思っていた飲酒運転も、
島で交通講話を聞いてからは一切やめました。

僕自身、車に轢かれた経験もありますし(その時は軽傷で1000円渡されて、去っていきました)、
学生時代に自転車等で人と接触事故を起こしてしまったこともあります。
あの時の学びは本当に大きいことでした。

しかし、人は時間と共に記憶が薄れ、
気を付けようと思っていたことが、つい疎かになってしまいます。

こういう機会にハッとさせられることはとても有難いのです。

間違いなく、交通事故は他人事ではなく、自分にも家族にも起こりうることなのです。

慌てて運転してはいけないし、
大丈夫、人はいないだろうの「だろう運転」は危険なのです。


■参加者の多くは島に住む公務員の方です。
これは職場から指令があり、出向いてきている人が多いと思います。
自主的に来ている人は少数に思います。

でも、もっともっと多くの人に来てもらいたいのです。
みんなが少し危ない、ヒヤリとする場面は少なからずあると思うのです。

事故を起こしてしまった加害者、被害者、そしてその家族、それに関わる多くの人。
多くの人を不幸にしてしまう交通事故を常に気を付けなければ、と思うのです。

■父島でも17年くらい前に死亡事故が発生しています。
福祉センター先の交差点での巻き込み事故です。
若い命が巻き込まれたと聞いています。

母島でも20年以上前に飲酒運転で横転し、
はさまれて亡くなった現場には今も花が添えられています。

それ以外にも島であっても
重傷までいかない事故や物損事故は毎年数件は発生しています。

個人的にも島で危ない!と思った箇所にミラーを設置してもらった事があります。(迅速に動いていただいて、本当に感謝です!)


■この機会に毎度、僕が母島に暮らす意味について考えます。

僕はおっちょこちょいで、座っているとすぐ眠気が襲って来やすい性分と自覚しています。
気を付けて集中している時は大丈夫ですが、
ついイレギュラーの時は危ない場面があったことが幾つもあったのも事実です。

田舎暮らしというものは、ほとんどの場合、車社会を意味します。
田舎は都会の様に公共交通が発達しません。
面積が広いし、採算が合わないからです。

母島は田舎ですが、
その規模の小ささから、車社会というよりは、徒歩やバイクで暮らせてしまう田舎なのです。
(車も実際はそれなりに走っていますが、信号もなく数も内地の田舎の非ではないです)
島を運転する人の多くは、子どもやお年寄りがいる集落はゆっくり運転だし、
近くを走るときはとても大回りに避けてくれる人が多いです。

なんて優しい島なのだろうと思います。

子育てしていく上でこれはとても重要なファクターです。

僕の個人的な考えですが、
自分の性質を考えて、
内地で暮らしていたら、僕は早々に交通事故で自分は死ぬと本気で思っています。
もしくは映像にもあったような重大な事故を起こしかねないと思っています。

長時間、長距離運転する機会が多い内地の暮らしは、
僕にとっては命を縮めることになると、本能で思うのです。
言葉を変えて言えば、超・車社会で生き残れる自信が僕にはありません。

家族を養うため、子どもの命を守る為、自分たちの暮らしを守る為にも、
車の少ない田舎・母島で暮らすことはとても意味があると思っています。

飲んだ後も歩いて帰れる範囲にすべての家がある母島。
子どもが歩ける範囲にすべての人の暮らしがある母島。
小さな地域故に歩きで事足りる母島。

色んな島を見て回りましたが、
僕にとっては母島は交通事情的にも自分に合っていると思っています。

本当に有難いと思っています。
島に赴任されてる警察官、そしてその家族の皆さんにもほんと感謝です!!

去年、カナダで500km以上、帰国して東京~岐阜~富山~新潟~山形~仙台~東京と超距離を運転する機会がありました。
そんな時も家族で運転するのは僕一人なので、
本当に気を付けて、何度も仮眠を取って運転しました。

車は簡単に人を殺せます。
とても危ないものです。

そのことを常に気を付けて暮らしていきたいと思います。

毎度毎度、ハッとさせられる機会を設けて頂いて、
交通安全協会の皆さん、小笠原警察署の方にはほんとうに感謝です。
ありがとうございました!

Youtubeに飲酒運転の悲惨さを描いた映像を見つけました。
この機会にどうぞ↓
~受刑者の手記を元にした再現ドラマ「命の重さ・大切さ」~


もう、誰もあなたを信じない~すべてを失う飲酒運転の代償

「カッコいい大人」と「カッコいい子供」

2018年12月21日 | 大切にしていること
■先日、とても良いことがありました♪

母島の子供たちの通学路の真上、大きなモモタマナの木があります。
そこに大きな枯れ枝がぶら下がっているのを、住民が発見し僕に教えてくれました。

高さは10mちょいの位置。

これが落ちてきたら本当に危ない。

でも僕には取れる気がしない。

誰に相談しようかな~役場かな~と考えて車を運転していたら、
高所作業者に乗り込もうとするNTTの人を発見!!

急いで、
「あの子供たちの通学路の高い位置に危ない枯れ枝がぶら下がっているのです。
 僕では取れないので、この車を使って取ってもらえませんか?」

すると、NTTの方が
「今から案内して。危ないなら取らないと!」
と快く作業を受けてくれました。

丁度子供たちが下校している時間。
子供たちも遠くから見守る中、枝の撤去作業が始まりました。

僕は交通整理と周囲の安全確認位しかできません。


バケットのブームが延びるのが10m。
触れば折れてしまい、なかなか作業は困難を極めましたが、
素晴らしい技術で無事に枯れ枝を撤去することができました。

僕がお礼を伝えていたら、
遠くから見守っていた小学生が大きな声で、
「ありがとうございました!!!」
と自主的に言ってくれました。
僕は子供たちにお礼を促していません。

それに作業員さんも笑顔で応えていて、
なんだかとても、いいなと感激していました♪

子供たちの安全の為に快く作業をしてくれた大人と、
自分たちの道を安全にしてくれたことが分かり、自分から大きな声でお礼を伝える子供、
なんだか、どちらもとってもカッコいい♡

そんなほっこりしたお話でした♪

取ってもらった枝は枯れていたけど、大きく、とても重いものでした。
これが誰かの上に落ちなくて本当に良かったと思います。

作業してくれたNTTの方、
自分からお礼を言った子供達、
この枝を発見して教えてくれた島の大人、
みんなみんな有難うございました!!
 

バカな男の存在意義

2018年09月06日 | 大切にしていること
■「男ってバカだよね~」
よく聞く言葉です(笑)。

僕はバカというのは最高の褒め言葉と思っています。
何振り構わず、
自分のやりたいことをやる。
結果、それが周りから見てバカに見える。
最高じゃないですか(笑)。

先日、野生動物と色々と仕事で関わり、
その後、妻と話してスッと納得できた、
バカな男の存在意義。

非常に面白い気付きでした♪

※これはあくまで男性性、女性性という話で、内面的に性別逆は全然あり得ます☆


■あるとき、コウモリが農業ハウスの防鳥用ネットに絡まってしまい、救助する機会がありました。
調べてみると全部オスでした。

ずっとその対応してきている先輩に聞きます。
「こういう風になるのってオスばかりなんですね?メスがなることはないんですか?」
率直な疑問です。
「うん。この時期にネットに絡むのはオスばかりだね。
メスはお腹に子供を身籠っている時期で、あまり無茶な冒険は絶対にしない。
手堅く、慎重にメスは生きてるかな。
男はね~やっぱバカなんだよ~(笑)」

その時はへぇ~と思って関心していました。

そうだなぁ、
先日獣医さんもオスの猫の皮の厚さについて語ってくれた。

繁殖期のオスネコの皮の方さは半端なく、
注射針が刺さらないこともあるくらいだとか。
オスは互いに戦い、ひっかき、噛みあう。

どうしてなんだろう?
どうしてオスはそこまでしてメスと違うのだろうか?

これは野生動物ばかりの話ではない。
人間だって男はやっぱり女よりロマンで生きるし、
冒険や無茶も沢山する。
若い頃なんてそれが顕著だ(笑)。

子どもを観ていても、
男の子は女の子より直線的で、
冒険に溢れていて、後先を考えない傾向が強い気がする。

なぜなんだろう?
そんな話を家でしたいたら、妻が明確に答えを出してきました(笑)。


■「男のバカは必要なのよ!!」
はい?←最初はびっくり(笑)。

コウモリの雌の慎重な話をしたら、
何か急に納得できたらしい。

慎重に手堅く生きるメス。
それは次の命を身籠り、
それを絶やさないための大事な立ち位置。

一方、オスは色んな事に手を出すし、
思いもよらないことを突発的に行動する。

でも、それはとても必要な事で、
色んな環境の変化で生き残る大事な術だと思ったそうだ。

確かに手堅く生きる集団だけでは、
打開できない場面は生きてく中であるだろう。

逆に冒険ばかりしていても、様々な危険が伴うのだから、
生き残るのは難しくなっていくだろう。

両方が必要なんだ、と。

「だから、男のバカは必要なのよ!」

なんだか男のバカを肯定することができて、嬉しかった♡
そ~かぁ、バカで良かったんだ♪


■元々は狩猟民族の時代、
女は家と暮らしを守り、
男は狩りと戦いに行く。

その習性からか、
女は同時に色々できるし、グループ化する傾向が強いように思います。
心の影響がが体に出やすいし、方向音痴も多い。
精神的に成長するのは圧倒的に男より早いですし、
繁殖する期間が男より限られているから、より現実的になる。

男は地図に強いし、多少の無茶ができるように身体は頑丈で鈍くできている。
男が体に影響が出るのはずっと深刻な状態になってからが多い気がします。
精神的にはいつまでもロマンを追い求めて、子供のまま(笑)。
繁殖できる期間が女より長いために、いつまでも現実的になれず永遠のロマンチスト(笑)。

そしてやっぱり「強さ」という意味では、
完全に女性に軍配でしょう(笑)。

力や行動では男は強いですが、
精神、痛みに関しては女は最強です♪

■野生動物の対応からオスの素晴らしきバカについて、
メスの素晴らしき堅実な生き方について学ばされました。

いや~やっぱバカは必要なんですね♪

よかった、よかった♡

そして、だからこそ違う特性の者同士が、
惹かれ合うのですね(*^_^*)

男性の皆さん、男はバカでいいんです(笑)!
女性の皆さん、男のバカを時々は認めてあげて下さい♪(←時々出ないと男はバカなのでやりすぎますw)

ばかバンザイ!





結婚して15年。有難い日常☆

2018年06月20日 | 大切にしていること
■今年の6月で結婚して15回目の結婚記念日を迎えました。
二人の子宝にも恵まれて、
こうして無事に15年も過ごせてこれたことに感謝の気持ちでいっぱいです♪

もちろん、赤の他人と暮らすわけですから、
そりゃもう山あり、谷あり、吊り橋ありの日々ですが(笑)、
この家族に出逢っていなければ、
どんな人生だったのか想像がつかないほど、
共に充実した日々を過ごしてきていると思います。

至らないことばかりの僕ですが、
いつもいつも本当にありがとう♪

そんな節目の事を思っていたら、
当たり前のこの母島での家族との暮らしの日常が
とても有難いものであると感じます。


ここは母島の道路の一番北部にの終点にある「北港」。

戦前は大きな集落があり、栄えたこの地も今は誰も住んでいません。
しかし、この静かな海の中は竜宮城のように美しく、
我が家にとって大のお気に入りの海なのです♪


素晴らしく発達したサンゴに沢山の魚たち…


小3の次女もだいぶ潜れるようになってきました!


中3の長女は海はすっかりお手の物☆
次女と遊んでくれつつ、
見事に美しい潜りを魅せてくれました♪


■先日は返還祭の駅伝大会があり、
荒天で沖ノ鳥島に行けなかった悔しさを「行きたかった!沖ノ鳥島チーム」を結成して臨みました(笑)。


留年しなければ(笑)、母島生活が今年最後の長女。
中学になってろくに練習もしなくなった長女ですが、
最後に信じられないダッシュをして(笑)、見事自己ベストを更新しました!

次女は毎日練習し、去年のタイムを30秒も縮める頑張りを見せてくれました♪
駅伝の後はもちろんみんなで海に飛び込んで、浮島で遊びまくるのが母島流です(#^.^#)

長女はあと10か月もすれば、この母島から巣立たなくてはいけません。
そんな時に、この当たり前の日常をどう感じるのでしょう?

■毎年恒例の母島フェスティバルでは太鼓や南洋踊り、農作物の販売などがありますが、
僕にとっての目玉はこれです!!

「アオウミガメの煮込み」
これ、小笠原の伝統食で戦前から貴重なたんぱく質として重宝されたもの。

僕はこのカメ煮が島で一番好きな食べ物です♪
爬虫類がこんなに美味しいとは夢にも思いませんでした♡


■畑の方もローゼルがしっかりと大きく育ってきています!

こちらは母島ローゼル。
もう50cmを超えています。
今季の収穫はこれからの台風にかかっています。
どうなることやら!?


去年から栽培を始めた、葉を使うローゼル「ルビーローゼル」。
これだけは1年で枯れず、春から新しい葉を茂らせている唯一の多年草ローゼルです。


去年大豊作だったオクラは今年は不調で、
代わりにモロヘイヤはぐんぐん育っていて、食卓に上がるようになってきました♪
栄養価がとにかく高くて、夏バテにはこれが一番です♡


■しかし、畑の周囲で新たな外来種が見つかり、少し問題になっています。
アジアベッコウマイマイです。

2年前に近くの圃場で発見され、駆除されていましたが、今年はすごくよく見かけます。
繁殖力がとても強く、固有のマイマイとの競合や農業被害が心配されています。
恐らく沖縄からの苗木などに混入してきたのだと思います。

自分たちの分布を拡げるために、
人間の暮らしを利用するとは、さすがです!!

外来種が良く騒がれていますが、島にとって一番影響の大きな外来種は、
間違いなく私たち人間だと思います。

その人間がいつも偉そうに他の外来種を駆除するだ、固有種は大事だというのにいつも違和感があります。
でも、今その対策をしなければ、
その種がこの世から確実にいなくなってしまうというのは分かります。

私たちは「これが絶対に正解だ!」と断言できなくても、
「こうするのがベストではないだろうか」と悩みながら、
動いていくしかないのだと思います。

でも大切にしたいのは、
この自然に対しての畏怖の念です。

いつも私たちはこの自然にお邪魔させてもらっているという気持ちを忘れないようにしたいと思います。



■初めて妻と結婚した15年前、
こんな考えですら知らなかった22歳の自分。

それから一緒に過ごし、
様々な場面で色んなことを学んできています♪

そして、これからも過ごしながらいっぱい学んでいくでしょう。
その傍らで、小さな幸せを感じながら、
ゆったりと共に過ごしていければと思います。

どちらが先に死んでしまうか分からないけど(笑)、
これからもどうぞよろしくお願いします

島の子供たちに伝える機会

2018年06月01日 | 大切にしていること
■私達が住む小笠原諸島。
この地域も多くの人の活動で支えられています。

島に住んで16年。
有償、無償を問わず、日々様々な仕事をしています。
そんな中、年に数回、母島の学校で子供たちに色んな事を伝える機会に恵まれてきました。

それは島の自然保護の仕事、消防団に関わる授業です。


元々、人にものを教えるのは得意ではないし、
教えれるほどのスキルを持っているとは思えないですが、
これからの世界を羽ばたいていく子供たちに伝えたいことは、
いっぱいあります。

最近、よく思うのは、
将来何になりたい、どんな仕事に就きたい、
いわゆる現代的な「夢」を持ってほしいわけではないのです。

やりたい事なんて、多感な感性の時期はどんどん変わると思います。
頭が固くなって、既存の価値観や先入観でしか物事を判断できない大人とは違い、
子供たちはとても柔軟で逞しいと思います。

自分なりの価値観を持って、
今、その瞬間興味があることに対して全力をつぎ込んでほしいと思っています。

「何になりたいか」ではなく、
「どう生きたいか」を見据えて生きていって欲しいと伝えていきたいと思っています。

授業以外でも子供会やKWNビデオコンテスト参加などでも、
色んな場面で島の子供たちと密に関わる機会があります。
それが僕にはとても有難いのです。


■自然保護の仕事では普段行っている、野ネコの捕獲と母島の海鳥の調査の仕事です。
この仕事について詳しくは「小笠原ネコプロジェクト」というHPがあるのでそちらを参考にしてください。

10年以上も続けて、近年は海鳥たちが少しずつ戻って来ていて、
嬉しい成果があらわれて来ています。

この取り組みを母島の小学生高学年に伝える機会。
座学をする日、校外学習として現地に行く日とあります。

色んな事に気を付けながらも、
子供たちには「外来種=悪」ではないと伝えています。
まずは命の大切さ素晴らしさを子供たちには知ってほしいと思います。

大人たちは今も悩みながら、活動しています。
今、絶対に正しいと言い切れないけど、
今、動かなければ、この目の前の希少な自然は確実に消失してしまう。
だから、頑張って、信じて活動しているのです。

でも、よく大人は間違いを犯します。
良かれと思っていたことが、その後裏目に出てしまう事は沢山あります。

でも、それを恐れずに今信じていることを頑張っている。と知ってほしいのです。

そして子供たちが当たり前に暮らしている、
この大自然に囲まれた母島の環境の素晴らしさ。
それに気付くのはきっと島を出てからなのでしょうが、
そのアカデミックな側面を超えた大自然の素晴らしさも伝えていきたいです♪

まだまだ伝えたいことは沢山あるけれど、
その時一番子供たちに伝えたいことを、
知ってほしいことを伝えているつもりです。

そして僕は、子供たちに多くの気付きを頂き、
沢山、学ばせてもらっています。

本当に子供の感性というものは凄いの一言に尽きます!


■また消防団として、学校や職場、保育園など色んな啓発や避難訓練など活動をしています。
先日は教員と中学生に救命講習を行う手伝いをしてきました。

看護師さんが主に講義を進めて、消防団員がその補助を務めます。

団員も上級救命講習の資格を持っており、
いざというときの為にAEDの使い方、心肺蘇生法を学んでいます。

多くの子供たちと関わる先生はもちろん、
これから島を離れて外の世界で活躍する中学生たちにも講義を受けてもらいました。

一番伝えたいことは、
いざ人が倒れている土壇場で後悔しない様に、
しっかりと自分に何ができるか考え、行動する人になってもらいたいという事です。
その為に救命のファーストエイド技術を伝えるわけです。
「ああ!もっとちゃんと学んでいれば、あの命が救えたのに!」と後悔しない為に!

子供たちの素直な姿勢に、
これもいっぱい教える側の私達も学ばされています♪
先生方も一生懸命講義を受けてくれていて、
本当に関わって良かったと思いました。


■他に消防団として小学生に授業を頼まれることがあります。
内地では当たり前の消防署がない地域。
そこでの消防団。
生業を別に持っている島の有志が集まって組織しています。

火災対応はもちろん、
台風警戒や、山岳救助、
日々機器の点検や訓練をしています。

島のみなさんの生命財産を守るために、日々活動しています!!

僕自身は十代の頃に海難で救助された経験があり、
その後、自分が救助していく側になることが恩返しと思って活動しています。

ここでも、もっと知っておけば救えたのに!と後悔しない為に、
訓練はもちろん、色んな事にアンテナを張っています。



■先日、またショッキングなことがありました。
それは今シーズンのウミガメの産卵が始まったばかりの母島の前浜。
上の写真のキャタピラみたいな跡がウミガメが産卵のために歩いた跡です。

学校が休みの早朝、母島の前浜で次女が何やら集めています。

よく見ると、それはたばこの吸い殻でした。

次女はこの安易に捨てられたゴミが自然に野生動物に悪影響を与えていることを知っています。
無責任なオトナの不始末を、子どもがしていることに、
同じオトナとしてとても胸が苦しい思いがします。

島の子供たちが将来大きくなって、
どこかにこうしてゴミを無責任に捨てる様になるのでしょうか?

自分の選んだ行動がどう世界に影響していくのか?
どうチョイスして生きていくのか?

これからの世界を生きる子供たちには、
大人の言うセオリー通りに生きるのではなく、
自分の感覚でシビアに見極めて、
どう生きたいのかをしっかりと感じとって行ける様に、
色んなエッセンスを伝えていければと思います。