小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

沖縄と米軍基地問題(沖縄本島滞在記③)

2017年02月20日 | 戦争と貧困
■今回の沖縄本島に行った目的の一つは米軍基地問題を
この目で見て、聞いて、感じることでした。

今回はメディアでもよく見にする辺野古と高江にフォーカスしました。
自分が住む小笠原も沖縄と同じくアメリカ統治時代がありました。
小笠原は沖縄と違い、徴兵された島民以外は皆内地に強制疎開されているので、
日本人が住んでいない長い期間があり、
文化も伝統もほとんど失ってしまった経緯があります。
今も激戦の地、硫黄島には一般住民は帰れず、
小笠原も沖縄も戦後が終わっていないと言えると思います。

※これは伊江島の山山民具資料館の外にある砲弾です。

■僕自身、沖縄は2000年、2006年と3回目。
2000年の時は僕自身がまだ10代で、新しい世界を見るだけで精一杯でしたが、
2006年は当時2歳半の長女を連れて家族で日本を回っている時でした。
その時は高江のヘリパットの問題は浮上していました。
同様に信州・大鹿村をぶち抜くリニアモーターカーの話も耳にしました(どちらも今は進んでます)。

その時、感じたのはこんなに反対している人がいるのに、
突き進める行政の理不尽さを感じていました。
しかし、今回は同様な気持ちも感じたのですが、
色々な側面から見て、聞いて、感じることが出来ました。

※伊江島の洞(ガマ)から出てきた遺骨。

■まずはじめに辺野古に行きました。
友人も知人も多くの自然を大切にする友人が反対運動に関わっています。

僕自身も基本的にはこれ以上今ある自然を破壊して、
基地を増やすのは反対だと思っていますが、
その土地に住んでいない僕が大きな声で言えないと考えています。

レンタカーでまず辺野古の集落に止めれる場所を探しました。
そこに年輩の方が現れて、声をかけられました。
「なにしにきたんだ?」
と聞かれたので、辺野古のゲート前の現状を見に来たと言ったら、
「あんなところに行くんじゃない!ここら辺じゃ反対している人は3人しかいない。
みんな賛成しているのに、外からきた奴らが反対運動している。とても迷惑だ」
と言っていました。
そこで僕は賛成反対をしに来たのではなく、
現状を見て学ぶために来たと話したら、
「そんならぜひ行ってこい!車も停めて良いぞ!」
と言ってもらえ、色々話を聞かせてくれました。
つまりは今の暮らしは米軍基地があるお陰で生きていけるから辺野古にとって必要ということでした。


■その後、基地ゲート前に行きました。
沢山の車が米軍基地に入り、出て行きます。
そのゲートを過ぎると、辺野古基地拡大のための工事作業入り口になります。

そこには多くのテントが並び、
これまでの経緯や記録、
機動隊や海保との衝突の写真が飾られていました。

その場書を過ぎると多くの人が座り込みをしているゲート前になりました。
その後ろには機動隊の人がずらっと並んでいました。

暴力や過激な方法でなく、
平和な行動として座り込みで反対する人々。
話を聞くと沖縄の人も多くいましたし、
僕が行ったは東京から来ている人達も沢山いました。

噂では反対運動をするとお金がもらえる、
座り込みをしている人は県外の人ばかり、
と聞いていましたが、
現実はそんなお金をもらえるならどこから?と思えるほど、
質素なものでしたし、
県外の人は土日は増えますが、
やはり沖縄の人が多く来ているようでした。

話を聞くと、もう3年も続けているが、
本当に疲れてくるが、政府には頭に来る。
日本の多くの人がこうして自腹を切って現場に来てくれるのはとても嬉しい、
お陰でまだやれる元気をもらえるということでした。

しかし、残念なことに反対運動しに来る人の中には
過激な思考をもつ人が時々来るのも事実で、
ネットで凄い嘘をかかれて、それが報道されて多くの人
が嘘の情報を鵜呑みにしてしまったことがあったそうです。

僕はこうして日当を頂いて、どういう本心かは分かりませんが、
警備や監視、作業にあたる人がいる中、
自分の仕事も休んで、3年も座り込みを続ける人達が心底、凄いと思ったのです。

全身に想いがつまったAKOちゃんがぜひ!
というので座り込みの前でマイクで発言することに。
僕は賛成反対ではなく、
もっとシンプルで
自然をこれ以上破壊しない方法を考えて欲しいこと、
自分たちの子供の未来に二度と戦争が起こらないようにしたい、
そういう意味でこの座り込みを応援していると話しました。

■今回行った伊江島では「命どぅ宝資料館」という戦争の悲惨な歴史、
戦後に政府やアメリカと血の滲む活動の歴史を展示している資料館があります。

生々しい戦場の遺品、
集団自決して生き残った手記、
壕の中で泣くわが子の首を絞めて、
その後抜け殻になってしまう母親。

一般住民は何も悪くないのに、
戦争はそんな市民を巻き込むことを忘れてはならないと強く思い知らされました。

国のために人は命を懸けて戦ったのに、
国は沖縄のために理不尽なことばかりをする、
そんなウチナーンチュの想いがグッと肩にのしかかります。

■東村高江のヘリパットは住民の反対の座り込みを無視し、
新たに2つ作られました。

政府の駆け引きや情勢は関係なく、
東村の人達は静かな平和な暮らしを望んでいました。
多くの人は昼夜けたたましい爆音で上空を戦闘機や輸送機が飛ぶのを望んでいませんでした。

ベトナム戦争時、この沖縄北部訓練場でジャングル訓練を行い、
沖縄の基地から直接戦争に、人殺しに行っていたそうです。
まともな感覚では戦争はできないので、
そんな銃を持った訓練中の兵隊と住民が畑や山のやぶから現れて恐ろしかったそうです。
同じことをするなら、
もっと一般人のいないところですればいいのに。
純粋にそう思いました。


■小笠原を含め、東京の人は中国と沖縄が仲がいいのが許せない印象を感じることがあります。
しかし、沖縄は琉球王朝の時代から中国との交流は深いのです。
マイクでも話したのですが、
僕は中国人も日本人もアメリカ人も大好きです。
でも中国政府、日本政府、アメリカ政府は好きではありません。

小笠原も中国の密漁船が来て珊瑚を取り、
住んでいた私たちが怖かったことも記憶に新しいのですが、
やはりそれで中国のすべてを否定する気にはなりません。
チベットの問題も納得はいかないのですが、
やはりみんな平和に暮らせることを強く望みます。

そのためにはインドネシア政府からの虐殺を耐えて、
27年間ずっと愛を持って自分の家族を殺した相手を許していって、
そしてついに独立を勝ち取った東ティモールの国民のような姿勢が大事な気がしてなりません。

侵略、防衛、武力保持、なのではない、
新しい国の在り方を模索する時期にきていると感じます。


■原発もこの米軍の基地の問題も、
結局、問題はお金なんだと思いました。
人はずっと利権や資源、お金でずっと争っている。
そんなことのせいで家族内でいがみ合い、
集落でいがみ合い、
国内でいがみ合い、
世界でいがみ合う。
なんてくだらなくて、
なんて悲しいんだろうと思いました。

これを根本的に解決するには、
ひとりひとりが気付いて行動して、
お互いが自分も相手も大事にする心の時代にシフトするしかないと思いました。

★沖縄本島旅行記2017 記事アーカイブ

沖縄本島への旅路(沖縄本島滞在記①)

馬と暮らすという事~伊江島 (沖縄旅行記②)

沖縄と米軍基地問題(沖縄本島滞在記③)

やんばるの自然~ヤンバルクイナという存在(沖縄本島滞在記④)

やんばるの百姓たち~自然農とパーマカルチャー(沖縄本島滞在記⑤)





馬と暮らすという事~伊江島 (沖縄旅行記②)

2017年02月15日 | 旅行記
■沖縄に馬と畑を見に行った伊江島。
人口4000人。
平らでとても美しい素敵な島でした♪


伊江島で飼育されていた与那国馬、
思っていたよりも大きく、スレンダー☆

制限体重は60kgくらいだそうです☆

いつか母島で飼いたいと夢見ているのです。
馬は道路交通法上は「軽車両」。
車検も保険も草さえあれば燃料代も要りません。
しかも車では得られない心の交流や、
生き物を飼うことで得られるメリットの数々!

毎日のお世話はもちろん大変ですが、
それ以上にメリットは多い気がします☆

伊江島にとって乗馬も観光の大事な要素になっているようです☆
綺麗な海を馬と進むのは心地いいだろうなぁ~

今回は馬の長距離輸送の
現実的なお話も聞くことが出来ました♪

前川さん、いっちゃんどうもありがとうございます!!


■伊江島は美ら海水族館のある本部港から船で30分。
はは丸とは比べものにならないほどの立派なカーフェリーが一日4往復もしてくれます。


大きなトレーラーもガンガンそのまま乗り込んできます!

これはちょっと母島ではあり得ない感じでした。
運賃は往復で1300円。
伊江島に米軍基地があるお陰で、
こうした部分で恩恵を頂いているそうです。
島の人は基地の地主さん以外は基地賛成の印象でした。


そしてまず目に付くのは島の中央にそびえ立つ城山(グスクヤマ)です。

麓からは15分くらいで山頂に登れます。
山頂は島の景色を360℃展望することが出来ます!

集落のある南側に比べその他は広大に農地が広がっています。

目に付く作物は限られていました。

まずは葉たばこ。

これは丁度定植の時期でした。

伊江島の至る所に葉たばこ定植に使う機械が置かれていました。

これにおじいとおばあが乗って、
どんどん定植していきます。

若い農業者に逢うことはほとんどありませんでした。


あとは伊江島で有名な小麦。

穂が立っているのもありました!

定食屋では沖縄そばとは違う、
伊江島の小麦を使用した麦そばがメニューにありました♪


他には島らっきょです。

比較的砂地に近い伊江島は深く植えて、
白い部分が多く、太くて立派ならっきょを作れる土壌が特徴のようです。


他には菊の花の栽培が盛んでした。

島の8月の戦没者追悼式典に使うアレです☆
こういう風に栽培されているんだなぁと感触深いものがありました。


ざわわざわわで有名なサトウキビ畑も沢山!

束になって置かれています。

あとは数年ぶりにサトウキビの製糖が再会されたそうで、
24時間稼働でガンガン収穫→搬入→運搬が行われていました。

凄い大規模な施設です。

サトウキビの収穫は本当に重く重労働で、
最近の若い人があまりやりたがらないのが問題なのだそうです。

やんばるではとにかく過疎化が問題なようです。
Iターンで来た人も地域に打ち解ける前に
自分たちの主張をし過ぎてしまい、
軋轢を生んでいる話を沢山耳にしました。

他にはこじんまりと細かな野菜がありました。

豊かですね~


気になる伊江島産のローゼルを使用したアイスや

ハイビスカスティーも売っていました。

どれも淡いピンクで個人的にはローゼルの味気は薄めに感じました。
我が家のは真紅ですからね(笑)☆

■伊江島は川が一切ありません。
なので島民は水をどうしているのかというと、
飲み水は井戸水と沖縄本島から水道管を引いて水を頂いているそうです!
農業用水は地下ダムを築き、
地下水を貯めて汲み上げ、
島内各所に貯水池がありました。

今小笠原も深刻な水不足に陥っていますが、
離島というのは水にいつも悩まされるのです☆

■あとは母島も今頃咲いている頃でしょうが、
沖縄の至る所でカンヒザクラが美しい花を見せてくれました♪

大きな木も沢山あって、うらやましくなってしまいます☆

そんなこんなで伊江島を一周自転車で回りながら、
美しい洞窟も発見!

ここはニャティヤ洞(ガマ)と言って、
持ち上げると子宝に恵まれるというビジル石と言うのがありました。

戦時中は防空壕として利用されて、
多くの命を戦火から守ったと言うことで「千人ガマ」とも呼ばれたそうです。
確かにとても大きなガマでした。

後に記事に書きますが、
戦争の悲惨な歴史を語る部分も多く、
沢山の思いを学ぶことが出来ました。

■伊江島を2泊3日過ごして素直に思ったことは、
美しく綺麗なこの島を戦争が大きく変えてしまったということを随所に感じることが出来ました。

それは戦時中の悲惨な殺戮、
戦後の占領だけではありません。
どこか大切な何かを諦めてしまったような、
妙な寂しい雰囲気…

米軍基地があるからが為に、
地域に落とされる補助が莫大で、
島の人がそれに慣れてしまっていることも、
島の自立を妨げる大きな要素になっていると感じました。

小笠原もそうですが、
補助が地域を支えていることは有り難いし、
事実その恩恵を受けていますが、
その為に失ってしまった心が確実に存在することを
これから生きる私たちは強く意識しなければいけないと思います。

そんなおもいを再発見させてくれたのも、
やはり大事なギフトでした♪

その③へ続く



★沖縄本島旅行記2017 記事アーカイブ

沖縄本島への旅路(沖縄本島滞在記①)

馬と暮らすという事~伊江島 (沖縄旅行記②)

沖縄と米軍基地問題(沖縄本島滞在記③)

やんばるの自然~ヤンバルクイナという存在(沖縄本島滞在記④)

やんばるの百姓たち~自然農とパーマカルチャー(沖縄本島滞在記⑤)


楽しい自家製味噌造りで発見!~木の記憶

2017年02月13日 | 母島 日常 日記
■僕が旅に出る直前の話になりますが、
我が家恒例の味噌造りをやりました。

前回、今回とかまどで豆を煮てみて心底ガスではない「熱量の深さ」というものに心底感心しました。
というのは、今までは前日から豆を水に浸して、ガスの火で似ていたのです。
が、去年からかまどが手に入り、同じように煮てみてあまりの違いに愕然としたのです!

圧力釜を使わない我が家にとって、
結構時間もガスも使う豆を煮る作業。

同じ火を通す作業をかまどでやってみると、
ガスみたいにグツグツ沸騰していなくてもなんだか見事に火が通っているのです!
これはガスで沸かしたお風呂はすぐ冷めるのに、
薪で沸かしたお風呂は温泉みたくずっと温かいのと似ているのかもしれません。

個人的には遠赤外線だからもあるのでしょうが、
木を燃やすときに、その木が育った年月のエネルギーを伝えてくれている、そんな気がしたのです。
化石燃料も途方もない長い年月を使ってできた生き物の成れの果てだから、
同じでは?と自分でも思うのですが、それはダイレクトではなく、
精製されたりガスコンロから出てくる段階でそのいのちが弱くなっている気がします(ただの当てつけかもしれませんがw)。




■まずは豆を煮て
水気を十分に切ってから米袋に入れて口を閉じ、
家族総出で足で踏んで豆をつぶします。
ミンチ器にかける方法もありますが、
足でやる方が断然楽しく、楽に思えます。

この作業でかまどによる豆の柔らかさが実感できました。
とても柔らかくてらくちん♪

同時に妻は塩と米麹を混ぜて塩麹を作ります。


つぶした後は米麹と混ぜて団子を作ります。

次女が結構好きな作業です☆


団子が出来たら味噌を寝かす器に思いっ切りぶつけます!!
何かの恨みがあるのかと思うほど、みんなすごい勢いでぶつけます(笑)!

これがかなりエキサイティングで楽しい♪
お陰で、団子の中も器の中も空気がなくなり、
しっかり寝かせる状況に仕上がります☆

この作業を繰り返し、約10kgの味噌が出来上がりました♪


しっかりと手のひらで押して中の空気を出します。


最後に前回作った味噌を上一面に敷き詰めます。
本来はカビ防止のために塩を敷き詰めるのですが、
それだとしょっぱくなりすぎてしまうところ、
父島の知人がこのアイディアを教えてくれました♪


最後にラップで蓋をして出来上がり!
ひと夏を越せばもう美味しい手前味噌の出来上がりです☆

■そんな味噌造り、このほとんどの段取りを仕切るのがうちの奥さんです♪
そもそも自分たちが味噌を作って育ってきた訳ではないのですが、
こうして調味料を自分たちで、
子供たちと当たり前に毎年作って食べれることが
本当に有り難いことだなぁと思います。

出来る限り丁寧に暮らしたいと思うので、
季節の行事や食事、こうした味噌造りを仕切ってくれる奥さんに感謝です♪
どうもありがとう~☆

なんて旅先でしみじみと思うのでした。

沖縄本島への旅路(沖縄本島滞在記①)

2017年02月10日 | 旅行記
■今、なんと成田空港にいます。
これから昼の便で沖縄に向かいます。

結婚して15年目、初めての一人旅です。

沖縄本島は自分の曾祖父がいた宮城という名字のルーツにもなる場所です。
今回はこんな貴重な時間を頂いたので、
沖縄本島の北部(やんばる)と伊江島に標準を定め、
行くことを決めました。

伊江島では馬のいる暮らし、
同緯度のローゼル栽培や小麦など農産物の学び。

沖縄本島北部は
自然農の実践者、
パーマカルチャー、
ヤンバルクイナ保全の野猫捕獲やマングース対策、
そして沖縄における米軍基地の現状、
を映像やネットの情報ではなく、
自分の足で歩き、
見て、感じてきたいと思います。

こんな一人旅は初めてなので、
今はとてもワクワクしています♪

島で畑や家畜のお世話をしてくれている友人、
仕事で抜けた部分をさせてくれるみんな、
大好きな家族のみんな、
みんなのお陰でこの貴重な体験をさせてもらいます。
本島にどうもありがとう!


■昨日おが丸から降りたら外はミゾレでした(笑)。
やっぱり寒い!!
でも思ったほど辛くない!?

足下は裸足にぎょさんで何とか耐えれるし、
上着はダウンを着るほどじゃない。(一応用意はした)

寒いのが辛くて、仙台から母島に引っ越したはずなのに、
自分でも意外なほど平気でした(笑)。

とても寒い外はほんの短い時間しかいないし、
乗り物や建物内は暖房が効き過ぎていて暑いほど。
できるだけ靴下と靴を履きたくなくて母島に住んでいる身としては、
ぎょさんで歩く方が全然気持ちいいのです♪

もちろん周りにそんな人は皆無で、
道行く人はすごい顔で見てきます(笑)。
お陰で店員さんとは話が盛り上がりました♪

そうこうしているうちに飛行機に乗り込む時間が近づいてきました。
もし飛行機が落ちたらできる限り生還するつもりはありますが、
死んでしまった場合は化けてでるからよろしくねと娘たちには伝えてから家を出ました。

では、行って来ます!!

その②へ続く


★沖縄本島旅行記2017 記事アーカイブ

沖縄本島への旅路(沖縄本島滞在記①)

馬と暮らすという事~伊江島 (沖縄旅行記②)

沖縄と米軍基地問題(沖縄本島滞在記③)

やんばるの自然~ヤンバルクイナという存在(沖縄本島滞在記④)

やんばるの百姓たち~自然農とパーマカルチャー(沖縄本島滞在記⑤)