小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

大時化の母島!! イカとキッチンカーと一期一会

2023年01月25日 | 母島 日常 日記
■青ヶ島や八丈島で雪が降り積り、
九州でも深刻な雪が積もる程の大寒波がやって来ている本日。

母島も寒いです。
でも16℃です。
こういったら本土で寒さに震えている人に怒られますが(笑)、
小笠原の島の人は20℃を切ると「寒い寒い!」と言い始めます(#^.^#)
薄着で裸足にギョサンなんてパターンもあるあるですが、
この環境でダウンジャケットを着てる人もいます。
その場合でも足はギョサンってパターンもあります(笑)。


そんな大寒波が来る少し前、冬にしては風が穏やかで泳げるほどの陽気の日があり、
僕は嬉しくてSUPで沖へ漕いで帰って来たら、
なんと釣り人に釣りたてのアオリイカを頂きました♡
どうもありがとうございます!

もう、その美しさったら、言葉になりません☆

釣ってからは少し時間が経っているのですが、
まだまだ色んな色が変わり続けていて、
透明感、青が美しくも、美味しいアオリイカちゃんなのでした(#^.^#)

1月になって、タコやイカやお魚を有難く頂いています!!

こうした島の日々が本当に愛おしいほど大好きです♪

天気が良くて海のいい日はやっぱりSUPやカヌーですね(#^.^#)
これと出会ってからは1年中海で遊べているので、
もう満足です☆

■さて、話は大寒波に戻ります(^_-)-☆
内地程じゃないにしろ、海は大時化です。
入港日、おがさわら丸は見事50分遅れで父島に着きましたが、
ははじま丸はみんなの予想通り、欠航となりました。

大時化の今日の母島鮫ヶ先展望台の様子です。

あっけにとられてしまうほど、ダイナミックな波とうねりが続いています。
怖いけど美しい。
ずっと見ていられます♡


先日まで、
予定通りの日程をシビアに考えていた、
お墓の仕事の10日間。
そしてお別れのライヴ。

結果、天気に恵まれ、
予定通りに仕事が出来て、
職人さんともカヌーを漕いで、
無事に仕事を全うできましたが、
今日みたいな天気や海だったらそうはいかなかったでしょう。
欠航だと大きく予定が変わってきてしまいます。

そんな時、もちろん想定外にショックを受けて、
ガッカリもします。
でも、そんな時こそギフトと思える気持ちを持っていたいと思っています。

観光の人でも、
仕事の人でも
どこでも誰でも関係なく、
物事が思い通りにならない時、
その現実を楽しめるセンスが年々大事に思えるようになってきました♪

それを僕は
Master of Life(人生の達人)
だと思っています。

丁度、1年前の今頃も、
大時化でははじま丸が欠航で、
想定外に戸惑っている友人がいて、
今日と同じような事を考えていたのを思い出しました。

そして同時に
またまた僕が大好きな写真家、
星野道夫さんの一番おススメのエッセー「旅をする木」の
最後に綴られているお気に入りの「ワスレナグサ」が頭に浮かんできました。

どうかどうか、
この大自然には叶わないと、畏敬の念を抱きつつ、
みんなが健やかに過ごせることを祈ってます☆

【旅をする木 / 星野道夫・著 ~ワスレナグサ~より】
結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。
そして最後に意味をもつのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがいのないその時間である。

頬を撫でる極北の風の感触、夏のツンドラの甘い匂い、白夜の淡い光、見過ごしそうな小さなワスレナグサのたたずまい……
ふと立ち止まり、少し気持ちを込めて、五感の記憶の中にそんな風景を残してゆきたい。
何も生み出すことのない、ただ流れてゆく時を、大切にしたい。
あわただしい、人間の日々の営みと並行して、もうひとつの時間が流れていることを、いつも心のどこかで感じていたい。



先日は母島で幸せな瞬間に立ち会う機会に恵まれ、沢山の花びらを集めました。
その時間、関わったひと時すべてが、
僕にとっても幸せな時間でした☆


■そんな幸せな日「前田さんちのキッチンカー」がグランドオープンしました!
だいたい入港中の11時から13時半、16時から18時の営業だそうです!

飲食店の少ない母島で、
こうした素敵な新しい試み、
とても嬉しいです♪

前田商店開業50周年を記念しての新事業だそうです。
島の作物も使われていて、ワクワクしちゃいます😋

うちで収穫されたローゼルの
ハーブティーもラインナップに並んでいます♥

おがじろうのミルクコーヒーも!

写真は先週のプレオープン時に撮らせてもらいました😊
これから島での楽しみが増えます☆
ありがとうございます!


■9月下旬から3月頃まで母島の鮫ヶ先展望台で夕陽が海に沈むのを見ることが出来ます。
この場所は海に近くて、
高さも絶妙で、
集落から歩いて行けちゃういい距離の展望台。

島民も観光の方も気軽に来れる最高の場所です☆
しかも冬シーズンはザトウクジラの陸上観察にもってこいの場所となります。

1日の終わりに夕陽を見に行く事が多いのですが、そんな時にたまたま出会った人と、
この風景を眺めながら他愛もない話をしたり、
クジラを観たりして一緒に感動するのがとても大好きです♪

この日も夕陽をバックに、
ザトウクジラが跳ねていました。
自然と感謝の気持ちが溢れてきます☆



■こないだの日曜日は
冬にしてはいい海の日で、午前も午後もカヌーとザトウクジラ三昧でした!!
久しぶりにヘトヘトバタンキューするほど遊んでおりました。

今日、島の子供と話していて「大人って遊んでるの?」って素直に聞かれたのですが、
ごめんなさい、僕自身、子供の頃の想像を超える程、
今遊んでいます(#^.^#)

遊ぶと言っても、カヌーやSUPや楽器、トレッキングなどばかりですが☆


でもアウトリガーカヌーは人が揃わないと漕ぎに出れません。
そこはSUPと違う点であり、面白い部分です。

午前も午後もこうして集まって来てくれたご縁と、
その中で出逢う海亀やカツオドリやクジラ達とも
一期一会の瞬間を味合わせてもらっています☆

これって凄いことだと思うのです。

小さな島で出逢い、一緒に漕ぐ。
メンバーに妻がいることもあれば、
父島の人、
島に作業仕事で来てくれる人の場合もあります。

イカをもらうのだって、
キッチンカーでローゼルを使ってもらったりするのだって、
夕陽で出逢うのだって、
欠航で巡る出逢いだって、
すべてが一期一会。

本当に感謝です!
今日も1日どうもありがとうございました♡

そんなカヌー三昧の日、昼の出港では大好きな友人が新天地へと旅立って行きました。
みんなで精一杯の気持ちで見送ります。

寂しいけれど、お互いのこれからに期待してのお別れです!
元気でね!!

戒名彫刻 母島編 これから広がる可能性∞‼

2023年01月17日 | 便利屋 こまわりさん
戒名彫刻 父島編の続き
■信州・松本から海を越えて小笠原諸島へ。
目的はお墓に戒名を彫ること。

何故なら、こんな離島まで墓石彫刻という、
特殊な技術を行うことが出来る人は見当たらず、
20年以上も彫れなくて困っている人が何人もいたから。

戒名彫刻師、彫枡(ほります)の杉本弦洋さんは言いました。
「これからはこういう事をやっていきたいんだよね。
 僻地で本当に困っている人の為に
 自分の技術が助けになるのなら、
 ぜひ行って彫っていきたい!」

小笠原だけでなく、他の離島も視野に入れた、
とても嬉しい一言でした。
僕もそのコーディネートで他の離島の方のサポートが出来ればと思っています(#^.^#)
これからのご縁、可能性の広がりにワクワクしちゃいます(#^.^#)

今回は父島と母島の沢山の方から感謝の言葉を頂き、
僕と弦洋さんはとても嬉しさで満たされていました♡



■さてさて無事、おがさわら丸2航海の工程、すべての戒名彫刻作業を終えることができました。
一言でいうならば、心底ホッとした、になります。
まさかここまでプレッシャーを感じるとは…

雨では一切作業が出来ないデリケートな戒名彫刻。

しかし、滞在日程は決まっており、
もし仕上がらずに延長になった場合は滞在費用も増えてしまうし、
何より母島の場合、延長した場合は宿があるのか、出発時に車を載せる空きがあるのか、
様々な不安要素の塊が見えるので、
何としてでも予定の日程で終えなければというプレッシャーとの戦いでした。

なので、彫る時期も台風の来ないかつ、雨の少ない時期である1月を設定しました。

しか~し、その直前の12月はほとんど雨模様という、
例年だと12月中旬以降はいい天気が多いのに、
なかなか心配な天候でした。

ですが、その心配も杞憂に終わりました☆
年末年始からずっと海も天気も最高のコンディションとなりました!

結果的に1/7父島来島から、1/16母島出発まで、
日中の雨はほとんどありませんでした!
もうこれは奇跡としか言えないほどです☆
※現に16夜から毎晩雨が降っているのです!
本当に天候にも感謝です♪

お陰で様で彫刻作業は順調に進み、
父島は5件 6名分
母島は10件 17名分
計23名分の彫刻を終えることが出来ました♪
本当にありがとうございました!!


全ての仕事を終えて、母島の集落を見渡せる小剣先山を登る弦洋さん


■この15件、23名分という彫刻量は内地の作業であれば
約10日間の工程で全然無理のないボリュームなのだそうですが、
忘れ物が出来ない小笠原という超遠隔離島であること、
船のアクセスが不便であること、
お墓と車の距離(最大250m超)、
車を船に載せるタイミングと工程の調整、
車を載せる予約と、人が乗る予約、
そして宿の確保と、
天候以外にも色々と難しい調整が必要でした。

ここがもう高齢化が著しい墓石彫刻の職人さんを
島に呼ぶことが難しい背景だったと思います。

今回は幸運にもSNSで呼びかけて、
友人が40代という若い弦洋さんを僕に紹介してくれたお陰で、
事前にオンラインビデオ通話やLINEで画像のやり取りなど、
出来る限りの調整を事前にやりまくったお陰で、
最高のスケジュールで成功したのだと思います。

改めて、紹介してくれたNちゃん、本当にありがとう♪


■父島は村営の大根山霊園があるのに対し、
母島は村営の墓地はありません。

大根山霊園は
利用している方から聞く所によると、
30年くらい前に整備されたばかりの新しい墓地で、
永代使用料 400,000円~
年間管理費 3,600円 / 年
だそうです。

母島と違い、今回の彫刻件数が父島の方が少ないのは、
こうした墓地の整備があったからかもしれませんね。

弦洋さんに内地事情を聞くと、
近年はお墓の維持管理も問題になっていて、
「墓じまい」のケースがとても多いそうです。

僕自身も自分のお墓にはあまり興味なく、
海とかそこら辺で自然に還ればと思っていたりします(法律の問題を除く)。



■また、今回墓石の彫刻をする上で、
僕は事前に今墓石に彫られている文字を大きさも書体も、
そのまま写す「拓本」をいう作業を事前に行いました。

これは彫刻する際に、ゴムの型を事前に作って来る為に必要な作業でした。

その時はただ、今ある文字を映して長野に送るという事をしただけだったのですが、
さすが本職です。
いざ弦洋さんが現場に来て、墓誌などを見ると、
そこから色んな意思が見えたりするそうなのです。

すでに彫られている方の年齢や性別から、
人間関係、意思を感じて、ご依頼者に確認をするのです。

例えば、
ただ単に亡くなった順に彫る場合もありますが、
旦那さんと子供が先に亡くなり、間に一行開けてある場合は、
奥様がそこに入る用に空けてあったりするのです。

親より先に亡くなってしまった場合など、
親の分を空けてあったりと、家庭によって様々なのだそうです。

今回、複数人の彫刻依頼の場合などがそのケースがあり、
ただ拓本を取っただけの僕には全く気付かない部分でした。

そう思ってくると、墓誌というのもとても興味深く思えるようになってきました。


人口450人の母島を見渡す小剣先山。
戦前1940年、小笠原の人口は6207人との記録が残っているので、
この今見える沖村の人口ももっと多かったと推測できます。

僕たちが数日作業した沖村墓地は都住の上の森で、
小剣先山からは全然見えませんでした(#^.^#)
大海原ではザトウクジラ達が盛んに動いたり跳ねたりしています。

きっとお墓に名前を彫った方たちも、
この景色を見て過ごしていたのだなぁと思うと、
とても感慨深いです。


■僕の想像を遥かに超えていた戒名彫刻作業。
これまでの様に顔が見える作業は、実は文字の型のゴムを貼る作業だったり、
貼る位置を正確に測っている場面で、実は上の写真の様に、
シートに潜って削る作業をしているので、まったく映えない構図なのでした(#^.^#)

まさに頭隠して尻隠さず状態(^_-)-☆

型を貼った石に対して、
車のコンプレッサーから高圧空気を使って、
カーボンと石の粉みたいな砂を一文字ずつ、1筆ずつ削っていきます。

その際にものすごい粉塵が発生するので、シートでくるんで、
弦洋さんは頭を突っ込んで作業する訳です。
その中で火花が飛び、その明かりで見ながら削っていくそうです。

仕上がりを見ると、見事に加減などが絶妙で、
文字通り職人技というのをヒシヒシと感じました!
本当に凄いです!!

僕は遠い現場の場合は、
車のコンプレッサーが焼け付いたりしないように
連絡を受けてON,OFFをしたり、
足りないもの、食事やモノの運搬を手伝う程度でした。


■僕は一応、母島で介護の仕事を少ししているので、
今回、母島の彫る方のほとんどが顔も性格も知った方達が多かったです。

生前も知っていると、お墓に向き合った時の気持ちがまた深くなります。

でも、それ以上に無事に彫り終えた報告を、
ご依頼の方に連絡した時のホッとした顔が忘れられません。

「ずっとね、何年も名前を彫ってあげれてなくて、
 ずっと気持ちがソワソワしてたの。
 ようやく、何かホッとしたわ。
 どうもありがとう」

と言ってもらったり、
「いつか無縁仏になっちゃうんだよねと思いつつ、
 お墓は今いる私達の心の供養だから、
 こうやってお墓に戒名刻んでもらうことで
 やっとまた一つ、私達の心の供養ができたんだよねって、
 朝から母とありがたがってたよ。
 生前もなくなったあとも
 寄り添ってくれるジャイアンに感謝」

と言ってもらって、すごく嬉しかったです。

こんな時代なので、現場からLINEで内地に写真を送り、
その返事を現場で読んで弦洋さんにも伝える。

迫りくるリミットを気にしながらも、
こうした気持ちを受け取って、とても幸せな気持ちになりました。

確かに手配や調整、お金のやりくりは楽ではなかったのですが、
そのすべてが報われる瞬間でした♡


■父島も母島もいざ現場に来てみれば、
戒名彫刻だけでなく、お花立ての破損、交換だったり、
彫った文字の白入れなど、
細かな作業があったりしました。

これらは弦洋さんがいなくても、
僕ができるように色々教わりました☆

新規で墓石を設置するオーダーも頂き、
十二分に充実したお墓の仕事となりました。
これも便利屋さんの仕事なのです(#^.^#)

彫刻の仕事を終えて、
「やった~!無事に終わった~!」
と墓地に通じるフルーツロード終点での達成感、忘れられません。

まだ細かな作業はありましたが、
雨が降ると絶対的にできない彫刻作業が無事に終わった時の
ホッとした気持ちは、言葉にできないです。

途中雨があって、日程がズレたら、
夜間作業も覚悟していたほどです。

それらが無事に終えた時の空はあまりに青かったのです。


■過去に住んでいたとはいえ、
お邪魔している立場、アウェイの父島と違い、
入港配達など色んな用事が発生する母島。

滞在中に島を引き揚げる友人の為の
ライヴイベントも主催していたり(#^.^#)

そんな中でも無事に仕事を終えれたので、
空いた時間は存分に母島を楽しんでもらいました♪

さすが元バンドマンの弦洋さん。
父島でもジャズフェスというタイミングでしたが、
母島では僕が主催するライヴというタイミング!!

なんか、すべてもっている感がぬぐえない、今回の滞在。
主催の僕は非常にいっぱいいっぱいなのですが、
みんなのお陰で最高のライヴになったと思います☆
それについては後日記事にしますね(#^.^#)


島に来る前からずっと体験させたかった、
アウトリガーカヌーも一緒に漕げました!

海なし県の信州から来ている弦洋さん。
最初から最後まで
ずっとクジラが途切れない、
ホエールボヤージングでした☆


終始海には「怖い!怖い!」ばっかりだったのが、
カヌーでクジラ三昧だったら
いつの間にか怖さは薄れ、
「海は友達♡」と言えるまでになりました(^^♪

漕いでる途中で作業に使っていた彫枡号(ほりますごう)、
松本ナンバー、スタッドレスタイヤの車がははじま丸の上にちょこんと載っているのを
カヌーから見送れたのはとても面白かったです。
※車を出港日のおがさわら丸に載せる場合は、前日のははじま丸に載せないと間に合わないのです。


父島母島の両方のお墓に名前を彫りたくても、
ずっと彫れずに落ち着かなかった皆さんを、
安心させれる偉業を成し遂げてくれた弦洋さんに感謝!

僕にとっても学びと喜びに溢れる日々でした☆
どうもありがとうございました(#^.^#)


■弦洋さん自身にとっても、
この小笠原に来る仕事というのは、
とても大きな意味を持っていたようです。

僕にとってもとても大きな意味がありました。
こうして人と人のご縁が、より深くなりました。
本当に有難い限りです。

とても感謝されているのに、こちらも感謝の気持ちで溢れている。
それって最高の仕事なのなのではないでしょうか?

島の困っている人を支える便利屋さんを始めたのに、
逆にいっぱい元気をもらっています!


そんな素晴らしきご縁を頂いた弦洋さんを見送る日がやって来ました。
もちろんレイを作って渡したのはもちろんですが、
それだけでは僕の気持ちが収まりません。

しかも、自分が主催するほどのお別れライヴの主人公マナイも同じはは丸です。
これはできる限りの事をしなければ、僕は後悔します。

少し風が強く、海が悪かったのですが、
僕はSUP、妻はカヤックで見送りボヤージングを行いました。
その様子を友人が望遠カメラで撮ってくれていました。
どうもありがとう!

写真で見るとかなり近く見えますが、
安全な距離にいますし、
定期船の航行に邪魔にならない様に、
事前に船長さんにも話してあります☆

見ようによっては助けを求めている様にも思えますね(笑)

自分にできる精一杯の行動で以て、感謝の気持ちを表現したつもりです。
もう2年もSUPをやり続けていると、こんな海況でも難なく立てるようになったので、
自分にしかできない見送りだと思っています(#^.^#)

その日の夕焼けは、なんだかとても不思議な竜が飛ぶような雲がある夕陽でした。
ライヴもお墓仕事も無事に終えて、超ホッとした瞬間の景色でした☆

おがさわら丸が着いた竹芝の夜(今!)は、
紹介してくれたNちゃんと弦洋さんが久しぶりの再会を果たし、盛り上がっている頃でしょう。

僕自身にも沢山の気付きと学び、
そしてご縁を頂いた今回の便利屋仕事。
これからの展望にさらにワクワクします。

どうも有難うございました!!

※離島の戒名彫刻で困っていたら、僕宛に連絡ください。
ブログ左欄のメッセージからどうぞ!

戒名彫刻専門・彫枡杉本弦洋








戒名彫刻 父島編 無事に終了!!

2023年01月10日 | 便利屋 こまわりさん
■「本当に来てくれてありがとうございます!
 もう亡くなってから何年も経っていて、
 どうしたらいいか途方にくれていたの。
 これで母も私も安心できる。
 どうもありがとうございます!!」
今回、お墓の名前を掘る仕事があり、
お隣の父島にまでやって来ました。

内地からやって来たお墓の名前を彫る職人さん。
海なし県の信州松本から道具と作業車を持参しての来島です。
彫枡(ほります)の杉本弦洋さんです。

陸続きの本土では問題なくできることが、
超遠隔離島である小笠原では難しいことがあります。

困っている人の為に、
自分にできる事をしたい。
そんな想いで開業した便利屋こまわりさん。

開業してから本当に色んな仕事を引き受けてきましたが、
今回も新しい分野に関わることになりました。

そこで冒頭のような言葉を頂き、
僕も職人さんも嬉しくて嬉しくて、
こうして関わってきて本当に良かったと思えたのです。

今日から母島に移動なのですが、今回はその父島編をまとめてみました。


■ところで、そんな戒名彫刻ってご存じですか?
僕は1年半まではさっぱり知りませんでした。

約2年前、母島で便利屋として一つの相談を受けました。
「お墓に名前を掘りたいんだけど、もう20年以上も彫れてないの。何とかできないかしら?」

お墓に名前を彫ることを戒名彫刻というそうです。
本土から1000km離れている小笠原諸島。
僕が小笠原に移住して約20年、その間に色んなレジェンドが天国へ旅立っています。

しかし、島で墓石に名前を彫れていないという事実は、
全く知りませんでした。
新規でお墓を創る場合は、内地に注文して、
島の業者さんに運んでもらい据えることはできているのですが、
すでに墓石がある場合、そこに名前を彫ることができていなかったのです。

今更ながらにそんな事実を知り、
早速、戒名彫刻できる人を調べてみました。
まあ、タウンページをめくるように見つかるだろうと安易に考えていました。

しかし、さすが小笠原の特殊な立地条件。
想像以上に難航するのです。


■小笠原には父島にも母島にも墓地が複数あります。
父島には村が管理している大根山墓地というのがあります(母島には村管理の墓地はありません)。
まずは村に紹介できる戒名食刻の職人さんはいないか相談してみました。
結果は分からないし、それらは皆持ち主に任せているので、
村は関与していないとの事でした。

それで社会福祉協議会とかにも相談してみました。
しかし、社協もそれは分からず、知っている職人さんも高齢化が進み、
島に来てくれる人を探すのは難しいという事でした。

そこで今度はお墓を持っている方々に聞いてみました。
やはり、島に名前を彫りに来てくれる人を知っている人はおらず、
石にはめ込むプレート型の墓誌にしている方もチラホラいたりしました。
中には自力で彫った方もいましたが、今はもうご存命ではなく、
なかなか厳しい状況でした。

そこでSNSにお墓に名前を彫れる人を紹介してくださいと書き込んでみたら、
母島にいたことがある友人が紹介してくれたのです!!

高齢化が著しいこの業界において、
LINEで画像のやりとり、オンラインでの打ち合わせができる世代の職人さんを
紹介してもらったのです☆
Nちゃん、本当にどうもありがとう!!

戒名彫刻職人の杉本さんを紹介してもらって、電話やビデオ通話でやりとりして、
何とか島で作業する方向で調整がはじまりました。

島まで来てくれる職人さんを見つけたと連絡した時の、
ご依頼人の安堵した顔は忘れられません♪


■そこから杉本さんに色んな小笠原の特殊事情をお伝えし、
宿や機材の運搬、ご依頼人の募集など、
沢山の調整をし始めました。

当初は天気も安定していて、
涼しい1月の実施を前の年の秋位から調整していたのですが、
なんとコロナの問題が発生してしまい、
スムーズに調整していた1月の来島が難しくなってしまいました。

しかし、ピンチはチャンス!
1年の延期をしたおかげで、
当初は母島での作業だけを考えていたのですが、
父島の方も募集し調整する時間的余裕ができたので、
父島も実施する方向で動き出せたのです。

ご相談を受けてから結果、1年以上も実施まで時間がかかってしまい、
沢山の時間をお待たせして申し訳ない気持ちでしたが、
ご依頼人の方が、
「これまで20年以上待ってもできなかったことが、
 こうしてやってもらえるだけでも本当にありがたいのよ」
と言ってくれて、ホッとしたのを覚えています。

そんなこんなで無事に職人さんを島に呼ぶことが出来て、
そのタイミングでなんと父島でジャズフェスが開催されることが分かって、
僕は入港日の前日に父島入りを果たしたのです。


■港で念願の杉本さんと初対面を交わし、
松本ナンバーでスタッドレスタイヤ(笑)の作業車がおがさわら丸から降りたので、
早速扇浦墓地へ直行し、作業を開始しました。

僕も今回初めて知ったのですが、
戒名彫刻はコンプレッサーで高圧の空気を使い、
カーボンの粉を吹き付けて削る作業を行うのです。

ご依頼の戒名に合わせて型をゴムで用意して来てくれていて、
万が一に備えて、島で型を作れる用意までして来てくれたのです。

忘れ物をしたから、ちょっと取りに行く、といくことが難しい小笠原と
この特殊な作業。
なかなかこれまで戒名彫刻がされてこなかったのもよく分かりました。

今回このご縁で職人さんに繋いでもらって、
こうして実施できる事が僕にとっても本当に有難く、嬉しい仕事です(#^.^#)


■扇浦の墓地を終えて、翌日は村の大根山墓地へ作業場を移動します。

戒名彫刻は雨の中では絶対に実施できない、
デリケートな作業だそうで、
とにかくお天気の間にできる限り作業を進めるというもの。

小笠原は週に1度のアクセスの日が決まっているので、
出来る限り余白のある日程を組んだつもりですが、
ずっとお天気の保証もないだけに、
作業終了まで気が抜けないシリアスさが常にあります。

しかし、職人さんが驚くほど、父島の大根山墓地は
お墓とは思えない不思議ないい空間でした♪

1日中お墓で作業してると、
ヨガをしていたり、
楽器練習する人がいたり、
お墓参りに来る人がチラホラいたり、
観光の案内スポットになっていたりするのです。

また、見晴らしがよくて、
和と洋のお墓が入り混じっていて、
なんだか欧米系の住民がいる父島らしい雰囲気の墓地だなぁと
しみじみ思いました☆

お墓で肝試しなんて全く成立しないほど、
気持ちのいい開かれた空間なのです(#^.^#)


■本土で独立開業し、法人化した杉本さんにとっても、
この小笠原での仕事はとても大きな意味合いを持っていたそうです。

ご依頼者さんと対面し、
感謝の言葉を頂きつつも、
こちら側もお陰で小笠原まで来れて、
こうして自分のできる事が人の役に立てているという手応え。

それが職人として、
人としてのアイデンティティーになっている。
僕にとってもそうでした。

ご依頼人、
職人さん、
双方から喜ばれるって、
調整した側の僕にも心底嬉しい事なのです(#^.^#)

もの凄い粉塵と音の中作業をしているその背景が、
小笠原の雄大な大自然と、
人らしく暮らしているみんながいる。

こんな所にも小笠原のポテンシャルの高さが伺えます。


■父島の作業を無事に終えて、
ようやくホッとした私達。

お天気にも恵まれ、とてもスムーズだったので、
杉本さんを島案内することが出来ました♪

僕にとっても以前住んでいた父島を周るのは
感慨深いものでした(#^.^#)

海なし県の長野から来てくれた杉本さん。

何度も何度も小笠原の海の絶景を見ては
「怖い~!!」の連発☆

水産センターでアカバの歯磨きにハマっていたり(笑)


小港海岸の圧倒的なスケールの砂浜に心底感動していたり、


コペペの戦跡で絶景と戦争の悲惨さを感じたりと


短い時間で弾丸ツアーでしたが、
父島の雰囲気は良く伝わったようでした(#^.^#)

■楽しみにしていたジャズフェスも強風でテントや機材が滅茶滅茶になり、
まさかの1日延期という展開のお陰で、
逆にゆっくりライヴを楽しむことが出来ました☆

母島にも何度も来てくれているBimBomBam楽団の皆さん、
元晴さんの最高のステージを楽しむことが出来ました!!

アンコールで楽器レクチャーに参加したみんなで
南洋踊りのウラメをやった時は、
思わず踊りで参加しちゃいました(^^♪


これで今日から母島に移動しての母島作業開始になります。
母島もどうか無事に作業を終えれますように!
戒名彫刻 母島編に続く

※離島の戒名彫刻で困っていたら、僕宛に連絡ください。
ブログ左欄のメッセージからどうぞ!

戒名彫刻専門・彫枡杉本弦洋

謹賀新年2023年

2023年01月01日 | 母島 日常 日記
■新年明けましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いします☆

さっき日付を越えたところなのですが、
なんと僕が母島に来た時に最初にお世話になった(働いた)、
アンナビーチ母島YHが生まれ変わりました。

正確に言うと、ユースホステルを辞めたのです。

アンナビーチ母島YHから
アンナビーチ母島GHへ

GHは
グランドホテルなのか
ゲストハウスなのか
それともジャイアンハウスなのか分かりませんが(笑)、
ひとまずユースホステル協会に加盟して宿をするという形式は卒業し、
独自の宿として生まれ変わったようです。

22年半のユースの時代に終止符を打ったのです。
僕がヘルパーとして働いていたのは2002年の6月~9月の3か月だったと思います。
たった3か月ですが、その影響と言ったら言葉にできないほどです。

そこで今の奥さんになった女性と出会うのですから、
僕の人生にめっちゃ大きな影響を与えています(#^.^#)

その頃仲良くなったお客さんの多くも、未だにお付き合いが続いているのです♪

大晦日でRIZINや元旦の海開き準備で忙しい中、
妻や元ユースのメンバーが少しでもユースのラストに花を添えようと動いてくれていました♡

僕が働いていたころは、毎晩お客さんと飲み交わし、
休日は一緒に山や海に行きまくっていたノリだったのを思うと、
時代は変わったなぁと思うのです。

いずれにせよ、田澤さん本当にお疲れ様でした☆
ありがとうございました!


■さっき月ヶ岡神社にも初詣に行ってきました。
島らしい素朴ないい神社です♪

島に帰って来た高校生たちが、
日付の変わるタイミングでジャンプしようと構えていて、
なんだかいいなぁとしみじみ思ったり(#^.^#)


初詣を終えて、おみくじを引きました。
今年のおみくじは某にとってはちょっと特別でした。

42歳になる今年。
本厄です。

この春にとある新しい分野に挑戦しようかどうか悩んでいて、
この元旦のおみくじに占ってみようと思っていました。

すると…

なななんと、人生初の大吉でした。
もうこれは迷わず挑戦しろって事!?

お陰ですこし肚が据わりました(#^.^#)


■そして、この冬はずっと一緒に働いていたバリ島出身の同僚とのお別れのタイミングでした。
我が家がバリ島に行った時も沢山お世話になったニョマン。
母島を離れるにあたり、妻がおはぎを握ってくれました。

真ん中の赤いおはぎはローゼルの塩漬けを使った島おはぎです(#^.^#)


1月には島を離れてしまう、島の若手とも沢山話す機会がありました☆

人はまた巡り、どんどんご縁が繋がることが分かる今日この頃。

素直に応援したい気持ちでいっぱいです♪
それでもやっぱり別れは寂しいです。



■大晦日はカヌーで漕ぎ納めでした。

親子クジラが沖港を出てすぐにいて、
優しいアプローチでゆっくり眺めることが出来ました☆

母クジラの他にオスのエスコート呼ばれるストーカーまがいの個体もいます(笑)。

そんなみんなでワイワイしながらの大晦日。
さあ今朝は朝から年賀状の配達、海開きだぁ!楽しむぞ~(#^.^#)