小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

JAZZバンドとあさりちゃん

2016年12月29日 | 趣味
■年明けて1月9日(月)、とあるライヴが母島で開かれます。
このライヴ、大事なのはサブタイトルで、
島の音楽界に影響を与えまくった「あさりちゃん」が1月に引き揚げが決まってしまったので、
送別の意を表し、素敵なあさりちゃんに敬意を表し企画しました。

島のあんな人やこんな人が、
素敵な音を奏でてくれる夜になると思いますので、
ぜひお楽しみに♪

あさりちゃんについては、
自身のブログがあるので詳しくはそちらを参照してください。

あさりちゃんは僕からすれば超スーパーバンドマンです!

最初に見たときは、
坊主頭の女の子が、
どえらい派手な模様のアコギを抱えて歩いていて、
えらいロックに見えてカッコ良かったのを覚えています。

彼女は島に来て1年も経たないのですが、
ギターをやっても、
ベースをやっても、
ドラムをやっても、
ピアノをやっても、
ヴォーカルをやっても、
それはそれは何でも見事にこなし、
そのほとんどが即興に対応できる技術と柔軟性の持ち主です♪

いや~ほんとにすごい。
ほぼ同じような年で、
ここまで違うもんなんですね~!
尊敬に値します♪

内地のライヴハウスでお仕事していたので、
その業界のプロからインディーズまで、
現場ならではの面白い隠し話のオンパレードも楽しいです♪

そして気付けば、僕は2つのバンドを一緒にやっていたのです(笑)。
ジャズバンドとロックバンド☆
手伝ってもらっているうちになんだか、毎回一緒に音を出しているという展開♪

もちろん僕のドラムもギターも
普通の中学生程度の技術しか持っていないまま、
なかなか上達してないので、
申し訳ないばかりなのですが、
彼女と組んで音を出すのはいつも刺激的です☆
僕は一生懸命演奏するだけです♪

島を去ってしまうのは本当に寂しいし、
バンドとしてもとっても痛手なのですが、
彼女は間違いなく前を向いて進む先が本土なだけなので、
別に悲しくはないのです。

なので、
残されたこの2週間を目一杯、音を楽しんでやるつもりです。



■そしてJAZZ BAND。
僕は中学でロックンロールに目覚めてからずっと、ロックばかりを聴いていました。
もちろん演歌やクラシック、ポップス、ラテン音楽も好きでした。

でも何故かJAZZだけは、あまり聴かなかったのです。
カッコいいのも難しいのも少し感じてはいました。

亡くなった母親がジャズが好きで
ピアノもドラムもやっていたそうなので(あまり聴いた覚えがない)、
天邪鬼に聴かなかったのだろうかとも推測しています。

結婚した妻も大のジャズ好きで、
演奏もするほどです。

でもいままで、僕にとってJAZZは遠い存在でした。

しかし、今年になってあるきっかけがあり、
春先にJAZZバンドを母島で結成することになりました。
僕はドラム担当に名乗り出ました。
ジャズ知らないのに(笑)。

思ったら行動が早いのが取り柄みたいなものなので(笑)、
どんどんメンバーが集まってきました。
その中のピアノがあさりちゃんだったのです。

今大好評のビックコミック連載のJAZZ漫画「ブルージャイアント/著 石塚真一」も大いに引き込まれます!

音のない漫画でここまで音を感じる感を描けるこの作者はすごいです!!
最初の舞台が僕の地元・仙台、
使っている楽器も身近な人と同じというのもなんだか縁を感じます♪



■やってみるとJAZZはとても勉強になります!

YOSHIKIや菊池哲、中村達也やコージー・パウエルに憧れて始めた
中学生ドラムの僕にとって、
即興は大得意でしたが、
人の音をずっと聴いているのは不得意でした(笑)。

ロックドラムをしているときは、
みんなが自分のタイコに合わせてくれるし、
主にベースの音だけを聴いて、
ガンガンに大きな音で、
力いっぱい叩いてやって、勝手に気持ち良くなっていました。

しかし、JAZZは全然違い、
人の音を聴いていないで叩いていると、
即興にも対応できないし、
バランスを欠いて、
雰囲気ぶち壊しになってしまいます。

人生で初めて、静かに叩く必要性を感じた瞬間でした。

ずっとJAZZをやっている人には当たり前のことなのでしょうが、
僕にとっては衝撃的な感覚でした!

今はまだまだJAZZらしく叩けてはいませんが、
人の音を聴いて、
自分が叩いているのを忘れるほどうっとりすることができます♡
(JAZZ BANDのサックス、トランペットがこれまたイイんです♪ピアノもベースもですが。)

ジャズを聴くことも鳴らすこともまだまだ慣れていませんが、
面白いな~と思って楽しんでいます♡


写真は船待ちライヴ2015より

■今年になって、こうして音楽を純粋に楽しめる状況になってきていることにとても感謝をしています。
島に来る前は仙台でバンドをずっとやっていて、
下手くそですが、
ずっとやっていくつもりでいました。

しかし、19歳の時に初めて小笠原に来てみて、
人生観がひっくり返るほどの衝撃を受け、
2年後に移住し、結婚してからは音楽がなかなかできない状況でした。

小さな子供も抱え、
結婚生活という慣れない環境の変化もあり、
気付けば10年の月日が流れていました。

今使っているアコギは島に来るときに持っていた弦楽器をすべて友人に譲り、
仙台の中古屋で選んできた1本です。

それ以外の島に持ってきた楽器はスネアやバスドラのペダルでした。
でも、それらは鳴らしてあげれない状況が楽器が可哀そうに思えて、
父島で知り合いに譲ってしまいました。
いつかまた出来るようになったら、いい楽器に巡り合えると信じていました。

母島に移り住んで3年目かな?
2012年に「ドラムやってみない?」と声をかけてもらえ、
10年ぶりにやったときは、
たった2曲でしたが、本当に楽しくて、嬉しかったです♪

その後、バンドを組んで2014、2015年とライヴを重ねることができました。
2016年は色々な状況でできませんでしたが、
今こうして大好きな音楽をやれることがとても嬉しいです。

自分にとって大切な人も、
同じく音楽を楽しめる様な時期になってきて、
それも本当に嬉しいです♪

あさりちゃんには俺の演奏について印象を聞いてみたら、
「ギターもドラムも歌もズバリ『青春パンク』だと思います」
と言われて嬉しかったなぁ(笑)!

今度の1/9のライヴ、そして3月のライヴと続きます。
色んなおもいは交錯しますが、
純粋に音を楽しんでいければと思います♡


写真は真夏の音楽界2015より

母島のPTA広報誌「万年青」

2016年12月27日 | 母島 暮らし 子供
■母島の全戸に配布されるPTA広報誌「万年青(おもと)」
僕はこの「万年青」の大ファンです。

それは地域の方や保護者・先生方が、
それこそ愛情たっぷりの眼差しでそれぞれの表現で投稿してくれた文がいっぱい詰まっているからです。

この狭い人口450人の母島の地域全体が子供たちを温かく包んでいるのが伝わってきます☆
季節の行事やイベント、
PTA活動を通して保護者や教員が感じたことを書いてもらっています。
ここで中身を紹介できないのが残念ですが、
島の人もかなり楽しみにしてくれているようです♡

この2年は編集部長もやらせて頂き、
色々と新しい試みをしてみました。

この2年で割と好評なのが巻末の「先輩からの手紙」です。
これは島を離れた子供たちや教員にお便りをお願いするコーナーです。

海外に留学した島の高校生、
内地の大学や専門学校で頑張っている島育ちの子供たち。
就職して、故郷を振り返る島っ子。
母島に赴任して、色んな感動や思いを語ってくれる教員…
どれも島を離れてより母島の良さを再認識した内容が多いです。
これからも新しい試みを続けていければと思います。

お忙しい中、本当に素晴らしい原稿を寄せていただいた皆様に、
心よりお礼を申し上げます。
ありがとうございましたm(__)m


■そして今回は巻頭言を書かせていただきました。
若ミズナギドリの頭に残る産毛を見ながら想ったことを書きました。
良かったら読んでみて下さい。

「全ての若き野郎ども~All the Young Dudes」宮城 雅司

『普段、野生動物と関わる仕事をしていることがあるのですが、
そんな野生動物の行動をみていて人も野生動物も同じなんだなぁとしみじみ感じることがあります。
それは特に若い時期の生物や人に共通することなのです。

例えばこの冬の時期、島の海で跳ねるザトウクジラ達がいます。
夏場は北極圏の豊かな海で過ごし、
冬は比較的安全な暖かい小笠原やハワイの海にやってきます。
その中でも若いクジラは本当に面白く、
好奇心に負けて人の船に近づいてきては親に制止されたり、
色んなことにちょっかいを出しては痛い目にあって経験を積んでいきます。
そしてクジラもアホウドリも渡りの長距離移動の際には若い個体ほど寄り道や回り道が多いそうです。
それらは年を重ねていくと、
しだいに自分の好きなルートや目的地がはっきりしてきて、
あまり寄り道をしなくなるそうです。
若い時期の好奇心による沢山の失敗は、成熟した大人になる為の大事な道なのです。
クジラや海鳥、ネコやコウモリを見ていてもそれを感じられるのがとても面白いのです。

そう、私達人間の子供達。
大人になると色々億劫になってしまうことでも、
子供の時期は失敗すら考えず、
どんどんチャレンジしていきます。
そして失敗を重ねて、経験を積んで、より確かな生き物になっていく気がします。
大人は老婆心で色々忠告しますが、
やっぱり失敗を重ねて自分の経験にしていくことは、
子供時代にはほんと大事なことなんだなぁと思います。
そして、子供や若い野生動物を見ていてどちらにもそう思えることがなんだか不思議で微笑ましくもあるのです。
失敗は恐れるなってことですね。

でも親として、地域の大人としてやっぱり気をつけてほしいのは、
死んではダメだなということ。好奇心や目測の誤りで、自分の命を失うことだってあるのです。
船のスクリューで命を落とすクジラも実は好奇心だったのかもしれません。
光りで寄せられて集落に落ちるミズナギドリもそのほとんどが巣立ち後間もない若鳥達です。
結果、電線で羽を失ったり、壁に激突して死んでしまう若鳥もいます。
私達大人はそんな極限の状態を避けれるよう気を遣い、声をかけます。
そして、子供達はあとは失敗から自分で学んでいくと思うのです。
たくましく巣立つ子供たちの出発とその後の顔を見るたびに、
母島のもつ素晴らしさを感じられずにはいられないのです。』


■表題に使わせてもらったのは70年代にヒットした、
モット・ザ・フープルの名曲です。
作詞・作曲は今年の1月に亡くなったデヴィット・ボウイです☆

クイーンの亡くなったフレディ・マーキュリーの追悼ライヴで、
デヴィット・ボウイとイワン・ハンター・、ミック・ロンソンが奇跡の競演を果たした映像があります♪
良かったらどうぞ☆



オシドリ夫婦参上!!

2016年12月23日 | 母島 鳥
■昨日の昼は終業式を終えた娘たちと玉川ダムで家族ランチをしました♪

まるで静かな湖畔の情景に、
長女はうっとり♡

今年の冬は内地で鳥インフルエンザが猛威を振るっています。
僕も鳥獣保護員として、島の各所を随時パトロールしています。

そんな中、
美しいオシドリのペアがいました☆

母島では約3年振りくらいだと思います。

他の渡り鳥はほとんどがメスばかりな場合が多いのですが、
さすがオシドリ夫婦(笑)。
ちゃんと寄り添うようにペアで来ています。

美しすぎるオスも見事ですが、
なんかひょうきんなメスもいいですね~(*^_^*)



次女は学校で作った怪しいお面を被って参上(笑)!


今回、玉川ダムにいた鳥は、
・オシドリ♂♀
・バン幼鳥
・オオバン多数


・カルガモ


・マガモ♀

でした。

小笠原に渡ってくるまでにとても長い陸地と真水のない旅をしてきています。
ゆっくりと母島で羽を休め、
また春先には北に向かって飛んで行きます。

ザトウクジラもそうですが、
カレンダーや時計を持たない彼らが、
いつもこうして季節で渡ってくるということが、
当たり前なのに、なんだかいつも不思議に満ちています。

渡りの途中、どんな気持ちなのでしょうか?
目的地に着いたときは、どんな気持ちのなのでしょうか?

ザトウクジラがよく見え始めた冬の母島で色んなことに想いを馳せます☆

ミズナギドリが運ぶ、島のクリスマス♪

2016年12月17日 | 鳥獣保護員 活動
■12月中旬、ようやく11月中旬から続いていたミズナギドリの不時着が落ち着きました。
今年は約50羽のミズナギドリを保護し、そのほとんどを無事に放鳥する事が出来ました。

例年だとほとんどが小笠原を代表する海鳥、オナガミズナギドリが不時着します。

国内では小笠原諸島でのみ繁殖が確認されている、
「ザ・小笠原のミズナギドリ」の代名詞ですね(笑)。

多い年では200羽近くシーズンで保護したこともあります。


しかし、今年はなんとシーズン開始頃はオオミズナギドリの方が多く不時着しました!

オナガミズナギドリに比べて、一回り大きく、頭部の霜降り模様が特徴です☆

オオミズナギドリは現在、小笠原諸島では繁殖が確認されていません。
(石門の鍾乳洞からは多くのオオミズナギドリの骨が出てきているので、
昔はかなりの数が繁殖していたと考えられている)

しかも、父島ではほとんど不時着せず、母島で約20羽も保護しました!

伊豆諸島の御蔵島が一番近い繁殖地なのですが、
それなら父島でももっと不時着するはず…。

それなのに母島が圧倒的に不時着数が多いということは…
もしかしたら母島の属島で繁殖しだしていて、個体数が増えてきているのかも知れません!


う~ん、自然の流れや力というものは、
人が届かないところで確実に作用し、常に流動的に息吹いている…
そんな神秘を感じさせてくれました♪



■そして、集落にはミズナギドリが運ぶ島のポスターを張りました。

オナガミズナギドリの巣立ちがほぼおわりました!!
不時着鳥の回収や連絡、ライトダウンに
ご協力くださったみなさま、ありがとうございました♪

【母島列島のオナガミズナギドリは
鰹鳥島や南崎で 子育てをします。

夏に産卵し、冬にヒナ鳥が巣立ちます。

光に飛び込む習性があり、
特に巣立ち時には、街灯りに迷い、不時着します。

夜間回収やライトダウンでヒナ鳥が救われています。

今年は50羽程度の不時着鳥を保護・回収することができました。
残念ながら激突の影響で命を落とした個体もいます。

すべての巣立ちが終わるのは12月中旬から下旬。

小笠原のクリスマスはオナガミズナギドリが
運んでくるのかもしれません♪】

ザトウクジラがやってきた!ヤア!ヤア!ヤア!

2016年12月10日 | 小笠原 野生動物
■12/8、8:40頃鮫が先展望台より
2頭の親子らしきザトウクジラを確認しました。

まずはブロウ(潮吹き)!!

11月末に姪島沖、
12月2日の南崎に続き、
ようやく鮫が先からも陸から
確認することができました♪

場所はホカケ岩付近です。


見事な潜りも見せてくれました♪

いよいよ湾内(母島属島~本島のエリア)にもクジラ登場です☆

これでようやく母島にも冬が来た感じになりました♪
クジラさんたち、おっかえりなさ~い!!


■そしてこの時期、オナガミズナギドリの巣立ちが始まってから
毎日毎日保護しては翌朝放鳥を繰り返しています。

小笠原を代表する海鳥のオナガミズナギドリ。

11月中旬から巣立ちを開始し、
おもに2月中旬まで続きます。

巣立ちの鳥はみんな個性があり、産毛が面白いように残った個体もいます♡

この個体は若干、モヒカンのように産毛が残っています(*^_^*)

夜の不時着鳥は保護して翌朝放鳥すればネコにも交通事故も防ぐことができます。
うずくまっている鳥を見かけた場合は、ぜひご連絡ください!
(連絡先は母島内の各掲示板に掲示してあります☆)

保護した海鳥は、大きな怪我などなければ、
翌朝に浜で放鳥し、沖に帰っていってもらいます。



■秋~冬と言えば、渡り鳥の季節です。
この時期は母島にも様々な渡り鳥がやってくるので、
とても楽しきな季節でもあります。

沖港にはカモメが来ています。
たぶん、セグロカモメの冬羽と思いますが、
カモメの同定はほんと難しい!!(←できる人は変人の域です!w)

他にウミネコらしき個体もいるそうです。
鳥たちはこの陸地の少ない大海原を渡ってくるわけです。

いつもいつもその神秘的な力にただただ圧倒させられます。


■先日は夕焼けと三日月がほんとに綺麗な日がありました。

少し前まで家の中で
険悪な空気になっていた妻と次女が一気にご機嫌に早変わり(笑)。

やっぱ自然の力って偉大だな~と感じました♪

さあ島の冬シーズンも存分に楽しむぞ~!!

CAFE KATY

2016年12月08日 | 旅行記
■少し、前になりますが、
雑誌「散歩の達人」に友人のカフェが掲載されました♪

以前、父島に住み込んで働いていたこともある
奥さんの麻ちゃんが料理を作り、
とっても旅の話が大好きな
素敵な旦那さんがウエイターの夫婦の素敵なお店「CAFE KATY」の紹介です。


94~95ページです♪

市ヶ谷外堀り通り沿いにあります♪
内地に行くたびにお邪魔させてもらっています☆

夫婦ふたりでできる範囲で、
精一杯のおもてなしを大事にしてくれる雰囲気のお店です♪

近くに立ち寄りの際にはぜひどうぞ♡


■笑顔の素敵な麻ちゃんは、
料理上手でパスタもケーキのお手の物☆
島では良く小さなころの凪穂と良く遊んでくれました。

僕は麻ちゃんが作るパスタとアップルパイが大好きです♪

そして旦那さんは一見真面目そうですが、
いわばスルメのように、
噛めば噛むほど味が出てくるとても面白い変人です(笑)!←超ほめ言葉!

北海道のライダー時代、
橋の上にセットしたセルフタイマーの愛機カメラが
真っ逆さまに谷底に落ち、木端微塵になった話は
お腹が痛くなるほど笑ってしまいました(笑)。

ぜひ夫婦で小笠原に遊びに来てほしいものです♪

読んでみて、家族で笑顔になってしまいました(笑)。

店を開くまでのエピソードや、
休日の二人の過ごし方、
深夜2時まで続く“店を良くするための会議”まで(笑)、

楽しく読めますのでぜひどうぞ!!

CAFE KATYのHP↓
http://www.cafekaty.com/

CAFE KATYのFacebook↓
https://www.facebook.com/cafekaty/


■KATYと言えば、忘れられないエピソードがあります。
2015年に家族で初めてKATYに行った日。
北海道旅行の帰りで、興奮そのままで行った感じでした。

はじめは久しぶりの再会と、初めてのお店への訪問でワイワイ話していました。

しかし、美味しくごはんを頂いてる最中のことです。

確か、長女(当時、小6)がトイレに行っているスキに、
次女(当時、年長)が姉のハンバーグの上にのっている目玉焼きを平らげてしまい、
長女が大泣きして、いじけて、店の外に出て行ってしまったのです(猛爆)!!
(我が家では日常のことですw)

普段、オフィスのビジネスマンやOLさんが賑わうこの店に、
見事に島の風を吹き荒らした我が家(笑)。
中村夫婦も思わず笑顔♪

そこで、素敵な旦那さん、中村淳一さん登場(笑)。
わざわざ外でいじけてる長女のところに向かい、
「わかるわかる。俺も兄弟がいて、そんな仕打ちを受けたよ~」
と、慰めに行ってくれたのです♡

そして数十分後に旦那さんに慰めてもらって帰ってきた長女には、
そっと麻ちゃんが失った卵焼きを持って来てくれました♪

そんな愛溢れる中村夫婦の対応に長女は機嫌を取り戻し(笑)、
幸せな気持ちで帰路につきましたとさ…

そんな愛と真心が溢れる、
素敵なCAFE KATYに皆さんも行ってみて下さいね♡

ああ、今思い出しても笑えてくるエピソードでした(*^_^*)

Youtubeにも「個人事業主という働き方」についてアップされていました♪
店の雰囲気も分かるので、よかったらどうぞ♡
※2013年度法政大学キャリアデザイン学部「メディア実習(秋)」 4班作品だそうです。

映画「ある精肉店のはなし」の上映を終えて

2016年12月07日 | 島のイベント
■先日、父島と母島で自主上映会がありました。
映画のタイトルは「ある精肉店のはなし」。

父島の友人が主催で行うと聞いて、ぜひ母島でもと手を挙げ実現しました。

映画について詳しくは映画のサイトをご覧ください。

映画の予告はこちら


上映会をしてみて、
こうした素晴らしい映画を島の人と共有できて良かったなぁと思いました。

この映画を島まで繋げてくれたSちゃん、
参加してくれた皆さん、
2回の上映会に色々フォローしてくれた家族、

そして、この素晴らしい映画を作ってくれた製作者の皆さん、
北出ファミリーの皆さん、
どうもありがとうございました!


上映後、次女が書いたイラストです。



■牛を育て、家族4世代が一緒に頑張り、
自ら屠畜し、丁寧にさばき、
その肉を販売する…

そして家族のひとりが、
牛の皮をなめして太鼓の革にしていく。

地域での家族の在り方、
有名な大阪のだんじり祭りにその太鼓が使われ、その場面も描かれています。

とある番組にも紹介されていました↓


監督の纐纈(はなふさ)あやさんは言います。
「生き物を食べて、人は生きる。
その命を奪う行為が日常の暮らしの礎にあることを知ってほしい」と。

■僕が映画を見て思ったことは、
牛に対する気持ち、
職人としての心構えとても素晴らしく、
と殺の手際の良さ、
家族の分業が素晴らしく美しく見えました。

ほぼ1本のナイフで1頭の牛を解体していく業は、
圧巻でした。

冒頭と最後の牛の眉間に最後の一撃を打つ場面、
あえて淡々とこなし、
映像も血や斬首の場面をカットしていて制作側の意図に好感がもてました。

自分が鶏をさばくときも思いますが、
全部無駄にすることなく、
有難くいのちを頂こうと思うのです。

そして、その手間がほんとうにかかります。
自分でさばいた後にスーパーで、
1匹に1個しかない砂肝が8個で248円で売られていて、
これは本当に正当な価格なのだろうかと疑問を抱きました。

命を頂く、
そしてそれをと殺する仕事の人の報酬として
あまりに価格が見合っていない気がしたのです。


映画ではと殺のシーンだけでなく、
家族の4世代の温かい場面が数多く描かれています。
この主役の北出ファミリーがとても素敵なんです♪

孫の結婚式への服を探して、足を骨折してしまいますが、
退院して戻ってきた時の家族の対応がユーモアと温かさに溢れていて、ほんわかしました。

やはりいのちと向き合い、常に関わるからなのでしょうか?
文字通り「いのちを食べて、いのちは生きる」ことを心から理解している人たちなのでしょう。

102年続いたと殺場が閉鎖を迎える時の
一抹の寂しさは何とも言えませんでいた。

牛を飼わなくなった来た井出さんは、
そこで太鼓を作る方にシフトするという柔軟さをもっていたのです。
そこに素直に感動しました。

そして、
大阪のだんじり祭り、
太鼓の制作も初めて見れて良かったです。

江戸時代から使われている太鼓は、
内側に張り換えの時の職人の名前が書かれていました。

こんなにも手間をかけて、
牛の皮も使われていくのが見れたのがとても良かったです。

上映後に次女が書いてくれたイラストです。

小学1年生はこの映画でどんなことを学んだのでしょう?
下のアンケートにも鋭い部分を見出していて、驚かされました。


■上映会で参加してくれた方が書いてくれたアンケートを紹介します。
・最初は精肉店の話と聞いていたので、想像していた話とちがっていて、ビックリした。命のこと、まわりとのつながりなど色々と考えさせられた映画でした。(20、女性)

・命をいただくとそのための手段をして差別が発生することが生きることの多面性をあらわしていると思いました。ありがとうございました(50代、女性)

・牛を割るのも、太鼓を張るのも初めて見ました。屠畜場が動いているのも初めて見ました。最後の話を聞いて、やっぱり仕事はトータルな方がいいんだなと改めて感じました。(50代、男性)

・とても深い作品で感動しました。(50代、男性)

・食の大切さを知りました(60代、男性)

・ていねいに仕事をする、ていねいに生きる姿とても心地の良いこと。この家族にたくされた牛は幸せだな…。肉が苦手な私はわぁ…と思うシーンもありましたが、しっかり見ました。ありがとうございました(50代、女性)

・最初の方は衝撃的でしたが、色々と繋がっていること。人柄や人生観が伝わってすごくよかったと思います。(30代、男性)

・うしのいのちをもらうときくるしそうにならないようにきをつけて、すごいな~とおもいました。どうもありがとうございました。(小学生)

・時代の流れで家業でできる仕事がなくなるのはさびしい。とてもいい家族でした(40代、女性)

・食べののが食卓に並ぶまでに、生きものやそれに関わる人々の背景、ストーリーがあって、生々しく、活々としていて、印象深かった。タイコ作りもふくめて、命のダイレクトなつながりを感じました。(30代、男性)

・と殺シーンはショッキングだったけど、今私たちがこうしてお肉を普通に食べれているのは 差別、偏見などをうけながらも加工してくれる人たち、そして牛さんたちだということをリアルに知ることができた。こういうものは普通お肉を食べていても見たがらない人が多いけど、少しでも多くの人がこういうのをみて、心を動かされるといいと思った(中学生)

・「いただきます」「ごちそうさまでした」には料理を作ってくれた人だけでなく、食べられる状態にして届けてくれる人、何より生き物に感謝の気持ちを込めるという意味を改めて実感しました。何気なく言っていたこの言葉の本当の意味を分かることが出来ました。ありがとうございました。(20代、女性)

・前から見たいと思っていた映画なので機会をいただけて良かったです。ありがとうございました。またお願いします。(20代、男性)

・問題を改めて知った。タイコの張り替えに感動。(60代、男性)

・思いがけず、とっても素晴らしい映画に出会えてうれしかったです。この映画を作っていただいて、観ることができた出会いに感謝です。終了した時、拍手したくなった映画でした。色々な内容をもりこんであり、ゆっくりとうけとめて考えて、生きていこうと思います。日々の生活にとても結びついた大切な話だったと思います。(40代、女性)

・牛に対するスタンスがとても素晴らしく、太鼓の制作も初めて見れて良かったです。北出ファミリーがとても素敵でした♪孫の結婚式への服を探して、足を骨折してしまいますが、退院して戻ってきた時の家族の対応がユーモアと温かさに溢れていて、ほんわかしました。牛の眉間に最後の一撃を打つ場面、あえて淡々とこなし、映像も血や斬首の場面をカットしていて制作側の意図に好感がもてました。(30代、男性)