小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

祝!!20歳を祝う会 長女の成人式

2024年01月02日 | 母島 暮らし 子供
■新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします!

元旦から能登方面で大きな災害が発生しています。
どうか1日も速い復旧と復興を祈ります。
亡くなった方、被災された方へのお見舞いを申し上げます。

そんな複雑な気持ちの元旦ですが、母島は特に何事もなく、
初詣に始まり、年賀状の配達、海開きと怒涛の様にイベントをこなしていました。
そして、長女がこの冬に帰島し、一番の目的だった成人式。
(今は18歳が成人になったので、正確には表題です)
無事に同級生4人全員が集合しました♪

元旦の海開きの後というスケジュールの中、
幼いころから知る4人の晴れ姿を見て、
ああ、ここまでよく無事に育ってくれたなぁと
しみじみと思いました☆
本当におめでとう!!

女子たちらしく、綺麗な晴れ着が揃うととても華やかです(#^.^#)

■一人一人の20歳のスピーチを聞いていて、
それぞれに想う事があって、目頭が熱くなりました。
この4人がここまで揃うのは卒業式でもなかったので、
それぞれのドラマを思い浮かべ、
本当にこの日を迎えれて良かったと思いました。

この4人は島の保育園から一緒ですが、
途中に抜けたり戻ったりと色々なドラマがありました。
※小学生時代は素敵な男子も1名仲間にいました(#^.^#)

島を離れて、内地で過ごしてみて、
初めて島の温かさ、優しさに気付かされたと話していました。

たった4人ですが、みんな個性豊かで、全然違う4人。
内地での何百人という学校であれば、
関わらない、話したこともない、名前も知らない同級生が沢山います。

しかし、母島は圧倒的少人数なので、
家族同士で知らない人はいないし、
人の子供も叱るし、
人の子供の成長を見守ります。

本土にはない環境で、ないものも多いですが、
ここでしかないものも沢山あります。

僕はここにしかないものに大好きな要素が幾つもあるので、
島で子育てを楽しんでやって来れましたが、
こうした島の子供達のスピーチを聞いていると、
本当に島で子育てできて良かったと感じました♪


■親ばかですが肝心の長女のスピーチもとても良かったです。
彼女の精神的成熟を感じさせてくれる内容でした♪

こうして生きて行きたいという部分は、
随分と僕と考えと似ているんだなぁと
不思議な気持ちになりました。

故郷の島に帰って来て、みんなに「おかえり~」と言われる喜び、
家族や関わってきた人への感謝、
人を大切にすると同じく、自分も大切にすること、
価値観の違う人を尊重できること、
どんな逆境でも楽しめるセンスを持つこと、
挑戦を恐れず、まずはやってみることなどを話していました。

人生のゴールなんて、
きっと死ぬまで分からなくて、
実はありはしないのだろうと思うけれど、
こうして自分らしく前を見て生きて行っている
成人した娘の姿と言葉はとても頼もしく感じました。

その頼もしい成人の娘を見て、親としてのゴールをひとつ感じたのです。

長女のスピーチを聞いていた島の友人が
「内面から出てる美しさを物凄く感じて、
 こちらまでなんだか素敵な気持ちにさせてもらいました。
 人間、内面の美しさって本当に滲み出るんだなぁと思いました!
 娘が、凪穂(長女です)みたいな女性になってくれたら嬉しい」
とコメントをくれて、とても嬉しかったです☆

他にも色んな島の方から嬉しい言葉を頂いています!
どうもありがとうございます


■そんな長女ですが、4年間のカナダ生活で、
前から弱かった日本語はさらに弱くなり(笑)、
英語でスピーチを作ってからわざわざ和訳し、
さらにその日本語のおかしさに悩むという前日夜でした(#^.^#)

親として、近くにいればそのツッコみ所が満載なのは相変わらずですが、
島でも別に暮らし、仕事をして、
経済的にも精神的にも自立できているので、
素直に今後が楽しみです♪

スピーチでも語っていましたが、
明確な将来の夢とかではなく、
生きたい場所、やりたいことは無数にあるので、
色々挑戦して、その時にホットな事をどんどん突き進んでいけばいいと思うのです。

そんな話をしたかどうかは覚えていないのですが、
そんな考えがとても柔軟で素敵だと思ったし、
間違いなく20歳の頃の僕には考えも及ぼないセンスと思いました☆

妻が作ってくれた色んな色のティーリーフローズが、
コンパクトだけど素敵に長女の頭を飾っていました♡


■そして、年末年始にも関わらず、
この式の為に準備、運営に動いてくれた関係者の皆さん、
元旦なのにわざわざ出向いてくれた
来賓の皆さん、島の皆さん、
みんなの着付けをしてくれた島の大先輩さん、
これまで娘たちに関わってくれたすべての皆さん、
本当に有難うございました!

子供の頃から、
小学生の頃の高遠、山村留学、
カナダでの留学に社会人生活、
コロナに帰国に今現在も、
ありとあらゆる人にほんと~~~~~にお世話になり、可愛がってもらっています。

この人のご縁が、彼女にとって本当に最高の財産と思います。
感謝してもし尽せません。

僕はこのご恩を、目の前の困った人をサポートする恩送りをしていこうと思っています。


■最後に
元旦から能登半島を中心に甚大な被害を及ぼした、大地震と津波がありました。

おめでたい元旦の時間だったのに、
被害に遭われた皆様は
余震が続く寒空の中、
家屋の損壊や津波、避難と大変な状況と思います。

亡くなった方々にご冥福の気持ち、
被災された皆様にお見舞いの気持ちでいっぱいです。
そして改めて、自分たちが住む小笠原の防災対策、
各家庭の災害時への見直しをしなければと思わされました。

少しでも速い復旧と復興を祈るばかりです。
どうかご無事でありますように。

長女が帰国!~20歳に☆やっぱり毎年激動の10月!! 

2023年10月26日 | 母島 暮らし 子供
■母島に移住した2009年頃から、毎年10月は怒涛の様に過ぎる月だった気がします。
今年は長女の帰国に20歳の誕生日、次女の誕生日、
ローゼルの出荷に議員としての内地出張と、
いつにも増して多彩なボリュームの10月になっています。

観測史上最大の200㎜を超える豪雨(1時間当たり123mm)をもたらした翌日に、
内地出張を終えて母島に帰ってきました。
本当に家族には留守中に色々と負担をかけてしまい、本当に有難い気持ちでいっぱいです。

母島に戻って妻が作った美味しいローゼルごはんを頂きながら、
島に帰って来た喜びを嚙みしめています。

議員活動と報告を日々行っていたら(主にFacebookページにアップしています)、
だいたい毎週更新していたブログもすっかり空いてしまいました。
僕のブログの一番の目的は忘備録です。
それすら追いつかないほどの出来事の嵐ですが、
綴っていこうと思います。


■10月の議員としての内地出張のメインは小笠原と友好市町村になっている南アルプス市への行政視察でした。
それについては後日まとめたいとは思っています。(で、できるかな?)

他に都庁各関係部署への挨拶や、個人的な議員活動で動きに動いてきたわけですが、
土日はオフということで、そこの隙間を利用して、
3年ぶりにカナダから帰国した長女と、
3年ぶりに再会を果たしました☆

3年ぶりの再会の場所は立川の島想食堂!!
ここは5月にも訪れてイベントをした、小笠原島料理も出てくる、お勧めのお店です。
店主の中西奈美さんは同世代で父島出身。

驚くほど味がじんわりと沁みてくる美味しさで、
前回は満員御礼でゆっくりできなかったので、
今回はゆっくり味わわせてもらいました♡

本当に美味しくて、美味しくてたまらない料理とトーク。

この日、自動車学校でマニュアル免許取得をクリアした長女は、
府中の運転免許センターで学科試験を受けて、
免許取り立てで3年ぶりの親子の再会という予定でした。

しかし、長女は近辺で友達と遊んで来ることとなり、
猛烈に空腹だった僕はお先に美味しすぎる食事を楽しみました♪

ホントに美味し過ぎました♡
どうも有難う!!

■お腹も膨れて、他のお客さんらと話してる中、
3年ぶりに成長した長女が現れました☆

SNSやスマホ、通信の発達のお陰か、そのせいか分かりませんが、
近況を時々やり取りしているせいか、
あまり新鮮味はありませんでした(笑)。

しかし、やっぱり元気な娘の顔を見れるのは嬉しいもので、
出来立ての運転免許の写真を見て大笑いしながらも、
嬉しい再会を果たしました。

そこからは妻の実家、飛騨高山を目指すべく、レンタカーで一路長野へ。
いきなり免許取り立てに高速道路の運転デビューか⁉と思いきや、
初心者マークの購入が間に合わず、僕の運転でまずは安曇野を目指しました。

車中では、久々の親子再開のお陰か、色んな話が尽きません。
元々よくしゃべる親子ですが、まあ語りは止まりません(笑)。

運転する身になって、助手席の怖さを分かったようで、
しきりに「怖い、怖い!」を連発しながらも、
「意外とお父さん、ちゃんと見て運転してるんだね…」
と自動車学校卒業したてならではの目線で語って来る始末(#^.^#)

3年間のカナダでの高校生活。
1年間のカナダでの労働と旅の日々。
至る所に長女の成長を感じることが出来て、親父としては嬉しい限りでした☆


安曇野の朝にみんなで竹パンを焼いて食べるのも最高でした(#^.^#)

夜遅くに安曇野に着いて、
翌朝からも笑っちゃうくらい最高の展開と出逢いが続き、
無事に昼前に飛騨高山に到着しました♪

妻の実家でも長女は進んで洗い物をしてくれたり、
色んな人を気遣ったり、
ホテルで僕が洗濯機をかけてバタンキューしてたら洗濯物を干してくれたり、
今ままででは考えられないほど、ちゃんと異国の地で一人で暮らしてきたんだなと
成長を感じさせてもらいました☆

20歳を迎えて一緒にビールを親子で飲むというのも、
なんだか不思議でした(#^.^#)

■高山でお墓参りやおばあちゃんのご案内などミッションをこなし、
さあ長野に戻るのは、初心者マークを手に入れた長女の運転!!

レンタカーを借りる時にしっかりと手続きもしているので、
保険も利くし、安心して運転を任せれる状況。
免許を取得して2日。
高山で20歳を迎えたその日。
僕は娘の運転する車の助手席でプルプル震えておりました(笑)

想像よりも、左右の距離感や感覚は怖くなく、
一般公道の速度とブレーキのタイミングが怖いくらいで、
長女の緊張具合で、何度か交代しながらも、
高山から安曇野へ戻って来れました☆

波田ではこの1月に小笠原のお墓の戒名彫刻をしに来てくれた弦洋さんファミリーとも再開し、
無事に安曇野に到着しました。

そこから長女は果たしたいミッションがあり、
それは都会よりも落ち着く田舎でやったらどうか?ということになり、
その場で長女を安曇野に放置し、僕は高速道路に乗りました(#^.^#)

高速道路を運転しながら、
そういえば長女の運転の横で寝させてもらったおかげで、
一度も眠くなることなく、安全に立川に戻ることができました。



■立川から戻った翌日からは公務に戻り、議員全員で山梨県南アルプス市へ。
公務の決まった予定の為に、富士山の周りを行ったり来たりの日々でした(#^.^#)

南アルプス市については議員のFacebookページや後日アップするであろう記事に詳しく書こうと思います。

初めて訪れた南アルプス市。
まあ、富士山という日本最高峰の山の存在感と美しい事!!!

ちょうどこの数日で山頂に雪が積もって、
最高の姿を見せてくれました!!


南アルプス市には小笠原村と有効市町村になるご縁があります。
道をあるけば、幾つも「小笠原」の表記が目につきます(#^.^#)
色んな出会いと学びがあったので、後ほど記事に書こうと思います。


他には母島出身の宮澤かれんがミスユニバースジャパンに挑戦し、
見事トップイレブンに選ばれたという快挙があり、
そのお祝いの場にも行くことが出来ました!

島出身の子供が色んな分野に挑戦していく事がとても嬉しいです。
結果も勿論大事ですが、その動きとプロセス、
そこでもたらされるご縁が大事な気がするのです。
かれん、本当におめでとう!!

■そして、長女と1日違いで次女も14歳の誕生日を迎えました!
誕生日おめでとう!!

今回は内地と母島で離れていたので、
残念ながら一緒に誕生日を迎える事はできませんでしたが、
内地から戻る時に誕生日ミッションが発生し、
とてもドキドキワクワクしました☆

次女にとって、母島の暮らしもあと1年半です。
学芸会も直前に控えて、とても大事な時期だと思います。

思春期真っ只中ですので、親父とは大して話をしてくれません(涙)が、
次女の成長やこれからもとても楽しみです!

母島に戻って、ようやく普通の日常を取り戻し、
お祝いのケーキや、冒頭のローゼルご飯やローゼルティー(ハイビスカスティー)を味わいながら、
島の日常がたまらなく愛おしく感じられました♪


ローゼルの出荷や議員活動に追われながらも、
やっぱり島の日常が大好きであることが再認識できました。

夕陽を眺めながら1日を終える瞬間なんて、もう最高です♡

きっと1日の最後に感謝して終える事なんて、どこでも誰でもできる事だと思います。
せわしない僕にとっては、
どんなにあがいても日は沈み、
また日が昇るその圧倒的なまでの自然の流れが、
有無を言わさず一日の終わりを作ってくれて、
本当に有難く感じます。

都会にいると、街は24時間動いているし、
ついつい色々やってしまいがちです。

なので、僕にとってはそんな島暮らしが大事なようです(#^.^#)

いつもいつも至らない僕を支えてくれる家族、
地域の皆さん、応援してくれる仲間、
全ての皆さんのお陰で今日も暮らせています。

どうもありがとうございます<m(__)m>

島で最期の我が子の入学式を終えて

2022年04月08日 | 母島 暮らし 子供
■先日、私たちが住む母島唯一の学校、母島小中学校の入学式がありました。
二人娘の我が家にとって、次女の中学校入学が母島生活最後の入学式です。

母島は小さな島で子供の数も少ないので小中学校です。
別に校舎やメンバーが変わるわけではありません。
でも、小学校のそれとはやはり違うと思います。

教科ごとに先生は変わるし、色々小学生の頃よりも自分たちが主体的になれる部分がある気がします。
この違いについては先輩の長女に聞いてみたいところですね(#^.^#)
ちなみに自分の頃は3つの小学校の生徒が集まり、クラスが倍以上に増えたので、
新しい出逢いに緊張したことだけ微かに覚えています(#^.^#)

いずれにせよ、6歳離れたふたりの娘の次女にとって最後の大きな開始の儀式。
一応、本人の意識も明確に違うらしく、普段だらけきった春休みを送っていたはずなのに、
急に掃除をしたり、色んなことを片付けたり、きちんとシフトしているようです(笑)。

入学式の朝。
在校生に遅れて登校する入学生。
母島のB線と呼ばれる、学校に続くまっすぐな道を進む次女を見ながら、6年前の景色を思い出します。

丁度6歳離れた姉妹の娘たち。
長女の中学校入学と、次女の小学校入学が同じでした。
その時の光景を思い出していました(^^♪

こちらが丁度6年前の写真です。
次女が背負っているランドセルは、長女が次女の為に心底丁寧に6年間大事に扱ってきたものです。
妹が大好きな姉は、妹と一緒に学校に迎えるのが嬉しくてたまらない様子でした♪

新入生の小学1年生と中学1年生は小学2年生の教室に集められていました。
すぐ隣の小学1年生の教室には黒板に素敵なトトロのイラストが描かれていました☆

そして机の上には黄色い帽子が。
懐かしいですね。
二人の娘たちもこの帽子を被って、最初のピカピカの1年生を経てきました。
今でもこの帽子の子供たちを見かけると、すごく可愛らしくて、思わず声をかけちゃいます(#^.^#)

今年の小学1年生はなんと8人!!
次女のいる中1は7人!
どちらも母島では人数が一番多い学年です。(中2と中3合わせても6人なんですw)

中1の教室にも見事なイラストが描かれていました。
先生と生徒の合作だそうです(#^.^#)
色の使い方も素晴らしい☆

■そんなこんなで入学式が始まりました。
いつもは地域の人たちも集まる、母島らしい入学式なのですが、
コロナ禍の為に保護者、関係者のみの若干コンパクトな式バージョンです。

卒業式もそうでしたが、みんなが一番楽しみにしているPTA会長の祝辞がカットされているのはとても残念です。

僕はこの春からPTA会長になる予定らしいので(笑)、
自分の出番の時のコロナの状況がどうなっているかですね(#^.^#)。

PTA会長…
PTAに限らず、色んな組織団体の会長って結構みんな嫌がります。
でもその役職に就いたからこそ学べることって、結構あります。
この機会を「嫌だなぁ」と思ってやるのと、
「これは丁度いい!頑張ってみよう」と思ってやるのでは雲泥の差だと思います。

中学生か高校生の頃か、はっきりは覚えていませんが、
人の嫌がることを進んでやる人をカッコイイと思えるようになって、
それからずっと今まで、その精神性でなんとか続いています。

高校生の頃に生徒会長もやってみて、その難しさ、
学びの多さが大きな発見でした。

10年前くらいにある組織の会長をやる機会がありました。
すごく役員メンバーに恵まれて、沢山の改革を実施してみて、
多くの感謝の声を聞くことが出来て、ああ、やって良かったなと思った経験があります。

父島の大好きなレジェンドに言われた言葉ですが、
「まずは何でもやってみることだよ」という宝物の言葉が今も僕の胸の中に光っています。

みんなが嫌がる無言の会議の中、
僕のことを推薦してくれた島の先輩がいて、
そのおかげで沢山の事を学ぶことが出来ました♪

僕自身もこの春に3年間務めた青年会の会長を引退します。
コロナ禍で例年通りの活動は1年しかできませんでしたが、
もの凄く大切な学びを沢山得ることが出来ました(^^♪


■島を離れる高校生。
この春も何度も見送りました。
不安と期待の交じった子供たちの表情を見て、たまらなく愛おしくなります。

あと3年すれば、今回入学した次女も島を巣立ちます。

母島で暮らしていれば、どの子にも平等に与えられる早めの巣立ち。
3年前、長女は4か月の父島高校生活の後に一気に単身でカナダの高校まで飛んでいきました。

自分たちがこうして見送られる立場となる3年後までに、
どれだけ楽しんで中学校生活ができるか楽しみです。

思春期。
普段、当たり前に通りすがりで挨拶を交わしていた子供たちが、
急によそよそしくなって、挨拶が前みたいにできなくなる年頃です。

僕も中学生の頃は親と話すのを極端に嫌になって、
親の言動と行動の不一致さに納得できなくて、
いつも家ではイライラしていた気がします。

でもそれは大事な成長の儀式だったと思います。

投げられたレイが水面を流れる景色を見つめながら想います。

島の中学生が自分の巣立ちが見える思春期の3年間で、
様々な精神的な葛藤を迎えて、
それを無事に乗り越えて巣立って欲しいと。

高校生になって再び会った時、スコンと抜けた表情で笑顔で挨拶を交わしたいと思っています。

入学おめでとう!
これからの3年間が楽しみです♪


島を旅立つ仲間に、見送りダイブで表現できる島の暮らし。
そんな子供たちにとって「当たり前」の生活が、
実は「有難い」と思えた時、
この島で暮らした経験が活きてくると思います。

それまではがむしゃらに色んな事に挑戦して、
いっぱい失敗して、いっぱい学んでほしいと思います。

本来、知らないことを知れる勉強は楽しいものです。
僕がそれに気付いたのは高校の恩師に出会ってからです。

島っ子のみんなにとってどころか、
どの人にとっても「潮時」というか「タイミング」があって、
色んな事にハッと気付く瞬間が人それぞれ、色んなタイミングであると思います。

僕は、そんなタイミングの種まきができて、
たまたまの偶然でもいいから、
何かに気付く瞬間があればいいなと思っています。

僕自身がそうであるように、
沢山の人と出逢いなどで気付く瞬間がありました。

人は一生学びが続くと思います。
いつまでもチャレンジする気持ちを、意欲を忘れないでいきたいなぁと思います♪





大人になって失ってしまうモノ~子どもの世界

2021年07月27日 | 母島 暮らし 子供
■「やっほ~!!あ” あ” あ”~!」
大きな声で叫んでみる。
普段とは違う反響する空間。

「ダン!!」
大きく足踏みをしてみる。
ビックリするくらい大きな足音の大人。
それに負けじと小さいながらも一生懸命、足踏みをする。

島に来ていて1か月ちょいの2歳の男の子に時々遊んでもらっています♪(もうすぐ内地に帰ってしまうそうで、寂しい…)

先日は一緒に北港にドライブがてら、色んな所に寄り道したのですが、
冒頭は長浜トンネルでのひと時。

いつもだと大声を出して遊ぶ程度で、通り過ぎてしまうトンネルも、
2歳児と一緒だと、とっても楽しいワンダーランドに早変わり♡

内地とは違い、
車が全くと言っていいほど通らない島のトンネル。(時々は通りますよw)
排気ガスとか、騒音とかとは無縁のその世界を、
幼児は存分に楽しみます(*^_^*)

時にはごろんと寝っころがってみる。
「じゃいあんも ねてみてよ」
可愛いお誘いに乗って、ひんやりとしたコンクリートが心地良い♪
新鮮だなぁ(^^♪

トンネルに限らず、
いつもは30分で通り抜けてしまういろんな場所を、
子どもは大人では想像もできない目線で楽しんでしまうのです。
石ころひとつ、小枝だって最高のおもちゃになってしまう(*^_^*)

頭の固くなってしまった大人にとって、
あまりにも柔軟で素直な子供のアタマはとても新鮮に映ります♪
小さい子どもと共に過ごす時間は、
いつもの景色をとても新鮮に描き出してくれる夢の時間になります。

あの、永遠にも感じた様な子どもの頃の夏休みの様な時間の感覚。
大人になって、色んなモノが画一化されて、失ってしまうんだなぁと再確認させられると同時に、
小さな子供と過ごす事で、またその時間を別の目線で味わって楽しめるひと時を頂けるのだなぁと感動しました。

■たった2歳で、島みたいな海がない中で育って、
いきなり島に遊びに来て、真っ黒に日焼けして、
最初は怖がっていた海も、存分に楽しめるようになって、
終いにはSUPに乗って足のつかない海すら楽しめる成長…

子どもの好奇心とか、進化とか、成長とか、
大人のそれとはレベルが違うその世界に圧倒させられます。

自分が若く22歳で父親になった時、
ゆったりとした島の暮らしの中で、
存分に子供から学ばされた事を味わう時間があったことがとても幸せに思います。

みんながそうだとは限りませんが、
内地で僕が家族を持っていたら、
きっとなかなか仕事ばかりで家に帰れずに、
一生懸命働いて家族を養っていたと思います。

もちろん、子どもや妻を安心できる生活の為に働くわけだし、
生きていくためには違いないのですが、
子供の成長をタイムリーに味わいながら暮らすのは、
僕にとっては島暮らしだからできた事だと思います。

二人の娘と一緒に過ごしてみて、
共に味わえる時間はほんの少しであることに気付かされました。

とってもピュアな感性の時期なんて、
実はあっという間に過ぎ去ってしまうのです。

女性は妊娠と出産で強制的に暮らしの世界が変わるのに対して、
男性はその子育て期こそが仕事のバリバリ期に重なる場合が多いと思います。
核家族の多い日本社会において、
なんかそこはとてもバランスが悪いように今は思えます。

職場で家庭から離れて、さらには休憩時間とか得られる男性に比べ、
女性は永遠に感じれるほどの幼児との時間、家事に追われる日々。
若いママと、
ほんの些細な息抜きがあればいいのにねと話していました。

子どもや家庭から少しだけ離れて、
美容院に行ったり、好きな買い物をしたり、
島であればフラッと海に行ったり、飲みに行ったり、
色んなフォローがあって、心にゆとりができると、
子どもの世界を味わえる余裕が出来てくる気がします。

島暮らしの場合、
映画館も、地下鉄も、ショッピングモールもないけど、
当たり前の人間らしい暮らしがあって、
みんな長い休暇もあって、
お互いがお互いを労う気持ちがあって、
そんななかで子育てできるのが、
とても有難くて幸せなんだなと再確認できました。

仕事三昧で一生懸命になってしまう気持ちはわかりますが、
ぜひ子供の小さい時期を存分に楽しめる環境を意識すると楽しいのになぁと感じるのです。


■ある夕暮れの母島診療所の外。
ドクターや看護師さん達がみんなでメジロの巣立ち雛を眺めていました。
聞くと、みんなでもう30分以上眺めているというのです(#^.^#)

実は車が通る道のすぐ脇に、
メジロが巣を作り、抱卵していたのです。

車の接触で、巣が揺さぶられない様に心配したスタッフが連絡をくれて、枝を選定したのが2週間前。
それから、あっという間にヒナが孵化し、巣立ちまで無事に見守られていました。

日々、新型コロナなどに精神をすり減らして、
島の医療を支えてくれている診療所スタッフにとって、
「このメジロの可愛い雛たちが、最高の心の癒しだ」と笑っていて、
なんだか僕も嬉しくなりました♡

先日も島のレジェンドに、
早朝4時に南崎に通う時も、
夜に帰って来る時も、
飼っていた犬が送ってくれたり、迎えてくれたりと、
すごい可愛かったと最高の笑顔で語ってくれて、
鳥や動物たちが人を癒してくれる効果は凄いなぁと感じました。

■今の母島は夏休み。
去年はコロナ禍でほとんどの家族が夏休みに内地に行くのを避けていましたが、
今年はワクチン接種も終えたからか、8割くらいの家族が内地に行っていて、
島から子供の数が圧倒的に減っています(*^_^*)

島暮らしは多くの場合、
ほとんどの職場で2週間以上の長期休暇を取る事が出来ます。

なかなか島の外に出れないアクセスの悪さがもたらす、
最高の恩恵ですね(*^_^*)

なので、通常は夏休みは島の子供と家族の人口がグッと減るのが通常です(*^_^*)
内地で、色んな経験をして帰って来るのが、
とてもいい刺激になります。

我が家もコロナ禍直前まで、
バリカナダハワイ、インド、青ヶ島などなど色んな経験をさせてもらいました。

今はコロナ禍で内地に行く事も、
留学中の長女が島に帰って来ることも自粛していますが、
そんな時は島の小さな子供や小さな命から、
新しい発見を沢山頂いています。

身近な身の回りに実は新鮮な発見が潜んでいます。
今回はとても小さな命にそれを教わりましたハート

毎日のその全てがギフト。

自分の気持ち次第で、
ただの日常がワンダーランドになります♪

たった2歳の先生に、
40歳のおやぢは沢山教わっています(*^_^*)

どうもありがとう♪




母島返還祭Tシャツと娘たち

2021年07月17日 | 母島 暮らし 子供
■「えっ?ほんと!?やった!」
去年はコロナ禍で中止だった母島返還祭。
今年はできる事だけでもやろうということで、駅伝とゲートボール大会、花火、Tシャツ作りを実施することになりました。

その中で、駅伝とゲートボールは残念ながら中止になってしまいましたが、
花火とTシャツは実施する事が出来ました♪

冒頭の一言は実行委員会から今年の返還祭Tシャツのデザインが、
次女が書いたものに決定したという連絡を受けてのものでした(#^.^#)

胸の部分には母島返還祭第47回のロゴが付いています。

この数字には色々理由があります。
母島は父島と同時に昭和43年(1968)6月に返還されましたが、
当時の欧米系住民が住む父島と違い、完全に無人島でジャングル化しており、人が住むまでに5年の歳月を費やしています。

なので、返還53年の今年は本来であれば「第48回」のロゴが付くはずです。
しかし、去年コロナ禍で一切の実施を中止にしたので、今回のロゴは「第47回」となり、その数字となりました。

母島はその返還5年後から毎年返還祭を実施しており、
その頃から住民からデザインを募集して、実行委員会の投票で決めてきました。

今回は、次女が応募した何点かのイラストの中から、見事に選ばれた形になるのです(#^.^#)

こんな通知が届いたときには、じんわりと喜んでいました。

子どもらしいタッチで、
満天の星空に流れる天の川。
静かな夜の海に感じるクジラの息吹、亀、渡り鳥…
それを見守るタコの木…
母島の風景を子供の目線で描いた素敵なデザインです♪

大人にはなかなか書くのが難しい、
子どもの発想と絵のタッチ。

そんなエッセンスも選ばれる母島返還祭Tシャツ、嬉しい企画ですね♪

島民の方からは
「過去で一番のお気に入りデザインだよ!」と言われて、嬉しそうでした(#^.^#)


■色のパターンは3色あり、生地の色が白、灰、紺があります。
紺は密かに次女が希望して叶った色であり、超お気に入りです♪

サイズは子どもサイズがMとL
大人サイズはS,M,L,LL
がラインナップ。

9月以降くらいには島内の注文から余った分が少し役場で販売されるかもしれません(#^.^#)



■思えばちょうど10年前、長女が描いたデザインが返還祭Tシャツに選ばれたこともありました。
母島の特産品でもあるパッションフルーツのイラストです。

長い返還祭の歴史の中で、
パッションフルーツが描かれたのはこれが初でした。

文字に遊び心があるのは姉妹共通です(笑)。

これは妻が気付いた事なのですが、
長女の時は2011年で東日本大震災の年、
次女の時は2021年でコロナ禍パンデミックのオリンピックの年に選ばれたことになります。

歴史的にも色々忘れがたいTシャツになりそうです(#^.^#)



■さてさて、実は僕も所属しているふるさと検討会で、
素敵な展示会を企画し、現在絶賛展示中です(7/20まで)。

これはなんと平均年齢86.3歳の島のアーティストの作品を展示したものです。

圧倒的な鉛筆による繊細な絵画の安部さん
沢山の物語を織り成す、斉藤さんの木彫り、
ユーモアとアイディアの茂男さん(99歳)の段ボール動画工作、
どれも素晴らしい作品ばかりです。

その年齢にも驚きですが、
それ以上に作品の素晴らしさが圧巻です。

7/20(火)まで実施していますので、ぜひ覗きに来てください(*^_^*)

■そして7/16は母島にとって初の聖火ランナーが走った日でした。
僕は介護の仕事場から観戦しました。

その部分のランナーは島出身の中学生の鮎川琉生君でした☆

島のレジェンドの皆さんもタンバリンなどを鳴らしながら応援しました♪
その後は前田豊さん小林舞波さんにバトンが渡されていきました☆

個人的にはこの状況で実施するオリンピックに今も疑問はありますが、
こうして3人にとっても、島にとっても貴重な経験になったと思います。

TVカメラは残念ながら父島までで、母島は記事のみで、
少しがっかりしている人も多かったようですが、
まあ母島あるあるですね(#^.^#)

関係者の皆さん、ランナーの皆さん、お疲れ様でした(*^_^*)


■島に住んでいると、その暮らし全てがコンパクトで、
内地に住んでいた頃には関われなかったもの、見れなかったものに沢山出会えます。

聖火ランナーに関わる事でも、
その為に何十人も来る警察や関係者、島側の準備など、色んな背景を見る事が出来ます。

島の電気を作る発電所の重油だって、
島に届く物資、
捨てられるゴミ、
内地や父島に送る産業廃棄物やゴミ、
様々な職種や年齢の人の暮らし…

議会に立候補する議員さんや村長さんの暮らしや人柄…
大人数ではなく暮らしだからこそ、見えてくる良さもあると思うのです。

そしてそれがそのまま感謝に繋がるし、
自分もそれに関わって行こうと思えます。

僕が母島に住んでいて、とても気にっている点は実はこの把握できる小ささにあるのかもしれません♪


コロナ禍初の島の運動会

2021年05月25日 | 母島 暮らし 子供
■5月22日(土)2年振りに母島小中学校の運動会が開催されました。
去年はコロナの感染拡大防止のために中止となっていただけに、
子ども達も先生も保護者も久々の感触を味わっていました。

驚くほどの最高の天気♡

こんな緊急事態宣言の最中ですが、
沢山の工夫と検討を重ね、
無事に実施してくれたことに感謝します。

今回は例年の運動会とは違います。
保護者や地域の参加、保育園児の参加はありませんし、
お昼に終了です。

いつものPTA参加のムカデ競争や、
青年会のパン喰い競争、
親子参加の二人三脚、
一般も参加してのリレーなど白熱して盛り上がるのも無くなったのはとても寂しいですが、
このコロナ禍です。
仕方無かったと思います。

逆にコロナ禍でもこうして子供たちの為に実施しようと努力してくれた学校サイド、
この日の為に毎日一生懸命練習に励み、
当日も楽しんだ子供たち、
それを支えた地域や保護者の皆さんに深く感謝します(*^_^*)

僕は沢山感動しました♪


■次女は6年生で姉に続き、やはり応援団長に。
毎日ヘトヘトになるまで昼休みなども練習に明け暮れていました。
「○○くん、まだしっかり伝わってないから、今日の昼は練習しないと」
さすが6年生、
下級生のまだ至らない点をしっかりフォローしたり気を配っていました。

親に見せた[見て欲しいポイント]はもちろん応援合戦なのですが、
その幾つかの項目の中に「下級生の誘導係」なんてのも入っており、なんだか微笑ましかったです。
きちんと最上級生としての役割を自覚していたのです。

あとは賞状を受け取る場面。
勝っても負けても受け取る役目は決まっており、
そこを見て欲しいと。

これが中学生になると
「あまり見なくていいよ」
となるはずなので、微笑ましいですね(*^_^*)

「今までで一番声を出せる自信がある!」
と鼻息荒く、自信満々に言っていた次女ですが、
運動会後は
「練習みたいに声が出なかった…悔しい!」
と本番の緊張感も味わっていました♪


■小中学生合わせて40人未満程度の規模ですが、
母島は地域で子育てをする雰囲気の地域なので、
自分の子供以外の成長や頑張りも我が子のように応援します(*^_^*)

中学生男子にもなると、
メキメキと体が筋肉質になり、
ついこないだまではヒョロッと走っていた子が、
力強く、カッコ良く走る様になってきます。

歯を食いしばって、真剣に走り、
ライバルに勝った時の笑顔はやはり最高です♪

例年だと教員や一般も走るので、

[日々進化する子供] Vs[日々退化する大人]
の対決がとても面白いのです(他人事ぢゃないっ!)。

ちなみに父島の総合運動会は高校生が参加します。(母島は高校生がいない)
そのクラスになると、大人を軽く凌駕し、
自分のアピールをしたいお年頃の高校生達が凄まじく、
それに負けじと大人達が転ぶ様が本当に面白い見どころでした(*^_^*)


■これは子どものダンスみたいな「母島フラッグ」の一場面。
全身を使って、全力で跳ねています(*^_^*)

姉もそうでしたが、
うちの子ども達はこのダンスの類が大好きです♪

親二人は運動会は嫌いなクチだったので、
これは遺伝ではなく、母島の環境と本人たちの気質のお蔭と思っています(笑)。

今年の中学生のダンスも素敵でした(*^_^*)

今回は新しい取り組みも多く、
色々新鮮に楽しめました♪

いつも気になる「南洋踊り」も今年は1,2年生だけに限定し、
ステキなアレンジが施されていました。

途中の大きな掛け声、
最後のギダイの大合唱、
これには母島の酋長も大喜び♪
ビブラートの利いた素敵な先生の生歌と共に、郷土芸能の今を楽しめましたm(__)m

コロナ禍でただでさえ例年通りにできない中、
こうして新しい取り組みに挑戦する姿勢はとてもカッコいいと思います☆

■我が子は何故か代々「白組」に属することが多く、
いつも負けが多い気がするのですが、
今回は玉入れの大成功から一気に勝ちロードを突き進み、
優勝し、最高に喜んでいました♪

姉や僕と違い、
次女は勝ち負けにとてもこだわるタイプ(笑)。

となりの死ぬほど勝ち負けにこだわるタイプの白組の男の子は、
優勝の声で天を仰いで喜び、
「やったな!!!」
の最高の笑顔で勝利を称えていました(*^_^*)。

元々勝ち負けはまったく大事に考えていない僕ですが、
これはこれで微笑ましかったです♡



■コロナ禍で半日ということもあり、
プログラムはとてもテンポよく進んでいきます。

これは本当に先生方が工夫していた部分に感じます。

子ども達も例年であれば一般や保育園のプログラム時に休憩などできるのですが、
今回はずっと出ずっぱりでした。

大会終了後にみんなでテントを片付けるのですが、
この1年間、ずっとイベントがなかったせいか、テントの片付け方、立て方を忘れているケースが目立ち、
ああ、こうして色んな事がロストしていっているのだなぁと感じる場面がありました。

閉会式では中3の長男をもったPTA会長が感謝と感想を述べて、
無事に終了しました。

いつも梅雨時期で、天候が不安な場合が多いのですが、
今年は空梅雨で最高のコンディションとなりました。

先生方も春からずっと準備していて、これでひとまず肩の荷は下りたかと思います。

いつもとは違い、コロナ禍という見えない敵との戦いがあります。
そして、その戦いはまだまだ長引きそうです。

色んな考えがあるとは思いますが、
そんな最中でもこうして、実施できたことをとても有難く感じます。

そして、その中で沢山の感動と癒しを頂きました。

可愛い低学年、
成長する過程を垣間見せる子供たち、
本気で取り組む目線や笑顔。

先生方、子ども達、保護者の皆さん、地域の皆さんには本当に感謝の気持ちでいっぱいですm(__)m

運動会後はもちろん恒例の
PTAによる浮島が前浜に設置され、
午後の半日はみんな海で遊んでいました♪

子どもも成長し、
我が子よりも人の子に遊んでもらう状況になってきた僕は、
SUPで沖合を楽しみつつ、
子ども達にも遊んでいただきました(*^_^*)

個人的には返還直後の運動会であった、
・大人の騎馬戦(当時、土建屋が血気盛んで2回で中止とかw)
・大人の玉入(これはあったかどうか分からない)
・職場対抗リレー
なども復活してほしいですねヽ(^o^)丿

大人達も全力で運動会を盛り上げる母島の運動会。
コロナ禍が一日も早く終わり、いつもの様な島の運動会が実施できることを願ってやみません。

お疲れ様でした!
ありがとうございました(*^_^*)

次女、マイパドルで漕ぐ

2021年05月12日 | 母島 暮らし 子供
■先日は家族3人で石次郎海岸までカヌーで行ってきました。
相変わらず石次郎海岸はとてもキレイです♡

これも、以前から「島に住む」「海に出る」「カヌーを漕ぐ」「家族と過ごす」
という種を蒔いていて実った部分と感じています。

最近は日々夏野菜の種を蒔いているので、
思考がタネになってきています(笑)。

次女にとってオリジナル・パドルデビューの日となりました♪
沖縄パドルファクトリー製福井さんによる、オーダーメイドです。
素晴らしいパドルをありがとうございます!

これは以前のカノー大会、キッズカノー大会で入賞し、
本人もカヌーが好きでよく練習に参加するので、
親からのお祝いでプレゼントしたものです。

オーダーして、自分の身長に合わせた、夢の1本です(*^_^*)

次女は外洋では初のステアリングをしたそうです。(去年やってなかったっけ?)


沖を操舵するのはとても緊張したそうですが、
さすが島っ子です(*^_^*)
うねりや風を読みながら、
船体の向きを考え、
沖へ行き、帰って来れました♪

自分の身長に合わせたパドルはとてもしっくり来るそうです。
ベント付き(シャフトが少し曲がっている)なのもいいようです(*^_^*)
いっぱい使って、愛せるパドルになるといいですね☆

マイパドルを抱えて歩く後姿は、なんだか様になっていました♪

5月に入り、ようやく泳いでもあまり寒くない気候になってきました。

コロナ禍で行事や団体イベントはやりにくい世の中です。
こんな時こそ、家族で思いっきり楽しみたいと思います♪


■今週は平日に2日連続で昼休みにSUPしたら、とても調子いいです。
2時間の休憩が有難いですね(*^_^*)

家からSUPを抱えて5分で海に行けちゃう利便性。
車すら使わずにSUPできてしまう立地条件♪

これを便利と言わず、なんというのでしょうか(#^.^#)
本当に有難い限りです♡

いくつになっても、
人は
休むよりも、
好きなことした方が活き活きできるってことなのでしょうか!?

■母島の88カフェで働くシモナちゃんの素敵な記事を紹介します☆

世界各国を旅して、今は母島にいます。
長女が今いるバンクーバーアイランドにいた事もあり、
Tofinoに長期滞在していたそうです♪

この記事の内容も、とっても素敵です♡
旅というものを考えさせられます。

先日は浜辺のヤシの木にハンモックで気持ち良さそうにしていました。
今度は一緒にカヌーを漕ごうね(*^_^*)


■久々にコアオアシシギさんを見かけました。
この早口言葉であまりに言いにくい名前の鳥さん。
嘴がわずかに上向きに湾曲しているのが特徴です(*^_^*)

可愛いもんですね☆


この冬、母島で初めて見かけたシジュウカラガン(カナダガン)は温かい季節になってもまだ母島におります。
だ、大丈夫かな?

子どもたちと原生林・石門を歩く

2021年03月21日 | 母島 暮らし 子供
■先日、次女のいる母島小学校の5年生+先生と石門に行ってきました♪
いわゆる、1年間の感謝を込めたクラスレクみたいなものです(*^_^*)

石門は母島に残された原生林が残るとても貴重な場所です。
固有の植物やマイマイが多く生息していて、
ガイドなしでは入山をする事ができません。

なんと5年生の保護者には、そのガイドの資格を持った保護者が複数います☆
今回はよく山の植物の仕事で石門に通っている保護者さんと、
僕の2名が案内役として同行しました。

父島よりも100m標高が高い母島。
その高さの為か、乳房山も石門も雲霧帯と言われる、
湿気を帯びたよく霧みたいな雲がかかるエリアが山の上一体に存在します。

そのエリアは特に固有のマイマイも多く、
苔やシダが周囲を覆っている、
とても幻想的な雰囲気を作っています。

僕は食べられない植物は全然詳しくなく、
道案内はできるけど、植物の詳しい案内はできません。

もう一人のガイド役のYさんは、植物の保全の仕事もしていて、超詳しいのです♡


■普段の島の子は中学3年生になるまで、石門に行く機会がありません。
今回は保護者にガイドがいるので、特別に5年生で石門に行ってしまうという幸運に恵まれたのです(*^_^*)

石門は原生林の為に森の雰囲気が特別です。
終点にはラピエと呼ばれる石灰岩質の大地が広がり、
絶景が望めます♪

5年生の年頃でみんなでここに来れたのはとても良かったです(*^_^*)
歩きながらああだこうだ楽しいお喋りをしながら歩くのも最高でした☆

先生も初めての石門。
とても楽しめた様で、本当に良かったです(*^_^*)

■石門の貴重な植物を少し紹介したいと思います。

こちらがヒメタニワタリです。

この冬の長雨のお蔭で過去にないほど大きくて元気な姿を見せてくれました♪

母島と北大東島、中国の海南島にだけ生息している激レアな可愛いコです(*^_^*)

(1)分類
シダ植物 チャセンシダ科
ヒメタニワタリ
学名  Hymenasplenium cardiophyllum
絶滅危惧ⅠA類(環境省第4次レッドリスト)
(2)分布及び個体数
小笠原群島の母島と北大東島、中国の海南島に分布する。
小笠原諸島の母島石門に2ヶ所、数十株が生育。
このほか、北大東島でも50株程度の生育が確認されている。
もともと個体数が少なかったが、採取により著しく減少し、かろうじて残存している状態である。
※環境省のページより


こちらはセキモンウライソウ。

これは石門の遊歩道の終点付近の石灰岩地域にだけ生息する貴重な植物です。

セキモンウライソウ(石門セキモンウライソウ(石門烏來麻)
Procris boninensis
イラクサ科 ウライソウ属
草丈50~60cmの常緑多年草。

近縁種はアジア熱帯域やアフリカに分布するウライソウ(烏來麻)と考えられているようです。

烏来(ウーライ)という言葉は、もともと台湾原住民のタイヤル族が多く暮らしていた地域の名前で、
タイヤル族の「温泉」を意味する言葉が由来だそうです。

今回は可愛い花を咲かせていました(*^_^*)


こちらはユズリハワダン。

Crepidiastrum ameristophyllum
キク科アゼトウナ属
小笠原の固有種で高さ1mほどの常緑小低木。
小笠原にはキク科で木本化した植物は本種のほかワダンノキ、ヘラナレンがあります。

個人的にとても好きな植物で、
茎は伸びていくときに葉っぱが落ちてどんどん先を譲って伸びていくことからこの名がついたようです。

こちらはマルハチ。

小笠原固有種でそこいら辺に生えていますが、実は大のお気に入り。
茎に八の字を逆さにしたような跡があるからついた名前ですが、
このネーミングセンスは素晴らしいと思います♪

こんな握りこぶしより大きな巨大なゼンマイの様な芽を出します。
これは食用にできるのですが、成長点を裁つと枯れてしまうので、お勧めしません。

切り株にこんな可愛い植生が生まれたりと、
石門は雰囲気のある素敵な原生林なのです(*^_^*)


終点付近には固有種のオガサワラグワの枯れ木が幾つも存在します。

オガサワラグワは普通の蚕に使われるシマグワが固有化したもので、
成長がとてもゆっくりで、すごく固くていい高級木材になります。

その為に乱獲されたこと、
シマグワが小笠原に導入されたことで、オガサワラグワと交雑してしまい、
野生下では純粋な繁殖が出来なくなってしまい、
現在保全の対象になっています。

樹齢が2000年を超えるものもあったそうですが、
石門の崩落により、その大きな切り株は見れなくなってしまいました。

こちらはシマオオタニワタリ。

これは固有ではなく、広域分布種ですが、大好きな植物です。
新芽はお浸しや天ぷらに適しています☆

上を見上げれば、こんな景色のルートです・

子ども達はこの雰囲気の景色を当たり前に歩いていますが、
凄い事なのです(笑)。

きっと島を出てその価値に気付くことと思います。


■通りすがりにも貴重なマイマイに会えました!

子ども達が「水まんじゅう」と呼んでいる(笑)、
オガサワラオカモノアラガイです。

小笠原の生き物を語るうえで欠かせないのが陸産貝類(カタツムリ)です。
もともとの祖先は流木や気流などによって運ばれ、
その後、小笠原の環境の中で種類が分かれ、
それぞれの場所で固有化したものが多いのです。


とにかく、子ども達はこれを見付けるのが上手いです!!
なんと30分くらいの間に7匹も発見しました。

大人は叶いません(笑)。

こんな森の中をどんどん歩いて行きました。

■途中の境ヶ岳に登って、絶景を望みます。


子ども達はほぼ6時間の行程を全く苦にすることなく、
下山した後はさっさと遊んでおりました。
恐るべき体力ですね(*^_^*)


石門の終点付近にある石灰岩質のエリア。

ここは大昔は海底であり、サンゴが作った地質なのだそうです。

見事な鍾乳洞もあるのですが、
崩落の危険があり、現在は立ち入りを禁止されています。

その石灰岩質が雨などで浸食されて、尖ったラピエと呼ばれる岩になります。

溝状の微地形をドイツ語でカレンKarren,
フランス語でラピエlapiésというそうです。

終点でお弁当を食べてからは、東港を望む絶景ポイントへ。

足元はラピエで危ないのですが、
子ども達は難なくクリア。

この景色がゴールというのはあまりに最高過ぎますね(*^_^*)

歩きながら先生と深い話や、
あまりにくだらない話などをして盛り上がりました(笑)。

最後にこの素晴らしい企画をしてくれた保護者さん、
案内してくれた植物のエキスパートのYさん、
工程を最高に楽しくしてくれた子供たちと先生、
お邪魔させてくれた大自然に感謝です!

どうもありがとうございました(*^_^*)

子供の遊ぶ場所

2021年03月06日 | 母島 暮らし 子供
■母島で見る「ゆり丸」が小笠原最終航海を迎える頃、
母島の前浜で壮大な芸術作品の数々が姿を現しました。

島の子供達が何時間、何日もかけて、
石や流木を集めて、
様々な秘密基地(秘密なのかw?)を作っていました。

普段、子ども達が小型のゲームばかりやっていて、
なんだかなぁと思ってる親たちも、
これにはとっても微笑ましく眺めています♡

僕も畑に向かう通りすがりで、
活き活きとした子供たちの芸術作品の建設風景に出逢い、
嬉しくて、感動をして、沢山写真を撮りました。

これはなあに?と聞くと、一生懸命説明してくれます。
「これは巨人のトイレ!」(笑)
「ひみつの落とし穴!!」←秘密ぢゃねーぢゃん(^_-)-☆
などなど

なんて自由な思い思いの作品ばかりなのだろう(*^_^*)
保育園児から小学6年生までが一緒になって作っているこの光景が、
たまらなく愛おしい♡



■しかし、そんな親や子供の笑顔の裏側で、
こんな話が学校の朝礼でされたそうです。
「子ども達が前浜に作ったやつ、ウミガメの産卵の邪魔になるので、すみやかに片付けて下さい」

そして、朝礼後の子供達の反応。
「なんで!?ウミガメの産卵は今の時期じゃないじゃん!(夏です)」
その日は雨だったので、その翌日に先生も一緒に前浜の芸術的なオブジェは早々に撤去ということになりました。

納得いかない、子供達は思いっきり憤慨します。
もちろん、親もです。
うちの次女ももちろんです(*^_^*)

これには大人の事情があったようです。
島民から、ウミガメの産卵を理由に苦情があったようです。

学校はそのまま子供達に伝えた様で、納得がいかなかったようです。

確かに、前浜は公の場所です。
誰かがそこを利用したら、片付けるのが筋です。
そこに1ミリも反論はないと思います。

しかし、そこにもっと道徳的に配慮して子供達に伝えれなかったのか?と思いました。

これは学校にも伝えた事ですが、
まずは島民に言われたことをそのまま子供達に伝え、
しかも“先生も一緒に片付けた”というのが、とてももったいない所に思えました。

僕が先生ならば、
まずは子ども達のその芸術性の高さを思いっきり褒めます。(実際に感動したし!)

そして、前浜は公共の場所だし、野生動物も人もみんなが使う所だから、
今は冬で子供以外誰も使ってないからいいけど、
1週間くらいしたら片付けようね。
あんまり大変なら俺も手伝うよ。
と、言ってます。

そして、
苦情を言って来た島民の言葉を鵜呑みにするだけでなく、
しっかりと当事者と対話し、
できれば子供たちとも話す場を作って、
お互いの気持ちを確かめる作業をします。

それこそが道徳なのではないか?と思うのです。
教科書だけでなく、リアルないい機会ではないのか?と思うのです。
勿体ない機会と感じました。

先日の次女の学校の保護者会でもこんな話題がでました(*^_^*)



■現代の様に車も多くなり、安全管理を謳われる前は、
もっと子供達は自由に遊んでいました。

僕の子どもの頃過ごした、仙台の八軒小路も、
裏路地には車の通らない細い道があって、
子供達はボール遊びや、道路に落書きなど、
自由にのびのびと遊んでいました。

母島でも子供達は自由に海に川に山に遊んでいて、
先輩に習いつつ、
先輩も「この子なら大丈夫」と判断して、少し危険な場所に後輩を連れていき、
遊びの伝授をしていました。

転勤でいきなり島に来た子や、
島っ子でもその場を乗り切るには能力が足りないと思う場合は、
誘わなかったそうです。
さすが、島っ子。
素晴らしい判断だと思います。

しかし、月日と共に安全管理、責任が問題となり、
子供が勝手に遊ぶよりも、
安全で楽なゲームやTVで遊ぶように親も誘導して来たと思います。

“何かあったら”そんなキーワードで、
子供達はどんどん窮屈になってきている事実は否めません。

これも核家族化が進む現代では仕方がないかも知れません。

公園しか子供の居場所がないというのは、
あまりにも寂しい気がするのです。



■小笠原は有難いことに大自然に囲まれて、レジャーランドなんて皆無です(笑)。
昔に比べて、子ども達は自由に自然で遊ぶのはしにくくなってはいると思います。

もちろん、ゲームや漫画にふける姿も目にしますが、
夏場は圧倒的に子供達は海で遊んでいます。

やっぱり、
あの気持ち良さ、
楽しさ、
そして、
少しの怖さ、
スリル。

子供達は色んな失敗を重ねて成長し、
生きるすべを遊びから見出していると思います。

大人はそんな子供の学ぶ場所を奪っていないか?
少し考える機会かもしれません。

自分が子供の頃、
どんな事でワクワクしたのか思い出してみませんか?

僕は近所の堀の近くで作った秘密基地、
広瀬川で遊んだ堰(せき)の周り、
5階建てマンションをフルに使った水鉄砲大作戦、
色んな事を思い出しました。



もちろん、小学校高学年からゲームや漫画に没頭しました。
大人が子供を楽しませるために考え出した娯楽は楽しくないわけはありません。

だけど、大人の及ばない子供の創造の世界も、
ワクワクして楽しいものであるという事実。
この場所を大人は残していかなければいけない気がしています。

あの頃は後先や責任なんて考えず、
好奇心と野望の赴くままに、突き進んでいました(今も変わらない!?w)


■返還後にPTAで植えたという前浜のココヤシ。
40年前頃の写真を見ると、大人の背丈くらいの背の低さです。

このヤシたちがずっと眺めてきた、島の子供達の遊び。
時代と共にどんな変容をしてきたのでしょうか?

昔の前浜は漁師がカヌーでカツオを獲って来て、
水揚げする場所でした。

その頃と今は変わらず活き活きとしているでしょうか?


昔も子供の遊びにとやかく言う場面はもちろんあったでしょう。
放っておくと人様に迷惑をかけることになりまくりです。

昔は大人が日常の仕事が忙しすぎて、
子供の遊びを眺めている暇はなく、
子供の年上がみんなの面倒を見ていた時代です。

今とはまた違う生活のスタイルですね。
昔に戻れとは思いませんが、
昔を参考に、より良い今を作って行ければと思います。




■最後に3月は島のお別れシーズンです。
コロナ禍の今年も、この春に卒業したり、親の離任で島を離れる子供たちがいます。

母島で過ごした時間は、
間違いなくかけがえのないものになります。

内地で暮らして、
どこか人間らしさを見失ったときに、
母島での生活を思い出してほしいです。

当たり前にすれ違いで挨拶する風景、
多年齢で遊ぶこと、
親ではない他の大人に叱られるということ、
思いっきり飛び込める海があるということ、
自然にはたまらない魅力があり、敵わないと思い知らされること、
そんな事を忘れないでほしい。

先日、子供フラのお別れ会で、子ども達の可愛いフラを眺めてそう思いました。

改めて、こういう場を支えてくれる島の大人たちの姿勢に感謝です。

こういう環境ですくすくと母島の子供達は育って行きます。
それと同時に大人達も育って行きます。

いつまでも、
こんな人の為に自分の時間と労力をさけることを厭わない地域であり続けたいものです。

みなさん、本当にありがとうございます。

クジラとサカナとトリと。

2021年02月28日 | 母島 暮らし 子供
■令和になっての天皇誕生日。
この日はPTAのホエールウォッチングの日でした。

延期に延期を重ね、ようやく訪れた冬の束の間の海が少し穏やかな日。
去年は家族で青ヶ島や八丈など内地に行っていて2年ぶりの参加です♪

カヌーで沖に行って出逢うと、ドキドキです。

その巨体の存在感に。

今回はPTA保護者の漁船に乗っての観察なので、もっと安心してクジラを観察できます。
漁師さんもクジラにも人にも優しい操船でした。

僕が乗った最後の班は、酔いやすい子が多めの班だったので、
心配でしたが、子ども達は酔うことはありませんでした。
(海風に寒いと眠いはありましたがw)


祝日の昼下がりと言う時間のせいか、
割と穏やかな母子のクジラを多く見かけました。

7群16頭。
その中に2頭ほど、メスを狙うエスコートと呼ばれるオスもおりました。

エスコートと言う言葉が謎に思えるほど、
母子に付きまとい、メスを狙っています。
そう、クジラたちは小笠原の冬に繁殖に来ているのです☆


小さな背中の小クジラの横で一気に潜る母親。
ザトウクジラはこの尾びれの模様で指紋のように個体識別をしています。

見付ける時はだいたいはブロウ(潮吹き)を探します。
意外と結構浅い海域を好むので、
冬場の発見は容易です。

こうしたイベントをPTAで実施してもらえる母島は最高です♡
もちろんその為の事前、当日調整の校外部の皆さんや、
船を操船してくれる保護者の漁師さん達に感謝です♪

この日は我が家にとっても、色々と大きな出来事がありました。
大切な人と過ごした時間、
めぐる命。

地球の壮大な生命が織り成す世界に想いを馳せました。

長女も遠く離れたカナダでとてもいい事があったようです。
目指していた成績の表彰を受けたり、
その土地に溶け込めているってことを、
存分に感じれたようです。

全然近くにいて欲しいとは微塵も思いませんが(笑)、
元気でいて欲しいと、いつも思っています。

母親とはよくSNSでやりとりをしているし、
そんな事も容易な時代ですが、
僕にとってはその時々の連絡が心配であったり、
嬉しくも会ったりします。


同じ哺乳類のクジラたちも、
巣立った我が子の事を想ったりするんですかね~

もっと淡々と生きている気もします。

動画も撮りました。
島の子供が「子ども連れって事は、すぐに上がって来るよね~」とか普通に話しているのがいいですね。

そう、子どもは呼吸のサイクルが大人よりは短いので、
母クジラもそれに合わせて浮上してくるのです(*^_^*)


■そんなホエールウォッチングの前日。
昨日は夕方に「まいど~魚屋で~す」と威勢のいい声が☆

漁師さんに立派なカンパチを頂きました!
すぐさま「私が捌きたい!」という次女。

次女は小さな頃から(今も小さいけどw)、魚を捌くのが好きです♪
特に内臓の観察が大好きで、
どんな部分なのかを毎回よく調べます。

同級生に釣りの名人の男の子がいて、
彼は釣ったら、その場で鱗と内臓を出して、きちんと処理している様を見ているので、
次女にとっても当たり前なのかもしれません。

僕も横で口出ししつつ、鱗取り、内臓、3枚おろし、皮挽き、刺身盛り合わせまでこなしました♪
包丁さばきが上手になって来ました(*^_^*)


冬のカンパチは脂がのっていて、美味しいです♪

やるな~もうすぐ6年生!!
おやじは大人になるまでそんなことできなかったぞ!!
(そもそも、まな板を超える魚が家にある事がなかったw)
大人になって、父島のユースホステルで働いていた時に習ったのが、
今の魚捌きの基礎になっています。

我が家ではもっぱら僕の仕事です。

そんなマリアを横目に、
おやじはアラ煮を作っておりました♪

頭と脊髄周辺や皮など、食べれる部分は全部食べます。


刺身の手前の渦巻きは薔薇だそうです。

新鮮なカンパチはプリップリでとっても美味しかったです♡
もう半身は明日に取っておいて、身の熟成中!
収穫当日と、2日後の味と身の変化も検証(#^.^#)
いつも美味しいお魚をありがとうございます♪


■少し前の節分のブログ記事で、母島の漁協売店が移転すると書きました。
店員さんも移転作業を頑張りに頑張り、2/8の入港明けからリニューアルオープンとなりました♪

前のお魚センター(漁協事務所の下)が新しい店舗です。

みんな新しいお店のリニューアルにドキドキワクワク。
「なんか雰囲気がコンビニみたい♪」
と、島の日常に新し風が吹いていました(*^_^*)

初オープンの日に夕方言ったら、島の友人がいたので声をかけたらポーズを取ってくれました☆

段ボールで作られたこの看板のローカルさがいいです♡


今年の2月は例年よりも暖かく、毎週末が海が悪い印象の2月でした。
でも晴れた日はやっぱり気持ちのいい景色を魅せてくれます。

素朴で小さいけど、大自然に囲まれて、
みんなが楽しく過ごしている母島が僕は大好きです☆



■2年前の大被害を及ぼした台風21号のあとは、全然姿を見せなかったアカガシラカラスバト。
この冬は割と多くの場所で見かけるし、畑でもよく鳴き声を聞きます。

天然記念物であり、小笠原にしか生息していないこの鳥も、ほんの10年前までは見ることが珍しい幻の鳥でした。

保全計画作りワークショップが実施され、ネコ対策が進むと数年で時々見かける鳥になりました。
まだまだ絶滅危惧種から外れるには程遠いそうですが、
みんなが知らない幻の鳥が、こうしてメジャーな存在になった時代を過ごし、
人の影響の大きさを感じさせられます。

そんな人の事は関係あるのかないのか、
このシーズンは渡り鳥のツグミを多く見かけます。

40羽くらいいるんじゃないか、ということです。

クジラもトリもサカナも大海原を超えて、小笠原にやってきます。

太平洋の小さな島で暮らす僕たちには計り知れない、
地球のスケールを存分に使っている存在、
その存在を感じれることが、
また少し自然に対して謙虚にさせてもらえるきっかけになっています。

いのちは巡り、時は流れ、
今年は僕は40歳を迎えます。

39歳で亡くなった父。

55歳で亡くなった母に比べて、
圧倒的に早くに他界したので、
僕には「〇〇してあげたかった」と思うにも幼すぎました。

今では、
一緒に飲んでみたかったなとか、
色んな話がしたかったなとか思います。

きっととうの昔に生まれ変わっていて、もっと身近にいるのかもしれませんね。

千の風になって。

コロナ禍でのハロウィン

2020年11月06日 | 母島 暮らし 子供
■ハローウィン。
それはお化けに仮装して、いたずらをするかお菓子をもらうかのお祭り行事。

我が家はこのコロナ禍なので、自宅でひっそりと行うことにしました(*^_^*)

今年は食べるカボチャを切って、ジャックオーランランを作成しました。

本来は食べれない加工用のカボチャを使ってやるそうですが、
今回は北海道の食べれるカボチャを使用したので、
きちんと使用後は妻がカボチャサラダにしてくれました♪

まずはカボチャに顔を下書きして、
底を円にくり抜き、中身を掻き出します。

その後はナイフを使って、顔を作っていきます。

次女さん、なかなか上手です♪

無事に完成!!


せっかくなので、切り取ったパーツを使って、
「かぼちゃえもん」(笑)!!


■本来、ハローウィンはアイルランドの古代ケルト民族の収穫祭なのだそうです。
ケルト人の1年の終わりは10月31日とされ、この夜は死者の霊が家族を訪ねてくると信じられていたそうです。
が、時期を同じくして出てくる有害な精霊や魔女から身を守るために仮面を被り、魔除けの焚き火を焚いていたとのこと。

そこから仮装するという形となり、カトリック教が入り、キリスト教圏に広がっていったと言われています。

そんなわけで、宗教的な意味合いのある行事でしたが、
現代では特にアメリカで民間行事として定着し、
祝祭本来の宗教的な意味合いはほとんどなくなっているようです。

小笠原も米国統治時代があり、今も欧米系島民が住む父島では、
今も大人たちの本気のハローウィンが行われています♪


■そんなハローウィンの期限に想いを馳せていたら、
島のレジェンドから面白い話を聞く事ができした。

なんと青森にそんな風習があったというのです。

その名も「カパカパ」。

弘前の田舎館、小正月に子供たちが夕方町に行って、家々を訪問し、
「カパカパに来ました」と言って、
1銭や2銭、お菓子などをもらう行事があったというのです。

その時に「カパカパ人形」を手に持って、くるくる回しながら訪問するそうです。

箸の先に人参のきれっぱしを指して、顔を書き、
紙で着物を作って、糸で縛ってつけるものだそうです。

現代のハロウィンの話を聞いて、このカパカパを思い出したそうです。
しかし、現代は廃れてしまっていて、現在70代以下の人はもうやっていなかったそうです。

カパカパ。
なんて愛らしい響きなのでしょう♡

色々調べると、情報が出てきます。
青森音楽資料保存協会の2004年2月号2004年10月号などに詳しく載っています。

日本の古い習慣にハロウィンに似たものがあるのは、
なんだかとても面白いエピソードと思いました♪


■そんな母島の11月。
さすがに涼しくなってきました。
もう何時間も海で泳げるほどではなく、1時間程度で、少し寒さを感じます。

風が冬型になって来て、母島でも朝SUPで沖に行ける日が少なくなってきました。

SUPを初めて1ヶ月半。
うねりよりも風にメチャクチャ左右されることが分かって来ました。

だって今朝なんて、30分かけて行った御幸の浜。
帰りはなんと追い風10分で戻れるんです(*^_^*)

そんな風の変化で冬を感じてくる今日この頃。
子供達が潜るこの海にザトウクジラ達がやってくる季節です(*^_^*)

今年はどんな姿を魅せてくれるのか、今から楽しみです♪


長女が手に入れた、新しい世界

2020年07月18日 | 母島 暮らし 子供
■父島に原付免許を取りに行きつつ、様々な事を学びに行って来た長女が母島に帰ってきました。
僕自身も16歳になってすぐに免許を取りに行ったのを思い出します。

バイクに乗れるようになってから、一気に行動範囲が変わりました。
たかが50cc以下の小さな乗り物ですが、
自転車だけの中学生時代と大きく世界が変わった瞬間です。


「今度から島民証がなくても、
 運転免許証で証明して
 島民割引で船に乗れるね!!」

北港に泳ぎに行くとき、
まだ不慣れな運転で僕の車の前を進む長女。

そんな後姿を見ていて、
島で暮らして、
海を堪能する仲間と同じ姿に見えて、
なんだか少し、
また一つ、
自分の力で世界に向かって行った、
そんな気がしました。

コロナで、
留学先のカナダにちゃんと戻れるか、
見えない中で、
ハッキリと、
彼女の人生が前に進んでいることを感じた。

そんな後姿でした♪

彼女自身も最初はバイクに及び腰で、
免許取得に躊躇していましたが、
これから自分の力で生きて行ってほしい事、
カナダの山で暮らしていても、人に頼らずに自分の力で街と山を行き来できるようになってほしいという思いから、
説得し、どうにか免許を取ることになりました。

そして、いざ取って見れば、
いやっほうっ♪といった具合に最高に楽しんでいます(*^。^*)

カナダでも免許を取得しなければと思いますが、
経験値は間違いなく上がっています(*^。^*)


■ちなみに小笠原では父島の警察署が原付運転免許講習を実施してくれています。
まずは学科試験を受けて、合格したら、後日講習を受けるという運びです。
(免許が内地で発行されて、島に届くまでに2週間くらいかかります)

昔は父島で普通自動車の運転免許講習もやっていました。
内地から教官を呼び、洲崎の自動車練習用のコースで練習し、
免許センターで一発取りをするノリで取得することができました。

踏切も高速道路もない、島での免許取得。
内地の道路は怖くて運転できない事から「島免許」と呼ばれていましたね(笑)。


ちなみに僕は当時、19歳で父島に来て、普通運転免許がないと島で働くのは厳しいことを知り、
20歳に西表島で半年働いた後、
仙台で昼は自動車学校、夜は夜勤の体制を1か月続けて取得しました。

その後、自動二輪免許も欲しくなり、
車の免許で学科は免除だったので、免許センターに行って一発取りで取得できました(確か7000円くらい)☆

車の天候に強い、利便性と、
バイクの圧倒的な景色と風の気持ち良さを知ってしまうと、後戻りはできません(*^。^*)

自動二輪は取得して1年経過すれば、二人乗りが認められるので、
2人で一緒にバイクに跨れることに憧れた年頃でもありました(#^.^#)


■さてさて、そんな免許を取得した長女。
集落から11㎞北の大好きな北港の海も自分の力で、自分のタイミングで行って泳げるようになりました♪

最近の北港では、特に会えるのを楽しみにしている存在がいます。
北港に去年位から数ペアいるこの、かわいこちゃん。

おそらくクロユリハゼかと思います♪
必ず2匹ペアでいて、結構うちの夫婦のお気に入りちゃんです♡

去年の夏くらいから存在に気付いてから、
台風で大荒れの後も無事を確認して、
ずっと会いに行ってます♪

夫婦でこのペアに惚れています(*^_^*)

そして海が大好きなのは、
太陽の光と空気の泡があまりに美しいから♡

夏も本当に遊ぶのに忙しいのです♪

北港に生息しているガンガゼとパイプウニ。
いつも見れば見るほど謎が深まります。

固くてしっかりした棘のパイプウニ。
脆くて、長い棘のガンガゼ。

どこをどう見て、感じて生きているのだろう?
やっぱ不思議だな~


■昨日の晩御飯は、
長女が帰って来ているからと、
立派なヒメダイのお刺身+潮汁♡

いつも凪穂を可愛がってくれている島かあちゃんに頂きました♪

大変おいしかったです!
お腹いっぱいになるまで、美味しい刺身と潮汁を頂きました☆
ご馳走様でした(*^_^*)

そして、この魚をさばくという事を、
小笠原ユース時代にペアレントさんにとても丁寧に習った経験が、
今、活きています!

まだまだ下手くそですが、
まな板に乗らないサイズの魚を頂いても、
マグロでもサワラでもさばけるように教わりました!!

刺身を盛り付けるだけでなく、
アラなど、食べれるものは全て利用できるところまで教えて頂きました♪

今回、さばきながら、
そんなことも思いだし、沢山の人に支えられているのだなぁと痛感しました。

本当にありがとうございます♡



海に飛び込む島の日常

2020年07月10日 | 母島 暮らし 子供
■島の子はよく海に飛び込みます。
そりゃまあ、ほんとに良く飛びます(笑)。
ほんと楽しそうに延々と飛び込み続けます(*^_^*)

子どもって、なんであんなに何回も飛びこめるのだろう?

大人は一回飛んだだけでもかなり消耗します(笑)。

先日は次女が、
ついに小岸壁から頭飛込みが出来るようになり、大喜びしていました☆

頭からの飛込みは本当に勇気が問われます。
高さがあればあるほど尚更です。
楽しみながらも、いろんな要素が詰まっているのが、飛び込みです(*^_^*)

先日、飛び込みについてFacebookに投稿したら、三宅島の友人が面白い分析を送ってくれましたので紹介します。

●飛び込み最高のトレーニング説。
・恐怖心との葛藤によるメンタルトレーニング
・周りの応援/賞賛による受容感を得る
・水との距離と落下速度を体感することでの空間把握能力の向上
・泳力/持久力などのフィジカル的トレーニング
・技術の向上による達成感/自己肯定感の強化
・失敗や怪我から学ぶ自己防衛力の向上(浅いところは危険、下に人がいないかなど)
・何より海は楽しい気持ちいい、という心が高まる!
・そして、飛び込みが上手いとモテる

こんな分析をしてくれるなんて、最高過ぎます♡

小さな頃から大きな子の飛び込みを傍らで見て育ちますし、
もう、衝動的にしか思えないような飛び込みも沢山見かけます。

保育園児でバク転して飛び込む運動神経のいい子も存在します♪
小学校高学年、中学生くらいになると、かなり完成度も増し、観ていてカッコいいなぁ~と思えてきますヽ(^o^)丿



■先日はうちの次女さんがついに東港の一番高い堤防からの飛び込みに成功しました♪
親としてもまさか小5の女子が飛ぶとは思っておらず、ビックリしました!

その時の映像がこちらです↓


落差は10mくらいあるでしょうか?
一応、下で待機はしていましたが、誰ひとり怪我することなく、
この日は二人の5年生女子が東港初飛込みを成功させました♪

ちなみにこの飛び込みの下では結構大きなネムリブカ4匹が、なにやら餌をあさっていました。
しかし、人間にはちっとも興味がない様子でした(笑)。
ネムリブカは昼間は寝てばかりいて、大人しい鮫の種類です。

飛んだ本人もよっぽど嬉しかったらしく、何度も飛び込み続けます。

これからはしばらく土日は毎週、東港でしょう(笑)


■さてさて、そんな娘の親でもある僕も飛び込みは大好きです。
しかし、去年の夏くらいからは大岸壁以上の高さから飛び込むと、
三半規管に影響するのか、水面で平衡感覚がおかしくなる感覚が発生しました。

その症状はこの夏も続いていて、
最近はある程度の高さのある飛び込みは出来なくなってきました。

無理すればできなくはないのですが、
こんなことで命を落として迷惑かけるわけにもいかないので、
見送りダイブは去年を最後に辞める事にしました。

ホントは山で仕事して暑いから、思いっきり見送る人がいなくても飛んでいたのですが(笑)。

■以前、母島のユースで働いていた頃、色んな見送りダイヴをしていました。
カンクーントルネード(きりもみ式ダイブ)
ムーンサルトプレス(バク転)
ダイビングヘッドバット(頭飛込み)

しかし、ある時、見送りダイブでバク転をしていて、
思いっきり距離を誤って、手の平を岸壁のカキでずたずたに切ってしまった事がありました。

その1件以降はトリッキーな飛び込みは怖くてできなくなってしまいました(笑)。
若気の至りですね~

当時は結婚前の21歳だったので(*^_^*)



■最近は平日の夕方も毎日飛び込んでいます。
放課後の部活の様に(笑)。

毎日毎日、暗くなってヘトヘトになっても飛び続けています。

大人が美しい夕焼けに見とれている頃、
子ども達は「オーロラみたいな空だね~!!」と言いながら舞っています♪

頭の中で
自分の娘への愛を歌う、ブランキーの「赤いタンバリン」が鳴り響きます。
あの曲の【赤いタンバリン】て、
ワクワクするほどの気持ちに溢れた子供の心だったんだなと思いました。

【夕暮れ時ってかなしいな。
 オレンジジュースとミルク混ぜながらつぶやいた。
 あの子の事が好きなのは。
 赤いタンバリンを上手に打つから】

大好きな描写です。

これはまたある日の夕方。
某小学生と某中学生はかめはめ波と魔封波を取得していたようです。

こちらがかめはめ波。
なんと二人同時!!


こちらは魔封波。
※ドラゴンボールでピッコロ大魔王を封じ込める必殺技ですw

とても有意義な放課後の稽古活動です♡

小さい子達は5時のレモン林の鐘の音で帰路に向かいますが、
単身でも泳ぐことを親に認められている子達は、まだまだ遊びが続きます。

畑帰りに僕も前浜によって一声かけます。
「帰らないの?」
と聞くと、
「まだまだ~~♡」
と返事が帰って来す(笑)。

「っていうかカメラ貸して!撮りたい!」
と言い寄って来ます(笑)。

こんな夕方を送れることが、本当に贅沢な時間なのだと思います(*^_^*)

■島の土日は前浜に脇浜に子供が遊びまくっています。
大人は沖や、もっと深くて遠い海を楽しんでいます。

毎日入っていても、同じ景色なんて一度もありません。
本当に飽きが来ません。

自然って本当に魅力的です(*^_^*)


そして、そんな自然で目一杯遊んでいる子供達を眺めていて、幸せになっています♪
ああ平和だな~と心底思います。

この平和が続くように大人たちは頑張っていかなければと思います。



■島の子ども達はこうして、逞しく色んな要素を成長させて、日々飛び込んでいます。
一緒に飛んでいて、本当にみんな楽しそうで、微笑ましいです。

昨日はコロナがついに東京都で過去最高の新規感染者224人。
全国では340人。

東京都はその7割が20~30代の若者であると報道。
感染場所はどこなのでしょうか?
夜の街だけを悪者にはしないでほしいと思います。

学校や職場、病院でも感染はあるのですから。

4月の時とは検査数が違うし、重傷者が6名で医療が崩壊を起こしていないので、非常事態宣言はする段階ではない、と。

昨日の入港では船内で発熱し、怪しい症状の人が出たと噂が飛び交い、医療の乏しい島では不安は続いています。

一方、島ではスポーツ系も再開し、フラや飲み会も再開され始めました。
すごく気持ちは分かります。
みんな色々気を付けてやっています。
責められるものではない。
やっているみんなも不安がないわけではない。

来島者も300人を超えてるし、
目に見えて観光客が増えました。

この状態であれば、
いつかは島にもやってくる可能性はあると思います。

島にコロナが入れば、
この前浜の風景も一旦お休みになるでしょう。

ここで、
この島で感染者が出た時に、
攻めや差別ではなく、フォローや支え合う事になったら、
カッコいいなと思います。

そんな事を想う母島の前浜でした(*^_^*)

※これは時間を聞いてくる子供がいて、それを近くで発見した子供が大声で妨害してきました(笑)。
 聞こえないように(*^_^*)
 その大声の子に向けてのポーズです(笑)。

魂魄~これからの時代を生きる若い世代へ

2020年05月16日 | 母島 暮らし 子供
■小笠原はGWちょい前から雨の日が多いです。
沖縄、奄美が梅雨入り宣言されていますが、だいたい小笠原も同じタイミングで雨季に入ります(小笠原は梅雨入り宣言されないのです)。

雷に始まり、雷で終わる小笠原の雨季。

去年、一昨年などは渇水でダムの水が30%を切り、切実な状況でした。
最終的には5月下旬の大雨で回復するのですが、この雨季の雨が島の生活には欠かせないのです。
まさに天の恵み。
有難さが身に沁みます(*^。^*)

そんな最中、先日の仕事は島内中のある虫の調査でした。
学校に行けてない、娘たちも同行でした(*^_^*)

鬱蒼とした霧が立ち込める幻想的な石門の情景です♪
次女も「なんか、雰囲気がある森だね~」としみじみ言っていました。
6月中旬の梅雨明けが待ち遠しいです♡


■さて、先日興味深い出来事が続きました。
新型コロナによってカナダ留学から緊急帰国してきた長女と色々相談している中で、
「将来、自分がやりたいことがない。わからない」
というのです。

まあ、彼女は思春期真っ盛り。
海外に行っているとはいえ、まだまだ自分で暮らせてもいないので、
将来に向けてぼやけているのは何ら不思議ではありません。

そして、別にやりたいことがないのが悪いわけでもないのですが、
何か少し気になったのです。
現状に満足いっているならそれでいいのだけれど。

もちろん僕自身も今は明確に将来のヴィジョンがありますが、
20代前半までは、どこかぼやけていました。

家族でWWOOFの旅をした25,26歳あたりから目標がフォーカスされて、
ハッキリ見えてきたのを覚えています。

しかし、“やりたいことがわからない”という状態は、僕の人生で一度もなかったと思うので、
これはなんでなのだろう?
きっとこれについて考える機会なのだなと考えました。

長女は考えを根詰めると、思考停止してしまうと自覚しているのです。
思考停止はもったいないと僕は思いました。



■畑で長女とそんな話をしていた時、
母島出身のとてもカッコいい若者が似たような内容の発信をしている偶然がありました。

彼女は現在21歳。

小笠原高校在学中に、
当時は「島からの参加は無理だけど」と教員に突き離された低コストの留学プログラムのチラシに対して、
とても真剣に向き合い、諦めずに根気よく調べ、勉強し、
なんと実現にまで漕ぎつけたという素晴らしい実績があります。

彼女のお蔭で今では毎年、小笠原から留学生が参加しています。
彼女はその先駆者となり、オーストラリアに10か月留学していました。

その後、帰国して高校を卒業し、
進学か就職が決まる周りと先生を振り切り、
なんとクラウドファンディングで資金を調達し、
パラリンピック2020ハンドスタンプアートを集める目的で世界一周を実現させたのです。

僕から見ても、
彼女はとても素晴らしい十代を謳歌しているように見えました。

彼女が演説しているトークイベントをぜひご覧ください。

沢山の人の前で、様々な工夫をしながらも、丁寧にスピーチするかれん。
とても素晴らしいと思いました♪

この発信の中に、僕にとってタイムリーで重要な部分がありました。
「将来何をしたいの?次は何をするの?」という質問が苦痛である事、
「自分がやりたいことがわからないときに、それを見つける秘密の方法を発見しました」
彼女は語っています。

あんなに活発に活動しているように見える彼女も、
そんな苦悩の最中にいたのです。
そして、彼女は自分なりにそれを克服する方法を発見したというのです。

彼女は母島で学生をしていた頃もとても印象深い存在でした。
正義感と責任感が強く、
生徒会長時代には長女の学校でのいじめに対し、
教員がまったく本気で動かない中、できることを全力でやってくれて、
辛い長女の気持ちに寄り添ってくれました。

本当にカッコいい存在だと思います♡
親としても嬉しく、有難かったです。



■さて、学校が子供たちに聞く、描かせる「将来の夢」は、
今僕が想い描いている「やりたい事」とは違います。
僕が学生時代に想い描いていたのは夢=職業でした。

今は夢=職業に限らず、
チャレンジしたい事、知りたい事、試したい事、将来の世代に向けてしたい事、島の未来に向けてやりたい事が溢れています。

職業だけに絞っている印象のある、学校での問いかけに、とても視野の狭さを感じるのです。
そして、進路なんて、気持ちが変わったらどんどん柔軟に変えて行っていいと思うのです。

世界を見てきた彼女が言っているように、卒業後に進学か就職かの2択ではなく、
もっと多様で、深い選択肢があっていいと思うのです。

まったくお金にならないやりたい事をする、続ける為に、
アルバイトで食い繋ぐ事をあまり推奨されませんし、
卒業後に単独で世界一周するなんて、先生の想い描く進路からは大きく外れているのです(笑)。

これは去年のハワイで学んだことですが、クレアナ(自分の命題、役割みたいなもの)を意識して、
生きるというのがひとつ大事な気がするのです。

やりたいことがなければいけないわけでないのですが、
自分のクレアナを意識する、しないというのはとても違いがあると思うのです。


■そこで、同じ21歳の頃の僕は何をしていただろうか?と思いを馳せました。

僕にとっての21歳は小笠原に移住し、働き始めた年でした(*^。^*)
19歳の時にたまたま読んでいたサンデーのテニスマンガ「LOVE」をきっかけに、
高校の担任が「小笠原は楽園らしいぞ」と進めてくれた小笠原諸島。

高校を卒業した19の春に初めて小笠原に来たのが大きなターニングポイントになりました。

20歳は西表島。
21歳は再び父島と母島、
22歳はもう結婚しておりました(笑)。

39歳の今でもやりたいことが星の数ほどあるし、
やりたいことが分からないという状態に陥った記憶がありません。

では、しかしなぜ現代の若者はこうも「やりたいことがわからない」に苦しんでいるのだろうか?

それはもちろん、大人や社会からの「やりたいことがなければいけない」的な強制感もあると思いますが、
それを差し引いても、どこか違和感を感じるのです。

そこに僕は「教育」と「環境」が大きいと感じたのです。


■そんな事を漠然と考えていたら、とても興味深いオンラインのZOOMセミナーがありました。
経営コンサルなどの会社を設立している並木 将央さんが中心となり、新コロナ後の円熟社会を語るというものでした。
彼は「成熟社会のビジネスシフト 10年後も会社が続くために」という本を出版しており、とても興味深い内容でした。

その中で長女と島っ子21歳の彼女の「やりたいことが、わからない」事に関して質問をしたら、
とても面白い回答が帰って来ました。

それは、戦後の教育の影響が大きいというのです。
僕はこの時初めて知った言葉なのですが、現代人は魂魄(こんぱく)が足りない、というのです。

魂魄と言うのは、調べると魂と心みたいなもののようですが、
僕がその時受け取ったニュアンスは、困難に打ち勝つ心の強さや忍耐強さ、力みたいな印象でした。

戦前は「修身」という授業があり、
道徳教育が中心で自分の行いを正しくするようにつとめることを教えていたようです。

日本人特有の忍耐強さ、しぶとさ、細かさの精神はこの修身で魂魄を鍛えることが大事だったというのです。

しかし、戦後GHQが日本の教育として修身を撤廃し、
なるべく日本人がみんな同じで、誰も特別でないように意識的に教育して来たそうなのです。

大事なのは大量生産。
個人が個性を生かして、特筆して能力を延ばしたりするよりも、
とにかくみんながだいたい同じであることの方が重要であるとの考えです。

60年代安保・学生運動などを経て、
国民が政治に口出ししたり、一揆じみた行動をしないように、
国民の関心を政治から芸能やスポーツ、性的なものに関心を持たせるという作戦です。

地下鉄サリン事件を契機に国内では宗教めいた活動もご法度となり、
さまざまに精神的に鍛える場が失われてきたのも、大きな弊害と語っていました。

学校教育でも自分で考えて行動するよりも、
知識を覚えて、言うことを聞くのを大事とする教えにシフトしていきました。

もちろん、修身の教えが良い悪いではないと言っていました。
神風特攻隊など、他国ではあり得ないような人の在り方を生み出してしまう要因でもあるので、とのことでした。


■結果、修身教育をカットして出来上がった新しい人間の特徴として、
・自分で考えて積極的に行動できない
・支持されるまで待つ
・困った時には自分で考えず、思考停止になる
・自己肯定感が低い
などの特徴を持った人間が増えていくというのです。

なるほど、現代人に多くあてはまる部分な気がします。
根気がない、気力がないと言われる現代の若者の原因なのでしょうか。

こうならないためには、7歳位までの幼少期に、
とにかく理不尽に躾され、我慢して働くなどが魂魄を育てるというのです。

そういう苦行のようなものが必然であると思っていない僕は、
ここの部分に関して少し、違和感があるのですが、
概ね腑に落ちました。

しかし、並木さんももちろんそうですし、
僕自身も同じような教育を受けていますが、
あまりそういう人間に仕上がらなかったのは、どうしてか?
少し分析してみました。


■さっと思いつく限りで書くと、
・片親で育ち、小学5年生から仕事をしていた
・親が病弱で、高校からは家計を主に支える状態
・ロックンロールに出逢った
・天邪鬼だった(人と同じことをするのが嫌だった)
・先生や友人など出逢いに恵まれた
と思いました。

確かに中学生くらいから僕は、他の同級生とは違うなという感覚はありました。
別居していた父親が僕が中1の時に他界し、
ロックを聞き始め、
X JAPANやハイロウズ、ミッシェルガンエレファントやBLANKY JET CITY、Hi-STANDARDなどのメンバーインタビューを読み漁りました。
今でも自分の人生哲学はこの頃に形成されたと自覚しています。

そして、高校を受験中に「このままではいけない」と強烈に思って白紙で答案を出して、
2次募集の夜間の工業高校に昼間は働きながら通います。

周りは多年齢。通うのは4年間。
そこで出会った2人の先生。
そして巡り合う小笠原諸島。

若い二人の苦悩を耳にしたときに、
現代の課題みたいなものが浮き上がってくるのを感じました。

もちろん、彼女たちも彼女たちなりに頑張って今を生きています。
でも、僕から見てどこかフワフワしていて、心配な気がするのです。

そこで、どうやって魂魄を育てて、強く生きて行けるようになるかを考えました。
少なくとも困難にぶつかった時に思考停止ではなく、
誰かのせいや、お金や時間のせいにするでもなく、
考えて、対応し、受け入れる事ができるように。

精神が自立できるように願っているのです。


■「やりたいことがわからない」
それでいて現状に満足がいかない時、
そんな時はまずは何にでもチャレンジしてみては?思うのです。

でも、チャレンジしなければいけないというものではありません。
強制ほど人の意欲を奪い、思考停止にするものはないと思うからです。

失敗を恐れず、
時間がない、お金がないを言い訳にしないで、
“できない理由”を探すより“できる理由”を探して、がむしゃらに挑戦を続けるのが大事な気がします。

もちろん、ただやみくもにやるのではなく、
やはり自分が好きな、興味のあることをやっていけばやりやすいと思うのです。
ただ淡々と日々行っている活動に少しの挑戦のエッセンスを入れるもいいと思います。

そして、それは仕事という概念ではなく、
生きがいみたいなものでしょうか?

毎日が「今日は何しようか?」をワクワクしてしまうような…

僕も30代後半になって気付いたことがあります。

歳と共にやりたいことは明確になるし、
経験値も上がるので、実現が容易になってきている気がします。

でも圧倒的にエネルギーというものは低下している気はします。
それが魂魄なのかは分かりません。

僕自身20代の頃のような勢いは弱くなってきているし、
50代後半の先輩たちはどこか疲れていて、
新しい何かを作り、支える舞台からはどこか離れて行く印象を抱いています。

やはりエネルギーが湧き出る若い時代は、
経験が浅くて、考えがぼやけていても、
いっぱい挑戦して、
いっぱい失敗して、
肥やしにしてほしいと思うのです。

現代はインターネットなどの情報化社会の影響か、
体験や経験に伴う経験値よりも、
情報による知識が専攻し、頭でっかちな人が多き気がします。

例えは違うかもしれませんが、
火すら起こせず、獲物や作物を獲得できないのに、
料理を語るみたいなものでしょうか?

以前、記事にしたように、
失敗するかも、できないかも、自分には合わないかも、などジャッジする前に、
【まずはやってきること】がとても大切な気がするのです。

思ったが吉日。
まずは行動。
そしてその行動の責任を自分で負う。
まずは挑戦をどんどんしていこうぜ!と思います。

僕は中学の頃に呼んだ雑誌のインタビューでバイブルとなる言葉があります。
YOSHIKI「やってやれないことはない。やらずにできるわけがない」
hide「何にもないってこと。それは何でもありってこと。まずは自分が楽しまないとね」
このXのふたりの言葉は思春期から今に続く、僕に欠かせない力となる言葉でした。

そして高校の尊敬する先生二人に出逢えたこと。
「そこに必要なものがないなら、創造するんだ」
「既成概念にしばられるな。常に自分の挑戦を忘れるな」
Y先生、N先生の二人の言葉には本当に今でも僕を支えています。



■今回の島っ子21歳の彼女と長女のお蔭で、
日々新しいことにチャレンジする気持ちを再確認させてもらいました♪
どうもありがとうございます!!

今とこれからを思い悩む彼女たちには、
是非、精神と経済の自立を目指して頑張っていってほしいと思います。

自分も含め、良くも悪くも影響力の大きな親なのだと思います。
親に依存せず、
親の関わらない自分の世界で、
どんどん色んな事を自分の責任において、自由に挑戦していってほしいと思います。

ちなみに僕は今は些細なチャレンジを続けています。
1日ひとつ、前の日にやらなかったことに挑戦する。
それで日々はもっとワクワクしています♡

今朝は朝日を浴びる中、
日々ヨガをして1日に感謝することからはじめています。

これからが楽しみな21歳のかれん。
自分の娘たちもこれからがとても楽しみです。
そして、実はこれからも楽しみな39歳の自分(笑)。

素敵な気付きに感謝です♪
今日も1日楽しんじゃいます♡


5/17追記
昨日のこの投稿に対して、Facebookで本当に沢山気付かされるコメントを頂きました♪

みなさん、本当にありがとうございます

そう、目指す先はやはり精神の自立なのだなと思いました。
どんな時も人のせいにせず、時間やお金のせいにせず、
誰も代わるとこのない自分の人生に責任を持って、
自立して生きる。
これが目標なのだなと思いました。

「やりたいことがなければいけない」訳でもないし、
「チャレンジしなければいけない」訳でもない。
強制ほど意欲を失うものはないと思うのです。

どんなときも現状に満足できる、
現状を受け止めて自立できる、
生活も自立して生きていける、
自分の立ち位置を自覚して、行動していく。

これは子供だけでなく、大人のテーマでもあると思います。

人は死ぬまで学びなんだなぁと気付かされました。
みなさんに感謝です♪

島での子育てということ

2019年08月08日 | 母島 暮らし 子供
■先日、内地の小学生を山に案内する機会に恵まれました。
いつもは母島の小学生に校外学習として、年に何回か授業をしています。

なかなか普段接する事の少ない、
内地の小学生と1日山で過ごしてみて、
色々な事に気付かされました。

子どもって本当にすごいと思いました。

これは島の子でも内地の子でも変わらず、
本当に可能性の塊で、吸収する余地が半端なく広い。

教育という分野がいかに可能性に満ちているかと考えさせられる時間でした♪
貴重な経験をどうもありがとう☆



■内地の都会で育ち、自然や虫、釣りが好きな子供たちは、
島の大自然で何を感じれたでしょうか?

出発時からいきなり、砂浜に産卵しに来たアオウミガメが、
川に間違えて入ってハマってしまい、レスキューするところから始まりました(笑)。

これは年に数件しかない貴重な機会!!

このタイミングに出会えるとは、運を持っていますね!

ウミガメさんは無事に海に戻す事が出来ました♪

その後、フィールドで色んな海鳥やあかぽっぽ、メグロ、コウモリなど、
存分に島の自然を感じれたと思います。

どうだったかな~?


■昔、長女が生まれたばかりの頃、何の時かは忘れてしまったのですが、
僕は夜の10時頃に東京タワー付近のバスに乗っていました。

その時に小学4年生くらいの男の子でしょうか?
塾帰りっぽい感じでバスに乗り、すごく疲れた様子で椅子に座ってうなだれていました。

島から慣れない内地に出産に来ていて、
この光景はかなり衝撃的でした。

遊び盛りの子供時代に、こんなにサラリーマンみたいに疲れた子供がいるなんて…

何か世の中が間違っている方向に行っているのではと感じた瞬間でした。


■夏休みに島に来た子達もその前後は夏季講習と言っていました。

「勉強は楽しい?」と聞いてみると、
「あんまり楽しくない」と答えます。
僕も当時そうでした。

でも不思議です。
大人になると僕は勉強が楽しいです。

何故なら、知らない事を知るというのは喜びだからです。
ただし、そこに興味があるかがどうかが大きな差になっている気がします。

子どもの時代は興味が無くても、何でも吸収できる時代。
だから、これから未来で必要なことを詰め込む。

でも、その時代に興味のあることばかりに没頭していたらどうだろうか?
まるで自分で生活できない子供ができてしまうのだろうか?

宿題と課題に追われるばかりの日々を、
自分がその時興味がある事に没頭出来たら?

先生は子どもが興味が湧くように、どんどん先導していけたら?
考えただけでワクワクしてきちゃいます♪


■バスで疲れた小学生に出会った2003年の3年前、19歳で初めて訪れた小笠原諸島父島。
確か宮之浜だったと思います。

綺麗な砂浜で、お母さん達と子供たちが気持ち良く過ごしていました。
子どもは海に入り、お母さん達は互いにお話ししていたり…

僕の知っている狭い範囲での内地のお母さん達とは違い、
とてもみんな楽しそうで、全然生活に疲れた様子が見えなかったのです。

衝撃的でした。

そんな光景を見て、
生まれて初めて「こんなところで子どもと過ごしてみたい!」と漠然と思ったのを覚えています。

僕が当時の目線で地元の仙台で見ていたお母さん達は、
明らかに疲れていました。

子どもを公園に遊ばせてはいるのですが、
愚痴を言っていそうな表情、子どもを怒る様子。

ああ、結婚や子育てって面倒なものなのかな、と十代の僕に思わせるには十分な印象でした。

そして、小笠原で出逢ったお母さん達はその印象を払拭するには十分すぎるほど、
当時の僕にはまぶしく映ったのです♪

※9年前の娘たちです(*^_^*)

翌年の2001年に僕は半年、沖縄の西表島で働いていたのですが、
そこで「小笠原みたいなところで子育てをしたい!」と当時仲良かった友達に話していたのを覚えています(笑)。

まさか、その2年後に小笠原で結婚し、子育てしているとは夢にも思いませんでしたが(笑)。


■島で子育てをしていて、
学校で授業する機会に恵まれて、
いつも逆に僕が子供たちから教わることが多いです。

「子育て」という言葉は間違いで「子育ち」というほうがしっくりくる印象です(*^_^*)

小笠原と言う大自然と信頼できる大人ばかり、
地域に囲まれて育つ環境はすごく有難いものだと思います。

母島は車は少ないし(信号もない)、
子どもの歩ける範囲にすべての店と業者、暮らしが揃っているし、
地域の多くの人が子供を優しく見つめてくれている。

ふと子供が帰って来なくても、
外に出て人に聞いていけば、
あそこで見た、あそこにいるよ、ってな具合ですぐ見つかります。

この安心感は子育てにおいてとても大きな要素だと思います。


■島の子どもは島の自然環境を体感的に知っています。
これはやはり、内地の子とは違うと感じました。

内地の子は、同様に自分の住むエリアを体感的に知っているとも思いました。

島の子どもは、
圧倒的な自然の強さも弱さも無意識に知っている気がします。

授業で、案内で話すとき、
「一番の外来種は人間なんだよ」と話したとき、
島の子どもはものすごく腑に落ちた顔をします。

悪いのはネコでもアノールでもカエルでもアカギでもなく、
それを運んで勝手に野に放った人間。

でも島の固有種と呼ばれる生き物を守ろうと対策するのも人間。

そもそも、固有種、外来種と勝手にカテゴライズするのも人間。

地球は誕生と絶滅を繰り返して、
きっと生き物がいなくなっても存続しているでしょう。

今人間がやっていることは何なのか?
大人は絶対的な正義じゃない、間違う事もいっぱいある。

でも大人たちは、今何かをしなければ、
この生き物はこの世から完全にいなくなってしまう。
だから、考えうるベストを尽くす。

みんなその時の目線で、しっかりと自分で考えて動いてほしいと子供たちには伝えています。


■島で育っていると、子供たちが当たり前に知っていること。
冬には北極の海からザトウクジラがやってくる。
春はウミガメが交尾して、初夏には産卵している。
秋になればミズナギドリが集落に落ちてくる。
海にはイルカも魚もいっぱいいる。
危険なサメやクラゲがいる事も知っている。

人には挨拶をしよう。
小さい子は守ってあげよう。
困っている人は助けよう。

島に住んでいて、
外の世界を知らないのはとてももったいないと思います。
だって、この島の良さを認識できないからです。

子どもは思春期を迎えたら、どんどん外の世界を知ってほしい。
島に自分のホームがあるけど多感な時期に、
いっぱい外の世界を知ってほしい。

そしてその目で、
自分の住む島を見つめ直してほしい。

大人より、子供たちの方がシンプルな本当の答えをいつも持っています。

そんな事に気付かされる島の子育てに感謝の気持ちでいっぱいです。
どうもありがとうございました(*^_^*)

■最後に、僕が微力ながらにずっとここ数年寄付を続けているNPO法人かものはしプロジェクト
これはこどもが売られない社会を作るために、
カンボジア、現在はインドを中心に活動しているNPO法人です。

カンボジアではびこっていた子供の人身売買をなんとほぼ根絶までできた成果があります。

先日、前年度の報告の冊子を読んでいて、
インドの議会に人身売買を解決すべく法案を挙げたけど、上院で審議されずに廃案になった経緯が書かれていました。

もはや莫大な産業にもなっている人身売買。
人の犠牲でなんとか暮らしている人が沢山いるのも事実で、問題の難しさを痛感させられました。

でも、人が生きていくうえで、
誰かの人生の犠牲の上に依存した暮らしは会ってはいけないと思うのです。

人間を含む自然界は動植物の犠牲の上に成り立っています。
動物や魚、野菜や果物の命を頂いて私たちも生きています。

でも、そこには絶妙なバランスが大事で、
どちらに偏っても破綻を招く危うい世界です。

そして、人身売買を背景とする世界は、その倫理感からは大きくはずれたものだと思っています。

大事なのはまず知ること。

島の子育てでのほほんと生きていますが、
今この瞬間に売られている子供がいると思うと、
胸が張り裂けてしまいそうです。

島の中でも、きちんと人の痛みが分かり、行動できる子どもを育てるために、
大人ももっと学び続けなければいけないと思っています。