小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

【人生は私のメッセージ】

2014年03月29日 | 名言集
◆僕が大好きな言葉を紹介したいと思います。
それはガンジーの言葉です。


【人生は私のメッセージ】

口で何か伝えようとしなくていい。
私たちの生き様自体が、
何かをそのまま伝えている。
そんなはずはなかった、
そんなつもりはなかった、
そんな言い訳もいらない。
ただ、その伝わったものは、本当に伝えたかったものか。
自分の生き様のメッセージとして選ぶに値するものか。
「私は、自分だけがエライと思っている」とか、
「私は、ビクビクしている」とか、
「私は、楽したい」とか...
伝わってしまうのだ。

わたしたちの生き様は、正直に自分を伝えてしまうのだ。
人生はメッセージそのもの。
人生のムダをなくするとか、
要領よく生きるとか、
そういう次元の話でなく、

「今伝わっている生き様が、本当に伝えたいことなのか。」
という次元から離れては、ならないのです。

誰ではなく、自分に正直に生きるのです。
なぜならあなたの人生なのだから。
あなたは何も語らなくていいのです。
あなたの人生がすべてを語っているのです。

(by マハトマ・ガンジー)


とても素晴らしい言葉です。
多くを語らず、自分に正直に、行動が人生が語ると伝えています。
僕もそれを意識してできる限り頑張って精進していきたいと思います!

愛と理解~リトル・トリーより

2014年02月28日 | 名言集
◆僕が大好きな本の中にチェロキー・インディアン少年と祖父母の物語を描く「リトル・トリー/フォレスト・カーター著」という本があります。
これはとても美しい描写の言葉と自然の織り成す世界で慈愛に満ちた風景を感じさせてくれる素敵な本です。

著者については様々な諸説がありますが、
僕はどうしても原文を読みたくなるほど美しいその言葉に惹かれています。
インディアンの文化についてもこれは真実と違うなど、色々と言われていますが、僕は祖父の必要な時に必要なだけ得ることや、自然の掟を重んじる姿勢がとても好きです。
フィクションと思って、文自体の情緒性を楽しめればと思います。

最近は小学4年生の娘に夜寝る前に朗読しています。
彼女がどれほど理解できているかは分かりませんが、子供に知っていてほしい学びが多くある物語です。
娘も聞くのをとても楽しみにしてくれていて、なんだかとても嬉しいのです。

ほとんどの図書館にあると思いますので、ぜひおすすめします♪



◆大好きな場面が幾つもあるのですが、少し紹介したいと思います。

祖母は麝香虫(じゃこうちゅう)の匂いを嗅ぐと、僕を上回る興奮ぶりをあらわにした。
「こんな素敵な香りは初めてよ!
 今まで麝香虫のことを知らなかったなんてどうしたわけかしら?」

祖父もやはりびっくりした顔になって、
「70年生きてきたが、こんな匂いはついぞ嗅いだ事がない!」とうなった。

祖母が言った
「おまえはとっても正しいことをしたんだよ。
 なにかいいものを見つけたとき、まずしなくちゃな らないのはね、
 それをだれでもいいから、出会った人に分けてあげて、いっしょに喜ぶことなの。
 そうすれば、いいものはどこまでも広がっていく。
 それが正しい行いってものなんだ。」

リトル・トリーが麝香虫(じゃこうちゅう)は甘い匂いがするということを発見して、
祖父母に教えてあげた時に祖母が心底感心して言ってくれた言葉です。



◆もうひとつはお祖母さんがリトル・トリーに人が持つ二つの心、愛と理解について聞かせてくれる話です。

「だれでもふたつの心を持っているんだよ。

ひとつはね、からだの心(ボディ・マインド)、
つまりからだがちゃんと生きつづけるようにって、働く心なの。

からだを守るためには、家とか食べものとか、
いろいろ手に入れなくちゃならないだろう?

おとなになったら、お婿さん、お嫁さんを見つけて、
子どもをつくらなくちゃならないよね。

そういうときに、からだを生かすための心を使わなくちゃならないの。

でもね、人間はもうひとつの心を持っているんだ。

からだを守ろうとする心とは全然別のものなの。

それは、霊の心(スピリット・マインド)なの。

いいかい、リトル・トリー、もしもからだを守る心を悪い方に使って、
欲深になったり、ずるいことを考えたり、人を傷つけたり、
相手を利用してもうけようとしたりしたら、
霊の心(スピリット・マインド)はどんどん縮んでいって、
ヒッコリーの実よりも小さくなってしまうんだよ。


からだが死ぬときにはね、
からだの心(ボディ・マインド)もいっしょに死んでしまう。

でもね、霊の心(スピリット・マインド)だけは生きつづけるの。

そして人間は一度死んでも、またかならず生まれ変わるんだ。

ところが生きている間、
ヒッコリーの実みたいにちっぽけな霊の心(スピリット・マインド)しか
持ってなかったらどうなると思う?

生まれ変わっても、やっぱりヒッコリーの実の大きさの
霊の心(スピリット・マインド)しか持てない。

だから、なにも深く理解することはできないんだ。

それで、からだの心(ボディ・マインド)がますますのさばるから、
霊の心(スピリット・マインド)はますます縮んじゃって、
しまいには豆粒ぐらいになって、見えなくなっちゃうかもしれない。

もう霊(スピリット)をなくしちゃったのとおんなじだよね。


そうなったら、生きてるくせに死んでる人ってことになるの。
いくらでも見つかるわ。
そういう人はね、女の人を見るといやらしいことしか考えない。

他人を見ると、なんでもケチをつけたがる。
木を見ると、材木にしたらいくらもうかるかってことしか考えない。

きれいなことなんかちっとも頭に浮かばないのさ。
そんな人がうようよしてるよね。


霊の心ってものはね、ちょうど筋肉みたいで、
使えば使うほど大きく強くなっていくんだ。

どうやって使うかっていうと、
ものごとをきちんと理解するのに使うのよ。

それしかないの。

からだの心(ボディ・マインド)の言うままになって、
欲深になったりしないこと。

そうすれば、ものごとがよーく理解できるようになる。

努力すればするほど理解は深くなっていくんだよ。

いいかい、リトル・トリー、理解というのは愛と同じものなの。」


他にも犬たちとの戯れ、
密造酒を役人から守る話、
ガラガラヘビから守る大きな手、
「ちくしょう!今日も遊んじまった!!」
などなど....
おススメ場面が満載です♪

ぜひ読んでみてください☆

マザーテレサの言葉「今、この瞬間を 幸せでいましょう。 それで十分です。」

2014年01月04日 | 名言集
今年は本当にたくさんのことを気を付けていきたいと思います。
心を込めて、その瞬間を生きる、そんなシンプルな行いがどれだけ大変でどれだけ素敵か…
マザーテレサの素敵な言葉を紹介したいと思います。

思考に気をつけなさい、
それはいつか言葉になるから。

言葉に気をつけなさい、
それはいつか行動になるから。

行動に気をつけなさい、
それはいつか習慣になるから。

習慣に気をつけなさい、
それはいつか性格になるから。

性格に気をつけなさい、
それはいつか運命になるから。

大切なのは、
どれだけたくさんのことをしたかではなく、
どれだけ心をこめたかです

今、この瞬間を
幸せでいましょう。
それで十分です。

その瞬間、瞬間が、
私たちの求めているものすべてであって、
他には何もいらないのです。

マザー・テレサ




小国「ウルグアイ」ムヒカ大統領の素晴らしいスピーチ。

2013年12月19日 | 名言集
「世界で最も貧乏な大統領」と言われている小国ウルグアイのムヒカ大統領が
2012年のリオ・地球サミットで語った素晴らしいスピーチの紹介をしたいと思います。

今までここまで言った大統領がいたでしょうか?
僕はダライラマ以外に政治的指導者がここまで視野の広い話ができる人を知りませんでした。
とても的を捉えた発言だと思います。

国に、私たちにムヒカ大統領は問いかけます。
人類の生きる意味とは...
発展の意義とは...

先進国はどのような気持ちで聞いたのでしょう。
ちなみに、日本ではほとんどTVや新聞でこのスピーチを取り上げていないそうです。

以下がその内容です。



会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。
ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。
私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。

国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければ
ならない素直な志をここで表現しているのだと思います。

しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。

午後からずっと話されていたことは" 持続可能な発展と世界の貧困を なくすこと " でした。

私たちの本音は何なのでしょうか?
現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?

質問をさせてください。

ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。
息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。

同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億~80億人の人が
できるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか?
可能ですか?

それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?
なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?

マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。
マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。

私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?
あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?

このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で
「みんなの世界を良くしていこう」
というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?

どこまでが仲間で
どこからがライバルなのですか?


このようなことを言うのはこのイベントの重要性を批判するためのものではありません。
その逆です。我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません、政治的な危機問題なのです。

現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。
逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。


私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。
幸せになるためにこの地球にやってきたのです。

人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。
命よりも高価なものは存在しません。

ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。
消費が社会のモーターの世界では私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。
消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。
このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。
ということは、
"10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない社会" 
にいるのです!

そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。
人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。
悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。

これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導かなければなりません。

石器時代に戻れとは言っていません。
マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。

私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。
昔の賢明な方々、エピクレオ、セネカやアイマラ民族までこんなことを言っています

「 貧乏なひととは、少ししかものを
  持っていない人ではなく、
  無限の欲があり、いくらあっても
  満足しない人のことだ 」

これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。
国の代表者としてリオ会議の決議や会合をそういう気持ちで参加しています。

私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには
水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。

根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。
そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。

私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。
私の国には300万人ほどの国民しかいません。

でも、1300万頭の、世界でもっとも美味しい牛が私の国にはあります。
ヤギも800万から1000万頭ほどいます。

私の国は食べ物の輸出国です。
こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。

私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために戦いました。
そして今では、6時間労働を獲得した人もいます。
しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、結局は以前よりも長時間働いています。

なぜか?

バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。
毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。
私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。

そして自分にこんな質問を投げかけます。

"これが人類の運命なのか?"

私の言っていることはとてもシンプルなものですよ。
発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。
発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。

愛情や人間関係、
子どもを育てること、
友達を持つこと、
そして必要最低限のものを持つこと。

これらをもたらすべきなのです。
幸福が私たちのもっとも大切なものだからです。

環境のために戦うのであれば、
人類の幸福こそが環境の一番
大切な要素であるということを覚えておかなくてはなりません。

ありがとうございました。




人類の発展とは、幸福とは、運命とは...?

一体私たちの住む、この世界はどこに向かっているのでしょうか。

物を大切に、資源を大切に、と言いながら、次々と新しいものを
作り、売らなければ成り立たない経済社会。

失われていく環境、資源...
増える支払い、ローン、労働時間。

根本的な世界のシステムを、考え直し動く時だと思います。

あなたが世界を変える日

2013年05月30日 | 名言集
■ある中学生が世界会議でしたスピーチがとても素晴らしいので紹介したいと思います。

舞台は1992年6月11日。
ブラジル、リオ・デ・ジャネイロで開催された環境サミット。

日本の首相が国内問題を優先し欠席したことが、世界からのひんしゅくをかったことがクローズアップされていました。
でも、日本ではその内容についてはあまり取りあげられなかったように思います。
環境と開発に関する国連会議(環境サミット) に集まった世界の指導者たちを前に、12歳の少女、セヴァン・スズキは語り始めました。

セヴァン・スズキ/リオサミット「伝説のスピーチ」


このスピーチの後、アメリカ、ロシアの大統領をはじめ、参加した多くの指導者が涙したそうです。
「大事なことを思い出させてくれてありがとう!」と多くの大人がセヴァンに駆け寄ったそうです。

子供の率直な的を得たスピーチは全世界を駆け巡り、伝説のスピーチとして今も語り継がれています。

彼女のスピーチほど人々の環境に対する関心を促す、そしてサステイナビリティという考え方を鮮烈に物語るものはないでしょう。
環境団体や科学者、政治家がどんなに理屈をこねてみたところで絶対に動かすことの出来ない何かを、この12歳の少女スピーチは動かす力を持っています。

この国際会議から20年、私たちの世界はどうなったでしょうか?
3.11の大震災と原発事故を経ても変革を恐れていないでしょうか?
もう一人一人が変わっていくしかないと思います。

暮らしを少しずつシフトするのです。
目指すは持続可能な暮らしへ。

できることから、少しずつでいいのです。
あなたが世界を変えることができます。


■スピーチ全文を紹介します。
「こんにちは、セヴァン・スズキです。エコを代表してお話しします。
エコというのは、子供環境運動(エンヴァイ ロンメンタル・チルドレンズ・オーガニゼェーション)の略です。
カナダの12歳から13歳の子どもたちの集まり で、今の世界を変えるためにがんばっています。
あなたがた大人たちにも、ぜひ生き方をかえていただくよう お願いするために、自分たちで費用をためて、カナダからブラジルまで1万キロの旅をして来ました。

今日の私の話には、ウラもオモテもありません。
なぜって、私が環境運動をしているのは、私自身の未来のため。
自分の未来を失うことは、選挙で負けたり、株で損したりするのとはわけがちがうんですから。

私がここに立って話をしているのは、未来に生きる子どもたちのためです。
世界中の飢えに苦しむ子どもたちのためです。
そして、もう行くところもなく、死に絶えようとしている無数の動物たちのためです

太陽のもとにでるのが、私はこわい。オゾン層に穴があいたから。
呼吸をすることさえこわい。 空気にどんな毒が入っているかもしれないから。
父とよくバンクーバーで釣りをしたものです。
数年前に、体中ガンでおかされた魚に出会うまで。
そして今、動物や植物たちが毎日のように絶滅していくのを、私たちは耳にします。
それらは、もう永遠にもどってはこないんです。

私の世代には、夢があります。
いつか野生の動物たちの群れや、たくさんの鳥や蝶が舞うジャングルを見ることです。
でも、私の子どもたちの世代は、もうそんな夢をもつこともできなくなるのではないか?
あなたがたは、私ぐらいのとしの時に、そんなことを心配したことがありますか。

こんな大変なことが、ものすごいいきおいで起こっているのに、私たち人間ときたら、まるでまだまだ余裕があるようなのんきな顔をしています。
まだ子どもの私には、この危機を救うのに何をしたらいいのかはっきりわかりません。
でも、あなたがた大人にも知ってほしいんです。
あなたがたもよい解決法なんてもっていないっていうことを。
オゾン層にあいた穴をどうやってふさぐのか、あなたは知らないでしょう。
死んだ川にどうやってサケを呼びもどすのか、あなたは知らないでしょう。
絶滅した動物をどうやって生きかえらせるのか、あなたは知らないでしょう。
そして、今や砂漠となってしまった場所にどうやって森をよみがえらせるのかあなたは知らないでしょう。
どうやって直すのかわからないものを、こわしつづけるのはもうやめてください。

ここでは、あなたがたは政府とか企業とか団体とかの代表でしょう。
あるいは、報道関係者か政治家かもしれない。
でもほんとうは、あなたがたもだれかの母親であり、父親であり、姉妹であり、兄弟であり、おばであり、おじなんです。
そしてあなたがたのだれもが、だれかの子どもなんです。

私はまだ子どもですが、ここにいる私たちみんなが同じ大きな家族の一員であることを知っています。
そうです50億以上の人間からなる大家族。
いいえ、実は3千万種類の生物からなる大家族です。
国境や各国の政府がどんなに私たちを分けへだてようとしても、このことは変えようがありません。
私は子どもですが、みんながこの大家族の一員であり、ひとつの目標に向けて心をひとつにして行動しなければならないことを知っています。私は怒っています。
でも、自分を見失ってはいません。
私は恐い。でも、自分の気持ちを世界中に伝えることを、私は恐れません。

それでも物を浪費しつづける北の国々は、南の国々と富を分かちあおうとはしません。
物がありあまっているのに、 私たちは自分の富を、そのほんの少しでも手ばなすのがこわいんです。
カナダの私たちは十分な食物と水と住まいを持つめぐまれた生活をしています。
時計、自転車、コンピューター、テレビ、 私たちの持っているものを数えあげたら何日もかかることでしょう。

2日前ここブラジルで、家のないストリートチルドレンと出会い、私たちはショックを受けました。
ひとりの子どもが私たちにこう言いました。

「ぼくが金持ちだったらなぁ。もしそうなら、家のない子すべてに、食べ物と、着る物と、薬と、住む場所と、やさしさと愛情をあげるのに。」

家もなにもないひとりの子どもが、分かちあうことを考えているというのに、すべてを持っている私たちがこんなに欲が深いのは、いったいどうしてなんでしょう。
これらのめぐまれない子どもたちが、私と同じぐらいの年だということが、私の頭をはなれません。
どこに生れついたかによって、こんなにも人生がちがってしまう。
私がリオの貧民窟に住む子どものひとりだったかもしれないんです。
ソマリアの飢えた子どもだったかも、中東の戦争で犠牲になるか、インドでこじきをしてたかもしれないんです。
もし戦争のために使われているお金をぜんぶ、貧しさと環境問題を解決するために使えばこの地球はすばらしい星になるでしょう。
私はまだ子どもだけどこのことを知っています。


学校で、いや、幼稚園でさえ、あなたがた大人は私たちに、世のなかでどうふるまうかを教えてくれます。
たとえば、

・争いをしないこと
・話しあいで解決すること
・他人を尊重すること
・ちらかしたら自分で片付けること
・ほかの生き物をむやみに傷つけないこと
・分かちあうこと
・そして欲ばらないこと

ならばなぜ、あなたがたは、私たちにするなということをしているんですか。

なぜあなたがたがこうした会議に出席しているのか、どうか忘れないでください。
そしていったい誰のためにやっているのか。
それはあなたがたの子ども、つまり私たちのためです。
あなたがたはこうした会議で、私たちがどんな世界に育ち生きていくのかを決めているんです。

親たちはよく「だいじょうぶ。すべてうまくいくよ」といって子供たちをなぐさめるものです。
あるいは、「できるだけのことはしてるから」 とか、「この世の終わりじゃあるまいし」とか。
しかし大人たちはもうこんななぐさめの言葉さえ使うことができなくなっているようです。
おききしますが、私たち子どもの未来を真剣に考えたことがありますか。

父はいつも私に不言実行、つまり、なにをいうかではなく、なにをするかでその人の値うちが決まる、といいます。
しかしあなたがた大人がやっていることのせいで、私たちは泣いています。
あなたがたはいつも私たちを愛しているといいます。
しかし、私はいわせてもらいたい。
もしそのことばが本当なら、どうか、本当だということを行動でしめしてください。

最後まで私の話をきいてくださってありがとうございました。」


このスピーチは僕のバイブルになっています。

僕は島の中学生にもぜひ聞かせてあげたいです。
遠い国で20年前、同じ世代の子供がこうして動いたことを知って、感じてほしいです。

みんなが世界を変える日になってほしいと願っています。

本になって出版もされています。
あなたが世界を変える日―12歳の少女が環境サミットで語った伝説のスピーチ

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