小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

カナダの先住民たち【カナダ旅行記⑦】

2019年01月27日 | 旅行記 カナダ
■去年の夏、カナダに行った目的のひとつ、先住民の文化を学ぶ、そして感じる事。
これはこの旅でもとても大きなテーマでした。

訪れたカナダの西部には海岸の豊かな資源に恵まれて、
トーテムポールなど芸術性を高めた先住民たちがいます。

7世代先の事を考えて行動する。
文字を持たない事を選び、口頭で伝える事の大切さを重んじた文化。

氷河期に海が凍って繋がっていたというユーラシア大陸とアメリカ大陸。
その凍ったベーリング海を渡って分布を拡げた、私達日本人と同じモンゴロイドがその祖先。

日本にも存在する先住民、アイヌと極北のエスキモーなどに似通った神話があるのも、頷けます。

遠い遠い、同じルーツのヒトが見ていたこの景色。
一体、どんな眼差しで見つめていたのでしょうか?

カナダの先住民はアメリカの先住民に比べて、悲惨なイメージが少し薄いです。

もちろん居留地もあるし、過去には同化政策もあり自分たちの言語や宗教を禁じられた歴史があります。

しかし、
1990年代には、多くの教会が先住民に公式に謝罪をしていますし、
2008年には、当時の首相スティーヴン・ハーパー氏が正式に謝罪をし、非常に大きなニュースとなりました。

まだまだ勉強不足ですが、南北戦争、アメリカとカナダの成り立ち、フランスとイギリスについてもっと勉強しなければと思います。


■僕は成人したころからインディアンの文化に興味がありました。

きっかけは「リトル・トリー」というインディアンの少年と祖父母の美しい物語です。

その後、図書館で本を借りたりして、沢山調べました。
エスキモーやクリンギット族などに深く関わった星野道夫にも惹かれました。

今回は長く滞在したポートハーディー、アラートベイ、バンクーバーのブリティッシュコロンビア大学(UBC)にある先住民博物館を見に行く事が出来ました。


これはポートハーディーにある小さなミュージアム。

鮭の豊富な資源、多くの豊かな森林による林業が発達し、
先住民もその産業に関わっていったようです。


カナダの至る所で見かけるハクトウワシ。
カナダ西部の海岸文化ではハクトウワシとシャチはよく見かけることになりました。

きっと彼らは人住むずっと昔からこの森を守って来てくれたのでしょうね。
どんな眼差しで、人の営みを見つめているのでしょうか?


■こちらはコーモラント島のアラート・ベイにある先住民博物館U’Mista Museum。


ここではは、散逸してしまった先住民族の文化資産を回収、展示してありました。


あまりに派手で華美な風習であると一度は禁止された”Potlatch(ポットラッチ)”に使われた品々のコレクションは一見の価値があります。

これはシャチです。
昔からこのジョンストン海峡に存在していたのでしょうね。

シャチは美と力の象徴で、その力と大きさには畏敬の念を持たれています。

そしてシャチは旅人であり、守護者です。
いくつかの部族は、シャチがカヌーを捕獲して、乗客をクジラに変える為に水面下に連れて行くと信じていたそうです。

また、シャチは仲間を終身連れ添う事から、ロマンスのシンボルとして人気があります。

これはイーグルですね。
ハクトウワシだけではない気がします。

そのどれもが美しく、自然の中から生み出された芸術です。
しかし、これは保存のために集められた言わば遺品です。

■ヨーロッパの様に何世代も残る石の文化ではなく、
自然の風化と共に消えていく木の文化なのです。

18世紀、白人たちが来るようになって、トーテムポールの存在は確認されていますが、
それ以前については分からないそうです。

それは、トーテムポールは“建立すること”に意義があり、
保存や維持修復することには意義はないと考えていること、
そして、自然に朽ちるにまかせ、
その地に還すものとしているからなのだそうです。

白人がこの地域一帯にも進出し、特に19世紀後半から20世紀にかけて、
博物館などで保存するために各所で収集が始められ、今日、それらを世界各地の博物館で見ることができます。

今回はあまりに広大で日にちが足りなくて行けなかったのですが、
その神話の時代に生きたトーテムポールをそのまま自然に還るままにしている場所があるのです。

それがハイダ・グワイ(旧称・クイーンシャーロット諸島)です。

いつか必ず訪れたいと思う場所のひとつです。

しかし、今回はアラートベイでそんな生きたトーテムポールに出会うことができました。

トーテムポールは色んな場面で作られ来たようです。その中の一つにお墓があります。

アラートベイの一角には道路から眺めて、立ち入りを遠慮する神聖な場所が残っていました。


なぜ彼らは私たちの様に貴重だと言って保存したり管理したりしないことを選んだのでしょうか?
自然のままに任せるその先住民たちの“強さ”に僕は惹かれているのです。

そして今も生きる先住民たちの多くの課題とその目線を感じるのです。

遠くから眺めて、色んな動物が描かれているのを見て、昔の風景を想います。

アラートベイ、ここは白人たちが入って来て、鮭の缶詰工場として急速に発展した地域のようです。
今も漁業が盛んで、観光客はそれほど多いと感じませんでした。


■アラートベイにはなんと52mにもなる世界一大きなトーテムポールがありました。

一番下にいる娘たちが米粒の様に見えますね(笑)。


アラートベイに村があるクワキウトル族のJ.ディック率いる彫刻家たちによって1973年に作られてそうです。

10種類以上の動物などが刻まれています。

しかし、二つの材からできているため、「世界一とはいえない」とする意見もあるようです(笑)。

そんな立派なトーテムポールの下で家族で記念撮影♡


■そして最後の訪れたのがカナダ本土、ブリティッシュコロンビア大学(UBC)にある先住民博物館、通称MOAです。

ここにはカナダ中の先住民の資料や展示が揃っているとても大きな博物館です。


私たちはこうしてつい保存しようとしてしまいます。
世界の多くの人に見てもらいたいと思ったりします。


このMOAにはカナダ・アメリカどころか世界中の文化資産がコレクションとして集められています。

日本の着物や鎧や兜、バリのお面や衣装、中国ヨーロッパまでも。

ここに来ることで世界の文化に触れることができます。
そのどれもが素晴らしく、その地域、時代、文化を生目で見ることができます。
すごい博物館だと思います。

しかし、ふと考えるのです。

これでいいのか?と。

僕が子供の頃、仙台のデパートでエジプト文明のツタンカーメン展があり、
あの有名な黄金のマスクやミイラの展示がありました。

子ども心にエジプト文明に思いを馳せて、とても楽しんだのを覚えています。

しかし、しかし、よく考えるとあれは、ピラミッドは王家のお墓なのです。
マスクも装飾品もお墓に添えられたお供えなのです。

それをその現場から持ち去り、展示して、いいものなのでしょうか?
仮に僕がツタンカーメンの孫だとしたら、先祖の墓はどんなに学術的価値があろうと、いじってほしくないと思ったのです。

墓をあさる盗掘化も研究者も、そこにはあまり差がない気がするのです。

先住民たちが一生懸命作ったその作品を後世に残そうと保存したりせずに、
自然のままに任せるそのスタンスが深く心に刺さるのです。


だからこの展示物達からは芸術的な価値や美しさは感じるのですが、
今も生きる神聖さを感じれないのはそういう背景なのかなと思いました。

高校生の頃、動物園や水族館に世界中の生き物が集められることに違和感を感じて、
一切行くのをやめたことがあったのに少し感じは似ています。
その後、成人した年頃位には一つの考えに至りました。

こうして多くの人に見て知ってもらう事にも意味があると思い、
ある程度の犠牲は仕方なく、いいのではないかという妥協論です。

今でもベストな答えは見いだせていません。

ただ、本来ここにあるべきものではないのじゃないか?という違和感があるのです。


私たちの住む小笠原も石器時代には人が住んでいましたが、今はカヌーを掘った石器しか残っていません。

さらには戦前の暮らしや文化も戦争と強制疎開で失われています。

その時代に保存しようと動いていれば残っていたものもあるでしょう。
きっとそこにも大事な意味は存在します。

でも、でも、
やっぱり気になるのは自然に朽ちるままを大事にしてきた先住民の気持ちです。

なんでしょう。
過去からの物ではなく、今の瞬間が一番大切ということなのでしょうか?

そして言葉は文字にすると命を失ってしまうと考え、
文字ではなく口で、神話で叡知を伝えてきた先住民たち。

それはおそらく少しずつその時代に合わせて柔軟に変化しつつも、
その本質を見失わないものだったと思えるのです。

どんなに保存しようとしても永遠は存在しません。
いずれ滅びるものに執着せずに、
今を生きるべし。

そんなことを問いかけてくれている気がしてならないのです。
カナダで見た先住民の文化からはそんなメッセージを頂けた気がしています。

島の暮らしを支える貨物船・新「共勝丸」参上!!

2019年01月22日 | 母島 船舶
■2018年12月19日、第二十八共勝丸が母島で最後の雄姿を見せてくれました。
多くの関係者、島民に見送られてのお別れでした。
長女の涙が忘れられません。

そして時は流れ、2019年1月21日。
ついに新「共勝丸」が就航後はじめて母島の沖港に入港しました!

今回は船体に黄緑のラインが入り、空色から濃いブルーに色が変わりました!
船の長さも1mほど長くなり、重さも8トン重くなったそうですが、
レイアウトはあまり大きく変更が無いように見えます。

しかし、共勝丸を迎える為に鮫が先展望台で待っていた僕たち夫婦の耳に聞こえてきたのは、
あの共勝丸の聞きなれたポンポンというエンジン音でした♪

速度は12.8ノットとなり、23km/hくらいの速さで航海できます(先代は11ノット)。

この日はとても海況が悪く、頑張って母島に資材を初届けに来てくれているのです(*^_^*)

なんか、すべてが新しく変わっていく中で、
前の代の名残りが残っていることに、嬉しい気持ちになってしまうのはどうしてでしょう(笑)?


気になる旅客定員は先代の半分の4名+αとなりました。
通常、父島~東京間では一般客を乗せることはないようですが、緊急時はその限りではないでしょう。

来る時間と日程が決まった前日の段階で村内に放送もかかり、
多くの関係者、島民がお迎えに集まりました♪


こちらが新「共勝丸」が母島に入港する動画です。

風が強く、懐かしいエンジン音はほぼ聞こえませんね(笑)。

■新しく生まれ変わった共勝丸。

今までの様に船名の前に数字が入る形式をやめ、今回はシンプルに「共勝丸」だけになりました。

正面はこんな顔です☆

船の後方には先代にはなかったクレーンが付いています。


「かねに」印のファンネルマークの書体も変わりました!!


なんとその後ろには先代ではなかった(残っていなかった)旗も付いていました!!



■共勝丸が入港して、歓迎セレモニーが開かれました。

本当に多くの島民も参加しています!

歓迎の横断幕も!!

父母アクセスの代表のスピーチ後、
株式会社共勝丸の代表の方から丁寧なご挨拶がありました。

母島からは素敵なお祝いの花束が贈られました。

共勝丸からは島の小中学生に向けて、
素敵な新「共勝丸」のペーパークラフトと絵葉書が贈られました。

歴代の共勝丸の歴史も書かれており、読み応え十分の嬉しい内容です☆
本当にありがとうございます(*^_^*)

なんだかとても厳かでいい雰囲気でした♡

最後にみんなで共勝丸を背景に記念撮影。


船もピカピカだし、なんだか新鮮な気持ちになってしまいます(*^_^*)

舫綱(もやいづな)もまだまだ綺麗なのが新鮮ですね♡

■前回の記事で有り余るほどの共勝丸への愛を持つ妻について書きました。
そりゃもう、最後の航海で乗って母島から父島へ行ってしまう程ですからね(笑)。

そんな妻には船長が直々に挨拶に来てくれました。
とっても嬉しそうでした♡
仙台生まれの僕にとっては東北訛りの言葉がとても懐かしくて嬉しかったです(#^.^#)


■最後に嬉しいニュースが内地の方より届けられました!
去年、小笠原航路という役目を終えた第二十八共勝丸。

現在、海外への旅立ちまでの一時を西伊豆の安良里で過ごしているそうなのですが、
な、なんと!現在定期検査の為にドック入りしている現在就航中の「三代目ははじま丸」と共に過ごしているとのことです!!

左に三代目ははじま丸、右に第二十八共勝丸。

三代目ははじま丸は陸に上げられて、現在定期検査の真っ最中☆
まさか同じ西伊豆にいるとは(*^_^*)

わざわざこんな情報と写真を送ってくれたNさん、どうもありがとうございます!

第二十八共勝丸は第二の人生をソロモン諸島で過ごすと言われていますが、
なんとそこでは先代・二代目ははじま丸も活躍していると聞いています。

小笠原を遠く離れた日本本土、そして海外でまで共に小笠原の海で過ごした仲間と過ごせるというのは、
なんだか嬉しいものです(#^.^#)


島の暮らしを陰で支えてくれる共勝丸。

荷役をする作業員、船員さんを含め、
これからもどうぞよろしくお願いしますm(__)m

いざというときの備え

2019年01月18日 | 母島 日常 日記
■去年の11月の話ですが、小笠原村と東京都、東京消防庁による大規模な避難訓練が実施されました。
僕も消防団員として、様々な訓練に関わり、
緊急時の患者の搬送、トリアージ、シュミレーションなど多く学べる機会となりました(*^_^*)

その時に、避難所となる診療所には色々【避難グッツ】が展示されて、
食料や水など色んな道具が展示されていました。(そのほとんどが看護師さんの私物!!)

それを眺めていて、足りない!とピンときたものがいくつかありました。
それで購入したもののひとつに「火打石」がありました。
マッチやライターが尽きても火が簡単に起こせる必要があると思ったからです。
(棒とおが屑、木で火を起こすのはかなり大変!)

これ、現代の火打石です。

マグネシウムの棒でできています。
紙の上とかに最初に少し付属のブレードで削って、粉を落とし、その上で棒をシュッと摩擦すると簡単に火が起こせます。

万が一、濡れた場合でもタオルで拭き取れば簡単に火が起こせます。
お勧めです!

もし必要と思った人はアマゾンとかでも1000円位で買えますよ~(*^_^*)


■さらにもう一つ備えようと思ったのが浄水・濾過器です。

これは泥水や雨水をフィルターを通して、綺麗な真水に変えてくれる優れものです。
洗って乾かして何度でも使えます。

上と下にペットボトルではめてもできるし、
直接咥えて、ストローの様に泥水を飲めます。

しかし、農薬などで汚染された水、海水の濾過には使えません。

今、小笠原は深刻な水不足ですが、いざというときに島では飲み水が困る部分だと思います。
非常用として何本もペットボトルを用意するのも必要ですが、
島の湧水の場所、井戸水の場所を把握し、
こういった道具を備えるのも必要な気がしました(*^_^*)

こういった携帯浄水器は、アウトドアの友人は結構もう所持していて、
北海道の登山家のエキノコックス対策や
アメリカ大陸ではジラルディア対策など、
結構、実践されていて頼もしいと思いました!


■そして今回の訓練をきっかけに揃えた3つ目のアイテムが多機能型の懐中電灯です。

これは手回し&ソーラーで発電し、充電できるもの。

島ではあまり出番はないかもですが(笑)、一応ラジオもついています。
そしてUSB電源でスマホや携帯を充電できるという機能も持っています。


今回の避難訓練参加者には東京消防庁からソーラー充電式のLEDキーホルダーが配られました。
これが意外とすごい出来です!
なんと1日の充電で普通に2時間以上は点いています!!
小さくて便利な優れものです♪

色んな場面をシュミレーションして、自分たちが生き残れるスキルを身に付けていかなければいけません。

水や食料の備蓄はもちろんですが、
こうしたサバイバルの為の道具と技術、そして知識、
それらを体得した時に、ふと自分自身が一段階生きる力が少しだけ強くなった気がするのです☆
色んな事を気付かせてくれた素晴らしい避難訓練に感謝です!!



■家でなかなか集中して勉強できないという長女さん。
春休みはなんとヤギ小屋で勉強に挑戦!

結果はどうだったのでしょうか(笑)。

日本の勉強は受験や試験前に勉強するという傾向が強い印象があります。
でも本来、勉強というのは分からない事を知るという面白いものだと思うのです。
日々、そんな事を考えていたら面白い記事に出会いました。

【「学校の当たり前」を見直した公立中学校】

[多くの見直しの中で、話題となったのは、「中間・期末テスト」「固定学級担任制」の全廃だった。
誰しもが経験し、さまざまな思いを持っているからだろう。

 これらを全廃したと聞くと、初めて聞く人は、みな目を丸くして驚く。だが、なぜ見直したのか、また、どのように見直したのかを話すと、たいていの人は納得する。そして、どうしてこれまで見直されることなく、漫然と続けられてきたかに疑問を持つようになる。

麹町中では、「中間・期末テスト」は全廃したが、その代わりに、生徒自身が自ら分からないところを見つけ、分からないところを理解できるように取り組み、結果的に知識が定着するように、単元ごとの小テストを充実させた。また、すでに年に5回、取り組まれている「実力テスト」も有効活用している。

 多くの大人が経験してきたことだと思われるが、生徒は、中間・期末テスト前に、あわてて出題されそうな部分を一夜漬けでたたきこむことが多い。これは、「点数を取る」という目的に対しては有効だが、学びとして適切な方法ではない。もし、こうした方法で取り組んでいるのなら、テストの点数は生徒にとっての「瞬間風速」にすぎず、自分の将来にわたって支えてくれる知識や技術や態度を身に付けることにはつながっていないからだ。

 多くの公立中学で出されている一律の宿題も、「子どもの学力を高めること」「学習習慣を付けること」が目的であるならば、その目的を達成する手段として、適切な方法を取るべきだ。工藤校長は、「分からないこと」を「分かる」ようにすることが学びであり、その活動として、「聞いたり、調べたりすること」や、「繰り返すことで定着させること」が重要だと考える。]

時事ドットコムニュースより抜粋


こういう姿勢、とても素晴らしいと思います。
僕はこういうアクティヴな姿勢が大好きです(*^_^*)

「以前こうだったから」「他ではこうだから」とう理由に縛られず、
その時点の現実に子供たちが将来生きていく上で必要な事を学ばせる。

僕が以前から指摘していた宿題についても言及しています。

公立中学校でこういう柔軟な動きが出来るのが素晴らしいと思います♡



■次女は春休みに久しぶりにフィールドの仕事に着いてきました♪
就学前は当たり前だった彼女の野外。
存分に活き活きしておりました(笑)。

木に登るわ、
クリスマスに祖母サンタから頂いた携帯顕微鏡で楽しむわ。

さすがですね~。

これはこの葉や木の皮もビックリするほど拡大して別の世界を魅せてくれます♪

以前、島の自然ガイド講習で紹介されたツールがまさか次女の手元に行くとはっ(笑)!

研究肌のかのじょにとっては最高の道具になっています♪

そんな母島の春休みの追憶でした(*^_^*)



今年も渇水の小笠原。NYから素敵な大学生達がやって来た!!

2019年01月14日 | 母島 日常 日記
■今年も小笠原は渇水に見舞われています。
原因としては2018年に台風が来なかったこと、
秋の長雨がなかった事が直接の原因です。

しかし、毎年降水パターンが変わる現代においては、毎年が異常気象とも言えるので、何とも言えません。

母島の農業用水の要である玉川ダムは5mを切り、4.5mになりました(1/9現在)。
写真の周囲の草が生えていない部分が水が無くなった部分です。


現段階で貯水率30%(約8000t)ほどの状況です。

今は施設栽培が増えていて、今は1日に約200tの水を使用しているそうです。
下水の最終処理水を運搬し、少しでもダムの水が減るのを抑えようとしていますが、車で1日に運べる水の量は80t程度。

このままでいくと4月上旬には玉川農業用水のダムの水が無くなってしまう計算だそうです。

自分の圃場ではこの農業用水を使う選択肢はないので、自宅の洗濯排水を運搬しています。


■そして私達の飲料水の乳房ダム。
現在、39.7%となっている父島の切実な水不足。
母島の飲料水のダムはまだマシな62%。
母島だけに降った11月の大雨が恵みの雨となりました。

いつも小笠原の水不足は春に騒がれていました。
それは秋の雨季が関係しています。
今期に限っては「台風が来ない」「秋の雨季が来ない」のダブルパンチで、
12月から渇水が騒がれています。

例年にならえば、5月の梅雨までほとんど降らない状態が予想されます。
2018年春の渇水より深刻なのはこの為です。

しかし、母島の農業用水はとてもクリティカルな状況です!!!
自分たちも可能な限り節水していかなければいけません。

今ある水、時々あるわずかな雨にも感謝し、工夫して生きて行きましょう!

個人的には、大雨の後、濁流として道路を流れて海に行ってしまう、
あの大量の水をできる限り貯めておくシステムが必要だと思っています。

もう大きなダムを作れる時代ではないから、
各農道の脇に小規模な貯水池を作っていくのと、もっと雨水タンクを併設していければいいと思います。

ちなみに宮古島や伊江島みたいな地下ダムは地盤の質的に難しいらしいです。

最近は年間降水量も減ってきているので、
指をくわえているだけでなく、
できることを模索していかなければいけませんね。


■そんな水不足の中ですが、ニューヨークから12名の大学生が母島にホームステイに来てくれました!

去年、首都大学の姉妹校として初めて父島に来島し、今回は1泊だけ母島へ!ということでした。
みんな環境学や自然学を学ぶ、素晴らしい大学生たちでした(*^_^*)

結論から言うと、1泊は短すぎる!でした。

我が家にはビーガンのジルが来てくれたのですが、娘たちが虜になるほど素敵な女性でした♡
もっともっとゆっくり過ごして欲しかった!!と思ってしまいます。

お迎えには長女と次女が手作りで横断幕を作成♪
もお、ドキドキワクワクでお迎えでした(#^.^#)


家の玄関前には娘たちの手により、ロース石で歓迎のメッセージが書かれていました。
これには僕もジルもびっくり(笑)!
喜んでくれていました(*^_^*)


ジルとは一緒に夕陽を見ながらもクジラを見る事が出来ました♪

夕陽を背景にクジラたちはブリーチはもちろん、テイルやペックスラップ、存分に魅せてくれます。

父島で5時間沖に出て見れなかったザトウクジラを母島の陸から見れている奇跡♡

ひたすら「Amazing!!」「Crazy!!」「Blow!!」「Tail!!」「Wow!!」が飛び交う夕陽の鮫が先。

ザトウクジラ達は跳ねて、息吹で、ヒレで存在をアピール。

腰まで雪が積もる冬のニューヨークからやってきた大学生達に母島の生活はどう映ったのでしょうか?
たった1泊が本当にあっという間だったことだけは確かです(#^.^#)


畑にも案内できました。

烏骨鶏やヤギに触れ合い、とても嬉しそうでした♪
工業的な家畜や養鶏を見てビーガンになったジルにとって、
小規模でオーガニックな自分の畑はどう映ったでしょうか?

ペラペラ英語が話せる長女。
物おじせずにコミュニケーションが取れる次女。
さっぱり英語が話せない僕はタジタジです(笑)。
一応、日々少しは勉強を続けれているので、去年に比べると僕も最低限は話せていますが、長女の足元にも及びません。
悔しい!!

学校ではNYのみんなが竹馬に挑戦!

みんな初めてなのに、とても上手にできていました♪
色んな事に果敢に挑戦する姿勢ってやはりいいものですね~


彼らは小笠原太鼓の練習にも参加し、存分に文化を味わいました!

そのほとんどが和太鼓初体験。
その後の感想では、これもかなり思い出深いいい経験となったようです。
お互いにとって、たった一泊があまりに短く、もったいなかったです。


2日目には学校見学をして、書初めなども見学させてもらいました♪
その後は小剣先山にみんなで登り、集落を一望しました!


行く途中の岩場か階段を選ぶのはとてもスリリングでしたね♡
母島の郷土資料館、ロース記念館も楽しんでくれました(#^.^#)


母島でたった1泊でしたが留学生をこんなにも受け入れたのは初めての事ではないでしょうか?
この異文化交流、お互いにとってとても貴重な経験になったことは間違いありません♪

娘たちはうちにステイしてくれたジルとはもちろん、他の学生たちとも仲良しとなりました(*^_^*)

彼らが母島を離れる際には学校を早引きして見送りダイブするほどです(笑)。

この貴重な経験をさせてもらったこと、
母島の中でも沢山の方に支援をしてくれたこと、
運営してくれたスタッフの皆さん、
遠路はるばるここまで来てくれたみんなに感謝です♪

ありがとうございました!!

これからの未来、昔あった小笠原~グアム・サイパン航路・サイパン航路(父島~東京と距離がさほど変わらない!)が復活し、
お互いが姉妹都市となり、交換留学などの交流が進めばいいのになと思っています♡

鎖国真っ盛りの江戸時代の小笠原は日本で一番、世界と交流していたようでしたから!!













君の名は? 『ベルーガ』新カヌー命名式&お披露目・体験会

2019年01月06日 | アウトリガーカヌー
■正月の1月3日。
去年の初冬に母島に届いた6人乗りアウトリガーカヌーの命名式&お披露目・体験会がありました。

その場でについに名前が命名されました!!

母島の島民に向けて一般公募し、最終的に残った名前…
それが【ベルーガ】です!!

ベルーガとは、北極海に住むシロイルカの英名です。

シロイルカは別名「海のカナリア」と呼ばれるほど、美しい歌声を持つクジラの仲間です。
あの愛らしいルックスとそのプロポーションから人魚伝説のモチーフになったほど。



今回のカヌーはまさにそんな名前がピッタリなルックスです♪

この名前を考案してくれたのは島の小学生でした。
見た目から素直なインスピレーションで想像してくれたのでしょうね~

ベルーガ自体は母島には生息していませんが、
小笠原を繁殖地にしているザトウクジラやアホウドリは北極海を餌場としているので、
実はとても繋がっている存在だと思っています♪



■命名式では正月便を見送った島民の皆さんや母島に残った観光の方が約50名ほど集まり、
天候にも恵まれ、ベルーガも喜んでくれたかと思います(*^_^*)


まずは母島カノー倶楽部の部長より開会宣言があり、
お神酒をカヌーの船尾にある神様の場所にお浄めしました。

後ろの窪んだ部分ですね。

命名式ではフラで小笠原古謡でもある「丸木舟」を奉納しました。

丁度、母島に帰って来ていた高校生たちも踊ってくれました♡


少しだけど動画も撮ってます☆


踊った後はカヌーの船首にレイを捧げます。

僕はこの光景がとても大好きです(*^_^*)


ベルーガも美しいレイを飾れて、嬉しそうです♡

豚汁も振る舞われました♪

元旦に海開きしている母島と言えども、やっぱり寒いので(薄着ですw!)、
美味しい豚汁が身に染みました。

東北の芋煮みたいですね(笑)。

■みんなのお腹も温まったところで、体験乗船の始まりです。

今回、僕も初めてベルーガのかじ取りをやらせてもらいました。

いつも漕いでいる母島のカヌーと全然感覚が違います!
カクンと簡単に曲がるのです!!

そして6人で本気で漕いだ時はまるで別物のようになりました。
グングンと進むし、舵がすごく難しくなりました!

これにはとてもビックリしましたヽ(^o^)丿

この春に島を離れる長女も漕がせてもらいました♪

とても楽しかったようです☆

ベルーガを横から見るとホントに長いです!


座るところはこんな感じです。

この少しトップより下がったシートのお蔭で海面との高さが絶妙になり、
漕ぎやすくなるのです。

さすが外洋を漕ぎ、島から島へ渡る為のカヌーですね!

そして6人乗りだけど、6人では運べないほど重いです(笑)。

先日母島にまで来てくれて、カヌーの神聖な話をしてくれたデューク金子さんによると、
カヌーは神輿と同じものなのだそうで、
皆で担ぐ気持ちが大事なようです。

アマとヤクを繋ぐ縛りも神輿のそれと同じなのも頷けます。


■そして今回の体験会を終えてからは、春が来るまでベルーガはお休みとなり、
みんなで縄をほどき、片付けました。

海が穏やかになり、気温が上がる春。
みんなでベルーガを漕ぐのが楽しみになりました♡

お正月の中、多くの人に集まってもらい、
本当に有難うございました!!

多くの人が関わり、お蔭でこうして無事にお披露目をすることができました。
感謝の気持ちでいっぱいです。

このベルーガは小笠原返還50周年事業で購入したものです。
母島カノー倶楽部が実質、管理していくものですが、多くの島の方に乗ってもらいたいです。

そして、父島にも同じ形の姉妹カヌーが届いています。
父島の6人乗りカヌーは「イケカイ」という名前が付いています。

父島のイケカイと母島のベルーガ。

石器時代に小笠原とハワイ、そして日本を繋いでいたであろうアウトリガーカヌー。
返還50周年を記念して2つのカヌーが小笠原にやって来たことはとても意味があると思います。

私達が海でカヌーを漕ぐときは、
島の先祖の意識に触れる時でもあるのです。

島にはカヌーを掘った石器以外は何も遺跡が見つかっていない、
形が残りにくい木の文化ですが、
その時の海の水は変わらずに存在します。

僕はそのことが不思議でたまらなくなります。
そしてどうしても魅かれてしまうのです♪

カヌーがあるところには人が集まると言います。
このベルーガが母島にとって、みんなが親しむものになってくれることを願っています。

ああ春が待ち遠しい!!

謹賀新年2019 ~母島の年末年始の暮らし

2019年01月01日 | 母島 日常 日記
■新年、明けましておめでとうございます!
今年も無事に正月を迎える事が出来ました♪

これもいつもお世話になっている皆様、
そしてこの自然、そして沢山の必然のお蔭だと思っています。

どうもありがとうございます♪

今年も毎年恒例の「日本一早い初日の出」を見に早朝4時から南崎の小富士を目指してみんなで歩きました。

行きは真っ暗な森の中をみんなでライトを片手にお喋りしながら進んでいきます。
これがまたなかなか楽しいのです♪
この春、母島を巣立つ予定の長女も、最後のこのハイキングを楽しめたようです。

水平線から昇る朝日は拝めませんでしたが、代わりに雲と空のコントラストの美しい初日の出を拝めました☆

観光客も島民も含めて50名以上が集まりました!

小富士山頂からはザトウクジラも観察できました。
子クジラの全身を海上に跳ね上げる元気なブリーチングで「鯨春」!!
胸ビレを何度も海面に叩きつける動作はまるで手を振っているようでした(#^.^#)

帰りはみんなでワイワイすり鉢で遊びつつ、楽しく戻りました。

ほんと、終始平和な雰囲気を存分に味わえた気がします♡

集落に戻ったら、母島青年会による獅子舞が集落を周っていました。

縁担ぎにみんな噛んでもらい、朝のツアーは終了しました。


■そんな感動的な初日の出の4時間前は月ヶ岡神社で初詣に行っていました。

小さな神社に少しの人ですが、僕は母島のこの素朴な感じが結構好きです♪

自宅に残している妻と次女は寝ていて、僕と長女で参拝しました。
彼女の高校、そしてその先の進路の無事を祈りました。

僕自身はその直前まで友人宅で総合格闘技RIZINを観ていて、
那須川天心 対 メイフェザーの世紀の一戦を友人宅で観ていました(うちにはTVがないw)。
試合内容はさすが20年間無敗で5階級制覇の伝説の男らしい内容でした。
個人的には堀口が勝って嬉しかったです♪

そんな平成最後の大晦日の夕陽も美しかったです☆



■初日の出の後は「日本一早い海開き」に行くのが習わしです。

最初の場面では島の郷土芸能、南洋踊りを踊りました。

長女にとっては母島生活最後の南洋踊りになったかな?

その後は恒例のギョサン飛ばし大会。

これは5年くらい前から始まりました。

それまでは毎年正月はカヌー大会だったのですが、
いつも荒天で中止が続き、苦肉の策で始めたギョサン飛ばし大会が、
結構人気でレギュラー化したものです。

結構、ファールやら何やらでかなり笑いもある、ほのぼのした雰囲気でした。
うちは妻と次女となんとファミリー賞3位を頂きました!
長女も個人賞と友人と出たチームで賞を頂いていました!
なんかすごいぞ(笑)!

ギョサン飛ばしのあとは初泳ぎ!!

ここで毎年泳ぐ次女は朝から水着を準備し、ガッツリ泳いでいました!
いつの間にか長女も服のままドボン(笑)。
ちゃんと今を存分に味わっておりました(*^_^*)

終盤にはアオウミガメの放流も行い、平和に無事閉会となりました。

去年は雨で学校の体育館での実施でした。
やはり、いい天気で行えるのは嬉しいかぎりですね♪

■少し話を年末に戻すと、母島の柔道剣道と駐在所が主催する餅つき大会がありました。
いい天気の中、みんなで餅を突いて、つきたての美味しい餅を食べるのはいいものです♪

この石臼は戦前から伝わる、伝統的な石臼です。

あんこ、きなこ、大根おろし、納豆の4種。

どれも美味しい♡
どうして突き立てのお餅はこんなに美味しいのだろう?

今年は夫婦や親子で突いたり、合いの手をしたりで、とても平和でいい雰囲気でした(*^_^*)


■今年は平成が終わる年です。
我が家にとっても長女の進学という大きな節目の年になります。

彼女が巣立つまでのあと3か月も存分に母島を味わって欲しいし、
これからの自分の未来を思いっきり楽しんでほしいと思います。


僕が中3の時とは全く違う環境です。

中卒で当たり前に親元から離れる母島の子供達。

僕も当時、親とは思春期真っ盛りでまともに会話しない状態でしたが(笑)、
高校は普通に家から通う前提で考えていました。

長女は違います。
母親とあまり口を利きたくない思春期感は一緒ですが(笑)、
その先は家を出るという環境が当たり前にあるのです。

彼女はこれからの未来をすごく楽しみに生きていると思います。
母島を離れ、広い世界に向かって行く…

親として寂しくはありますが、すごく楽しみな部分が大きいです。

存分に今を味わって、気持ち良く生きて行ってくれればと思います♪

そんなわけで、今年もどうぞよろしくお願いしますm(__)m