小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

肉を食べるということ~「いのちをいただきます」

2014年01月22日 | 大切にしていること
◆我が家はあまり肉を食べません。
もちろん、食べないわけではありません。
僕も子供たちもベジタリアンではなく、肉は嫌いではないし、肉食を否定もしていません。

ですが、買ってまで食べることはほとんどありません。
かと言って食べないわけではありません。
現在我が家が食べる肉はたまの外食か貰った時のみです。

先日我が家のヤギ「こなつ」が死んだときに「食べる」か「埋める」かを本気で悩みました。
その時に久々に肉食について真剣に考えたのでブログに書いてみます。


◆我が家が肉食を考えるきっかけになったのは10年前に自分たちで鶏を捌いたことから始まりました。

その時の自分で鶏の頸動脈を切り、絶命させる感触は忘れられません。
スーパーのパックの肉からはまったく感じられない「いのち」の重み。
自然と食前の「いただきます」が「いのちをいただく」ことであることを理解しました。

その後、お湯につけて羽をむしり、内臓を取り、部所に分けて解体します。
手に脂もべっとり付くし、大変な作業です。

ここで1羽の鶏から取れる肉の少なさに驚きました。
そしてこの手間の多さ。
スーパーに売っている肉の安さはなんだかおかしい気がしてきたのです。

たとえば、1羽に1個取れる「砂肝」。
解体後、スーパーでパックで10個入りで298円で売られていることに違和感を覚えました。
薄利多売だとしても、なんだか絞められた「いのち」に相当する価格に思えませんでした。

「これは正当な価格じゃない!」

そう思った時から、僕は基本的に肉をスーパーで買うことをやめました。
肉が欲しいときはなるべく自分で絞めて、いのちの重さを、有難さを感じて食べたい。
スーパーのパックじゃその感覚を感じられない。
あまりにも経過が見えなさ過ぎる。
そう考えています。

なので、父島で野ヤギの肉を頂いたりするときは有難く頂きました♪
それは10年経った今も基本スタンスとしては変わりません。



◆そんなこんなで今は肉は食べるけど買わない暮らしになりました。
畑で野菜は作っているし、魚は時々頂くのでほとんど問題なく暮らせています。

肉食がグローバルに地球に与える影響も計り知れません。
同じ質量の肉と野菜を比べると、生産までのコストは野菜の何倍にもなります。

安い肉の為に熱帯雨林は焼かれ、薄利多売の為に抗生物質や劣悪な餌料(遺伝子組み換えなど)が増加します。

これが自分たちが肉を食べるときに自分で絞めるとしたらこんなにも地球環境に負荷を与えないと思いますし、いのちの重さを肌で感じることができます。
肉を食べる人にはみんなにぜひやってもらいたいと思っています。
特に子供には体験させていきたいと思っています。
肉を食べるという事はどういうことなのかを。

長女も3歳の頃七面鳥と烏骨鶏を絞めて、その後、食べました。
その時のことを本人は覚えていないそうですが、
「可哀そうだけど、美味しい~!ありがとう!」
の泣きながらバクバク食べていたのを覚えています。
そのころの長女です↓

2006年家族で自給自足の暮らしを求めてWWOOFの旅に出かけました。
その時の鹿児島県鹿屋でのひとときです。
あの1年の出逢いと学びは今も大切なものとなって活きています。



◆実際に「食べるいのち」について考えると、色々不思議なことがあります。
それはそのいのちを頂くときのこちらの精神的負荷の違いです。

野菜、虫、魚、鶏、獣、どれも変わらずいのちです。

いのちを頂くことに変わりはありませんが、その命を絶命させるときのこちらの心の反動の重さは相手によってかなり違います。
これは人によって差はあると思いますが、僕は4つ足の生き物を絞める時が一番気が重いです。
鶏を絞めるのも気が重いですが、4つ足の獣(ヤギや豚、牛)を絞めるときはもっと気が重いのです。
魚や虫は若干思うときはありますが、それほど抵抗はありません。
野菜、草、果実に至ってはほとんど「ありがたくいただきます♪」状態です。

これはどうしてなのでしょう?
自分でも分からず、不思議のひとつです。

でも思うことは同じ哺乳類であり、意識レベルが人に近いほど苦しい気がします。
また、体が大きな生き物ほど環境に対する影響も大きいのでその命にも重さを感じる、のかも知れません。


◆みなさんも肉を食べるとき、ふとそのいのちに思いを馳せてみませんか?
食前の「頂きます」、食後の「ご馳走様でした」をいのちを感じてしてみると、食べ物の有難みを痛感します。

私たちは本当に他の生き物のいのちで生かされています。
自分で生産し、自分で絞めて命を感じるのもそれを感じるいい方法でした。
日々、いのちに対する感謝の気持ちを忘れずに暮らしていきたい、そう思えるこれもまた「こなつ」からのメッセージだったと感じています。
ありがとうございます。


※参考までに自分で捕獲して食べる猟師の女性のブログ、父島の1年飼ったヤギを自分たちで絞めるプーランブログも色々考えさせられて面白いです。

母島ヤギ・こなつの死~弔い

2014年01月18日 | ヤギ
■昨日17日の朝、畑に行ってみると、我が家が飼育しているヤギの「こなつ」が亡くなっていました。
次女と同じ4歳でした。

次女の出産で安曇野に滞在しているときに生まれたこなつ。
生まれながらに小さめで体が弱く、3頭の中では唯一よく下痢をしたり、食欲不振、排泄障害になったりしていました。
でもこの最後の1年で体が大きく成長しました。

亡くなる前日は一切の食欲が無くなり、歩く元気があまりありませんでした。
以前は食欲は落ちても、食べないことはありませんでした。
午後もずっと座ったままです。

嫌な予感は的中しました。

翌朝4:30に畑に行くと、まだ体はほんのり暖かいもの、鼓動も呼吸も止まったこなつが静かに座ったまま亡くなっていました。

あまり辛くなく逝ったと思えるのがせめてもの救いでした。

急いで家に帰り家族に報告しました。
長女は号泣し続けました。
次女は泣きもせず、きょとんとしています。

こなつの親である「なつ」は僕の顔を何度も見上げ、娘の死を受け入れたようでした。
動物の強さを垣間見た気がします。

母島の畜産指導所の職員に見てもらいましたが、死んだ原因は深刻な伝染病ではないとのことでした。
きっと体の弱い彼女の寿命だったのだと思います。

■なんの偶然か、こなつが死ぬ前の晩、子供たちとあるブログを見ていたのです。
それは、父島のコーヒー山の友人が1年間飼育したヤギを自分たちで絞めるブログです。

父親と3年生の息子が少しでも苦しまないようにと刃物を朝からよく研いで向き合うその心、とても大事と話したその矢先の出来事でした。
これはこなつからのメッセージだったのでしょうか?

「埋める」か「食べる」か。

この選択にとても悩みました。
家族で話し合いました。

・命を大切にすること
・頂きますの意味
・こなつはどうしてもらいたいか
・どう最後を迎えさせようか
・こなつを傷付けないでほしい......etc

数時間悩んだ末、「埋める」決心をしました。
ヤギを飼っている友人にもコーヒー山の友人にも電話をして相談しました。


■結局は色々な理由を付けました。
・今我が家に肉を食べる必要性もない
・生きたまま血を抜けず、病死したであろう肉を食べるのはどうか
・こなつの命を弔うのは食べるだけが方法ではない
・名前を付けてペットになった家畜を食べられない...etc
でした。

長女には午前中、学校を休んでもらい、家族みんなでこなつを弔うことになりました。

畑の脇に大きく穴を掘ります。

こなつの事を想いながら、シャベルで妻と掘りました。
子供たちはこなつに添えるレイを編んだり、葉っぱやお花を集めてくれました。

手でようやく掘り終えた穴に敷き藁をしてこなつをそっと寝かせます。
共に過ごした4年間がふっと蘇ります。

微笑を讃えたまま眠るこなつ。
感謝の気持ちが湧いてきます。
ほんとうにありがとう。

みんなでこなつが大好きな草や花を捧げ、いよいよお別れです。

もうこなつの魂はここになく、天に還っていったのでしょうが、4年間共にした体ともお別れです。

本当に美しい角と可愛い美人さんのメスヤギでした。
畑に来る島の子供たちにも小ぶりで可愛いこなつが一番人気でした。

家族全員でしっかりと埋めました。

埋めた場所には綺麗に花や木の実を飾り、素敵にしてくれました。
子供たちもみんな、本当にいい時間を過ごせました。

家に帰る途中、海から大きな虹ができていました。

長女が
「あれはきっとこなつが天国へ渡っていってるんだね…」
と言ってくれました。
家族全員が同じ気持ちでした。
「こなつ、バイバイ!ありがとう!」
みんなでそう声をかけ畑を後にしました。

■死ぬ最後、3日前に次女と畑で過ごした写真が生前最後の写真となりました。

次女は去年、しつこく絡み、こなつの逆鱗に触れて角でつつかれてから怖くて近寄れなくなっていました。
が、先月頃からまた関係が良くなり、一緒に遊べるようになってきていたのです。
そのことが、僕にとっても嬉しいことでした。

埋葬した後、ふとヤギ小屋に行くと真ん中のこなつの部屋だけがからっぽです。
他の2匹はいつものように餌をくれる僕を見つめます。
でも母ヤギのなつだけは少し趣深そうな顔をしている気がしました。
僕はこの時初めて、心にも大きな穴が開いたことを自覚しました。
自分の両親が死んだときもそうでしたが、もう逢えないことを肌で感じた瞬間にその相手の死を理解した気がします。

こなつ、本当にどうもありがとう。
そして、こなつを可愛がってくれた皆さん、ありがとうございました。
こなつは最後まで幸せなヤギだったと思います。

埋葬に関しても畜産指導所の職員さんには色々とアドバイスを頂きました。
畑の大家さんも子供たちとの埋葬に快く承諾してくれました。

本当に多くの人に支えられているのだなぁと実感しました。
この世のすべてに感謝します。

こなつ、安らかにお眠りください。
次のいのちでまた逢いましょう。

マザーテレサの言葉「今、この瞬間を 幸せでいましょう。 それで十分です。」

2014年01月04日 | 名言集
今年は本当にたくさんのことを気を付けていきたいと思います。
心を込めて、その瞬間を生きる、そんなシンプルな行いがどれだけ大変でどれだけ素敵か…
マザーテレサの素敵な言葉を紹介したいと思います。

思考に気をつけなさい、
それはいつか言葉になるから。

言葉に気をつけなさい、
それはいつか行動になるから。

行動に気をつけなさい、
それはいつか習慣になるから。

習慣に気をつけなさい、
それはいつか性格になるから。

性格に気をつけなさい、
それはいつか運命になるから。

大切なのは、
どれだけたくさんのことをしたかではなく、
どれだけ心をこめたかです

今、この瞬間を
幸せでいましょう。
それで十分です。

その瞬間、瞬間が、
私たちの求めているものすべてであって、
他には何もいらないのです。

マザー・テレサ