小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

夢の都・京都②~伊根の舟屋編

2023年11月27日 | 旅行記
京都①綾部編の続き

■ついに舟屋で有名な伊根に来ました!
とは言っても、舟屋の風景は何かで見たことがあっても、
それが京都にあって、それが伊根という地名だというのを知ったのは、
今回の内地研修に出発する数日前でした(#^.^#)

母島のゴミ回収をしている同僚に教えてもらった、
京都で気になる場所「伊根」。

せっかく大人になって初めて京都に来たのだから、
友人にお願いして車を出してもらい、伊根まで足を延ばしました!
本当にありがとう☆

始めて舟屋というものを見て、
率直に日本海という場所で海が荒れてる時、家は大丈夫なのか?でした。

奇跡的に日本海なのに南向きという湾の特性なのか、
比較的海が穏やかな地域なようです。


■家のすぐ裏に船が停まっているという不思議な情景に、
友人と「母島の釣り好きのTさんとかGちゃんとか、絶対好きそうだよね~」
とか笑いながら、風情ある舟屋を眺めていました。

京都の果てに来ても、やっぱり島トークが炸裂しまくりです(#^.^#)

しかし、僕たちも僻地の母島を好むような変人です(笑)。
観光地の綺麗に整備されたものは白けてしまう傾向があり、
綺麗に作られ、整備された家よりも、
実際に暮らしをリアルに感じられる方を好むので、
奥の海側にみんなでワイワイしている舟屋とかにほっこりしていました。

しかし、うどん屋からそうですが、
いい天気だやった~~と思い、
外に出るといつも雨、雨、雨(泣)。

かなり僕は晴れ男な方なのですが、
彼女は話を聞くと大事な時はよく土砂降りとのこと(笑)。
僕もなんかこの秋位から属性が雨になってきている感があります(涙)

お互いバイク乗りなので、
バイクの時の悪天候の時の悲惨さ、
でも天気のいい時の最高さを語りたいながら、
「どうしてうちら外出るとこんなに雨なの~~」
と大笑いしながら巡っていました。
共通項があるというのは嬉しいもんです。

車中では母島で共に過ごした話をしまくり、
お互いの人生の話、時にはハイロウズや浜田省吾を合唱し、
聖飢魔Ⅱのギターにシビれて、
忌野清志郎について語り合うという状態でした(#^.^#)


■僕も去年バイクで東北旅をしていた時もそうでしたが、
やっぱり僕らは根底から海が好きなようです。

海に出ただけで「わ~~~海だ~~~!!」
「やっぱ海良いよね~~!」
と子供のようにはしゃいでいます(#^.^#)

僕はずっと太平洋側にいたので、
なんだか日本海の雰囲気が少し違ってて、
とても面白い違和感でした。

音楽もバイクの話も合うし、
仕事も人間関係もしっかりと話せる彼女ですが、
そういえば彼女はまだ20代前半(笑)。

今年20歳になる長女の方が年が遥かに近いくらいなのですが、
なぜか共に浜田省吾と忌野清志郎なんか大好きで、
気が合います。

母島に来た時は17歳だったのですが、
信じられないコミュ力と社会経験で、
普通に大人に馴染む彼女。

この1月に大好きな母島を離れて、地元付近に戻り、
今は大阪に住み、畑や田んぼに通いながら楽しく生きているそうです。
元気そうな顔が見れてホッとしました。


■彼女が母島を離れる時のエピソードや、
一緒にやった最後のライヴイベントの話など、
延々と車中でおしゃべりと合唱が止まりませんでした☆

近年、がんも急死も続いている現状にお互い憂いてもいます。
新型コロナのワクチンの問題…
どれだけこの3年で脳出血や心臓疾患で亡くなる人が増えているか、
震災から10年でがんが爆増していて、
共通の友人とかも急逝が続いているので、
この世の中についても良く語りました。

彼女は持続可能な自然農で田畑をやっているので、
そこから学ぶこと、食の安全ももちろん知っているナイスな女子です♪

これからのお互いの活躍にエールを送りながら、
伊根から京都駅まで車を走らせ、お別れをしました。

遠く離れていても、こうしてお互いがそれぞれの舞台で頑張っているのを知れると、
とても励みになります。
「どんなに遠くても、辿り着いてみせる。
石のような孤独を道連れに、空とこの道出会う場所へ」
お互いが大好きな浜田省吾の家路を胸に、お別れをしました。

元気でね~!どうもありがとう!

夢の都・京都①~憧れの綾部編

2023年11月20日 | 旅行記
琵琶湖・沖島編より

■さてさて、今度は京都編①です。

京都と言えば、日本でも有名な歴史ある観光地。
日本の歴史の教科書に絶対載っているし、
修学旅行などで誰しもが一度は来ることがある有名な場所です。

僕は高校の修学旅行以来、
つまり大人になって初めての京都旅でした(#^.^#)

島暮らしをして20年。
気付けばすっかり人混みが苦手になってしまいました(笑)。
そんな訳で、京都もメジャー所というよりは、
ご縁がある場所に限られた時間を駆使して行って来たのです。

まずは何と言っても綾部!
僕がこんな暮らし方をするようになった大きなきっかけとなる、
半農半Xという生き方」の著者、塩見直紀さんがいた場所が綾部なのです。
そして母島にも来たさすらいのうどん職人竹原さんのいる「竹松うどん」。
野草教室の若杉のばーちゃん。

その中で、友人や知人の紹介でそれぞれの土地の議員さんにも会ってきました♪
滋賀の議員研修で発生した隙間時間を存分に活用してきたわけです(#^.^#)


■議員視察で南相馬から東京に戻って来て、そのまま新幹線で京都入りしました。
まあ、なんて日本は狭いのだろうと思うほど、本土の交通網は発達しています。
東京から2時間半で約500km先の京都に行けてしまうのです。

これでも十分速いのに、さらにリニアモーターカーを作ろうとしている…
もう持続可能という意味で“足るを知る”を考えれば、僕には不要に思えます。

あっという間に花の都、京都に着きました。
想像通り、外国人に溢れていました(#^.^#)

駅から歩いて行ける範囲に宿を取り、
着いてすぐに父島の友人に紹介してもらった
京都市議会議員の井﨑敦子さんが迎えに来てくれました☆
紹介ありがとう♡

敦子さんは僕と同じこの4月の統一地方選挙で議員になった新人同士です(#^.^#)

井崎敦子さんは中央の方です☆

井﨑さんとその仲間の皆さんと、
美味しい京都の日本酒と海の幸を頂きながら、
議員の話、京都の話、小笠原の話にあっという間に時間が過ぎていきました。

やはり人口150万人の京都と2500人の小笠原では、
同じ地方議員でも天と地ほどの差がありました(#^.^#)
報酬に仕事量、委員会に本議会、一般質問の時間もまるで違います。
驚くほどの違いがありました。

僕らのような少数派の意見は、
大きな議会では発言の機会や委員会でも出番は限られ、
大きな政党や会派が圧倒的に有利な状況の様です。

そんな中、150万人の人口規模の決算の書類の規模、
67議席という名前も覚えれなさそうな数も圧倒的でした。
ちなみに小笠原村議会は8議席ですw
可愛く思えてきました(^_-)-☆

そして奈良時代からご縁が繋がっているグループがあると聞いて、
その時間軸のスケールの違いにも圧倒させられました☆
江戸時代から程度の小笠原では太刀打ちできない歴史の深さがありました。
ひゃあ~~~

敦子さん達とはお互いに情報交換をしまくり、
議員としてもとっても意味のある京都訪問となりました♪
どうもありがとうございました!

その後はノジコさんがやっている境町画廊という、
明治時代に建てられた素敵な古民家の画廊を深夜にお邪魔して、
みんなで山﨑俊江作品展という素敵な展示を見させてもらいました☆

精巧に作られたミニチュアを眺めては、
溜息が出る程、見えない所にまでこだわった部分が垣間見えて、
感動させられました☆

ステキな時間を本当にありがとうございました!!


■翌朝は宿から京都市内を少し走ったりしながら、
京都駅の近くの大きな東本願寺を見に行きました。

朝早いせいか、人もまばらで最高の雰囲気☆

こんな圧倒的な大きさの木造建築が、
何度か戦火に見舞われながらも残っているという、
その意味に圧倒されられました。

建物の柱を見ても信じられない太さの1本の巨木を使っていたり、
天井の絶妙なR(曲がり)、梁や塗り、宮大工の芸術性など、
高校生の時にみんなで溜息をつくほど眺めたのを思い出しながら、
再度その作りと歴史に感動していました。

本堂では厳かに早朝のご祈祷が行われていて、
僕も参拝だけさせてもらって、
滋賀の議員研修に電車で移動しました。

3日間の研修後に沖島を経由して、
今度は大阪在住で元母島の友人に車を出してもらって、いざ綾部へ!!


■綾部は昔からずっと気になっている土地でした。
当時、父島に住み始めて子育てに翻弄していた頃、
妻の紹介だったと思うのですが、その後の人生に大きく影響する本に出合いました。

それが冒頭でも紹介した「半農半Xという生き方」でした。
著者の塩見さんが綾部に住んでいたのです(今は綾部を離れているそうです)。

半農半Xというのは、
半日自給的な農的暮らしをして、
もう半日は地域社会に関わる現金収入などの仕事をする。

そうすることで、それぞれが自給できる暮らしをしつつも、
生活する収入も得て、社会はより健全に持続可能に進むという考え方です。

僕は二十代前半にその本に出会い、
衝撃を受けて生き方が変わり、まさにずっとそれを実践しています。

その本の中でも綾部の話は幾つも出ていた気がします。
他には高遠のフリーキッズヴィレッジにWWOOFでお邪魔していた時に出逢った、
野草教室の若杉友子さんというすんごいばーちゃんも綾部から来ていたのです。
お陰で、ずっと綾部という土地は気になっていたのです。

綾部の竹松うどんの横の川。
この雰囲気が楽しめる人は綾部向き!!


■友人の車で京都郊外とも言える綾部に向かいます。
まず向かった先は竹松うどん

ここの店主の竹原さんは、なんと10年ちょい前に、
さすらいのうどん職人として「讃岐の夢」という小麦粉の大袋を持って、
小笠原に旅に来ていたうどん職人がやっているお店です☆

当時、僕は父島に住んでいて、竹原さんはプーランに泊り、
最高に美味しい手打ちうどんをご馳走になったのを今でも覚えています♪

その当時から綾部の話も聞いていて、
その後、綾部で店舗を構えたという話を聞いていたので、
実はずっとこの訪問を楽しみにしていました☆

そこに京都市議会議員の敦子さんに、
綾部市議会議員さん(中島ゆう子さん)を紹介してもらい、
竹松うどんでお話しよう!ということになりました。


■初めて来れた竹松うどん
静かな綾部の川のほとりに佇む、
落ち着いた雰囲気のお店でした。

僕らが着いた時はまだスタッフさんがせっせと仕込みをしており、
11時の開店を待つお客さんがもうすでに外に待っていました。

そのお客さんは奈良から来ていて、
おススメのメニューなどを教えてもらいました(^^♪

個人的には10月メニューだったウイグルうどんが気になっていました。
(新疆ウイグル自治区の危機を訴えつつ、文化の紹介)

外には綾部のの美味しそうな野菜が売られ、
大好きすぎる雰囲気でした(#^.^#)

サツマイモの品種を話していたら「あ、間違えた。紅はるかだった(笑)」
と書き直しててほっこり(^_-)-☆


そして、綾部市議会議員の中島ゆう子さんも到着し、お互いに自己紹介しながら、
店内に入ります。

僕は大好きな「きつねうどん」を女将セットで注文し、
開店待ちした方にお勧めで紹介してもらった冷やしの「せせりうどん」もみんなで食べました。
めっちゃ美味しい~♡

さすがはプロの味!
さすがのコシと薪で茹でるならではの感触!!

薪の火と、
ガスの火では、
同じ火でも雲泥の差であることは、
自然の暮らしの中で体感しているので、そこがとても楽しみでした。
芯まで通る薪の焔は手打ちうどんを最良なものにしてくれていました♪

とても美味しいうどんに舌鼓を打ちながら、
友人とゆう子さんと色んな話に花が咲きました☆


■ゆう子さんの考察によると、綾部は過疎化対策として、移住政策を進め、
結果、個性的な面白いメンバーが人を呼び集まって来たようです♪

もちろんゆう子さんはこの竹松うどんの常連さん☆

そんなゆう子さんとも議員同士の情報交換をして、
まさか一般質問の通告書で執行部からの返しがない状態で
一般質問の再質問しているとは思いませんでした。
それでは有効な答弁を引き出しにくいのでは?と思いました。

3.11をきっかけに食の安全などから政治に興味が出て、
現在市議会議員2期目のゆう子さん。
子育てしながら、色んな事を頑張っている事、
無所属無会派による議会での少数派の難しさなど、
色んなお話をしました。

綾部市議会議員の議席は18。
その中で女性議員が6名!!
小笠原村議会は女性議員がゼロなので、4年後の選挙の時までに、
ぜひ女性に議会に入って欲しいと切実に思いました。

一緒に来た友人も、政治家には心から絶望していたので、
こういうゆう子さんみたいな議員が京都にいるんだ!と知れてとても良かった様です(#^.^#)
ご縁とご縁を繋いで貰った僕が、新たにご縁を繋ぐ…
これがまた旅の醍醐味な気がするのです☆

もっともっとお話ししたかったのですが、
大人気のうどん屋さんはそれなりにお客さんが来るので、
楽しいおしゃべりの続きはまた次回ということで、
予定があるゆう子さんとはここでお別れとなりました。

どうもありがとうございました♪

さて、友人とどこ行こうか?という話となり、
僕は舟屋のある伊根に行きたい!
ということになり、いきなりですが一路、伊根へ向かうことになりました。

ノープランはやっぱ面白い(笑)。
そんな訳で
京都②伊根編に続きます。

旅について

2021年07月10日 | 旅行記
■とある日の夕暮れ。
アウトリガーカヌーを漕いで、夕陽を見にベタ凪の海に浮かんでいました。

そこには
最近、屋久島と八丈島を拠点にしていて、
今回、小笠原に1ヶ月程度滞在している若者ふたりが一緒でした。

一緒にあまりにも美しい夕陽を見ながら、
なんとその二人が偶然にも同じ便のおがさわら丸で来島していたことが判明して、
なんと帰る便まで偶然に一緒ということが分かって、ビックリしました(笑)。

話していく中で、
屋久島の宿で働く彼女と、
八丈島で伝統的な牛飼いを学んでいる彼女の間に、
幾つもの共通項があって、
なんだか世界は広いようでほんと狭いなぁと思う瞬間でした。

ふたりともこんな光景の中で、
夏以降のお互いの予定を話し合っていて、
なんだかとてもピースフルな七夕の夕暮れのひと時でした(*^_^*)


■そんなこれからにワクワクしているふたりを眺めながら、
僕は旅について考えていました。

思えば僕も19歳で初めて小笠原に来る時、
本当にお金が無くて、
トラックの運転手さんに乗せてもらって仙台~東京までの旅費を浮かしていました。

なんとその時の運転手さんとは、今も年賀状やFacebookで繋がっていて、
とても嬉しいご縁でした♪

それから小笠原で出逢った人、
翌年に行った西表島。
そこの目的地に向かうプロセスでも沢山の出逢いがありました。

最初の小笠原の訪島時に出逢った、自転車で日本一周していた村ちゃんは、
その夏に僕の仙台の家にも泊りに来てくれて、
今でも覚えている一言を残してくれました。
「旅って、乗り物の速度で出逢いの数が変わってくると思うんだよね。
 チャリダーの俺もこうして出逢えて、お世話になってるけど、
 徒歩ダーなんて、もっとゆっくりで大変だけど、
 それだけ多くの人に出逢えてる。
 これがバイクの旅だと、出逢いは自転車よりも減って、
 車で旅するともっと出逢えなくなるんだよ」


ふ~む、確かに。
車なんて、宿にもなるし、悪天候に強いし、鍵もかけれるから圧倒的に便利だけど、
それに引き換えて失うものもあると。

思えば僕はずっと公共交通で飛行機ではなく、
なるべく電車やバス、船を使うスタイルでした。

20歳の頃、西表に向かう時も東京~奄美~沖縄本島と船でした。
家族3人で1年間かけた、日本中の自給自足を学ぶWWOOFの旅も飛行機は使いませんでした。

小笠原に住んでいて、長い船旅には慣れていましたし、
やはり船旅での出逢いも、とても重要でした。

その旅の途中で出逢った方達とは今もご縁で繋がったりしています♪

目的地に辿り着くだけでなく、その過程に実は重要な要素が詰まっていると思うのです。
僕はそんな旅が大好きです♪


■そんな旅をした20年前。
当時も携帯電話はあったけど、
スマホとインターネットが復旧した現代とはまったく違うものでした。

旅の情報源は基本的に本だったし、
時刻表も分厚い電話帳のようなものとにらめっこしていた記憶があります。
駅員さんなどにもよく質問した記憶があります。
スマホやネットに頼らず、色んな人に話しかけるのも出逢いになるし、
確実に旅のスパイスになっていた気がします。

僕が若い頃に宿として、職場として利用してきたユースホステル。
ユースは料金が安く、寂しがり屋の一人旅の人が集まる場所です♪
旅先で色んな多様な人との出逢いを求めるには、最高の環境です☆

近年は世界中で発生していることだそうですが、
ユースでもみんな談話するよりもスマホばかりいじっている時代になっていて、
それを嘆いている声を聞きます(#^.^#)

僕がスマホではなくガラケーにこだわる理由もそこにありますが、
旅でなく、日常も少しデジタル機器に触れない日や時間というのが大切な気がします。

現代はコミュニケーションの頻度は増したけれど、
コミュニケ―ションの深みは浅くなったと思うのです。



■そんな僕なので、すべて予定を組まれたツアーの旅よりも、
自分で大雑把に行き先を決めて、あとはその先で行き当たりばったりで予定を変えていくスタイルが好きです。

しかし、その上のレベルを行くのが妻の旅スタイル。
家族で海外旅行する時ですら、事前に宿を決めて予約せずに、当日に探して飛び込むスタイルなのです。

僕は一人旅ならそれでいいけれど、子どもを連れた旅の時はさすがに宿くらいは前日に決めたいタイプであることが判明しました(笑)。
いわゆる行き当たりばっ旅・保守派です(*^_^*)

しかし、妻は「それでは旅の意味がない」と断念し、基本的にその時の出逢いと流れを重視します。
前もって予定を組んでいないので、色んなイレギュラーにも対応可能です☆

例えなのですが、母島の南崎遊歩道に行くのに送ってはもらうのですが、
帰りの迎えはお願いしないのです。
送った宿のご主人は勝手なおせっかい(親切!)で、
夕方などに心配になって迎えに車を出すのですが、
いくら待っても遊歩道から出てこない。

そんな時、実は妻は蓬莱根でカヌーで来ている島の人に出逢い、
カヌーで母島の属島(無人島)周りにちゃっかり連れて行ってもらい、
えらい楽しんだ挙句に、カヌーで集落に帰って来たりしているのです(笑)。

その為にはあとの予定が決まっていない不安感を払拭する必要性と
ある程度自分の荷物を常に持っていなくてはなりませんが、
旅の自由度は増すのです(#^.^#)

彼女はそのスタイルで数年前、
式根島から新島までいきなりカヌーで渡ったりしているんですから、流石過ぎますね(*^_^*)


■今、カナダにいる長女も高校を卒業したら色んな所を旅をしたいと言っていました。
彼女はどちらかというと妻の旅のスタイルが合っているようです。

もちろん荷物はスーツケースではなく、バックパック。
これで悪路もへっちゃらです。
旅のスタイルだけでも、旅にどう向き合っているかが見えてきます。

長女は英語が自由に話せるので、
さらに世界を存分に味わえるでしょう。
お金がなければ現地で住み込み仕事をしながら旅をすればいいし、
圧倒的に時間はあります。

よく、「お金がない」「時間がない」と言って諦める人の話を聞きますが、
それはただのいい訳で、本当にやりたいのであれば、
どんな方法を使ってでも実現できると思います。

自分の子供には、学校の勉強よりも、
そうした「生きる力」を身に付けて、
沢山色んな世界を見て欲しいなと思います。

言い訳ばかり、やれない理由ばかり探す人にはなってほしくないです(*^_^*)

長女は今年18歳。
こんな親父なので全国に色んな友人知人がいますが、
娘にはそれには一切頼らず、
自力で出逢って楽しんで行ってほしいと思っています。


■我が家にも少しステイした彼女は、昨日母島を発ちました。
母島で色んな新しい事に挑戦して、
色んな刺激をもらったと思います。

僕もついおせっかいをしてしまい、
無意識に人の成長を妨げる事をしてしまいがちです。
時には見守る事も大事ですね。

母島で近い年齢の友達もできて、
その友達がまた自分にないものを沢山持っていて、
とてもいい関係に慣れる気がします(*^_^*)

これからが楽しみですね♪



■今年の七夕前日は満天の星空過ぎて、
天の川はわかるけど、正座がわからない状態でした(笑)。

北斗七星とさそり座、
夏の大三角らしきのだけ分かりました。

八丈から来ている彼女も感激の夜空でした♪

七夕の織姫と彦星。
今年も離れ離れの二人は再会できているのかな?

星の神話って、色々ロマンにあふれていて、
TVもネットも電気もない時代は、
この満天の夜空を見ながら、
色々想いを馳せていたんだろうなと思います。

母島に住んでいても、
わざわざ星を見に行くのは年に数回しかないけれど、
何千年も変わらない同じ景色を、
どれだけの人が眺めてきていて、
この瞬間も誰かが見ているともうと、
なんだか世界の広さと狭さが、
あまりに不思議に思えてきます。




旅について考えた時、
母島に来て10年ぶりにドラムを叩いたCARAVANの曲を思い出しました。

僕にドラムの声をかけてくれたびっちさんが、
島を巣立つ中学生たちに贈ろうと選んだ曲です。

子どもの頃の近所の旅、
成長にするにつれて、少しずつ行動の範囲が広がりますが、
いつも新しい世界や価値観に触れる、刺激的な旅。
やはり旅は良いものです。

色んな旅を考えるひと時でした(*^_^*)

次女と初仙台!

2017年07月31日 | 旅行記
■タイトルで仙台と言いつつ、
現在、なんと家族でインドネシアのバリに来ています!
目的は色々とあるのですが、
昨日は長いフライトを経て無事にたどり着きました。

家族初の海外旅行です☆

初めての地域の音と臭い、
出逢う人と異文化....

着いてからの宿も決まっていない、
まるで普通のバックパッカーの様な刺激的な旅をしています♪

これからの2週間の滞在が楽しみです♪


■話が前後しますが、そんなバリ島に辿り着く前、
次女にとって初となる仙台を二人で訪れました。


次女にとっては初めての仙台の景色。
きっと内地の他の大きな駅となんら変わりない印象でしょう。
でもそこで育った僕にとっては、
懐かしく嬉しい景色です。
そこを自分の子供と歩む......不思議な感覚です☆

子供の頃にただ歩くのに邪魔だった仙台の七夕飾りが、
自分の娘と一緒に過ごしていると言うだけで、
こんなにも楽しめるものになるとは思ってもいませんでした☆


今回は色んな事情で1泊の滞在になってしまいましたが、
今回の大きな目的は85歳を越える祖父母と次女を逢わせることでした。

両親を亡くしている僕にとって、
祖父母は故郷の親みたいな存在です。
ひ孫にあたる次女をこうして
元気なうちに逢わせることが出来て本当に良かったです♪

■祖父母にはずっとお世話になっており、
普段超遠隔離島に住んでいるので、
逢える機会があれば出来る限りのことをしてあげたいと思っています。

今回は屋根に雨漏りの修理や庭木の剪定をしました。
その作業をしながら、
子供の頃にあんなに大きく見えた家や町並み、
祖父母たちがとても小さく見えるのがなんだかとても不思議です。

自分が大きくなったのももちろんあるのですが、
それ以上に時間の感覚もスケールも全てが
子供の頃と大きく変わっていて、
懐かしくて知っているのに
自分がどこか別の世界から戻ってきたような感覚を感じられずにはいられません。


■バリ島に行く前に子供たちは
ずっとやりたかったクライミング(ボルダリング)を堪能しました♪

自分の力と頭と感覚で
垂直やオーバーハングした壁を上る.....
子供たちはすっかりハマってしまったようです(笑)。

僕もやりたいっ(笑)!

保護者として見ていると、
子供はリーチも力もありませんが、
頭と体の柔軟性は大人を軽く凌駕していると感じる場面があります。

島で暮らしていてはなかなかできない体験かなと思っていましたが、
いつもやっている木登りがとってもいい練習になっていたようです(笑)☆

長女(中2)は長いリーチを生かし、なかなか上手に上ります。
そしてやっぱり場を和ませるのがうまいです。
知らない顔の周囲の若者とすぐとけ込むし、
みんなを笑わせてくれます(笑)☆


次女は島のがじゅまるとコンリートの城壁登りで鍛えたセンスで、
あまりにもリーチが短いのを忘れるほど達者に上ります。
元々握力が強いのと、
クライミング系で活躍している白石阿島選手の映像などをよく見て研究しているので、初心者とは思えない大技を繰り出し、
周囲のベテランを驚かせていました。
主につま先の使い方が初心者とは思えないそうです♪
本人は自分のリーチのなさが悔しいらしく、
もっと早く成長したいらしいです♪

娘二人ともボルダリングがとても気に入ったみたいなので、
きっとバリから帰っても通ってやることになるでしょう(笑)♪

バリでも内地でも手を繋いで歩く二人は可愛いものです☆

やんばるの百姓たち~自然農とパーマカルチャー(沖縄本島滞在記⑤)

2017年06月07日 | 旅行記
■2月に行った沖縄。結婚して15年、初の単身旅行でした(笑)。
もう随分の前の事のように思えますが、
最後に書ききれていない部分、それがやんばるで出逢った百姓の皆さんです。

ちなみに農業者や農家と言った言葉がありますが、
僕は敢えて「百姓」という呼称を使っています。

いずれ記事に書こうと思っていますが、
「百姓」という言葉には、作物を作るだけでなく、
“暮らしで必要とされる仕事を数々こなしていた大勢の人々”という意味で捉えています。

今回の沖縄滞在でやんばるに住むそんな素敵な百姓達に出逢った報告です♪


■まずはずっと逢いたかった森岡尚子さん。

彼女は大好きな本「沖縄島ごはん」「ニライカナイの日々」の著者で、
家族で丁寧な暮らしをしていて、
畑をしながら、冷蔵庫を使わずに、自然のリズムで暮らしている様が描かれています。

父島に住んでいる友人が丁度紹介してくれ、
10年前にやんばるに来た時にお伺いしようとしたのですが、
丁度お子さんが熱を出していて断念...
今回、念願の逢ってお話しすることができました♪

尚子さんは本で読んで想像したままの、
とてもナチュラルで素敵な方でした♪

ぽかぽかとした陽気の縁側で、
美しい自然を眺めながら、
暮らしの話をする贅沢な時間を過ごさせて頂きました☆

そして予想外だったのは本にはあまり書かれていない旦那さんの存在でした(*^_^*)

それはもお、最高に楽しい旦那さんと農や移住にまつわる話、家族や男のあり方など、
今日初めてあったとは思えないほど(笑)、あっという間の一時でした!
最高の笑顔がタマらない素敵なナイスガイでした(#^.^#)

畑の方も見せて頂き、小笠原の畑に想いを馳せました☆


いつも旅をしていて、根底に大事にしているものが同じ感覚の人に出逢えると、
ずっと前から知っていたような感覚にとらわれます。
また家族で訪れたい仲間が増えました!

森岡さんに頂いたうちなーローゼル2種類は、
今期の母島の畑で元気に育っています♡

これが小さなうちなールビーローゼル。


こちらはうちなーローゼル(勝手に命名)。


これは母島ローゼル。
今回は母島ローゼルの種で交換しました♪


■そして、沖縄に行く前に友人に「ぜひこの人に会って来て!」と紹介してくれた人に逢いに行きました。

最も美しく持続可能に近いと思われる自然農を
専業農家として実践している「むい自然農園」の益田航さん。

無農薬、無肥料栽培で
耕さず、外のものをなるべく入れず、
畑の中で循環させる自然農。

その方法で専業農家をしている凄腕の方です。
話す言葉一つ一つに重みがあります。
そのどれもが丁寧で、自然に対する謙虚な姿勢を感じました。

中でも獣害や鳥害に対して対話で解決するという話が素敵でした。
とにかく話しかけてお願いするそうです。

そう、父島の友人もその方法でネズミの害を限りなくゼロにしたのです。
僕も母島に帰ってから実践中です♪

元気な自然農のソラマメです☆


お土産には乾燥に強い沖縄のサトイモの仲間、ココヤム(ちんぬく)をお土産に頂きました。
早速、母島に帰ってきて植えました!

本当に忙しい中、貴重な時間をありがとうございました!!


■そしてやんばる大宜味村にはパーマカルチャーの実践者がいると紹介を受けたのが、
やんばるシンカヌチャーヴィレッジ」の相川ファミリーです♪

とっても可愛い娘さん二人と犬と素敵な奥さんとmasaさん!
持続可能な農的暮らしのデザインのパーマカルチャーを実践している相川さんファミリーは最高でした♪
宿も経営しているので、興味のある方はぜひどうぞ☆
定期的にパーマカルチャーの教室も開催しています!

沢山の実りあるお話を聞けて、とても楽しかったです!
この出会いに感謝です☆

「生きていて今が一番楽しい」と語るmasaさんの前職の話はプロの音楽関係で、
なんと僕が学生時代に大好きだったバンド関係(大好きなバンドの数々)!
そんな予想外の話で盛り上がりつつ、
話題は実践やこれから沖縄の問題、家庭など多岐に渡りました♪(夜遅くまで、ありがとうございます)


アースオーブン(土釜)。


チキントラクター、スパイラルハーブガーデンなど、


パーマカルチャーに溢れた暮らしはとても美しく、
子どもに飢えていた僕には相川ファミリーの子供たちが可愛すぎました♡
一緒にワンちゃんの散歩行けて最高でした☆

奇跡的な偶然で母島の農協にいたSくんにこんな場所で再開し、
なぜか一緒にひよこ豆で味噌造りをしました(笑)♪


今度は家族を連れて行きます!!

世の中の一人でも多くの人が、
自分の生き方と暮らし方が持続可能か考え、気付き、動き、
シフトすることを願う素晴らしい出逢いとなりました。
ありがとうございました!


■やんばる東村でお世話になるところはなんと農家民宿「島ぞうり」!


宿のすぐ横ではおじいがらっきょの出荷の準備をしていました。


さっそく母島でも作っている島らっきょの選別作業を手伝わせてもらいました。

ほんのり温かい日差しの中、
畑や島のことを快く話してくれる東村出身のおじい。
この時間がいつまでも続けばいいのにと思ってしまいました☆


夫婦で宿と畑をしているのですが、

なんと夫婦で東村出身!
米軍統治時代の話から、
ヘリパットから辺野古の基地の話、
畑の話などいろんな話をさせて頂きました☆

数泊する中で、おじいは畑や東村を案内してくれました♪

「沖縄の水甌(みずがめ)」と言われるほど水が豊かです。
沖縄本島の全域と離島にですらやんばるの水が引かれています。
その重要性が伝わってきます。

その中で大きかったのはリュウキュウイノシシの存在です。

かぼちゃが無残にも食われています。


ダムの下の方には飼育されているリュウキュウイノシシがいました。
すごく人馴れしていました(笑)。


■また、やんばるでアースパックハウスを作ったなおちゃんを訪ねて来ました!

アースパックというのは、つまりは土嚢袋に土を詰めて叩いて固め、
それを重ねて家を造ると言うもの。

3層に分けて作ってあり、可愛らしいルックスのおうちは台風の豪雨でも大丈夫だとか。

中には楽器などがあり、創作活動にはもってこいの空間に思えました☆


■やんばるに生きる百姓たち。

共通しているのは、
みんな地域との調和を大事にしながら、
自分たちの信念を持ち、
楽しく過ごしているという事。

やんばるはそんな素敵な人たちが沢山いました。

なんだか故郷のような気持ちになってきます☆

やんばるに来てから多くの素晴らしい実践者に出逢えて、
とても充実した時間を過ごしています。

その時思った感じは、
これから母島に帰って、色々やりたくてうずうずしてくるのが、
なんだか子供の頃、
新しいおもちゃを買ってはやく家に帰って遊んでみたい衝動に似ている気がしました(笑)♪


東村にはこんな僕の苗字の地域や島があったりしました。
色んな縁を感じずにはいられません☆

多くの人に支えられて素晴らしい旅をすることができました。
どうもありがとうございました!

★沖縄本島旅行記2017 記事アーカイブ

沖縄本島への旅路(沖縄本島滞在記①)

馬と暮らすという事~伊江島 (沖縄旅行記②)

沖縄と米軍基地問題(沖縄本島滞在記③)

やんばるの自然~ヤンバルクイナという存在(沖縄本島滞在記④)

やんばるの百姓たち~自然農とパーマカルチャー(沖縄本島滞在記⑤)





やんばるの自然~ヤンバルクイナという存在(沖縄本島滞在記④)

2017年03月10日 | 旅行記
■自分が忘れないうちに(笑)、再び2月の沖縄のお話です。
馬と米軍基地に続いて、今回学びたいテーマその4は「やんばるの自然とそれに関わる人々」です。

沖縄本島の北部は別名「やんばる」と呼ばれています。
それは森林が多く残っており「山原」と書いてやんばると読むそうです。

100万人を超える人口の水道水をこのやんばるの豊かな水が支えており「水甌(みずがめ)」と言われています。

その豊かな自然の中にそこにしか住んでいない貴重な鳥が生き残っていました。
ヤンバルクイナです。

1981年に新種として報告されました。

翼は退化しており、
高く飛翔することはできません。(1m位は飛べるそうです)
日本で唯一飛べない鳥なのです☆

食べ物はミミズやカタツムリ、
木の実や種も食べるそうです。

とても警戒心が強く、
滅多に人前に現れないそうです。

主に日中に活動し、
夜は高い樹上で休んでいます(枝から枝に飛び乗って高くに上がるみたいです)。
走るとかなり早いです!

キョキョキョキョキョというとても特徴のある大きな声で鳴きます。
これは一度聴いたら忘れません☆


母島でも見られるバンの仲間なので、確かによく似ています。

やんばるには「ヤンバルクイナふれあい公園」というのがあり、
きょんちゃんという珍しく人前でも堂々と行動できる個体が生態展示されていて、
色んな事が学べます☆


■ヤンバルクイナは今から10数年前、絶滅に瀕していました。
外敵は元々ハブとカラスなどだった様ですが、
人が持ち込んだマングースとネコが深刻なダメージを与えてしまったそうです。

一時は500羽以下にまで減ってしまったヤンバルクイナも、
環境省をはじめ、地元の人々の活動のおかげで1300羽程度にまで回復してきたそうです。

今回は僕が小笠原でノネコから貴重な鳥を守る仕事をしているので、
ヤンバルクイナの保護に関わる関係者の皆さんを訪ね歩かせて頂きました。
そして、マングースの対策をしている現場を見させてもらいました。

色んな施設や活動、動物病院などを見学させてもらい、
とても充実した学びとなりました。
やっぱり現場で動いてきている人たちは本当に素晴らしいです!

戦前の1910年にネズミ・ハブ対策としてインドから21匹が沖縄に導入されたマングース。

ハブは実験でハブに噛まれても死なずに退治したので、
さとうきびをかじるネズミと、
猛毒のハブに悩まされていた為、導入したのですが、
予想に反して、肝心のハブはあまり食べず、
ニワトリやアヒル、野鳥などを襲いながら次第に数を増やしていったそうです。

そして、ついに沖縄にしかいない貴重なヤンバルクイナが生息するやんばるにまで範囲を広げたそうです。


生きているマングースはとてもすばしっこく、
とても愛らしい存在でした。

■大宜味村と東村にはやんばるの南の縁にマングース侵入防止柵が設置されていました。

ところどころ、跡切れ目はありますが、効果はあるようです。

ヤンバルクイナの絶滅の危機に人がものすごい活動を展開し、
どうにかやんばる地域のマングースは低密度化に成功したそうです。
ノネコの捕獲も進め、
今ではヤンバルクイナは推定1000羽を超えるまでに回復したそうです。

しかし、沖縄ではGWなどにやんばるにネコやイヌなどペットを捨てに来る人が
今でも後を絶たず、困っているそうです。
生き物は最後まで人が責任を持って飼わねばなりません。

去年からニュースになっている野犬の問題もあり、
事態は深刻でした。

小笠原はそういう意味では捨て猫はゼロになり、
飼い猫はほとんどが登録されているので、
ネコ対策ではとても進んでいると沖縄の関係者の方に言われました。

小笠原でのネコ対策のページ(捕獲したノネコの譲渡、飼い主を探しています!)

小笠原のネコも沖縄のマングースも悪いのは生き物ではなく、それを自分勝手に入れた人間です。
人間の不始末のせいで、絶滅する生き物がいるということを知るのはとても大切だと思います。
そしてそれに対して何ができるかを考え、動くこと。

希少なヤンバルクイナやケナガネズミを補食してしまい、
本来の意図していた働きはあまり望めないことが分かり、
今度は駆除される身になったマングース…
小笠原のノネコ対策と同じで、
マングースは何も悪くありません。
いつも悪いのは人間です。

手前勝手な倫理観で態度を変える私たち人間達。
対策をしている方も
「子供に説明するときにとても困っている」と言っていました。

僕が学校で授業するときにいつも話すことですが、
「今していることが正解かどうかは分からない。
でも今対策をしなければ地球上から滅んでしまう命は確実に存在する。
悩みながら実践しているということ。
大人達が言うことを鵜呑みにしないで、
自分たちでも考え行動していって欲しい」
と話していると伝えました。

本当に貴重な時間を割いて、
多くの人が関わる現場を見させて頂きました。
ありがとうございました!


■他にはヤンバルクイナは交通事故「ロードキル」で死亡するケースが続いており、
様々な対策を進めていました。


道路下にバイパスを作り、
ヤンバルクイナが道路を横切らず下を通れるように工夫したりしています。


道路に飛び出さないように、フェンスを張ってある個所がありました。
道路には出にくく、
山側には入れるように穴を開ける工夫がしてありました!

他にはL字側溝に雛が落ちて、出れなくならないように、
片側がスロープになっている側溝も設置されていました。

多くの方の努力が様々な野生動物の命をも守っているのだなとひしひしと感じました。

沢山の案内をしてくれたTさん、N先生、Nさん本当にありがとうございました!


美しい東村の日差しです♪


■僕が生まれたのもヤンバルクイナが発見された1981年。
「宮城」の名字のルーツも沖縄のやんばる。
これは何かの縁があるといっても過言ではないでしょう(笑)♪

東村には美しいマングローブの森が残っていました。


朝早くに向かっては小さなシオマネキが集まるこの美しい景色に見とれていました♪

沖縄は

ツバメもいたし、


カンムリワシなど、


猛禽類の宝庫でした♡



そして、こんな可愛いイモリもいたり、


2mを超えるハブの死体をカラスが食べていたりしていました。

僕は蛇を含む爬虫類が大好きです♪

沖縄本島にはやんばるを除くとほとんど山林が残っていません。
そういう意味でやんばるは
野生の生き物の貴重な聖域でした☆

これは歴史の皮肉ですが、
小笠原も米軍統治時代がなくて、
戦後の高度経済成長の時代にもずっと日本人が住んでいたら、
今のような自然は残っていなかったかもしれません。

そう思うと、人という存在が自然界に与えるの影響の大きさを感じさせられました。
しかし、人は自然がなければ生きていけません。

もっともっと、残された自然を大切にして、
謙虚に生きていかなければいけないなと感じるきっかけになりました。

どうもありがとうございました☆

★沖縄本島旅行記2017 記事アーカイブ

沖縄本島への旅路(沖縄本島滞在記①)

馬と暮らすという事~伊江島 (沖縄旅行記②)

沖縄と米軍基地問題(沖縄本島滞在記③)

やんばるの自然~ヤンバルクイナという存在(沖縄本島滞在記④)

やんばるの百姓たち~自然農とパーマカルチャー(沖縄本島滞在記⑤)







馬と暮らすという事~伊江島 (沖縄旅行記②)

2017年02月15日 | 旅行記
■沖縄に馬と畑を見に行った伊江島。
人口4000人。
平らでとても美しい素敵な島でした♪


伊江島で飼育されていた与那国馬、
思っていたよりも大きく、スレンダー☆

制限体重は60kgくらいだそうです☆

いつか母島で飼いたいと夢見ているのです。
馬は道路交通法上は「軽車両」。
車検も保険も草さえあれば燃料代も要りません。
しかも車では得られない心の交流や、
生き物を飼うことで得られるメリットの数々!

毎日のお世話はもちろん大変ですが、
それ以上にメリットは多い気がします☆

伊江島にとって乗馬も観光の大事な要素になっているようです☆
綺麗な海を馬と進むのは心地いいだろうなぁ~

今回は馬の長距離輸送の
現実的なお話も聞くことが出来ました♪

前川さん、いっちゃんどうもありがとうございます!!


■伊江島は美ら海水族館のある本部港から船で30分。
はは丸とは比べものにならないほどの立派なカーフェリーが一日4往復もしてくれます。


大きなトレーラーもガンガンそのまま乗り込んできます!

これはちょっと母島ではあり得ない感じでした。
運賃は往復で1300円。
伊江島に米軍基地があるお陰で、
こうした部分で恩恵を頂いているそうです。
島の人は基地の地主さん以外は基地賛成の印象でした。


そしてまず目に付くのは島の中央にそびえ立つ城山(グスクヤマ)です。

麓からは15分くらいで山頂に登れます。
山頂は島の景色を360℃展望することが出来ます!

集落のある南側に比べその他は広大に農地が広がっています。

目に付く作物は限られていました。

まずは葉たばこ。

これは丁度定植の時期でした。

伊江島の至る所に葉たばこ定植に使う機械が置かれていました。

これにおじいとおばあが乗って、
どんどん定植していきます。

若い農業者に逢うことはほとんどありませんでした。


あとは伊江島で有名な小麦。

穂が立っているのもありました!

定食屋では沖縄そばとは違う、
伊江島の小麦を使用した麦そばがメニューにありました♪


他には島らっきょです。

比較的砂地に近い伊江島は深く植えて、
白い部分が多く、太くて立派ならっきょを作れる土壌が特徴のようです。


他には菊の花の栽培が盛んでした。

島の8月の戦没者追悼式典に使うアレです☆
こういう風に栽培されているんだなぁと感触深いものがありました。


ざわわざわわで有名なサトウキビ畑も沢山!

束になって置かれています。

あとは数年ぶりにサトウキビの製糖が再会されたそうで、
24時間稼働でガンガン収穫→搬入→運搬が行われていました。

凄い大規模な施設です。

サトウキビの収穫は本当に重く重労働で、
最近の若い人があまりやりたがらないのが問題なのだそうです。

やんばるではとにかく過疎化が問題なようです。
Iターンで来た人も地域に打ち解ける前に
自分たちの主張をし過ぎてしまい、
軋轢を生んでいる話を沢山耳にしました。

他にはこじんまりと細かな野菜がありました。

豊かですね~


気になる伊江島産のローゼルを使用したアイスや

ハイビスカスティーも売っていました。

どれも淡いピンクで個人的にはローゼルの味気は薄めに感じました。
我が家のは真紅ですからね(笑)☆

■伊江島は川が一切ありません。
なので島民は水をどうしているのかというと、
飲み水は井戸水と沖縄本島から水道管を引いて水を頂いているそうです!
農業用水は地下ダムを築き、
地下水を貯めて汲み上げ、
島内各所に貯水池がありました。

今小笠原も深刻な水不足に陥っていますが、
離島というのは水にいつも悩まされるのです☆

■あとは母島も今頃咲いている頃でしょうが、
沖縄の至る所でカンヒザクラが美しい花を見せてくれました♪

大きな木も沢山あって、うらやましくなってしまいます☆

そんなこんなで伊江島を一周自転車で回りながら、
美しい洞窟も発見!

ここはニャティヤ洞(ガマ)と言って、
持ち上げると子宝に恵まれるというビジル石と言うのがありました。

戦時中は防空壕として利用されて、
多くの命を戦火から守ったと言うことで「千人ガマ」とも呼ばれたそうです。
確かにとても大きなガマでした。

後に記事に書きますが、
戦争の悲惨な歴史を語る部分も多く、
沢山の思いを学ぶことが出来ました。

■伊江島を2泊3日過ごして素直に思ったことは、
美しく綺麗なこの島を戦争が大きく変えてしまったということを随所に感じることが出来ました。

それは戦時中の悲惨な殺戮、
戦後の占領だけではありません。
どこか大切な何かを諦めてしまったような、
妙な寂しい雰囲気…

米軍基地があるからが為に、
地域に落とされる補助が莫大で、
島の人がそれに慣れてしまっていることも、
島の自立を妨げる大きな要素になっていると感じました。

小笠原もそうですが、
補助が地域を支えていることは有り難いし、
事実その恩恵を受けていますが、
その為に失ってしまった心が確実に存在することを
これから生きる私たちは強く意識しなければいけないと思います。

そんなおもいを再発見させてくれたのも、
やはり大事なギフトでした♪

その③へ続く



★沖縄本島旅行記2017 記事アーカイブ

沖縄本島への旅路(沖縄本島滞在記①)

馬と暮らすという事~伊江島 (沖縄旅行記②)

沖縄と米軍基地問題(沖縄本島滞在記③)

やんばるの自然~ヤンバルクイナという存在(沖縄本島滞在記④)

やんばるの百姓たち~自然農とパーマカルチャー(沖縄本島滞在記⑤)


沖縄本島への旅路(沖縄本島滞在記①)

2017年02月10日 | 旅行記
■今、なんと成田空港にいます。
これから昼の便で沖縄に向かいます。

結婚して15年目、初めての一人旅です。

沖縄本島は自分の曾祖父がいた宮城という名字のルーツにもなる場所です。
今回はこんな貴重な時間を頂いたので、
沖縄本島の北部(やんばる)と伊江島に標準を定め、
行くことを決めました。

伊江島では馬のいる暮らし、
同緯度のローゼル栽培や小麦など農産物の学び。

沖縄本島北部は
自然農の実践者、
パーマカルチャー、
ヤンバルクイナ保全の野猫捕獲やマングース対策、
そして沖縄における米軍基地の現状、
を映像やネットの情報ではなく、
自分の足で歩き、
見て、感じてきたいと思います。

こんな一人旅は初めてなので、
今はとてもワクワクしています♪

島で畑や家畜のお世話をしてくれている友人、
仕事で抜けた部分をさせてくれるみんな、
大好きな家族のみんな、
みんなのお陰でこの貴重な体験をさせてもらいます。
本島にどうもありがとう!


■昨日おが丸から降りたら外はミゾレでした(笑)。
やっぱり寒い!!
でも思ったほど辛くない!?

足下は裸足にぎょさんで何とか耐えれるし、
上着はダウンを着るほどじゃない。(一応用意はした)

寒いのが辛くて、仙台から母島に引っ越したはずなのに、
自分でも意外なほど平気でした(笑)。

とても寒い外はほんの短い時間しかいないし、
乗り物や建物内は暖房が効き過ぎていて暑いほど。
できるだけ靴下と靴を履きたくなくて母島に住んでいる身としては、
ぎょさんで歩く方が全然気持ちいいのです♪

もちろん周りにそんな人は皆無で、
道行く人はすごい顔で見てきます(笑)。
お陰で店員さんとは話が盛り上がりました♪

そうこうしているうちに飛行機に乗り込む時間が近づいてきました。
もし飛行機が落ちたらできる限り生還するつもりはありますが、
死んでしまった場合は化けてでるからよろしくねと娘たちには伝えてから家を出ました。

では、行って来ます!!

その②へ続く


★沖縄本島旅行記2017 記事アーカイブ

沖縄本島への旅路(沖縄本島滞在記①)

馬と暮らすという事~伊江島 (沖縄旅行記②)

沖縄と米軍基地問題(沖縄本島滞在記③)

やんばるの自然~ヤンバルクイナという存在(沖縄本島滞在記④)

やんばるの百姓たち~自然農とパーマカルチャー(沖縄本島滞在記⑤)

CAFE KATY

2016年12月08日 | 旅行記
■少し、前になりますが、
雑誌「散歩の達人」に友人のカフェが掲載されました♪

以前、父島に住み込んで働いていたこともある
奥さんの麻ちゃんが料理を作り、
とっても旅の話が大好きな
素敵な旦那さんがウエイターの夫婦の素敵なお店「CAFE KATY」の紹介です。


94~95ページです♪

市ヶ谷外堀り通り沿いにあります♪
内地に行くたびにお邪魔させてもらっています☆

夫婦ふたりでできる範囲で、
精一杯のおもてなしを大事にしてくれる雰囲気のお店です♪

近くに立ち寄りの際にはぜひどうぞ♡


■笑顔の素敵な麻ちゃんは、
料理上手でパスタもケーキのお手の物☆
島では良く小さなころの凪穂と良く遊んでくれました。

僕は麻ちゃんが作るパスタとアップルパイが大好きです♪

そして旦那さんは一見真面目そうですが、
いわばスルメのように、
噛めば噛むほど味が出てくるとても面白い変人です(笑)!←超ほめ言葉!

北海道のライダー時代、
橋の上にセットしたセルフタイマーの愛機カメラが
真っ逆さまに谷底に落ち、木端微塵になった話は
お腹が痛くなるほど笑ってしまいました(笑)。

ぜひ夫婦で小笠原に遊びに来てほしいものです♪

読んでみて、家族で笑顔になってしまいました(笑)。

店を開くまでのエピソードや、
休日の二人の過ごし方、
深夜2時まで続く“店を良くするための会議”まで(笑)、

楽しく読めますのでぜひどうぞ!!

CAFE KATYのHP↓
http://www.cafekaty.com/

CAFE KATYのFacebook↓
https://www.facebook.com/cafekaty/


■KATYと言えば、忘れられないエピソードがあります。
2015年に家族で初めてKATYに行った日。
北海道旅行の帰りで、興奮そのままで行った感じでした。

はじめは久しぶりの再会と、初めてのお店への訪問でワイワイ話していました。

しかし、美味しくごはんを頂いてる最中のことです。

確か、長女(当時、小6)がトイレに行っているスキに、
次女(当時、年長)が姉のハンバーグの上にのっている目玉焼きを平らげてしまい、
長女が大泣きして、いじけて、店の外に出て行ってしまったのです(猛爆)!!
(我が家では日常のことですw)

普段、オフィスのビジネスマンやOLさんが賑わうこの店に、
見事に島の風を吹き荒らした我が家(笑)。
中村夫婦も思わず笑顔♪

そこで、素敵な旦那さん、中村淳一さん登場(笑)。
わざわざ外でいじけてる長女のところに向かい、
「わかるわかる。俺も兄弟がいて、そんな仕打ちを受けたよ~」
と、慰めに行ってくれたのです♡

そして数十分後に旦那さんに慰めてもらって帰ってきた長女には、
そっと麻ちゃんが失った卵焼きを持って来てくれました♪

そんな愛溢れる中村夫婦の対応に長女は機嫌を取り戻し(笑)、
幸せな気持ちで帰路につきましたとさ…

そんな愛と真心が溢れる、
素敵なCAFE KATYに皆さんも行ってみて下さいね♡

ああ、今思い出しても笑えてくるエピソードでした(*^_^*)

Youtubeにも「個人事業主という働き方」についてアップされていました♪
店の雰囲気も分かるので、よかったらどうぞ♡
※2013年度法政大学キャリアデザイン学部「メディア実習(秋)」 4班作品だそうです。

馬と人が暮らすということ 北海道旅行記2015①

2015年08月20日 | 旅行記
■この夏、家族全員がひとりずつ馬に乗る経験をしました♪

馬と意識を合わせて揺れながら、
馬のぬくもりを感じながら、
壮大な景色を眺めて進む。

この調和と一体感。

こんなに幸せな乗り物があるでしょうか?

車が人類の主な交通手段になる百数十年前まで、
人の主な交通手段は馬でした。
荷物を運ぶのも畑を耕すのも馬や牛、家畜の力を借りていました。

現道路交通法で馬は軽車両に属します。
馬糞や事故に気を付ければ、
車検やガソリン、整備もいらず、
お世話さえすれば、これほどまでに持続可能な乗り物はないのではないのでしょうか?


僕はいつか、そんな遠くない未来、母島で馬を飼って暮らしたいと思っています。

そんなわけで旅行記第1弾は「馬」です(笑)。


■7月の後半の10日間、家族4人全員で初めての旅行をしました。
舞台は北海道。
テーマはみんな各々ありますが、僕は馬とアイヌと大自然の雰囲気がこの旅行のテーマでした。

父島時代に仲良くなった友人が乗馬が好きで、
北海道で馬の牧場を始めていたのは知っていたので、
この度、お邪魔させてもらうことにしました。

舞台は新ひだか町にある「MKRanch」。

のどかな牧草地がただひたすら広がる馬の牧場がとても多い場所。

それ以前に母島で1時間以上車の連続運転をしたことがない僕にとっては、
札幌から新ひだか町に来るだけでも、おどろきのスケールの違いでした。

進めど進めどまだ着かない(笑)。

ようやく着いた時には夜になっていて、
僕たちを美味しいジンギスカンBBQで迎えて準備していた友人夫婦を随分と待たせてしまいました(ごめんなさい!)。

夜は主に大人だけで懐かしい父島の話や、
補助が人をダメにする話しが島だけでなく、
北海道でも同じであることを痛感しました。

夜は雨もひどく、トレーラーハウスをお借りして、みんな熟睡…。

■朝もやの中、起きてみるとあたり一面霧景色。

その中でまず島では見れないハシブトガラスが朝の挨拶をしてくれました。


次第にヤギと馬が周りに見えてきました。

自分たちが母島で飼っているせいか、やっぱり子供達もヤギに慣れています(笑)。

しかし、馬はやっぱりでかい!

そして鬣(たてがみ)、しっぽ、体のラインが美しい!


そんな周りの環境の中、簡単に野外朝食を済ませます。

その後、友人が馬の柵の中に入れてくれました。


小5の頃、高遠への山荘留学時代に馬に触れ合っていた長女はとても接し方に慣れている様子でした。


次女は結構、馬そっちのけで、友人の子供達と遊んでいます(このときは馬が怖かったらしい)。

遠目で見ながら微笑ましいなぁと眺めておりました♪

■少し落ち着いた後、友人のもえかが
馬と人のコミュニケーションや指示について教えてくれました。

馬に乗せてくれる所は多いですが、ここまで馬とのコミュニケーションについて丁寧に教えてくれるところは少ないかも知れません。

こちらがやるサインで大きな体の馬は素直に言うことを聞いてくれます。

でもちゃんと相手を見ていて、僕が教えてもらっったことをやると少し動きが鈍く感じます(笑)。

そんな事だけでも馬と人って、
見事にコミュニケーションを取っていて、すごい動物だなぁと思っていました。

長女もそんな指示に挑戦☆

すると今度はさくっと鞍(くら)なしで乗っているではありませんか!

もえかカッコいい!!

お次は長女!

最初はへっぴり腰だった素乗りもこなしていました。
凄い!

その後は鞍を付けてもらって僕も乗せてもらいました。

この馬はサラといって、よく仕事を心得てこなす気性のいい母馬だそうです。

引手なしで、自分の指示だけで馬がある程度自在に動いた時はとても感激しました♪
馬と人ってやっぱりすごいなぁ!

足に触れる馬の体温がすごく気持ちいいと言ったら、
「サンダル履きで馬に乗った人がはじめてだし、珍しい感想だよ☆」
と言われました(笑)。
小笠原は1年を通して常にサンダル(ぎょさん)履きなのでご愛嬌ということで♪

その後は馬に慣れている長女にチェンジ。

さすがに去年の経験を生かし、大好きになった馬です。
とってもいい顔で乗っていきます☆


当初から馬にビビっていた次女さん。
去年の信州でも怖くて乗れなかったのです。
嬉しそうに乗る姉の姿を見ていたらどうやら乗る決心をしたようです。

いざ乗ってみると、これ以上ないほどの笑顔になりました(笑)。


新ひだか町の美しく広がる景色の中をずっと笑顔で乗っています。


しまいには降りた後も何度も「乗せて!」とせがむほど気に入ってしまったようでした(笑)。

その後は妻も初の乗馬を経験しました。

なかなか良かったようです☆
そんな母と馬を追いかける次女ちゃん。


最後には僕と二人で引手なしで野外を乗せてもらいました♪

この時、隣の柵でサラの娘の馬が大興奮してすぐ近くまで走ってきてドキドキしましたが、
サラは落ち着いて僕の指示通りに動いてくれました。


子供達は牧場の娘さんたちと微笑ましく遊んでいます♪



■わずか1泊の予定で次の釧路に向かわなければいけなかったので、みんな名残惜しい中、昼過ぎに牧場を後にしました。

今回経験させてもらったことはとても大きなことでした。

こんなにもコミュニケーションが取れて、
大昔から人と共に生きてきた馬という存在。

短い時間でしたが、グッと夢が近づいた気がしました。

そして、こんな貴重な経験をさせてくれた根城ファミリーには大感謝の気持ちでいっぱいです。
奥さんのもえかは
父島で仲良くなってから10数年…

みごとに自分の牧場を持ちたいという夢を叶えていました。
これから生計を立てていくのは大変かと思いますが、
素晴らしい行動力と情熱で頑張って欲しいと思うと同時に、
僕自身にもパワーを沢山頂きました。

妻にとっても、
子供達にとってもこの出会いは良かったようで、
とても嬉しいひと時でした♪

どうもありがとう!!

旅行記②へ つづく…