小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

母島の中学生たちの卒業式

2019年03月22日 | 母島 暮らし 子供
■先日、母島小中学校の卒業式が無事に終わりました♪

母島には高校が無く、島の子ども達は中学を卒業すると島を離れていきます。

そんな大きな節目の朝。
長女を含む、3人の女子しかいない中3は朝から袴の着付けで大忙しでした。

島のレジェンドから衣装をお借りして、着付けまでして頂きました。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです(*^_^*)

無事に着付けを終えて、学校へ向かう3人。
みんな、とっても綺麗♡

この当たり前の道を歩くことが、こうも意味合いが変わる1日です。

卒業後はそれぞれみんな違う道を進んでいきます。

僕が中3の頃は卒業したら家を出るなんて考えすらまだありませんでした。

当たり前に親と暮らし、当たり前に近くの高校に通っていました。
巣立ちなんて何も考えずに、楽しく暮らしていました。
しかし、母島の子ども達は当たり前に巣立つことが分かって育ちます。
これは同じ小笠原でも高校がある父島とは違う感覚な気がします。


頭飾りは長女自身が卒業式の朝早くに集めてきたオガサワラクチナシの花とシダ。
とっても島らしいですね♪


■自分の子どもの卒業でなくとも、毎年多くの島民が出席する母島の卒業式。

それもそのはず、自分の子どもだけでなく、すべての子どもの成長を支え見守る島だからです♪

式の終盤、子供たちの言葉と歌には毎回泣かされます。

母島は子どもの人数が少ないので、ひとりひとりが言葉も多く、それだけに多くの人の心を打つのです。

いつもは人の子どもの卒業を見守り、感激して帰るのですが、
今回は自分の娘の卒業。
全然気持ちが違っていました。

みんなが語るのはとにかく感謝です。

先生に、兄弟に、地域に、そして親に…

子ども達も感極まって涙を浮かべながら壇上で語ります。

もう充分すぎるほどのギフトでした☆

本当にありがとうございました!!


学校の体育館の後ろには卒業制作が並んでいます。

最近恒例となった島の案内看板作り。
今回は小剣先山を案内する看板を島のアカギで作っています。


小学生は見事なパネルアート。

子ども達すごいなぁ~とひたすら感心していました。


■中庭には沢山の祝電が届いていました。

中学校でお世話になって離任された方々はもちろん、
以前小学校の担任をしてくれた先生や、
お世話になった方々からのお祝いの言葉が沢山届いていました。
嬉しい言葉ばかりでした♪
ありがとうございます!


教室の黒板には中2のメンバーが書いてくれた見事なお祝いのメッセージ♪

そんな教室で最後の学活です。


先生の愛のある言葉にまたまた涙ぐむ長女。

本当にお世話になりました!
いい仲間と先生に恵まれたね♪

最後に中庭の花のトンネルを抜けてエンドロール。

長いようで短い式がこれで終わりました。

嬉しいような、寂しいような不思議な気持ちです。
本人はどんな気持ちなんでしょうね(*^_^*)


■式を終えて、元来た道をもどる卒業生。

無事に式を終える事が出来て、心底ほっとしていると思います。

帰りの足取りはより軽いですね☆

素晴らしくいい天気に恵まれた卒業式。
長女はそのまま前浜に行き、母島と海にも卒業を報告!?

多くの人に支えられて、こうして無事にこの日を迎える事が出来ました。

本当にありがとうございました!!

そしてこれから巣立つ子供達。
これからがよりいろんな経験が出来る外の世界です。

もちろん楽しいことばかりじゃない。
悲しいこと、辛いこともあるでしょう。

でも自分の人生に自分で責任を持てる年齢に近づいてきました。
責任を持つ代わりに、自由というものも獲得して行くのです。

これからの時代を生きる子供たちの将来が楽しみで仕方ありません☆

卒業式の夜は保護者が主催しての謝恩会。
先生も保護者もみんなで感謝し合いながら語り合います。

今年度赴任した先生も母島の卒業式を見て、「これは他では味わえない式でした」と言っていました。
ホントそうだと思います。

先生方もこの卒業式を無事に終えれて心底ホッとしたとの事。
この日に向けて本当に頑張って関わってくれていたのが伺えます。
本当に感謝感謝です!


フラが好きな中3女子。
謝恩会でも感謝を込めてお別れフラを披露してくれました(*^_^*)


■そして式を終えて数日したら、同級生の巣立ちでした。

母島で小さなころから一緒に育った仲間の見送り。

いつも見送る側として号泣する長女も、今回は自分が巣立つ番なのでまた違った感覚だったのでしょう。
朝からティーリーフを編んで、花を集めて精一杯の冠(ハク)を贈っていました。


多くの島民に見送られながら出港です。
この日はとても海況が悪く、見送り船も厳しい状態でした。(湾を出たら船は船首が海に突っ込んでいました!!)

そんな中、長女は島を離れて巣立つ同級生家族に見送りダイブ!!

そんな長女も次の出港で見送られる側になります。

この年齢で巣立つのってどんな気持ちなんだろうか?
10年経って、また聞いてみたいものです☆



駄菓子屋ロック、母島に現る!!

2019年03月16日 | 音楽
■先日、38歳になりました。
FBを通じてお祝いの言葉を沢山頂きました。

島でも通りすがり、子どもまでもがお祝いの言葉をくれてとても嬉しかったです♪
どうもありがとうございました☆

特にこの春母島を巣立つ長女からの写真と言葉は、親として本当に嬉しいものでした。

明日はついに卒業式です(*^_^*)

気付けば38歳…。
19歳で初めて小笠原を訪問し、21歳から住んでいます。
もう17年も経つんですね~

僕が中学生の時、父が39歳で他界しました。
当時、親はもう離婚していて別に暮らしていて、発見した時は死後1週間は経過していて、
子どもの僕は火葬場で骨を拾うまで父を見ることはありませんでした。
死因は心不全ではないかということでした。

思えば丁度その頃にXに出逢い、ロックに没頭し始めた時期です。
ステージで雑誌のインタビューで語る彼らの哲学や信念は、
思春期真っ盛りの僕には響きまくりでした。

当時13歳の頃の僕にとっては父が亡くなった39歳という年齢はもう初老に近いイメージでしたが、
自分がその歳に近づくと、あまりに若い最後だったのだなと思えます。

自分に残された時間が父と同じあと1年だとしたら、自分はどう生きるか?
そんな事を考えさせられる日々です。


■さてさて、表題の駄菓子屋ロック
僕は知らなかった2人にひょんなことから出逢うことになりました。

村民会館に約100名近くの子どもと大人が集まり大盛況で終わった駄菓子屋のライヴ。
僕自身、心底感動することになった駄菓子屋ロック。

実はこのライヴが決まったのは、前日の夕方でした(笑)。
あまりにタイト過ぎますね~!!

入港日。
僕がたまたま仕事帰りに学校の玄関に立ち寄ると、学校の玄関に数名の見慣れない大人。

島の知人が相談をもちかけてきました。
今回、MVを撮影する為に1航海(3泊滞在)で母島に来ているのだが、
学校との調整がうまくできず、どうかライヴする場所がないだろうかという相談でした。

卒業式直前なので学校が断るのも当然です。
僕も最初は無理としか思っていませんでした。
オファーがギリギリ過ぎるし無理がある時期。
しかも雨模様。

しかし、彼らの子どもたちに向けてパフォーマンスをやりたいという熱意、
やるからには絶対盛り上げる自信があるという言葉。

その二つに僕の心は動き、なんとかできないかと動くことにしました。

夕方の会議を終えて、このライヴの話を打診されて、妻を含め色々模索しました。
入港日なのでいつもやっている郵便・宅急便の配達までの合間に色々手配します。

・いつも島の音楽機材関係のBさんは上京中で不在(機材は頼れない)。
・卒業式直前シーズンで連日送別会の嵐。
・子供向けだが、その保護者にも訴えたい思いがある。
・しかも滞在がど平日。
・駄菓子屋ロックは絵かき歌や盆踊り、お菓子の雨でパフォーマンスには自信がある。

色々考えに考えて出た結論が、
村民会館で保育園のお迎えの時間と絡めてパフォーマンスをする、でした(我ながら超名案!)。

その段階で僕は夜の10時過ぎまで仕事と打ち合わせで予定があり、
バンドのマネージャーさんに広報素材の準備をお願いしました。

そこで生まれたのがこちら。

会った翌日の23時間にライヴするという超強引なスケジュール。

しかし、夕方の園庭&村民会館は子供とお母さんが1時間くらい子供を遊ばせたり井戸端会議を絶対にしている時間。
きっと大丈夫と信じて施設利用や延長保育の子どもたちの参加など色々と光の速さで(笑)手配を進めました。

夜に詳細とフライヤーが仕上がり、LINEやFacebookを駆使して島のみんなに拡散しました。
保護者、友人のみんなもとても協力してくれて、あっという間に呼びかけることができました☆
ほんとにほんとにみんな、ありがとう(*^_^*)

■そして迎えた当日はあいにくの雨模様。
MV撮影はなかなかできず、翌日の晴れ予報に期待して日中はロケハンをしていたようです。

そして迎えた駄菓子屋ロックのライヴ。
多くの人の応援と協力、そして駄菓子屋ロックの熱意のお蔭で大盛況に終わりました!!

なんと100人近くの島の人が集まり、大盛り上がりでした。

ふたりのパフォーマンスが凄すぎました!
歌って、踊って、絵を書いて、お菓子の雨…
駄菓子屋ロックのプロ意識をひしひしと感じました。

機材的にも僕が用意できる限りのものだったので、
なんと生声でのパフォーマンス。
開場は天井が高いので反響がすごい場所。

実際、言葉は聞き取りにくかったのですが、彼らのソリッドなエネルギーはビンビンと伝わってきました!
これは逆に生声だったから良かった部分もあった気がするのです☆

別のライヴでの動画です。
絵描き歌〜春夏編〜in浜松餃子まつり2018



■僕がとても印象的だった部分は、今回母島でMV撮影する目的の曲でした。
大盛り上がりの会場のみんなを一度座らせて、聴かせる1曲。

自分たちのおじいいちゃんやおばあちゃんたちが巻き込まれてきた戦争。
この母島にも戦跡が今なお残り、未だ帰島がかなわない激戦の地・硫黄島。

そんな戦争の武器でもある鉄砲。
それを水鉄砲に持ち替えて、戦争の悲惨さ、愚かさというものを知った上で、
これからは戦うでなく、遊びに変えていこうという歌でした。

彼らの伝えたいことは、お菓子に喜ぶ世代の子供達にはテーマがシビアで難しく、そのままは伝わらないでしょう。

でも、大人が一生懸命伝えたいことがあって、それを一生懸命にパフォーマンスするその姿勢、熱意はダイレクトに伝わったと思うのです。

それを子供たちの中に種として残り、いつか花が咲くきっかけになれば、そんな気がしてきました。

僕はこの曲のMVが3月末には完成し、配信されるというのでとても楽しみにしています!

この曲の後は見事に盛り上がるライヴに戻り、見事に40分ちょいのステージが終わりました♪

後日談ですが、このライヴで聴いた小学2年生の子が、水鉄砲の曲が気に入りYoutubeで検索したと聞きました。
この時点でまだ配信されていないので、見ることはできなかったのですが、その子供の動きに感動してしまいました。


■この日のパフォーマンスに感激した僕は夜にメンバーと色々お話する機会に恵まれました。

お絵かき&お菓子の雨、歌とギターを担当する谷口 齋隆(通称・としさん)は2年前に母島に来る機会があった方でした。
見事な刺青もそうですが、
横山健ばりにギリギリまでストラップを下げたグレッチをかき鳴らしてのパフォーマンスは圧巻でした。

グレッチも僕が大好きなブランキー・ジェット・シティの影響だと聞いて、嬉しかったです♪


川村いさみさんはソウルフルな歌とギター担当、時にはオケを流して踊りまでするパフォーマー。
彼の熱意のこもった歌は、多くの島の人の心に響いていたと思います。

僕が中学で一番最初にコピーしたマッドカプセルマーケッツなど、色々と共通の世代ばりのロックな話もできて楽しかったです☆

印象的だったのが、ライヴが始まって盛り上がってきている中、
マネージャーさんの「ねっ!いいでしょ♡」という最高に可愛い笑顔が忘れられません。
本当に愛の伝わるサポート振りでした!
駄菓子屋ロックだけでなく、シングルファミリーを支える活動をしていて、とても素晴らしい方でした!

メンバーは当初、
今回は戦跡などでMVを撮ることはできても、何も島に贈れないもどかしさに苦しんでいました。

そこを少しお手伝いすることで、島で子供達、保護者に訴える場面を作れたことにとても喜んでもらえました。
僕自身、このライヴに関われて本当に良かったです♪


■島の子どもたちの心を鷲掴みにした罪深き駄菓子屋ロック。
滞在中にようやく初めて晴れのコンディション。

僕は別の仕事で勤しみながら、いい絵が撮れてるかな~と考えていました。
抜群にいい絵が撮れたみたいです!

またまたぎりぎりの告知で園庭で夕方水鉄砲合戦をするという展開に。

毎日ダムの貯水率の放送が流れる中だったので、みんなには前日にあれだけ降った雨水を用意してほしいと訴えました。


僕自身は島のSDGs(持続可能な開発目標)についての打ち合わせがあり、直接は行けなかったのですが、みんなびっしょりになって最高の時間になったようでした♪

子どもたちも服をびっしょりにして思いっきり水鉄砲する機会はなかなかありません(笑)。
前の日にすんごいパフォーマンスを見せてくれた二人と水鉄砲合戦をするということで、
多くの子どもたちがマイ水鉄砲を持って集まっていました♡

戦争なんかじゃない、新しい銃のあり方ですね!!

■そして滞在最後の出港日、皆とのすぐ横で川村いさみさんがお礼の弾き語りをすることに。

観光協会の了承も得て、いさみさんの歌に聞惚れました。

平日の出港日なので、昨日あんなに集まった子供達や保護者も学校や保育園仕事の時間。
保育園前の子どもたちと保護者が来てくれて、まったりと聴く様子がなんだか良かったです☆



大きなクジラのモニュメントの上から聞く子供もいたり。


僕個人的には東京の固定種を応援する曲を披露してくれてとても嬉しかったです♪

動画もあります☆


最後はとしさんも登場して駄菓子屋ロックでパフォーマンス。

いい天気の中、華がじゅまるの木陰で聴く景色はとってもピースフル。
歌もそんな保護者に向けたセットリスト。

怒涛の様な日々の中に、
怒涛の様に舞い込んできた(笑)駄菓子屋ロックのみなさん、本当にありがとうございました!

僕がこの貴重な機会に学んだことは、やっぱり人って熱意が大事で、僕はそれが大好きなんだということに再確認させられました。

お礼に見送りダイブ!!
やっぱり海はすんごく気持ちがいい♪

3月下旬に配信されるという母島で撮影したMVの配信が楽しみです!

3/21 追記 そのMVが完成しました↓
【MV】駄菓子屋ROCK「みずでっぽう 〜命のバトン〜」


長女受検の春

2019年03月08日 | 母島 日常 日記
■「ああ~~!きっもちいい~~♡」

高校受験を終え、大きな節目を乗り越えた長女。
ははじま丸で見送りダイブを敢行した直後の1枚です。

長女の卒業まであと10日を切りました。
母島を巣立つまであと1か月もありません。

いよいよ彼女にとって外の世界へ羽ばたくのが目の前に来ているのです。
本人も外の世界に飛び出したくてウズウズしています(笑)。
まさに時期が来たというのでしょうね♪
大きな乳房山の麓でこんな海に飛び込む生活をどんな目線で見ているのでしょうか。

現在の母島では都立高校であれば母島で受験することができます(20年前はそうじゃなかったらしいです)。
合格発表は3/1に学校の玄関に張り出されます。

授業を終えて、恐る恐る発表を見に来る長女。
無事、自分の受験番号があり、小学生や中学生、お世話になった教員の皆さんに「おめでと~~!」と祝ってもらっていました♪

おめでとう!

凪穂の同級生たちもそれぞれ進路が決まり、受験をやり切った達成感と解放感でいっぱいのようです(*^_^*)

合格発表の日の夕方、島のいつもお世話になっている漁師かあちゃんがおっきなカンパチを持ってきてくれました♪

もう愛しか感じませんっ♡

自分の頃を思い浮かべると、全然違う環境と感覚だったなと思うのです。

少なくとも中学卒業と同時に家を巣立つ状態ではなかったのですから。

僕自身は仙台の一般の公立工業高校を推薦で受験し、不合格となりました。
その後、同じ高校に普通に受検したのですが、受験中に突然、不思議な感覚に包まれました。

“このままみんなと同じ制服を着て、このままこの学校に通いたくない!!”
という不思議な衝動でした。

僕は迷いに迷った挙句、その衝動を優先し、答案用紙を白紙で提出したのです。
なので、合格発表ですら見に行きませんでした。

そして、その後先生や親にも相談し、昼間は働き、夜間の定時制の工業高校(4年間)に通うことになりました。
その高校では多年齢どころか、大人ですら一緒に通う状況で、
後の人生に影響する素晴らしい恩師にも出会え、とても充実した高校生活でした♪

他の同級生とは全然違う道を選んだのですが、
僕はこの時の選択が間違っていなかったと今でも思うのです。


6年後、次女も受検や巣立ちを迎えます。
そんな姉をどんな眼差しで見て、感じているのでしょうね。

■そんなお別れの母島の春。
色んな場面で送別会が目白押しです。

子ども会でもみんなでカレーを作って、フラをしてお別れしたり、飲んだり遊んだりしまくりです(*^_^*)

恒例の年度末お別れライヴもありました。

長女もKiroroの「生きてこそ」を歌いました♪

僕は3バンド掛け持ちだったのですが、
最初に弾き語りで久々の「神様の宝石でできた島」を歌って贈りました。

この曲は昔父島のサザンクロスという船が出港の見送りの時に流していた曲で、
僕自身は父島の小笠原ユースホステルで働いていた頃から好きでずっと歌っていた曲です。

大好きな人とこの世で会えなくなってしまった時、
島を離れる友人に、
家族に、
色んな場面でこの曲を歌ってきました。

今回は島を離れる長女に向けて歌いました(もちろん下手くそです!)。

畑で練習しているときは感傷過ぎて泣けて歌えなくなってしまうのですが、
本番ではなんとか最後まで歌うことができました(笑)。



■話は変わりますが、先日OWA(小笠原ホエールウォッチング協会)主催の村民ホエールウォッチングが久々に開催されました。
鯨類好きの我が家にとっては絶好のチャンス!

妻は解説員としても乗船しました♪

参加してみて思ったのは、さすがOWA主催のホエールウォッチングでした。
素晴らしい船長の紳士な操船でした♪

クジラと自然に対してリスペクトを感じるアプローチでした。

恐らく、もっと近づけ!もっとブリーチを近くで見たい!
と思った人もいたとは思いますが、そこはガイド力でフォローしてもらいたいです。

私たちはこんなにも素晴らしい大自然にお邪魔させてもらっているという謙虚な姿勢でウォッチングができました♪
どうもありがとうございました!!


■先日、島に古くから住んでいる方が面白いものを見せてくれました。

戦後、東港に捕鯨基地があった頃に頂いたというマッコウクジラの歯です。

中を覗いてみると空洞になっています。
同じ哺乳類でも人間とはだいぶ違いますね。

歯クジラは生涯生え変わらない歯なのだそうです。

そしてこれは絵心のある船員さんがクジラの耳骨に素敵な絵を描いていたもの。

男と女のペアで描いて、丁度合わさるものもあったようです。
30年以上経過していてもまだまだ色褪せず、綺麗なものです♡

結構古い島民の家にはこんなお宝が眠っているようです♪

何クジラのモノであるか不明ですが、分かりる人いますか~?

当時はニタリクジラが多く捕獲されていたみたいなので、ニタリのモノではないかというコメントも頂きました。


■そんな春の母島、うちの次女さんは新しい乗り物を開発中です(笑)。

えっと、一輪車+三輪車だから、四輪車ってことですかね(笑)。

ちなみに上り坂の時は姿勢が変わります♪

なかなか器用なもんです(*^_^*)

いつもはヤギと鶏しかいない畑ですが、次女が来てくれると一気に彩りが増します。

そして大人ごときの固い頭では想像もつかない遊びをどんどん生み出していきます。

やっぱり子供は遊びの天才です!

そして次女はおサルです(笑)!
クライミングが大好きな彼女、

おっきなガジュマルをするすると登ります!

地上8m位は楽勝です。
僕もなんとかついていけています(笑)。


下りるときはスルスルと下りてきます。
裸足で登るのが木登りの重要なポイントです☆

そんな慌ただしい、気持ちがそわそわする母島の春。
寂しい気持ち、楽しい気持ち、嬉しい気持ち、名残惜しい気持ち。

色んな想いが交錯しています。
どんなに暴れたって卒業、巣立ちは目前です。

最後のこの時間を存分に味わいたいと思います!