小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

次女とSUPライフ!

2020年11月30日 | SUPライフ 母島
■11/24、母島はついに今季初のザトウクジラが現れ、冬の海となりましたが、
まだまだSUPライフは続いています(*^_^*)

先日は素晴らしい凪の日があり、
今までずっと湾内で留まっていた親子SUPもついに沖に行けるタイミングとなりました♪

沖港を出て少しすると赤ブイがあります。
そこにカツオドリの若鳥がとまっていて、お互いを見つめ合っていました(笑)。

次女はカヌーも良く漕いでいるので、
SUPのパドリングはお手の物です(*^_^*)

僕と一緒に乗っている時でも、スイスイ漕ぎますし、
僕が降りると圧倒的に軽く漕げるらしく(笑)、さらにスイスイと行っちゃいます。

しかし、沖は一人は怖いらしいです。
さすが島っ子。
この感覚がとても大事だと思うのです。

僕も何度も何度もトライして、
凪の日から、少しずつ、海の悪い日、強風の日、
風向きと色々経験を重ねて、
「これくらいなら大丈夫」
「これくらいは危ない」
の感覚を身に付けてきました。

そんな中、大きく世界が広がる沖に行くのはやっぱり気持ちがいいものです♪


■次女と色々話しながら、沖に行くと海面をピンピンと跳ねる小さな生き物が見えます。
これは時々、朝SUPでも見れる現象なのですが、
どうやら場所が決まっているみたいで、いる所といない所があります。

気付くとSUPの上に乗っかって来たので観察してみました。

超ちっちゃいプランクトンの仲間で、ヨコエビの仲間らしいです。

「わぁ~~可愛い!」
と言って次女もカエルみたいな体制で観察しています(笑)。



水のないSUPの上でもピョンピョン跳ねてます♪


白いボードの上だと、色が綺麗に見えます(*^_^*)


拡大するとこんな感じの子でした♪


ちなみに大きさは指がでっかく感じる程(笑)、小さいです。


なんでもない海面でもこんないろんな出会いがあり、楽しいものでした(#^.^#)



■SUPで赤ブイを周って帰って来ました。

このブイは近くに浅い根(珊瑚礁)があり、船が座礁する危険があるので、
目印として設置されています。

船ではここまでなかなか近づけないので、
SUPならではの楽しみ方だと思います。

一方、僕が漕いでいる時は、次女は腕でパドリングをしてくれます。
これが結構速いんです!

沖でパドルが折れたり、落としたりする場合は、
サーフボードみたく手でパドリングするのですが、結構スピードが出るし、
海面が近いので超スピード感があります♪


この日は脇浜もとっても綺麗でした♡

こんな景色を眺めながらのSUPはなんて贅沢なのだろうと思います。


波打ち際には沢山のイワシの群れが!!!

イワシはあまり感じませんが、
メアジの群れの中を泳いでいると、
群れの向きが変わった瞬間、ゴッという音がします。
それが何とも言えず、すごいんです。

それを追いかけるダツや、カンパチ、ロウニンアジなどを見かけることもあります。



■沖から戻って来て、親子共々ホッと一安心。

やっぱり湾内は落ち着きます。

子供と一緒ならなおそう思います。


次女はSUPの上から頭飛込み!!


これがまあ美しいフォームで飛べるようになって来ました。

夏の最初は頭飛込みですら、おっかなびっくりだったのに、
ひと夏越したら、もうあっという間にレベルが上がりまくっておりました♪

潜るのだっておてのもの。

コロナで内地に行けない夏は島っ子の海スキルを飛躍的に向上させてしまったようですヽ(^o^)丿

基本、SUPをする時は水分とギョサンをボードに付けて沖に行きます。

ぎょさんは万が一磯に上がる事態になった時用の備えです。
足の裏を切らない為に。

朝、朝日を浴びながら漕ぐのは、なんだか最高の1日の始まりです♪

浜田省吾のRISING SUNー風の勲章ーを歌いながら、漕いだりしています(笑)。

さあ、今度はどこまで漕いで行こうかな?

うちなーローゼルと母島の秋

2020年11月17日 | 母島 日常 日記
■11月になり母島も秋の色が濃くなってきました。
と言っても、紅葉する木があるわけでもなく、内地の秋とは全然違います。

小笠原の四季を内地の四季と比較するとどうか、と言われれば、
僕は「島は秋がない感じです」と答えます。

内地の山が紅葉する、空気が圧倒的に冷たい、
そして沢山の冬の前の豊富なまでの実り、栗や芋の収穫。

島の場合は秋と言ってもさほど大きな変化はなく、
海に入るには少し涼しいかな、さあ冬野菜の作付けだ、柑橘の収穫だと言った感じです。

そんな島の秋ですが、島ならではの景色があります。
こちらは晩生品種のうちなーローゼル。

畑の今年不作の母島ローゼルは収穫を終えて、今は次シーズンの種取りです。
晩生品種はこれからが収穫期。

去年の大被害を及ぼした台風の影響で、
種取りが壊滅的だったので、今年は本当に数本しか作れていません。

次シーズンの種取り専用って感じです。

朝には母島ローゼルとは違う黄色い花を咲かせています。


■現在、島には住民健診のスタッフが大勢来ていて、
島の皆さんの健康チェックを行ってくれます。

とにかくみんな、胃カメラが辛いようで、
終わった後はみんなホッとしています。

そんな住民健診、僕は数年前から受けるのをやめています。
任意なので、特に問題はないと思うのですが、
子供が小さいのに、何かあったらどうするのか?と言われます。

今は、自分は自然死(尊厳死)を望んでいるので、
様々な事態で、仮に自分が死んでしまうのは仕方がないと思っています。

健康診断していたって、不慮の事故や怪我、病気は避けれないわけであって、
僕は今は自分に巡ってきたタイミングを受け止めることにしています。

もっと年を取ったら、やっぱり住民健診行く!となるかも知れませんが(笑)、
とりあえず今は行っていません。

自分で必要と思う人は行った方がいいと思います(*^_^*)


■さて、景色は少し霞んできて、夏の風景とは違って来て、
いよいよザトウクジラ達がやってくる季節が近づいて来ました♪

先日は久々にカヌーで沖に行く事ができました(*^_^*)

この2か月、ずっとSUPばかりやっていたので、
アウトリガーカヌーの凄さにビックリしました(笑)。

とにかく漕ぐのが楽、
そして高い安定性、
沖に行くときの安心感、
人と一緒にボヤージングできる喜び。

SUPもSUPで大好きですが、
やはりカヌーも最高です♡

沖ではカツオドリの若鳥が沢山、カヌー周辺のトビウオを目当てにやってきました。

もう赤道の方に行ってしまったアダルトの個体とは違い、
若鳥は飛ぶのもぎこちないし、
魚のキャッチも発見も超下手くそです(*^_^*)

元から上手なんではなく、習得して行くものなんだと知った時は、
なんだか嬉しくなっちゃいました♡

父島の友人の良さんはなんと初平島上陸を果たしました!


次女は沢山潜って、11月の海を楽しんでいます♪


バブルリングもすっかり上手になりました。



■11/22に葉山でハワイキヌイヴァアのレースが開催されるそうです。

島にベルーガを手配してくれたデュークさんが作った、
オーシャンヴァアのチームが主催する30kmの長距離カヌーレースだそうです。

これは単なるレースではなく、
島々の海を渡っていた祖先に想いを馳せ
長距離を漕ぐ中で時空を超えて祖先達と繋がる精神性を大切にするレースだそうです。

母島からは沢山のティーリーフと茎、バナナなどを送ることになりました。

僕は母島カノー部として、超おいしいモンキーバナナを7房繋がった状態で贈りました(*^_^*)
島の先住民、オガサワラオオコウモリ達の爪痕付きです。

バナナは熟すタイミングと送りたい日のタイミングが難しいのですが、
今回はナイスタイミングで送れたと思います。
無事に葉山の大会前に熟しませんように(*^_^*)

あとは去年ハワイ島でニックさんからデュークさんへと預かっていた、
ヤポリネシアンTシャツも同梱できました♪

妻は集めた島の貝殻やハカラメの葉っぱを送っていました(*^_^*)


■さてさて、子供達は11月でも元気に海に飛び込んでおります(笑)。

次女は前転の飛び込みもいつの間にかできるようになっていました(*^_^*)

最近は石を投げて、飛び込んで空中でキャッチし、さらに海底でもキャッチする遊びをしているようです。


今年は台風がひとつも来ていないので、夏の海水温は30℃を超え、白化現象が著しい



■11/14日は入港日。
一生懸命、昨日の夕方入港の宅急便を配達していたのですが、

なんとその傍らの船客待合所横では「24時間チャレンジ八丈太鼓」という大きなイベントをしていました。
これは24時間オンラインで世界を繋ぎ、太鼓のリレーをする素敵な企画♪

母島の配信時間は19:00~19:30。
僕が配達を終えて駆け付けたのは19:33でした(涙)!!
生で聞けなくて残念だったけど、終わった後のみんなの笑顔に超癒されました(*^_^*)

なんと最後は翌日朝の青ヶ島なのだそうです!!

この素敵なご縁を母島に繋いでくれたあきちゃん、
運営のキョンちゃん、どうもありがとう♪



■そんな秋の母島です。
去年の10月の台風の印象が強く、
ひとつも台風が来ていない今年は、これからが心配です。

以前、昭和58年(1983年)に母島に壊滅的な被害を及ぼした台風17号は11月だったそうです。

台風が全くないのはそれはそれで問題があります。

山の木々は一度葉を落とし、枝払いする機会を失うし、
海から山へミネラルを戻す機会もなくなります。

今年の場合はよく雨が降っているので問題ないと思うのですが、
台風で雨が降らない年は、翌年の春に水不足になるケースが近年多いのです。

あと、家の周辺の片付けも、台風が来るとはかどります(笑)。

台風は、あんまり強すぎると大被害ですが、
ほどほどには必要な存在なのです(*^_^*)


母島から硫黄島に向かう兵士たちのおもい

2020年11月09日 | 小笠原 昔話
■「俺たち、明日硫黄島に行くんです。どうか、お父様によろしくお伝えください。」
時は太平洋戦争の真っ只中の1944年後半の事だと思います。

その兵士さん達は、中ノ平の家に帰る通りすがりの兄にそう告げたそうです。

これは僕が2016年に硫黄島で撮った大砲の先から植物が生えている様子です。

無機質な、人を殺すための鉄の兵器が、
風化して、そのわずかな部分に命を宿している…
とても感触深い場面でした。


南国の青空に不釣合いなまでの出で立ちで現れた大砲。
硫黄島という楽園に降りかかる戦争という不条理。

2016年の硫黄島で目の当たりにした、
戦後70年でもはっきりと残った戦争の爪痕。

今回は母島から硫黄島に行く兵士の話です。


■先日、母島のレジェンドの方に話を伺う機会がありました。
その時の話がとても印象的だったので紹介したいと思います。

当時はまだ女学生で、学校のある沖村(今の元地)と家のある中ノ平を歩いて通っていたそうです。
その頃は、戦争は始まっていて、兵隊さんが母島にも大勢来ていて、
至る所に壕を掘っていたそうです。

中ノ平の家に行くマニラ坂の道でも兵隊さんがよく作業していて、
兵隊さんに声をかけられるのが嫌で、
いち、に、のさん!で友達とダッシュして駆け降りた時の事。

「お~い!○○ちゃん!」
と呼び止められ、名前を呼ばれては行かないわけにもいかず、
少し嫌々な感じで近づいていくと、
「どうして何もしないのに、逃げるように行くんだよ~。
 あのさ、○○ちゃん和裁って習ってる?」
まだです、と答えると、ポケットから小さな和服を着た人形を出して、
「着物とか縫えるようになると、こういうのも作れるようになるよ。頑張ってな」
と言って、その人形をくれたそうです。

また別の日には、御嶽神社の下ら辺の通り道で、
中ノ平の家に帰る途中に、よく会う別の兵隊さんに声をかけられたそうです。

「君にこれをあげるよ。兄弟と仲良くしていくんだよ。」
と言って、大きな箱をくれたそうです。

家に帰ってその箱を開けてみると、クッキーが沢山入っていたそうです。

その時はなんでだろう?と思っていたそうですが、
後から兄から冒頭の言葉を聞いて、「ああ、もう硫黄島に行っちゃうんだ」と悟ったそうです。

農協で働いていた父親は恐らく、前浜から見送ったと思うと言っていました。

その後、硫黄島は激戦の地となり、そのほとんどが戦死したので、
恐らくその兵隊さんも戦死したともうとおっしゃっていました。


■さらにこの戦争の時に母島から出兵して、生き残って内地に戻って来れた兵隊さんがいたそうです。
その兵隊さんの隊長は「絶対に命を粗末にするな。捕虜になってでも生き残れ!」と言ってくれたそうで、
まさに捕虜になって生き延びて日本に帰って来れたのだそうです。

当時は鬼畜米兵の捕虜になるくらいなら、自害せよ!
の教えが主流の頃です。

素晴らしい上官だったと思います。

しかし、いざ帰国すると、戦争で夫を亡くした妻は兄弟の妻になっている場合も多く、
もう戦死したと思われていた本人が、
遅れて日本に戻って来て、色々すったもんだがあったとおっしゃっていました。

戦争なんて、自分の関係のない世界からの命令で、
自分の人生を変えられるどころか、死んでさえしまうものです。

上層部は傷一つつかずに、死んで傷ついていくのはいつも一般市民ばかりです。

こんな不条理があっていいのでしょうか?

戦争が無ければ、あの楽園のような硫黄島はどうだったのでしょうか?
硫黄島は気候とその地熱のお蔭で、沢山の熱帯作物を作れていたそうです。

心配される飲み水も、当時は雨と朝露でかなり賄えたそうです。

母島もあの戦争が無ければ、
一体どんな島になっていたでしょうか?

伝統と文化が色濃く残り、
また今とは全く違う島だっただろうと思います。


■今回、この母島から硫黄島に行って散ってしまった兵隊さんのお話しを聞いて、
現代はなんて恵まれているのだろうと感じました。

そりゃ現代だって色んな問題は抱えています。
自殺者だって、年間何万人もいますし、
今は全世界を新型コロナが遅い、今も深刻な影響を及ぼしています。

昔はなかった様々な心の病や、
色んな現代病に苦しんでいます。

それでも、この戦争の時のことを思うと、
ああ、自分は本当に恵まれていて、
ちっぽけな悩みを持っていたなと気付かされます。

アメリカ大統領選挙の話、
今だ解決していない原発の問題、
沖縄の米軍基地の問題、
尖閣諸島に忍び寄る戦の気配、

世界は全然、平和ではありません。

でも世界が平和になるためには、
誰か絶対的なリーダーや社会革命が起こる必要性は無く、
ひとりひとりが己の内面の平和を実践して行くしかないと思うのです。

今、小笠原に来ているヨガの不久先生が語る、
「精神の自立」
これが世界平和への唯一の道だと思うのです。

母島も不久先生は11/10~12とヨガを教えに来てくれます。
ヨガで
教えを学び、
身体を緩め、
己の魂の声に耳を傾ける。

今年もこうして学べることに感謝です♪



コロナ禍でのハロウィン

2020年11月06日 | 母島 暮らし 子供
■ハローウィン。
それはお化けに仮装して、いたずらをするかお菓子をもらうかのお祭り行事。

我が家はこのコロナ禍なので、自宅でひっそりと行うことにしました(*^_^*)

今年は食べるカボチャを切って、ジャックオーランランを作成しました。

本来は食べれない加工用のカボチャを使ってやるそうですが、
今回は北海道の食べれるカボチャを使用したので、
きちんと使用後は妻がカボチャサラダにしてくれました♪

まずはカボチャに顔を下書きして、
底を円にくり抜き、中身を掻き出します。

その後はナイフを使って、顔を作っていきます。

次女さん、なかなか上手です♪

無事に完成!!


せっかくなので、切り取ったパーツを使って、
「かぼちゃえもん」(笑)!!


■本来、ハローウィンはアイルランドの古代ケルト民族の収穫祭なのだそうです。
ケルト人の1年の終わりは10月31日とされ、この夜は死者の霊が家族を訪ねてくると信じられていたそうです。
が、時期を同じくして出てくる有害な精霊や魔女から身を守るために仮面を被り、魔除けの焚き火を焚いていたとのこと。

そこから仮装するという形となり、カトリック教が入り、キリスト教圏に広がっていったと言われています。

そんなわけで、宗教的な意味合いのある行事でしたが、
現代では特にアメリカで民間行事として定着し、
祝祭本来の宗教的な意味合いはほとんどなくなっているようです。

小笠原も米国統治時代があり、今も欧米系島民が住む父島では、
今も大人たちの本気のハローウィンが行われています♪


■そんなハローウィンの期限に想いを馳せていたら、
島のレジェンドから面白い話を聞く事ができした。

なんと青森にそんな風習があったというのです。

その名も「カパカパ」。

弘前の田舎館、小正月に子供たちが夕方町に行って、家々を訪問し、
「カパカパに来ました」と言って、
1銭や2銭、お菓子などをもらう行事があったというのです。

その時に「カパカパ人形」を手に持って、くるくる回しながら訪問するそうです。

箸の先に人参のきれっぱしを指して、顔を書き、
紙で着物を作って、糸で縛ってつけるものだそうです。

現代のハロウィンの話を聞いて、このカパカパを思い出したそうです。
しかし、現代は廃れてしまっていて、現在70代以下の人はもうやっていなかったそうです。

カパカパ。
なんて愛らしい響きなのでしょう♡

色々調べると、情報が出てきます。
青森音楽資料保存協会の2004年2月号2004年10月号などに詳しく載っています。

日本の古い習慣にハロウィンに似たものがあるのは、
なんだかとても面白いエピソードと思いました♪


■そんな母島の11月。
さすがに涼しくなってきました。
もう何時間も海で泳げるほどではなく、1時間程度で、少し寒さを感じます。

風が冬型になって来て、母島でも朝SUPで沖に行ける日が少なくなってきました。

SUPを初めて1ヶ月半。
うねりよりも風にメチャクチャ左右されることが分かって来ました。

だって今朝なんて、30分かけて行った御幸の浜。
帰りはなんと追い風10分で戻れるんです(*^_^*)

そんな風の変化で冬を感じてくる今日この頃。
子供達が潜るこの海にザトウクジラ達がやってくる季節です(*^_^*)

今年はどんな姿を魅せてくれるのか、今から楽しみです♪


初めてのお産 ~二人の娘たちへ③ 長女誕生編

2020年11月03日 | 娘たちの誕生物語
←その②、前回の続きです。 

10月中旬のとある日の朝早くに、妻が叫びました。
「起きて!破水した!!」
そこからついにフィナーレともいえるお産が始まりました。

その時4時過ぎ頃だったと思います。
僕は起きていたのか、飛び起きたのかは定かではないですが、
速攻でタクシーとファン助産院に電話し、
予め用意していた着替えなどのお産セットを用意したはずです(あまり覚えてないw)。

ちなみに破水というのは、
子宮の中で赤ちゃんと羊水が入った卵膜が破けることです。
赤ちゃんは母親からへその緒を伝って酸素や栄養、水分を得て、
その後、羊水として排出しているそうです。
赤ちゃんは子宮の中で羊水を吸いながら、どんどん体を成長させていくそうです。

陣痛が先か、破水が先かは人によるようですが、
妻の場合は破水が先で、そこから陣痛が始まったようでした。

予想はしていましたが、
案の定テンパっていた証拠に、あまりその時の詳細を思い出せません(笑)。

妻は陣痛の周期で、動ける時、動けない時があり、
ベランダからタクシーが到着したのを確認し、降りました。

ベランダから「お産です!よろしくお願いします!」と叫んだのは覚えています。

生まれるまで写真を撮る余裕なんて微塵もないので、生まれるまでは母島の景色をお楽しみください(笑)。

■タクシーの中でも陣痛の周期で苦しむ妻をさすります。
何故か片手にミカン(笑)。
これ、なんか強烈に覚えていますヽ(^o^)丿

気付くともうファン助産院に到着していました。

助産院の産むお部屋はなんと2階!!
陣痛で苦しむ妻は陣痛のON・OFFのタイミングを一気に階段を駆け上がります。

最初、助産院を訪れた時に、
この階段を上がれるのか!?と思いましたが、
「みんなここを登れるものなのよ~」という、
杉山先生の笑顔で「あ、そうなのか」と思わされました(笑)。

そんな階段をタイミングを見計らい、一気に駆け上がり、
お産の部屋へ!



■お産の部屋では妻は自由な体制で、
だんだん陣痛の感覚が短くなってきます。

陣痛は子宮の赤ちゃんを出そうとする収縮なので、
当然、母体も赤ちゃんもキツイ様で、
ずっとは続かず、
断続的にいきみ、休憩、陣痛と続きます。

陣痛の間には、休憩があり、
予め用意していた高カロリーの一口チョコレートとプリンを妻は食べ、
水分補給などをします。
(長い入院生活で体力が衰えているのを実感して、用意した妻、さすが!)

杉山先生、助産師さんは、さすり、声をかけ、
赤ちゃんの心音を聞き、常に母と子の状態を気にかけます。

陣痛と陣痛の間は、
休息があり、その間はみんなが無言で静かに待っている感じです。
妻はその時、ショートコントみたいな夢を見ていたらしく(笑)、
陣痛で我に返ると、周りがみんな真剣な顔で「あ、お産だったんだ(笑)」と思うほど、
陣痛の間は最高にリラックスできていたようです。

妻は横になったり、
四つん這いになったり、
天上からの太い綱に掴まったりと、
自由に体制を変えます。

その間、僕も妻の体を支え、栄養や水分を補給させます。


■そこで皆さん!知っていましたか?
お産の時のメインは誰がどう見ても、母親とその赤ちゃんです。

立ち会いをしている夫なんて、もちろんほぼアウトオブ眼中です(笑)。

妻がみんなに気を遣ってもらっている、食べ物や排せつのIN・OUTは超自由ですが、
立ち会っている僕はそんな事を言い出せる雰囲気でなく、ひたすら我慢なのです(笑)。

赤ちゃんが生まれるまでの8時間くらい、僕は飲まず食わず、トイレ行けず(笑)。
しまいには最後のいきみで妻に手を噛まれ、
出血し、お産で僕まで体重が3kgも落ちてしまいました(笑)。

お産の最中は周りに気を遣わせるのを最大限ないようにして、
とにかく無駄な動きはしないようにと心に決めていました(*^_^*)

これは完全にネタとして、その後ネタとして使える武勇伝になっています。
頑張ったぞ!俺!!←誰か褒めてw


■そんなこんなで、最後は妻は仰向け気味になり、僕が後ろで支える形でお産となりました。
助産師さんは妻の会陰を抑え、
赤ちゃんがゆっくり降りてくるのを呼吸といきみと状態に集中し、
静かに声をかけて行きます。

お産のの部屋は優しい照明で、薄暗い感じで、温かく、
ずっと4~5人くらいで集中していました。
めっちゃアットホーム。
でも集中している、そんな感じでした。

赤ちゃんは少しだけ頭の先を覗かせます。
髪の毛だけが見える時もありました。
一番大きな頭を必死に産道を通り抜けようと、
何時間も頑張っています。

先にも書いた、僕が出血した妻に手を噛まれながら、
最後のいきみがあり、
頭が出た!と思ったら、するっと赤ちゃんが生まれてきました。

この時初めて赤ちゃんの性別を知りました。
今まで、エコーで知ることはできたのですが、夫婦でずっと生まれるまでの楽しみにしていたのです。

初めてこの世に生まれた長女は、
すぐに産声を上げるわけでなく、ぐったりとしていました。
確か、へその緒を1回首に巻いていた気がします。

すぐさま、助産師さんが赤ちゃんをさすり、口から羊水を吸い出したような気がします。
そうしたらか細い声で「おぎゃあ」と泣いたのです♪

その瞬間、元助産師の妻は時計を見上げ、正確に時間を読み上げます(そこらへんさすが!)。
ようやくホッとした瞬間です。

会陰切開もなく、無理な促進剤も使わない自然なお産なので、
大した出血を見た記憶もありません。

むしろ僕の方が噛まれて出血したかもしれません(笑)。
あと、足は妻を抱えて超しびれていて、トイレもずっと我慢で満身創痍でしたが、
生まれた瞬間にすべてを忘れました(笑)。


■その後は胎盤を出す後産があったはずですが、まったく覚えていません(笑)。
生まれて、ほんとうに、ほんとうに小さな赤ちゃんは、ちゃんと生きています。

小さな指に爪だってあるし、
目も鼻も口もちゃんとあるんです。

当たり前なんだけど、本当に奇跡なんだなと感じました。
ここにあるすべてに感謝の気持ちが溢れてきます。

へその緒が繋がったまま、まずは母親のおっぱいを飲ませます。

今まではへその緒を通してもらっていたものを、
今度は母親から母乳としてもらうのです。

このメチャクチャピースフルな雰囲気、忘れられません。

急な搬送、永遠に思えた絶対安静の入院生活、
退院後は足腰が弱って、リハビリの様な助産院に通う毎日。

こうして無事に生まれて来てくれて感謝です♪

胎盤が出たのが先か、へその緒の動きが止まったのが先か覚えていませんが、
僕がへその緒を切りました。

今まで、親からもらった桐の箱のへその緒が、
なんで長いものではなく、短いのかここでようやく理解できました。

この切った部分から、のちに赤ちゃんのお腹からポロッと取れる部分だけだったのです(*^_^*)
22歳の新米パパには知らないこと尽くしでした☆


■そして、落ち着いたら助産師さんに教わって、赤ちゃんを抱き、体重を計り、産湯に付けます。
体重は3000gもないような細い女の子でした。

初めて抱く小さな生き物に困惑する僕(笑)。

その緊張も伝わっていただろうなぁと思います。

確か、ビックリして泣いたような、泣かないような…
いずれにせよ、すんごい緊張して産湯を終え、母親の元に返してホッとした気がします。

今思うとそのすべての儀式をスムーズに行えるように、
助産師さんたちが気を配り、用意してくれていたのです。
本当に感謝です♪
ありがとうございました!
助産師は偉大です!!

命を産み落とすという、
一大イベントを乗り切った妻はとてもいい顔をしていました♪
こりゃあ、男は叶いませんね(*^_^*)

そして、妻は3泊、助産院に泊まる事になりました。

本来は夫も一緒に泊まれるものらしいですが、
この日近辺はお産が立て込んでいて、
他の産婦さんも入院していたりで、
ひとりでマンションに帰りました。(すごく残念でした)

妻がファン助産院で「粗食のススメ」の様な素敵な夕食が出てきたので、僕もお腹が空いたのです(笑)。

帰り道の途中、浜田山駅前にあるお気に入りの定食屋「World of Mouse」でアジフライ定食を食べたのを覚えています。

すごくお腹も空いていたので(朝から何も食べてない?、かもw)
食べながら、
全然、父親になった気もしなかったのですが、
確かにこの手で赤ちゃんを初めて触って、
家族が無事に夫婦から、もうひとり子供が来てくれたのだと感じれたのです。

これは妻が先に先行して10か月お腹の中にいるのに比べて、
圧倒的に遅れてくる感覚な気がします。

この鈍い男の感覚をハッとさせるために、
妊婦は深刻な悪阻(つわり)で事の重大さを宣言していると、
今でも思っています。

借りていたマンスリーマンションに着いて、
命を産み落とした妻に比べられないであろう、
僕なりの精一杯の疲労感を感じながら、
その日はぐっすり眠った気がします。

そして、翌朝からまた昨日とは全然違う1日が始まるのです。

よく寝て、よくおっぱいを飲み、よく笑う赤ちゃんでした♪

次回は長女誕生編、最後の「その④長女産後編」です。
お楽しみに~(*^_^*)


コロナ禍での学芸界

2020年11月01日 | 母島 日常 日記
■10月31日は母島小中学校の学芸会でした。
今回はコロナ禍で実施も危ぶまれた秋の学芸会。

本当に実施まで沢山の模索、苦労があったと思います。
自分の子供が出演している学年だけしか見る事はできません。

今年は例年の2学年合同の計4つの演劇ではなく、
3学年合同で、3つの演劇となりました。

PTAの演目や、太鼓、地域のコーラスもない、
極限まで絞った上での実施です。

最後のカーテンコールで2,3,5年生が並びます。
色んな想いが込み上げてきます。

うちの次女は長女と同じく、学芸会が1年で一番好きな行事です♪
台本の発表、配役決め、練習とこの1ヶ月は学芸会一色でした(*^_^*)

各地で実施を見合わせるこのコロナ禍において、
沢山の工夫をして実施したことは、とても意味があったと思います。

客席の感覚も空けて、保護者を入れ替える演目の間は消毒作業も行っていました。

個人的には、自分の子供以外もずっと見て来ていました。
地域で子育てする母島なので、他のこの成長や演技も見たいのです。

でっかくであれば、
会場に入れない地域の人や自分の子供以外の学年を見る方法として、
Live配信とかして欲しかったです。(さほど難しくない)

そんな渦中での子供たちの演技、とても素晴らしかったと思います。

最初の練習初めの頃からの経過を傍らで見れる先生の立場が本当に羨ましいです♪
本当にありがとうございました(*^_^*)


■さて、今年はコロナの影響で中止なってしまった父島の大神山神社例大祭。
いつもこの頃と母島の学芸会が一緒です。

だいたい、この頃から暑かった夏の雰囲気が変わり、
夜も肌寒くなります。(と言っても半袖ですがw)

夕陽も娘たちの誕生日の10月頃から鮫ヶ崎展望台で水平線に沈むのを拝めるようになります。

そして僕が誕生日を迎える3月頃には太陽の位置が変わり、鮫ヶ崎では見れなくなります。

いつも淡々と暮らしていて、紅葉もない小笠原はどこか季節の変化に乏しいなと思っていたのですが、
年々、季節の移り変わりを明確に自覚するようになってきました。

不思議なものだと思います。

雲の様子が変化して、
風が変わって、
肌の受け止め方が変わって、
子供達も次第に海に入る頻度が下がります。

コロナ渦で島のイベントがない中でも、
季節はしっかりと移っている。
そしてそのことを感じれる日々に感謝です(*^_^*)



■先日は仕事で向島、平島という無人島にお邪魔して来る機会がありました。
1ヶ月ぶりにお邪魔してみると、なるほど、こちらもちゃんと季節が巡っています。

漁船から向島の小港海岸を目指します。


上陸すると、すぐ隣にコペペ海岸があります。

小笠原に来たことがある人は、あれっ?と思うはずです。
そうです。
父島にある2つの海岸と同じ名前なのです。

この名前の由来はなんでしょうね?
詳しい方がいるので、今度聞いてみようと思います。

こちらがそのコペペ海岸です。

先月は校外学習に来ていた娘たちの学年に出くわしたところです。

せっかく無人島に学習に来ているのに、
親父がいてごめんよ~って感じでした(笑)。


その上陸するまでの海の中で、今回はビックリするような出来事がありました。

ギンガメアジの群れに遭遇して、ビックリするほどこっちに向かって来て、ちょっとドキドキしました(*^_^*)

このギンガメアジ、ちょっとだけ思い出があります。

17年前に結婚した時、パパヤのボートで父島から母島海域へ新婚旅行と題してやってきました。
その時に母島のサワラ根というポイントに入った時も、このギンガメアジの大群が周りを囲み、感動した覚えがあります。
そんな新婚旅行の思い出の魚の群れに久々に出会えました♪

これタンクを背負ったダイビングではなく、普通のシュノーケルなんですよ(*^_^*)
銛を持っていれば突き放題!!(銛を持っているとこういう状況に何故かならないw)

その後は平島にも上陸し、綺麗な砂浜を眺めます。

最近はずっと海も荒れていて、天気が悪かったので、
この日は最高のコンディションでした。

漁船の周りをドビウオが舞うのですが、
それを捕ろうとやってきたカツオドリの若鳥が凄く面白かったのです。

この若鳥達、この夏の終わりに巣立ったばかりのまさに青年世代。
ははじま丸で眺めていた、圧倒的なカツオドリの動体視力と捕獲センスが素晴らしいどころの話ではなく、
猛烈に下手くそなのです(笑)。

アタックするタイミング、位置、角度、すべてがまだまだ未熟でした。

なんだ、最初から捕獲できるセンスを抜群に持っている訳ではなかったんだと知り、
なんだかホッとしたのです(笑)。

人もカツオドリも、
何度も若い時に失敗を重ねて、成長するのだなと。

と同時に、やはり失敗を恐れて何もしないではなく、
どんどん失敗して成長するものなんだなと、思い知らされました(*^_^*)

■秋の見送りの少ない出港を眺めながら、ふとそんな事を思い出しました。

先日、母島部活堂の話し合いの中で、
このコロナ渦で何ができるか?とみんなで話し合いました。

このコロナ禍において、
できる事を模索する、
価値観、考えの違う人と共に行動する時の意識、
まずはアイディアを出して、「どうしたら実現できるか?」を考える。

「目的」と「目標」をしっかりとみんなで意識化する。
人任せにしない。

それ以上の沢山のエッセンスをもらえた会となりました。
最後の方に意見としてありましたが、
このような様々なジャンルのメンバーが一同に介して議論する、
この場こそに意味があると思いました。

今、12月のクリスマス会、元旦の海開きをどうしたら実施できるかの話し合いが始まっています。
何のためにやるのか?
なぜやりたいのか?

色んな議論を超えて、
いつ終わるか見えないこのコロナ禍を乗り切っていければと思います。