小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

人の心の闇について考える

2019年05月28日 | 戦争と貧困
■本日、午前中に山で仕事をしていたら、仕事の同僚が言いました。
「川崎で男が刃物で10人以上も刺して、最後に自分も刺したんだって。
 刺されたのは小学生や周囲の大人だって。もう怖い。」
小学生と高校生の娘を持つ身として、胸が張り裂けるおもいでした。

スクールバスに並んだ子供たちを狙って、
51歳の男が及んだ犯行。
小学六年生の女の子と成人の男性が亡くなり、18人が刺されたというこの事件。

犯人は自殺してしまったので、動機や真相が分からないのですが、
この日本において、こうした事件が続いています。
人の心の闇が引き起こすことだと思います。

そんな心の闇を増大させ、
行動を起こしてしまう加害者を作ってしまうこの「社会」を作っているのが、私達なのだと思うのです。
このままにしておいては何の解決にもならない。

まったくもって他人事ではないと感じたのです。

■2008年に起きた秋葉原無差別殺傷事件
トラックで交差点に突っ込み、
更に刃物で刺して7人が死亡、10人が負傷(重軽傷)した事件です。

こちらの犯人は母親との確執、社会への怨念があったようです。

2001年に発生した大阪池田小学校で発生した無差別殺人事件
凶器を持った男が侵入し、次々と同校の児童を襲撃し、児童8名が殺害され、児童13名・教諭2名が傷害を負った痛ましい事件。

これも厳格な暴力を振るう父と、家事ができない母親が犯人の人格形成に大きな影響を与えていたようです。

自分自身もきちんと娘たちと親子関係か築けているか、今一度見つめなおしています。


■こうした事件を起こした犯人を逮捕したり、
実刑を行ったり、法律を厳しくしたりで対処するわけですが、
問題は加害者が何故このような犯行に及んだのか?が重要になってくると思います。

そして、そのほとんどの根底が親子関係にあるような気がするのです。
そして、そのような環境で育った人をフォローできない社会が問題だと思うのです。

しかし、問題定義で終わってはいけません。
それではずっと社会はこのままでしょう。
自分に何かできないか?
行動することが必要だと思います。

■今の先進国・日本は世界でトップクラスの自殺者を誇る国になってしまっています。
生きるのが辛い、
仕事がうまくできない、
人間関係がうまく築けない、
誰からも愛されていない。
孤独と孤立感。

忙しくて倒れている人を助ける事もしない社会。
電車で赤ちゃん連れやお年寄りに席も譲らない社会。
インターネットでは匿名であることをいいことに思いやりもない罵倒の嵐。
SNSでコミュニケーションの頻度は増したけど、対話の質は下がった気がします。

どうして日本はこうなってしまったのだろう?
多くの人がそう思ったと思うのです。

それは自分たちがこの社会を作っているという、
当事者意識が薄いからだと思うのです。
(僕自身もまだまだ薄いと思っています。)

こうなってしまったことに対して、
人のせい、犯人のせい、社会のせい、法律のせいにして終わってしまっていないだろうか?

自分の住んでいる地域や職場で、
何か困っている人、苦しんでいる人を見過ごしていないだろうか?

自分自身に問いかけます。

自分が困っていた時、沢山助けられました。

今、自分に出来ることはないか?

人の為に出来る事はないか?いつも自問自答しています。


■平和な小笠原だって例外ではないのです。
悩み、苦しみ、辛くなっている人が沢山います。

超楽天家の僕ですら、そんな時もあります。
死にたいと思うことだってありますし、
もうこの現実が嫌だと思うときもあります。
(さすがに人を殺してしまおうと思ったことはありませんが)

そんな時は島の自然や野生動物、
友人や家族、島の人が助けになることが沢山あります。
本当に有難い限りです。

だからこそ、自分が人に出来る時はできる限り困っている人や苦しんでいる人をフォローしたいと思っています。
それが、支えてくれた人たちへの恩返しだと思っています。


■今回の川崎殺傷事件もそうです。
車が子供たちに突っ込む事件もそうです。
9.11テロだって、サリン事件だってそうです。 

失った命は二度と帰って来ません。
取り返しのできない尊い命。

その命の犠牲を無駄にしない為に、
私達はしっかりと自意識を持って、行動し、暮らしていかなければ社会は変わらないと思うのです。

マスコミは視聴率さえ集まれば何でもいいので、
凶悪事件、芸能人のゴシップ、スポーツの報道三昧でしょう(TVがないので予想です)。
それを求める私達がいる限り、マスコミも変わらないでしょう。

結局、犯人を悪者にして刑罰を与え、法律と制度を整備して終わりです。
先生が「いじめは悪いことだからやめましょう」と言っても、
根本的に解決していないので、ほとんど意味がないのと同じだと思います。

根本的に人が生きづらい社会を自分たちが変える意識を持ち行動しないと、
こうした事件はいつまでも続くと思うのです。

家庭が、
社会が、
生きづらいから、
第2、第3の加害者を生んでしまう。

人のせい、人任せにしないで、
自分たちが社会を作っていく意識と行動。

そして調和してく社会を作っていかなければいけないとひしひしと感じた1日でした。
亡くなった皆様のご冥福を祈るとともに、
負傷した被害者の皆様の一日も早い回復、
子ども達のトラウマがはやく癒える事を祈っています。


母島の水芋(タロイモ)に出逢いました!!

2019年05月24日 | タロイモとパンノキ
■ハワイでタロイモの料理を学んでからずっと、
僕の頭の中にあるのが島のタロイモ(島では水芋と呼ばれています。)の存在でした。

山の奥地で残っているという噂や、
島の水のあるそこいらにあるという話も聞くのです。

そこで、ハワイから帰って来てから
70代以上の母島のレジェンドの皆さんに声をかけまくり、
ついに母島に伝わる水芋(タロイモ)にお目にかかる事が出来ました。

意外と身近な所に残ってくれていました♪

島のレジェンドからは本当にタロイモに対する情熱を聞く事が出来ました
「島の水芋は本当に美味しいから!」

今、小笠原で一番タロイモがアツい自信のある僕ですが(笑)、
島のレジェンドがアツく水芋の事を語ってくれて、なんだかとても嬉しく感じました♡

これからは利用したり、栽培したりして、色々試していきたいです!

見た目はずっと地味だけど、
太平洋の島々の人々を支えてきたパンノキとタロイモ。

僅かながらこの小笠原・母島にもこの2つが残っていたのが何よりも嬉しいのです。
そして、それを語り伝えてくれる人が残ってくれていたというのが何よりも宝物です♪

何度も昔の暮らしを想い描いて“間に合わなかった”と思う事もしばしばですが、
今回は心底“間に合って良かった”と思える1日でした。


■山に残っているという水芋(タロイモ)の群落。
山に詳しいレジェンドに話を聞き、家族で探検に向かいました☆

まさにジャングル。

先人たちが島の開拓を始める時の風景はこういうものだったのでしょうか。

立派なゴムの木の大群。

ふと横を見れば、竹の林が。

以前、人の暮らしがあったことを伝えてくれます。
ここでどんな暮らしをしていたのでしょうか?

渇水だった小笠原も、
父島母島、共にようやくダムも100%を超えました♪
(玉川農業用水ダムはまだ貯水率たったの15%です!!)

おかげで山の緑も苔も元気です☆

次女も汚れていいというお手製のかわいいマイバックで山登り。
可愛くデコレーションした箱の中には飲み水と美味しいおやつが密かに入っています(*^_^*)


この日は山奥の水芋畑は残念ながら発見できませんでしたが、
色んな想いが交錯しました(*^_^*)

また山のレジェンドに道を聞き、近いうちにリベンジします!
どうやら、道的には間違いがないようです。

話によると、この2~3年の乾燥化で相当ダメになっているとの事です。
無事残ってくれていることを祈りつつ、次回リベンジしたいと思います。

その後、色んな人に聞き取りし、母島の色んな沢系に水芋が残っていることが分かりました。
しかし、美味しい水芋は限られるそうです☆

なんだかドキドキしちゃいます(#^.^#)

■一方、母島では珍しい鳥さんが来ています。

サルハマシギという渡り鳥です。

日本本土でも佐賀県くらいでしか、なかなかお目にかかれない珍しい鳥のようです☆

夏羽の赤い感じが見事ですね^
小笠原は太平洋の中にあり、渡り鳥も換羽中の識別に悩む微妙なものも多いです。
今回のサルハマちゃんはお見事なタイミングで魅せてくれました!!

朝、畑に行く途中では赤ぽっぽの大群を見かけました!

天然記念物のアカガシラカラスバトの若鳥です。

ガスっている島影を見る度、
「カメ陽気」と感じます。

これはカメ漁師がこんな気候の時は、
よくカメが獲れる事からついた呼び名だそうです。

ベタ凪で雲が下がり、穏やかな景色。

ああ島の梅雨だなぁと思わせる今日この頃でした☆



ハワイの伝統料理 ~タロイモ(カロ)に魅せられて(ハワイ旅行記④)

2019年05月13日 | ハワイ研修(SHIP)
■今回のSHIPで参加したハワイのプログラムはどこから報告すればいいか悩むほど、
濃密な日々でした。

今回はタロイモ(ハワイ語でカロ)の伝統料理を2つ習ったので、シェアしたいと思います。


タロ(Talo =Kalo)を潰すための器、papa kuiai(パパクイアイ)、と打つ器具 pohaku kuiai(ポハククイアイ)。
ポハクは石という意味だそうです!

これを使って蒸した(焼いた)タロイモを叩き潰して、
お持ちのようなペースト状にしたのを「パイアイ」と呼び、
水で薄めて行ったのを「ポイ」と呼びます。
ハワイの伝統的な主食を作る道具なのです。

丁度、小笠原にも「つぶし石」というそっくりな伝統道具があります。
こちらもきっと伝わってきているんでしょうね~


もう一つはラウラウという、タロイモとティの葉で包まれた蒸し焼き料理。

そしてこの2つの組み合わせが信じられないほどマッチする、
言葉にならないほどの感動を得る事が出来ました♡


教えてくれたのはハワイアンの血をひく日系のたけちゃん、日本人の奥さんの由美さんです。

たけちゃんはほとんど日本語は話せませんが、
ハワイの伝統的な料理の方法、
サバイバル技術、
ハワイアンの心の在り方など、沢山の事を私達に教えてくれました♪

私達が訪れた時は臨月だった奥さんの由美さん(その後、無事に赤ちゃん誕生♡)は、
日本出身でこのSHIPの現地コーディネーターです。

英語も日本語も堪能で、
とても頭がクリアで、子供たちの素晴らしい相談役にもなっていました♪

私達は、この夫婦が営む先祖代々の森と
バビリオンという素晴らしいワークスペースでハワイの伝統料理を学びました。
本当にありがとうございましたm(__)m

これから作り方を紹介していきますね。


【ポイ(パイアイ)作り】
■まずはタロイモを中が柔らかくなるまで蒸します。

ハワイの伝統的な方法では、地面に穴を掘りそこで数時間焚火をして、
バナナの葉を敷いて芋を包み、また土を被せ1晩置くアースオーブンで調理します。

今回は時間の都合で圧力釜の力をお借りしました。

温かいうちに手やカサガイを使って皮をむいていきます。
カサガイはちなみに小笠原に沢山いますが天然記念物です(笑)。

皮を剥くと紫色の若干ドロッとしたような甘い糖質部分が見えます。

その部分をナイフを使ってそぎ取っていきます。

この紫の糖質部分は水分も豊富で甘い部分なので、別の料理などに使えるそうです。

八丈と小笠原の高校生たちもワイワイとハワイの伝統料理作りを楽しんでいます♪

講師のたけちゃんは実に丁寧に教えてくれます♡

そして、さっきより白くなった中心部分だけとなったタロイモを、
ナイフで程良い大きさに切ったら、今度はpohaku kuiai(ポハククイアイ)という打つ道具を使ってすり潰していきます。

今回はガラスの美しいポハククイアイもありました♪

みんなでペッタンペッタン、リズミカルに潰していきます。


これが慣れてくるまでなかなか難しい☆



ポハククイアイにベタっと付くうちはまだまだ。
水につけたヘラでそぎ落としながら、何度も潰していきます。
いつの間にかくっつかなくなるくらいが完成です♪

このお持ちのような状態をパイアイと呼ぶそうです。

ティーの葉っぱに包んでおいておきます。

このパイアイは常温で(冷暗所)とても日持ちがするらしく、
長い航海の時の大事な食糧になるそうです。

発酵が進むとほんのり甘い味から、酸味が増してくるそうです☆

このもっちり状のパイアイを水で薄めたものがハワイの主食、ポイになるとのことです。

ハワイでもこのような伝統的な作り方で作る場面は減ってきているそうです。



【ラウラウ作り】
ラウラウはタロイモとティの葉で包まれた蒸し焼き料理です。

まずは素材を包む葉っぱの準備から始まります。

これはタロイモの葉っぱです。
ハワイでは市場でも普通に売られています。

そしてティーリーフを綺麗に洗い、水気をふき取り、
芯の部分に少しだけナイフで切れ目を入れてから、
机の角を利用して固い芯部分を取り除きます。


そうしたら準備はOK。
今回はタロイモと豚の塩漬け、サーモンの塩漬けをタロイモの葉っぱにのせます。


そのあとは丁寧に包みます。
このタロイモの葉っぱ部分ごと食べるので、結構ボリュームがあります(*^_^*)


そのあとは先ほど芯を取ったティーリーフ2枚を使って包んでいきます。


これをみんなでいっぱい作りました!!


仕上がり具合がこんな感じです。


それらを圧力鍋に入れて、1時間蒸したら出来上がり!!


ホカホカのラウラウはティーリーフを空けるとこんな感じです。


ハッキリ言って、地味です(笑)。
しかし、食べてビックリ玉手箱でした!!


私達は差し入れてもらった他のハワイ料理の数々と一緒にワンプレートに盛り付けたのです。
右下のラウラウの存在感(笑)。

凄く気になるラウラウの味は、もう絶品でした♪

すぐさま日本酒を飲みたくなるほどでした!!

しかし、さらに凄いのはポイ(パイアイ)とよく合うのです!!
まさに主食とおかずの黄金のコンビネーション!

塩味の利いた絶妙な味のラウラウに、
あっさりとしたポイが超マッチング♡

僕はポイとラウラウがすっかり気に入ってしまいました♪


■八丈島のメンバーからは見事な島寿司がっ!!
ハワイの魚を使って、見事に高校生が作り上げておりました!!

美し~~~い!!

このハワイの伝統料理教室は滞在最後のクライマックスでした。

タケちゃん&由美ちゃん夫婦以外にも
ハワイ大学教授のハーマン・ファミリーも集まり、素晴らしい宴となりました☆(それについては後日アップ予定の記事参照)

もお、すべてが感激の嵐でした。

■一方、滞在先としてずっとお世話になったニックさんの家には素敵なパンノキが(笑)!

パンノキ(ハワイ語でウル)は里芋と並ぶ太平洋の島々の主食です。

こちらはニックさんがオーブンで焼いてくれて、美味しく頂きました♪

一番手前の白いものがパンノキ(ウル)です。

伝統的には焚火の中に放り込んで、
真っ黒に焼けたまわりを剥くと、中身が白くホクホクに仕上がっているそうです。

また、ニックさんはポイも作ってくれました。

ニックさんの作るポイはパパイヤも入って、甘い糖質部分も入ったタヒチ流のポイ。

これもデザートの様に食べれる美味しい代物でした(*^_^*)


■ハワイアンにとってタロイモ(カロ)が人々の祖先であると考えられ、
切り取った芽から、どんどん次の芋が育つことから、繋がる意味も持つ大事な作物、タロイモ。

講師のたけちゃんは
「いつもどんなときも、もっと学ぼうとする姿勢を大切に、
自分のルーツは何かを意識して暮らすこと、
言わなければ(表現しなければ)得られない」
と高校生たちに、私達に語りかけてくれました。

普通の観光や修学旅行じゃ得られないものを得られた気がします。

僕より遥かに若い島の高校生にとって、
小学4年生で来た次女にとってはどんな吸収をしたのでしょうか?


小笠原にはハワイから伝わったティーリーフもタロイモ、
パンノキも、魚も豊富にあります。
夢は膨らむばかりです!

島にあるもので、こんなにも美味しい主食とおかずを作れると思うとワクワクが止まりません(*^_^*) 

じつは本日、
母島の山マスターに母島北部の水芋の在り処を教えてもらう事が出来ました♪
しか~し、ここ2年の渇水で瀕死の状態で、もしかすると絶えているかもとのこと…
近いうちに探しに行きます!!

2年前の沖縄で乾燥に強い品種の里芋ココヤム(ちんぬく)を頂き、
今頑張って増やしています。

お米がなかなか生産するのが難しい小笠原。

ハワイで学んだタロイモはぜひとも、小笠原でも実践していきたいと思います。
自分たちが生き残るために必要な食物であると確信が得られました!!

水不足の終焉~お天道様、ありがとう

2019年05月11日 | 母島 日常 日記
■5月9日、ついに母島の飲料水用のダム、乳房ダムの貯水率が100%を達成しました。
今年は4月のうちから雨が良く振り、
GWの10連休はとても天候に恵まれ、GW明けは怒涛の様に雨雨雨でした。

毎日放送されていた節水の放送も終わり、貯水率満タンの放送と共に一つの大きな安心が私たちの心をホッとさせてくれています。

いつも渇いていた集落を流れる大谷川。

今は川のせせらぎの音が聞こえます。

周囲を海に囲まれて暮らしている私たちにとって、
真水がどんなに大事であるか、今回の渇水でもまざまざと学ばされました。

島ラッキョウに残る水滴ですら愛おしいです。

港に設置されていた海水淡水化装置も稼働を止めています。
こちらもいずれ片付けられることでしょう。

毎日毎日、沢山の燃料を消費しながらも真水を作り続けてくれるこの機械に感謝し、
真水を毎日ずっと車で運んでくれた人にも感謝です♪

海で泳いだ後に当たり前にシャワーが出ることが本当に有難いです♡

■太平洋の島々で、昔から人が住めている島と住めていない島があります。
南米エクアドルのガラパゴス諸島がいい例だと思います。

ガラパゴス諸島は現在は人が定住していますが、先住民はいなかったと聞いています。
その理由が水がなかったからと言われています。

小笠原は石器時代も人が住んでいましたが、いつの日か絶滅し、
また江戸時代から現在まで人の定住が続いています。

昔に一度絶えてしまった、小笠原の人の暮らし。
台風の影響だったのか、病気の蔓延だったのか、作物の不作だったのか、
今はそれを知る術がありません。

もしかすると、ダムのなかった当時、極度の渇水で暮らしていけなかった可能性もあります。

海水から水分を摂取できる海鳥やウミガメと違い、
私たちにとって真水は必要不可欠。

今回の渇水はそのことを再確認させてくれることになりました♪

お天道様、どうもありがとうございます!!

■さてさて、先日NPO法人ワンライフの総会がありました。
そこで1年間の活動報告や活動計画を話し合うのですが、
その場で春休みに行ったハワイのプチ報告会をさせてもらいました。

詳しくはこのブログでも少しずつ紹介していくのですが、
持続可能な暮らしを実現しようとするワンライフのメンバーにとって、
とても興味深かったようです♪

美味しい島のピーマカ(魚の酢漬けサラダ)など、みんなの素晴らしい持ち寄りの品を食べながらのひと時。


わずか30分に詰め込んだプレゼンでしたが、
ワンライフ的にはハワイで学んだタロイモ(カロ)の伝統料理、ポイとラウラウが盛り上がりました♪


小笠原にも水芋という名前でタロイモは存在しています。
母島には自生している場所があると聞きます。
ぜひそれを見つけ出したいですね~

食べると地獄のような思いをする、よく似たクワズイモと間違えないようにしなければ(笑)!
上手くいけば、タロイモ料理教室が実践できるかも!!

そんな話などをみんなでワイワイとしました♪

最後に参加したふたりの高校生に感想を話してもらいました。
長女は「全部楽しかった!特に2つの高校に訪問した事。ナーバヒのみんながとても素敵で良かった。
自分が今でも少し恥ずかしい南洋踊りが、こんなにも凄いものだということに気付かされました。」

父島から参加した男子は
「たけちゃんがいう言葉、みんなが楽しくできるペースが大事というのが印象的。
自然が豊か、人が優しい、島、同じ土壌なのにこんなにも郷土愛が違うのがなぜか分からないけどとても興味が出た。
もっと島の若者も島の色んな事に興味を持ってほしい」ということでした。

それを聞いて僕は何が違うのか?に対して「教育と歴史のプロセス」が違うと思いました。
これが小笠原の課題であることも浮き彫りになりました。


■そして、夜も更け良さんと話しているうちに、
みんなに見せようと用意していたものを思い出しました(笑)。

それはハワイでニックさんに頂いた太平洋の島々の地図です。

この地図はポリネシアを中心にハワイやタヒチ、ソロモン諸島など太平洋の島々が細かく描かれています。

そしてなんと、地図の中には日本では小笠原諸島だけが描かれていました。

TVの天気予報ではいつも欄外に表示される小笠原が、
この地図によって全く違った意識になったのです。

さらに良さんはその深みに意識を傾けます。

父島に地名として残っているコペペ。
その人の名をコペペ・ギルバートというのですが、
この地図の中にギルバート諸島というのがあり、そこから来たというのです。

そしてそのギルバート諸島にはTamanaという名前の島があります。

タマナ…島ではテリハボクのことをタマナと呼んでいます。

このあまりにハワイアンチックな名前は一体どこから伝わっていたのか?
ずっと疑問だったものがこの地図を眺めることで少し繋がってくるワクワク感を感じました♪


■私たちが今漕いでいるカヌー。
小笠原には石器時代から存在していたカヌーの民。

ハワイ、タヒチからギルバート諸島、グアムを経て、カヌーの民は小笠原諸島にたどり着いていたと想像します。

その時の島の暮らしや風景はどうだったのだろうか?

先日カヌーを漕いで沖に行った時はハシナガイルカ、バンドウイルカが沢山見ることができました。
古のカヌーの民もきっと同じ景色を見ていたのではないか?


「一番新しい先住民」と自分たちを言うハワイアン。
そのハワイアンが言う9つのルーツ。
そのうちの一つが日本だというのです。

今年、来年とデュークさんが辿ろうとしている伊豆諸島と小笠原をカヌーで繋げる道。

それは私たちの先祖が辿ってきた道と言います。

島に住んで17年目を迎えます。
ここに来て見えてきたものが、なんだかとても大切なものである気がしてならないのです。





令和の始まり~母島青年会と子供の日の集い

2019年05月01日 | 母島 暮らし 子供
■平成が終わり、新年号・令和となりました。
なんか、明けましておめでとう感があります(笑)。

ハワイに行き、自分自身にとって大きな節目にもなる新しい活動があります。

今年度、総会の承認を経て、母島青年会の会長を務める事になりました。

母島青年会は返還当初から島のイベントやや行事に深く関わる組織として活動してきました。
色々変えていかなければいけないほど、島も時代と共に変わっていくものがあります。
母島の青年会もこの数年で大きく変化してきました。

今年度は参加するメンバーがより楽しく関われる青年会になるように工夫していければと思います。
僕ひとりでできるものではありません。
みんなで楽しくできればと思います。

どうぞよろしくお願いしますm(__)m


■昨日は春の1大イベント「子どもの日の集い」がありました。
母島青年会は焼きそばの提供とサッカーゲーム運営協力で参加することになりました。

青年会としても今年度新体制での初本番、
どうなるかドキドキの1日でした。

当日を迎えて、多くのメンバーが駆けつけてくれ、
一緒にワイワイと楽しくやれて本当に良かったです♪

ドタバタとしながらも、多くの皆さんの気配りと優しさのお蔭で
楽しく乗り切る事が出来ました。
お忙しい中、本当にありがとうございました♪

と同時に、色んな反省点も見えてきました。

毎回が学びの連続です。

今回は大きな失敗も犯しました。

自分自身、まだまだ至らない所ばかりですので、
みなさんのご協力を得ながら少しずつ改善していければと思います。

青年会。
僕一人では何もできないことを痛感させられます。

気を遣って、事前に声掛けをしてくれたり、
全員の集合時間より早めに来てくれていたり、
事前に発注や様々な役割をこなしてくれていたり、
みんなの気持ちが本当に素晴らしく、感動の連続です♪


■前日には焼きそばの材料を準備している時にいいことがありました。

今年度新しく青年会に参加してくれた方が、
「いままで何気なくイベントで焼きそばとかを食べていたけれど、
こうやってみんなが頑張って用意してくれていたんですね。
今回は、それが知れて良かったです」
こんな言葉をくれました。

とても嬉しかったです。

そう、何気なく当たり前にあると思っていたものが、
実はいろんな人の協力で成り立っている背景がある、
これを知れるのも
この地域活動に参加する意義なのかも知れません。

子どもの日の集いに青年会が協力する理由は、
今後の未来を作っていく子供の為に、
昔ながらのゲームや遊びを通じて、目一杯気持ちを贈る為だと思っています。

以前は本当に娯楽が少ない島の子どもの為を思った企画だったと思います。
でも今はゲームーやおもちゃは溢れています。

しかし、このイベントを通じて大人の凄さや、
子どもの凄さをお互いが認識して、より今後も仲良くこの母島でやっていければと思うのです。

今年度もどうぞよろしくおねがいしますm(__)m



■子どもの日の集いで婦人会が焼いてくれたたい焼きを食べながら、子どもと夕陽を見ていました。


みんなの事を想って、最後にもっとうまく焼けたたい焼きを届けたいっ!
そんな風に言ってくれている皆さんの存在が、たい焼きをより美味しくします♪

夕陽の上をいつも飛んでいく「グアム便」の飛行機雲。

今の時代はスマホのアプリでこの飛行機がグアム→成田行きのJALであることまで分かってしまいます(笑)。

僕は今でもスマホは持っていないのですが、
島の友人がさっと教えてくれています。

便利になるということ。
経った10年前の島暮らしではあり得なかったほど、島の暮らしも便利になってきています。
と同時に昔ながらの良さも能力も失いつつある現代。

このGW直前、伊豆諸島の海底光ケーブルが切れてしまい、
御蔵島・神津島・式根島・新島で電話やインターネットが使えなくなっているそうです(5/4に復旧見込み)。

この状況でどんなことを感じたのでしょうか?

今やネットなしでは飛行機のチケットも旅行の手配すらできなくなりつつある現代において、
通信手段が使えないという事は不便も多いでしょうが、
多くの学びを与えてくれるきっかけにもなったのではないでしょうか?

以前、僕が移住したころのは小笠原はドコモの通話のみ、
ネットはISDN回線で超遅い時代でした。

内地から来た観光客は、島でいかに携帯電話に縛られていたのかに気付き、
笑いながら素朴に過ごしていました。

今は小笠原にも光ケーブルが繋がり、
動画もサクサク見れる時代に。

携帯も3社が繋がり、ネット通販でかなり便利な暮らしとなりました。

これが使えないとしたら?
色んな事を学べるのでしょうね。

人が電気もガスも水道もなく、島で暮らしていたほんの少し前の時代を想います。


■現在は奥さんが内地なので、
毎日家事も仕事も育児も僕が中心に行っています。

夜の郵便・宅急便の配達仕事の時には
いつも友人の家族が次女を預かってくれます。

本当に有難い限りです☆

学校に毎日持って行くお弁当。

これを作れるのが本当に有難いのです♡

畑で採れた野菜に、漁師さんに頂いた魚、飼っている鶏が産んでくれる卵。
本当に有難いものばかりです。

GWの10連休のお蔭で長女も父島の高校から母島に帰って来ています。

島のみんなに聞かれる高校の事。
素直にどう答えたらいいか悩む長女(笑)。

やはり思春期の高校生、色々あるようですが、
まあ楽しく父島ライフを楽しんでいるように感じました♪

父島の子どもの日の集いでは、
小さい子供に気さくに声をかけて、彼女の良さを存分に発揮したようです(父島の友人が報告してくれました♪)。

やっぱりそんな島暮らしは有難いです(*^_^*)。
僕は大好きです!

平成最後の夕陽を見ようと子どもと歩いて灯台へ。
見事、季節は変わり、太陽は鮫ヶ崎へと沈んでいきました(笑)。
(冬はもっと見えたのに~!←太陽が季節で移動して見れなくなった)

この当たり前の日常がある有難さ。

ヨガの不久先生が言っているように、
“有る”ことが“難い(難しい)”からこそ、「ありがとう」。

この言葉の意味を噛みしめています。


僕も昭和に生まれ、昭和~平成~令和と3年号を股にかけて生きたことになります。
日本独自の感覚ですが、

西暦にはない独特のその時代を想像できるまとめ力がある気がします。

今の私達が大正生まれのレジェンドを想うように、
「ああ、昭和生まれなんですね~」
と言われるときにどんな想像されるのかドキドキしちゃいます♡