土日は激しい雨が降ったり雷が鳴り、全国各地で災害も発生したが、綾部ではそういったこともなかった。
終日、事務所で「げんたろう新聞」を制作。7月21日発行で今週中には原稿を印刷に出そうと思っている。
12日㈪、午後は綾部世界連邦運動協会(鹿子木旦夫会長)主催の世界連邦講演会を聴講した。「賀川豊彦の活動と世界連邦運動」と題して、賀川豊彦記念松沢資料館の杉浦秀典副館長が講演された。
賀川豊彦は戦前、戦後にわたって活躍したキリスト者であり、社会主義運動を進めた活動家で、生活協同組合(生協)などを生み出した人物でもある。賀川は昭和23年に世界連邦建設同盟を設立し、副総裁に就任した。(総裁は「憲政の神様」尾崎行雄)
綾部市では昭和25年に全国で初めての「世界連邦都市宣言」を行っている。
賀川が綾部に最初に来たのは昭和2年、丹後震災の救済活動の拠点を綾部市新町にある丹陽教会に置いた時だ。綾部出身の神学者・高倉徳太郎との関係によるものではないかとのことだった。
賀川は「反戦思想」を理由に昭和15年、憲兵隊に拘束されて18日間、巣鴨拘置所に拘留されたが、松岡洋右外務大臣の働きかけで釈放された。外務省は日米開戦を回避するためにアメリカとの調停役を賀川に依頼したかったからだそうだ。
また敗戦直後の昭和20年8月26日に東久邇宮内閣の参与に就任しているが、それは満州事変の首謀者の一人でもある陸軍高級参謀の石原莞爾の推薦であったそうだ。
第二次安倍政権以降、すぐに「右」とか「左」とか「親中」とか「反米」とかと色分けしようとする短絡的な考え方がはびこっている。他国と理解しあうように努力し、交渉すべきは交渉する、話し合いには信頼関係が必要だ。
古来から日本の政治家には幅広い見識や人脈、そして寛大な懐の深さと他者を尊敬する気持ちが備わっていた。今は与党にも野党にも短絡的な利己主義がはびこっている。
そういう政治を変えていくことこそが「世界平和」への道なのだと思う。