7日㈮、12時半からの議員団会議に出席のため、京都へ。来週14日から5月臨時議会が始まるため、そのことについての報告等がなされた。
9日㈰、9時から熊野新宮神社(出口孝樹宮司)へ。祭典準備や境内の掃除の後、10時から藤祭が行われた。
熊野新宮神社の本殿前には白藤が植わっており、これは大本の出口なお開祖が植えられたもの。藤祭は毎年5月第二日曜日に行われるが、その日にきれいに藤が咲くのは珍しいと皆さんがおっしゃっていた。藤がきれいに咲くと綾部の町に良いことがあるそうだ。
本来は氏子総会もあるのだが、コロナの影響で書面が配られただけとなった。
出口宮司と共に境内の灯篭を見たら、「本宮」と地名だけで隣りに書いてあるはずの名前が削られているものがあった。
同じく境内にある大本の出口王仁三郎聖師の歌碑の裏面を見ると、そこでも出口王仁三郎聖師の名前は一度削られて、その後、彫り直されているのが分かった。
戦前の大本弾圧の際には天王平にある大本信徒の墓石でも「宣伝使」という教団の役職などが削られているが、熊野新宮神社でも同様のことがあったようだ。
しかし、弾圧で獄死された大本幹部の栗原白嶺氏の名前など、他にもある大本信徒の名前は削られていない。
…ということは、この削られた名前は「出口王仁三郎」だったのかもしれない。