さて、アンヴァリッドを出て正面を見渡すと、広い通りの向こうの左右に大きな建物が見える。地図と照らし合わせてみると、橋を渡って左にグラン・パレ、右にプチ・パレであるらしい。どちらも1900年のパリ万博の時に建てられた建物である。それを過ぎるとシャンゼリゼ大通りに突き当たって、左に折れてまっすぐ進むと凱旋門に到達すると分かった。
とにかく歩いてみようということで、相当時間はかかるだろうが、パリの街を満喫するためにもひたすら歩くことにした。20分ほど歩くとアレクサンドル3世橋にさしかかる。やたらと装飾彫刻の多い派手な橋で、悪趣味きわまりない。
アレクサンドル3世橋
橋を渡って左のグラン・パレに到達。巨大な建物でこれも派手な建物だが、アレクサンドル3世橋ほど金ぴかではないので救いはある。あまりに建物が大きすぎて入り口がどこか分からない。正面にミロ展の巨大な懸垂幕があった。これは観たいと思ったが、行列ができていて1時間くらい待たされそうなので断念。ミロ展の入り口を探すだけでも一苦労だったのに。
グラン・パレ(入り口右にミロ展の懸垂幕が見える)
グラン・パレの内部にも興味があったが、正式な入り口がどうしても分からないので、あきらめて正面のプチ・パレを覗いてみることにした。確かにグラン・パレよりは小さいが、これのどこが〝プチ〟なのかと思うくらい、これも大きな建物である。ここではつい先頃まで伊藤若冲展をやっていたことを聞いていた。
プチ・パレ
若冲展は日本からの企画で実現した「ジャポニスム2018」の一環で、大変な人気だったらしい。なんと4時間待ちの行列ができたという。ちなみに私がパリ初日の12日に観たArt Brut Japonais Ⅱも「ジャポニスム2018」の一部であった。とにかく印象派の時代からフランス人は日本文化が大好きだったのだ。
プチ・パレ内部
プチ・パレでは企画展はやっていなくて、無料の常設展だけであったが、それだけでも建物と展示作品は見応えがある。これでプチ・パレならグラン・パレの方はどんななんだろう、もう一度来てみなければと思った。
シャンゼリゼ大通りはすぐそばである。さあ、どんなところなのかゆっくり歩いてみよう。とにかく道幅が広い。20メートルくらいあるのだろうか。向かいの商店の様子などほとんど分からない。ひたすら凱旋門に向かって左側の歩道を歩いていく。ただ宝石店だとか、ブティックだとか私には縁のない店が多い。お昼を過ぎていたので昼食をと思うが、どの店も高そうで敷居が高く足が止まらない。
ピザレストランがあったので、ここなら高くはないだろうと思い入店。ピザ・マルゲリータとコーヒーを注文し、二階の窓から下の通りを観察する。いろんな人種が行き交っている。白人、黒人、アラブ系、イスラム系、中国人等々。アメリカほどではないだろうがフランスもまた多民族共生の社会なのである。
その中で中国人だけは旅行者で、集団をなして歩いている。彼らは観光バスで移動するので地下鉄では姿を見ない。ただ18日に体験することになったが、セーヌ川の遊覧船は乗客の95パーセントが中国人であったことにびっくりした。
歩いて、歩いてようやく凱旋門に到達。凱旋門にはそれほど興味はなかったが、ここからRERでサン=ジェルマン=アン=レーに向かわなければならない。しかし、13日に購入したミュージアム・パス(パリ中の60カ所くらいの施設をこれひとつで見学できる)があったので、中を覗いて門の上まで登ってみることにした。
前日の14日にはノートル・ダム寺院で、400段の螺旋階段を登り切って、高さ46メートルの塔の上まで行っているから、凱旋門の階段など何ほどでもない。中の展示物も観たがそれほど面白いものでもなく、すべて忘れた。門の上からの展望もとうていノートル・ダム寺院の塔の上からのそれに比べようもない。
20日に日本に帰った直後にシャンゼリゼ封鎖、凱旋門でデモ隊暴徒化のニュースが流れたのには驚いた。燃料税引き上げに反対する市民達の反マクロンデモということだが、ホテルでテレビを見たときに例の黄色いベスト運動のことを報道していたのを思い出した。フランス語は聞き取れないが、何か不穏な動向があることだけは分かった。
デモが少し早ければシャンゼリゼはおろか、土日には閉鎖された主要な観光施設を観ることができなかったかも知れない。しかし、テレビの報道では彼らがそれほど暴力的な行動に出るような人々には見えなかっただけに、よほど腹に据えかねているのだろうと思わざるを得なかった。
ちなみに、デモ隊はフランスの国旗に1789、1968,2018と書いているが、1789年はフランス革命の年、1968年はパリ5月革命の年である。フランス人は元から過激だったのである。2018年も革命の年としたいのである。マクロン政権を退陣に追い込み、新たな政権の樹立につながるかどうか?
凱旋門の股ぐら
とにかくシャンゼリゼも凱旋門も早々に切り上げてRERのシャルル・ドゴール・エトワール駅からサン=ジェルマン=アン=レーに向かう。車窓からの景色はどこにでもある都市郊外のそれで、パリの通勤圏内にあるのだろう、集合住宅が目立つ。集合住宅といっても高層マンションはなく、4~5階建てのアパルトマンがほとんどである。
しかし、サン=ジェルマン=アン=レーに近づくにつれて、一戸建ての住宅が増えてくる。ここはフランス有数の高級住宅地の町なのだ。フランス人の夢はパリにアパルトマンを経営し、その収入で郊外に家を建てて遊んで暮らすことなのだそうである。サン=ジェルマン=アン=レーというところはそんな町なのであった。