玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

ホセ・レサマ=リマ『パラディーソ』(6)

2024年01月28日 | ラテン・アメリカ文学

 レサマ=リマの『パラディーソ』における『マルドロールの歌』の影響についてみてきたが、第7章には〝動かぬ証拠〟とでも言いたくなるほど、その影響が明白に示されている部分がある。伯父アルベルトの友人デメトリオの家に連れていかれたホセ・セミーが、友人アルベルトから受け取った手紙をデメトリオに読んで聞かせられる場面である。
 デメトリオは読み始める。それは言葉遊びに始まり、比喩されるものから遠く離れ、長くて奇態な直喩を経て、詩的な隠喩に至る一節である。この部分を読んで、イジドール・デュカスの『マルドロールの歌』を思い浮かべない読者は存在しないだろう。

《ジムノオイコどもが、裸苦行者(ジムノソフィスタ)みたいに、サティのジムノペディを聞いている。まるで、爪でフルートを握りしめているつもりのコンゴウインコが穴ぼこを絞るが、虹に運び去られるみたいだ。充?せよ、裸形が歯金を詰めていく》

 デメトリオはここまで読むと、セミーに次のように言って聞かせ、アルベルト伯父に対する偏見と誤解を払拭するよう教え諭すのである。アルベルトはセミーのクオリーリョ・ブルジョワジー的な家族の中で、異質な存在であり、これまで数々の不行跡を重ねてきたことから、一族の中の「悪霊的存在」と見なされてきたのであった。しかし、友人デメトリオはアルベルトという人間の真実を知っていたのである。

「もっとこっちにおいで、アルベルト伯父さんの手紙がよく聞こえるように。伯父さんのことをよく知って、歓びに満ちた人であることを見抜くようにならないといけないよ。これから君は生まれて初めて、自由自在にあやつられたことばを聞くことになるんだ、そこにはほのめかしや可愛らしい博学気取りの仕掛けが縦横に張りめぐらされている、けれども、島にいたときの私は、これを受け取ってどれほどうれしかったか、というのも、不在のうちに思い出させてくれたからだ、ずっと年上の私が、君の伯父さんと一緒に勉強していたころのことを。馬鹿にしたような、街学的な外見の下に心の優しさが隠れていて、泣かされたさ」

 手紙の朗読は続いていく。かなりの長文で、ほとんどマルドロール的散文詩のような、直喩と隠喩で織りなされた刺激的で、過激な表現が続いていく。

「骨の王国である硬骨魚類は、タッノオトシゴがそうだが、気管支(ブロンキオ)をえら(ブランキア)に変え、喘息(サンスクリット語で窒息のこと)患者の口から滝が流れこんで、あとで脇腹から激しく流れ出すようにした。しかし最後には、黄金の薄片が霊安室にあらわれ、そこでは鱏(エイ)の仲間が紫色の合間に青をちらつかせながら、猫の尾のように艷めかしい尻尾を振る。
 肺魚類の世界には繊細な注意を。そこは両生類と蛇類の中間の、寓意譚のマクロコスモス。彼らは沼の中で、緊急脱出のために火のついたアパートメントが、誘拐犯とエレベーターの爪楊枝によって認識されるようにと祈りを上げる」

これを聴いた時のセミーの反応は次のようなものである。

「しかし、根源的な何かが起こって、彼のもとへと押し寄せたことは確かだった。あたかも光輝の銛で刺されたかのように、アルベルトが悪霊的であるという一家の固定観念は彼の中から消え去った」

 セミーはアルベルト伯父の手紙=散文詩を読んで聞かせられて、伯父に対する考え方を決定的に変えるのである。



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