タイトルは変えましたが、以前の記事「オコジョさんの指摘について(6) 「四島返還論の出自」について」の続きです。
タイトルを変えたのは、私の記事を「ダシに」してオコジョさんが書かれた
「ダレスの恫喝」について――「北方領土問題」をめぐって
米国の意思と「北方領土問題」――「訓令第一六号」など
及びそれらに対する私からの反論に対して書かれた
日米関係と「北方領土」問題――再び「ダレスの恫喝」
四島返還論の出自――引き続き「北方領土」問題
の4つの記事についての反論、弁明、論評は前回までで終了し、今回からは、オコジョさんが、私の記事に対してではなく、北方領土問題に対するご自身の見解を明らかにされるために書かれた
「北方領土」問題の正解(1)――日本の領有権主張は?
「北方領土」問題の正解(2)――千島列島の範囲
の2つの記事を取り上げるのですが、これらはもはや「オコジョさんの指摘」ではないからです。
そして、この2記事を、オコジョさんに倣って言えば「ダシに」して、北方領土問題を考察してみたいと思ったからです。
「再び」と冠したのは、以前にmig21さんというYahoo!ブロガーの記事に触発されて、「北方領土問題を考える」というタイトルの記事を書いたことがあったからです。
さて、オコジョさんの記事「「北方領土」問題の正解(1)――日本の領有権主張は?」は、前半部で、北方領土問題発生の経緯を説明しています。
このように語られる経緯は、いくつか気になる表現はありますが、おおむねそのとおりだと私も思います。
岩下明裕氏の著書の引用により語られる部分も同様です。
なお、
これは、私が以前の記事「4島返還論は米国の圧力の産物か?」で、吉田が『回想十年』でサンフランシスコ平和条約に言う「千島列島」から南千島を除くよう求めていたとして、該当箇所を引用したことに対応しているのでしょうか。
こういう時は、公知の事実ではないのですから、いつ誰がどのようにして「既に証明」したのかを明記していただきたいものです。
和田春樹氏の『北方領土問題』(朝日選書、1999)p.210及びp.222-224には吉田の回想は虚偽であるとの主張がありますので、これを指しておられるのでしょうか。
確かに、ここでの和田氏の主張には強い説得力を覚えます。しかし、「証明されてい」るとまでは言えないと思います。
本筋から外れるのでここでは多くは述べませんが、和田氏は外交文書にその種の記述がないこと、さらにダレスが後年吉田は択捉、国後をクリル諸島から除くよう求めなかったと述べたと米外交文書にあることを主な根拠としていますが、文書に記録されなかった可能性、ダレスが虚言を述べている可能性もあるからです。
しかし、次の箇所については同意できません。
ものすごい切り捨てっぷりです。
1980年代だったと思うのですが、渡部昇一氏の言説に対して、一点突破主義との批評があったことを思い出しました。
ロッキード事件で、嘱託尋問調書の証拠能力を最高裁が認めたのは違法である。したがって、田中角栄は無罪である。
教科書検定で、文部省が「侵略」を「進出」に書き換えさせたとの誤報があった。したがって、文部省は検定でその種の書き換えを命じたことはなく、いわゆる教科書問題は「萬犬虚に吠えた」ものだった。
論点を自説に都合の良い一点だけに絞り、それを全体に拡大させるという手法です。
私はオコジョさんの論法にも同様のものを感じます。
択捉、国後はわが国がサンフランシスコ平和条約で放棄した「千島列島」に含まれる否かは、論点の1つではありますが、問題の核心ではありません。
何故なら、オコジョさんも言及しているとおり、ソ連はサンフランシスコ平和条約を締結していません。そしてサ条約には
とあります(なお、留保されている第二十一条の規定とは、中国と朝鮮の権利に関するものです)。
したがって、わが国が「千島列島」を放棄したのはサンフランシスコ条約を締結した国々に対してであり、ソ連に対してではありません。
この点について、オコジョさんは、
として、ソ連がサ条約に署名しなかったにしろ、ポツダム宣言には「日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国並びに吾等の決定する諸小島に局限せらるべし」とあり、
と説きます。
しかしそれを「具体的に決定」したサ条約にソ連は加わっていないのですから、これは意味をなしません。わが国とソ連の間では、わが国が「千島列島」を放棄することは「決定」されていないのです。
また、後述するように、ポツダム宣言は、連合国が恣意的にわが国の主権が及ぶ諸小島を決定してよいという内容ではありません。ある重大な留保が付されています。
そして、サ条約に言うところの「千島列島」の範囲を定義するのは、わが国を含むサ条約締結国であって、ソ連にはその権利はありません。
したがって、サ条約締結国であるわが国が、放棄した「千島列島」には択捉、国後は含まれないと主張し、他の締結国がそれに異を唱えなければ、サ条約に言うところの「千島列島」には択捉、国後は含まれないことになるのです。そして米国や英国はわが国のこの主張を支持し、他方これに異を唱えている国があるとは聞きません。
しかし、ソ連はそんなことはおかまいなしに択捉、国後を実効支配し、ロシアもそれを継承しています。そもそもソ連が千島列島及び歯舞、色丹を自国領に編入したのは1946年2月のことであり、サ条約とは何の関係もありません。
さらに、仮に、択捉、国後がサ条約で放棄した「千島列島」に含まれるとしても、それによってわが国がその返還をソ連に要求してはならないということにはなりません。事実、そうした立場をとる論者もおられます(次回で詳しく述べます)。
ですから、択捉、国後が放棄した「千島列島」に含まれる否かは問題の核心ではないのです。
では、問題の核心は何か。
オコジョさんが引用されているポツダム宣言の箇所には、その前にカイロ宣言への言及があります。オコジョさんはおそらく意図的にこれを省いています。この条項は、正確にはこうです。
カイロ宣言とは、1943年に米中英3国の首脳名で発表された、連合国の対日方針を示したものです。
その文中に、次のようにあります。
日本の侵略に対する懲罰が戦争の目的であり、領土拡張の念を有するものではないとしています。
そして、第一次世界大戦以後にわが国が奪取または占領した太平洋の島々の剥奪、満洲、台湾及び澎湖島などの中国への返還、わが国が暴力及び貪欲により略取した一切の地域からの駆逐、朝鮮の独立が述べられています。
しかし、千島列島及び南樺太についての言及はありません。これはソ連がこの宣言に加わっていない以上当然のことですが、ポツダム宣言に「「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルベク」とある以上は、わが国の主権の及ぶ「吾等ノ決定スル諸小島」の範囲は、カイロ宣言の精神にのっとって決定されるべきものでしょう。
日露戦争により獲得した南樺太は、「暴力及貧慾ニ依リ日本国ノ略取シタル他ノ一切ノ地域」に含める余地もあるでしょう(私はそうは思いませんが)。しかし北千島(ウルップ島以北)は1875年の千島樺太交換条約により平和的に取得したものですから「略取」した地域には当たらず、南千島(択捉、国後)は1855年のロシアとの国境画定以来のわが国固有の領土ですからなおさら「略取」したものではありません。
オコジョさんがおっしゃるとおり、ソ連は米国とヤルタ協定で千島列島の引き渡しについて合意していました。しかしこれは秘密協定であり(戦後に公表されました)、わが国の関知するところではありません。
それでも、わが国が降伏する前にソ連が千島列島や歯舞、色丹を占領していたのなら、わが国はその事実を考慮した上でポツダム宣言を受諾したのだと言えるでしょう。しかし、ソ連が北千島に侵攻したのは8月18日、南千島に侵攻したのは同月28日のことです。したがって、わが国は、ポツダム宣言の解釈上は、千島列島(特に南千島)と歯舞、色丹を奪われるという事態を想定せずにこれを受諾したと言うべきであり、オコジョさんの立論は誤っています。
カイロ宣言で領土不拡大がうたわれたのは、この戦争はこれまでの戦争とは違うのだという理念の表明でしょう。
第一次世界大戦の惨禍への反省から、国際連盟が設けられ、列強は軍縮を進め、不戦条約が結ばれました。にもかかわらず、一部の侵略国によって、再び世界大戦が起きました。我々は侵略を防ぎ彼らを懲罰するために戦うのであり、彼らのように暴力及び貪欲により領土を略取しようとするのではない、これは正義の戦争なのだと。
不戦条約後の満洲事変や日中戦争、太平洋戦争はいざ知らず、台湾や朝鮮については欧米列強がさんざんやってきたことをわが国も真似しただけであり、何で非難されるいわれがあろうかという考えもあり得ると思います。
しかし、それが降伏のための条件であった以上、わが国はやむを得ずポツダム宣言を受け入れたのでしょう。
ですが、国境画定以来他国に属したことのない、わが国固有の領土である南千島と歯舞、色丹までをも、何故奪われなければならないのでしょうか。
したがって、
カイロ宣言で領土不拡大をうたい、ポツダム宣言でもそれを前提としていた連合国が、わが国固有の領土である南千島と歯舞、色丹を奪うことが許されるのか。 それも、わが国から開戦したわけではなく、中立条約を反故にして火事場泥棒的に参戦し、満洲で蛮行をはたらき、国際法に反して捕虜を長期にわたって抑留して酷使したソ連によって。
が、問題の核心なのです。
この経緯と心情を抜きにして、北方領土問題を語るのは不適切でしょう。
こんなことは、北方領土問題についてある程度の関心をもつ者なら、誰でも知っていることです。
オコジョさんの表現に倣って言えば、そうした諸要素を切り捨てて、サンフランシスコ平和条約で放棄した「千島列島」に択捉、国後が含まれるか否かに問題を矮小化しなければ「成立しないのが」オコジョさんの「北方領土問題の「正解」」「だということをこの際、銘記」しておきましょう。
オコジョさんは、こんなことも述べています。
二枚舌と言うなら、当時のソ連のわが国に対する外交もまた二枚舌でしょう。
中立条約が未だ有効であり、わが国と連合国との和平の仲介を依頼されていたにもかかわらず、突如宣戦したのですから。
なるほど、「やたら面倒くさい事態にな」っていますね。もっとも、もっぱらわが国にとってだけのようですが。
私がオコジョさんに対してソ連の不当性について言及するのは、これが初めてではありません。
オコジョさんからの最初のトラックバックに対して書いた記事「4島返還論は米国の圧力の産物か?」において、既にこう述べています。
また、同じ記事でこうも述べています。
しかし、これらに対するオコジョさんの返答はありません。
なるほど、「思考経済の法則」とやらに精通すると、このように自分の立論に不要な要素はカットしてそのままで平気でいられるようになるようですね。
オコジョさんのは、この記事「「北方領土」問題の正解(1)――日本の領有権主張は?」の終盤で、次のような話を持ち出しています。
「事実として」「“承認”している」
意味がわかりません。
「承認」とは、辞書(デジタル大辞泉)によると、
です。能動的な行為です。
米国は「この占領自体について何のアクションもとろうとし」ないとオコジョさんはおっしゃいますが、米国はわが国の立場を支持しているとは既に表明しています。ほかにどのようなアクションをとるべきだとおっしゃるのでしょうか。経済制裁でしょうか。交戦でしょうか。米ソが直接つばぜり合いをしたら、どのような事態が生じたでしょうか。
「その事実を――どんな事情からであろうと――そのまま受け入れているわけです」
こんな表現が許されるなら、この世のありとあらゆる不正義、不公正は全て「事実として」「“承認”」されていることになってしまうのではないでしょうか。
そして、カッコ付きの「“承認”」が何故かカッコなしの「承認」に変わり、さらに「日本の領有権などどこも支持していない」となる。
典型的な詭弁であり、論ずるに値しません。
本当にオコジョさんのおっしゃるように「日本の領有権などどこも支持していない」のでしょうか。
米国は支持を表明しています。英国は、松本俊一『モスクワにかける虹』にあるように、当初は明確な姿勢を示していませんでしたが、1980年代にはわが国の主張を支持していたと記憶しています。
ウィキペディアの「北方領土問題」の項目を見ると、現在次のような記述があります。
[74]のリンク先はこちらです。
中国はどうでしょうか。国交正常化後、中ソ対立がまだ激しかった時代(日中国交正常化もその産物ですが)には、中国は北方領土問題におけるわが国の主張を支持すると明言していました。最近では、必ずしも立場を明確にしていないようですが、さりとてロシアの立場を支持すると表明しているわけでもありません。
韓国は、昨年の野党議員による北方領土訪問に対して、政府は無関係と表明しました。こちらも、政府の立場を明言してはいませんが、ロシアの主張を支持しているわけでもありません。
人民日報系の環球時報は、昨年8月に「中国は領土問題でロシアと韓国の立場を支持し、共同で日本に対処すべきだ」とする社説を掲載したそうですが、事態はそのようには動いていません。この3国の関係は、そんなに単純ではないということでしょう。
私はむしろ、どこかの国が、いや日本の主張には根拠がない、択捉、国後はロシア領であって日本は領土の要求を取り下げるべきだと公式に主張しているのかとオコジョさんにお尋ねしたいです。
他国間の領土の現状に異を唱えていないからといって、その変更に反対であるとは言えません。
この問題は本質的には日露の二国間問題であり、日露間で平和的に合意に達すれば、それに異を唱える国はまず存在しないと私は考えます。
次回は、続くオコジョさんの記事「「北方領土」問題の正解(2)――千島列島の範囲」を取り上げます。
(続く)
タイトルを変えたのは、私の記事を「ダシに」してオコジョさんが書かれた
「ダレスの恫喝」について――「北方領土問題」をめぐって
米国の意思と「北方領土問題」――「訓令第一六号」など
及びそれらに対する私からの反論に対して書かれた
日米関係と「北方領土」問題――再び「ダレスの恫喝」
四島返還論の出自――引き続き「北方領土」問題
の4つの記事についての反論、弁明、論評は前回までで終了し、今回からは、オコジョさんが、私の記事に対してではなく、北方領土問題に対するご自身の見解を明らかにされるために書かれた
「北方領土」問題の正解(1)――日本の領有権主張は?
「北方領土」問題の正解(2)――千島列島の範囲
の2つの記事を取り上げるのですが、これらはもはや「オコジョさんの指摘」ではないからです。
そして、この2記事を、オコジョさんに倣って言えば「ダシに」して、北方領土問題を考察してみたいと思ったからです。
「再び」と冠したのは、以前にmig21さんというYahoo!ブロガーの記事に触発されて、「北方領土問題を考える」というタイトルの記事を書いたことがあったからです。
さて、オコジョさんの記事「「北方領土」問題の正解(1)――日本の領有権主張は?」は、前半部で、北方領土問題発生の経緯を説明しています。
日本はこれまでずっと一貫して、千島列島を放棄したこと(面倒なので今後いちいち南樺太にはふれません)自体は否定していません。
「千島列島は確かに放棄したが、その中に○○は含まれない」という構成の議論をしていたのです。
この「○○」が当初は「歯舞・色丹」だったのが、その後「南千島」も該当すると言うようになり、「南千島」という言葉自体が主張と矛盾するので、無理矢理「北方四島→北方領土」という新語をでっち上げたのが、歴史が語る経緯です。
このように語られる経緯は、いくつか気になる表現はありますが、おおむねそのとおりだと私も思います。
岩下明裕氏の著書の引用により語られる部分も同様です。
なお、
(ちなみに『回想十年』の中の吉田の記述、将来を見越して「択捉・国後」への領有権を担保しておいた旨の記述は虚偽であることが、公開された外交文書によって既に証明されています)
これは、私が以前の記事「4島返還論は米国の圧力の産物か?」で、吉田が『回想十年』でサンフランシスコ平和条約に言う「千島列島」から南千島を除くよう求めていたとして、該当箇所を引用したことに対応しているのでしょうか。
こういう時は、公知の事実ではないのですから、いつ誰がどのようにして「既に証明」したのかを明記していただきたいものです。
和田春樹氏の『北方領土問題』(朝日選書、1999)p.210及びp.222-224には吉田の回想は虚偽であるとの主張がありますので、これを指しておられるのでしょうか。
確かに、ここでの和田氏の主張には強い説得力を覚えます。しかし、「証明されてい」るとまでは言えないと思います。
本筋から外れるのでここでは多くは述べませんが、和田氏は外交文書にその種の記述がないこと、さらにダレスが後年吉田は択捉、国後をクリル諸島から除くよう求めなかったと述べたと米外交文書にあることを主な根拠としていますが、文書に記録されなかった可能性、ダレスが虚言を述べている可能性もあるからです。
しかし、次の箇所については同意できません。
ここまでの話から、
「北方領土」返還論の帰趨が「千島列島の範囲」をどう捉えるかにかかっている、ということが明確になったと思います。
具体的に言うなら、
「択捉・国後」は日本が放棄した「千島列島」に含まれるのか、含まれないのか?
これが、問題の核心です。
他のあれこれは、何ら本質的な問題ではありません。「固有の領土」がどうこうというのも単なる心情論です。現在に対置された過去へのノスタルジーが、外交交渉の根拠になるはずもないでしょう。
ものすごい切り捨てっぷりです。
1980年代だったと思うのですが、渡部昇一氏の言説に対して、一点突破主義との批評があったことを思い出しました。
ロッキード事件で、嘱託尋問調書の証拠能力を最高裁が認めたのは違法である。したがって、田中角栄は無罪である。
教科書検定で、文部省が「侵略」を「進出」に書き換えさせたとの誤報があった。したがって、文部省は検定でその種の書き換えを命じたことはなく、いわゆる教科書問題は「萬犬虚に吠えた」ものだった。
論点を自説に都合の良い一点だけに絞り、それを全体に拡大させるという手法です。
私はオコジョさんの論法にも同様のものを感じます。
択捉、国後はわが国がサンフランシスコ平和条約で放棄した「千島列島」に含まれる否かは、論点の1つではありますが、問題の核心ではありません。
何故なら、オコジョさんも言及しているとおり、ソ連はサンフランシスコ平和条約を締結していません。そしてサ条約には
第二十五条
この条約の適用上、連合国とは、日本国と戦争していた国又は以前に第二十三条に列記する国の領域の一部をなしていたものをいう。但し、各場合に当該国がこの条約に署名し且つこれを批准したことを条件とする。第二十一条の規定を留保して、この条約は、ここに定義された連合国の一国でないいずれの国に対しても、いかなる権利、権原又は利益も与えるものではない。また、日本国のいかなる権利、権原又は利益も、この条約のいかなる規定によつても前記のとおり定義された連合国の一国でない国のために減損され、又は害されるものとみなしてはならない。
とあります(なお、留保されている第二十一条の規定とは、中国と朝鮮の権利に関するものです)。
したがって、わが国が「千島列島」を放棄したのはサンフランシスコ条約を締結した国々に対してであり、ソ連に対してではありません。
この点について、オコジョさんは、
この事情が「北方領土」問題を込み入った、たいへん面倒なものにしています。
しかし、ことがら自体は実はまったく単純だというのが私の考えです。
として、ソ連がサ条約に署名しなかったにしろ、ポツダム宣言には「日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国並びに吾等の決定する諸小島に局限せらるべし」とあり、
上にいう「吾等」は連合国ですね。
ポツダム宣言を受諾することで降伏した日本は、6年後その条項を基礎にして講和・独立します。
その講和にあたって、「吾等」はポツダム宣言にあった「諸小島に局限」の部分を具体的に決定しました。千島列島が日本のものではないというのは、その決定内容の一つです。
日本の領土でなくなった千島列島は、どこに帰属することになるのか――それは「吾等」の中での話であって、日本は関係ありません。
だから、あとになってソ連に対して、その千島列島の一部を返還要求するなどという理屈はなり立たないのです。
と説きます。
しかしそれを「具体的に決定」したサ条約にソ連は加わっていないのですから、これは意味をなしません。わが国とソ連の間では、わが国が「千島列島」を放棄することは「決定」されていないのです。
また、後述するように、ポツダム宣言は、連合国が恣意的にわが国の主権が及ぶ諸小島を決定してよいという内容ではありません。ある重大な留保が付されています。
そして、サ条約に言うところの「千島列島」の範囲を定義するのは、わが国を含むサ条約締結国であって、ソ連にはその権利はありません。
したがって、サ条約締結国であるわが国が、放棄した「千島列島」には択捉、国後は含まれないと主張し、他の締結国がそれに異を唱えなければ、サ条約に言うところの「千島列島」には択捉、国後は含まれないことになるのです。そして米国や英国はわが国のこの主張を支持し、他方これに異を唱えている国があるとは聞きません。
しかし、ソ連はそんなことはおかまいなしに択捉、国後を実効支配し、ロシアもそれを継承しています。そもそもソ連が千島列島及び歯舞、色丹を自国領に編入したのは1946年2月のことであり、サ条約とは何の関係もありません。
さらに、仮に、択捉、国後がサ条約で放棄した「千島列島」に含まれるとしても、それによってわが国がその返還をソ連に要求してはならないということにはなりません。事実、そうした立場をとる論者もおられます(次回で詳しく述べます)。
ですから、択捉、国後が放棄した「千島列島」に含まれる否かは問題の核心ではないのです。
では、問題の核心は何か。
オコジョさんが引用されているポツダム宣言の箇所には、その前にカイロ宣言への言及があります。オコジョさんはおそらく意図的にこれを省いています。この条項は、正確にはこうです。
八 「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルベク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ
カイロ宣言とは、1943年に米中英3国の首脳名で発表された、連合国の対日方針を示したものです。
その文中に、次のようにあります。
三大同盟国ハ日本国ノ侵略ヲ制止シ且之ヲ罰スル為今次ノ戦争ヲ為シツツアルモノナリ右同盟国ハ自国ノ為ニ何等ノ利得ヲモ欲求スルモノニ非ス又領土拡張ノ何等ノ念ヲモ有スルモノニ非ス
右同盟国ノ目的ハ日本国ヨリ千九百十四年ノ第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国カ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト並ニ満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニ在リ
日本国ハ又暴力及貧慾ニ依リ日本国ノ略取シタル他ノ一切ノ地域ヨリ駆逐セラルヘシ
前記三大国ハ朝鮮ノ人民ノ奴隷状態ニ留意シ軈テ朝鮮ヲ自由且独立ノモノタラシムルノ決意ヲ有ス
日本の侵略に対する懲罰が戦争の目的であり、領土拡張の念を有するものではないとしています。
そして、第一次世界大戦以後にわが国が奪取または占領した太平洋の島々の剥奪、満洲、台湾及び澎湖島などの中国への返還、わが国が暴力及び貪欲により略取した一切の地域からの駆逐、朝鮮の独立が述べられています。
しかし、千島列島及び南樺太についての言及はありません。これはソ連がこの宣言に加わっていない以上当然のことですが、ポツダム宣言に「「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルベク」とある以上は、わが国の主権の及ぶ「吾等ノ決定スル諸小島」の範囲は、カイロ宣言の精神にのっとって決定されるべきものでしょう。
日露戦争により獲得した南樺太は、「暴力及貧慾ニ依リ日本国ノ略取シタル他ノ一切ノ地域」に含める余地もあるでしょう(私はそうは思いませんが)。しかし北千島(ウルップ島以北)は1875年の千島樺太交換条約により平和的に取得したものですから「略取」した地域には当たらず、南千島(択捉、国後)は1855年のロシアとの国境画定以来のわが国固有の領土ですからなおさら「略取」したものではありません。
オコジョさんがおっしゃるとおり、ソ連は米国とヤルタ協定で千島列島の引き渡しについて合意していました。しかしこれは秘密協定であり(戦後に公表されました)、わが国の関知するところではありません。
それでも、わが国が降伏する前にソ連が千島列島や歯舞、色丹を占領していたのなら、わが国はその事実を考慮した上でポツダム宣言を受諾したのだと言えるでしょう。しかし、ソ連が北千島に侵攻したのは8月18日、南千島に侵攻したのは同月28日のことです。したがって、わが国は、ポツダム宣言の解釈上は、千島列島(特に南千島)と歯舞、色丹を奪われるという事態を想定せずにこれを受諾したと言うべきであり、オコジョさんの立論は誤っています。
カイロ宣言で領土不拡大がうたわれたのは、この戦争はこれまでの戦争とは違うのだという理念の表明でしょう。
第一次世界大戦の惨禍への反省から、国際連盟が設けられ、列強は軍縮を進め、不戦条約が結ばれました。にもかかわらず、一部の侵略国によって、再び世界大戦が起きました。我々は侵略を防ぎ彼らを懲罰するために戦うのであり、彼らのように暴力及び貪欲により領土を略取しようとするのではない、これは正義の戦争なのだと。
不戦条約後の満洲事変や日中戦争、太平洋戦争はいざ知らず、台湾や朝鮮については欧米列強がさんざんやってきたことをわが国も真似しただけであり、何で非難されるいわれがあろうかという考えもあり得ると思います。
しかし、それが降伏のための条件であった以上、わが国はやむを得ずポツダム宣言を受け入れたのでしょう。
ですが、国境画定以来他国に属したことのない、わが国固有の領土である南千島と歯舞、色丹までをも、何故奪われなければならないのでしょうか。
したがって、
カイロ宣言で領土不拡大をうたい、ポツダム宣言でもそれを前提としていた連合国が、わが国固有の領土である南千島と歯舞、色丹を奪うことが許されるのか。 それも、わが国から開戦したわけではなく、中立条約を反故にして火事場泥棒的に参戦し、満洲で蛮行をはたらき、国際法に反して捕虜を長期にわたって抑留して酷使したソ連によって。
が、問題の核心なのです。
この経緯と心情を抜きにして、北方領土問題を語るのは不適切でしょう。
こんなことは、北方領土問題についてある程度の関心をもつ者なら、誰でも知っていることです。
オコジョさんの表現に倣って言えば、そうした諸要素を切り捨てて、サンフランシスコ平和条約で放棄した「千島列島」に択捉、国後が含まれるか否かに問題を矮小化しなければ「成立しないのが」オコジョさんの「北方領土問題の「正解」」「だということをこの際、銘記」しておきましょう。
オコジョさんは、こんなことも述べています。
米国がソ連に二枚舌外交をした、約束をやぶったというのがその単純な本質です。
我々の日常生活でも同じですね。約束やぶりとか、そういうことがあると、あとでやたら面倒くさい事態になるものです。
二枚舌と言うなら、当時のソ連のわが国に対する外交もまた二枚舌でしょう。
中立条約が未だ有効であり、わが国と連合国との和平の仲介を依頼されていたにもかかわらず、突如宣戦したのですから。
なるほど、「やたら面倒くさい事態にな」っていますね。もっとも、もっぱらわが国にとってだけのようですが。
私がオコジョさんに対してソ連の不当性について言及するのは、これが初めてではありません。
オコジョさんからの最初のトラックバックに対して書いた記事「4島返還論は米国の圧力の産物か?」において、既にこう述べています。
ソ連による北方領土の奪取をオコジョさんは不当だとは思わないのでしょうか。
ここで日露・日ソ国境の変遷を詳しく振り返る余裕はありませんが、樺太と交換して得たウルップ島以北の千島列島にしても、日露戦争の結果獲得した南樺太にしても、わが国が侵略により奪取した領土ではありませんから、もとより領土不拡大をうたった連合国に奪われる筋合いはありません。しかし、択捉・国後の両島は、それ以前の最初の日露国境画定時からのわが国「固有の領土」なのですから、なおさら国民感情として容認できるものではありません。
また、同じ記事でこうも述べています。
オコジョさんをはじめ、この米国の意思を問題視する方は、あのとき2島返還ででも妥結して平和条約を締結しておけば、日ソの友好が進み、米国のわが国における影響力は低下し、東アジア情勢も現在とはかなり異なるものになっていたのではないかという願望があるのでしょう。
しかし、そもそも中立条約を破って不当に参戦し、捕虜を長期にわたって抑留し強制労働で死亡させ、あげくの果てに択捉・国後すら返さない、そんな国と、仮に平和条約を結んだとしても、どうやって友好関係を築くことができるのでしょうか。
しかし、これらに対するオコジョさんの返答はありません。
なるほど、「思考経済の法則」とやらに精通すると、このように自分の立論に不要な要素はカットしてそのままで平気でいられるようになるようですね。
オコジョさんのは、この記事「「北方領土」問題の正解(1)――日本の領有権主張は?」の終盤で、次のような話を持ち出しています。
しかし、いったい米国はソ連の占領を“承認”しているのか、いないのか?
米国は、外野から火に油を注ぐようなことを言っていながら、この占領自体について何のアクションもとろうとしません。
これは、言い換えると、その事実を――どんな事情からであろうと――そのまま受け入れているわけです。つまり、事実として“米国はソ連の「北方領土」占領を承認している”のです。ヤルタにおける、もともとのコトの始まりどおりにです。
ソ連は一貫してその領有権を主張し続けている。
米国も事実としてソ連の領有権を承認している。
日本の領有権などどこも支持していない、というのが世界の状況だということです。
誰も認めていない領有権をこの先いつまでも主張し続けても、求める結果など出るはずがないと私は考えます。
「事実として」「“承認”している」
意味がわかりません。
「承認」とは、辞書(デジタル大辞泉)によると、
1 そのことが正当または事実であると認めること。「相手の所有権を―する」
2 よしとして、認め許すこと。聞き入れること。「知事の―を得て認可される」
3 国家・政府・交戦団体などの国際法上の地位を認めること。「国連に―された国」
です。能動的な行為です。
米国は「この占領自体について何のアクションもとろうとし」ないとオコジョさんはおっしゃいますが、米国はわが国の立場を支持しているとは既に表明しています。ほかにどのようなアクションをとるべきだとおっしゃるのでしょうか。経済制裁でしょうか。交戦でしょうか。米ソが直接つばぜり合いをしたら、どのような事態が生じたでしょうか。
「その事実を――どんな事情からであろうと――そのまま受け入れているわけです」
こんな表現が許されるなら、この世のありとあらゆる不正義、不公正は全て「事実として」「“承認”」されていることになってしまうのではないでしょうか。
そして、カッコ付きの「“承認”」が何故かカッコなしの「承認」に変わり、さらに「日本の領有権などどこも支持していない」となる。
典型的な詭弁であり、論ずるに値しません。
本当にオコジョさんのおっしゃるように「日本の領有権などどこも支持していない」のでしょうか。
米国は支持を表明しています。英国は、松本俊一『モスクワにかける虹』にあるように、当初は明確な姿勢を示していませんでしたが、1980年代にはわが国の主張を支持していたと記憶しています。
ウィキペディアの「北方領土問題」の項目を見ると、現在次のような記述があります。
返還に関する西欧の提言
ヨーロッパ議会は北方領土は日本に返還されるべきとの提言を出した。2005年7月7日づけの「EUと中国、台湾関係と極東における安全保障」と題された決議文の中で、ヨーロッパ議会は「極東の関係諸国が未解決の領土問題を解決する2国間協定の締結を目指すことを求める」とし、さらに日本韓国間の竹島問題や日本台湾間の尖閣諸島問題と併記して「第二次世界大戦終結時にソ連により占領され、現在ロシアに占領されている、北方領土の日本への返還」を求めている[74]。ロシア外務省はこの決議に対し、日ロ二国間の問題解決に第三者の仲介は不要とコメントしている。なお、ロシア議会では議論になったこの決議文は日本の議会では取り上げられず、日本では読売新聞が報じた程度である[要出典]。
[74]のリンク先はこちらです。
中国はどうでしょうか。国交正常化後、中ソ対立がまだ激しかった時代(日中国交正常化もその産物ですが)には、中国は北方領土問題におけるわが国の主張を支持すると明言していました。最近では、必ずしも立場を明確にしていないようですが、さりとてロシアの立場を支持すると表明しているわけでもありません。
韓国は、昨年の野党議員による北方領土訪問に対して、政府は無関係と表明しました。こちらも、政府の立場を明言してはいませんが、ロシアの主張を支持しているわけでもありません。
人民日報系の環球時報は、昨年8月に「中国は領土問題でロシアと韓国の立場を支持し、共同で日本に対処すべきだ」とする社説を掲載したそうですが、事態はそのようには動いていません。この3国の関係は、そんなに単純ではないということでしょう。
私はむしろ、どこかの国が、いや日本の主張には根拠がない、択捉、国後はロシア領であって日本は領土の要求を取り下げるべきだと公式に主張しているのかとオコジョさんにお尋ねしたいです。
他国間の領土の現状に異を唱えていないからといって、その変更に反対であるとは言えません。
この問題は本質的には日露の二国間問題であり、日露間で平和的に合意に達すれば、それに異を唱える国はまず存在しないと私は考えます。
次回は、続くオコジョさんの記事「「北方領土」問題の正解(2)――千島列島の範囲」を取り上げます。
(続く)