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金正日の死による国家葬儀委員会の構成について(上)

2011-12-27 00:40:24 | 韓国・北朝鮮
 国家葬儀委員会の名簿が19日に発表された。これについて次のような報道があった。

国家葬儀委の序列、1位は金正恩氏 2位は金永南氏

 朝鮮中央テレビなどは19日、金正日総書記の葬儀を取り仕切る国家葬儀委員会の232人の名簿を発表した。ラヂオプレスによると、後継者とされる金正恩・朝鮮労働党中央軍事委員会副委員長が序列第1位。金永南・最高人民会議常任委員長、崔永林首相、李英浩・軍総参謀長、金永春・人民武力相らが続いた。


長男、次男の名前なし 北朝鮮の国家葬儀委名簿

 北朝鮮の金正日総書記の死去に関連し、朝鮮中央通信などが19日報じた国家葬儀委員会の名簿には、金総書記の長男、正男氏と次男、正哲氏の名前はなかった。金総書記の実妹で朝鮮労働党の金慶喜部長は14番目のメンバーに含まれていた。

 正男、正哲の両氏は金総書記の親族だが、後継者の金正恩氏や金部長のように党などで公式の要職にも就いていないとみられることから、名簿には記載されなかったもようだ。(共同)


 しかし、国家葬儀委員会の名簿それ自体を示したものは見当たらなかった。

 韓国紙の日本語サイトを見ると、もう少し詳しい報道もあったが、やはり名簿自体は掲載されていない。

 ふと思いついて、朝鮮総聯の機関紙、朝鮮新報のサイトを見ると、232人全員のリストが次のように掲載されていた。

国家葬儀委員会を構成

国家葬儀委員会が17日に構成された。国家葬儀委員会のメンバーは次のとおり。



金正恩同志

金永南、崔永林、李英鎬、金永春、全秉浩、金国泰、金己男、崔泰福、楊亨燮、姜錫柱、辺英立、李勇武、金慶喜、金養建、金永日、朴道春、崔龍海、張成沢、朱奎昌、金洛姫、太宗秀、金平海、金正角、禹東則、金昌燮、文景徳、李泰男、呉克烈、金鉄萬、李乙雪、全河哲、康能洙、盧斗哲、趙炳柱、韓光復、白世鳳、李英秀、崔希正、呉日晶、金正任、蔡喜正、金基龍、張炳奎、金炳律、洪仁範、李萬建、朱永植、郭範基、呉秀容、盧培権、朴太徳、金煕沢、姜陽貌、林景萬、金京玉、金明国、金元弘、玄哲海、韓東根、趙慶、朴在京、辺仁善、尹正麟、鄭明都、李炳哲、崔相黎、金英哲、姜杓永、金炯龍、李勇煥、金春三、崔京星、李明秀、全煕正、李永吉、玄永哲、崔富一、楊東勲、李鳳竹、金松哲、朴光徹、李炳三、全昌復、呉琴鉄、金仁植、金成徳、呂春錫、朴勝源、李容哲、朴宜春、金亨植、金泰峰、全吉寿、李務栄、安正秀、李龍男、柳英燮、朴明哲、金勇進、張徹、成自立、金貞淑、姜東允、金炳鎬、車承洙、梁萬吉、尹東絃、高兵現、李奉徳、朴鍾根、崔英徳、鄭仁国、全龍国、李兄根、黄順姫、白桂龍、金銅日、金東二、李載逸、朴奉珠、鄭明鶴、姜寛一、黄炳誓、権赫奉、洪承武、金禹鎬、韓蒼純、李春日、李太燮、趙誠煥、董永日、李昌漢、高秀一、李国俊、申勝訓、李太鉄、楊仁国、李煕守、李哲、玄相主、李明吉、盧成実、董正浩、姜民哲、金煕栄、趙永哲、黄鶴源、安東春、白龍天、洪光淳、李洙?〔土へんに庸〕、金永浩、方利順、崔春植、李済善、李常根、李弘燮、車用明、姜官周、太亨徹、金秉勲、金桂官、韓蒼男、金昌明、全昌林、呉鉄山、孫清男、鄭雲学、車慶一、姜技燮、崔大日、崔永道、李用柱、田光緑、李燦火、徐東明、全成雄、池在龍、金英才、李容浩、洪瑞憲、金東日、金銅銀、金鳳龍、趙才英、崔燦健、廉仁允、金践豪、張虎賛、宋光鉄、李基洙、李鍾式、崔賢、張明学、姜炯峰、金忠傑、金龍光、崔冠峻、張永杰、金明植、許成吉、努光鉄、鄭峰根、朴昌範、崔奉湖、鄭夢必、全京鮮、李成権、崔、金泰文、金英淑、車進順、李民哲、李日男、金昌洙、朴明順、崔培進、金鉄、沈哲戸、呉龍一、桂永三、劉賢植、高明希、方用旭、張丁宙、許光旭、智東植、鄭鳳錫、崔権秀、金永大、柳美英


 「金正恩同志」だけ、一行空けて太字で記されている。

 この232人が、現時点での北朝鮮の最上位層ということになるのだろう。

 今年出版された、平井久志『北朝鮮の指導体制と後継』(岩波現代文庫)の巻末には、資料として、昨年11月に趙明禄国防委員会第一副委員長(当時の北朝鮮の軍事部門のナンバー2)が死亡した際に設けられた国家葬儀委員会のメンバー171人の名簿が収録されている。
 これと、今回の国家葬儀委員会のメンバーを比較して、現時点での北朝鮮の最上位層の構成について検討してみた。

 なお、役職の記載はもっぱら同書に拠る。その後の役職の異動については、私はそれほど北朝鮮についての報道をウォッチしているわけではないので、漏れがあるかもしれない。
 頭の数字は今回の国家葬儀委員会の序列、末尾の数字は趙明禄死亡時の国家葬儀委員会の序列である。

1 金正恩 党中央軍事委副委員長 党中央委員 大将 2
2 金永南 党政治局常務委員 最高人民会議常任委委員長 3
3 崔永林 首相 党政治局常務委員 4
4 李英鎬 党政治局常務委員 党中央軍事委副委員長 総参謀長 次帥 5
5 金永春 党政治局員 人民武力部長 党中央軍事委員 次帥 6
6 全秉浩 党政治局員 内閣政治局局長 内閣党委責任書記 国防委員 7
7 金国泰 党政治局員 党中央委検閲委員長 8
8 金己男 党政治局員 党中央委書記 党宣伝扇動部長 9
9 崔泰福 党政治局員 党中央委書記 最高人民会議議長 10
10 楊亨燮 党政治局員 党中央委書記 最高人民会議常任委副委員長 11
11 姜錫柱 党政治局員 副首相 12
12 辺英立 党政治局員 最高人民会議常任委書記長 13
13 李勇武 党政治局員 国防委副委員長 次帥 14


 ここまでは、趙明禄死亡時の国家葬儀委員会の序列と全く同じである。

 趙明禄死亡時に15位だった朱霜成(当時、党政治局員、国防委員、人民保安部長、大将、最高人民会議法制委員長)は、2011年3月に人民保安部長を解任されたと報じられた(リンク先の記事では朱相成と表記)。
 
 同じく16位だった洪石亨(当時、党政治局員、党中央委書記、党計画財政部長)は、2011年6月に書記を解任され、その後の消息は不明。中国式の改革開放を唱え粛清されたとも報じられている(リンク先の記事では洪錫亨と表記)。

14 金慶喜 党政治局員 党軽工業部長 大将 17
15 金養建 党政治局員候補 党中央委書記 党統一戦線部長 18
16 金永日 党政治局員候補 党中央委書記 党国際部長 19
17 朴道春 党政治局員候補 党中央委書記 20
18 崔龍海 党政治局員候補 党中央委書記 党中央軍事委員 大将 21
19 張成沢 党政治局員候補 国防委副委員長 党行政部長 党中央軍事委員 22


 14位の金慶喜は金正日の実妹、19位の張成沢はその夫である。金正恩の後見人的存在とされるが、序列はそれほど高くない。

 『週刊文春』2011.12.29号は、「実質的なナンバー2」であり、金正日の死後は最高位に上がるだろうとの「北朝鮮ウォッチャー」による観測もあった張成沢が19位にとどまったのは、金正日の死後、張成沢の権力が失墜したためである、序列4位の李英鎬総参謀長率いる「軍事部門が金正恩を完全に取り込んだという観測が、北朝鮮ウォッチャーの中に流れている」――との記事を載せているが、そんなウォッチャーがいるとは信じがたい。
 1年前に李英鎬は5位、張成沢は22位だったのだから、両者の序列はさほど変わっていない。張成沢がいかに「実質的なナンバー2」であれど、金永南をはじめとする老幹部たちをごぼう抜きにしてトップに躍り出るなど、近年の北朝鮮の権力構造をある程度観察していれば有り得ないことがわかるはずだからだ。
 
 もっとも、李英鎬は党政治局常務委員や次帥の中では比較的若く、その台頭は注目すべき要素ではある。だがこれも、軍のトップを序列の最高位クラスに取り込むという点では、金日成時代末期の呉振宇や金正日時代初期の崔光、そして崔光死後の趙明禄のポジションを継いだにすぎないのではないだろうか。

20 朱奎昌 党政治局員候補 国防委員 党機械工業部長 党中央軍事委員 23
21 金洛姫 党政治局員候補 副首相 25
22 太宗秀 党政治局員候補 党中央委書記 党総務部長 26
23 金平海 党政治局員候補 党中央委書記 党総務部長 27
24 金正角 党政治局員候補 国防委員 軍総政治局第一副局長 党中央軍事委員 大将 29
25 禹東則 党政治局員候補 国防委員 党中央軍事委員 国家安全保衛部第一副部長 大将 28
26 金昌燮 党政治局員候補 国家安全保衛部政治局長 31
27 文景徳 党政治局員候補 党中央委書記 党平壌市委責任書記 32
28 李泰男 党政治局員候補 副首相 24


 趙明禄死亡時の国家葬儀委員会で30位だった朴正順(党政治局員候補、党組織指導部第一副部長)は2011年1月に死亡。金正日が花輪を送ったと報じられた。

 ここまでは、トップの金正恩を除いて、党政治局常務委員→党政治局員→党政治局員候補という党幹部の序列に全く従っている。
 これは金日成が死亡した際の国家葬儀委員会の序列と同じでもある。
 金正日は、「先軍政治」を掲げ、国防委員長の職をもって国家を統治したが、北朝鮮は昨年の党代表者会による党指導部の再編により、金日成時代の党の指導する国家に形式的には復帰したと言えるだろう(党代表者会開催前は、政治局員や同候補、中央委書記はほぼ金日成時代に選出されたメンバーのままであり、死亡による減少が著しく、国政における機能も判然としなかった)。

 ここからの序列は、必ずしもそのような明確な基準には基づいていない。また、趙明禄死亡時の国家葬儀委員会の序列ともかなり異なるものとなっている。
続く


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