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自民党に背骨はあったか

2011-07-14 20:41:57 | 「保守」系言説への疑問
 自民党の稲田朋美衆院議員が6月17日付け産経新聞の「正論」欄「背骨なき党と手握るは愚策なり」で次のように述べている。

〔前略〕

「反自民」でのみ結束の民主

 茶番劇を通じて露呈したのは、民主党が、第1に民主党を壊さないこと、第2に自民党を復権させないことを優先し、災害復興と被災者救済に責任を持つことを、その後に回した点である。民主党の一貫した主張はただ一つ、「反自民」だったということである。

 一昨年夏、政権交代が実現したのはなぜか。当時の自民党が国家国民のための正しい政策を実現することではなく、政権与党であり続けることにのみ価値を置く政治をしている、と国民が見て、政権を委ねる資格なしとの審判を下したからである。代わって登場した民主党もまた、政権与党であり続けることにのみ汲々(きゅうきゅう)としている。

 一方、わが自民党も、内閣不信任案提出を機に、またもや大連立の声が上がるなど、いまだに政局に翻弄されている。民主党政権の誤りは、菅氏が首相であることにとどまらず、党の綱領すら持たない“野合の衆”が政権にあり、民主主義も法治国家であることも無視した世論迎合の思いつき政治を続けている点にある。菅氏が首相でなければ連立を組むとか、菅氏が辞めたら特例公債法案を通すといった事柄ではないのである。

 民主党の問題は、国家観、祖国愛がないこと、財政規律無視のばらまき政策を反省しないこと、意思決定のプロセスがいい加減なこと、ウソを認めないなど政治姿勢が不真面目なことにある。要は、綱領がないことに象徴されるように政治の背骨がないのである。

連立は閣内不一致で立ち往生

 政党とは本来、政治について思想信条を同じくする者が集まるものである。背骨のない民主党などそもそも、政党とは言い難い。「反自民」の一点でのみ結束できるというのでは、あらゆる政策課題についてまともな決断ができず右往左往するのは当然だろう。震災対応がこうも遅れているのも、政権党に背骨がないからであり、迷惑しているのは国民である。

 そんな背骨なき政党と連立しても何一つ決まらないばかりか、外交、防衛、教育など重要基本政策をめぐって閣内不一致になるのは目にみえている。だから、大連立は愚策なのであり、首相が誰かということが理由なのではない。


 たしかに、民主党には綱領がない。
 党のホームページには「基本理念」及び「基本政策」なるものは掲げられているが、これは綱領ではない。
 民主党を批判する際にしばしば指摘される点である。

 これについては民主党も自覚しているようで、今年2月には党改革推進本部が設置され、綱領、規約、代表選のあり方の3点についてそれぞれ検討する委員会を設け、「遅くとも夏までには議論を集約して成案を得る」としている。

 本来、綱領は結党時に定められるものだろう。
 1998年の結党から10年以上も経つのに、何故綱領が定められなかったのか。
 それは、民主党が様々な勢力の寄り合い所帯であったがために、統一的な綱領を定めることが困難であり、またそれを必要としなかったからだろう。
 「民主党の一貫した主張はただ一つ、「反自民」だったということである。」という稲田の弁は正しい。ただ、付け加えるなら、「非社民」「非共産」でもあった。
 自民党にも社民党にも共産党にも与しなかった勢力が、最終的に民主党に結集したのである。
 そこにはかつての「社会党のプリンス」もいれば、除名されたが西村眞悟のような民族派もいた。綱領が策定できなかったのは当然だろうし、仮に綱領があれば、これほどの結集が可能だったかどうか疑問である。
 言わば、政党と言うよりは自民党政権打倒のための諸グループの連合体であり、だからこそ、福田康夫首相と小沢一郎代表との間で進められた大連立への動きに対して、党内からあれほど強い反発が生じたのだろう。

 しかし、民主党の政権獲得後の混迷ぶりは、果たして稲田が言うように綱領を欠いているためなのだろうか。

 そういう自民党には「政治の背骨」があったのだろうか。

 自民党結党時の綱領は現在でも自民党のホームページに掲げられている。次のようなシンプルなものである。

綱領
昭和三十年十一月十五日

一、わが党は、民主主義の理念を基調として諸般の制度、機構を刷新改善し、文化的民主国家の完成を期する。

一、わが党は、平和と自由を希求する人類普遍の正義に立脚して、国際関係を是正し、調整し、自主独立の完成を期する。

一、わが党は、公共の福祉を規範とし、個人の創意と企業の自由を基底とする経済の総合計画を策定実施し、民生の安定と福祉国家の完成を期する。


 率直に言って、読みようによってどうとでもとれる、曖昧模糊としたものだと思う(仮にこれを民主党の綱領だと言っても通用するのではないか)。
 「経済の総合計画」「福祉国家の完成」といった語句からは社会民主主義の臭いも感じられる。

 これを、例えば、同年に左右が統一して成立した社会党の綱領や、宮本体制が確立した1961年の共産党の綱領と比較すれば、その違いは歴然としている。

 何故こうしたことになるのか。
 
 それは、自民党がいわゆる保守政党であり、現状維持と漸進的改革を志向した政党であるからだろう。

 Yahoo!百科辞典で「綱領」を検索すると、『日本大百科全書』(小学館)の次のような記述が呈示される(太字は引用者による。以下同じ)。

大衆団体や政治団体、とくに政党の基本的立場や目標、実現の方法、基本政策、当面の要求、組織などを定めた文書。綱領は一般に結社の最大公約数的一致点を示し、できるだけ多数の支持を獲得するため、具体的でないものが多い。また、結社の存在理由を明示し、一般大衆に印象づける必要性から、簡潔明瞭(めいりょう)なものが好まれる。とくに、保守党の綱領は抽象的な項目の列挙に終わる傾向が強い。これに比べて、革新政党の綱領は運動の戦略・戦術まで詳しく展開したものが多く、とりわけ共産主義政党は、終極目標を示す最大限綱領、その過程の段階的目標を示す最小限綱領、当面の要求を示す行動綱領を厳密に規定している。綱領は、一面では世論を反映するとともに、他面では積極的に世論を形成する要素ともなる。1875年ドイツ社会主義労働者党のゴータ綱領、1891年ドイツ社会民主党のエルフルト綱領、1959年のバート・ゴーデスベルク綱領などがよく知られている。


 もっとも、自民党は結党時にこの綱領以外にも「立党宣言」「党の性格」「党の使命」「党の政綱」という文書を採択している。これらも先の綱領と同じページに掲載されており、準綱領的文書ということになるのだろう。
 これらを要約すると、自民党は結党時に次のように自己規定していたと言えるだろう。

1.階級政党ではなく国民政党である
2.議会主義に立ち、暴力革命を排し、極左、極右の全体主義と対決する
3.時代の要求に即応して現状を改革する進歩的政党である
4.自由主義経済に計画性を付与し、経済の自立繁栄と完全雇用の達成を図る
5.社会保障政策を強力に実施し、福祉国家の実現を図る
6.国連憲章の精神に則った平和主義に立ち、善隣友好外交を進める
7.憲法改正を図り、自衛軍備を整え、在日米軍撤退に備える

 そして、特に重点が置かれているのが、1と2だろう。

 忘れてはならないのは、この当時、国民政党を名乗り、議会主義に立つことが明白な政党は、国政を担う大政党では自民党しか存在しなかったということだ。
 自民党の結党に1か月先立ち、左派と右派に分裂していた社会党が統一した。統一綱領では「階級的大衆政党」という折衷的表現を用い、また「民主的、平和的に」と断りながらも「社会主義革命を遂行する」としていた。政権獲得の前後を問わず自由選挙と代議制を確保する「つもりであ」るとしていたが、党内にソ連型社会主義を支持する勢力を含む以上、その実行性は疑わしかった。
 そして国会には自民党と社会党のほかには、共産党などごく少数の政党しかなかった。民社党も公明党もまだ存在しなかった。
 したがって、社会主義に否定的な立場の者は、自民党に票を投じるしかなかった。

 自民党は、吉田茂系の自由党と鳩山一郎系の民主党の合同によって成立した。
 何故両党は合同したのか。
 それは、吉田内閣末期から鳩山内閣初期にかけて、自由党も民主党も共に少数与党で政権が不安定であったため、安定した政権基盤を確保する必要があったからだ。
 さらに、3分の2以上の議席を確保して、憲法改正を実現する意図もあったと聞く。

 自民党もまた、民主党と同様、様々な勢力の集合体であった。官僚出身の池田勇人や佐藤栄作、党人派の大野伴睦や河野一郎、戦中期に大臣を務めた岸信介や賀屋興宣もいれば、左派の三木武夫や宇都宮徳馬もいた。
 彼らに共通するのはただ一点、議会主義に立つ国民政党に与するということだけであり、要するに非社会主義、もっと端的に言えば「反共」であろう。
 民主党が「反自民」で一貫していたのと同様、自民党もまた「反共」で一貫していた。

 そして、三木おろしや40日抗争のような危機はあったが、何よりもまず「自民党を壊さないこと」「社会党に政権を渡さないこと」が優先された。
 ソ連が崩壊し、社会党が政権に加わってもわが国が共産化しないことが明白になって初めて、小沢一郎らは集団離党に踏み切って自民党を下野させ、また自民党は社会党と連立して(社会党の首班を担いでまで!)政権を奪還したのだ。
 「反共」が意味を失った後は、単に与党であること自体に存在意義を見出したと言えるだろう。自自連立、自公連立にしてもまた同じ。
 「政権与党であり続けることにのみ価値を置く政治をしている、と国民が見て、政権を委ねる資格なしとの審判を下した」との稲田の見方はこれまた正しい。

 だが、稲田が言うように、民主党には綱領がなく「反自民」の一点で結束したにすぎないから、「あらゆる政策課題についてまともな決断ができず右往左往」しているのだろうか。
 では自民党は各種の政策課題について統一的な見解がとれているのだろうか。
 現在問題となっている原発についてはどうか。
 TPPには賛成なのか、反対なのか。
 外国人参政権はどうか。人権擁護救済法案はどうか(この2つを民主党が進めているかのように主張する者がいるが、これらはもともと自民党政権の下で出てきた話である)。
 女系天皇を認めるのか、認めないのか。認めないとすれば皇室存続のためには至急何らかの対策を立てるべきではないのか。

 「背骨」があるなら何故、「刺客」を放ってまで落選させようとした郵政民営化反対派を、その1年後に復党させるなどという無様な真似をしたのか。

 「党の政綱」に掲げられた「現行憲法の自主的改正」が池田内閣以来安倍内閣まで棚上げされてきたのは何故か。また「駐留外国軍隊の撤退」は現在に至るまで全く無視されているのではないか。

 私は何も自民党を否定したいのではない。戦後のわが国はおおむね正しい方向を歩んできた、それは長らく与党であった自民党の功績だと考えている。
 しかし、民主党には綱領という「背骨」がないから右往左往しており、自民党と大連立を組んでも閣内不一致で立ち往生するだけだという稲田の主張には賛成できない。
 私には、綱領があろうがなかろうが、民主党の成り立ちは自民党のそれと比べてさして違いがあるとは思えない。
 民主党に結集した勢力は、かつて自民党に結集した勢力よりさらに幅が広く、しかも今は「反共」で通用するイデオロギーの時代ではないから、綱領の制定は容易なことではないと思うが。

 そもそも連立政権は綱領ではなく政党間の政策協定に基づいて運営されるべきものだろう。
 自民党も、「背骨」がかなり異なるにもかかわらず、「反小沢」の一点で一致して、社会党及び新党さきがけとの連立政権を維持したではないか。

 ところで、稲田は上記の引用部分に続けてこう述べている。

 さて、翻って、自民党は真の政党たりえているのか。自民党の支持率が上がらない要因は、有権者たちがためらわずそうだといえないあたりにあるのではないか。

 綱領も理念もない民主党と手を組めば、自民党の存在感はますます薄れてしまうだけでなく、自民党もまた、思想信条なき政党に転落しかねない。そうならずとも、早晩、民主党の大衆迎合政治や社会主義的な発想とは妥協できなくなって連立離脱を余儀なくされ、そうなれば「ふらふらしている」党という印象を与えてしまう。

 では、今の難局をどう打開するのか。最終的には解散・総選挙しかない。復旧復興には最大限協力する、しかし、誤りは厳しくただす、そして選挙ができる状況になれば解散・総選挙に追い込んで戦う。「急がば回れ」である。

自民首班で空白埋める道も

 政治空白をいつまで続けるのかと問われれば、民主党政権が続く限りと答えるしかない。今回のような緊急事態では、全国津々浦々に張り巡らされた組織や人のネットワークの活用が必要だ。が、自民党にはそれがあり、民主党にはそれがない。つい先日も、ある経済人が発災直後、自民党の多くの政治家からは協力要請があったのに民主党の政治家からは何もなかった、と空白感を嘆いていた。

 解散・総選挙をせず、現有議席の下で即断即決できる体制を作ることも可能である。野党第一党の自民党の総裁を首班とする政権を編成し、その政策に賛同する国会議員すべてが参加するのだ。これは連立ではない。民主党議員は野合をやめ、自らの良心に照らして自民党の首班に投票してもらえばいい。その体制下で復旧復興を即断即決で進める一方、最高裁で違憲とされた一票の格差を是正する選挙制度改革も早急に行い、そのうえで解散し国民の信を問う。

 いずれにしても、今の日本の政治家に求められていることは、たった一つである。私利私欲や政局ではなく、この国難にあたって自らを国に捧(ささ)げる覚悟である。(いなだ ともみ)


 現在衆議院では民主党は3分の2近くの議席を占めている。自民党はその民主党の4分の1程度の議席しか持たない。
 この勢力比でどうやって自民党総裁を首班とする内閣が成立し得るというのか。仮に成立したとして、政党ではなく個々の議員の支持に基づいて、どのような「即断即決できる体制」を構築できるというのか。
 これは確かに「連立ではない」だろう。これは他党議員の「一本釣り」ならぬ「百本釣り」だ。
 しかしそんな、稲田の弁によれば“野合の衆”の支持に基づく内閣に、まともな政権運営が可能とは思えない。

 それにしても、
「政治空白をいつまで続けるのかと問われれば、民主党政権が続く限りと答えるしかない」
とは恐れ入った。
 稲田は、
「今の日本の政治家に求められていることは、たった一つである。私利私欲や政局ではなく、この国難にあたって自らを国に捧(ささ)げる覚悟である。」
と締めくくっているが、この政治空白を続けるという主張や先の自民党首班内閣の提言が「私利私欲や政局」でなくて何だというのだろうか。


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