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選択的夫婦別姓が「不自然な少数」によって切り崩された?

2023-02-20 11:59:02 | その他のテレビ・映画の感想
 朝日新聞テレビ・ラジオ欄の島崎今日子氏のコラム「キュー」をいつも楽しみに読んでいる。

 1月8日には、のっけから

 プログラムが、徳川家康だらけになっているNHK。年明けの「ニュースウォッチ9」でも、大河の番組宣伝をいれてきたのには驚いた。せめて番組の最後に流すとか、公共放送の報道番組としての気概を見せたらどうなのか。


との厳しい指摘。全く同感だ。

 そして島崎氏は、NHKは年末に冤罪事件を扱った特番でドキュメンタリーの力を見せつけたのにと嘆き、

冤罪事件では、大きな力が個人を踏みつけていくという構造がどれも同じなのが、恐ろしい。
 と思っていたら、2日、Eテレで放送された「100分deフェミニズム」でも、法制化寸前までいった選択的夫婦別姓が「政治的に非常に誇大化された勢力が潰した。自然な多数ではない、不自然な少数による大きな力が加わって切り崩された」との発言があった。発言者は、歴史学者の加藤陽子さん。 


と指摘。

 私はこの「100分deフェミニズム」は見ていないのだが、ここで挙げられている加藤氏の発言には違和感を覚えた。

 法制化寸前までいったとは、1996年に、法制審議会が、選択的夫婦別姓を含む民法改正要綱を答申したものの、自民党の反対にあって、国会提出に至らなかったことを指すのだろう。

 だがこの時、夫婦別姓は、多数の国民の支持を得ていたと言えるのだろうか。
 もし本当にそうだったのなら、大問題になっていたのではないか。
 私はこの頃、既に就職していたが、職場の上司が、時期尚早ではないかとつぶやいていたのを記憶している。

 内閣府のサイトに掲載されている、1995年(平成8年)6~7月に行われた世論調査において、選択的夫婦別姓に関する質問と回答は次のようになっている。

Q11 回答票17〕現在は,夫婦は必ず同じ名字(姓)を名乗らなければならないことになっていますが,「現行制度と同じように夫婦が同じ名字(姓)を名乗ることのほか,夫婦が希望する場合には,同じ名字(姓)ではなく,それぞれの婚姻前の名字(姓)を名乗ることができるように法律を改めた方がよい。」という意見があります。このような意見について,あなたはどのように思いますか。次の中から1つだけお答えください。
(39.8) (ア) 婚姻をする以上,夫婦は必ず同じ名字(姓)を名乗るべきであり,現在の法律を改める必要はない(Q12へ)
(32.5) (イ) 夫婦が婚姻前の名字(姓)を名乗ることを希望している場合には,夫婦がそれぞれ婚姻前の名字(姓)を名乗ることができるように法律を改めてもかまわない(SQへ)
(22.5) (ウ) 夫婦が婚姻前の名字(姓)を名乗ることを希望していても,夫婦は必ず同じ名字(姓)を名乗るべきだが,婚姻によって名字(姓)を改めた人が婚姻前の名字(姓)を通称としてどこでも使えるように法律を改めることについては,かまわない(Q12へ)
( 5.1) わからない(Q12へ)


 反対 39.8%、賛成32.5%、同姓だが旧姓使用可に改めるが22.5%となっている。
 これで、反対派が「不自然な少数による大きな力」だと言えるだろうか。

 当時法務官僚だった小池信之氏は、2022年4月の東京新聞のインタビューで次のように述べている(太字は引用者による)。

—96年、法制審が選択的夫婦別姓制度を含む民法改正案を答申したが、国会提出に至らなかった。
 法案を国会に提出する前に自民党の審査をパスする必要があったが、それができなかったからだ。当時、法制審の事務局として、議論を取りまとめたり、国会議員に説明に回ったりした。感覚的には自民党議員の8〜9割が反対していた。
 —どうして自民党議員は反対したのか。
 理由はおおよそ5つぐらいに整理できる。
 まず、当時はまだ「なぜ婚姻の際に旧姓を名乗り続ける必要があるのか理解できない」という意見がかなりあった。
 次に「旧姓の通称使用を広げればいいのであって、民法を変えるまでもない」との意見だ。
 最も多かったのが「家族の一体感の維持」との意見。つまり「夫婦と子どもが氏を同じくすることによって家族の絆や一体感、連帯感が守られている。制度導入で絆の弱い家族が生まれ、日本社会にとって好ましくない」というものだ。
 ほかに「氏は家族のもので、個人のものではない」との意見もあった。戦前の家制度がなくなった今も「○○家の墓」などにみられるように、氏が家の名称として機能している面があるとの認識に基づくものだ。
 少数ながら「夫婦同氏は日本社会の伝統、良き風習であるから、守るべきだ」という意見もあった。夫婦同氏制を一種の慣習法、不文法とみる考えだろう。
 —自民党に賛成議員はいなかったのか。
 公の場で賛成と発言されたのは、記憶している限りでは、当時の野中広務幹事長代理、佐藤信二議員、森山真弓議員(以上故人)、現職の野田聖子議員ぐらいだったと思う。
 私自身は制度導入について婚姻時に夫婦の氏の選択肢が一つ増える、一種の「規制緩和」と認識していた。ところが自民党に説明に行ったら、日本の伝統、家族の絆といった家族論や価値観の次元の問題と捉える意見が多く、これは容易なことではないと痛感した。
 —制度導入の可能性をどうみるか。
 法案提出を断念した26年前は、自民党の反対論が非常に強いと感じたので「あと1世紀は駄目だろう」という感触を持った。今は党内に議連ができ、議論ができるまで進展したのは間違いない。ただ、子どもの氏をいつ、どうやって決めるのかなど、難しい課題が残っている。
 夫婦同姓を強制している国は、おそらく日本だけだろう。旧姓使用の拡大では、二重の氏を認めることになり、国際的にも通用しないのではないか。
 最大の決め手は国民の意向だろう。自分は同姓で結婚したいと思っている人たちが、「国の制度としては、別姓で結婚したい人たちの希望をかなえる制度が必要だ」と考えるようになるかどうか。そのためにもオープンな場でこの問題を議論するのがフェアなやり方だ。法案を提出し、衆参両院の法務委員会で議論をし、地方でも公聴会などを開くべきではないか。


 この頃自民党は、過半数を割っていたとはいえ第1党である。その「8〜9割が反対していた」というのが、「政治的に非常に誇大化された勢力」「自然な多数ではない、不自然な少数による大きな力」だと言えるだろうか。

 その後、夫婦別姓賛成派は増加している。だが90年代当時からそのような状況にあったわけではない。加藤氏は過去の事実を誤って認識してはいないか。
 歴史学者が歴史修正主義に陥ってしまっては、笑い話にもならない。

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