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共産党の破防法調査対象への抗議を読んで思ったこと(中) 「敵の出方論」について

2016-04-06 08:29:20 | 日本共産党
承前

 鈴木貴子衆院議員が提出した「日本共産党と「破壊活動防止法」に関する質問主意書」中に、次のようにある。

四 昭和五十七年四月二十日、第九十六回国会、衆議院地方行政委員会に於いて、警察庁は「ただいまお尋ねの日本共産党につきましては、民青を含めまして、いわゆる敵の出方論に立ちました暴力革命の方針を捨て切っていないと私ども判断しておりますので、警察としましては、警察法に規定されます「公共の安全と秩序を維持する」そういう責務を果たす観点から、日本共産党の動向について重大な関心を払っている」旨答弁されているが、現在も警察庁は、日本共産党は暴力革命の方針を捨て切っていないと認識されているか、見解を求める。


 これに対し、政府はこう答弁している

四について
 警察庁としては、現在においても、御指摘の日本共産党の「いわゆる敵の出方論」に立った「暴力革命の方針」に変更はないものと認識している。


 これについて、BLOGOSに転載された、しんぶん赤旗の「「議会の多数を得ての革命」の路線は明瞭/政府の「暴力革命」答弁書は悪質なデマ」という記事は次のように反論している(太字は引用者による。以下同じ)。

「敵の出方論」=「暴力革命」が成り立たないことははるか前に決着ずみ

「敵の出方論」をもちだして「暴力革命」の根拠とする議論が成り立たないことは、政府答弁が引用している〔引用者註:質問主意書の項目の六に対する答弁で引用〕1989年2月18日の衆議院予算委員会における不破哲三副議長(当時)と石山陽公安調査庁長官(当時)との論戦でも決着ずみのものです。

 同委員会で不破氏は、国民多数の支持のもとに政権を目指す日本共産党の綱領路線を説明し、「敵の出方論」について、日本共産党など統一戦線勢力が選挙で勝って政権についたとき、これに従わない勢力が暴挙に出た場合に、政府が取り締まることは憲法に基づく当然の権利であることを解明しました。これに対し、石山長官は、「政権を確立した後に、不穏分子が反乱的な行動に出てこれを鎮圧するというのは、たとえどの政権であろうとも、当然行われるべき治安維持活動です」と答えざるをえませんでした。

 その一方で、石山長官は、「敵の出方論」について、「民主主義の政権ができる前にこれを抑えようという形で、不穏分子をたたきつけてやろうという問題」もあると答弁しました。

 これに対しても、不破氏は、1970年の第11回党大会決議の「人民の政府ができる以前に、反動勢力が民主主義を暴力的に破壊し、運動の発展に非平和的な障害をつくりだす場合には、広範な民主勢力と民主的世論を結集してこのようなファッショ的攻撃を封殺することが当然の課題となる」との文言を読み上げ、反論しています。

 日本共産党が、かつての一連の決定で「敵の出方」を警戒する必要性を強調していたのは、反動勢力を政治的に包囲して、あれこれの暴力的策動を未然に防止し、社会進歩の事業を平和的な道で進めるためであって、これをもって「暴力革命」の根拠とするのは、あまりに幼稚なこじつけであり、成り立つものではありません。それは、国会の質疑でもはるか前に決着ずみのことです。


 それは初耳だ。
 本当に決着済みの話だったのだろうか
 国会会議録検索システムで平成元年2月18日の衆議院予算委員会の会議録を確認してみた(いい時代になったものだなあ)。
 興味深い主張が見られるので、かなり長くなるが省略せずに引用する。

○不破委員 〔中略〕次に進みますが、一体、公安調査庁が我が党に対してそれを調査団体とする根拠を今度は伺いたいと思うのです。
 破防法には、明確に二つの要件が要るとしています。一つは、過去の問題です。「団体の活動として暴力主義的破壊活動を行った団体」。もう一つは、将来の問題です。そして「当該団体が継続又は反覆して将来さらに団体の活動として暴力主義的破壊活動を行う明らかなおそれがあると認めるに足りる十分な理由があるとき」と、つまりこの二つの条件がセットになって破防法の対象になるというのがあなた方の論理ですね、法律の。
 まず、最初の方から伺いましょう。我が党を過去に破壊活動を行った団体と認定する根拠はどこにあるのですか。

○石山政府委員 平たい言い方で申し上げますが、破防法が制定されました当時はそのような社会的事情があり、それに共産党が大きくかかわっていたというふうに考え、過去に破壊活動的な暴力活動があったという認定をしているわけでございます。

○不破委員 破防法制定当時といいますと、我が党が分裂していた時期でした。破防法が成立したのは一九五二年で、それで我が党は、一九五〇年から一九五五年まで分裂期でした。分裂した側の一方が、我が党はそのとき極左冒険主義と言って非難していますが、今日の我々にとっても肯定し得ない活動や方針をとったことは確かにあります。しかし、それは分裂した時期の分裂した一方の側の行動、路線であって、党が統一して後に明確に批判され、きっぱり廃棄された問題です。だからそれを今日の、今日といいますか、分裂を克服した後の日本共産党の根拠として扱うのは極めて不当だと思います。
 さらに、それに加えて聞きたいのは、そのことを理由にして日本共産党が破壊活動を行った団体だという認定は、公安調査庁が行ったものですか、それとも公安審査委員会が行ったものですか。

○石山政府委員 御存じのとおり共産党におきましては、昭和二十六年に四全協、五全協という当時の党大会にかわるべき執行部機関による会合が行われて、有名な軍事方針が決定され、それが五全協、六全協へと引き継がれてまいりましたが、六全協でいわゆる極左冒険主義の反省が行われたわけであります。その際に、当時の決定によりますれば、五全協の軍事方針の決定については、一応、極左冒険主義はいかぬけれども、全体としては、これは当時の主流派、反主流派によって十分意見の統一によって行われたものだ、簡単に申し上げますれば、そのような趣旨が行われておりますので、単純な分派活動による一部のはね上がりだけがやったというふうな認定を実は私どもはしておらないわけでございます。

○不破委員 もう少し公安調査庁の長官なら、共産党の文献もそれを専ら研究しているんですから調べてほしいのですが、六全協のどこを調べても、過去の軍事方針については統一したものだからといって肯定したなんという文書はどこにもないですよ。そして、四全協、五全協というのはまさに分裂時代だというのは、中央委員会から排除された現在の宮本議長とか、排除された人々がだれも参加しないでやられた会議ですから、我々は分裂した一方の側の会議だと言っているわけで、それで六全協では、あなたが言うような軍事方針などの言及は全くなしに、それを含めた極左冒険主義をきっぱり廃棄したのが特徴なんです。その点ぐらいは明確に勉強して過去のことについても対処してほしい。
 じゃ、将来のことを聞きましょう。将来、我が党がそういう危険があるとあなた方が考える根拠はどこにあるのですか。

○石山政府委員 昭和三十六年の発表されました党の綱領の中に、いわゆる将来に向けて共産党の指針ともいうべき政治方針が示されておりますが、それと並びまして、その当時いろいろ発表されました党の文献等の中にいわゆる敵の出方論ということがございます。その敵の出方論ということが、いわゆる民主社会主義に基づいてあくまで議会主義を貫いて平和的な革命を行われるという政治志向を持っておられるのか、あるいは時と場所により敵の出方、つまり権力側の出方によっては非平和的な手段にも訴えることがあるのか、この辺が十分に解明できておりませんし、二十年、三十年の問題ではなくて、遠い将来共産党が政権近しと思われる時分になりましたらばどういう方向に出られるかがなお疑念でございますので、調査を継続しているわけでございます。

○不破委員 これは全くこっけいな話でして、敵の出方論というのは、別にあなた方が陰へ行って探さないでも、堂々と我が党の大会の決定に明記されていますよ。
 というのは、我が党が綱領にも書いてあるように、政権につくときは選挙で多数を得て政権につく、大方針です、これは。現在では福岡と埼玉で我々は与党ですけれども、選挙によって与党になったのです。東京でもかつて与党でしたが、選挙に勝って与党になったのです。それと同じように、国の政治でも国会の多数を得て政権につくというのは我が党の綱領に明記した方針です。それに対して、政権についたときにその共産党の入った政権なるがゆえに従わないという勢力が出た場合、そういう勢力がさまざまな暴挙に出た場合、それに対して黙っているわけにはいかない、そういうのは力をもってでも取り締まるのが当たり前だ、これは憲法に基づく政府の当然の権利でしょう。そういうことについて我々は綱領に明記しているわけです。そういうことについて心配だという人がいるならば、私は一つの話を紹介したいと思うのです。
 というのは、共産党がこの綱領をつくった前後ですが、防衛庁に防衛研修所という研修所がありますね。そこの教官がある雑誌に、共産党が政権についたときに自衛隊は国家公務員としてその政権に従う義務があるかないかという問題を、大変興味ある問題ですが取り上げて、やはり国家公務員だから従うべきだという論文を発表したんです。そのときにそれが右翼の攻撃の的になり、自衛隊内部でもさんざん議論の的になり、その右翼が抗議をしてきたのに対して、当時の防衛庁長官は志賀さんでしたが、あなた方の抗議はもっともだ、そういうようなことを言う教官は粛清しましょうということで、教官は左遷されました。それで、同じ雑誌に、当時の防衛研修所の所長が論文を書いて、共産党が入るような政権ができたら自衛隊は従う義務なし、こういうのを書いたんですよ、研修所長の名前で。
 それで、これから先は私自身の経験ですが、私はそのことを一九六九年の二月でしたか、毎日新聞社が主催した各党の安全保障の討論会というのがありました。その安全保障の討論会で、自民党の番のときに、私は宮本議長と一緒に共産党、野党として出たわけですが、その話を出して、一体あなた方は共産党が入る政権ができたら、この論争について、自衛隊は従う義務があると考えるかと、議会制民主主義に立つ政党ならそういうことは従うのが当然のルールだろうという質問をしました。実は、おもしろいことには、その席には防衛庁長官の経験者である船田中さん、江崎さん、西村さん、それからその後で防衛庁長官になった増原さん、四人の防衛庁関係者がおられましたよ。だれ一人として肯定的返事はしませんでした。共産党の入る政権が議会制民主主義のルールについてできても、それについて国家公務員として自衛隊が従う義務があるかどうかという質問に対して、義務があると明確に答えた人は一人もいませんでした。全部が答え返しました。
 そういう事実があるから我々は、我々が堂々と議会制民主主義の常道にのっとった選挙で多数を得て政権をとっても、一部にはその政権に従わないというような不行き届きな者があり得ることをやはり警戒する必要がある。そういう点はちゃんとしっかり警戒をして、それに対して民主主義のルールに従った対処をしようというのが敵の出方論です。
 一体あなた方は、その敵の出方論に基づいて我が党が何かあなた方が懸念する破壊活動なるものを行った例を、あなたが今引用した一九六一年の綱領決定以後にあれだけの調査をやって何か発見したことがありますか。

○石山政府委員 委員仰せのように、昭和三十六年のいわゆる綱領発表以降、共産党は議会制民主主義のもとで党勢の拡大を図るという方向で着々と党勢拡大を遂げられつつあることはお示しのとおりでございます。
 ただ問題は、それは政治的な最終目標であるのかあるいは戦略または戦術の手段であるのかということの問題でございます。私どもはそれらに対しまして、今冷静な立場でもって敵の出方論何かにつきましても調査研究を進めておる段階でございまして、今のところその結果として直ちに公党である共産党に対し規制請求すべき段階に立ち入っているとは思わないから請求もしていないということであります。
 なお、敵の出方論について今御教示を賜りましたが、一つだけ私からも申し上げておきたいことがございます
 御存じのとおり、政権確立した後に不穏分子が反乱的な行動に出て、これを鎮圧するというのは、たとえどなたの政権であろうとも当然に行われるべき治安維持活動でございます。ところが敵の出方論という中には、党の文献等を拝見しておりますると、簡単に申しますと、三つの出方がございます。一つは、民主主義の政権ができる前にこれを抑えようという形で、不穏分子をたたきつけてやろうという問題であります。それから第一には、民主主義政権は一応確立された後に、その不満分子が反乱を起こす場合。三番目は、委員御指摘のような事態であります。
 ですから、それらにつきまして一部をおっしゃっておりますけれども、その全部について敵の出方論があり得るということを私は申し上げておるわけでございます。

○大野委員長〔引用者註:大野明。自民党〕 時間が参りましたので……。

○不破委員 一言だけ。今あなたは我が党が三つの場合に言っていないと言いましたが、一つだけ言っておきましょう。
 これは党の大会の一九七〇年の決定です。「人民の政府ができる以前に、反動勢力が民主主義を暴力的に破壊し、運動の発展に非平和的な障害をつくりだす場合には、」まあチリみたいなことですね。「広範な民主勢力と民主的世論を結集してこのようなファッショ的攻撃を封殺することが当然の課題となる。」これが敵の出方論のこのケースでの具体化だと大会で明記しているのですよ。
 それで結局、だからあなた方が幾らそう言って我が党の破壊活動を探そうとしても、三十六年かかろうが、何千億のお金を使おうが、何千の調査官を動員しようが、何千のスパイイコール協力者を養成しようが、見つかるはずがない。それはあなた方も十分御承知のはずなんです。

○大野委員長 不破君、約束の時間が参りましたので、質疑を打ち切ってください。

○不破委員 それであるにもかかわらず、我が党に対して不当に結社の自由を侵害する、これは絶対許されないということを申し上げて、質問を終わります。

○大野委員長 これにて不破君の質疑は終了しました。


 これは、決着がついたというより、単に不破氏が自己の主張を述べただけではないのか。
 しかも時間切れになっている。

 「敵の出方論」の前に、まず五全協の軍事方針と六全協におけるその評価をめぐるやりとりがある。
 これは非常に重要な点だと思うが、論ずると長くなりそうなので次回に回す。

 「敵の出方論」について、石山公安調査庁長官は、日本共産党の文献等によると、次の三つの出方があると言っている。
1.共産党が参加する民主的政権ができる前にこれを抑えようと叩き付ける場合
2.共産党が参加する民主的政権が一応確立された後に、それに対する不満分子が反乱を起こす場合
3.不破氏が例示した、共産党が参加する民主的政権が成立しても、一部(例えば自衛隊)がそれに従わないという場合

 私には、2と3の違いがよくわからないのだが、これは、反乱を起こす場合と、反乱までには至らないが不服従があった場合の違いということだろうか。

 これに対して不破副議長は、3については自衛隊であれ何であれ政権に従うのは当然であり、1についても、1973年にチリのアジェンデ人民連合政権がピノチェト将軍のクーデターで打倒された例を挙げて、こうした場合には抵抗するのが当然だとしている。
 アジェンデ政権は1970年に既に成立していたのであるから、これは2の場合に当たるはずで、「人民の政府ができる以前に」という例えに用いるのはおかしいと思うが、要は共産党の政権参加を阻止するためのクーデターがあれば、それに暴力をもって抵抗するのは当然だということだろう。

 しかし、1の場合とは、果たしてそうしたクーデターのような事態だけなのだろうか。
 ナチスが国会議事堂放火事件を利用して共産党を弾圧したように、共産党が何らかの事件を口実に、あるいはクーデター計画をでっち上げるなどして、暴力を行使することはないのだろうか。
 共産党が党内反対派に対して行ってきたことを考えれば、あながち根拠のない妄想とも言えないと思うが。

 また、「敵」が暴力的に弾圧してきた場合、暴力をもって抵抗することは正当なのだろうか。
 例えば戦前のように共産党が非合法化されたり、占領期のレッドパージのようなことがあれば、再び武装闘争路線に舞い戻るということなのだろうか。
 かつての西ドイツでは共産党が禁止されていたし、韓国では現在もそうだが、こうした状況下では共産党が武装闘争を行うことが許されると考えているのだろうか。

 そして、暴力には暴力をもって抵抗するのが正当な権利だというなら、何故わが国の共産党以外の国政政党は「敵の出方論」を唱えないのか。
 例えば、自民党が、共産主義者による暴力革命を恐れて、彼らの出方次第では、代議制を停止し、独裁を行い、共産主義者を弾圧すると主張しないのは何故だろうか。
 先般発足した民進党が、自民党が速やかに政権交代に応じず暴力をもって弾圧する場合を想定して、自民党の出方次第では暴力の行使も辞さないと主張しないのは何故だろうか。
 公明党の支持母体である創価学会は、戦前に国家権力により弾圧された歴史をもつ。しかし、公明党が、戦後に武装闘争を行ったり、政権参加に際して「敵の出方論」を唱えたとは聞かない。何故だろうか。
 それは、共産党の理論的支柱であるマルクス・レーニン主義が、元々暴力革命を前提としたものであるからだろう。
 議会で多数派を得ることにより政権を獲得できるのならそれにこしたことはないが、その場合でも将来的には社会主義社会、さらに共産主義社会に移行するのだから、こんにちのような議会制度が永続的に維持されるものではなく、その移行に際しては暴力が必要となる場合も有り得ることを、彼ら自身がよく自覚しているからだろう。
 こんにちのような議会制度を前提とした諸政党とは異質の存在だということだろう。

続く


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