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共産党の破防法調査対象への抗議を読んで思ったこと(中の2) 六全協は軍事方針を否定したか

2016-04-08 08:37:59 | 日本共産党
承前

 前回取りあげた平成元年2月18日の衆議院予算委員会の審議で、日本共産党が破防法の調査対象とされている経緯について、石山陽・公安調査庁長官はこう答弁している。

昭和二十六年に四全協、五全協という当時の党大会にかわるべき執行部機関による会合が行われて、有名な軍事方針が決定され、それが五全協、六全協へと引き継がれてまいりましたが、六全協でいわゆる極左冒険主義の反省が行われたわけであります。その際に、当時の決定によりますれば、五全協の軍事方針の決定については、一応、極左冒険主義はいかぬけれども、全体としては、これは当時の主流派、反主流派によって十分意見の統一によって行われたものだ、簡単に申し上げますれば、そのような趣旨が行われておりますので、単純な分派活動による一部のはね上がりだけがやったというふうな認定を実は私どもはしておらないわけでございます


 これに対して共産党の不破哲三副議長はこう反駁している。

「六全協のどこを調べても、過去の軍事方針については統一したものだからといって肯定したなんという文書はどこにもないですよ。そして、四全協、五全協というのはまさに分裂時代だというのは、中央委員会から排除された現在の宮本議長とか、排除された人々がだれも参加しないでやられた会議ですから、我々は分裂した一方の側の会議だと言っているわけで、それで六全協では、あなたが言うような軍事方針などの言及は全くなしに、それを含めた極左冒険主義をきっぱり廃棄したのが特徴なんです


 不破氏の言うように、六全協での決定には、五全協の軍事方針の決定について「当時の主流派、反主流派によって十分意見の統一によって行われたものだ」といった言及はなかったのだろうか。

 私は六全協の文書を確認してみた。そしてかなり驚いた。

 私はこれまでじかに六全協の文書を読んだことはなかった。しかし、六全協(第6回全国協議会)と言えば、いわゆる50年分裂で所感派と国際派その他に分裂していた日本共産党が再統一した会議だというぐらいの知識はあったし、その際、徳田・野坂ら主流派が進めた武装闘争路線を放棄したものだと理解していた。
 コトバンクで「六全協」を引くと出てくるブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説にも、

共産党が,それまでの極左軍事冒険主義を転換し,今日の先進国型平和革命路線に踏出す,歴史的意味をもつ会議とされる。


とあるし、今回の鈴木議員の質問主意書に対する答弁書が問題にされた頃、twitterで「六全協」を検索してみても、

「共産党って、1955年の六全協の時点で暴力革命を放棄してるよね」
「日本共産党は歴史上「六全協」として知られている1955年の第6回全国協議会で武力闘争路線を放棄して現在に至ってます」
「1955年の六全協までは暴力革命のための山村工作隊や中核自衛隊があったんだよね。で、六全協で平和革命路線に転じたようだけど、公安当局はそうは思っていないという認識のズレ」
「1955年六全協で共産党は武力革命路線を変更。その折り切り捨てたんがニューレフトとなった」

といったツイートが見られたので、そのように理解している方は多いのだと思う。

 ところが、六全協で議長団代表を務めた志賀義雄(1901-1989。徳田球一と共に「獄中十八年」で知られる戦前からの党幹部。50年分裂では国際派に属した。宮本体制確立後の1964年に党を除名され、親ソ連の分派を率いた)の「開会のことば」には、

 「新綱領」〔引用者註:1951年の五全協で決定された51年綱領。軍事方針を規定〕のもつ画期的意義と特徴につきましては、すでに徳田書記長が〔中略〕日本の革命の性格を、従属国の革命とし、民族解放民主革命と規定して、従来の方針の不明確さを一掃したことにある、と指摘しているとおりであり、真にわが党と国民が進みゆくべき道を、かがやかしくてらしだしているものであります。事実、この綱領を手にして以来、まさに三年九カ月、わが党は確信と勇気にみちて、新綱領の実現にむかって、国民大衆とともに、全党をあげて奮闘してきました。〔中略〕
 このようなたたかいと努力の中でわが党が多くの貴重な経験をつみかさね、ある程度の成果をあげてきたことは事実であります。しかしながら、それと同時に、わが党が、その思想的弱さ、理論的低さ、さらにまた経験の浅さのために、幾多の重大なあやまちをおかしてきたこともあきらかな事実であります。そのことは、新綱領がいまだに不十分にしか国民大衆の中にしみとおっておらず、したがって、またわが党と国民の結合がいまだによわく、民族解放民主統一戦線の発展もいまだ遅々たるものであるという冷厳な事実の中に、具体的にあらわれていると思うのであります。
 このような現実を、厳粛に、ありのままに、直視するとき、われわれは今日までのわれわれのたたかいと諸経験を十分に検討し、総括すること、そして、それにもとづいて、よいところは発展させ、あやまちや欠陥は十分に正し、わが党の活動を正確な政治路線と組織路線にのせることは、今後における党と国民のたたかいの発展にとって、きわめて重大な意義をもつものであると考えている次第であります。
 新綱領が採択された当時と今日の国際、国内情勢のあいだには、かなりの変化と発展があり、したがって、わが党が現在の国防、国内情勢の発展の方向にそって、新綱領にもとづいて正確な路線を具体化することは、きわめて重大な意義をもつものであると考えるものであります。〔中略〕これが今回の全国協議会がひらかれるにいたった大きな理由の一つであります。(思想運動研究所編『日本共産党事典(資料編)』全貌社、1978、p.338-339。太字は引用者による。以下同じ)


とあり、武装闘争路線を導いた51年綱領を肯定している。

 そして、協議会の決議「党活動の総括と当面の任務」は、冒頭で、

 新しい綱領〔引用者註:51年綱領〕が採用されてから後に起こったいろいろのできごとと、党の経験は、綱領に示されているすべての規定が、完全に正しいことを実際に証明している
 一九五一年九月に、ソヴェト社会主義共和国同盟・中華人民共和国・インドその他の国家を除いて結ばれたサンフランシスコの単独講和条約の締結と占領制度の形式的な廃止は日本民族の独立を回復しなかった。
 わが国はあいかわらずアメリカ軍の占領下にある。アメリカ帝国主義は、わが国の産業、農業、財政、貿易を管理し統制して、わが国民を搾取し略奪している。


 と、やはり51年綱領を全面的に肯定した上で、次のように続けている。

〔中略〕
 党は、新しい綱領にもとづいて、党の政治的・組織的統一を回復し、同時に、この綱領によって、党を強め、党員の学習を普及し、闘争のなかで鍛えられた労働者出身の新しい幹部を抜擢するようになった。また、スパイ伊藤律を放逐し、党の純化に着手した。
 このようにして、党は、新しい綱領にもとづいて、これまで存在してきた党の混乱と不統一を克服し、党の政治的・組織的統一と団結の基礎をきずき、国民大衆と広く結びつく方向へ歩みはじめた。
 これらの実践は貴重でありまた、積極的な意義をもっている。ここに今後、党のたたかいを発展させる基礎がある。それにもかかわらず、党の当面している重大な任務からみれば、これらの成果はまだきわめて小さい。情勢の発展にくらべれば、党ははるかに立ちおくれている。
 第一にあげなければならない誤りは、党の団結に関する問題である。党は、第五回全国協議会で、新しい綱領を採用した際に、これまでの党の混乱と不統一に終止符を打ち新綱領を認め、党の統一を求めるすべての同志にたいして無条件の支持を与えることを決議した。それにもかかわらず、党中央は、この決議に、きわめて不忠実であったことを、おごそかに認めなければならない。
 そのため、熱心に党綱領を支持し、党への復帰と党の統一を求める多くの誠実な同志たちを、不遇の状態におきざりにした。このことは党中央の重大な責任である。
 第二に重要な問題は、党は戦術上でいくつかの大きな誤りを犯した。これらの誤りは、大衆のなかでの党の権威を傷つけ、また国民のすべての力を、民族解放民主統一戦線に結集する事業に、大きな損害を与えた。誤りのうちもっとも大きなものは極左冒険主義である
 この誤りは、党が国内の政治情勢を評価するにあたって、自分自身の力を過大に評価し、敵の力を過小に評価したことにもとづいている。
 〔中略〕その結果、党はそのおもな力と注意を誤った方向へ向けた。党は革命のための力を結集し、労働者階級の多数を思想的にかくとくし、農村における党の影響を決定的に強め、民族解放民主統一戦線をうち立てるという、革命の勝利のために第一に必要なことをおろそかにした。
 党は、一九五四年以来、情勢にたいする誤った評価をしだいに克服し、国民の要求を支持して、国民の政治的自覚をたかめ、党と国民大衆との結びつきを強め、民主勢力を統一する地道に活動にむかって一歩をふみだした。
〔中略〕
 党中央はすでにこの一月、極左冒険主義的な戦術と闘争形態からはっきり手をきる決意をあきらかにした。党は今日の日本には、まだ切迫した革命的情勢のないことを確認し、広範な大衆を共産党の側に組織するために、民族解放民主統一戦線をきずきあげるために、ますます深く広く大衆のなかへ入り、ねばり強い不屈のたたかいをつづけることをあらためて強調する。
 第三の欠陥は、増大する大衆の不満を新しい綱領の方向にむかって正しく余すところなく組織し、党と大衆との結合をつよめることができなかったことである。それは、党の活動の中に根強く存在しているセクト主義に原因している。党は大衆を組織するにあたって、大衆の要求にもとづいて、それを内部からたかめて行くという方法をとらないで、外部から実情に合わない要求や、高度な政治的要求をおしつける傾向を克服しきってはいない。そのため、党が大衆からうき上がり孤立するという状態をまねいている。
〔中略〕
 以上に述べた誤りと欠陥は、現在、党のもっている主な弱さである。しかもこれらの弱さをもたらした諸条件は、偶然に生じたものではない。革命は数百万大衆によって行なわれる。これに反して革命を安易に考え、革命をせっかちな方法でなしとげようと考えるのは、小ブルジョア的なあせりである。
〔中略〕
 上に述べたような情勢のもとで、わが党の基本方針は依然として新らしい綱領にもとづいて、日本民族の独立と平和を愛する民主日本を実現するために、すべての国民を団結させてたたかうことである。
〔中略〕
 党は当面の情勢のなかで実践すべき闘争を指ししめし、そのたたかいのなかで綱領を具体的に説明宣伝し、それによって大衆を思想的にかくとくしなければならない。
 党の任務は、綱領を実現するために、労働者階級の多数を思想的にかくとくし、階級的統一を行い、農民のなかに党の指導をうちたて、労農同盟をかため、これを基礎にすべての愛国的進歩的勢力を民族解放民主統一戦線に結集することである。そして、わが党を民族の利益を代表してたたかう大衆的な労働者階級の党としてきずきあげることである。
〔中略〕
 いまわが日本共産党は、民族解放民主統一戦線運動を成功にみちびく多くの条件をもっている。国際的な平和勢力が戦争勢力よりも強くなっており、国内では国民大衆の平和と独立への自覚のたかまりがある。党は正しい綱領をもっており、綱領の基礎のうえに、党の隊列の統一と団結はつよまっている。〔中略〕
 わが党がたゆむことなく、マルクス・レーニン主義の理論によって全党を武装し、相互批判と自己批判を正しく行い、あやまちをあらため、欠陥をとりのぞき、集団指導の原則を厳格に守り、党員の積極性を高めるならば、党は遠くない将来に、労働者階級の真の大衆党となることができるであう。そして党は、わが国のすべての健全な進歩的な愛国勢力を民族解放民主統一戦線に結集させることができるであろう。日本共産党第六回全国協議会はここに輝かしい見通しと確信をもって全党の固い団結を宣言する。
    付帯決議
 今後の党活動は、綱領とこの決議にもとづいて指導される。したがって、過去に行われた諸決定のうち、この決議に反するものは廃棄される。
(前掲『日本共産党事典(資料編)』、p.341-359)


 確かに、不破氏の言うように、この決議には「過去の軍事方針については統一したものだからといって肯定した」などとは書かれていない。
 しかし、この決議は、武装闘争路線を導いた51年綱領については、決して否定していない。それどころか、強く肯定している。

 「極左冒険主義」は確かに批判されている。「はっきり手をきる」とされている。
 しかしそれは、第一、第二、第三の大きな誤りのうちの一部でしかない。第二の「戦術上で」の「いくつかの大きな誤り」のうちの「もっとも大きなもの」でしかない。
 戦術上の誤りということは、現実への適用の仕方を誤っただけで、戦略上、つまり綱領の方針そのものは正しいということだ。
 共産主義者や社会主義者によく見られる論法である。

「極左冒険主義をきっぱり廃棄したのが特徴なんです」
と不破氏は誇らしげに語っているが、それは当たり前のことである。
 何故なら、極左冒険主義とは、共産主義者特有の用語だが、要は、客観的な情勢が熟していないのに早まって武装蜂起を行って失敗したことを後から批判したり、あるいはどう見ても失敗しそうな武装闘争路線を批判する際に用いられる言葉だからである。
 批判のための用語であって、「我々は極左冒険主義を実行するぞ!」と叫んで武装闘争を実行する者はいない。
 極左冒険主義を批判したとしても、軍事方針がそのままでは、いつまた武装闘争に転じるか知れたものではない。
 「まだ切迫した革命的情勢のないことを確認」して極左冒険主義から手を切るというのだから、革命的情勢が切迫すれば、再び武装闘争に戻るということだろう。

 もっとも、決議の末尾の「付帯決議」に
「今後の党活動は、綱領とこの決議にもとづいて指導される。したがって、過去に行われた諸決定のうち、この決議に反するものは廃棄される」
とあるから、51年綱領は正しいとしながらも、実際には、それに基づいて出された軍事方針の諸決定は廃棄されるという扱いになったのだろう。
 「分裂した一方の側」の顔を立てた、何ともあいまいな決着ではないか。

 六全協の決議は、確かに「過去の軍事方針については統一したものだからといって肯定し」てはいない。しかし、否定してもいない。否定しているのは「極左冒険主義」などの「戦術上」の誤りにすぎない。
 不破氏はその点をごまかして、六全協で武装闘争路線そのものが否定されたかのように語っている。
 共産党の発言や文章にはよくよく注意が必要だと再認識した。

続く


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