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天皇訪中が「朝貢」だってさ。

2007-07-05 23:52:25 | 珍妙な人々
 渡部昇一が例によって妙ちきりんなことを述べている。
 5日付け『産経新聞』の「正論」欄「中国政府の対日傲慢化の起源」によると、傲慢化の起源とやらは天皇訪中にあるのだそうだ(ウェブ魚拓)。

 渡部は、日本は中国の冊封体制の外にあり、歴史的に中国とは対等だったということを縷々述べた上で、

《ところで宮沢内閣の時、天皇陛下の中国ご訪問を実現させた。これは中国から見ると周辺国の君主の朝貢である。朝貢という言葉を知らない世代のためにあえて品の悪い言葉を使わせてもらえば、サルやカバにおけるマウンティングの儀式である。蒋介石も周恩来も毛沢東も日本を敵視しても軽蔑しなかった。天皇陛下訪中以後、急に江沢民も温家宝日本に対し傲慢になった。日本政府が聖徳太子や秀吉の気概も知識も持たなかったからである。私は小学校のころに聖徳太子と秀吉のシナに対する態度を学校で教えられたというのに。》

と締めくくっている。

 疑問が2つ。
 まず、朝貢とは、本当にそのようなものなのか。
 封ぜられた国王が直々に皇帝に拝謁するのが朝貢か。
 国王の使者が出向くというのはそりゃあるだろう。
 しかし、国王自身が出向いて、皇帝と面談するのなら、それはむしろその国王と皇帝が対等であることを示すのではないか。

 『山川 世界史小辞典』(2004)で「朝貢」をひいてみる。

《旧中国に対する海外諸国の偏務的外交・貿易形態。漢代以降の外国貿易は地大物博を誇る中国が、中国の物資に憧れてくる外国人に施す慈恵という形の下に運用された。中国皇帝から承認された朝貢国は、所定の年度に所定の人数の朝貢使節団(商人を含む)を所定の入国地点(開港場、互市場)を経由して派遣した。朝貢使は入国の港ないし首都で貢物を呈し回賜を受けた。〔後略〕》

 なんで天皇訪中が朝貢なものか。

 次に、渡部は、では天皇は訪中すべきではないと言うのか。
 中国の国家主席は訪日するのに、天皇は訪中してはならないとは、かえって天皇を中国国家主席より上位に置くものではないか。

 1992年の天皇訪中よりだいぶ前の1983年に、胡耀邦党総書記が訪日している。
 また、92年の天皇訪中に先立って、まだ国家主席になる前だが、江沢民党総書記が訪日している。
 渡部の論法で言えば、中国は首脳の外国訪問を朝貢とみなすというのだから、これらの訪日は日本に対する中国の朝貢ということになるのではないか。
 そんなバカな。

 渡部は雑誌『Will』では、同様の論理をさらに押し進めて、宮沢喜一が天皇を中国に売ったなどと述べているらしい。
 ああ、宮沢の死去に合わせた話だったのか。なるほど・・・・・・。
 この雑誌の記事を引用している方がおられたので、参考までにリンクを張っておく
 これによると、渡部は次のように述べている。


《聖徳太子以来、日本はシナと対等の立場を崩したことはありませんでした。その積み上げてきた歴史を一切、葬り去ってしまった。

 諸外国の大統領が来日した時、代わりに各国を訪問するのは日本では首相です。それが対等の立場です。そして、天皇陛下はその上にいらっしゃる。ですから、各国の大統領が来日したとき、天皇陛下の晩餐会に出席すると皆、緊張する。フォード大統領も震えたと言われています。それくら畏敬の念を持っている。

 しかし、宮澤喜一首相が中国をつけあがらせました。そもそも、温家宝は、中国のナンバー3ですから、天皇陛下の晩餐会に呼ぶ必要などない。それを外務省のチャイナスクールが動いて画策したのでしょう。》


 諸外国の大統領と日本の首相が対等だという。そして天皇はその上に位置するのだそうだ。
 ならば、天皇は、大統領や国家主席といった共和国の元首よりも偉いということか。
 君主制国家の国王、皇帝、天皇といった君主に相当するのが、共和制国家の大統領、国家主席、総統といった国家元首なのであり、これらはそれぞれ対等だと思うのだが。
 渡部は、支那と対等な日本ではなく、世界に冠たる日本を望んでいるらしい。

 江沢民や温家宝が、周恩来や胡耀邦に比べて、わが国に対して厳しい言動を行ってきたことは事実だろう。
 また、中華思想が、現代の中国指導部にも影響を及ぼしている可能性もあるだろう。
 だからといって、中国の反日傾向の原因を中華思想に求めたり、天皇訪中を売国的所業と評するのは、およそ現実的だとは思えない。


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