(前回までの記事
靖国神社と新追悼施設に思うこと(上)
靖国神社と新追悼施設に思うこと(中))
そもそも、A級戦犯はどのようにして合祀されたのだろうか。
2006年7月20日、日本経済新聞がいわゆる「富田メモ」を報道した。
私がここで問題にしたいのは、A級戦犯の刑死は1948年であり、サンフランシスコ平和条約の発効は1952年だったのに対し、厚生省が合祀対象であるA級戦犯12人(死刑に処された7人以外に、松岡洋右ら判決前に病死した者、白鳥敏夫ら終身刑中に獄死した者を含む)の祭神名票を靖国神社に送ったのが1966年であること、そしてその合祀を当時の筑波藤麿宮司が保留し、1978年の筑波の死後、後任の宮司に就いた松平永芳によって同年ようやく合祀されるに至ったこと、しかもそれは公表されず、翌年4月の報道でようやく明らかにされたことである。
つまり、合祀については厚生省や靖国神社サイドの恣意的な運用が可能であり、しかも誰が合祀されたかは公表されないということである。
(なお、厚生省と言うと一般の官僚のようだが、合祀事務を担当したのは同省の援護局であり、これは旧陸軍省・海軍省から業務を引き継いだもので、多くの元軍人が在籍していたという)
前々回引用した産経新聞の「【主張】8月15日の靖国 代替施設では慰霊できぬ」は言う。
田中伸尚『靖国の戦後史』(岩波新書、2002)によると、戦前の合祀手続は次のようだったという。
国家による追悼は必要であろう。ならばそれは、国家が管理すればよい。
一宗教法人に過ぎない靖国神社に何でそんな権限があるのか。また、その恣意的な運用に、何故首相や天皇が振り回されなければならないのか。
産経「主張」の理屈を敷衍すると以下のようになるだろう。
靖国神社がいつ、誰をまつろうと、それは一宗教法人である靖国神社の判断であり、国が容喙すべきことではない。しかし、一方で靖国神社は伝統的に国家の追悼施設であった。したがって首相は無条件で靖国神社に参拝すればよいのだ。それを怠るとは国家指導者としての責務を果たしていない。
一宗教法人を政府の上に置くような、ずいぶんと勝手な言いぐさではないか。
(ならば天皇に対しても同じことが言えるはずだが、さすがに天皇にああしろこうしろとは言い難いらしい)
産経が、新たな国立追悼施設の建設のみならず、麻生のような非宗教法人化の主張にも反対するのは、靖国神社が一宗教法人である現状が彼らにとって都合がいいからではないか。
靖国神社に国家による統制が加えられるとなると、これまでのように好き勝手な歴史観を開陳するわけにはいかないだろうからだ。具体的には、村山談話に拘束されるということにもなるだろう。
しかし、それならば靖国神社やその支持者は、私的な立場でいくらでも、アンチ東京裁判史観を訴えるがいい。
一宗教法人としての立場を最大限に利用しつつ、一方で国家機関としての役割を果たしているかのように主張するのはおかしい。
靖国神社と新追悼施設に思うこと(上)
靖国神社と新追悼施設に思うこと(中))
そもそも、A級戦犯はどのようにして合祀されたのだろうか。
2006年7月20日、日本経済新聞がいわゆる「富田メモ」を報道した。
私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが、このメモについては、どこまで昭和天皇の真意を反映したものかわからないとか、果ては昭和天皇の発言ではないのではないかといった愚にもつかない批判があったが、ここではおく。
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と
松平は平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている
だから私 あれ以来参拝していない それが私の心だ
私がここで問題にしたいのは、A級戦犯の刑死は1948年であり、サンフランシスコ平和条約の発効は1952年だったのに対し、厚生省が合祀対象であるA級戦犯12人(死刑に処された7人以外に、松岡洋右ら判決前に病死した者、白鳥敏夫ら終身刑中に獄死した者を含む)の祭神名票を靖国神社に送ったのが1966年であること、そしてその合祀を当時の筑波藤麿宮司が保留し、1978年の筑波の死後、後任の宮司に就いた松平永芳によって同年ようやく合祀されるに至ったこと、しかもそれは公表されず、翌年4月の報道でようやく明らかにされたことである。
つまり、合祀については厚生省や靖国神社サイドの恣意的な運用が可能であり、しかも誰が合祀されたかは公表されないということである。
(なお、厚生省と言うと一般の官僚のようだが、合祀事務を担当したのは同省の援護局であり、これは旧陸軍省・海軍省から業務を引き継いだもので、多くの元軍人が在籍していたという)
前々回引用した産経新聞の「【主張】8月15日の靖国 代替施設では慰霊できぬ」は言う。
首相が国民を代表して、国のために亡くなった人たちを慰霊することは、一国の指導者としての務めである。それはそうだ。だが、靖国神社は国家施設ではない。しかも合祀の経緯は不透明である。
田中伸尚『靖国の戦後史』(岩波新書、2002)によると、戦前の合祀手続は次のようだったという。
戦没者が生じた場合に陸(海)軍省の大臣官房内に高級副官を委員長に、各部将校を委員にした審査委員会が設置され、出先隊長や連帯区司令官からの上申によって個別審査をし、陸海軍大臣から天皇へ「上奏」し、「裁可」を経て、合祀者が決定した。それが官報告示され、合祀祭が執り行われた。国家機関の業務とはかくあるべきだろう。
国家による追悼は必要であろう。ならばそれは、国家が管理すればよい。
一宗教法人に過ぎない靖国神社に何でそんな権限があるのか。また、その恣意的な運用に、何故首相や天皇が振り回されなければならないのか。
産経「主張」の理屈を敷衍すると以下のようになるだろう。
靖国神社がいつ、誰をまつろうと、それは一宗教法人である靖国神社の判断であり、国が容喙すべきことではない。しかし、一方で靖国神社は伝統的に国家の追悼施設であった。したがって首相は無条件で靖国神社に参拝すればよいのだ。それを怠るとは国家指導者としての責務を果たしていない。
一宗教法人を政府の上に置くような、ずいぶんと勝手な言いぐさではないか。
(ならば天皇に対しても同じことが言えるはずだが、さすがに天皇にああしろこうしろとは言い難いらしい)
産経が、新たな国立追悼施設の建設のみならず、麻生のような非宗教法人化の主張にも反対するのは、靖国神社が一宗教法人である現状が彼らにとって都合がいいからではないか。
靖国神社に国家による統制が加えられるとなると、これまでのように好き勝手な歴史観を開陳するわけにはいかないだろうからだ。具体的には、村山談話に拘束されるということにもなるだろう。
しかし、それならば靖国神社やその支持者は、私的な立場でいくらでも、アンチ東京裁判史観を訴えるがいい。
一宗教法人としての立場を最大限に利用しつつ、一方で国家機関としての役割を果たしているかのように主張するのはおかしい。
ヘタな進歩派なんかよりずっと楽しみなタイプですwww