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田原総一朗が拉致被害者を「生きていない」とした根拠

2011-01-29 09:32:21 | マスコミ
 21日の朝日新聞夕刊は、田原総一朗に取材テープの提出を命じた神戸地裁の判断を大阪高裁が取り消したと1面で速報した。
 22日の同紙朝刊は社会面に以下のような詳報を掲載した。

テープ「取材源特定」
 大阪高裁 提出取り消し

 北朝鮮の拉致被害者の有本恵子さんの安否について言及したジャーナリスト田原総一朗氏の発言をめぐる慰謝料請求訴訟で、田原氏の発言の根拠とされた取材テープの提出を必要ないと判断した大阪高裁の安原清蔵裁判長は、決定理由で「テープには取材源の特定につながる情報が含まれている可能性が高い」と指摘した。原告の有本さんの両親側は最高裁などへの不服申し立てをしない方針で、地裁の審理が再開される見通し。 (平賀拓哉、沢木香織)

 田原氏は2009年4月のテレビ朝日の討論番組「朝まで生テレビ!」で、有本さんら拉致被害者について「外務省も生きていないことは分かっている」と発言。有本さんの両親が同7月に慰謝料1千万円を求めて提訴した。

 田原氏側は発言の根拠として、外務省幹部への取材(08年11月)を録音した53分40秒のテープのうち6分42秒間のやりとりを文書にして証拠提出。神戸地裁は昨年10月、田原氏は文書化にあたってテープを引用し、秘密を保持する利益を放棄したとして提出を命じた。

 安原裁判長は、テープが提出されれば音声や言い回しなどで取材源が特定される可能性が高く、外務省幹部もテープが開示されないという前提で取材に応じたと指摘。提出された文書も、田原氏側が取材源の秘匿義務に反しないと判断したテープの文字情報だけが引用されたと述べた。

 さらに06年10月の最高裁判断を踏まえ、取材源の秘匿は職業の秘密にあたり重要な社会的価値があると指摘。取材源特定につながるテープ提出を田原氏が拒むのは公平性を害するとはいえないとし、地裁決定を否定した。田原氏側が出した文書の正確性を確認するには、作成者(田原氏の代理人弁護士)への証人尋問などの方法があるとし、「今回の訴訟で、公正な裁判の実現のためにテープ提出が必要とは認められない」と結論づけた。

 有本夫妻は落胆

 「もし『娘が死んでいる』という前提で(北朝鮮と)交渉している外務省幹部がいたなら問題。幹部がどう発言したかテープを聞いて確認したかった」。神戸地裁のテープ提出命令を取り消した大阪高裁の決定を受け、有本恵子さんの父・明弘さん(82)と母・嘉代子さん(85)は21日、肩を落とした。
 提出を命じた昨年10月の神戸地裁決定を不服として即時抗告した田原氏側に対し、有本さん側は「録音内容の都合のよい部分だけを出し、オリジナル(原本)について検討しなければ公平性を欠き、真実を明らかにできない」と主張したが、高裁は取材源の秘匿の重要性を理由に退けた。
 嘉代子さんは「提訴後に前原外相に面会するなどし、外務省が娘たちのことを生きていると思っていることが確認できた。これ以上、テープ問題で田原氏と争うつもりはなく、発言で心に深い傷を受けたことに対する慰謝料請求訴訟を続けていきたい」と語った。
 田原氏は「大阪高裁が取材源秘匿と表現の自由について的確な判断を下されたことを評価します。私の発言が有本さんご夫妻の心を傷付けたことは申し訳ないと思っています」との談話を出した。



 この事案の詳細がわからないので、テープ提出の是非については何とも言い難いが、取材源の秘匿は強く保護されるべきだというのが裁判官の一般的な感覚だろうとは思っていた。
 だから、神戸地裁がテープの提出を命じたことは意外だったし、その顛末にも注目していた。

 取材源の秘匿を理由に、ジャーナリストがその記述や発言の根拠を一切示さなくてよいということになれば、実質上、ジャーナリストは何でも書きたい放題、言いたい放題が許されるということになってしまう。取材源を捏造して、自らの意見を第三者の者であるかのように装うことも可能なのだから。
 だから、取材源の秘匿にしても、あくまでそれが公開されることによって生じる不利益と、利益とを比較衡量して判断されるべきものだろう。

 しかし、一方で、いわゆる問題発言はオフレコであっても平気で報道し、結局発言者を明らかにして非難するのだから、マスコミというのは勝手なものである。
(小沢一郎の自民党時代の「土下座」発言、福田康夫の内閣官房長官時代の非核三原則見直し発言、鴻池祥肇の内閣官房副長官時代のMDは当たらない発言など)

 なお、大阪高裁の決定後、今日まで朝日新聞は社説でこの問題を取り上げていない。
 昨日の君が代起立訴訟の判決は早々に今日取り上げたのにな。
 ジャーナリストとして優先順位が間違っていないか。

 ところで、上で引用した記事本文に続く「解説」中には次のようにあった。

 田原氏は08年11月、外務省幹部を取材し、拉致被害者の安否について尋ねたやりとりをテープに録音。訴訟で提出した文書では、幹部を「X氏」と表現した。
 田原氏「生きている人はあんな独裁国だから改めて探さなくたってわかってますよね」
 X氏「うーん、まあ、そういうふうに言えるかもしれないんですけれどもね」
 こうした会話などを根拠に、田原氏は「外務省も生きていないことは分かっている」と発言していた。


「うーん、まあ、そういうふうに言えるかもしれないんですけれどもね」

 これって根拠か?

「こうした会話などを根拠に」とあるから、ほかにも田原が「外務省も生きていないことは分かっている」と発言するだけの根拠はあるのだろう。しかし、わざわざ提出したテープの内容が上記のようなものなのなら、その他の根拠にしても推して知るべしということではないか。

 ジャーナリストが、政治家の片言隻句を根拠に、憶測まじりの内容をさももっともらしく報じることがある。
 それは、当たっていることもあれば、外れていることもある。
 そういうものだろう。

 しかし、人間の生死に関わることを 同様の感覚で公言することは好ましくないのではないか。
 ましてや、田原ほどの著名なジャーナリストならなおのこと。

 そして、私なら、

「生きている人はあんな独裁国だから改めて探さなくたってわかってますよね」
「うーん、まあ、そういうふうに言えるかもしれないんですけれどもね」

こんなやりとりを根拠に、「外務省も生きていないことは分かっている」とはとても言えない。
 何故なら、「改めて探さなくったってわかっている」ことは死んでいるということとイコールではないからだ。
 生きているという前提に立ったとしても、「改めて探さなくったってわかっている」とは言い得る。
 生きているか死んでいるかわからないという前提に立ったとしても、同様だ。
 「改めて探さなくったってわかっている」とは、北朝鮮には生死は把握できているという意味にすぎない。

 「外務省も生きていないことは分かっている」とは田原の推測あるいは願望だろう。
 幹部の曖昧な返答を根拠に、それが裏付けられたと勝手に信じ込んでいるだけではないのか。
 そう信じるのは田原の勝手だが、それをテレビで公言したのはやはり不適切だったろう。
 


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2 コメント

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拉致被害者は生きていない (鈴木イチロー)
2014-10-31 20:52:01
残念ながら拉致被害者の生きている確率はゼロに近い。私は北朝鮮に行ったことはないが、北朝鮮に関する出版物は人より読み込んでいるつもりだ。断言してもいいが、あの国が拉致被害者を管理していないことは、絶対に有り得ない。

従って、拉致被害者を「調査する」なんて、欺瞞もいいところだ。北朝鮮が遺骨問題を最優先にするという意味が、詳しく説明しなくても分かるでしょう?大変辛い話だが。

だから、あんな鬼畜国家と妥協するなんて有り得ないわけだ。
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Re:拉致被害者は生きていない (深沢明人)
2014-11-10 12:01:47
 「拉致被害者は生きていない 」ことと「拉致被害者の生きている確率はゼロに近い」ことは違うと思いますが。

 「あの国が拉致被害者を管理していないことは、絶対に有り得ない」それはそのとおりで、何者かが管理しているのでしょうが、その情報が集約されて、何者かが全てを統括しているのかは、何とも言えないのではないでしょうか。
 また、仮にかつては統括されていたとしても、それが現在の金正恩体制の指導部に引き継がれているかどうかは、何とも言えないのではないでしょうか。

 そして、「あの国が拉致被害者を管理していないことは、絶対に有り得ない」ことと、「拉致被害者は生きていない 」とか「拉致被害者の生きている確率はゼロに近い」ということとは、全く別の問題ではないでしょうか。

>北朝鮮が遺骨問題を最優先にするという意味が、詳しく説明しなくても分かるでしょう?大変辛い話だが。

かの国が遺骨問題を最優先にすると主張しているのかどうか私は知りませんが、仮にそうだとしても、それは拉致被害者の生死に関わらず、かの国が主張して当然のことではないのでしょうか。

>だから、あんな鬼畜国家と妥協するなんて有り得ないわけだ。

 何が「だから」なのか全くわからないのですが。
 仮に「拉致被害者は生きていな 」かったら、かの国とは全く妥協すべきではないのでしょうか。
 かの国がどんなに譲歩したとしても、例えば国交正常化に応じるべきではないのでしょうか。
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