2007年1月、第1次安倍内閣の柳沢伯夫厚生労働相が講演で「女性は産む機械」と発言したとされ、マスコミ、野党から激しい攻撃を受けた。
その当時、まだタレント弁護士だった橋下徹が、あるテレビ番組でコメンテーターとして、柳沢の講演全体はこのように要約できるものでは全くない、これは発言の一部を極大化した不当な批判だという趣旨のことを述べていたのを強く記憶している。
それから6年余。橋下もまた同様の立場に立たされるに至った。
発言がどのような文脈でなされたか、発言全体の意図するところは何なのかはどうでもいい。
あたかも、××××という片言隻句が発言の主旨であるかのように取り上げて、騒ぎ立てる。
政治家の失言問題のいつもの構図。
そして、××××の内容が妥当かどうかすらどうでもいい。
とにかく、××××と口にしたことそれ自体がけしからん。
傷ついた、人権感覚がない、公人の資格がない、国益を害する。
何だか、大人流のいじめを見ている気分になる。
日本人の多くは公人をこのような手法で叩くのを好むのかもしれないが、私はこういう風潮は好きじゃない。
私はこうした「問題」発言騒動の際に、しばしば天皇機関説事件を思い出す。
拙ブログの過去記事。
暴力装置? そのとおりだろ
久間防衛相の「原爆投下、しょうがない」発言とその朝日記事について
天皇機関説は、昭和初期には広く知られていた憲法学説であり、何ら問題視されていなかった。
ところが、軍国主義、天皇中心主義の風潮が高まる中、1935年2月に貴族院で菊池武夫議員(陸軍中将)が、美濃部達吉の天皇機関説は国体にもとると攻撃した。同じく貴族院議員であった美濃部は院内でこれに反論した。
当時首相であった岡田啓介海軍大将(のち二・ニ六事件で襲撃され、九死に一生を得る)は、占領時代に刊行された回顧録でこう述べている。
さらに衆議院でも陸軍出身の議員が岡田首相に美濃部の国体観念に誤りなきや否やを問い質し、貴衆両院の議員が機関説排撃の懇談会を開く。
昭和天皇自身は「機関説でいいではないか」と述べていたにもかかわらず、機関説排撃運動は高まった。
陸軍はやがて機関説絶対反対を主張しだすに至った。
憲法学者として美濃部の師である一木喜徳郎・枢密院議長の家に、日本刀を持った右翼青年が暴れ込み、警官に取り押さえられるという事件も起きた。
機関説の内容の是非を問うのではなく、とにかく機関説そのもの、というよりその支持者自体の排除を目的としていた陸軍にとって、美濃部の主張を聞くことなど何の意味もなかったのだろう。
そして政友会は、政府は機関説は国体に反すると明言せよとの国体明徴運動を展開し、民政党も消極的ながら同調した。岡田内閣は美濃部の著書を発禁とし、8月に国体明徴声明を発し、美濃部は9月議員を辞職した。
もちろん、橋下は別に学説を述べたのではない。また、以前の記事でも述べたように、当初の発言にはおかしな点も確かにある。
それでも、発言の全体を捉えず、片言隻句を取り上げて、発言者を絶対悪と見なして排撃する姿勢は、機関説事件と同じようなものだろう。
これでは、橋下が当初述べていた、
こうしたことすら言えなくなってしまう。
ただただ、韓国や米国の主張を、御説ごもっともと拝聴し、わが国だけが悪逆非道の国家だったのだと平伏するしかなくなる。
それでいいのだと主張する者もいる。
わが国はそうした第二次世界大戦の戦勝国側による歴史観を受け入れることにより独立を果たしたのであり、今さら波風を立てるようなことは言うべきではない、それが大人の対応だと。
しかし、戦後何十年もそうした対応を続けてきた結果、わが国を取り巻く情勢は近年どうなっているだろうか。
そして、いや韓国や米国の歴史認識を一方的に受け入れるわけにはいかない、わが国にはわが国の言い分がある、戦後体制は受け入れるにしろ、言うべきことは言うべきだと思う者は、政治的理由により橋下排撃に同調するだけでなく、肯定すべき点は肯定してはどうか。少しでもそうした声を上げるべきではないか。
岡田啓介は回顧録で、政党による国体明徴運動について、「だんだん議会政治否定の方向へ動いていったことを考えると、こういうことで問題を起こすやり方は、かえって政党人が自分の墓穴を掘るような心ないことだったと思う」と述べている。
自民党や民主党は、政友会の轍を踏むべきではない。
私は、右であれ左であれ、韓国であれ米国であれ、これ以上わが国を自由に物が言えない社会にはしてもらいたくない。
その当時、まだタレント弁護士だった橋下徹が、あるテレビ番組でコメンテーターとして、柳沢の講演全体はこのように要約できるものでは全くない、これは発言の一部を極大化した不当な批判だという趣旨のことを述べていたのを強く記憶している。
それから6年余。橋下もまた同様の立場に立たされるに至った。
発言がどのような文脈でなされたか、発言全体の意図するところは何なのかはどうでもいい。
あたかも、××××という片言隻句が発言の主旨であるかのように取り上げて、騒ぎ立てる。
政治家の失言問題のいつもの構図。
そして、××××の内容が妥当かどうかすらどうでもいい。
とにかく、××××と口にしたことそれ自体がけしからん。
傷ついた、人権感覚がない、公人の資格がない、国益を害する。
何だか、大人流のいじめを見ている気分になる。
日本人の多くは公人をこのような手法で叩くのを好むのかもしれないが、私はこういう風潮は好きじゃない。
私はこうした「問題」発言騒動の際に、しばしば天皇機関説事件を思い出す。
拙ブログの過去記事。
暴力装置? そのとおりだろ
久間防衛相の「原爆投下、しょうがない」発言とその朝日記事について
天皇機関説は、昭和初期には広く知られていた憲法学説であり、何ら問題視されていなかった。
ところが、軍国主義、天皇中心主義の風潮が高まる中、1935年2月に貴族院で菊池武夫議員(陸軍中将)が、美濃部達吉の天皇機関説は国体にもとると攻撃した。同じく貴族院議員であった美濃部は院内でこれに反論した。
当時首相であった岡田啓介海軍大将(のち二・ニ六事件で襲撃され、九死に一生を得る)は、占領時代に刊行された回顧録でこう述べている。
美濃部博士は二十五日の貴族院で「これは著書の断片的な一部をとらえて、その前後との関係を考えずになされた攻撃である。わたしは君主主義を否定してはいない。かえって天皇制が日本憲法の原則であることをくりかえし述べている。機関説の生ずるゆえんは、天皇は国家の最高機関として、国家の一切の権利を総覧し、国家のすべての活動は天皇にその最高の源を発するものと考えるところにある」と論じた。
日ごろおとなしい貴族院でも、美濃部博士が降壇したときは拍手が起こるほどだった。わたしもりっぱな演説だ、と思ったが、問題はそれではおさまらなかった。(『岡田啓介回顧録』中公文庫、1987)
さらに衆議院でも陸軍出身の議員が岡田首相に美濃部の国体観念に誤りなきや否やを問い質し、貴衆両院の議員が機関説排撃の懇談会を開く。
この問題の起こったのをいい機会に、あわよくば政府を倒してやろうという政友会側の策動も、そろそろはじまっていたわけだ。それからというものは、いろいろな委員会で、〔中略〕わたしをはじめ後藤内相、小原法相、松田文相、金森法制局長官に対してしつっこく、正気の沙汰とも思えないくらい興奮して質問し、言質をとろうとかかる。(同)
昭和天皇自身は「機関説でいいではないか」と述べていたにもかかわらず、機関説排撃運動は高まった。
陸軍はやがて機関説絶対反対を主張しだすに至った。
こちらが陸軍大臣に期待するところは、軍のそういった動きを押さえてくれることなんだが、林は、その点ではどうにもたよりにならなかった。この問題だけでなく、たいていの場合そうだったが、一ぺん閣議で承知していることを、すぐあとでひっくり返す。陸軍省へ帰ったあとで、電話をよこして、さっき言ったことは取り消す、とこうなんだ。
つまり本人はごく常識的な物わかりのいい人なんだが、閣議で決めたことを部下に話をすると反対される。反対されると、押し切れなくて前言をひるがえすということになったんだろうね。〔中略〕
三月九日の貴族院本会議で林は、「美濃部博士の学説が軍に悪い影響を与えたということはない。ただ用語については心持よく感じていない」といっていたのに、十六日の衆議院では「天皇機関説は今や学者の論争の域を脱して、重大な思想問題になっている。これを機に国体に異見のないようにしなければならない。かかる説は消滅させるように努める」とだんだん態度を変えてきている。この発言は、政府としても思いがけないほど行き過ぎたもので、もしわたしや他の閣僚が、この言葉と食い違うことを言えば閣内不統一になるし、といって陸相を押さえることは困難だし、自然政府の答弁もこれと歩調を合わせなければならなくなって、また一歩押し切られてしまった。外部の気勢もこれで大いにあがった。(同)
憲法学者として美濃部の師である一木喜徳郎・枢密院議長の家に、日本刀を持った右翼青年が暴れ込み、警官に取り押さえられるという事件も起きた。
そうこうしているうちに議会の会期も迫って、とうとう治安維持法改正案や農林関係の重要法案が審議未了のままで閉会してしまった。多数党である政友会を相手にしてのことだから、なんともしようがなかったけれど、このためますます弱体内閣のそしりをうけなければならんことになってしまった。さて、そういった情勢から、政府はなるべくなら美濃部博士の自発的な処置を望んでいたが、博士は「政府の苦しい立場はよくわかるが、自分の学説はなんら恥じるところのないものである。非難はすべて曲解と認識不足にもとづくものだ」という態度だった。
さらに美濃部博士は陸軍方面のおもだったものに会見を申し入れたようだ。論争をしようという気ではなかったらしく、曲解を正そうとする意図から出たものだと思われるが、軍はそれをことわっている。陸軍の言い分は、「信念として天皇機関説に反対であるから、学問上の主張を聞く必要はない」という単純なものであった。(同)
機関説の内容の是非を問うのではなく、とにかく機関説そのもの、というよりその支持者自体の排除を目的としていた陸軍にとって、美濃部の主張を聞くことなど何の意味もなかったのだろう。
そして政友会は、政府は機関説は国体に反すると明言せよとの国体明徴運動を展開し、民政党も消極的ながら同調した。岡田内閣は美濃部の著書を発禁とし、8月に国体明徴声明を発し、美濃部は9月議員を辞職した。
もちろん、橋下は別に学説を述べたのではない。また、以前の記事でも述べたように、当初の発言にはおかしな点も確かにある。
それでも、発言の全体を捉えず、片言隻句を取り上げて、発言者を絶対悪と見なして排撃する姿勢は、機関説事件と同じようなものだろう。
これでは、橋下が当初述べていた、
しかし、なぜ、日本の従軍慰安婦問題だけが世界的に取り上げられるかというと、その当時、慰安婦制度っていうのは世界各国の軍は持っていたんですよ。これはね、いいこととは言いませんけど、当時はそういうもんだったんです。ところが、なぜ欧米の方で、日本のいわゆる慰安婦問題だけが取り上げられたかというと、日本はレイプ国家だと。無理矢理国を挙げてね、強制的に意に反して慰安婦を拉致してですね、そういう職に就職業に付かせたと。
レイプ国家だというところで世界は非難してるんだっていうところを、もっと日本人は世界にどういう風に見られているか認識しなければいけないんです。慰安婦制度が無かったとはいいませんし、軍が管理していたことも間違いないです。ただ、それは当時の世界の状況としては、軍がそういう制度を持っていたのも厳然たる事実です。だってそれはね、朝鮮戦争の時だって、ベトナム戦争だってそういう制度はあったんですから、第二次世界大戦後。
でもなぜ日本のいわゆる従軍慰安婦問題だけが世界的に取り上げられるかというと、日本は軍を使ってね、国家としてレイプをやっていたんだというところがね、ものすごい批判をうけているわけです。
僕はね、その点については、違うところは違うと言っていかなければならないと思いますね。
〔中略〕
それから戦争責任の問題だって敗戦国だから、やっぱり負けたということで受け止めなきゃいけないことはいっぱいありますけど、その当時ね、世界の状況を見てみれば、アメリカだって欧米各国だって、植民地政策をやっていたんです。
だからといって日本国の行為を正当化しませんけれども、世界もそういう状況だったと。そういう中で日本は戦争に踏み切って負けてしまった。そこは戦勝国としてはぜったい日本のね、負けの事実、悪の事実ということは、戦勝国としては絶対に譲れないところだろうし、負けた以上はそこは受け入れなきゃいけないところもあるでしょうけど。
ただ、違うところは違う。世界の状況は植民地政策をやっていて、日本の行動だけが原因ではないかもしれないけれど、第二次世界大戦がひとつの契機としてアジアのいろんな諸国が独立していったというのも事実なんです。そういうこともしっかり言うべきところは言わなきゃいけないけれども、ただ、負けたという事実だったり、世界全体で見て、侵略と植民政策というものが非難されて、アジアの諸国のみなさんに多大な苦痛と損害を与えて、お詫びと反省をしなければいけない。その事実はしっかりと受け止めなけれないけないと思いますね。(SYNODOSによる全文書き起こしから)
こうしたことすら言えなくなってしまう。
ただただ、韓国や米国の主張を、御説ごもっともと拝聴し、わが国だけが悪逆非道の国家だったのだと平伏するしかなくなる。
それでいいのだと主張する者もいる。
わが国はそうした第二次世界大戦の戦勝国側による歴史観を受け入れることにより独立を果たしたのであり、今さら波風を立てるようなことは言うべきではない、それが大人の対応だと。
しかし、戦後何十年もそうした対応を続けてきた結果、わが国を取り巻く情勢は近年どうなっているだろうか。
そして、いや韓国や米国の歴史認識を一方的に受け入れるわけにはいかない、わが国にはわが国の言い分がある、戦後体制は受け入れるにしろ、言うべきことは言うべきだと思う者は、政治的理由により橋下排撃に同調するだけでなく、肯定すべき点は肯定してはどうか。少しでもそうした声を上げるべきではないか。
岡田啓介は回顧録で、政党による国体明徴運動について、「だんだん議会政治否定の方向へ動いていったことを考えると、こういうことで問題を起こすやり方は、かえって政党人が自分の墓穴を掘るような心ないことだったと思う」と述べている。
自民党や民主党は、政友会の轍を踏むべきではない。
私は、右であれ左であれ、韓国であれ米国であれ、これ以上わが国を自由に物が言えない社会にはしてもらいたくない。
機関説ですが、私は良く知りませんが、こちらの記事からすると、政府=権力側が個人の言論を弾圧したみたいですが、橋本さんの場合はちょっと違うと思います。
別に橋本さんの発言は禁止されてもいませんので。テレビだろうが、ネットだろうが、自由に発言できます。今朝もテレビで大いにしゃべってました。単に橋本さんが不用意な発言をしたために、問題になっただけです。その発言に対して、マスコミが批判したからと言って、機関説と同列には見れないと思います。
・・・と言うと、マスコミの権力乱用だと言われそうです。個人に対してならそれも有りでしょうが、橋本さんは政党の代表である公人(権力側)ですので、それは通じません。公人にマスコミのチェック機能が働くのは仕方ありません。
確かに、マスコミ(新聞など)が戦前に戦争助長に国民を誘導してしまったこともありました。しかし、今回の場合は、逆に暴走しそうな公人を批判する記事ですので、それともちょっと違う気がします。後で橋本さんも訂正したように、公人として、少なからず、おかしな言動があったのですから。マスコミに問題があるとしたら、公人をたたくことではなく、戦前のように、間違った道に世論を誘導したり、公人に利用されてしまうことだと思います。
いずれにしても、言論・表現の自由がもっとも大切なことは言うまでもありません。余談ですが、それを阻もうとする自民党の憲法改正案(表現の自由よりも公益を優先する案)には、大反対です。