(前回の記事はこちら)
前回、満洲国建国当時、満洲の住民の大多数は漢民族であったのであり、満洲国が満洲民族の民族国家として成立したかのような主張は虚偽であるという話をした。
しかしそれでも、歴史的にはやはり満洲は支那ではないのだから、中華民国や中華人民共和国に満洲事変を侵略と呼ばれる筋合いはないという見解もあるだろう。
前回も取り上げた渡部昇一編『全文 リットン報告書』の解説で渡部は、オランダとインドネシアの関係を引き合いに出して、インドネシアがオランダから独立したからといってオランダがインドネシアの領土になるわけがない、満洲国と支那の関係もこれと同じであり、漢民族が清朝を倒して中華民国を建国したからといって、その支配が満洲に及ぶという考えはおかしいという趣旨のことを述べている。
オランダはれっきとした本国があり、オランダとインドネシアは純然たる支配・被支配関係にあった。また、インドネシア人がオランダ本国で多数を占めていたわけでは無論ない。
清朝はたしかに満洲民族による王朝だが、満洲が本国で、支那を属国としていたのではない。首都を北京に置き、中華秩序にのっとって諸民族を支配した。
この全く異なる二者を同列視するとは、いかにも渡部らしい詭弁である。
雑誌『諸君!』2006年2月号は「もし中国にああ言われたら――こう言い返せ」という特集を組んだ。その中の「日本は満洲を横取りしたと言われたら」という記事で、宮脇淳子・東京外国語大学非常勤講師(当時)が次のように述べている。
人口がいかに増えても、中国とは言えないのだそうだ。
では、米国をはじめとする南北のアメリカ大陸の諸国家には、何ら正統性はないということになる。
はたまた、わが国における北海道も、もともとは大和民族は居住していなかったのだから、わが国固有の領土とは言えないことになる。
上記のような理屈で満洲事変の侵略性を糊塗しようとする人々は、わが国の周辺諸国が、北海道や沖縄は歴史的に日本領でなかったとして、アイヌや琉球人による傀儡政権を打ち立て、その保護を理由に侵攻するような事態を容認できるのだろうか。
満洲は清の領土であり、辛亥革命後はそれを引き継いだ中華民国の領土となったことは疑いようがない。
中華民国は分裂状態にあり近代国家の体をなしていなかったと言う人がいる。たしかにそうした面はあったにしろ、それは中華民国という国家の枠内での話だろう。満洲を支配していた張作霖にしろその他の軍閥にしろ、中華民国からの独立を宣言していたわけではない。
歴史的に中国でなかったことを理由に、その時点では中国の領土であった土地の領有を否定できるという考えがそもそもおかしいと思う。
もっとも、辛亥革命で敗退した清朝が、満洲に逃げ延びてなおも独立政権を構えて存続したというなら話は別である。
しかし、長い清朝の支配下で満洲民族は漢民族と同化し、民族主義の担い手となるべき満洲民族は既に存在しなかったのは、前回述べたとおりである。
そうした点で、満洲は、今日でも問題になっているチベットやウイグルのケースとは異なる。
それを無視して、歴史的に満洲は中国でなかった、だから満洲事変は侵略ではないなどと臆面もなく言えるのは、80年近くを経て石原完爾らのプロパガンダに未だに乗せられているか、もしくは、そんなことは百も承知の彼らの後継者だからだろう。
前回、満洲国建国当時、満洲の住民の大多数は漢民族であったのであり、満洲国が満洲民族の民族国家として成立したかのような主張は虚偽であるという話をした。
しかしそれでも、歴史的にはやはり満洲は支那ではないのだから、中華民国や中華人民共和国に満洲事変を侵略と呼ばれる筋合いはないという見解もあるだろう。
前回も取り上げた渡部昇一編『全文 リットン報告書』の解説で渡部は、オランダとインドネシアの関係を引き合いに出して、インドネシアがオランダから独立したからといってオランダがインドネシアの領土になるわけがない、満洲国と支那の関係もこれと同じであり、漢民族が清朝を倒して中華民国を建国したからといって、その支配が満洲に及ぶという考えはおかしいという趣旨のことを述べている。
オランダはれっきとした本国があり、オランダとインドネシアは純然たる支配・被支配関係にあった。また、インドネシア人がオランダ本国で多数を占めていたわけでは無論ない。
清朝はたしかに満洲民族による王朝だが、満洲が本国で、支那を属国としていたのではない。首都を北京に置き、中華秩序にのっとって諸民族を支配した。
この全く異なる二者を同列視するとは、いかにも渡部らしい詭弁である。
雑誌『諸君!』2006年2月号は「もし中国にああ言われたら――こう言い返せ」という特集を組んだ。その中の「日本は満洲を横取りしたと言われたら」という記事で、宮脇淳子・東京外国語大学非常勤講師(当時)が次のように述べている。
「そうは言っても、日本人がでていったとき、すでに満洲には何千万人もの漢人農民が住んでいたので、すでに中国だったではないか」という意見がある。これについては、次のように反論しよう。
清朝は、王朝の故郷である満洲と、西隣の蒙古(モンゴル)の地への、漢人の移住を禁止していた。それでも、内地で食べられなくなった貧民は、禁を犯して満洲に流入した。つづいて商人が進出し、焼酎の製造業者や高利貸しなどで蓄財するようになると、清朝は、あとから州や庁をおいて租税を集めるようになった。
国家の保護はないも同然の満洲で、土地の有力者は自警団を組織した。これを「保険隊」という。満洲軍閥の張作霖も保険隊出身で、かれら別名「馬賊」は、「保険区」外では蛮行におよんだ。
一九〇四年日露戦争前の満洲の人口は、百万人とも数百万人とも言われる。一九一一年の辛亥革命のときには千八百万人、満洲国建国時には三千四百万人になっていたが、中国人人口がいかに増えても、満洲人やモンゴル人の土地に漢人農民が流入したのであって、中国政府が統治していた中国という観念は当てはまらない。
人口がいかに増えても、中国とは言えないのだそうだ。
では、米国をはじめとする南北のアメリカ大陸の諸国家には、何ら正統性はないということになる。
はたまた、わが国における北海道も、もともとは大和民族は居住していなかったのだから、わが国固有の領土とは言えないことになる。
上記のような理屈で満洲事変の侵略性を糊塗しようとする人々は、わが国の周辺諸国が、北海道や沖縄は歴史的に日本領でなかったとして、アイヌや琉球人による傀儡政権を打ち立て、その保護を理由に侵攻するような事態を容認できるのだろうか。
満洲は清の領土であり、辛亥革命後はそれを引き継いだ中華民国の領土となったことは疑いようがない。
中華民国は分裂状態にあり近代国家の体をなしていなかったと言う人がいる。たしかにそうした面はあったにしろ、それは中華民国という国家の枠内での話だろう。満洲を支配していた張作霖にしろその他の軍閥にしろ、中華民国からの独立を宣言していたわけではない。
歴史的に中国でなかったことを理由に、その時点では中国の領土であった土地の領有を否定できるという考えがそもそもおかしいと思う。
もっとも、辛亥革命で敗退した清朝が、満洲に逃げ延びてなおも独立政権を構えて存続したというなら話は別である。
しかし、長い清朝の支配下で満洲民族は漢民族と同化し、民族主義の担い手となるべき満洲民族は既に存在しなかったのは、前回述べたとおりである。
そうした点で、満洲は、今日でも問題になっているチベットやウイグルのケースとは異なる。
それを無視して、歴史的に満洲は中国でなかった、だから満洲事変は侵略ではないなどと臆面もなく言えるのは、80年近くを経て石原完爾らのプロパガンダに未だに乗せられているか、もしくは、そんなことは百も承知の彼らの後継者だからだろう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E4%BA%BA%E6%B0%91%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD#.E6.B0.91.E6.97.8F
によると、現在の満族は人口1000万人で、中国の少数民族では2番目だ。漢民族より人口は少ないが、「満洲民族は既に存在しなかった」ということはない。
満洲国は、「五族協和」(日本人、漢人、朝鮮人、満洲人、蒙古人)を掲げていたのであり、「満洲国が満洲民族の民族国家として成立したかのような主張」をしていたのではない。ありもしない主張を批判するのはナンセンス。
この「五族協和」は、中華民国の「五族共和」(漢、満州、蒙古、イスラム、チベット)の民族を入れ替えた物であり、中華民国も満洲人の存在をはっきり意識していたのは明白である。
ウィキペディア「五族共和」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E6%97%8F%E5%85%B1%E5%92%8C
>満洲国は、「五族協和」(日本人、漢人、朝鮮人、満洲人、蒙古人)を掲げていたのであり、「満洲国が満洲民族の民族国家として成立したかのような主張」をしていたのではない。
>この「五族協和」は、中華民国の「五族共和」(漢、満州、蒙古、イスラム、チベット)の民族を入れ替えた物であり、中華民国も満洲人の存在をはっきり意識していたのは明白である。
おっしゃるとおりです。
私は、満洲国自体が、「満洲国が満洲民族の民族国家として成立したかのような主張」をしていたと言っているのではありません。今日のわが国において、満洲国の実態を知らずに、そのような主張をしている者がいると言っているのです。
例えば、本記事の前編に当たる「満洲事変は侵略ではないのか(1) 満洲は中国でないか(前)」
http://blog.goo.ne.jp/GB3616125/e/69c73940b291f431dfc825a27dd0c494
で取り上げた、無宗ださんという方の「日本は侵略国家であったのか」という記事
http://blogs.yahoo.co.jp/musyu2005/55714014.html
のコメント欄において、馬太郎さんという方が次のように述べています。
>でもさ、たとえば侵略っていうけれど、清国って
満州民族が漢民族を侵略していた国なんだよね。
〔中略〕
満州国はその中国から満州民族を故郷に帰したわけだ。
現在、その中国が満州もモンゴルもチベットも侵略しているがな(汗)。
私が批判しているのはこういう主張であって、決して「ありもしない主張を批判」しているのではありません。
なお、ウィキペディアの「満州民族」の項目には、次のような記述があります。
>満族の人々の間では、現在はごく少数の老人を除いて満州語を話す者はほとんどおらず、伝統宗教のシャーマニズムの信仰もほとんど残っていない。このような状況から、満州民族は、言語的・文化的に中国社会に同化され、失われつつある先住民族であるとも見なされうる。1980年代以降は政府の少数民族優遇政策から積極的に民族籍を満族に改めようとする動きがあって、満族の人口は10年あまりのうちに3.5倍以上に増加しているが、これは満族になる事で少数民族として優遇措置の恩恵を受けようとする人が多いためといわれており、満州語を学習しようとする人が増加している訳ではない。
少数民族で2番目、人口1000万という点についても、割り引いて考える必要があるのではないでしょうか。