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『真相箱』を論じた2つの本

2011-02-06 01:51:04 | 日本近現代史
 以前、古本市で、次の本を見つけた。



 聯合国最高司令部民間情報教育局編『真相箱 太平洋戦争の政治・外交・陸海空戦の真相』(コズモ出版社、1946)

 あっ、これは!

 たまたま、その少し前に、この本を論じた2つの本があることを知り、気になっていた。



 櫻井よしこ『GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く』(小学館文庫、2002)と、



 保阪正康『日本解体 『真相箱』に見るアメリカGHQの洗脳工作』(扶桑社文庫、2004)。

 櫻井の本は文庫書き下ろし。
 保阪の本は2003年に単行本が扶桑社から出ており、その文庫化。
 時期的には櫻井の本が先行しているが、保阪の本がその二番煎じを意図したものなのかどうかはよくわからない(保阪の本には、櫻井のことは触れられていない)。

 『真相箱』は、占領期にGHQが制作したラジオ番組「真相箱」の第1回から第20回を収録したもの。国民から寄せられた太平洋戦争に関する「真相」を求める声に回答するという体裁となっている。
 占領当初に「真相はこうだ」という同種の番組が放送されたことは有名だが、その続編に当たる。

 これはいいタイミングで見つけたものだ。
 そう思って、まず古本市で『真相箱』を購入し、次いで、読み比べるため、櫻井と保阪の本も通販で注文した。

 届いた櫻井の本の現物を見て、しまったと思った。
 保坂の本は、普通に『真相箱』の内容やその背景などを論評したものだが、櫻井の本は、櫻井自身の筆によるのはごく一部で、多くは『真相箱』それ自体の内容に割かれている。
 『真相箱』自体を復刊したものに、櫻井によるいくつかの解説が付けられているというかたちだ。
 したがって、『真相箱』の内容を確認するだけなら、わざわざ古本を買わずとも、櫻井の本で足りるのだ。

 もっとも、古本には当時の時代の肌触りみたいなものを感じさせてくれる良さもあるのだが。

 櫻井と保阪の本を読み比べると、『真相箱』をGHQの洗脳工作として批判する点は共通しているが、その手法はかなり異なる。
 保坂は、『真相箱』中の個々の記述を具体的に挙げ、その真偽やGHQの意図を論評しているが、櫻井による解説は、総論的な冒頭の「戦後日本は、この言論検閲から始まった」と、『真相箱』文中のいくつかのテーマについて付されているのみである。そしてその内容は、必ずしも『真相箱』の内容自体に即しておらず、単に洗脳工作として『真相箱』自体を全否定することにやっきになっているという印象を受けた。

 一例として、『真相箱』の冒頭の質問と回答を挙げてみる。
(『真相箱』の現物は旧字、旧仮名遣いが用いられているが、入力の便宜上現代のものに改めた。また難読字には適宜カッコ書きで読みを記した)

   台湾・樺太・朝鮮の領有

 我が国が台湾、樺太、朝鮮を領有したのは日清、日露両戦役で、所謂侵略によってこれを奪い取ったものであるという解釈について御説明下さい。

 我が国が台湾を獲得したのは、日清戦争後、明治二十八年四月十七日に調印された下関条約により、日本が支那から譲渡を受けた結果によるものであります。この条約ではまた日本の澎湖島領有と、朝鮮の独立が承認せられたのであります。
 次いで日露戦争が終了するや、明治三十八年八月二十九日アメリカ合衆国ニュー・ハムプシア州ポーツマスで調印を見ました、所謂ポーツマス条約により、日本は樺太島の南半分を獲得致しました。この条約によりまた日本は、朝鮮における「永久的な政治、軍事、経済上の支配権」を獲得致しました。
 このポーツマス条約に従い、諸外国ではそれぞれ京城においていた公使を引き揚げて、これを領事に代え、一方日本政府では、伊藤公爵を統監に任じて同地に送りました。
 当時の朝鮮の実情、並びに日本が同国を併合するに至った経路については、大英百科辞典に次の如く述べられております。即ちその結果として
 法律、警察、教育、租税、通貨を含む極めて広汎なる改革が実施せられた……統監は事実上総督の地位を占め、立法並びに行政権に加え、官吏の任免権及び日本人を採用する権限を有するに至った。伊藤公は当時、経費の不足並びに無益の費用を理由として、常備軍の解散を行うべきものと期待したが、これに対しては軍部側から猛烈な反対が起こり、一部の軍人は、その後二年に亙り暴動を指揮したのであった。伊藤公の提議した諸改革なるものは、一見頗(すこぶ)る独創的なるものと思われる。しかしながらそれは、或る程度強権を以て実行せられたものであり、朝鮮人にとっては決して喜ぶべきものではなかった。……その後日本政府の態度は、次第に苛酷を加え、暴動に対しては夥(おびただ)しい人命を犠牲にしてこれを鎮圧した。かくて間もなく日韓併合が決定され、ここに明治四十三年の勅語により、正式に朝鮮は日本の領土となったのである。


 普通にこれを一読して気付くのは、問いと答えが合致していないことだろう。
 「所謂侵略によってこれを奪い取ったものであるという解釈について」説明を求めているのに、侵略なのかそうでないのかについての説明はない。
 回答文の前半はほぼ歴史的事実を説明している。また後半も、おびただしい人命を犠牲にして暴動を鎮圧し併合を強行したかのように記しているものの、伊藤博文が統監として改革を行ったことにも触れており、必ずしも一方的にわが国を糾弾する内容ではない。また台湾と樺太の実情についての記述もない。

 しかし、櫻井は、この箇所に次のような解説を付している。

『真相箱』の冒頭に記されたこの設問を読んで直ちに連想したのが、すでに消滅した日本社会党の歴史観だった。日本の戦った戦争は、日清・日露戦争も含めて全ては侵略戦争だったとする歴史観である。
「全て日本が悪かった」「日本は全て間違っていた」とする見方を日本国民に植え付けようとする米国占領軍の意図が明確に表現されているのが、この設問である。したがって、ここでは設問に対する回答よりも、むしろ、日清・日露両戦役を「所謂侵略」と定義したこと自体が重い欺きの意味をもつ。
 日清戦争も日露戦争も、一九世紀末から二〇世紀初頭にかけての国際社会の価値観から外れる戦いではなかった。
 まず日清戦争(一八九四~九五年)を当時の国際社会がどう見ていたかを名著『蹇蹇録』で見てみよう。同書は専門家から第一級の資料と評価されるもので、外相陸奥宗光による日清戦争についての回想録である。


 以下、『蹇蹇録』を引き、いかに日清戦争が侵略戦争でなかったかの説明が続く。
 続いて、日露戦争もまた同様であることが、いくつかの資料を基に語られる。

 この「解説」は、『真相箱』の本文自体が2ページ半であるのに、延々7ページに及ぶ長文である。
 しかしそこに、『真相箱』の回答文の内容についての言及は全くない。ただ、「日清・日露両戦役を「所謂侵略」と定義した」ことへの批判があるのみである。
 それは、内容を検証すれば、
「「全て日本が悪かった」「日本は全て間違っていた」とする見方を日本国民に植え付けようとする米国占領軍の意図」
なる櫻井の前提が崩れてしまうからではないだろうか。

 この『真相箱』冒頭の質問と回答からは、もっと異なった解釈が可能なはずである。
 保阪は、この質問と回答について、こう述べている。

大英百科辞典のところまで全部事実である。それでこれは客観的事実で、どこにも間違いがない。この通りである。もっとも、細かいことをいうと、必ずしもこうではないといういい方もできるが、しかし見事なほどよくまとめている。
 しかし、問題はそのあとなのである。「当時の朝鮮の実情、並びに日本が同国を併合するに至った経路については」と、答えを留保する。GHQの言語では言わないわけだ。その代わり、大英百科辞典というのを出してくる。
〔中略〕
 ここに書いてある大英百科辞典を引用するという、GHQの発想には二つの要因がすぐに考えられる。私たちが言っているわけでありませんよということと、西欧先進国というのはこのころの日本について、こういうふうに理解していたんだよということを示して巧みに説得する。もう一つ、日本の質問が「侵略といわれてるんですけど、私たちの解釈はおかしいんじゃないですか」とある。本来なら、これにアメリカは答えなきゃいけない。アメリカ自身で、自分の言葉で答えなければいけない。GHQは、お前たちの國が行なったことは侵略で、われわれの占領とは違う、われわれの行なう占領政策とお前たちの植民地支配と、どこがどう違うかという説明をすべきである。この設問が日本人から来たように見せて、大英百科辞典を選んで記述するというのは、『真相箱』の本質をよく示しているといえるだろう。


 そして、大英百科辞典の内容とされる「法律、警察、教育、租税、通貨を含む極めて広汎なる改革が・・・・・・」以下の部分を引用した上で、こう評する。

 このこと自体に、日本人を説得するためだろうが、侵略であるとか、侵略でないということは一切表現されていない。侵略についてどうかというのを問うたのに答えていない。日清・日露戦争後の政策、これについては一言も侵略という言葉を使っていない。そこまでの日本は間違っていなかったと暗に示している。伊藤博文はわりに真っ当な統治をしようとしたのだが、軍人が悪かったという見方を大英百科辞典は言っている、と答えている。つまりは、アメリカは自分たちの解釈を正当化するために、できるだけ大英百科辞典を楯にしておこうと判断したのだろう。
 それでいってみれば、ある時期までの日本は間違っていなかったということ、侵略という生身の言葉を使っていないこと、そしてもう一つは軍人が悪かったという、三つの方向性が出ている。そういう意味でいうと、『真相箱』というのは、日本人のウィークポイントはどこにあるかわかったというか、これで押していったほうがいいと、GHQが解釈した上に構成されたと思われる。


 私は、この保阪の論評の方に説得力を覚える。

 もう一点挙げておく。

   天皇陛下と真珠湾攻撃

 真珠湾攻撃隊についてお話し下さい。何日何処から出撃したのでしょうか。また天皇陛下は真珠湾攻撃計画を御承知だったのですか。
 

 この質問に対する『真相箱』の回答文中に示される真珠湾攻撃への経緯については、多数の誤りが見受けられるが、その中に次のような一文がある。

 アメリカの或る輿論に反し、十一月二十六日の国務長官ハルの最後通牒は、日本の決定的な攻撃計画には何等及ぼすところがなかったのであります。


 これについて、櫻井が解説で次のように噛みついている。

 ハル・ノートは日本の決定的な攻撃計画にはなんの影響もなかったと、『真相箱』は主張する。ここまで主張するGHQの厚顔無恥とその厚顔の占領軍の価値観が、戦後の日本を席巻したのだ。
 すでに指摘していたように、日本は「これ以上の武力進出を行わず、仏印からも撤兵する」と米国に対して申し入れていた。それへの回答がハル・ノートだった。繰り返しになるが、ハル・ノートは、それ以前の日米交渉には全く登場しなかった条件を新たに加えてきた強硬な内容だ。日本側が受け入れられない内容であり、まさに日本が拒絶し、戦争を始めてくれることが米国の狙いだった。日本への挑発以外のなにものでもなかったのだ。
 戦後、米国は勝者として、恥じることもなく歴史を変え、事実を反転させるべく、あらゆる手法を使ったことが、この事例からも見えてくる。


 しかし、以前私も指摘したことがあるが、11月5日の御前会議で決定された「帝国国策要領」により、12月1日午前0時までに対米交渉が成功しなければ、12月初旬には対米英蘭戦を開始する手はずとなっていた。
 真珠湾攻撃を行う機動部隊は、「ハル・ノート」到着当日に択捉島の単冠湾を出撃したという。

 「ハルの最後通牒は、日本の決定的な攻撃計画には何等及ぼすところがなかった」とする『真相箱』の記述は、事実関係に照らして別に誤りではないだろう。
 そして、櫻井が言うように、そうした見方が果たして戦後日本を席巻してきただろうか?
 むしろ語られてきたのは、「ハル・ノート」こそが日米開戦の元凶であるという主張ではないだろうか。

 なお、保阪の本には、回答文中のいくつかの誤りについての指摘やGHQの思惑についての記述はあるが、「ハル・ノート」の箇所についての言及はない。
 一方櫻井の本には、回答文中のいくつかの誤りについての指摘はない。昭和天皇が避戦論者であったと主張しているが、回答文も昭和天皇が積極的な開戦論者だったと述べているわけではないので、これまた噛み合っていない。

 前述のように、『真相箱』の本文そのものが載っているという点では櫻井の本は有用だが、その内容をどう評価するかという点では、保阪の本に比べると有益とは思えない。

 櫻井には『日本よ、「歴史力」を磨け』と題する著作があるようだが、彼女の言う「歴史力」とは何なのだろうか。
 「歴史力」という言葉がふさわしいかどうかは別として 私も、日本人は自国の歴史を知るべきだと思う。
 そして、GHQから押しつけられた歴史観ではなく、自前のそれを持つべきだとも思う。
 しかし、それはもちろん 事実に基づくものでなければならないだろう。
 櫻井の言う「歴史力」とは、まず「○○は××である」という大前提があって、それを補強する説を都合良く探し出してくる能力を指すのではないかと思えてしまう。
 田中正明や阿羅健一のような偏った論者に依拠するようでは。

 彼女のジャーナリストとしての業績はよく知らないが、近現代史に関する諸発言には大いに問題がありそうだ。

 なお、『真相箱』だけがGHQの洗脳工作ではないという点にも留意すべきだろう。
 ラジオ番組「真相箱」は占領期の一時期に放送されたものにすぎない。それのみをもって、GHQが望んだ日本人像はこうだったと安易に断じてはならないだろう。
 「真相箱」の前身「真相はこうだ」は、もっと洗脳色が強かったようである。その最終回の内容は櫻井の本に詳しい。

(書籍『真相箱』の「真」は正しくは「眞」の字だが、便宜上「真」に統一した)

(関連記事「海軍は太平洋戦争に反対したか」)


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2 コメント

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二冊を読んで (阿部賢一)
2013-01-30 14:52:18
櫻井本を読んですぐ次に保阪本を読みました。
貴コメントに同感です。
続いて江藤淳本を読む予定です。
櫻井さんの解説を読んで、どうもこの人は視野が狭い、結論が先にある、という感じで、どうも表面的で考えが浅いと感じました。
これに対して、保阪さんは、日本人の主体性を問うことを主張しました。私はこれには共感します。
我々日本人一人一人が昭和初期からの日本の取った行動についてしっかりと振り返り、総括して、未来へのしっかりした展望を持つべきだと思います。
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Re:二冊を読んで (深沢明人)
2013-01-31 00:20:22
>我々日本人一人一人が昭和初期からの日本の取った行動についてしっかりと振り返り、総括して、未来へのしっかりした展望を持つべきだと思います。

一人一人が……というのはなかなか大変なことだと思いますが、昭和戦前期のわが国の行動が結果的に現代のわが国を未だに規定しているのですから、やはり、できるだけそうあってほしいものだと思います。
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