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危険運転致死傷罪について思うこと(3)

2008-02-02 13:17:20 | 事件・犯罪・裁判・司法
承前

 今回の判決に際し、危険運転による事故を重く処罰するだけでは十分でない、飲酒運転をして事故を起こした場合に全て加重的に処罰するという、飲酒運転致死傷罪とでも言うべき罪を新設せよとの主張が見られた

 また、昨年12月20日の『産経新聞』の「主張」(ウェブ魚拓)は、

《今回の裁判も、飲酒運転に危険運転罪を適用するためのハードルが高すぎることを浮き彫りにした。
 同罪は事故当時、運転できないほど酒に酔っていたことを立証しなければならず、施行当時から現場の警察側では、立証要件が厳しすぎるという問題点が指摘されていた。
 飲酒運転を厳正に処罰する目的の法律が、法体系の厳格化で生かされないという矛盾が出ており、早急に同罪の改正に着手すべきである。》

《これほど明確な危険運転による痛ましい事故はないというのが、社会一般の常識的見方ではないか。》

としている。ではどの程度の要件を想定しているのかは明らかでないが、趣旨としては上記の主張と同様のものだろう。

 今回の判決のように、危険運転致死傷罪の要件が厳しすぎると感じられる事例が生じると、そういう反応が出ても不思議はない。
 しかし、飲酒運転を一律に非飲酒運転より重く処罰することは、果たして妥当だろうか。
 たしかに、飲酒運転をすれば、事故を起こす確率は高まるだろう。
 そして、飲酒は自由意思で行うものだから、飲酒が事故の原因であるなら、その責めは本人が負うべきだろう。
 しかし、その事故が飲酒の影響により起こったということは、どのように証明するのだろうか。
 今回の判決では、事故の原因は脇見にあるとされている。飲酒の影響で、脇見が長時間に及び、事故を起こすことになったのかもしれない。
 しかし、そうでないかもしれない。飲酒しようがしまいが、脇見の時間は変わらず、同じように事故が起きていたかもしれない。それを証明することは極めて困難だ。
 前回紹介したように、危険運転致死傷罪の要件が厳しく限定されているのは、要はそういう考えによるのだろう。
 蛇行運転のように、正常な運転でないことが明らかであれば、当然飲酒の影響があったことが推認できる。だから、飲酒という行為の責任を問うことができる。
 しかし、今回のように飲酒の影響が明白でない事案についてまで、危険運転致死傷罪を適用すべきではないということだろう。前回紹介したとおり、それが立法者の意思にも沿っている。法治主義、証拠裁判主義という点から見て、極めて妥当な判決だと私は思う。

 飲酒が事故に影響を及ぼした証明があろうがなかろうが、違法行為である飲酒運転をして、幼児3人死亡という重大な結果をもたらした以上、犯人は厳罰に処されるべきだ、そのためには危険運転位死傷罪の適用をためらうべきではないというのも、1つの考え方ではあるだろう。
 あるいは、飲酒運転は「危険運転」に決まっているではないか、飲酒が「正常な運転が困難な状態」に当たらないはずはないだろうといった素朴な疑問も有り得るだろう。
 朝日社説は、今回の判決が「普通の人の常識に反していないだろうか」、裁判は「国民の常識からかけはなれたものであってはならない」と説く。
 昔、私の母親が、凶悪事件の裁判の報道に触れて、「そもそも悪いことをした人を何故弁護してやらなきやいけないのか、わからない」と言っていたことが印象に残っている。
 あるいは、先に挙げた飲酒運転致死傷罪の新設を唱えている人は、ひき逃げに殺人罪を適用せよとの主張に賛意を表明している
 普通の人の感覚とは、概してこのようなものだろう。
 それに実際の裁判を極力近づけるのが、裁判員制度などの司法改革が目指すものなのだろうか?
 私は、そうではないと思う。それでは、前近代に後戻りすることになってしまう。
 何故刑事裁判で被告人に弁護士を付けなければならないのか、何故ひき逃げに殺人罪を適用できないのかを、懇切丁寧にわかりやすく説かれたならば、それを理解できない「普通の人」はほとんどいないだろう。ただ、そのプロセスに触れることなく、結論だけを押しつけられているから、それに違和感を覚えるという車態が生じているのだと思う。
 司法への国民参加というものは、だから、単に「普通の人」の感覚を司法に反映させるというだけでなく、むしろ、司法の現実を国民に広く理解してもらい、国民の法意識の向上を図るというところに大きな意義があるのではないだろうか。

 話を戻すが、飲酒運転致死傷罪を新設すべきという主張に対しては、飲酒運転自体を減らす効果があるかどうかという点からも疑問がある。
 というのは、飲酒運転して事故を起こす人物は、事故を起こすつもりで、あるいは事故が起こってもかまわないというつもりで、飲酒運転をしているのではないからだ。
 自分だけは大丈夫という根拠のない確信を持ち、さらにおそらくは幾度も大丈夫だったという経験が、飲酒運転に踏み切らせるのだろう。
 だから、飲酒運転で事故を起こした者を厳罰に処すだけでは十分ではない。また、かえってひき逃げを助長するという批判もある。
 厳罰化するなら、飲酒運転自体が道路交通法で禁じられているのだから、むしろその罰則を強化する方がはるかに効果的ではないだろうか。
 昨年9月に道路交通法が改正され、飲酒運転やひき逃げの罰則が強化された(こちらのサイトにわかりやすい対比が載っている)。
 しかし、まだ罰金刑が選択できるようになっている。例えば、これを廃止して、懲役刑のみにしてはどうだろう。
 そんなことをすれば、少なくとも一時的には刑務所が満杯になり、他の犯罪者の処遇にも支障が出るかもしれない。収容されている間、経済や社会の様々な分野に影響が出ることだろう。
 それに、飲酒運転は確かに危険な行為だが、しかし結果的には事故を起こしていないものを、それほどまでに重く処罰するのはどうか、他の犯罪のバランスからいってどうなのかといった反対の声も上がることだろう。
 私もそう思う。ただ、飲酒運転撲滅などということを本気で実現したいなら、飲酒運転致死傷罪の新設よりは、こちらの方がより効果的だろう。

 9日の『毎日新聞』の記事によると、罰則強化により、危険運転致死傷罪との溝はかなり埋められたという(ウェブ魚拓)。
 飲酒運転に対する社会の見方は明らかに厳しくなっているのだし、まずはこの罰則強化の効果を見定める必要があるのではないだろうか。特異な事例にとらわれて拙速にさらなる厳罰化を求めるべきではないと思う。


(付記)
 念のために書きますが、私は飲酒運転は懲役刑のみにすべきだと主張しているのではありません。事故を起こした際の厳罰化を声高に唱えるなら、飲酒運転自体の厳罰化に目を向けるべきではないかと主張しているだけです。


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