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在日の希望者に日本国籍を付与?

2008-02-24 01:03:39 | 現代日本政治
 先月、篠原静流氏のブログ[憲法改正社」で、自民党の「国籍問題に関するプロジェクトチーム」が、在日韓国・朝鮮・台湾人の特別永住者が日本国籍を「届出制」で取得できるようにするという法案を今国会に提出する方針を決めたというニュースを知った。
 あちらのコメント欄にも書いたが、この法案には大いに疑問がある。

 戦後、わが国が韓国・朝鮮・台湾人から本人の意思に関わらず日本国籍を取り上げたのは不当であるという主張をしばしば聞く。
 例えば、伊東順子『病としての韓国ナショナリズム』(洋泉社新書、2001)という本がある。ソウル在住11年に及ぶ日本人ジャーナリストが、韓国人のナショナリズムを批判的に論じた体験的韓国論だ。その後ブームになった『嫌韓流』のような韓国批判とは違い、この著者の場合はどちらかというと親韓派なのだが、それでも韓国人のナショナリズムには辟易するといった内容の、異色の韓国批判だったと記憶している(朝鮮日報でも紹介されている)。
 しかし、この著者にして、在日については、そもそも国籍選択権を与えなかったのがボタンの掛け違いだという趣旨のことを述べていた。
 そうだろうか。
 では当時、国籍選択権を与えるべきだったのだろうか。
 それは果たして現実的な選択肢として有り得たのだろうか。

 「救う会」会長の佐藤勝巳は、かつて日本共産党員であり、日共と北朝鮮が友好関係にあった時期には帰国運動に携わり、その後日本朝鮮研究所(現代コリア研究所の前身)に拠って在日韓国・朝鮮人への差別反対を訴えたが、のちに在日の「運動」に批判的な立場に転じた人物だ。
 その佐藤は、著書『在日韓国・朝鮮人に問う』(亜紀書房、1991)で次のように述べている。

《一九五二年四月サンフランシスコ講和条約発効と同時に、日本政府は、在日朝鮮人がそれまで所有していたとされる日本国籍離脱の通達をおこなった。その際国籍選択の自由を認めなかったことが不当だと主張する人に、金敬得弁護士をはじめとする多くの在日韓国人、それに同意を示す大沼保昭東大教授、田中宏愛知県立大教授、高木健一弁護士などがいる。》(p.177)

 そして佐藤は、1949年に駐日韓国代表部がマッカーサーに対し、韓国人は日韓併合を認めていないから韓国籍は失っておらず、仮に日本国籍があったとしてもそれは二重国籍であり日本の敗戦により消滅した、国籍選択権を云々することは不当な見解であると主張していることを挙げ、さらに

《これだけではない。当時の在日韓国・朝鮮人で「われわれに国籍選択の自由を」などといっていた人を知らない。逆に当時、日本政府の在日韓国・朝鮮人が日本国籍を有するとの見解に抗議する人たちがほとんどであった。「在日朝鮮人は対日講和条約の発効によって日本国籍を喪失するものとされたが、このことについて在日朝鮮人から批判・非難はまったく起こらなかった」(日本女子大学紀要、文学部、第三三号、加藤晴子「在日朝鮮人の処遇政策破綻過程にみられる若干の問題について―一九四五~一九五二年」より)のである。
 つまり、当時の韓国政府も在日韓国・朝鮮人の誰からも、自分たちは外国人であり日本人ではないという声はあっても、国籍選択権を与えよなどという声は、皆無だったのである。あったのは、連合国人、つまり戦勝国人として認めよ、というものであった。》(p.178~179)

と述べている。

 以前、古本市で見かけた雑誌『改造』1952年8月号の表紙に「朝鮮人問題の新局面」との見出しがあったので、興味をもって購入した。



 この「朝鮮人問題の新局面」という企画は、次の4つの記事で構成されている。
・旗田巍「民族運動の歴史的背景」
・名取義一「日韓会談のゆくえ」
・鎌田澤一郎「大統領選挙をめぐる朝鮮民族の嘆き」
・林光徹「強制送還なら真つ平〔註・まっぴら〕だ」
 時代は朝鮮戦争の真っ只中なのだが、企画のタイトルは「朝鮮問題」ではなく「朝鮮人問題」となっている。旗田は朝鮮民族の独立志向の歴史的背景を、鎌田は当時の韓国の政治情勢を解説しているに過ぎないにもかかわらずだ。当時のわが国社会において、朝鮮人の存在が「問題」ととらえられていたことがうかがえる。
 「強制送還なら真つ平だ」は2ページの短文記事。その内容から、筆者は在日朝鮮人であるとわかる。これによると、当時、わが国の支配層に、朝鮮人を強制送還すべしという主張がしばしばあったという。それについて、

《いわゆる政治問題に関心のうすい日本国民にとっては、いっそのこと「送還」した方がお互いさっぱりするのではないかという気になるのも無理のない話である。それほど新聞やラジオの宣伝は徹底している。
 在日朝鮮人問題が問題になったのは昨今のことではない。だからといってそれは明治以前にさかのぼるものでもない。朝鮮人が日本に渡ってくるようになったのは日本帝国が朝鮮に「進出」してからのことである。〔中略〕日本人の朝鮮における土地所有面積の増大に比例して渡日朝鮮人の数は増加し、〔中略〕日本内地の軍需生産が拡張され、その要求に応じて朝鮮人の移住はふえていき、太平洋戦争末期になると二百数十万をもって数えた。〔中略〕
 終戦とともに朝鮮人は、各軍需工場、炭鉱鉱山、土木作業場等から「解放」されて、大部分は本国へ帰った。現在の約六〇万という数字は、一九三四―五年当時の数とほぼ同じく、その大半は在日年限二十数年に及ぶものである。帰っても生計の見透しがつかない人々ばかりである。これら日本に住みなれた古い組は生活様式その他も全く日本化している。善良な日本の市民の中には、いっそのこと日本に帰化したらという考えをもつ人もいるようであるが、幾人かの「韓国人」を除いた朝鮮人にとって、それは最大の侮辱である。それほど朝鮮人としての民族的意識が強いのである。それは過去における日本帝国の「一視同仁」が如何に欺瞞に満ちたものであったかを証明するものである。「同化政策」なるもののかげに如何に非人道的な差別と抑圧がつづけられたかを物語るものである。》

と述べている。
 このように、この林光徹という人物は、現在の在日朝鮮人は帰国する見込みがなく生活も日本化しているとしつつ、帰化を否定している。
 検索してみると、この林光徹は、総聯やその前身の朝連の教育部門で活動した人物であるらしい(『改造』の記事の末尾に「(筆者は歴研会員)」とある。歴研とは現在も存続している歴史学研究会のことだろうか)。

 毎日新聞記者である名取義一の「日韓会談のゆくえ」には、当時の日韓会談における在日朝鮮人の処遇をめぐる議論について、次のような記述がある。

《日本人としては韓国は条約発効と同時に日本から分離するだけでなく、独立を回復するのであるから、国籍の選択権は認められずすべて韓国籍を回復するものとした。韓国は日韓合併条約は無効であり、単に軍事占領下にあったに過ぎないのだから、日本が降伏した昭和二十年九月二日以来全て韓国籍になったと主張し、いずれも時期はともかくとして在日朝鮮人が全て日本国籍を離脱し韓国籍を回復するのに異議はなかった。韓国籍となれば外国人になるから、これまで日本人として持っている特権は喪失することになるが、韓国側は日本人と同様の待遇を要求した。日本側は最恵国条項により韓国に与えれば他の外国人にも一律に認めなければならないからと反対したが結局実際問題として在日朝鮮人が外国人になることにより失う既得権益は僅少なものなので、日本側が折れ、鉱業権、弁理士業など外国人に許されない職業についても、現に有する権利は尊重し当人の一代限りは認めることにして妥協がついた。永住許可については韓国側の主張を容れ、終戦前から居住し、且つ韓国代表部の国籍証明書を持つ者は二年以内に申請すれば、無条件で永住許可を与えることになった。韓国側はさらに永住許可を得た者に対して退去強制を行わないことを要求したがこの点は無条件永住許可の譲歩を与えた。日本側の絶対に折れることの出来ないキー・ポイントで、結局貧困者と癩患者などの退去強制実施に当たっては朝鮮動乱その他韓国の受入れ体制の不備を考慮に入れ人道上の見地から、五年間は韓国側と事前に協議して行うことに折り合いがついた。》

 先に掲げた佐藤の記述が何ら誤っていないことがわかる。

 とはいえ、日本国籍の剥奪は不当であると考えた人々も、少数ながら存在した。
 調べたところ、在日朝鮮人や在日台湾人、それに血統的には日本人だが婚姻等により内地の戸籍から日本銃治下の朝鮮の戸籍に入っていた者(国籍としては日本国籍)が、サンフランシスコ条約の発効後、日本国籍を剥奪されたのは不当であるとして国を訴えた訴訟がいくつかあるが、いずれも原告敗訴に終わっている(注1)。
 これらの判決は、国籍選択権は国際的慣行として認められているとは言えないとした上で、カイロ宣言やポツダム宣言の趣旨から言って、サンフランシスコ条約の意図は朝鮮や台湾を日本の統治以前の状態に復帰させることにあるのだから、その住民たる朝鮮戸籍、台湾戸籍に登載されていた者は、日本に在住しているかどうか、血統的に日本人であるかどうかに関わらず、一律に日本国籍を喪失するとする国の主張を支持している。

 こうして決着がついている問題を、今になってこのようにむしかえす自民党PTの意図が不可解である。
 しかも、一種の戦後責任の問題ととらえているようで、なおさらだ。

 日本国籍を取得したいが、要件が厳しすぎて二の足を踏んでいるといった層には、たしかにこの法案は朗報だろう。
 しかし、民団や総聯、さらに本国にとってはどうだろうか。
 ある種の同化政策と受け取られ、反感を買うのではないか。
 先に述べたように、当時韓国は在日を韓国人だと主張し、国籍選択権を認めなかった。北朝鮮もおそらく同様だろう。その立場に変わりがないなら、彼らの国民をわが国が奪うということになるのではないか。
 さらに、この法律が成立した場合、日本国籍を取得しようとする者とあくまでも外国籍にとどまろうとする者との間に軋榛を生じることにならないだろうか。それが分断政策だととらえられないだろうか。
 法案の思想は善意に基づくものかもしれない。しかしそれが、日本人だけでなく、対象となる在日自身からも様々な批判を受ける、そうした事態が生じるおそれが多分にあるように思う。

 私は、歴史的特殊性を考慮して、在日の日本国籍取得要件を緩和してもかまわないと思う。日本国籍取得により、いわゆる在日「問題」の多くが解決されることだろう。
 しかし、国籍付与の裁量権はあくまで日本政府に残すべきだと思う。そもそも、どのような人間に国籍を付与するかは国家の権限に属することであり、外国人がある国の国籍を取得する権利が当然に保障されているわけではない。
 過去に国籍選択の機会を与えなかったことは、わが国が侵略国とみなされて朝鮮、台湾を奪われたという当時の事情から言って当然のことであり、わが国の落ち度だとは言えないだろう。
 仮に落ち度があったと考えるとしても、だからといって、当時の在日の子孫に対してまで、権利として日本国籍を付与することが妥当だとは思えない。

(注1)
例えば、以下のような判決がある。
最高裁大法廷 昭和30年(オ)第890号 昭和36年4月5日判決
東京地裁 昭和50年(行ウ)第25号 昭和52年3月29日判決
京都地裁 昭和44年(ワ)第1469号 昭和55年5月6日判決
大阪高裁 昭和56年(行コ)第32号 昭和56年10月22日判決
最高裁第2小法廷 昭和55年(行ツ)第113号 昭和58年11月25日判決
広島高裁 昭和63年(行コ)第10号 平成2年11月29日判決

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